論客の対決
シルワート市の執務室には、いつにない緊迫感が漂っていた。この部屋の主はいつもと変わらず飄々としているのだが、この部屋に招き入れられた当人は疑心暗鬼という言葉を体現したかのような表情を浮かべて、昨日運び込まれたばかりのソファ――とは名ばかりの、金属製デスク同様の安物――に腰を下ろしていた。緊張の極みといった表情で恐る恐るコーヒーを差し出した秘書を気の毒そうに見守りながら、カークランドは普段のように缶コーヒーの蓋を開ける。怪訝そうな表情が一層深まるが、秘書の淹れたコーヒーは合格点だったらしく、何度かこの部屋の「客人」は頷きながらコーヒーを啜った。

「――ようやく人間の淹れてくれたコーヒーを味わう事が出来たというものかな」
「私は味覚オンチなので、苦い、ということくらいしか分かりませんが、喜んでもらえたのならば光栄ですね」
「そんな甘ったるい缶コーヒーばかり飲んでいるからそうなるのだよ、カークランド首相」

少し睨みつけるような視線をカークランドに向けている「客人」の名は、クルード・ベンティンク。サン・ロマの自宅で軟禁状態に置かれていた彼は、エメリア軍によるサン・ロマ奪還作戦の一環として救出され、安全地帯であるここシルワート市へ到着したのであった。救出作戦の指揮を執った部隊長たちに対しては感謝の意を伝えていたベンティンクではあったが、政敵たるカークランドを前にして、複雑な気分となったことは否めなかった。何しろ自分自身はカークランドを散々こき下ろし、その足を引っ張ろうとしていた張本人である。その政敵をわざわざ救出し、自らの執務室に招き入れるカークランドの魂胆を、彼は図りかねると同時に、戦前の彼の姿とのギャップに戸惑っていたのである。これが、政権をただ繋ぐために首相に就任させられた男の姿だろうか、と。

「毒舌も健在なようで何よりです、ベンティンク議長。それでこそ、軍に無理を言って救出を依頼したかいがあったというものです」
「聞き捨てならない話ですな、首相。非常時とはいえ、私的に軍隊に命令を与える権限を首相は有していないはずだ。いや、そもそもこの戦争自体、貴方はご自身の基盤たる与党の承認も無く戦闘を継続されている。この責任をどう考えておられるのか?」
「困ったことに、全くその通りなのですよ。首脳部はグレースメリアでエストバキア軍に丁重に保護されているようでしてね、私の代役を立てることも政策を決めることも出来ていません。当然、戦闘続行に対する承認も、ね。仕方が無いので、開戦前の任命に従って、微力を尽くしている次第です。首相には、有事の際の総司令官という有難くも無い肩書きが付いていますからね。少なくとも、エストバキアに征服されることを看過することは、この首相という役割の人間がやってはならないことでしょう?」

どちらかと言えばせっかちな性格のベンティンクは、満遍なくゆったりと話すカークランドのペースが苦手であった。だが、改めて彼は認識した。今目の前にいる男は、戦争という未曽有の有事に対処すべく奔走し、ここまで来たのだ、と。話し方も雰囲気も変わるものでは無かったが、彼の言葉には力が籠っている。それは、首相としての責務を果たそうという、カークランドの覚悟がそうさせているのだ、と気が付いたのであった。

「だが首相、戦闘が続けば、その期間が長くなればなるほど、軍属にある国民たちの命が失われていく。いや、兵士たちだけでは無い。エストバキア占領下の都市にある国民たちの命も危険に晒される。そこまでして、戦闘を続行することに何の意義があるのか?いつからエメリアは戦争国家になったのかね?」
「意味ならありますよ。エストバキア軍に、エメリアから撤退して頂く、という重要な意味がね」
「それは戦闘以外の方法でも出来るはずではないか。殺し合いこそが解決の手段とでも言うのか?」
「そうです」
「なっ!?」
「ベンティンク議長、おかしいとは思いませんか?エストバキアがエメリアに対する侵攻を周到に用意し続けてきていたと仮定して、その情報を諜報部を始めとした機関が全く察知していなかったのでしょうか?勿論、平和ボケで機能していなかった、というオチも付くかも知れませんがね、そこまで能力の無い機関では無いと思うのですよ、私は。ならば、理由は別のところにある。その報告は、もみ消されていたのですよ、私の元に届く前に、ね。それどころか、軍の前線部隊にも伝わっていなかったのです」

