再会
急行電車が普通の電車よりも速いと言ったところで、飛行機の速度にかなう筈も無い。それは何も戦闘機を持ち出さなくても、旅客機、プロペラの機体でさえ、鉄道の何倍もの速度で移動し、目的地に到達出来る。だが、時間の無駄では決して無い。たまにはゆっくりと揺られながら流れていく景色を眺めたり、好きな音楽を聴く時間に当てたり、そうしないと足が地に着かなくなる。士官用に割り当てられた個室には電車の車内にしては非常に座り心地の良い椅子が設置され、一般兵士用の昔ながらの座席と比べてしまうと申し訳ない気分になるが、命令とあっては仕方ない。リクライニングを存分に効かせたうえで、パステルナークは小さなペンダントを胸元から取り出していた。

まだ内戦も始まっていなければ、祖国の多くの人々が普通の生活を送っていたあの頃、まだ戦闘機の操縦桿を握ってもいなかったパステルナークは、今その傍らにいないその人のことを思い出す。「バイクの後ろもいいけれど、こうして横に並んでの電車旅も良いでしょ?」と、電車旅を嫌っていた彼に言い聞かせるように毎回彼女は言うのだった。やっぱりバイクがいい、と返すと、ぷうと頬を膨らませてリスのような顔になるのを見るのがまた楽しく、一度として一回目にイエスとは言わなかったっけ。ひどい彼氏を持たせてしまったな、と空席の隣席に視線を動かしながら、パステルナークは苦笑を浮かべた。勿論、電車旅が嫌だったわけじゃない。大体、生涯の女と思っていた女性との旅ならば、移動手段なんかどうでも良かった。だから、電車旅が嫌いになったのは、独りで座って移動しなければならなくなってからのことだ。その点、戦闘機のコクピットは独りだから丁度良い。

手持ち無沙汰にしていると気が滅入ってくるような気がしてきたので、彼はテーブルの上に無造作に置いていたアタッシュケースを開き、簡単には幾度か目を通した資料の束を取り出した。資料の内容は二つ。エストバキアの、というよりも、東部軍閥の切り札として建造され、数々の戦果を挙げ続けてきた空中艦隊がエメリア軍によって壊滅させられた際の詳細記録と、そのエメリア軍航空戦力の要となっているとある飛行部隊のパイロットの個人記録と戦闘記録であった。空中艦隊壊滅の記録は既に頭に入れてあることを確認し、もう一方の資料を開く。その飛行隊とは、遡れば祖国によるエメリア侵攻作戦が開始された当初から、各戦線において友軍部隊に多大な出血を強いてきただけでなく、エメリアによる反抗作戦が開始されてからは常にその最前線で戦い続けているエースパイロットたちによって構成された、「ガルーダ隊」であった。最も、今現在のこの部隊は、そもそもグレースメリア攻略戦時の臨時編成によって誕生したという辺りが、パステルナークにとっては実に興味深い。言わば寄せ集めで始まったはずの隊が、今やエメリア空軍の中でも最も実力と戦果を持ち、我が方のシュトリゴン隊ですら歯が立たないエース部隊へと豹変したのだから。

マーカス・ランパート、テディ・ベンジャミン、ウルフガング・マクフェイル、アーサー・K・エルフィンストーン。中でもその要と言えるのは、「タリズマン」の名を持つエルフィンストーン大尉であるし、この男こそ真のエース・オブ・エースであるに違いない。何しろこの男、初戦においてヴォイチェク隊長を撃墜し、空から引きずり落とした張本人なのだから。出所は諜報部かもしれないが、提供された資料にはこの戦争が始まる以前のこの男の戦績も含まれていた。その記録を見て、パステルナークは苦笑したものである。エメリア軍の兵士たちは実戦を知らない腰ぬけばかりだって?祖国の愛すべき広報官たちの発言が、いかに嘘で塗り固められたものであるのかをこの記録は証明している。内戦時代の軍閥の一部は、物資を求めて幾度となくエメリア領に対してちょっかいを出しに行き、手痛い返礼を浴びせられていたのだ。その時代の戦闘記録、そしてエメリア侵攻作戦後に確認されている記録、空中艦隊を葬り去った際の他の航空部隊との協同戦果――いずれを見ても、感嘆させられる。実際に剣を交えた「天使の落書き」と同等か、むしろそれ以上――。そう考える度に、早く直接戦ってみたいという気持ちが湧いてきて、抑えられなくなるのが心地良い。願わくば、相手もそういうタチであって欲しいものだ――窓の外に広がる大空を眺めながら、パステルナークは不敵な笑みを浮かべる。

