新たな翼を得る
俺たちの根城となったシルワート基地が、これまでになく活気付いている。新たな作戦――サン・ロマ奪還作戦の発動を受けて、陸・海・空の三軍がそれぞれ出撃準備に入ったためだ。航空部隊も同様で、各部隊の戦闘機たちは作戦開始に向けた点検と準備で整備兵たちに取り囲まれている。そして俺はというと、ドック入りからようやく戻ってきた愛機の仕事場の整備で忙しい。何しろ戻ってきた俺の仕事場は、すっかりと新品にブラッシュアップされて戻ってきたのだ。多面ディスプレイを中心にしたコンソールは今まで通りだが、機能関連は大幅に刷新。簡易ながら、単独での電子妨害と電子妨害対抗機能が新たに追加された事も大きいが、何より大きな変更は操縦系統だろう。これまでも緊急時を想定して操縦桿の設置は行われていたが、戦闘に必要な機能については設置されていないのがエメリアの仕様だった。それが、スロットルレバーも含めて、後席に搭載された。操縦桿も新たなものに換装され、諸兵装のコントロールが可能なものに改められた。これで、作戦行動中にタリズマンの身に何かが起こり、俺だけが健在の場合でも戦闘行動が継続出来るようになった、というわけだ。もっとも、そんなことが現実的に起こるとは思えず、むしろ俺の方が駄目になる確率の方が遥かに高いような気もするが。

そんな騒がしい状況の基地が、一層騒がしくなっているのには理由がある。その原因は、ランウェイ上を移動中の複数の輸送機と、数機の戦闘機にあった。輸送機の機体はごくごく定番のものだが、ご丁寧にその尾翼等には所属を示す記章が一切付いていない。つまり、国籍不明機、というわけだ。だがパイロットや整備兵の目を引いているのは、その後ろに続いている戦闘機の群れだ。彼らが目指しているのは、この基地における俺たちのハンガーの隣にある、レッド・アイ隊の格納庫。間近に見られる好機を得た俺は、野次馬の戦闘に立ってその光景を眺めている、というわけだ。

「来た来た、何とか作戦開始に間に合わせてくれたか」
「全く、修理不能なところに攻撃を受けるお前がそもそも悪い。次はそうならないようにするんだな」
「分かってますよ!でもそういうビバ・マリアだって、嬉しそうじゃないですか」
「当たり前だ。どうせ操るなら、乗り慣れた愛機の方が良いに決まっている」

その輸送機の出所は、ガブリエラやジュニアたちの本来の所属元であるウスティオはヴァレー空軍基地。そして戦闘機の群れは、レッド・アイの面々のためにはるばる空輸されてきた、ということになる。送られてきた機体は、F-2Aにラファール、Su-27にF-15C。だが、何よりも目を引くのは、その先頭にいる機体だ。ベースとなっている機体はF-14だというのは分かる。だがその形状は別物と呼んでも差し支えない。可変翼前縁部に設置された、恐らくはデジタル制御のカナード翼。機体後方、エアブレーキを挟むように設置された両エンジンの先には、3次元ベクターノズルが実装されている。兵装未搭載の状態では何とも言えないが、恐らくはパイロンも増設・改良されているように見える。そして垂直尾翼には、搭乗者のエンブレムが描かれている。古い神話に登場する、馬の怪物――スレイプニルだったか?鋭い眼光が睨みを利かせている、という表現がしっくり来る。

「まさかとは思うが、あの試作機っぽいのがジュニアの新しい機体じゃないよな?」
「冗談きついな、マクフェイルも。おしめも取れていない奴にあんな機体与えるほど、うちの所帯も甘くは無いぜ。まぁ、F-2Aだったら良いのか、と言われると微妙だがな。いっそT-38とかにしといた方が良かったか」
「それこそ冗談きついっすよ、ブラッディマリー。F-16Cでもきつかった相手なんですから!」
「――F-14E、ブラック・オセロット。うちの隊長の"本来の"愛機だ。元々はオーシアの新型機コンペに出されていた機体らしいが、ライバル機との競争に敗れた後、プロトタイプの一部が納入された……と聞いている。機体軽量化も相当進んでいるらしいから、あの図体には似合わないほどにキレの良い動きをする」
「ガブリエラは、あれに乗っているヘルモーズ隊長を見たことがあるのか?」
「ああ。円卓方面で発生した小競り合いの際に、な。本人は謙遜していたが、ああ見えて本来はかなりキレた戦い方をするぞ」