カークランドは一旦話を切り、缶コーヒーを軽く呷った。本題はここから。カークランドには彼なりの目的と計算があった。これから先、エメリアの進む先を決めるためには、今目の前に座る男の協力が不可欠なのであった。だが、何の理由も無く彼は協力などしない。彼の矜持が決して許さないだろうから。ならば、その理由を明確に定めるしかない。全く、交渉事も楽ではありませんね、とカークランドは胸の奥でそうぼやく。

「――アネア大陸共同体。ベンティンク議長もご存知でしょうが、ユリシーズの惨劇の前のアネア大陸各国で、その実現に向けた動きがありました。ノルデンナヴィクも含めて、その構想は現実に動き出せる寸前までまとまりかけましたが、その背景にはもう一つの理由がありました」
「もう一つの理由?」
「そうです。時代は80年代後半。未だに超大国同士の冷戦と軍拡は止む気配を見せなかったあの時代こそが、その理由です。北方のベルカの状況ともリンクしていると言っても良かったでしょうが、オーシア・ユークトバニアの強大な軍事力に対抗するには、アネアの軍事力を結集する必要性がありました。だから、政治体制としては相容れないはずのエメリア、エストバキア、ノルデンナヴィクはまとまろうとしたのです。目前の超大国、ユークトバニアの勢力下に置かれないための軍事力を誇示し、アネア大陸の独立を守るために、ね」
「その時代はそうだったかもしれない。だが、現代とは何の関係も無いだろうに」
「その通り。ですが、そうは考えていない人たちもいました。ユリシーズの惨劇が起き、エストバキアは内戦で荒れ果てていく反面、エメリアは復興特需もあって経済的に大きく成長を果たしていきました。いつしかアネア共同体の構想自体も過去の産物と押しやられてしまいましたが、それを潔しとしなかった勢力は、エメリアにおいても暗然と存在していたのです。困ったことに、その方々は政府の要職に就いている方々ばかりでした。そんな誰かさんたちに、誰かが囁いたのですよ。エメリアを、アネアを世界の大国たらしめるためのシナリオがある……とでもね」

論客対決 黙してカークランドの話を睨み付けるように聞くベンティンクの姿は只事ではない、と秘書は見て取った。いつもの調子なら「戯言を!」と一蹴している頃だろうが、淡々と語り続けるカークランドの話を今は遮ろうともせず、いやむしろカークランドが圧倒しているようにすら見える。否、押し切ろうとしているのかもしれない。

「"灰色の男たち"――その名は、議長も良くご存知でしたね?」
「知らないな、と言ったらどうする?」
「ふふ、ではそういうことにしておきましょうか。では逆に、今のエメリアとエストバキアの戦争状態で、最も得をするのは誰だと思います?エメリアを手中におさめようとしつつあるエストバキア?残念ながら、市場経済を全く理解していない彼らでは、その恩恵を受けるどころか却って経済を駄目にして、国を駄目にしてしまうだけです。ではノルデンナヴィク?いやいや、そこまであの国も腹黒くはありませんね。でも、企業は違います。戦争が続けば、あらゆる物資が動く。兵器だけでなく武器弾薬、食料品から衣料品、まさに戦争は一大ビジネス。国という境を超え、国家の形すら超えて、経済と資金を武器に世界を思い通りの方向に進められるとしたら?」
「話が見えないぞ、カークランド首相」
「では、あなたの一大勢力の支援企業の一つを不正取引と独占禁止法の抵触で告発し、徹底的な浄化を図ったのは何故です?かの大企業、ノース・オーシア・グランダー・インダストリーとの密接な資本関係があったからでしょう?ああ失礼、今ではゼネラル・リソース・インダストリーでしたね。そしてかの企業は、間違いなくエストバキアの背後にもいるでしょう。何しろ、今世界の中でここまでもめているのはエメリアとエストバキアくらいのものです。これほど魅力的な市場は無いでしょうからね」
「確かに、首相の言う通り、国内にも彼らの手に染まった企業は残念ながら少なくない。私の支持者の中にもそういった企業がいたから、浄化をして頂いたまでのこと。でも、与党の中はいかがでしたかな?」

