篭城部隊救出・後編
渓谷の内部は、思ったよりも広かった。とはいっても、自由自在に飛び回れる大空の比ではない。戦闘機がその翼を振り回しながら飛ぶだけの空間は確保されているという程度だ。それだけでも僕にとっては幸運だったし、まだツキには見放されていない証拠だと思う。無線からは「いー」だの「ひー」だのスコットの悲鳴が聞こえてくるけれど、その声がまだ聞こえてくるということはアイツも頑張っているということだ。ここで僕がドジるわけにはいかない。岸壁の上部を結ぶ橋脚の真下を通り抜け、僕らめがけて対空砲火を浴びせてくる戦闘車両に狙いを定める。今回は地上目標主体のミッションということで、僕の機体には「マッドエンジニア」2人組によって改修が施され、翼の下にはロケットランチャーの筒がぶら下げられている。本当は対地ミサイルを搭載出来るようにしたかったらしいが、そのための資材と部品が無いことをデル・モナコさんは嘆いていた。それでもパターソンの航空基地やプナ・ベースに残されていた対地攻撃の装備を流用して、違和感無く搭載してしまったところ、整備班の面々に感謝しなければならないだろう。誘導性能を全く持たないとはいえ、威力は充分。浴びせかけられた対空砲火を機体をローリングさせて回避し、もう一度攻撃軸線上へ。照準内に敵の姿が収まるのを確認して、僕はトリガーを引いた。連続的な発射音が響き、そして弾頭が勢い良く地面に突き刺さり、豪快な火柱をあげた。直撃を被った何台かが真っ赤な炎と黒煙とを膨らませて爆発を起こし、谷底を埋めていく。そこに後ろから続くマクレーン中尉が爆弾を放ち、第一撃を切り抜けた戦車隊にダメ押しの攻撃を加える。頭上からの直撃によって発生した爆発で、上部砲塔を丸ごと吹き飛ばしながら一台が炎上し、もう一台はキャタピラをやられて動きを止める。攻撃成功!――だがその余韻に浸っている場合ではない。レーダー上には敵部隊の姿が次々と映し出されているし、そして……。
「クラックスより、グリフィス隊へ。グレイプニル、SWBM発射!!間もなく着弾します、高度を下げて!!」
ユジーンの悲鳴に近い声が聞こえてきて、僕は素早く進行ルートをチェックする。ほぼ直線状に伸びた谷の途中に障害物は無く、強いて言えばその先に敵の次の部隊が控えているということだろうか。操縦桿をしっかりと握り、機体を安定させる。……少し前、グリフィス隊を全滅させた、あの攻撃がやってくる――。
「5、4、3、2、1……着弾!!」
ズシン、という腹にまで響く轟音と衝撃が炸裂した。一瞬空が真っ白に漂白され、大気は衝撃波によってかき回された。高度を充分に下げていたはずの僕らですら、衝撃で上下する機体を押さえ込むのに必死だったくらいだ。畜生、レサス軍が声高に宣伝しているだけのことはある。しかしその攻撃にも抜け道があるとわかっただけでもめっけものだ。スロットルを押し込んで素早く上昇した僕は、再び前方を進んでくる戦闘車両の群れに対してロケットランチャーの雨を降らせた。さっきの攻撃で大体要領は分かった。着弾点を広く分散させるよりも、なるべく集中させて威力を挙げればいい。そうでもしないと、装甲の分厚い戦車などでは充分な損害を与えられないのだ。慎重に狙いを定めた僕は、再びトリガーを引いて敵の頭上に火の雨を降らせていく。連続して炸裂する炎の玉。黒煙と爆発、そして辺り一帯に飛び散る破片、残される残骸。攻撃を逃れた兵士が慌てて炎の海から逃れていく。隊列後方に位置していた連装ロケットランチャー車が強引に射撃体勢を取るが、彼らが攻撃を開始するよりも早く、マクレーン中尉の放った爆弾が到達した。車輌に直撃こそしなかったものの、そのすぐ直前の地面に突き刺さった爆弾が破壊的エネルギーを解放し、周囲の物体を弾き飛ばした。頭から真っ逆さまにひっくり返された敵の戦闘車両が大爆発を起こして運の悪い友軍たちを炎の中に巻き込んでいく。僕らも飛び散る破片の洗礼を浴びないように高度を上げて回避せざるを得ないほど。だが安全だからと言って上空に待機するわけにもいかない。僕らの頭の上を押さえ付ける鍋の蓋が小生意気な蝿を叩き落さんと牙を砥いで待っているのだ。そしてちゃっかりと第一撃を回避して友軍を攻撃している僕らに苛立ったかのように、次の攻撃が飛来した。だが弱点さえ分かれば対処の仕様はある。再び渓谷内へと飛び込んで、着弾のタイミングを待つ。遥かターミナスの島に居座っているグレイプニルから放たれたSWBMはあっという間にこの渓谷の上空まで到達し、そして再び空を漂白した。ズシン。あたたたた!舌先を衝撃で噛んでしまい、思わず悲鳴を上げる。