話には聞いた事があるが、現在では大国オーシアの一部の部隊でしか運用されていないF-14の発展型開発計画がメーカーにおいて検討されていたそうだ。近代戦に対応すべく、ステルス性を付与したり、スーパークルーズを実現したり、といった大改修を施し、長期間にわたってF-14を運用し続ける構想だったと聞いた事がある。だが運用コストの面でライバル機に大きく水を開けられ、結果的に実現する事のなかった話ではなかったろうか?

「まぁ、ジュニアのF-2Aは何となく順当なところか。F-16Cを難なく乗りこなしていたし、慣れているようにも見えていたからな。――で、やっぱりラファールか?ガブリエラが乗るのは?」
「ご名答。同じデルタ翼の機体のミラージュも昔は使っていた事があるんだが、今となっては乗り慣れたラファールの方が相性がいい。もっと早く持って来ていたら、シルワート上空でラファール同士の戦いになっていたかもな」
「俺のF-2Aは順当なのか……」
「別に落ち込むところではないだろうがよ。んでもって、フランカーは俺のだ。正直なところ、おいしいところはタリズマンたちに持っていかれっ放しだからな。これで少しは稼ぎも増えるだろうよ。イーグルは嫌いではないんだが、こうズバッと切れ込んだりがなかなか出来ないからな」

グルシェンコフ少尉のSu-27も何となく順当な線ではないかと思うが、敢えて口には出さない。そうすると、最後に残ったF-15Cはファルネーゼ少尉の乗機ということになるのだろう。格納庫の前に並べられた5機の戦闘機たちの周りに、整備兵たちが展開する。エンジンは既にカットされ、コクピットからは空輸を担当してきたパイロットたちの姿が現れている。輸送機の中からも機材やら装備の搬出が始まり、シルワート基地の整備兵たちと輸送機の整備兵たちとが早くも引継ぎを始めている。

「もたもたするな、エンジンカット完了したら、すぐに点検入るぞ!引継ぎのネタも渡せるように準備しておくんだ!!」
「了解!!」

威勢の良い声に弾かれるように、輸送機から……ウスティオからやってきた整備兵たちがきびきびと動き回る。うちの整備兵たちも優秀だし仕事が早いと思うけれども、彼らの動きはそれを遥かに上回る。きっと厳しい職場で鍛えられた結果なのか、それとも整備兵たちも世界中から集まってきた傭兵で構成されているのでこうなっているのか、その辺りは良く分からない。そんな集団のとりまとめ役らしい男は一通り各戦闘機の周りを回って何やら目視確認を行い……そしてその様子を眺めているこちらの姿に気が付いた。

「おい、ジュニア!ジュニアじゃないか!!それにビバ・マリアもか!元気そうで何よりだよ!!」
「相変わらず声が大きいっすよ、ナガハマ班長」
「何を言ってやがる。エメリアからあてがわれた機体をぶっ壊されたってな?今度はそんなヘマはやらかすなよ。戦闘機ったって、高い代物だからな」

満面の笑みを浮かべながら近付いてきた男は、遠目からもはっきり分かるスカーフェイス。頭に被ったニット帽が却って男の印象に凄みを与えてしまっているようにも見える。「ナガハマ」と呼ばれた男はこちらに近付くなり、勢い良くジュニアの方を何度も叩いた。明らかに力加減を誤った叩き方だ、と見ていたら、案の定ジュニアが顔をしかめている。……が、そういう奴もどこか嬉しそうだ。グルシェンコフ少尉とは、拳をぶつけ合っている。どうやらナガハマ氏はヴァレーの傭兵たちの信頼を得ている整備班長らしかった。

「知り合いなのか?」
「ああ。こちらの整備班の元締め……を支える古参兵といった所か。何しろ、元締めはもっと厳しい人だからな」
「なら、ジュニアはその丁稚といったところか?」
「さて、な。詳しくは私も聞いてないが、ヴァレーの古参の面々から可愛がられていたのは事実だ。色々な意味で」

そういえば、ヴァレーの空軍基地には、長らくその姿が確認されていなかった「円卓の鬼神」が復帰した、という話を聞いたことがある。まさかとは思うが、「円卓の鬼神」の秘蔵っ子だったりして?いずれにしても、古参兵からもわざわざ「ジュニア」と呼ばれている辺り、あいつの匿名希望は相当徹底しているような気がする。或いは、周りが逆に気遣っているのだろうか?