しかし、パステルナークがその立場に駆り出されることになったのは、戦況の悪化が著しいことの証明でもある。主要戦線には投入されずに地方戦線や警備行動にヴァンピール隊が回され続けてきたのは、自分たちを監視するスパイであったクエスタニアの抹殺による影響であったことは言うまでもない。それほどまでヴァンピール隊を警戒し続けてきた上層部が、手の平を返すようにパステルナークをはじめとする幾人かのヴァンピール隊要員をシュトリゴン隊に編入したのは、空中艦隊の壊滅と同時にシュトリゴン隊要員もその多くが戦死してしまったことが原因である。そんな状況下、トーシャが悪運を最大限発揮して生き延びていたことはパステルナークにとって吉報であったが、ヴォイチェク隊長を補佐し続けてきたベテランたちの多くが戦死したことにより、隊の相対的なレベル低下は避けられないことが、悩みどころであった。何しろ、シュトリゴン隊が相手にするのは、エメリアの歴戦のエースパイロットたちである。生半可な腕前では、呆気なく落とされた挙句、味方の士気を下げ続ける結果になるだろう。だが、戦いの長期化によって、シュトリゴンに加わるに相応しい腕前を持つパイロットも減っている。ある程度はハードルを下げなければ、隊の維持すら難しくなってしまうだろう。「鳥のエンブレム」たちと相対するときに恥ずかしくない面子が揃えられれば良いのだが。

『運転室よりご案内します。あと30分ほどで、列車はグレースメリア駅に到着致します。一般利用客の方には所持品検査がありますので、身分証明書と旅券を予めご用意下さい。軍属の方は専用ゲートへとお進み下さい』

もうそんな時間か、と腕にはめた愛用の時計に、パステルナークは視線を向けた。荷物はほとんどないし、焦って用意する必要は無いことを確認しつつ、資料に目を戻す。例の「ガルーダ隊」の記録を見ていくと、4人のうち3人はそれなりの戦歴を持つベテランであることが分かる。テディ・ベンジャミンの戦歴も物凄い。かつてのベルカ事変にも参戦していただけでなく、事変後の「国境無き世界」によるクーデター後の戦いにまで参戦していた、エメリア軍の数少ない生き残り。そういえば、うちの空軍にも同じような経歴の人間がアドバイザーという良く分からない肩書きで加わっていたな、と思い浮かべてみる。さて、残りの1人。面子の中で最も若いこの男については、逆にほとんど記録が無い。傍受された交信から、「エッグヘッド」というふざけたコールサインを使っていることは分かっている。頭でっかち、か。だが、その名前通りの使えない人間では決して無いのであろう。彼らの操る複座型のF-15Eは、今やエストバキア軍の兵士たちにとっては恐怖の翼なのだから。「タリズマン」の戦果を支えるに足るだけの能力を持つからこそ、戦争が始まって以来変わらずにその立場にいるのだろうから。うちの隊で言うなれば、トーシャみたいなところか。だとしたら、間違いなくいじられまくっているに違いない。それも若者の修行のうち、諦めが肝心だな、とパステルナークは笑う。もっとも、トーシャと違ってこの目付きの悪い「エッグヘッド」君はもう少し真面目で陰険そうな雰囲気ではあるか。

――さあ、鳥のエンブレム、エメリアのエース。俺と天使と一緒にダンスを舞う時間だぜ。

彼らと遭遇するのに、それほどの時間は要しないであろう。天使のエンブレムとのダンス以来の期待と興奮とが、今やエストバキアのエース・オブ・エースとなったパステルナークの心を駆り立てて止まない。この戦争において、パステルナークにとって最も濃厚で最も意味のある時間が、ようやく始まろうとしていたのだった。
翼を持っている男なのだから、本来あるべき空から戻してやれば良いものを――。未だに残る軍閥間の駆け引きの結果、電車旅を強いられることとなった教え子の姿を思い浮かべて、ヴォイチェクの表情が不機嫌なものに変わる。その原因となったスパイを送り込んだ張本人は、ぬけぬけと「将軍たち」の会合に平然と姿を晒しているというのに。それに比べて、エメリアの捕虜たちの何と清々しいことか。開口一番、決まって「天使とダンスでもしてな!」とやられる。彼と同じ立場の者たちは、皆その啖呵の洗礼を浴びすぎてしまい、むしろ心地良い挨拶のように聞こえてきている有様だ。しかも最近の捕虜たちと来たら、実にイキが良い。雑談以外で口を割ることなど全く無い。そう、彼らは最早敗軍の兵士などではなくなっていた――末端の兵士までも、が。今や生気を抜かれてきたのは祖国の兵士たちであろう。食糧事情の悪化は改善する様子も無く、疲弊した兵士たちによる略奪行為は増えるばかり。頼みの綱としている、エメリアの地下巨大シェルターに格納されている食糧を取り出す術は結局どれも失敗に終わり、グレースメリアに迫りつつある最前線に兵士たちは浮き足立ち始めている。開戦当初のような士気は臨むべくも無い。この数ヶ月、地上からこの戦争を眺めてきたヴォイチェクには、今だからこそ良く分かる。祖国は戦って勝つことは知っていた。だが、勝って得たものを維持し発展させて活用していくことを忘れてしまっていた。それが、豊かな都市であったはずのグレースメリアの、この惨状だろう。何もかもが荒んでしまっている。実に嘆かわしい。