「どーした、ジャス?」
「舌噛みました」
「ほーら、おまえもら、らすひん」
「二人で漫才やってるんじゃないの!ほらスコット、次の目標、2時方向!!」
スコットとファクト少尉が向かった方面の敵影も次々と姿を消していく。僕らの援護を知った友軍部隊が、ここぞとばかりに敵に対して攻撃を集中させていることも僕らには味方していた。僕らを後ろから狙おうとした対空攻撃隊の戦闘車両群があったが、さらにその後方に展開した戦車隊の猛攻によって壊滅的な損害を被って、ほうほうの体で退却していく。数の上では確かに僕たちを圧倒していたはずのレサス軍は、地の利を知り尽くした友軍部隊と、何より渓谷内へと突入してきた戦闘機――ぼくたちの登場によって、部隊間の連携もままならずに各個撃破の対象となりつつあった。業を煮やしたのか、敵部隊は友軍本隊の位置するポイントを目指して集結を開始する。レーダー上、敵を示す光点が多数、渓谷周辺をゆっくりと移動しながら包囲網を狭めつつある。敵との距離と時間を計算して、僕は渓谷の上空へと勢い良く舞い上がった。排気に舞い上げられて、土煙が渓谷内を覆っていく。渓谷の上部――岩肌がむき出しになった赤茶けた台地の上に飛び出して、すぐさまに水平に戻す。少し操縦を誤れば腹を擦りそうな低高度で台地の頭を通り越していく。僕らの向かう先に、複数の戦闘車両が舞い上げる土煙が見えてきた。もともと豊富な資源を有するこの渓谷は、鉱山としての側面を持っている。そのため、渓谷の台地は何本かの橋によって結ばれ、平和なときであれば大型のダンプカーが走り回っていたはずだ。今はダンプカーの代わりに、もっと重くそして物騒な戦車が大地を疾走している。それにしても、数えるのが嫌になるような数だ。この地で抵抗を続けてきた友軍を、この際一挙に殲滅せんとしたレサスの思惑が透けて見える。全部を叩いているような残弾は無い――でも、彼らの進撃の足を止めることは出来る。そう、ここは深い渓谷。絶壁を降りる機能を持たない戦車たちの道さえ無くしてしまえばいいのだから!僕の狙いは彼らの進行方向、つまり橋にあった。
「お、おい、後ろから敵が!南十字星だ!!」
「隊列を崩すな!対空戦闘者、奴らを叩き落せ!!」
「クラックスよりグリフィス1、4へ!グレイプニル、SWBM発射!!大至急高度を下げて下さい、早く!!」
分かっているさ!敵部隊には目もくれず頭上を一気に通過して、台地を結ぶ橋へと肉迫する。照準レティクルの中にしっかりと目標を捉え、僕はトリガーを引いた。背後からはきっと猛烈な速度でSWBMが接近しているのだろう。命中確認を充分にしている暇も無く、操縦桿を右へ倒して急旋回。土煙を舞い上げながら岸壁ギリギリの距離で渓谷へと飛び込む。無線に敵の悲鳴。その背後にガラガラガラ、と何か崩れるような音とノイズが重なっている。ロケット弾の直撃を被った橋が真ん中から真っ二つにへし折れて、崩落する瞬間だった。運悪く橋の上に到達していた何両かが落下に巻き込まれ、谷底へのダイブを余儀なくされていた。――だが僕らにそんなことを確認している余裕は無かった。渓谷へ飛び込んだ直後、空に閃光が爆ぜ、リング状に光が広がった。雲が衝撃波によって吹き飛ばされ、レンズのような形へと姿を変える。大気を揺さぶる轟音と振動と衝撃とがまともに僕らの機体に伝わり、背後から前方へと僕らは押しやられる。本来の加速に上乗せされて、僕は何とか操縦桿を握り締めて機体を水平に戻そうと必死になった。暴れる機体。肩に食い込むハーネス。シェイクされる頭がぼーっとしてくるが、意識を失えば一巻の終わりだ。戻れ。早く水平に――!