カークランドはにやり、と笑って見せた。その問いをこそ待っていた、とでも言うように。

「ポイントはそこなんです。"彼ら"にとって最も望ましい成果は、この戦争が玉虫色の結果に終わり、いつでも再開出来るような不安定な状況下に置くことだと思います。何とも情けない話ですが、グレースメリアに留まっている上層部の皆さんは、エストバキアとはまた異なる、祖国にとっての敵と言っても過言ではないと思います。きっと、エストバキアにも似たような人たちが少なからずいるのでしょう。ドブロニク上級大将も苦労されていると思いますよ。あちらは軍事政権。派閥の弱体化は権力の弱体化とイコールですからね」
「カークランド首相、待ってくれ。それでは何か、この戦争はエストバキアが仕掛けたものではなく、エストバキアが仕掛けるように仕向けられたことで始まった、と言うのかね?」
「その通りです。だから、私はこの戦争で、エストバキアに勝利しなければならないのです。完膚なきまでに彼らを打ちのめして、ね。二度とこのアネアで同じような悲劇を繰り返さないためにも、この戦争は商売にならない、と思い知らせなければならないと考えています。――だから、あなたの協力が必要なんです、クルード・ベンティンク議長。この実に魑魅魍魎の住まう世界と化した、エメリアの政界を綺麗に洗濯してしまうには、"彼ら"の恩恵を受けていない人間の手が必要なんです」

そこまで言いきって、カークランドは二本目の缶コーヒーの蓋を開けた。ぽかん、と口を開けている秘書君とほぼ変わらない表情を浮かべながら、何度か首を振るベンティンクの姿を見て、カークランドは満足であった。ようやく論戦で勝てましたねぇ、と。事実、そうであったに違いない。いつもだったら、2倍、3倍の切り返しがあってしかるべきだった。だがベンティンクは、何も言い返すことが出来なかった。カークランドのシナリオに、突くべき論点を見出せなかったのである。缶コーヒーをぐい、と飲み干したカークランドは、両手を組み、ベンティンクに向かって身を乗り出した。

「もう一度お伝えします。ベンティンク君、私に協力して下さい。これはあなたにしか頼めない大役なんです。あなたと、あなたの協力者たちにしか、ね」

カークランドとベンティンクの視線が交錯する。無表情のカークランドに対し、ベンティンクは睨み付けるような視線をしばらく向け、そして少ししてから視線を外した。

「――即答出来ない。考える時間をもらいたい」
「勿論ですよ、議長。準備が出来次第、私はサン・ロマへ行かねばなりません。あなたの街で、答えを聞かせてもらいたいと思いますよ」
「サン・ロマへ!?戦闘が終わったばかりのあの街に、仮にも暫定政府のトップが乗りこむつもりなのか!?」
「当り前じゃないですか。安全なところでのんびり構えているような政治家に、一体誰が付いて来てくれるんですか?基盤も何もない私に出来るのは、本当にこれくらいなんですからねぇ」

そう言いながら、カークランドはすっかりと白くなり、そして薄くなっている頭を撫でた。もともと濃くは無かったが、戦争が始まる以前のカークランドの頭は、まだ黒かったのではなかったか?あれから半年で、そこまで変わるものだろうか?見てくれとは別に、どうやら本当に苦労のし通しらしい首相の姿に、ベンティンクは改めて圧倒されたのであった。


ベンティンクが執務室から去ってから、カークランドは3本目の缶コーヒーの蓋を開けた。客人を見送った秘書が部屋に戻って来て、コーヒーポットに入れていたコーヒーを彼のマグカップに注ぎ、そして一息つく。彼もまた、緊張し続けていたらしい。二人でほう、と緊張の糸をほぐしにかかる。

「結局、色よい答えはしてくれませんでしたね、議長」
「いえいえ、あれで充分ですよ。彼とて、エメリアを良くしたいという信念は人一倍強い……本人はこの国一番と思ってるでしょうが……政治家ですからね。政治屋ではなく、ね。それが分かっているから、彼はゼネラルの息のかかった企業を切り捨てたんです。君もユージア大陸の現状はご存知でしょう?大陸全土を巻き込んだ戦争以後、もともと小国の連合体だったかの国では政府の信用が失墜してしまった。その代わりに、大陸を支える企業が政府を支える……いや、左右するようになりました。それはそれで新しい政治体のひとつなのかもしりませんが、その企業が実際にはただ一つの母体によって束ねられていたらどうでしょう?いやはや、それは形を変えた独裁体制になります。企業のトップは基本的に一人なわけですからねぇ。そんなわけで、私はユージア大陸の行く末が心配でなりません。ま、それより前に、わが国ですがね」
「しかし首相、我が軍を支援しているゼネラルの傘下企業にはどう対処するおつもりなのですか?」
「放っておきます」
「え!?」
「彼らも馬鹿ではありません。それに、資本はゼネラルから出ていたとしても、それを動かしている人間はエメリアの同朋でもあります。結果としてゼネラルにとっての「儲け」になるのなら、表立って妨害や反発をすることもないでしょう。それと、我々は与しやすい相手ではない、と彼らに思わせることも重要です。……まぁ、利用出来るところはお互いに利用する、というところでしょうね」
「はぁ、そういうものです、か」

