地上戦前夜
グレースメリア航空基地の設備は、規模と質において祖国の航空基地とは比べ物にならないくらい、良く出来ていた。戦争初期の戦闘によって一部施設が被害を受けたものの、その後の復旧工事で元の姿を取り戻した今では、エストバキア空軍主力部隊の根城として、機体や搭乗員だけでなく整備班や運用要員を含めた一団が生活する拠点としても機能していた。逆に言えば、いつ何時敵が襲撃してくるか分からず、繰り返されるスクランブルとは無縁であったに違いない、平和な国の一大拠点。エメリア侵攻作戦が順調に進んでいた頃は、祖国エストバキアにとっても安全な一大拠点であったこの滑走路も、再び最前線へと姿を変えるかもしれない。今度は、エメリアが取り返しに来るのだ。

それでも――それでも、負ける気がしねぇ。最近は品薄を酷評されることが多いBXだが、今日はどういうわけか大盤振る舞いの商品が並び、その中には生鮮食料品の数々もあった。トーシャはその中でも、美味しそうに赤く色づいたりんごを求め、取り敢えず紙袋に入るだけ入れて、その袋を抱えながら滑走路へと戻ってきたのだった。今日は気温もあがり、空を見上げれば心地良いほどに雲ひとつ無く晴れた青空が広がる。春はもうそこまでやって来ていることを告げるように、暖かな風が滑走路を渡っていく。そして、トーシャの前には、新しい隊長率いる「生まれ変わった」シュトリゴン隊のSu-33の群れが羽を休めていた。自らのコールサインと同じ「012」のナンバーが記された愛機へと向かうトーシャの耳に、テンポの良いリズムが聞こえてきた。音のする方に視線を向けてみれば、何とデッキチェアを持ち出して日光浴をしているらしい男の姿があった。傍らに置かれたテーブルの上にはラジオが置かれていて、そのスピーカーが音の発信源である。

ラジオから流れてくる音楽は、祖国のガチガチに固い軍歌と愛国歌しか流れない公共放送とは無縁の、海賊放送が流しているものだ。基地内において、しかも非番ではない時間帯に、民間放送、それも海賊放送を受信して聞いているだけでも憲兵が飛んできそうなものだが、やれるもんならやってみろと言わんばかりに堂々とそういうことをやってみせるのがこの男――シュトリゴン隊の現隊長、イリヤ・パステルナーク大尉であった。トーシャの気配に気が付いたのか、ベンチから身体をゆっくりと起こし、そして一度大きく伸びをして、彼はトーシャに振り返った。パステルナークはトーシャの抱える袋を目ざとく見つけると、人の悪い笑みを浮かべた。

「トーシャ!その大事そうに抱えた袋の中の甘い奴、1個で良いから試食させてくれ。美味ければもっともらうからさ」
「1個はサービスしておきますけど、後はお代を頂きますよ」
「後でノストラにお前の夕飯はギガ盛りにしておくよう伝えとくさ。いいぞ、投げてくれ」
「分かりましたよ、っと」

袋からりんごを取り出したトーシャは、右腕を軽く回し、敬愛すべき上官殿に対して放る。放物線を描いて飛んでいくりんごは、しかし微妙な回転がかかってコースを変えていく。そのコースを先読みしていたのか、パステルナークは長い腕を伸ばし、コースを逸れていくりんごをしっかりとキャッチして見せた。

「トーシャ、おいトーシャよ、お前こんなに悪いコントロールで、ルドミラちゃんとも接しているんじゃないだろうな。これじゃあ愛想付かされても仕方ないわなぁ、不肖の弟子よ」
「そういう隊長だって、彼女いねぇじゃないですか」
「ほぅ、そう来たか。最近の若い奴は可愛くないねぇ」