「ジャス坊のバカッタレが、ほんとに無茶させやがって全くもう……!」
「ぬあああああっ!……ふう、もー何も怖ないでぇ。やったる。俺はやったる!!」
「馬鹿、こっちは味方だ。敵は向こうだ!しっかりと狙え、クソガキ!!」
開き直ったのか、何か切れたのか、スコットの絶叫が良い気付けになった。かろうじて機体を安定させることに成功する。冷や汗がどっと吹き出して背中をべっとりと濡らす。何と不快な感触だろう。ようやく背後を振り返ると、落ちた橋の向こうで立ち往生している敵部隊の姿が微かに見える。これで彼らは大回りを強いられる。友軍部隊の撤退には充分な時間稼ぎがこれで出来るだろう。
「クラックスよりグリフィス4、ジャスティン、飛んでるよね!?大丈夫だよね!?」
「……おい、隊長機はどうでもいいのか!?」
「ディビス・リーダーよりクラックス、安心しろ、そしてしっかりレーダーを見ろ。南十字星は健在だ!!」
よかったぁ、と泣きそうな声で応じたユジーンを、陸上部隊の猛者たちが笑い飛ばす。俺だって怖い思いをしているんだ、とぼやくマクレーン中尉をファクト少尉が慰めている。スコットは……ちょっとタガが外れたらしい。だが、僕らの士気はこれ以上無いくらいに上がっていた。依然としてレサス軍は数の上なら僕らを上回っているだろう。だが統制を失ったまま作戦行動を続ける彼らは、その有利さを失念していた。僕らを殲滅しなければならない彼らに対し、僕らはこの渓谷から友軍部隊を突破させれば勝ち。この好機を逃す手は無い。ようやく戦車隊による迎撃体制を整えつつつあったレサス軍に、突出した友軍部隊が集中砲火を浴びせ始める。タッチの差で機先を制されたレサス軍の戦車の群れが炎に彩られていく。レサス軍からも応射の炎が吐き出され、被弾した友軍車輌もまた炎に包まれる。それでも止まらない。重装甲の戦車を先頭に配置して、ここで全弾を使い切るような勢いで浴びせられる攻撃に、包囲の一角がついにこじ開けられた。黙って見ているわけにはいかない。マクレーン中尉と並んで、敵部隊の頭上から攻撃を浴びせる。別方向から戦域に到達したファクト少尉とスコットの機体からも、爆撃の洗礼が放たれる。前方の地上部隊、頭上の航空部隊に挟み込まれたレサス軍部隊は恐慌状態に陥った。攻撃も撤退もままならず、一台、また一台と各個撃破の対象となって動きを止めていく。ここが正念場だ――!僕らの手持ち残弾も少なくなってきていたが、攻撃の手を緩めるわけにはいかない。攻撃、一時離脱、攻撃、離脱――そんな反復攻撃を浴びせながら、僕らは飛び続ける。
グリフィス隊が飛び立っていった後のパターソンの街は、平時と変わらないような喧騒を取り戻していた。平時と明らかに異なるのは、街角に立つ兵士や戦車の姿くらいのもので、その兵士たちも市民の呼びかけに手を振ったりして応えている。今頃、グリフィス隊の面々はスタンドキャニオンに閉じ込められている友軍――ディビス隊の救出のために、奮戦しているだろう。地上からの支援部隊を派遣してしまった後は、オーレリア残党軍陸上部隊の出番はあまり無く、どこかのんびりとした空気が基地にも漂っている。それは整備班なども同じようで、格納庫の前のベンチで寝そべる整備兵の姿もあった。
「……あの馬鹿めら、休めとはいったが寝ろとは言ってないぞぃ」
「まあまあサバティーニ班長、彼らとてグリフィス隊の出撃準備で頑張っていたのだから、今くらいはいいじゃないですか」
