決戦、空中艦隊・後編
戦闘機の機動は、いつだって身体を酷使する。それは今も昔も変わらないし、むしろ戦闘機の性能が向上した現代の方が瞬間的な機動での負荷は格段に高くなっている。だから、それを乗り切れるかどうかは気力と体力次第――若い奴らには負けられないと鍛え続けてきた身体であっても、年齢による経年劣化は避けられない。自分自身の30代頃と比べても、明らかに体力を消耗している。だがそれは、向こうとて条件は同じ。俊敏な機動でこちらを振り切らんとターンを続けるSu-33の姿を睨み付けながら、ベンジャミンは奥歯を噛み締める。これが騎士同士の戦いだったとしたら、互いに馬上からランスを突き出して何度も突撃を繰り返しているのだろうか。或いは大剣を手に、一合、二合と火花を散らしながら斬り合っているのだろうか。二機は互いの航跡を幾度も交錯させながら、激しい空中戦を繰り広げていた。
『全く、世間は広いもんだ。我々を追い詰められるのはウスティオの傭兵どもだけ、と自負していたんだが、エメリアもなかなか負けていない。認識を改めざるを得ないようだ』
「そういつは光栄じゃがの、いい加減身体がキツい。そろそろ墜ちてくれんもんかの」
『そう言って、円卓の騎士たちは墜ちてくれたか?そう願うなら実力で実現してみることだ』
「元よりそのつもりじゃよ」
先行する敵機の機首が一瞬沈み込んだと思いきや、フランカーシリーズの機動性を最大限に活かしての急旋回。その鼻先がベンジャミンに向けられる。すかさずロールを打って右方向へと逃れるF-15C。ほんの一瞬前までいた空間を、機関砲の火線が貫き通す。至近距離ですれ違った二機は、互いの衝撃に機体を揺らがせてそれぞれ反対方向へとブレイク。首を巡らせて敵機の姿を追いかけ、ベンジャミンは左方向へと操縦桿を倒す。空と雲と大地が垂直に切り立ち、翼が大気を引き裂く。同様に反転したSu-33は、ベンジャミンのF-15Cの真正面へとポジションを取る。コクピットには早くもレーダー照射警報が鳴り響く。再び二機は正面から互いの攻撃を叩き込み、すれ違う。至近距離を機関砲の火線が撃ち抜くが、互いに命中弾無し。反対方向へと抜けた二機だったが、Su-33は再び鋭い旋回を決め、反転を完了していないF-15Cへの後方へと喰らい付いた。
『これでチェックメイトとさせてもらえれば良いんだがな』
「先ほどの台詞をそっくり返してやるワイ」
推力と安定した機動性を活かしてベンジャミンは逃げにかかる。圧倒的な機動性を活かし、旧ベルカのエースが追撃する。必殺の一撃を叩き込むべく、リーデルはF-15Cの後姿を狙う。だが、ロックオンされるかされないかの絶妙なタイミングで、ベンジャミンは敵の狙いから逃れるべく、急旋回やロールを繰り出す。結果として決定的な一撃を叩き込む機会を得られず、二機の熾烈なポジション争いが続く。
『繰り返しになるがな、本当にいい腕だ。ドッグファイトがこんなに楽しいと感じるのも久しぶりだ。感謝するぞ』
「楽しいかどうかは別として、うちのエースに劣らん腕前には感心するワイ」
ベンジャミンの後方をキープしている状況には変わりがなかったが、リーデルは決定的な好機を掴む事が出来ない。一方で、ベンジャミンもリーデルを振り切ることが出来ない。微妙なバランスが続くシーソーゲーム。だが一点だけ、両者に差があるとしたら、それは「追われることに慣れているかどうか」という観点だったかもしれない。レーダーで敵の位置を確認しながら、しかしベンジャミンは冷静に敵のポジションを把握しながら飛び続けていた。それはつまり、この状況であれば相手が仕切り直さずに追撃を続けてくるだろう、とリーデルの選択を先読みして予測していたということでもある。一方でリーデルはリーデルで、相手が何か企んでいるのではないか、と懸念はしていた。だが一方で、双方の年齢を考えれば、相手がこの無茶な機動に耐え切れるわけが無い、とも読んでいた。だから、ベンジャミンの体力と気力が尽きる時こそ好機、と狙いを定めていたのであった。
