ファイル14

サンサルバシオンを放棄したエルジアは、残存兵力をウイスキー回廊に展開。怒涛の勢いで迫る連合国軍の戦車部隊を迎撃した。だが、この戦いは敵の航空兵力による支援攻撃により、我が軍の敗北に終わった。圧倒的な兵力を展開していたにもかかわらず、だ。そして、前線から戻った兵士から、俺は戦況を一転させた男の話を聞いた。「リボン付の死神」。彼の率いる部隊の出現に一部の陸軍部隊がパニックに陥ったのが、全部隊に波及した、というわけだ。思わぬ敗北に浮き足立った軍司令部は、ここファーバンティを最後の決戦場に定め全軍を展開しつつあった。

俺たち黄色中隊は、空軍のメインベースから離れた小規模の民間空港を臨時のベースとしていた。共にまわされた部隊は気心が知れた奴らばかりであるし、頭ばかり固い首都部隊の連中から離れていられるだけ、なんぼかましであった。だが、各方面で補給線が寸断された影響は大きく、武器弾薬だけでなく食料品までが不足しつつあった。それにしても見事な凋落というべきか。つい先日まで大陸全土を支配しようとしていた国が、今は食事すら満足に食えない状態とは。それに対して、一度は大陸から追い出された連合国は息を吹き返し、そして軍事大国としてのエルジアを消し去らんと目前に迫りつつある。俺もまた、この戦争で失ってはならないはずのかけがいの無いものを失ってしまっていた。
俺の愛機の周りでは、整備班の男たちが最後の出撃に備えた整備を行っている。既にエルジアの敗色は濃いというのに、男たちの顔にはどこか安堵の表情が浮かんでいた。ようやく、この戦争が終わろうとしている。結局、国が勝とうが負けようが、何かと苦労を背負わされるのは兵士一人一人。戦争を扇動した政治家や軍部の上の人間たちが一回だって前線に来たことがあるというのか?国は占領され、もしかしたら別の国になってしまうのかもしれないが、人としての普通の生活に戻ることが出来る、という事実はもしかしたら兵士たちに共通の感情だったのかもしれない。だが、その前にもう一回、それも激しい戦いを経なければならないということに、人は愚かなものだ、と感傷的になった。俺だって、この戦争で数多くのパイロットたちを葬ってきた人間の一人だというのに。
俺に気が付いた整備班の一人が敬礼してみせた。俺も歩きながら敬礼を返す。
「どうだい、俺の機体の調子は?」
前回のサンサルバシオンでの戦闘で機体にかなりムリをさせたせいか、ある程度の修理と整備が必要だった。整備の連中は、なけなしの備品を活用して、ここまで機体を修復させてくれていたのだ。
「これで大丈夫ですよ。ただ、もう備品のストックはありません。これ以後の本格的な整備はもう……。」
「いや、それで構わないさ。今回が、この国にとっちゃ最後の戦いだろうからな。」
「隊長……。」
俺は空を見上げた。夕暮れ時の赤い空を、雁の群れが飛んでいく。
「ほほぉ、なかなかいい景色じゃのぅ。」
18番の機体を整備していた整備班長が近寄ってきた。18番の機体は油圧系の故障を抱えているようで、班長のつなぎはところどころ大きな油の染みが出来ていた。
「ワシはこの国にも、こんな美しい景色が残っているということを忘れていたよ。この戦いが終わったら、のんびりと国を回ってみるかの。」
まったく同感だった。そして、一抹の寂しさを感じた。いるはずの存在がいないこと。俺は、自分が失ったものの大きさに、今更ながら気付かされていた。
「隊長、あんた、この戦いが終わったらどうするつもりじゃ?」
一人考えに没頭していた俺は整備班長の問いかけで現実に引き戻された。この戦いの後。
「どうやら何も考えておらんかったようじゃの。どうじゃ、ワシと一緒にしばらく歩いてみんか。この大陸を。」
それも面白いかもしれない。何の制約もない日々を送ることで、何か見つけられることもあるかもしれない。そう思った。
「ま、なんにしても生き残ってから考えるさ。死んでからじゃ何も考えられないからな。」
俺は、整備班の連中に礼を言って、その場を後にしたのだった。いつのまにか日が暮れて、辺りは夜を迎えようとしていたのだった。

