首都に至る決路を開け・後編
ラグノ要塞へと至る道中に展開した敵の迎撃部隊を何とか駆逐した俺たちは、いよいよ要塞本体への攻撃を開始していた。もっとも、ラグノ要塞は天険の要害の上に作られた鉄壁の要塞としか言いようがなく、既に少なからず対地攻撃兵装を消費していた航空部隊にとってはそのまま作戦続行することは困難であった。要塞の中にまだ多数の機甲師団が待ち受けている状況だったらどうしようもなかったのだが、どうやら既に撃破してきた部隊でほぼ出尽くしたようで、後は要塞本体を何とかすれば突破出来そうな状況であった。その要塞本体の至る所から顔を見せている、ハリネズミの様な砲塔の群れを何とかすれば、だが。

AWACSゴースト・アイはその戦況を確認したうえで、航空部隊に対して交代で補給に戻り、再出撃することを命じた。間違いなく彼に最も嫌われているであろう俺たちガルーダ隊のターンは一番最後。その間、残っていた武装で手近の敵戦力を沈黙させて敵攻撃網の死角を作り、ワーロック隊にとっての安全地帯を少しでも広げるべく俺たちは飛び回った。さすがのワーロック隊もここまで来ると損害が皆無という状況には無く、これ以上の被害の拡大は侵攻にも影響が出かねないギリギリのラインであった。一方、この間に最も猛烈に進撃を続けていたのは、イエロージャケット隊に同行して要塞内部に潜入を果たした特殊部隊の面々だったかもしれない。要塞の資材搬入用のトンネルから内部へと突入した各隊は、少数戦力で要塞内部へと突入するはずもない、という敵の心理を逆手にとって、確実に要塞中枢へと迫りつつあったのである。勿論、敵側もネズミの侵入には気が付いて迎撃態勢を取っていたのだが、少人数での潜入が功を奏し、広大な要塞内部で敵部隊を手玉にとって翻弄している状況であった。ちなみに、特殊部隊を送り出した後のイエロージャケット隊は、戦闘機では近付けないような要塞の城壁ギリギリまでホバリングで接近して敵砲台を攻撃したり、ピンポイントで敵車庫を攻撃したりと、地上部隊の支援攻撃に加わっていた。

ようやく回ってきた補給のターン。だけど、「休憩をしている暇は無いと思え!」という有り難い指揮官の一言で、本当に俺たちはとんぼ返りをする羽目となった。全くありがたい事に、指揮官殿、ゴースト・アイは基地の整備・補給部隊に対して「再出撃の際の搭載兵装」について具体的な指示を出し、万全の準備をしてくれていたのである。唖然とするタリズマンを横目に整備兵たちが対地ミサイルを搭載していく状況には、苦笑せざるを得なかった。まさに、空の上は他の連中に任せて、お前たちは要塞攻撃に専念しろ、とでも言いたげなメニューだったのだから。それでも水分を補充したりは出来たからまだ良い方だろう。開戦当初の撤退戦時はそれすらままならないことも少なくなかったのだから。

再び舞い戻ったラグノ要塞では、相変わらず熾烈な戦いが続いていた。が、要塞内部へと至るルートの邪魔になる敵砲台群はその大半が沈黙していることをデータリンクで確認し、残存戦力は要塞内部の砲台・ガンタワー群であることを前席に伝える。ぶっきらぼうな返事が返ってきたが、やることは分かってる、ということだろう。満載してきた対地ミサイルを叩きつけるべき相手を決めたらしく、地上部隊への砲撃と航空部隊への対空砲火の火線の止むことの無いラグノ要塞に向かい、突撃を開始する。敵の迎撃網にはご丁寧に対空ミサイルも紛れ込んでいるらしい。ジジジジジ、という耳障りなノイズ音がコクピットに響く。モニターとキャノピーの外と視線を行ったり来たりさせながら、敵の配置を把握していく。何箇所か、肉眼でもSAMの位置を確認し、そのポジションをプロットしていく。タリズマンの獲物は、要塞内部にそそり立つガンタワーの一つだった。ちょうど要塞へと突入して来る地上部隊に砲弾の雨を降らすことの出来る砲台群の一つに対してレーダーロック……ファイア!対空砲の激しいシャワーをロールしながら回避しつつ、砲台群スレスレの空間を突破して一旦空へと逃れる。目標へと殺到したミサイル本体は、砲塔のど真ん中に命中して炸裂した。コンクリート製の頑丈な外壁が発泡スチロールのように砕かれ、爆発の衝撃と火炎とが塔の上部に襲い掛かる。へし折れた砲身が脱落し、沈黙した砲台から黒煙と炎が吹き上がった。