牽制のように放たれたガンアタックに対し、ちょうど2回転ほど機体をロールさせたベンジャミンは、速度が落ちるリスクを承知の上で機首を跳ね上げる。そのまま機体を捻りながら、上昇へと転じる。一瞬タイミングを逃したSu-33であったが、そういった高機動はこちらの十八番とばかりに高空へと駆け上がる敵を追って上昇。射線上から逃れようとするF-15Cを仕留めるべく、執拗に追い掛け回す。リーデル、レーダーロックを開始。短距離AAMを選択し、その後背に牙を尽きたてんと身構える。実際のところ、命中する必要は無く、それによって攻撃に適したポジションに相手が入ってくれることを期待してのものだったが。一方、ベンジャミン機のコクピット内には、耳障りなノイズが鳴り響き始めている。だが、ベンジャミンはもっと耐え難い状況を知っていた。それは、円卓の空の上でのこと。鳴り響くのはロックオンされたことを告げる不吉な警告音ばかり。回避以外の選択肢を取らせてもらえない状況下、自分の視界には攻撃を受けて、ある者は爆発四散し、ある者は推力を失って墜ちて行く仲間の姿ばかり。いよいよ自分の番だと覚悟を決めた時、戦域に友軍部隊が突入し、仲間たちを狩り尽くした敵機が撤退してくれたから良かったものの、そのタイミングが遅れれば今の自分は無い、とベンジャミンは確信している。だから、「まだあの時ほどじゃない」とベンジャミンは未だ冷静でいられるのであった。
『感心するな。これほどまで追われて諦めの悪い奴だ、とな』
「あいにく、逃げ足と我慢比べだけならエース級なんて言われておるからの」
『だが、そろそろ決めさせてもらう』
仕掛けてくる――。一瞬後方を振り返り、さらにレーダーに素早く視線を動かして敵の位置を確認する。ジジジジジ、と耳障りなノイズは鳴り響き続けている。さあ、行くぞ、と呟き、ベンジャミンは機体を右方向へと傾け、旋回状態へ。その刹那、レーダー上に小さな光点が1つ、Su-33の傍に出現した。急速に加速する敵ミサイルは、ベンジャミンの進路を塞ぐように放たれている。そして敵機が加速し、一気に距離を詰めて来る。来た!タイミングを図り、ベンジャミンは一気にスロットルを絞り、速度がコンマ単位で落ちるタイミングを見計らってエアブレーキを展開した。ガクン、と前のめりになり、ハーネスが身体に食い込む。急減速したF-15Cは、ミサイルを回避して逆方向へと旋回することを読んでいたリーデルの目前に、一気に迫る。左方向へと勢い良く機体をロールさせ、急接近する敵機の腹の下へと逃れたSu-33。「ロックオンされていない」ミサイルが至近距離を通過したことを確認して、エアブレーキを閉じて再びスロットルを押し込むF-15C。まだ推力が回復しないまま、F-15Cの機首を横方向へと流すベンジャミン。一瞬のチャンスを逃さず、僅かな時間トリガーを引き絞る。急制動に急制動を重ねて逃れようと、ロールを繰り返して降り注ぐ機関砲弾の雨をかわすSu-33。だが、一弾が垂直尾翼の一枚に命中して尾翼上部を粉砕し、次の一弾は右エンジンのノズルを直撃し、リーデルの機体を激しく振動させた。
敵機から黒煙が吹き出したのを捉えながら、今度はベンジャミンが襲い掛かる。片肺飛行に加えて尾翼の機能を一部失った敵機は、明らかに動きが鈍っていた。この好機を逃す手は無い。先ほどとは逆に、レーダーロック。必死の回避機動に転じた敵機の姿をHUD上に捉えながら追撃。そして久しぶりに、ベンジャミンはロックオンを告げる電子音を聞いた。翼から切り離されたミサイルが、轟然と加速して敵機に迫る。だが、ミサイルが直撃するか否かの刹那、最後のあがきの様に敵機は翼を振り上げて急旋回へと転ずる。次の瞬間、信管が作動したミサイルの弾頭が炸裂した。直撃は逃れたものの、飛来した無数の弾体片は優美なSu-33の胴体を容赦なく切り裂き、引き裂いた。翼から、胴体から、黒い煙を吹き出した敵機は、それでも機体を水平に戻した。
『――見事だ。慢心したのはこちらだったようだな。まんまと罠にはまってしまった』
「なんの、紙一重の差じゃよ。緊張が途切れていたら、やられたのはワシの方じゃ」
『……積年の恨みを晴らす好機だぞ。トドメを刺したらどうだ?』