「ま、ジュニアよ、安心しろ。この俺自ら、きっちりと仕上げてきてやったからな。聞いたところじゃ、マルチロールのこの機体の出番も結構多いらしいじゃないか?何だか、良く戦場が見えるフライトオフィサがいるらしいじゃないか。ちゃんと言う事聞いているんだろうな、ええ?」
「陰険オタクの陰険教師の間違いじゃないすか?そいつならビバ・マリアの隣にいますよ」
「――誰が陰険オタクの陰険教師だ」
「お前だろうが、マクフェイル」
「何だとぉ!?」
「二人とも、それくらいにしないか!!」

凛としたガブリエラの一喝に、俺もジュニアも口を噤む。噤んでから、しまったと気が付いた。これではやってる事がジュニアと同レベルじゃないか!そして当のジュニアはというと、さすがにバツが悪そうな表情を浮かべている。そんな様子を眺めていたナガハマ氏は、再び大音声で笑い出した。

「そうかそうか、いやー、安心したぜ、ジュニア!ちゃんと出張先でも友人が出来てたとはな。これはいい報告事項が出来た。シャーウッドの奴にちゃんと状況報告してやらないとな」
「ちょ……班長、何でこいつが「友人」になってるんですか!」
「いやいや、こっちじゃ歳の近い奴がなかなかいないから心配してたんだが、さっきみたいに悪口を普通に交わせる相手が出来たんなら僥倖だ。ええと、マクフェイルだったか?ご覧のとおり臍は曲がってる、口は曲がってる、根性も曲がってると三拍子揃った奴だが、まぁ仲良くしてやってくれ。そのうち背中も任せられるようにはなるだろうからよ」
「だーかーら、そいつは「友人」じゃないっつーの!!」

ジュニアの怒声なぞどこ吹く風、といった様子で、ナガハマ氏は俺の肩を先ほどジュニアにしたように何度か叩いた。そして、「任せたぜ、兄ちゃん」と言うと、戦闘機たちの群れの下へと戻っていった。後ろを振り返ると、いいようにあしらわれたことが不満らしいジュニアの姿がある。グルシェンコフ少尉がからかい半分、なだめ半分、といった様子でフォローに入ってくれている。ガブリエラはと言えば……そんな様子のジュニアに対して、苦笑を浮かべている。

「ま、人生の経験の差というところかな。ジュニアの「友人」も大任を負ったな」
「ヒドイ話だ、何であいつが「友人」なんだ」
「似た者同士、やっぱり仲が良いなと私は思うがな」

ベテラン整備兵、ナガハマ 文句の一つも返してやろうか、と思った矢先、再び戻ってくるナガハマ氏の姿が目に入った。再びジュニアの顔が不機嫌モードに変わる。奴の弱点を一つ見つけたことはしてやったり、の気分ではある。悪い悪い、と言いながらナガハマ氏が取り出したのは、一通の封筒だった。

「なんすか、これ?」
「まあそう言うな。わざわざヴァレーから郵便料金かけずに直送してやったんだ。シュレッターなんかに通したら、後で整備班長に殺されるからな」
「げ、マジですか。――了解、帰りの便には間に合わせるっす」

珍しく神妙な顔になったジュニアに首を傾げ、ガブリエラを見る。彼女は無言で首を静かに振った。「今は詮索無用」ということだ、と諒解する。改めてジュニアのF-2Aを眺めて、その機体に見覚えがあるような錯覚を覚えた。どこで見たのだろう?これと同じような機体を、俺はどこかで見ている。すぐには思い出すことが出来ないが……。