ゼネラル・リソースの役員たちにとっては、何ともやり辛い相手がエメリア政府に居座った、ということになるのだろう。首相がグレースメリアにいる時に開戦となっていたならば、今頃とっくに首相は退陣させられていたに違いない。その代わりの人間が、企業の銭で左右されるような人材だった日には、今頃どうなっていたことか。秘書は背筋にゾクリとした寒気を感じたものである。

「しかしまぁ情けない話ですが、政治家というのは何かとお金のいるものですからね。語弊を招くかもしれませんが、スポンサーの存在は必要ではあるわけですよ。ところが我が党と来たら、すっかり飼い慣らされてしまいましたからねぇ。ま、身一つで放り出されたのは却って幸運でしたけどね。党のしがらみとは全く無縁の、自前の体制を整えられた、という点ではね」
「エメリアに戻ると仰られた時は驚きましたよ、本当に」
「帰りの航空券代をどうするんですか、と君に怒られましたからねぇ。ああ、その時の航空券代をエメリア航空に精算しなければなりませんね。……本当に、多くの人たちの好意に助けられて、ここまで来ましたね、我々。彼らの好意を無駄にしないためにも、企業の皆さんにはやり辛い相手であるベンティンク君の勢力の協力が必要です。戦争に勝った後も、勝ち続けるために、ね」
「勝ち続けるため、ですか」
「そう。物語なら戦争に勝ったところで終わりですが、私たちの舞台は現実が相手です。その先も考えていかなくちゃいけません。疲弊した国の再建、各国との調整、エストバキアに対する戦後の賠償請求、仕事はいくらでもありますねぇ」

笑いながら、カークランドは三本目を飲み干した。さすがにそろそろ甘ったるくなってきましたねぇ、と呟いた彼は、冷蔵庫から代わりにサイダーの缶を取り出す。別の観点でも圧倒された秘書は、呆れた表情で首を振ることしか出来なかった。
サン・ロマ市を覆っていた砲声と爆音はすっかりと姿を消していた。戦闘から逃れていた市民たちの行列と車列が、街へと向かう国道を埋めている。先日の戦闘により、エストバキア軍は完全にこの街の一帯から駆逐され、グレースメリア方面へと撤退しつつある。その隊列から外れ、路肩をさらに外れたところに止まった車の横に男が二人、満足げにその光景を眺めていた。

「麗しき我らが故郷よ、我ら再び戻りて未来を開かん!良きかな、良きかな!!」
「……俺たちの故郷はもう少し先。しかも未だエストバキアの占領下」
「んなこたぁ分かってる!でもよ、サン・ロマまで戻ってきたんだぜ、サン・ロマまで。こりゃあ今日の放送はオールナイト決定だわな」
「ま、敵地じゃないから、それもいいな」

トッドとT・ボーンの二人は、サン・ロマの戦闘から避難していた市民たちに混じって、解放された市内へと向かっていたのだった。だが、彼らにより酷使されている愛車は二人を簡単に休ませるつもりは無いらしく、市内を目前にしてタイヤをバーストさせたのだった。不運を嘆き天に向かってありとあらゆる罵詈雑言を並びたてているトッドを横に、T・ボーンは黙々と作業を進め、揚句バーストしたタイヤの片付けまで始めていたのだった。もちろん、機械とメカと雑用に向かないトッドに手伝いなど出来るはずも無く、手際良く片付けを進めていく相棒の姿に感心するだけであったが。