ようやく列車が入線して来た。長距離用列車――エメリアの鉄道会社が所有していた車両を接収し、独自に改修を施したもの――はゆっくりと所定のレール上を進み、停止位置にぴたりと止めてみせる。運転士の腕前は十分に評価に足る結果と言えるだろう。温厚で安定しているが待たされるのは嫌いな教え子は、予想通りドアが開くなり姿を現した。長身かつ端正な顔立ちは基地の女性兵士たちを常に魅了し続けてきたが、本人はその恩恵を受ける気が余り無いらしい。その端正な顔にサングラスを乗せて降り立った教え子――パステルナーク大尉は、ヴォイチェクの姿を見つけるなり破顔一笑、すぐさまサングラスを外して早足で歩き始める。

「お久しぶりです、ヴォイチェク中佐!……お元気そうで何よりです」
「それは皮肉か、パステルナーク大尉?」
「いえ、定番の社交辞令です。やはりパイロットスーツのほうがお似合いです」
「言ってくれる」

快活に笑いながら敬礼を施すパステルナーク大尉の姿が、ヴォイチェクには眩しく見える。ヴォイチェクの教えられることを全て体得し、更に自ら昇華させてより高みへと至った教え子の姿をこうして見る事は実に愉快であった。立ち話を続けるのは、自分の足の現状からも厳しいので、駅前のベンチを目指して二人歩き始める。幸い、今日は天気も良く、気温もそれほど低くない。多少長話をしたところで風邪を引くということは無いだろう。

戦争が始まる前、グレースメリア駅前のこの空間は、市民たちの憩いの場として愛されていたという。朝から晩まで、人の姿が消えることは無かった――古城で良く会う若い研究者からはそんな話を聞いていた。だが、戦争が始まり、市民が自由に乗り降りできる電車が基本的に無くなったことにより、ここでくつろぐ人間の姿はまばらとなってしまった。もっとも、今日のような場合はむしろ都合が良かったりもするのだが。ヴォイチェクが腰掛けるのを待ち、パステルナークは反対側の椅子へと腰掛けようとアタッシュケースをその脇へと置きかけた。手でその動きを制したヴォイチェクは、怪訝な表情の教え子に苦笑いを浮かべながらこの街でのルールを伝えることにした。

「少々窮屈だろうが、椅子の背中に荷物は入れるんだ。それが、この街の流儀だ」
「はぁ。何だか、少し前の祖国の街中と大して変わりませんね」

無警戒に置いた荷物がどうなるかは、着任直後にヴォイチェク自身が体験して学んでいる。多分、ここから見えない物陰から、今日の獲物を狙っているストリートチルドレンたちの目が光っていることであろう。

「まずは、シュトリゴン隊長就任おめでとう、と言った方が良いな。お前なら、安心して部隊を任せられる。思うままに、隊を率いてみろ」
「ありがとうございます。ヴォイチェク中佐たちの名を汚すことの無いよう、きっちりと努めてみせます。……お偉いさんの目が光っているのが、少々今までよりもやり辛いですがね」
「物は考えようだ。クエスタニアのような輩を表立って送り込むことは、今度は出来ない。人材の吟味という点では、ヴァンピール隊よりは安心出来るはずだ」
「そりゃそうですが……、果たして、シュトリゴンの名に相応しいエースがどれだけ残っているか、ですね」