翌日、ついに来るものがきた。偵察飛行に出た部隊からの映像が転送されてくる。ファーバンティ近郊に、連合国軍の大部隊が集結しつつあった。ファーバンティに展開する全部隊に対し、第一級戦闘配置命令が下された。陸軍の部隊がそれぞれの持ち場に展開し、迎撃態勢を取り始める。俺たちもまた、最後の牙城となったファーバンティを守るべく、出撃準備を始める。パイロットスーツに着替えて愛機に向かって歩いていると、反対側からまだジャケット姿の18番がふてくされた顔で歩いてきた。
「どうした18番、寝坊か?」
18番は珍しく苦笑で応じた。
「サンサルバシオンの戦闘でやられちまいましたよ。油圧系がどうにもならんのです……。」
そういえば、昨日の夕方、整備班長が油まみれになっていた記憶がある。替えの機体はない以上、彼は自動的に出撃メンバーから離脱することになる。表面上はへらへらしているが、心中は穏やかではないだろう。だが、そんな18番だからこそ頼める仕事があった。
「18番、おまえに特別任務を与える。」
俺は、彼の肩に手を置いた。
「俺たちの出撃後、連合国軍がこの基地に侵入したら……」
「徹底交戦せよ、ですか?」
「いや、白旗をあげて降伏するんだ。もう十分俺たちは戦ってきた。そろそろ、幕を引いてもバチは当たらんさ。」
「隊長はどうなさるんで?」
しばらくの沈黙。実際の所、俺自身にも分からなかった。
「整備の連中と、坊や、ああ、酒屋のお嬢さんもいたな。彼らを頼む。」
俺は機体を目指し歩き始めた。後ろで敬礼をする18番の手が、震えていた。

ファーバンティは戦火に包まれていた。ウイスキー回廊を突破し、再編成された連合国軍は我が軍の防衛線を強行突破すべく陸上部隊のほぼ全軍を一点にぶつけてきていた。そして空では我が軍の航空隊と、この戦争を同じように生き抜いてきた連合国軍の航空部隊とが衝突し、空も海も陸も戦火で飽和状態になっていた。そんな中リボン付の連中は、ジョンソン記念橋を破壊し我が軍の増援部隊の足止めに成功。さらに、港湾施設に展開していた艦隊残存兵力に対し徹底した爆撃を行い、これを壊滅させていたのだった。
俺もまた、ファーバンティに飛来するISAF機を片っ端から狙っていた。だが、乱戦の最中俺たちの部隊もばらばらになり、混線している通信状態では安否の確認も難しくなっていた。5機目までは覚えているが、その後何機とやりあったのか、もはや分からなくなっていた。逃げ惑う敵機のケツをつつき、屠ると同時に次の獲物を求め、またその後背を狙う。そうこうしているうちに、コクピット内にけたたましい警報音が鳴り響いた。
「隊長!急旋回してください!!」
12番の声と同時に、俺は左へと急旋回した。激しいGがかかり、視界が黒くぼやけていく。警報が消えたことを確認して辺りを見回すと、後背についていた敵機が爆炎をあげなから墜落していくところだった。
「隊長、大丈夫ですか?」
12番機が、俺の隣にポジションを取った。だが、奴の機体も万全にはほど遠い状態であった。被弾した機体からオイルが漏れ、薄い煙もひいているのだった。
「俺の心配より自分の心配をしろ。……とはいえ、俺の機体ももう弾丸がない。おまえも一旦帰投しろ。」
「了解しました。では、隊長の後ろはお任せ下さい。」
俺は12番機と共に、街上空の一角から突破をかけた。針路をふさごうとするISAF機に残弾をたたきつけ、血路を開く。12番機も必死に抵抗していたが、損傷の影響か、推力が上がらない。後ろについた敵を振り切ろうとロールを繰り返すが、敵を振り切れなかった。
「12番、機体を捨てて脱出しろ!もうその機体での戦闘は無理だ!!」
ISAF機から機関砲が発射された。小さい火の玉が12番機の周りで炸裂し、垂直尾翼が吹き飛ぶ。左エンジンからも火を吹き、そして黒い煙が大空に伸びていく。
「隊長!後はお任せします!!」
12番機は炎に包まれながら、急旋回した。そして、そのまま速度を上げ、彼に攻撃を与えたISAF機に突っ込んでいく。
「エルジア万歳!!」
そう聞こえるのと、12番機が四散するのはほぼ同時であった。俺は、血が出るほど唇を噛み締めながら、12番が開いてくれた脱出口を突破したのだった。