リーデルの、かつてのベルカのエースの言う通り、復讐を果たすまたと無い好機に、一瞬ベンジャミンの心も揺らぐ。だが、深呼吸を一度。息を吐き出すと同時に、思い浮かんだ疚しい思いも外に吐き出す。仲間たちは、結果的に惨敗したとはいえ、正々堂々と戦った結果、空に散っていった。ベルカのエース部隊は、何も卑怯な戦いをしたわけではない。圧倒的な技量の差の前に、自分たちは完膚無きにまで敗北しただけのことだ。空の上でのことは恨みっこなし――それは、この戦いの場でも例外では無かった。
「――お前さんには借りがあったからの。これで返しておくワイ」
『あの時は陸の近く、今は大海原のど真ん中、返してもらうにしては利子が付き過ぎのような気もするがな』
「だとしても、そちらは戦闘続行不能。それで充分じゃ」
『クックック、つくづく面白い男だよ、お前は。生きていたら、サシで飲みたいもんだ。健闘を祈る、エメリアの老エース』
そう言い終わるのが早いか、Su-33のキャノピーが弾け飛び、次いで射出座席とパイロットとが上空へと打ち上げられた。反動で機首を下げた機体は、そのまま満身を煙に包みながらどんどん高度を下げていく。やがて、大空にパラシュートの白い花が一つ、開いた。何とか仕留めたか、とようやくため息を吐き出したところで、ベンジャミンは我に帰る。まだ、敵の切り札との、アイガイオンとの戦闘は終了していない。わざわざ探す必要も無いほどに馬鹿でかいその巨体は、レーダー上に未だ健在。だが、その全体は激しい炎と煙とで覆われつつある。どうやらタリズマンたちがうまくやっているらしい、とマスクの下の口元にベンジャミンは笑みを浮かべた。
『シュトリゴン隊……残存はシュトリゴン2のみ……』
『艦内の火災が広がっています。消火不能です!!』
『艦の傾斜、立て直せません。尚も傾き続けています!!』
エンジンをほとんど破壊され、艦体に無数の傷を穿たれながら、尚もアイガイオンは空に浮いていた。だが、それはもう「浮いている」と評するのが正しい状況になりつつあった。既に艦の制御を行う事は出来ないようで、艦体を右方向に傾けながら緩やかに旋回しているのがもう限界といったところ。執拗な攻撃によって火器管制機能を失ったこともあるのだろう。俺たちに向けられる火線は、密度も低く、細いものとなっていた。放っておいても、いずれは不時着ないしは墜落してくれることだろう。だが、アイガイオンには厄介なものがまだ搭載されているはずであった。俺たちを散々苦しめてきた、例の巡航ミサイル「ニンバス」だ。あれは、この海域からでもエメリアのどこかの街を丸ごと吹き飛ばすに充分な破壊力を持った、凶悪な兵器だ。追い詰められたアイガイオンが無差別にエメリアの街を爆撃する判断を下そうものなら、甚大な被害が出てしまう。それを防ぐためには、選択肢は一つしか無い。
「おいエッグヘッド、あれのコクピットというか、管制室の位置は分かるか?」
「待ってください、今用意します……ここです、ね。CICもありますが、今は使っていないだろうと判断します」
「何で」
「艦内全体が火事のときに、わざわざ好んで蒸し焼きになる人間はいないだろう、という私の勘です」
「なるほど。まだ火元から遠いこっちを使っているはず、ということだな」
「はい。ジュニアが甲板エレベータを艦内に叩き落したりしてますからね。艦体中央部からの火災も広がっているはずです」
タリズマンも同じ判断らしい。管制室の位置をわざわざ確認した、ということは、最後の一撃で息の根を止めるつもりなのだ。敵管制室の位置は、アイガイオン艦体中央部の、ちょうど突端である。敵艦後方のポジションからは狙えない。あれを潰すなら、一旦真正面に出て、集中攻撃をあそこに食らわすしかない。
「エッグヘッドより、ゴースト・アイ。アイガイオンはまだ例の巡航ミサイルを擁していると想定されます。ここで撃墜することを進言します」
『こちらゴースト・アイ。了解した。各機も聞こえたな?アイガイオンが巡航ミサイルを撃ち放つ前に、ここで葬るぞ。全機、敵管制室に攻撃を集中しろ!!』
『いよいよ仕上げだな。いくぞブラザー、トドメだ!!』