続けて隣の砲塔群にシャムロック機の攻撃が殺到する。対地ミサイルの直撃を被った砲台が内側から炎と爆炎とに引き裂かれ、火玉が膨れ上がる。そのまま低空をキープして敵の車両群に機関砲の雨を降らせて、あちらも一時離脱。速度を上げながら空を駆け上がっていく。――要塞内部へのルートは通常時であればいくつかのゲートから出入が可能ではあるが、今のところ進入可能なルートは1本のみ。要塞内部へ侵入した特殊部隊が、開放したうえで閉鎖出来ないように工作した一箇所しかない。そして残念なことに、内部への侵入ルートはどこを使ったとしても砲台群のシャワーを浴びることになる。となれば、正面突破を支援するためにも、障害物は可能な限り取り除いておくしかないし、後は内部から制圧してもらうしかない。

『戦闘指揮室の一つの場所を確認した。今のところ追撃隊の姿は見えないな』
『ショルト隊、お前らに任せても良いか?』
『了解。』
『しかし地図があるとはいえ広いなここは。おかげで隠れる場所も多くて助かるがね』

制圧部隊も順調らしい。こちらも重い対空ミサイルをいつまでもぶら下げているわけにはいかないので、俺たちと同じように爆弾やらミサイルやらを抱えさせられた航空部隊で波状攻撃を敢行する。火玉が次々と膨れ上がり、その都度要塞の防衛網は威力を失い、火線は勢いを無くして行く。そうして開かれた突破口を、ワーロック隊の残存戦力が突撃していく。戦車たち火砲の猛烈な砲撃が敵陣地に襲い掛かり、地上だけでなく空に対しても攻撃を浴びせていた敵砲台群を沈黙させていく。その頭上を、敵兵からはある意味俺たち以上に恐れられているヘリコプターの一群が低空飛行で通り過ぎていく。

『バードイーター、スワローテイル、弾の出し惜しみは必要ない、徹底的に叩き込め!』
『了解だ隊長、各機、ありったけばら撒け!ワーロックの血路を切り開くぞ!!』

チェーンガンの火線、ロケット弾の雨、そして対地ミサイルの排気煙とが空間に飽和し、そして新たな火玉を要塞中心部に量産していく。炎と黒煙に覆われていく状況下、生き残った砲台と火砲が必死の抵抗を繰り広げる。ワーロック隊も負けじと応戦。双方の放つ砲弾と銃弾とで空間は飽和していく。既にエメリア軍地上部隊は要塞の中枢へと突き刺さりつつある。航空部隊が削り取った砲台群の死角を巧みに使いながら、地上部隊とイエロージャケット隊がさらに傷口を広げていく。元々動員出来る戦力に充分に余裕の無い俺たちエメリア軍にとって、このラグノ要塞は進撃の邪魔にならなければ良い、という程度の位置付けしかないから、「後々自分たちが使う時を考えて手加減しておく」必要が無い。なので、「壊すところは徹底的に壊してしまえ」という作戦が使えるのがありがたい。手加減をすることは即ち自分たちへの攻撃が止むことがないことと同義なのだから。それが分かっているからこそ、ワーロックもイエロージャケットも容赦の無い攻撃を繰り出しているのだ。一方のエストバキアに取って、ここを抜かれることは防衛ラインの更なる崩壊に直結する。彼らとしては死守したいところではあるのだろうが、要塞の位置自体が不利に働いてしまっている。グレースメリアに陣取る占領軍本体からは距離もあり、空中艦隊が壊滅した今となっては制空権を確保するだけの航空戦力も無い、言わば孤立無援の要塞というのが実状だ。だから、追い込まれれば追い込まれるほど、困窮していくのはむしろエストバキア軍の方だった。極論すれば、エメリア軍は彼らが使い切れずに残していく武器弾薬その他物資は、丸ごと頂いてしまえば良いのだから。