「……そうやってすぐに考え込むから、ジュニアに「陰険教師」と言われる隙を与えるんだがな」
「あのな、ちゃんと話は聞いているんだぞ、これでも」
「そうなのか?――まあいいさ。取り敢えず久しぶりの愛機の姿を見て、私も気分が良い。……ま、期待していてくれ。今まで以上に、戦果はきっちり挙げてみせる」

トン、と拳で軽く俺の腕をガブリエラは叩き、そして笑った。独りで考え込んで放っておこうとしたことは取り敢えずロハにしてくれたらしい。やれやれ、こればかりは俺の悪い癖だ。ジュニアが相手ならどうということはないが、ガブリエラの時は最大限努力してそうはしないようにしよう、とこっそりと誓う。百戦錬磨のタリズマンに見られようものなら、盛大にからかわれそうな――。

「若い奴らはお気楽でいいもんだな。おいマクフェイル、お前がそこにいると仕事が進まなねえって、分かってるんだろうな?」
「まともに聞かんほうがいいゾイ。タリズマンはお前に仕事を押し付けに来たんだからのぅ」
「とっつぁんも余計な事を……。いいから来い、新しい機体のキカイの面倒はお前の仕事だ、マクフェイル!機械オタク!!」
「お前の仕事って……前の席の面倒はタリズマンの仕事じゃないですか!」
「問答無用!!」

ぐるり、とタリズマンの太い腕が首の周りに巻きつくなり、有無を言わさず俺は引き摺られていく羽目になる。おいおいガブリエラ、そんな楽しそうに笑いながら手を振らないでくれ。そのまま愛機の格納庫まで引き摺られていく俺は、恐らく滑走路上の面々のいい笑い者になっているに違いない。これじゃまるで……。
ズシン、という腹に響くような轟音は、今日で何度目だろうか?パラパラ、と天井から土がこぼれてくるのを心地良く感じる人間などまずいない。ましてや、ここは地下通路の中。一つ間違えれば上が崩れて生き埋めになり、一巻の終わり、ゲームオーバー、ということすらある。それは轟音を鳴らしている連中――エストバキア軍の兵士とて同様のはずなのだが。

「とうとう空腹が頭にまで回ったのかなぁ。あの場所で発破したところで、破れるような隔壁じゃないんだけどね」
「分かっているんなら、教えてあげれば?」
「よせやい。軍人みたいに怖い人たちの前には立ちたくないよ、僕は」

再び轟音。通路の向こうから何やら喚き立てている声も聞こえてくるが、エストバキア語を勉強していないマティルダには何と言っているのかさっぱり分からない。バレンティンはと言えば……無表情を装っているけれど、眉間に皺が珍しく寄っている。どうやらまともじゃないことを兵隊さんたちは言ってるらしい、とマティルダは理解した。

「兵隊さんたち、何だって?」
「ここまでトンネルを掘ってきて戦車砲を撃とう、なんて話をしている。……そこまで街の食糧事情は逼迫しているのか」
「げ、戦車持って来るって?イカレてる〜。天使じゃなくて、悪魔とダンスしていりゃいいんだよ」
「言わんとすることはわかるけどね、もう少し大人しい言葉遣いをした方がいいよ、マティルダ」

普段使っている大昔の地下通路の扉を硬く閉め、グレースメリア城地下大シェルターとの連絡口から離れる。懐中電灯の明かりに照らされた暗い通路の中は、もうすっかりと馴染んでしまった。兵士たちに見つからずに地上へと出るルートは、この穴蔵に篭っているメンバー全員がすっかりと覚えてしまった。それどころか、暇つぶしに、と地下探検をしていたらバレンティンですら知らなかった新たな隠し通路を何本も見つけてしまい、そのうちの1本が城の書庫に通じていることも確認した。宝物がすっかりと持ち去られた(マティルダたちが回収した)この古城を訪れる人間は数えるほどとなり、この書庫ルートは表に出るときの格好の出入り口として機能している。気をつけなければならないのは、時々姿を見せる人間の中に、エストバキアの軍人が混じっている事だ。怪我の後遺症なのか、杖を持ち、片方の足を引き摺って歩く、鷲鼻がとんがったエストバキア兵。多分、元々はパイロットだったんだと思う。パイロットマークらしいバッチが、今でも胸元を飾っていた。一見強面だが、実際のところはそうでもない。バレンティンと話している時の彼は、どこかリラックスしているようにマティルダからは見えるのだから。