アイガイオンを追い越し、その前方で反転した仲間たちが次々と最後の攻撃を開始する。残っていたミサイルを、機関砲を、敵艦の管制室の位置するポイントへと各機が叩き込む。爆炎が次々と爆ぜ、膨れ上がり、その巨体を揺るがせる。攻撃を終えて後方へと通り過ぎる友軍機を見下ろしながら、俺たちとシャムロックの二機も反転。傾斜し、至る所から炎と黒煙を吹き出しながら、尚も浮かび続ける空中要塞を正面に捕捉する。タリズマン、残りのミサイル全弾(といっても最後の2発だが)を目標点にレーダーロック。程なく、ロックオンを告げる電子音がコクピット内に鳴り響く。
『シャムロック、FOX2!!』
「タリズマン、FOX2!」
俺たちの放ったミサイルは、狙いを定めたポイントにぶち当たり、そして爆発した。そしてすれ違いざま、管制室目掛けてガンアタックを叩き込む。わずかに開いている窓を突き破り、機関砲弾が中へと飛び込んでいく。その巨体に衝突するギリギリのタイミングでスナップアップ、アイガイオンの上方へと舞い上がる。後方を振り返ると、アイガイオンの鼻先で一際大きな爆発が膨れ上がるところだった。俺が知る由も無かったが、執拗なまでの集中攻撃によって装甲を剥がれ、内部構造が剥き出しになった管制室は、高密度で襲来した炎とミサイルの弾体片と衝撃波によって、文字通りズタズタに引き裂かれたようなものだった。管制室に最後まで留まっていたのは、死に体のアイガイオンをそれでも浮かばせ続けていた運航要員と、最後の一撃としてエメリア本土に対する無差別攻撃を企図・実行しようとしていた一部の幕僚たちである。その彼らは、管制室を包み込んだ紅蓮の炎により、一瞬にして燃え上がり、断末魔の絶叫を残す間もなく死への坂道を転げ落ちていったのであった。
管制室を失ったアイガイオンから、ついに反撃の火線が完全に途絶え、沈黙した。ついでに言えば、アイガイオンから飛び立ったシュトリゴン隊の戦闘機たちの姿も、既にその周囲にはいない。最後の1機も、友軍部隊の集中攻撃を食らって戦闘続行不能となり、戦域を離脱しつつある。もう俺たちも弾薬が残っていない。これ以上の戦闘続行はこちらも不能――。と、アイガイオンの姿勢に変化が起きる。艦体の右方向への傾斜が一層強まり、それに伴って高度がどんどん下がっていく。右方向へのロールは止まる気配も無い。そのまま裏返しにでもなるのか、と思った次の瞬間、アイガイオンの内側から巨大な爆炎が膨れ上がり、突き破った。その爆発は今までのものでは最も巨大なものであり、そしてアイガイオンの艦体を引き裂くのに充分な威力を持っていた。弾薬庫に残っていた弾薬が、傾斜と艦内火災によって一気に引火したのかもしれない。左の主翼部と、胴体中央・右主翼部の二つについに寸断された敵艦は、空に浮かぶ力をついに喪失し、海原目掛けて急激に高度を下げていく。
『静かに……眠れ』
シャムロックの呟きは、脱出することも出来ずに艦と運命を共にする乗組員たちへの手向けの言葉だっただろうか。開戦直後からエメリアを苦しめ続け、その正体を暴くために更に多くの命を奪い続けた――キリングスも含めて――エストバキアの空中要塞は、速度を減じることも無く海面へと衝突した。既に引き裂かれていた艦体は、衝突の衝撃によって更に破壊され、その艦内へ一気に海水が流れ込んでいく。濁流と言っても良い浸水により、元々は飛行艇に似た機能を持っていたはずのアイガイオンは、見る見る間に海中へと没していく。
「終わったな、相棒」
「――はい。キリングスの仇を……討てました」
「そうだな。これでグレースメリアへの門も開いた、ってことだな」
まだアイガイオンの正体が分からなかった頃、キリングスと、ジュニアと、その正体を想像して議論を重ねていた時の情景が思い浮かぶ。キリングスが戻ってくることは決して無いけれど、その正体を暴いてくれたのは他ならぬキリングスたちの功績だ。――ありがとう、キリングス。沈み行くアイガイオンの姿をコクピットから見下ろしながら、俺は心の中でそう呟いたのだった。