止めていないとスパナでも投げそうな雰囲気でサバティーニが部下たちを睨み付け、隣を歩いているバーグマンは苦笑せざるを得なかった。だがそれは陸上部隊とて同様で、この街からレサス軍を追い出した安堵感が兵士たちの間に広がっているのも事実だった。先の戦いで多数の艦艇と兵員を失ったレサス軍に、パターソンを含むいくつかの拠点を取り戻すに十分な兵力は残されてはいないのである。残存兵力の多くはサンタエルバ方面へと撤退済であるし、兵士の間に余裕が出てくるのは仕方ないのかもしれない。ただ、それで安心するわけにはいかないのが指揮官の仕事でもある。時間を見つけては周辺警戒に当たっている通信室やレーダー室に顔を出して、状況確認を行うのが今やバーグマンの日課となりつつあった。
「まあ平和が一番じゃ。オーブリーまで敵が来よったときは、"ここでワシも終いか"と思ったもんじゃが……若いモンの勢いというものは大したもんだ。あの絶望的な状況から、パターソン解放まで来てしまったのじゃからの」
「彼らのおかげですよ。グリフィス隊の。……しかし意外だった。オーレリアのヴァイキングと呼ばれたエースが、まさかオーブリーのような辺境基地にいるとは思わなかった。彼の「戦斧」のエンブレムは我々陸軍の人間でも知っているというのに、今の彼の機体には描かれていない。彼は空軍の誉れではなかったんですか?」
「むう……知っておったんか」
サバティーニは口をへの字にして、青く広がる空に視線を飛ばした。その方向が、今頃ジャスティンやマクレーンたちが戦っている戦域であることをバーグマンは知っている。どれくらい沈黙していただろうか、オイルの染みが付いた帽子を手に取りながら、老齢の班長はため息を吐き出した。
「――平和すぎる国の有能な軍人ほど、生き辛い人間はおらんのかもしれん。死んでしまったホラント中尉などは事情を知っておったから、あんなになってしもうたマクレーン中尉を尊敬しとったんじゃが……。実力も無いくせに声だけ大きい馬鹿どもはどこの国でも癌になりおる。そういう連中に限って、今頃はナバロの奴に尻尾を振ってみせているのじゃろうよ」
「それはどういう……?」
問いを投げかけようとしたバーグマンは、遠くから遠雷のように聞こえてきた低い音に言葉を止めた。それは単発では終わらずに、断続的に続く。音に気が付いた整備兵も幾人か、何事かと辺りを見回している。やがて、何度目かの低音の後に一際大きな轟音が響き渡り、黒煙が青空へと吹き上がった。それは街の北東方向。バーグマンの表情が厳しいものへと姿を変え、サバティーニは再び口をへの字に曲げた。
「隊長ーっ!緊急事態、緊急事態です!!敵地上部隊多数、建設中のトンネルを突破して接近中!!」
「整備班全員、緊急配置!!積み込めるだけの機材と工具を直ちにトラックに積み込んで、退避準備じゃ!!時間が無い、ぼけっとしとらんと、走れ!!」
蹴飛ばされたように整備兵たちが走り出すが、突然の事態に慌てふためいて、何人かが正面からぶつかってひっくり返る始末。サバティーニは顔を手で覆ってため息を吐き出す。バーグマンは頭の中で、現在の手持ち戦力と防衛隊の配備位置を整理していた。街の北東部――そこには、サンタエルバとパターソンを結ぶ建設中の高速道路があり、内装はともかく間に挟まった山脈をトンネルが既に貫いていた。当然、ここがレサス軍の地上部隊の突破口になるだろうと考えて防衛陣地と偵察隊を配備していたのだが、敵もさるもの、オーレリア残党軍の切り札と言うべき航空部隊の不在を突いて来たのだ。パターソン奪還時に比べれば戦力も人員も増強されつつある地上部隊ではあるが、レサス軍の正規部隊相手に戦うにはまだまだ戦力不足。正面からの激突だけは避けねばならない。なら、取るべき戦略は一つ。幸い、プナ・ベースは無事。切り札が補給を終えてパターソンに戻ってくるまで、この街を制圧されないように時間を稼ぐことだ。