少年は、13番機が滑走路に降りてくることに気がついた。だが、帰ってきたのは彼の1機だけであった。その前も何機かが戻ってきたが、損傷を受けている機体が圧倒的多数になっていた。
13番は機体を降りると、傍の草むらに抱えていたヘルメットを投げると、ごろん、と横になった。少年は、テーブルに置かれていたスポーツドリンクの缶を手に取ると、13番のもとへ走った。
「おや坊や、まだいたのかい?」
少年の気配に気がついた13番は、薄目を開けて手招きした。少年は、手に持った缶を黙って彼に手渡す。13番は缶を開けると一気に胃袋に流し込んだ。
「また、行くんですか?」
少年は恐る恐る言ってみた。13番はしばらく目を閉じて考えていたが、体を起こすと少年の頭を撫でながら言った。
「うまく言えないんだけどな……どうしても決着をつけなければならない奴が、まだ残っているんでな。」
「リボン付の悪魔、のこと?」
13番は陽気な声で笑った。
「向こうは向こうで不満だろうな。悪魔、なんて呼ばれていると知ったら。」
少年にも分かった。13番は、リボン付―メビウス1と呼ばれるISAFのエースパイロットと戦うつもりなのだ、と。
「それは、リボン付が憎いからですか?あなたの僚機を撃墜したパイロットが……?」
何時の間にか、酒場の娘が後ろに立っていた。彼女は、どこか寂しげな眼差しで13番を見ていた。4番が命を失うきっかけを作ったのは、自分自身かもしれなかったから。13番は、苦笑しながら首を振った。
「前にも言った事があるかもしれないが、上に上がってからのことは恨みっこなしさ。それに、少なくとも俺は坊やとお嬢ちゃんを憎いと思ったことはないぜ。まぁ、拳銃を突きつけられたときはさすがにショックだったけどな。」
少年も苦笑を浮かべながら頭をかいた。13番は思った。今までで、1番大人っぽい笑い顔だ、と。
「また、会えるよね。また一緒に、合奏出来るよね。僕、他の曲も色々練習したんだから。」
13番は、笑いながら少年の頭を撫でた。ちょっといつもより力強く。
「……そうだな。なあ、坊や、俺のとっておきを預かってもらえないか?」
13番は、ポケットから一束の鍵を取り出した。
「俺の部屋のロッカーに、学生の頃使っていたギターがあるんだ。敵さんに持ってかれたり、壊されるのもご免なんで、坊や預かっててくれ。……また合奏するときのためにさ。」
少年は何度もうなずいて、その鍵を受け取った。
「隊長、出撃の準備、整いました。全機出撃できます!」
格納庫の方から、整備兵の上げる声が聞こえてきた。出撃の時が迫っていたのだった。
「そろそろ、お出かけの時間みたいだ。……ここもすぐに戦場になる。早く、安全なところに逃げるんだ。」
13番はそう言うと、少年たちを抱き寄せた。ちょっと痛かったけれど、とても懐かしい気分がして、少年は涙ぐんだ。そう、まるで、父親に抱きしめられていたときのような気分だった。どれくらいそうしていただろう。13番は2人をそっと放した。
「じゃ、またな。」
いつも通りの笑みを浮かべながら、13番は愛機へと走っていった。少年はその背中をじっと見続けていた。
「いいの?今なら止められるよ。きっと、隊長はもう戻ってこないつもりよ。」
「分かってるよ、そんなこと分かってる!でも、僕には止められないよ。分かってるから、こんなに辛いんだ!」
少年は必死になって涙をこらえていた。また、こんなに辛い別れを経験しなければならないなんて、神様はなんて意地悪なんだろう。涙でぼやけた視界の中で、少年は必死になって13番の姿を追っていた。やがて、13番の機体が、誘導路から滑走路に入り、そして離陸した。甲高い、聞きなれたエキゾースト。すっかり慣れてしまったジェット燃料の匂いが、辺りに広がっていく。少年は、ちぎれんばかりに腕を振っていた。
黄色中隊が基地を離陸していくのを見届けた後、少年は泣き出した。ただただ、涙が溢れてくるのだった。酒場の娘は、そんな少年をそっと抱き寄せた。そして赤ん坊のように泣きじゃくる少年を抱き締めながら、13番達が飛び立った空を、ずっと見つめていた。