りんごの表面を軽く拭いて噛り付いたパステルナークの顔が綻ぶ。これは久々にいいりんごだ、と呟くのが聞こえてくる。そう、男だって惚れるかもしれないアニキ殿には、どういうわけか彼女がいない。エストバキア軍にも少なくない女性兵士が存在し、軍に協力する団体にも数多くの女性がいるにもかかわらず、浮いた話がほとんど聞こえてこない。かといって、軍隊にありがちな話とは全くの無縁であるのは、本人曰く「俺は男には興味が無い。出来るもんなら隊員を全員女性にしたいくらいだ、本当は」という軽口が何よりの証明であるとトーシャは思っている。そして予想通り、上官殿の回答はいつもの軽口だった。

かなわないアニキ 「――経験不足の若者とは違ってだな、俺が本気になると交際を申し込む女性が一個師団の単位で基地に押し寄せることになるからな……作戦行動の阻害要因になるから、禁止されているんだ、軍令で。ひどい組織もあったもんだよなぁ、人の色恋沙汰を軍令で縛るんだぜ」
「隊長……聞いていて情けなくなる嘘はつかんで下さいよ」
「軍令は嘘として、一個師団単位ってのは本当だぜ」

りんごを手にデッキチェアに戻る隊長殿の姿に、この人にだけは絶対にかなわねぇ、とトーシャはため息を付く。一個師団単位で交際を求める女性がやって来る、てのが冗談に聞こえないのだから。実際に、アニキが本気でそんなことをしたら、エメリア・エストバキアを問わずにこの基地に女性たちが殺到してくることだろう。全く、男が惚れる男とは良く言ったものだ。天は二物を与えずとは良く聞くが、パステルナーク隊長の場合はどう考えても神様のえこひいきを受けたか、或いは悪魔のいたずらなのか、二物以上に色々な物が揃っているようにしか思えない。全く、かなわねぇや。トーシャは苦笑を浮かべるしかない。

「そうそう、さっきラジオで面白いこと言ってたぜ。グレースメリアから忽然と姿を消した「金色の王様」な、アレは持ち運びが出来るようにわざわざ作ってあるらしい。戦争始まった後、群衆があれをバランバランにして持ち去ったなんて話が流れたろ?そうじゃなくて、誰かが俺たちが手に入れる前に、しっかりバラしてどこかに運び込んだって話さ」
「隊長、軍規違反ですよ」
「フン、軍規違反が怖くて隊長なんてやってられるか。いいかトーシャ、隊の生活環境を整えることは、部隊を効率的に運用するための基本のキなんだぜ。いい音楽を流すラジオは、俺たちの気分転換を促す特効薬って奴だ。それとも何か、お前はあの聞き飽きた軍歌の方が良いのか?ルドミラちゃんも可哀想になぁ、こんなに軍隊に染まりきった奴が彼氏でなぁ」

そう言いながら、パステルナークは彼の椅子と机の傍に置いていた紙袋に手を伸ばし、手に取った何かをひょいと放る。トーシャが悔しくなるくらいに正確なコントロールで飛んできた「それ」は、彼の真正面に放物線を描き、手の上にポンと落ちた。ちっくしょう、完璧なコントロールって奴だ。トーシャは内心悔しい。「それ」は、ちゃんと包装されたドーナツだった。それも、このご時世に珍しい、イチゴクリームがかかったやつ。見るからに甘そう……いや甘過ぎそうな雰囲気だが、こういうドーナツをトーシャは久しく口にしていない。

「こんな甘くて美味いものを、今でもグレースメリアで売ってくれる連中がちゃんといるんだ。それはそれで活用しないと損だし、そういうことが出来ない限り、占領した街の市民との接点も出来ないだろ?だから、俺はささやかな貢献をしているのさ。俺の率いる部隊のために、な」
「カレーに続けてドーナツも、ですか?」
「カレーは身体に良い上に刺激的な味わいが楽しめる素晴らしい料理だからなぁ。うちの配給食糧の食えたもんじゃないカレーに比べたら遥かにマシだろ?特に、将来有望な若者が可愛い彼女の料理にちゃんと舌鼓を打てるよう、体制を整えたんだから、感謝感激のあまりにそのりんごを全部置いていくくらいの役得があっても良いじゃないか」
「お代を頂ければ考えます」
「寒い世の中だなぁ、全く。将来のエストバキアが心配だぜ。それに、「金色の王様」をエメリアが取り戻したらどんなことが起きてしまうのか……。トーシャ、お前どう思う?」
「負けねぇす」