――だが、タダで終わるつもりはエストバキア側にも無かったらしい。要塞周囲の渓谷に、先ほどはいなかったはずの光点が出現していることに気が付いた。一体どこから――?戦域外から飛んできたのであれば、とっくにAWACSに見つかっていたはず。ステルス機であれば、そもそもこんな風には出現しない。ならこいつは、戦域内から出現した、と考えるのが自然。要塞の周囲、少なくとも同じ高さには敵の姿は見えないから、この敵は渓谷の谷の中にまだいるということになる!

「タリズマン、渓谷内に敵反応を確認。敵は戦闘ヘリないしはVTOL機と想定。対象は複数」
「何だって?――なるほどな、確かにヤバそうだ、こいつは」
『ジュニアよりガルーダ1、こっちも支援に回れるぞ?』
『ジュニアは要塞への攻撃を継続しろ。マルガリータ、こっちの支援に加わってくれ』
『了解した、ビバ・マリア』

ゴースト・アイの指示で積んできた対地攻撃兵装は空戦の邪魔にしかならない。地上部隊の進撃を阻害している砲台に対して対地ミサイルの雨を降らす準備を進める俺たちに先行して、ラファールとF-15Cのペアが渓谷の中へと突入していく。対地ミサイルの獲物を特定したタリズマンが、攻撃を開始。愛機から切り離されたミサイルがそれぞれ加速を開始し、目標へと突入していく。頑丈な装甲とコンクリートに覆われた要塞防壁の一角に火球が生まれ、轟音と共に爆煙が膨れ上がる。猛烈な炎と煙が吹き出した砲台の一つが機能を失い、ミサイルの直撃を被った敵戦闘車両は木っ端微塵になって無残な残骸と化す。追いすがるように放たれる対空砲火の火線もだいぶ弱くなってきた。一旦高度を上げながら機体をロールさせ、低空の状況をタリズマンは確認している。それが終わるや否や、まともに空へ上げたら地上部隊にとって脅威にしかならない敵の新手に向けて、ダイブを開始。

『ビバ・マリアよりガルーダ1、敵はAV-8B、ハリアーだ』
『敵さんなかなかサービス精神たっぷりだ。翼の下に地上部隊へのギフトが満載されているのを確認!』
「やれやれ、敵さん、レーダーの目の届かない渓谷の底を這うように移動してきたな、こいつは」

なるほど、そういうことか。自力で飛んできたか、或いは渓谷の底を流れている川を進む船から出てきたか、レーダーに捉えられないギリギリの所を進んできて、エメリア軍に対して反撃を試みた、というわけだ。そして先行した2機によって彼らは要塞上空へと殺到して地上部隊を蹂躙するという本来の役目を果たせずにいる。ビバ・マリアの腕前は良く知っているつもりだが、"マルガリータ"のファルネーゼ少尉も手足のようにイーグルを使いこなして敵機を翻弄している。ホバリング可能なAV-8Bに対しては通常の空中戦とは異なる注意を強いられるはずであるが、逆に縦横無尽に渓谷の中を飛び回り彼らのアドバンテージを奪うことに成功している。そして、マルガリータに対してガンアタックを仕掛けた敵の1機は、攻撃をロールで回避した少尉によって逆に反撃のシャワーを浴びる羽目となった。ホバリングから通常移動へと切り替えようとして動きが鈍ったタイミングを突かれ、為す術も無く敵機は蜂の巣と化した。ビバ・マリアはミサイルを放ち、2機をほとんど同時に葬り去った。そんな状況下高度を上げて要塞へ向かう敵機を、タリズマンはターゲットにした。渓谷の中、敵機の斜め下から一気に距離を詰め、そしてすれ違いざまにガンアタックを叩き込む。特徴あるペガサス・エンジンの周囲に弾痕がいくつも穿たれ、煙と炎とが噴き出す。制御を失ってゆっくりとスピンを始めながら敵機が高度を下げていく。後方からガンアタックの火線が浴びせられる。途端に視界が激しく回転した。