地下通路を進んでいくと、その先から淡い光が漏れ出している。いつもの寝床に辿り着いた証拠だった。そろそろ食事時を迎える時間帯なので、かすかに食欲を誘う匂いが漂っている。最近ではすっかりとマティルダの代わりが務まるようになったラジオ君――オライリーが今日も腕を揮っているに違いない。食料のバリエーションが徐々に限られていく状況の中で、マティルダでも下を巻くようなレパートリーを彼は実現して見せてくれた。中でも、大量にある割に処置に困っていた豆缶とトマトジュースを上手く活用した即席豆スープは絶品だった。父親譲りの豪快な料理を得意とするマティルダには、そのセンスが羨ましいところであった。

「あ、バレンティン兄ちゃん、お姉ちゃん、お帰りなさい!」
「ただいまオライリー、ご飯は出来た?」
「もうちょっとかな。リゾットにしてみたよ。今日はとっても寒いから」
「ありがたいねぇ。身体が温まったら、皆で早く毛布に入らないとね」

街中から失敬してきた石油ストーブもあるにはあったが、何だかんだといって広い空間を暖めるには限界があったし、何より一酸化炭素中毒になるのも怖い。さらに灯油の調達も難しい、ということで、余程寒い時で無い限りは使えないのであった。それでも、外気にさらされない分、まだこの空間はこれでも良いのかもしれない。毛布に包まっていれば、一応は暖が取れるのだから。

「でもお兄ちゃん、そろそろ食料調達をしておいた方が良さそうだよ。水は当分大丈夫そうだけど、来週には乾パンで毎食メニューを考えなくちゃならないと思うなー」
「ありがとう、オライリー。でもエストバキアの兵隊さんたちがうろうろしているから、前みたいにリヤカーで運搬……ってわけにはいかなそうだね。面倒だけど、少しずつ持ってくるしかない」
「あんまり好きじゃないけど、下水道を抜けていくルートの倉庫は?この間行った時は、まだ見つかってなかったみたいだけど」
「不衛生だから、あんまり通りたくないんだよね。あのルートを使うなら、せめて行きだけでも地上から回った方が早い。でもどうかな……ここみたいに厳重に管理された場所ではないから、さすがにそろそろ接収されていてもおかしくないよ」
「はいはい、難しい話はそこまで!ご飯食べて、ぐっすり寝て、朝考えた方がいいアイデアが浮かぶよ、きっと。それに私、お腹ペコペコ」
「お姉ちゃんの言うとおり。ご飯できたよー」

わーい、という声に続いて、各自がそれぞれの席に腰を下ろす。ろうそくの光が揺れる空間に、温かな湯気が踊る。備蓄食糧のレトルト米を使ったらしいリゾットはいい匂い。一気にかきこみたいところではあったけれど、食事の前の祈りの時間だけ、ちょっとだけ我慢。

「金色の王様、今日も僕たちに温かい食事をありがとうございます。王の慈悲に感謝を。よし、いただきます!!」
「いただきまーす!!」

地下の休息 決して豪華な食事ではなかったけれども、空腹を満たすには十分。何より温かいのがイイ。一日の疲れが、すーっと抜けていくような感じ。これで後は暖かいシャワーがあれば……と考えたところで、マティルダはバレンティンとの約束を思い出した。

「そうだバレンティン、まだ約束守ってもらってないよ?」
「約束……って、何だっけ?」
「最低。レディとの約束破るからもてないんだよ」
「ごめんごめん、シャワーかお風呂だったよね。もうちょっとで何とかなるから、もう少し待ってもらえるかい?」
「今まで忘れていたくらいだからなぁ。どうしようかな?」
「疑り深いなぁ。じゃあ、備蓄食糧のサイダー缶を2本賭けよう」
「安ッ!!」
「まあまあ、果報は寝て待てって言うじゃないか。だからもう少し待ってて。ちゃんと約束は守るからさ」