お騒がせ二人組、再び ポケットに片手を突っ込んで歩きだしたトッドだったが、サン・ロマの入り口とも言える橋とその上を行く車列の姿を視界に捉えて、そして歩みが止まった。橋の下を流れる川の、その岸にその視線は向けられていた。珍しく黙っているトッドの姿に興味を持ったT・ボーンは、工具を置いてその隣へと並び、同じ方向を見た。

「――なあ、覚えてるか。サン・ロマから追われたあの日、この上で戦ってたエースパイロットのこと」
「……忘れるものか。俺たちを守ってくれた、あのF/A-18C」
「すごかったよなぁ。格好良かったよなぁ。……忘れられねぇよ。みんなの盾になって、相手に一矢報いて、最期は誰も巻き込まないような場所に機体を向けて。多分、この街のみんなもそうだろうさ。大勢の人間が、あの姿を見ていたはず。そのうちの何人かは、あのパイロットのためにも、頑張って盛り返さなきゃ、って思ってくれてるだろうさ。だからよ、サン・ロマはすぐに元の姿に戻る。俺はそう信じてる」
「……ああ。それに、俺たちには「鳥のエンブレム」もいる」
「今日の空にもいたんだろうな、間違いなく。なんつーか、勢いが違うんだよな。戦争なんて大勢の兵士や武器やらでごった返していて、一人の兵士の働きが戦いを覆したりなんてこと無い、って良く言うけどよ、実際は違うんだな、と良く分かった。その一人か一組かがいるだけで、周りの奴らをその気にさせちまうってことなのかな。黒を白に、不可能を可能に、んでもって皆がそんなノリになるから、奇跡が起きちまう。いやはや、DJやってて良かったと思うぜ。そういう奴らがいる、ってことを、エメリアのみんなに伝えられるんだからな。俺のホットでラブアンドピースなライブを聞いて、リスナー全員がその気になってくれれば本望だぜ!!」
「……トッド、残念ながら、リスナーにはエストバキアの面々もいる。奴らがその気になったら、むしろ逆効果」
「しまった、ノォォォォォォォォォ!!」

道端から聞こえてくる絶叫に幾人かが気が付いて視線を向けるも、取り敢えず敵の兵士や厄介事が降ってきたわけではないと分かり、何事も無かったように車列と人の波は通り過ぎていく。むしろ、T・ボーンの筋骨隆々の姿に恐れをなしたのかもしれないが。

「……まあいいさ。俺としては、あの、陰湿で姑息で短足で無能で稚拙で陰険で傲慢で短気で居丈高で頭の悪い、エストバキアの広報官野郎のつまらない話を聞かされているエストバキアの兵士諸君まで解放してやってるんだ。文句は言わないさ。文句は」
「……それだけ言ってれば充分言っている」
「軍用無線にまで入り込んでいるのはどっちだい」
「……広報官とやらと一戦交えたくて仕方無いDJがいるからな。仕方ない」
「全くその通り。いやホントに、一対一で議論してみたいもんだぜ。相手を一言もしゃべらせずに、3時間くらい話続けてやる自信あるね、俺」
「……深夜枠の番組でやったら面白そうだな」
「いや、いいな、それ。実に面白い。どうせグレースメリアに行くんだ、捕虜になった広報官捕まえて、番組やろうぜ」

本気か、と苦笑を浮かべるT・ボーンを横目に見つつ、トッドは片手にぶら下げていたビール瓶を開けて、そして川岸に向かって掲げた。彼らを守って散っていった、エメリアのエースパイロットに手向けるように。T・ボーンもまた、川岸に向かって両方の手のひらを合わせ、そして目を半眼にして何事かを唱え始める。それほど長い時間では無かったが、それぞれの形で祈りを捧げた二人は、修理を終えた彼らの愛車に向かって踵を返した。

「さて、まずはサン・ロマだ。勿論、グレースメリアにも乗りこむぜ。いの一番でな」
「……全く、無茶が好きだから困るぜ」

不敵な笑みを浮かべながら運転席へと乗りこんだトッドは、愛車のキーを回し、アクセルを踏み込む。タコメーターの針がピンと上がり、空ぶかしの音が辺りに響き渡る。大事に扱えよ、と睨み付けたT・ボーンに笑みを返しつつ、今度は優しくアクセルを踏み込み、車をスタートさせる。二人の「実は野心溢れる移動式海賊放送局」はサン・ロマへ向かう車の群れに加わり、解放された街へと向かって走っていくのだった。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

トップページへ戻る