ロールを打ちながら敵の攻撃を回避し、渓谷内で反転。新たな獲物に狙いを定めていく。敵部隊は垂直上昇で要塞へと到達することを諦めたようで、通常起動に切り替えてこちらに襲い掛かってきた。狭い渓谷内で繰り広げられるドッグファイト。タリズマンが狙ったのは、ビバ・マリアの後方を取らんとした敵機の一つ。そのさらに後ろからレーダーロック……ロックオン、ファイア。後方から狙われていることを分かっているであろうに、敵機は尚も執拗にビバ・マリアに攻撃を叩き込まんと加速する。その機動をミサイルも正確に追尾して、目標への距離を縮めていく。――そして着弾。至近距離で炸裂したミサイルによって、敵機の機体は切り刻まれ、そして爆発した。炎に包まれた機体が錐揉みとなり、そして岸壁へと突き刺さって新たな火球と化す。撃墜を喜んだのもつかの間、今度はこちらが同じような状況に陥る。タリズマンの舌打ちが聞こえてきた。後方に付いた敵機から放たれたミサイルは、炎を吹き出しながら迫りつつあった。

「首をやらないように構えていろ」
「了解、優しく頼みますよ」
「そりゃ無理な注文だ。行くぞ!」

スロットルが押し込まれ、機体が速度を上げる。タリズマンは機体を岸壁に寄せながら緩やかに旋回体制を取る。そして速度を維持したまま崖っぷちの綱渡りを始める。視界のすぐ傍を物凄い速度で通り過ぎていく岸壁を正視するのはたまらなく恐ろしい。そして後方から迫るのはミサイル。わざわざ首を守るように言うくらいなので、どこかで急制動をタリズマンはかけるつもり。うっかり後ろを振り返ったら、自分の首をやってしまうかもしれない。仕方なく、レーダーに映し出されるミサイルの光点を目で追う。残念ながら、まだ俺たちの後方にへばりついて、徐々に近付きつつある。

「タリズマン、まだ追っかけられてますよ!」
「分かってるよ。よし、ここだ。行くぜ相棒」

右方向に機体が勢い良くロール。翼が垂直に立ったと思うや否や、右急旋回。渓谷内の三叉路のようになった空間で、タリズマンは回避機動を仕掛けてきたのだった。それも、一瞬視界が薄暗くなり、意識が持っていかれそうな感覚になるほど急激なターンで。機体がそのまま加速していく振動を身体で感じつつ、レーダー画面を睨み付ける。こちらの位置をトレースはしていたはずのミサイルは、しかし程なくレーダーから消失した。多分、こちらの旋回に合わせて進路を変えた結果、渓谷の岸壁をショートカットするような状態になり、岸壁へと突き刺さってしまったに違いない。回避成功。安堵のため息を吐き出しながら、背中を冷や汗が滴り落ちていたことに気が付く。

「さあ、お返しの時間だぜ」

渓谷から一旦空へと駆け上がった俺たちは、再び敵機と仲間の2機が飛び交う戦闘空域の上空へと戻り、再び突撃を開始した。敵機の頭を抑える絶好のポジション。ロックオンした1機にミサイルを放ちつつ、別の1機の背中を真正面に捕捉したタリズマンは、躊躇いも無く敵機に向けてトリガーを引き絞った。頭上から降り注いだ機関砲のシャワーは、機体の背中からコクピット辺りにかけて降り注ぎ、敵機を上から下へと貫いた。バランスを失って横倒しになるようにロールした敵機はそのまま降下を続け、岸壁に接触。右主翼と垂直尾翼が衝突の衝撃で千切れ、幾度か岸壁に衝突しながら落ちていった残りの胴体部分は、谷底に到着して爆発した。