トーシャは即答した。そう、エストバキア軍の敗北が続いている現実は嫌というほどトーシャも分かっている。ヴォイチェク隊長を撃墜したエメリアのエースたちは未だ健在で、祖国の切り札であったはずのアイガイオンを撃ち落とし、コヴァチ副隊長たちをも葬り去った。それに負けじと数的劣勢をことごとく跳ね返し続けてきた陸軍部隊は、今や各地に分散していた小規模部隊を編入し、これまでにない規模まで勢力を取り戻しているという。だがしかし、それでも俺たちは負けないとトーシャは思う。それは、イリヤ・パステルナークという男がシュトリゴンを率いる限り、俺たちに負けは決して無い――そんな自負と自信に裏付けられた、シュトリゴンのメンバーたちの思いでもあった。だが、自信たっぷりに応じたトーシャに対し、パステルナークは最初苦笑を浮かべ、そして不意に真面目な表情を浮かべた。

「――そうだな。負けられない、か。なぁトーシャ?」
「はい?」
「生き残れよ。泣きじゃくる可愛い子ちゃんに隊員の死亡報告をすることほど辛いことはないんだからな」
「死ぬつもりは無いす」
「俺を盾にしてでも生き残る――それぐらい強い思いを持っておけよ、若者よ」

先ほどまでの軽口が嘘のように真面目な顔でそう語る隊長の真意を、トーシャは完全には理解していなかったかもしれない。ふと、遠雷の様なジェットサウンドが聞こえてきて、トーシャとパステルナークは空を見上げた。彼らの拠点の頭上を、どうやら哨戒任務を終えたらしい、シュトリゴンの同僚たちのSu-33が通り過ぎていった。その光景を見守りながら、トーシャは心の中でもう一度、「絶対に負けねぇ」と誓うのだった。
薄暗い針葉樹の森の木々は、たった戦車一台で敵地のど真ん中を行こうとしている一団の所在を隠すには、うってつけの環境であった。軍の特殊任務を負っているわけでもなく、軍から追われているわけでもなく、最早最大の目的に「私利私欲」がたんまりと詰め込まれたマクナイトたち一行は、サン・ロマ近くの平原で出会った女性――メリッサとルドミラを加え、迂回に迂回を重ねながらもグレースメリアを目指していた。今日は本来なら首都への距離を一気に稼ぐべく、夜中のうちに平原を突っ切ってしまう予定だったのだが、少し離れたところを通っている国道を移動するエストバキア軍機甲師団の大軍を見つけたことで予定変更。逆に国道からは絶対に見えないであろう地点まで森の中を逆戻りする羽目になったのだった。既に一団が去ってから久しいが、あれだけの数だと何派かに分かれてやってくる可能性が高い、よってしばらくは立て篭もり、というマクナイトの提案に異を唱える者は誰もおらず、森の中のビバークが決定したのであった。もっとも、これまでの道程も日々野営をしていたようなものではあったが。

さすがに堂々とキャンプファイアをするほどの度胸は無く、いくつかのテントを立てつつ、調理場となる鍋と火元の周りを即席のカモフラージュで隠しながら、夕飯の準備が始まる。旅の途中、激しい戦闘で破壊され、住民の姿も兵士の姿も無くなってしまった廃墟の町を通過し、その際にスーパーマーケットの残骸の後からまだ食べられそうな保存食糧の類を拝借出来たのは、一行にとっては幸いだった。それがなければ、そろそろ本気で森の中で狩りを行う必要性に迫られていたであろう。