「戦闘に参加している両軍の将兵へ。エルジア軍は本日1200時、降伏勧告を受諾した。繰り返すエルジア軍は降伏勧告を受諾した!直ちに戦闘を停止し、エルジア軍の将兵はこちらが指定する区域に出頭せよ。エルジアは降伏した!」
連合国軍からの勝利宣言が共通回線で流れてくる。どうやら、戦争は終わったらしい。これで、これ以上お互いの兵士やその家族が血を流すことは無くなるのかもしれない。でもその前に、まだやることが俺には残っていた。ファーバンティからの帰還ルートを取り始めた敵戦闘機軍の中に割り込んだ俺たちは、奴らを探した。リボン付率いる、エース部隊を。
「隊長、9時方向に敵影発見。数は5機、こちらに向かってきます。」
俺はレーダーを見た。こちらにむけて、5機のトライアングルがまっすぐ向かってくる。
「各機へ、戦闘開始!」
部下たちがトライアングル編隊から散開して、敵部隊へ向かっていく。やがて、ファーバンティの空に戦闘機の描く複雑なループが刻まれていった。己の持てる空戦技術の全てを駆使して、部下たちは奮闘していた。だが、戦争半ばから派遣されてきたルーキーと、この大戦を生き抜いてきたISAFの猛者達との差は歴然としていた。1機、また1機と部下たちは撃ち落されていった。そして気がついたとき、残るは俺一人となっていた。俺は向こう―メビウス1に聞こえるように共通回線で呼び掛けた。
「ISAFのエースパイロット、聞いているか。俺はこの日を待っていた。おまえのような好敵手が、俺の前に現れることを」
俺は操縦桿を思いきり引いた。心地よいGがかかり、機体が急旋回する。ループ、急降下、急上昇、ロールシザース。互いの腕は、互角。あるときはリボンのエンブレムが目の前に見えるくらいの急接近を繰り返しながら、俺とメビウス1は互いのケツを取り合う。いつ果てるとも知れない空の戦いに、両軍の兵士たちは釘付けとなっていた。これだ。この緊張を俺は待ち続けていたんだ。緊張感とは裏腹に、俺はこの戦いを純粋に楽しんでいた。知る限りの空戦技術の全てを駆使して、愛機を駆り立てる。
やがて俺たちは、互いに反対方向へループした。そして、互いを真正面に捕捉する。
「隊長!」
メビウス1の部下らしき、女の叫びが、一瞬聞こえた。俺たちは互いにトリガーを引いた。振動が機体を激しく揺さぶる。そして、破片がコクピット内を跳ね回る。俺の機体は、炎を煙に包まれ始めていた。俺の、負けか。不思議と悔しさは無かった。場違いな清々しい気分がしていた。ふと、鈍い痛みを感じて自分の体を見ると、吹き飛んできた破片が、俺の右胸を貫き、シートに突き刺さっていた。再び、振動。どうやらエンジンが爆発を始めたようだ。不思議だ。出血で体重は減るはずなのに、次第に身体が重くなってくる。意識もまた、朦朧としてくるのだった。
「13番、その機体はもたない!脱出しろ!!」
メビウス1の声か。後ろを見ると、同じように煙を吐いているメビウス1の機体が側にいた。意外と、いいやつじゃないか。俺は、左手をゆっくり伸ばし、そして親指を立てた。そして「離れろ」と手を振った。そんな距離じゃ、俺の機体が吹き飛んだときに巻き込まれちまうだろうが。その直後、機体を激しい振動が何度も襲った。もう、助からないな、これは。俺は目を閉じた。再び、激しい衝撃。今度は機体の後ろから吹き飛んだ破片が、俺をまた貫いた。一瞬、4番の顔が脳裏に浮かんだ。
「やっと、会いにいける」
次の瞬間、何もかもが漂白されたような光に包まれた。その光の中で、俺は、俺が愛した女性のファーストネームを呼んでいた。いや、俺が呼んだと思っただけかもしれないが。
俺の時間は、このとき、止まった。

ハンカチーフが一枚、どこからともなくひらひらと舞い降りてきた。13番が、4番の死後ずっとポケットに入れていた、かすかな香水の香りのするハンカチーフ。少年と酒場の娘は、ハンカチーフをファーバンティの町並みが見下ろせる小高い丘の上に埋めることにした。それが4番の墓なのか、13番の墓なのか、或いはこの戦いで空に散った、黄色中隊のパイロットたちの墓なのか、もう分からないけど、それが自分たちの最後の役目のように、少年は思ったのだった。やっと、13番は戦いを終えたのだ。少年は、気がつくと泣き出していた。少年の泣き声と、少女の嗚咽、それは風に乗って静かに大空へと消えていった。

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