『畜生、エメリアの奴らめ、何て腕前だ!』
『航空部隊、何をしている!?防衛部隊だけでは限界だぞ!!』
『こっちには"鳥のエンブレム"が来てやがるんだ!全滅の危機にあるのはこちらだ!!』

新たに1機が炎に包まれ、俺たちの目前を横切っていく。間一髪、キャノピーが弾け飛び、次いで射出座席が打ち上げられる。――敵はまだやる気だろうか。タリズマン、ビバ・マリア、そしてマルガリータの3機によって徹底的に引っ掻き回された敵機は、わずかに3機を残して壊滅してしまっていた。このまま彼らが要塞への支援を諦めて撤退してくれるのであれば、俺たちは深追いをすることも無く、見逃すという選択肢もあっただろう。だが俺たちと同様に、彼らも軍人。撤退の命令が出されるまで、自発的に撤退することは無い。やがて覚悟を決めたのだろうか、トライアングルを組んだ敵部隊は、様子を見るべく上空で待機していた俺たちに対し、突撃を開始した。やるしかないのか。再びタリズマンが舌打ちをしたような気がする。ビバ・マリアのラファールが右斜め後ろにポジションを取り、迎撃態勢を整える。マルガリータは挟撃を狙って離れたところから攻撃のポジジョン。敵の姿をHUDで捕捉したタリズマンが、レーダーロックを開始する。心地良い電子音がコクピットの中で嫌に大きく鳴り響く。タリズマンは確実に獲物の姿を捉えている。敵には最早、逃げる術は無い――。

『ゴースト・アイより全部隊へ。エストバキア軍ラグノ駐留軍は先ほど降伏勧告を受諾した!繰り返す、エストバキア軍ラグノ駐留軍は降伏勧告を受諾した!』
『ワーロック隊より、各隊!敵司令部の制圧に成功!繰り返す、敵司令部の制圧に成功!要塞は我々の手に落ちたぞ!!』

聞こえてきたのは、要塞駐留軍がこちらの降伏勧告を受諾したことを告げる交信だった。あと2秒遅かったら、俺たちの目前の敵機はもう空にはいなかっただろう。勝利を我が物とした友軍たちの歓喜の叫びで、交信は埋め尽くされていく。そんな中、「命拾いしたな」とタリズマンがボソリと呟くのが前席から聞こえてきた。撤退する大義名分を得た敵機は、要塞とは反対方向の空――グレースメリアの方角へ向けて進路を取り、そして遠ざかっていく。

「――何とも慌しい一日だったな、エッグヘッド。ま、今日はこれで上がりだがな」
「お疲れ様でした。一番最後の戦闘が、一番身体に堪えましたよ」
「文句は敵さんに言ってくれ。こっちにミサイル撃った奴が悪い」

周辺を飛行する敵航空戦力の存在が無い事を確認しつつ、俺たちは要塞上空へと進路を取る。やがてこちらの姿を確認したガルーダ2のF-15Eと、「レッド・アイ」の各機が近付いてきて、そしてそれぞれ編隊を組み直す。シャムロック機のコクピットでは、シャムロックがサムアップしながらこちらを向いているのが見えた。タリズマンは翼を振ってそれに応えている。要塞からは黒煙が幾筋も吹き上げていて、残った火砲も完全に機能を停止しているのが分かる。最も激戦を潜り抜けたワーロック隊の損害は決して小さなものではなかったが、それでもこの要塞の防衛部隊と要塞本体を相手にしたと考えれば、その損害は軽微と言っても過言では無いだろう。終わってみれば、俺たちエメリア軍の圧倒的な勝利であった。そしてこの勝利はグレースメリアへと至る橋頭堡を万全なものとし、グレースメリア奪還へ向けたエメリア軍の進撃を確実なものにするに違いないだろう。いや、確実なものにするに違いなかった、のだが。
ドアをノックする音が聞こえ、部屋の主であるズムバッハは視線だけを動かした。彼の直接指揮下にある部下たちには、「特別な報告事項がある時」のパターンを秘密裏に伝えてあり、その際は入室許可を求める必要が無いこととしていた。程なく、部下の一人が姿を現し、上官に対して敬礼を施した。