「火は起こした。いつでも鍋を持ってこれる」
「少し待っててもらえると助かるわ。材料もう少しで切り終わるから」
「いやぁ、こんな森の中で冷たい缶詰ばかり食ってる生活送らなくて済むんだから、俺たちゃ幸せだよなぁ、本当に」
「ドニー!お前見張り番だろう!?油売ってないでしっかり周りを見て来い!!」
「マジかよ!?結構寒いんだぜ、森の中。しかも夜の森の中、結構怖いんだぜ。獣出そうだしよ」
「い・い・か・ら・行・け!!」
「ドニー、食後は俺がやる。だから安心して行って来い」
「ホブズボーム、それじゃフォローになってないぜ畜生……」

マクナイトに睨み付けられ、渋々自動小銃を肩にぶら下げたドニーは、木々の中をおっかなびっくり、といった様子で歩き始める。まあしょうがねぇか、と呟きながら、ドニーはぶらぶらと歩き出す。とはいえ、そんな長い距離を行くわけでもない。それこそ特殊部隊が持っているようなナイトビジョン等の野戦装備で固めていくならともかく、マクナイトが趣味で持っていた旧式の赤外線スコープくらいしか装備が無いのだ。だから、時々立ち止まって気配を消しては周囲を伺い、何も無さそうなら次のポイントへ移動して……というレベルが限界。まさかこんな所に敵の戦車が紛れ込んでいるとは夢にも思わないのだろう。エストバキアの兵士が姿を現すようなことはなく、ドニーは無事に見回りの行程を消費することが出来た。戻る道すがら、最初にどんな嫌味を言ってやろうかと考えながら歩いてきた彼は、夕飯の準備に忙しいメリッサとホブズボーム、そしてちゃっかり椅子に座って食事を待っているマクナイトから少し離れたところで、切り株に腰を下ろしているルドミラの姿に気が付いた。ドニーがいることに気が付いた様子も無く、何か考え事をしているようにも見えた。しばらくの間その姿を眺めていたドニーだったが、何かを決めたように、そんなルドミラの方へと歩き出す。

「?」
「ああ、見回りから帰ってきたところだ。脅かしてすまねぇ」

ほっとしたような表情で首を振るルドミラ。エメリアの言葉を話すことが出来ないルドミラとの間では、なかなか会話が成立し辛い。それ故か、ルドミラ自身が言葉を発することは極端に少なく、一日中声を聞かないこともあるくらいだった。こんなべっぴんさんなのに、勿体ねぇ、とドニーは思う。そして、マクナイトたちが気が付いていないことを確認して、ドニーは口を開いた。

誰にでも事情があるし、ドンパチやってるエメリアの中をわざわざグレースメリアまで行こうとしているアンタに、理由は聞かねぇよ。でもな、あんまり思い詰めない方がいいぜ。俺みたいなチンピラが言っても説得力ないがよ
……ドニーさん、あなた、エストバキアの言葉が?
よくある話ってやつよ。ユリシーズが落ちてきて、エストバキアに残った連中も大勢いたけどよ、他の国に難民になって流れていくしかなかった連中も大勢いた。うちもそうでな、エメリアに辿り着いたまでは良かったが、なかなか馴染めなくてなぁ。――気がつきゃ半端者の仲間入り。ミスってブタ箱行き。んでもって、食べるのに困って、軍隊入り。取り敢えず、飯は食えるからな、軍隊は

ルドミラが、珍しく笑っていた。マクナイトの様子をチラチラと気にしているドニーに配慮してか、声を極力殺しながら。

――取り敢えず、食事には困らないから。ドニーさんと同じこと、あの人も言ってました。エメリアと違って、エストバキアだともっと食事は切実な問題だから、多少粗食でも確実に食事にあり付ける軍隊は、魅力的な仕事だったんです
そっか。俺はまだエメリアに行けたから、それでもマシなほうだったんだろうなぁ。でもま、グレースメリアもだいぶ近くなってきたじゃねぇか。もう少しの辛抱だぜ
はい。……メリッサと、皆さんには本当に感謝しています。どうやって、お礼をしたら良いのか……
そんなん気にするな。良く言うじゃねぇか、一蓮托生、呉越同舟て……あ
「?」