取り敢えずまだ準備中らしい、と分かったので、マティルダは矛を収めることにした。それにしても、バレンティンがいることで本当に助かったな、と思う機会が増えた、とマティルダは思う。この暗い穴蔵をそこそこ快適な空間に改造できたのもバレンティンの支援あってのことだったし、今日に至るまでエストバキア兵に踏み込まれずにいられるのも、何だかんだといいながら彼が目を光らせてくれているからだった。これが自分たちだけだったら、とっくに捕まって最近話題の矯正施設とやらに送り込まれていたに違いない。一度だけ、街に出た時に近くに行ってみた事がある。何のことは無い。もともと学校だった建物を使っているだけの事。ただ、大人でもよじ登るのが大変なくらい、コンクリートの壁が高くなっていて、門のところには小銃を持った兵隊付き、というところが昔と違うところ。これじゃあどんなことしているのか分からないじゃない、と諦めて帰ってきてしまったのだけど、聞こえてくるのは悪い噂ばっかり。もっとも、エストバキアの兵隊さんといってもグレースメリアに馴染んでしまった人も少なからずいるから、危険な人には近付かないこと、と自分なりのルールをマティルダは決めていた。

轟音の音もいつの間にか止んでいた。外は既に真っ暗な時間帯になって、さすがに今日の作業は諦めたのかもしれない。今や、グレースメリアの食糧難は駐留しているエストバキア軍にまで甚大な影響が出ている、とバレンティンは言っていた。そんな状態でエメリア軍が戻ってきたときに、まともに戦えるのかしら、とマティルダは思ってしまう。何のためにグレースメリアを占領したのだろう?こういう時は何て言うんだっけ?……そう、本末転倒!折角グレースメリアを奪ったのに、その街をエストバキアと同じようにしてしまって、この後どうするつもりなんだろう?大人の考える事は全然分かんないや。だから思考停止。そういう難しい事を考えるのは、バレンティンの仕事なんだから。リゾットを熱そうに冷ましながら食べているバレンティンの姿を横目に見つつ、マティルダも目前の食事に専念することにした。


兵士たちは焦っていた。いつまで経ってもシェルター本体を開く方法が解明できない事に。幾度かの発破は完全な失敗に終わり、むしろ崩れ落ちた天井のために幾人かが一時は生き埋めになっただけだったのである。それだけならまだしも、居残りで周辺の見廻りを命じられた兵士たちのモティベーションが上がるはずも無い。不承不承、こんなところに敵がいるはずも無く、ぶらぶらと歩いていた兵士の一人が、何かを蹴飛ばした。さっきの発破で崩れた岩でも蹴ったか、と思いながらライトを向けた先にあったのは――ずんぐりとした円柱状の缶詰だった。何でこんな所に?缶詰を拾い上げた男が首を傾げる。缶の横にはエメリア語の表記。つまり、軍が支給しているレーションの類ではない。

「おい、どうした?」
「いや、食料を拾った」
「何でこんなところで……ん?これ、闇市に出回っているのと同じ缶詰じゃないか」
「それって、シェルターの中にあるやつだよな?おいおい、俺たちに内緒で誰かがここの中に入り込んでいるのか?」
「いや、それは無いだろう。大体民間人があの壁をぶち破る術を持っていると思うか?」
「まあ無理だな。……まあいいや、ありがたく頂戴して、夜のツマミにしようぜ」
「同感だ」

缶詰をポーチの中に放り込み、兵士たちは地上に至る道へと向かう。それにしても、と缶詰を見つけた兵士は首を捻る。こんな缶詰をわざわざ持って、こんな暗い場所に入り込むような馬鹿がいるんだろうか?そこまで考えて、兵士は考えるのをやめた。上官に伝えたらどうなる?きっとあの上官殿のことだ。ろくな命令を出しやしない。触らぬ神に祟りなし。むしろツマミが増えた事を素直に喜ぶ事にしよう。こんな暗くて寒い場所からはとっととオサラバさ。小銃を担ぎ直し、地上へ至る梯子を見上げる。丸くぽっかりと開いた出口の向こうに、すっかりと夜の帳が下りた星空が見えた。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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