これほどまで見事な完敗というものは、これまで経験したことが無い――むしろここまで負けるといっそ気分が楽になる、ということにダリオ・コヴァチは苦笑せざるを得なかった。守らなければならない親鳥であるアイガイオンと空中艦隊は、ついに全滅。それだけではない。アイガイオン防衛に就いていたシュトリゴン隊自体も、事実上壊滅したのだ。これを完敗と言わずして何と言おうか。この一戦に向けて綿密な作成計画を立て、実行に移したエメリアを、侮ってかかった結果がこれなのであろう。エメリアの進撃を食い止める要が失われた今、エメリア軍によるエメリア本土奪還は幻ではなくなりつつあることを、コヴァチは痛感していた。
そして、エメリアのエース部隊の戦いぶりは、迎撃しているこちらが惚れ惚れするほど見事であった。全力を尽くして戦った結果が例え敗北であったとしても、少なくともその一点に関して、コヴァチには不満など無かった。彼らは、「エース」と呼ぶに相応しい歴戦のパイロットたちであった。「歴戦の戦士」であるのは、きっと陸軍や海軍も同様であるに違いないだろう。その事実を祖国が受け入れられない限り、これから先も敗北は続いていくに違いない。
『シュトリゴン2、救援部隊の手配は完了している。機体が持たないようであれば、脱出して救助を待て』
命からがら戦域を離脱し、生き恥を晒しているこの身であったが、空中管制機の心遣いはありがたいものだった。幸い、機体自体はダメージを受けてはいるものの飛行にそれほどの支障は無い。だが、支障があるのは、機体ではなく、コヴァチ自身の身体であった。エメリア軍機との交戦によって受けた命中弾のいくつかはコクピットに近い場所にも損傷を与えていたが、そのうちの一撃が斜め後ろからコクピットの左端を削ぎ落とすように貫いた。その時に抉り取られた左足の傷からは、おびただしい量の血が、既に流れ落ちていたのである。
「ところで、こちらがトレースしていた戦闘記録は、ちゃんと届いているだろうな?」
『問題ない。シュトリゴン各隊の交戦記録についても、確かに保存している』
「なら安心した。アイガイオンと、我等が部隊が命がけで取った交戦記録だ。後任の連中にちゃんと届けてもらわないと、な」
『それは抜かりなく対処するが……機体に何か異常でもあるか?』
「機体は大丈夫だが、俺の身体が持たない。祖国でないのは残念だが、空の上で散るのは本望だ」
『な、何を言っている!?救援部隊は既に出撃済みだ。脱出しろ、シュトリゴン2!』
「もうだいぶ血が外に出てしまってな。残念だが、間に合わない」
実のところ、操縦桿とスロットルレバーを持つことさえ、コヴァチには煩わしくなってきていた。視界もぼやけ、HUDの細かな数字はほとんど見えない。ただ、青い大空だけは、それでも視界に捉えることが出来た。長い内戦を終えて、祖国の人々が新たに生きる地を手に入れるはずが、この結果に終わることは甚だ不本意ではある。それでも、今後のことを任せられる男が一人だけいる。アイツの技量と指揮統率力なら、きっとエメリアの「鳥のエンブレム」に負けることはないだろうし、残されたシュトリゴンのメンバーたちをうまくまとめ上げてくれるに違いない――コヴァチはそう確信している。
「――ヴァンピール隊隊長のパステルナークに伝えてくれ。後の事は任せる、お前の好きなようにやってくれ、と」
『――分かった。確実に伝えることを約束する。シュトリゴン2、貴機の奮闘に感謝する!』
「ありがとう。これで……やっと休める、な」
シートに体重を預けて、コヴァチは目を閉じた。そして深い深呼吸を一度。マスクをしたままの首が、前へ倒れ、そして止まったまま動かなくなった。
『シュトリゴン2、シュトリゴン2、応答せよ』
空中管制機からの呼び出しに、答えは返らなかった。青い空を飛び続ける愛機に抱かれたまま。それが、シュトリゴン・リーダーであったヴィクトル・ヴォイチェクの離脱後、シュトリゴン部隊の実質的な隊長として隊員を率いてきたエース、ダリオ・コヴァチの最期であった。
「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る
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