不意に会話を止めたドニーの視線の先には、ルドミラとドニーたちに向かって、引きつった笑いを浮かべて仁王立ちになっているマクナイトの姿があった。

「ドニー!てめぇ!見回りに行けと言ったのに、サボってルドミラとツーショットってのはどういうこった!?誰が可愛子ちゃんくどけって言った!?飯抜きにされたくなかったら、いますぐ2周回って来い!!このサボリ魔めが!!!」
「ちょっと待て!俺はちゃんと見回りをして戻ってきたところだぞ!」
「問答無用だ!!」
「だからちょっと待てってのに……ああもぅ」

マクナイトの早合点にため息を吐き出しつつ、結局2周回る羽目になるんだろうな、と諦め気味にドニーは苦笑する。ま、ルドミラが少しは元気になったから良しとするか――そう気を取り直して、「エストバキア難民上がりのチンピラ」は戦友の元に歩き始める。どう見ても、マクナイトの早合点の誤解は解けそうにはなかったけれども。
ラグノ要塞を攻略した後、エメリア地上軍は怒涛の勢いで国土の解放を成し遂げていっていた。エメリア軍側が知る由も無かったが、結局この戦争が始まって以降も水面下で続いていた軍閥同士の勢力争いは、エストバキア軍部隊の展開状況にまで影を落としていたのである。ドブロニク率いる東部軍閥本体と、協力関係にある軍閥の混成軍は首都グレースメリアを拠点としてその周辺に主力を展開しつつ、少し前までは空中艦隊をも運用していたが、東部軍閥と距離を置く勢力は、戦争が始まって以降、グレースメリアから離れた地域にその拠点を求めていった。その代表例が、ラグノ要塞を拠点にしようとしていた「北部高地派」であっただろう。結局、東部軍閥は救いの手を差し伸べず、「北部高地派」が力を失くして行く様を眺めていたようなものだった。その証拠が、ラグノ要塞の先に広がっていた、空白地帯の存在であろう。戦闘らしい戦闘も行われないまま、エメリア軍の進撃は続いている。

夜を迎えた平原には、ずらりと並ぶ戦車や自走砲の姿と共に、夕食の時間を迎えた無数の兵士たちの姿が溢れていた。勿論、そんな状況下でも周辺警戒と偵察に出ている別働隊がいてこその光景ではあるが。今宵、ここに展開しているのは、エメリア地上軍歴戦の部隊であるワーロック隊とクオックス隊であった。開戦直後と異なり、後方からの輸送路の安全が確保されている今では、「最前線の兵士たちを飢えさせたら即時更迭します」というカークランド首相の一声により、充分過ぎると言っても良い食料が調達され、必然的に兵士たちの士気は上がっている。飲み物、特に水の補給が全く絶たれることが無いことは指揮官たちをどれだけ安心させていたことだろう。もっとも、ミネラルウォーターと共に体力に送られてくるサイダーと甘いコーヒーの缶については賛否両論あるのだが。――そんな夕食の一時を迎えた一団の中に、この主力部隊を率いる指揮官たちの姿もある。ワーロック大隊を率いるゲイリー・キャンベル、クオックス大隊の名物突撃隊長アンソニー・ドイル、元ガビアル大隊のエド・アルバレス、元グリズリー大隊のホセ・セサル・トレス、そしてその副官たち。士官用の一周り大きいテントの中で、男たちは温かい夕飯をかき込んでいる最中だった。

「ふぅぅ、やっぱりちゃんと温めた豆飯は美味い!よし、次はヌードルだ」
「……良く食うな、ドイルは。さすがに俺はそんなに食えんぞ」
「スープ代わりに丁度良いんだよ。いやしかし、カークランド首相万歳だな!考えてみたら、反攻作戦開始後は食事に困ることだけは無かったからなぁ」
「出来ればもっと早く合流したかったもんだ。シルワートにいる間は、市民の分まで絶対に取るわけには行かなかったから極力切り詰めていたし、逆にエストバキアから拝借していたもんなぁ」
「でもアルバレス大尉、あちらさんの飯は味的にはちょっと……だったじゃないですか。折角取ってきたのになかなか消費されなかったりね」
「ああ、確かにそうだった。でもなぁ、元々エストバキアの風土料理ってのは、結構美味いもん多かったはずなんだけどな。実際、向こうの缶詰頂いた時には何じゃこりゃ、て思ったくらいだ」