「ラグノ要塞が落ちたか」
「ご推察の通りです。たった今、撤退中の部隊からの連絡を受信したところです」
「――要塞守備隊が撤退している状況か?」
「いえ、要塞守備隊自体は全面降伏し、エメリア軍へ投降した模様です。撤退中の部隊はむしろ彼らの息のかかった部隊以外のものと想定されます」
「なるほど、要塞の外様に置いて中には入れなかった、というわけだな」

策謀に生きる男 上官たるドブロニクたちのいる場では決して見せることの無い酷薄な笑みを浮かべたズムバッハは、声も無く笑っていた。それは戦略的価値など既に無くなっているにもかかわらず、自分たちの拠点を維持することに固執して敗北した、エストバキアの軍閥の一つ「北部高地派」に向けた嘲笑であった。

「大人しくグレースメリアに撤収していれば良かったものを。フフ、何が進撃するエメリアの後背から致命的な一撃を与えて祖国の大望の憂いを絶つ、だ。ろくな足止めも出来ずにエメリアにみすみす橋頭堡をくれてやったようなものじゃないか」
「要塞に備蓄されていた武器弾薬・物資の類についても、大半が敵の手に落ちたとのことです」
「まさに失態だな。北部高地派の将軍方の真っ青になった表情を見るのが楽しみだよ。――まぁ、御しやすい駒が増えるのは我々にとっては幸いだが」

彼らに共通しているのは、上官や祖国に対する忠誠や愛国心といったものとは無縁の、むしろ味方にさえ冷酷な態度を徹底していることであったろう。ラグノ要塞陥落の報告はエストバキアの兵士たちに動揺と失望を与えていたにもかかわらず、彼らにはそんな素振りは微塵も無い。それどころか、祖国たるエストバキアが追い込まれていく様を楽しんでいるかのような姿は、異様と評するのが相応しかったかもしれない。

「それからもう一点、エメリア政府のアーレン・フィリッポから連絡がありました。無事ターゲットとの接触に成功、着任した、とのことです」
「アーレン?――ああ、あの男か。わざわざエスコート付きで案内してやったんだ、それくらいは難なくやってもらわないと、これから先が思いやられるからな。で、元々の要職にあり付けたのか、彼は?」
「いえ、残念ながらカークランドに保留されたとのこと」
「何だって?やれやれ、命の恩には報いると見得を切った割には頼りないことこの上ないな。北部高地派の連中と一緒だ」

アーレン・フィリッポは、この戦争が始まるまではエメリア政府の国防大臣の職にあった政治家である。もっとも、エメリア与党の上層部の腰巾着の一人として、おこぼれの大臣職を授かっただけの人材であり、確固たる信念を以って国防体制を指揮することなど決して無い様な、政治屋というのが実態とズムバッハは見抜いている。それをエメリアのカークランドは良く分かっているからこそ、無能な人材の要職への帰参を認めなかったのであろう。元々、あの男には大したことは期待していない。彼が実態の無い権勢を発揮して、エメリア軍の不協和音を奏でるきっかけを作ってさえすれば、充分。もし不穏な動きをすれば、ご退場頂くまでのこと。いつも通りに、この世から、だ。

「ドブロニク閣下からは例の運用に関する許可は頂いている。工兵部隊に作戦開始の指示を出しておけ」
「はっ、了解です」

改めて形だけは完璧な敬礼を施した部下が退室するのを見送ってから、ズムバッハは再び声も出さずに笑い出した。全く、どいつもこいつも、頼んでもいないのに思った通りに動いてくれる。それがおかしくてたまらなかったからだ。拠点の死守に固執して徒に戦力を喪失しただけでなく虜囚の身を好んで求めた北部高地派の連中しかり、好んで国際的な非難を浴びるような作戦に許可を与える上官もしかり。そのまま落ちるところまで転がり落ちていけば良い。そうすれば、最後には邪魔な存在は皆いなくなる。その日が到来することを心待ちにして、味方ですら利用し尽くす。それが、このズムバッハという男の実像であった。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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