「レサスにも出来る奴がいるようじゃのぅ」
忌々しげにサバティーニが吐き捨てる。バーグマンも全く同感だった。
「スタンドキャニオンは重要拠点では無いとして、むしろこちらを重視したというわけでしょう。……班長、お手数かけますが、非戦闘員と整備隊の退避準備を」
「わかっとる。準備が出来次第、プナへ向けて出発するぞい。お前さんはどうする?」
「時間を稼ぎます。特にこの航空基地は最重要防御拠点ですからね。……なに、こちらもプロです。そうそう簡単にレサスの思う通りにさせませんよ。我々をやる気にさせてくれた若者たちのためにもね」
無論苦しい戦いになることは分かっている。だがバーグマンは不敵な笑みを浮かべてみせた。応じるサバティーニもにやりと笑う。今日ここに至るまで、彼らにとって楽な戦いなど無かった。相手を殲滅させ勝利を得ることが目的ならば相当な難事となるだろうが、敵を勝利させないということならば取り得る手はいくらでもある。そういう戦い方が出来る分、追い詰められていたときよりはまだ気が楽、というのがバーグマンの本音だった。ぞろぞろと集まりだした部下たちに命令を飛ばしつつ、戦闘装備を身に付けるため、彼は走り出した。とにかく、敵の足を止めることだ!砲撃と銃撃の音は熾烈さを増し、確実に近づいて来る。これまでは圧倒的不利な戦いを強いられてきた彼らである。今や地上実戦部隊の長となりつつある男に、兵士たちが頼もしげな視線を送りつつ敬礼する。さあ、レサスの奴らめ、残党部隊の諦めの悪さを徹底的に教えてやるぞ――戦闘服に着替え、戦闘車両に乗り込んだときも、バーグマンの顔には精悍な笑みが浮かんだままだった。
レサス軍の抵抗が続いている。いや、抵抗というには、それは余りにも貧弱なものに代わりつつある。グレイプニルのSWBMによる攻撃は相変わらず続けられ、僕らの身体を否応無くシェイクし続けていた。だが橋を落とされ、進撃ルートを封じられて各個分断されたレサス軍部隊になす術はなく、射程範囲内から遠ざかっていく僕らの友軍部隊を指をくわえて見ているだけとなった。それでも撤退する部隊の正面に回りこんだ部隊には容赦の無い攻撃が行われ、戦力の逐次投入の愚かさをようやく認識した司令官たちは、ついに包囲網を解いたのだった。損害は決して少なくなかったが、かなりの戦力が渓谷内からの脱出に成功していた。渓谷内を揺さぶっていた砲撃音は次第に止み、後には破壊された車輌たちから立ち上る黒煙が幾筋も、まるでそれが墓標であるかのように青空へと伸びていく。地上部隊の上空を低速で飛びながら、僕らはようやく緊張を解いていた。狭苦しい渓谷の中を、グレイプニルによって頭を押さえられながらも掴み取った勝利だ。嬉しくないはずは無い。
「こちらディビス・リーダー。グリフィス隊、貴隊の支援に改めて礼を言わせてくれ。……それにしても、あの渓谷を戦闘機で飛ぶなんて、頭のネジが飛んでいるか、余程の怖いもの知らずか――とにかくも、これほどのエースが残っていたとは、正直驚いたよ」
「こちらグリフィス1、頭のネジだけは余計だ。確かに数本外れたらしいバカがいるけどな。……ま、お互いの無事を今は祈っとこうぜ」
「違いない」
「はぁぁぁ、さすがに疲れたわ。基地に戻ったらゆっくりとシャワーにしたいところね」
「ヴァネッサさん、背中流しましょうか?」
「今からでも遅くないわよ。名誉の戦死」