パステルナークの指摘の通りだった。アイガイオン及び空中艦隊の壊滅の際、シュトリゴン隊を支えてきた古参のパイロットたちも戦死してしまっていた。空の上で戦死したメンバーは幸運な方で、カタパルトを破壊されたことによって脱出もままならず、アイガイオンと運命を共にしたメンバーは不本意の極みであったに違いない。機体の整備、個別ミッション等でアイガイオンから離れていたメンバーの中に、トーシャが含まれていたことは彼の悪運の強さを自ら証明してみせたようなものだが、事実上シュトリゴンは壊滅的な打撃を受けたと言って良い。ヴァンピールから幾人かを引き抜きつつ、新規メンバーも加えての再編となるだろうが、それをまとめていかねばならないパステルナークのタスクは非常に重い。それを知ったうえで、豪胆な笑みを浮かべているのだ、この男は。

「お前をシュトリゴンの隊長に、というのはコヴァチの遺言でもあったそうだ。お前になら安心して託せる、とな。幸か不幸か、トーシャは無事だ」
「あいつも可哀想に、これから先のハードルが上がって行くってのに最前線に放り込まれるんですからね。いっそヴァンピールに送りますか」
「本人が意地でも動かないだろうよ。あいつにしてみれば、私とコヴァチ、二人分の仇を取らねば、と考えているだろうからな。――そうそう、我らの空中艦隊にトドメを刺してくれたエメリアのエースパイロットは、「鳥のエンブレム」を付けたF-15Eに乗っているそうだ。聞いているか?」
「聞いているか、ですって?」

パステルナーク パステルナークは、彼がまだ訓練生時代だった頃と変わらない、強敵を欲してその戦いを楽しむ男の豪快な笑みで応えた。

「聞いているも何も、私は「鳥のエンブレム」を倒すために、ここに派遣されてきたのですよ。トーシャには申し訳ないですがね、アイツらは私の獲物です。トーシャたちにはその取り巻きと遊んでもらわねばなりませんね、隊長命令で。――開戦当初、私は奴らと双璧のエース「天使の落書き」と一戦交えましたが、正直なところ撃墜するのは難しいし、惜しいと思いました。クエスタニアの暴挙によって彼には不本意な戦死を強いてしまいましたが、「鳥のエンブレム」はその彼をも凌ぐ腕前と聞いています。その実力は、私以上にヴォイチェク中佐の方がご存知ではないか、と」
「――非常に不本意ながら、その通りだ。私は奴らの動きには最大限警戒していたし、最大限奴らの動きを追うべく集中していた。だが、奴らは"その戦いを見ている友軍機がどう動くか"というところまで意識を払っていたんだ。……トーシャたちを止めておくことを徹底出来なかったのが、私の最大のミスだ」
「それは多分、コクピットに乗っているのが一人ではなく二人だからこそ、という差なんだと思いますよ。でも、だからこそ、「鳥のエンブレム」の後席君も含めて、直接やり合うのが楽しみで仕方ないんですよ」

そういった笑うパステルナークは、もし今ここにSu-33が置いてあったならばすぐさま飛び立っていってしまいそうな様子であった。彼は今、エメリア空軍最強のパイロットとなった「鳥のエンブレム」と戦うことに情熱の炎を燃やしている。――本当は、その炎は自分が燃やすべきものであったこと、そしてそれが出来ない自分の状態は、結果として不完全燃焼となって自分の身体を焼き続けていることにヴォイチェクは気が付いていた。ただ強敵と戦うことに集中しているパステルナークの姿が、ヴォイチェクには眩しく見えたし、羨ましかった。この戦争が始まる前、自在に戦闘機を操り空を駆けていた、ヴィクトル・ヴォイチェクはもういない。

聞き慣れたジェットサウンドが聞こえてきて、二人は何気なく空を見上げる。地上に降りても衰えることのない視力が、空を行く2機がSu-33であることを知らせる。シュトリゴン隊のものかどうかはさすがに識別出来ないが。灰色の雲に覆われた空。だが、その上に出てしまえば、どこまでも蒼い空が広がっている。その空の向こうから、いずれ確実に「鳥のエンブレム」はやってくるであろう。そこは、「戦いの空」だ。目の前の男、我が教え子パステルナークは、あの空に行くのだ。


エストバキア空軍の誇る「シュトリゴン」隊と「ヴァンピール」隊は、空中艦隊壊滅による「シュトリゴン」隊主要メンバーの戦死により、大幅な再編を余儀なくされた。ヴァンピール隊隊長であったイリヤ・パステルナーク少佐を隊長に迎えると共に、彼の推薦による数名が「シュトリゴン」隊に移籍となり、新規メンバーを加えての再編成が実行されることになった。そして、その再編成により召集されたパイロットたちが、記録上最後の「シュトリゴン」隊メンバーとなるのであった。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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