シルワートの籠城戦を経て、ワーロック・クオックスに編入された2隊を率いる面々にとっては、この圧倒的な物量を誇る食糧補給線の存在は驚きであったらしい。事実、シルワートは長らくの籠城戦から解放された後、各部隊だけでなく一般市民向けにも大量の民需物資と食糧品が運び込まれていて、その後の復興作業にも大きな役割を果たしていたりする。

「ドイル隊長!一件報告を……って、やべぇ、食事中でしたか。出直します」
「あぁ?待て待て、既にデザートメニューに入り始めたところだ。別に構わんぞ」
「ドイル……そのヌードルがデザートなのか……?」

隊長格が一斉に揃っているとは予想もしていなかったらしく、報告にやってきた兵士は恐縮した様子でテントの中に入って来る。テントの脇にはキンキン、と音を立てていてまだ暖かいままのエンジンを抱えたバイクが停められており、見る者が見ればその兵士が斥候部隊に属する者だと分かったであろう。

「で、どうした。まさかとは思うが、敵さん一斉に夜戦の用意か?」
「いえそれが……その逆で。報告するかどうかも迷ったのですが、皆さんお揃いなら是非ともご意見を伺いたく。――敵部隊は我々同様にモロク砂漠周辺を決戦地として定めているのは間違いなさそうなんですが……その、一向に食事をしているようには見えないんですよ。幾人か潜伏させている連中にも確認しましたが、我々のように補給班が出張って来て食事を振舞っている状況に無い、と」
「そりゃまぁ、うちがやり過ぎの部類に入るとは思うが……。兵士たちが個別にメタ焚いて食事の用意をしているだけではないのか?」
「それが全く……。やや遠方から監視している者の話だと、戦闘車輌の類は相変わらず大勢お待ちかねのようですが、兵站系の車両、車列がほとんど見当たらないと聞いています。これはもしかすると……」
「敵さん、冗談抜きで自ら兵糧攻めの状態に陥ってきた、てわけか」

ドイルがそう呟く。エストバキア占領地の物資欠乏状況はこれまで解放してきた地域を見れば一目瞭然であったが、今回出張って来る連中はあのグレースメリアを手に入れた、ある意味本軍とも言うべき部隊ではなかったろうか。その軍団が、全面衝突になるであろう大きな戦いを前にして、兵士たちに充分な食料を用意することすら出来ないのであれば、それは即ちエストバキアの兵站は既に破綻していると言って良かった。

「良く気が付いて報告してくれた。少し汚い手だが、こちらには好都合だ」
「キャンベルの言う通りだな。腹が減っては戦は出来ぬ、だ。よしお前ら、こっちに来て食え、たらふく食え!」
「いえ、まだ任務中で……」
「だから腹が減っては何とやら、だ。その後しっかりと任務に邁進すりゃいい。ほら、こっちだ!」

強引に輪の中に放り込まれるような形で、兵士たちは席をあてがわれ、そしてすぐに温かな食事が眼前に登場した。隊長命令とあっては断り様も無く、でも食事を口にした兵士たちの顔がどことなく綻ぶ。指揮官たちのテントからは「もっと食えよ」というだみ声と、そして大きな笑い声とが辺りにも聞こえている。それを目にして耳にした兵士たちがどれだけ安心しているか、多分ある程度計算ずくの彼らも知らなかったに違いない。


そして、エメリア軍は、エメリア・エストバキア戦争の最大の地上決戦と後日記録される、モロク砂漠の戦いを迎える。

「天使舞う空、駆け抜ける鉄騎」ノベルトップページへ戻る

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