ひぇぇぇ、とスコットがとんでもない悲鳴を挙げ、そして笑いが仲間たちの間に広がっていった。危地を乗り越えたことが、僕らの心に安堵を運んできたのだ。僕はコクピットのモニター画面に指を軽く置き、そして何度か表面を叩いた。心の中で、XR-45Sに"お疲れさん"と呼びかける。そう、今日の戦いは終わった。誰もがそう確信していたに違いない。だから、唐突に聞こえてきたユジーンの独り言のような会話を僕も含めて何人もが聞き逃しそうになったのは仕方ないかもしれない。
「……え、何ですって……」
「ん、どうしたの、クラックス?」
「ええ……はい、はい。そんなバカな――!!」
「おい、独り言じゃ分からんぞ。分かるように説明しろ」
大きく息を吸い込み、そして絶句したユジーンは、何度か咳払いをすると今度はマシンガンのようにしゃべりだした。
「大変です!!パターソンにレサス軍地上部隊が侵入し、留守部隊と戦闘中です!!レサス軍はコンビナート施設を狙って展開しているようで、友軍部隊も思うように攻撃出来ない模様!!」
何だって――!?今度は僕らが驚いて絶句する番だった。それは僕ら戦闘機乗りにとって、最も恐れている事態、即ち帰るべき場所がないことを意味した。そして、僕はレサス軍部隊の意図に何となくだけど気が付いた。僕らがスタンドキャニオンに出撃して、結果的に手薄になった重要拠点パターソンをレサスは再奪還すべく攻撃を開始したのだ。恐らくその機会を狙って何日も待機していたに違いない。でもどうすればいい!?既に手持ちの弾薬も、そして燃料だって残り少なくなっている。プナ・ベースまで戻れないことは無いが、レサス軍はその辺りも計算しているはず。ここまでなのか――。さっきまでの勝利の余韻はどこかへと吹き飛ばされ、代わりに絶望が心を塗り潰し始める。それはファクト少尉やマクレーン中尉たちも同じだったようだ。ここまで来て、僕らにはやはり敗北が与えられるというのか。きっとバーグマン隊長たちは、僕らのために必死の抵抗を続けているに違いない。でもその僕らが何の役にも立たないのでは……どうしたらいい、どうしたら!?同じことを何度も僕は心の中で叫び続けていたが、名案が浮かんでくることは決してなかった。実際には大した時間が経っていないにもかかわらず、異様に長い時間が流れたように感じられ、僕らの身体には疲労が圧し掛かり、戦意すらも奪いとっていくかのようだった。
「……降伏するか……?」
それはマクレーン中尉の呟きだった。だが万策尽きた僕らには、その提案は魅力的にも思えた。生き長らえるにはそれしかないというなら、もうオーレリアの解放など諦めて、生き続ける道を選んで何が悪い。そもそも大人の始めた戦争に、僕らが振り回され続ける必要なんて――。
「どうか、諦めないで下さい。こちらはカイト隊、グリフィス隊へ。プナ・ベースへの帰還を支援します。時間がありません、急いで!!」
その声は、ここにいる人間の発したものではなかった。無論紅一点のファクト少尉のものでもない。誰だろう?だが、その凛とした女性の声は、僕らの心を蝕もうとした瘴気を一瞬にして振り払っていった。レーダー上に反応はない……いや、微かに何か見える。敵味方不明のIFF反応を発する機影が5つ、僕らに向けて急速接近していたのである。
「敵か味方か……選択肢の余地は無いな。グリフィス1より、カイト隊のお嬢さん。こちらはとにかく弾が無い。申し訳ないが、支援をよろしく頼む。ファクト少尉、ジャス、スコット、プナへ向かうぞ」
「了解!」
「了解やで!!」
僕も了解を返しつつ、本当に友軍なのかどうかの疑問を否定することが出来なかった。でも、先ほどの凛とした声に悪意は全く感じなかった。今は信じるしかないか……消極的肯定を取らざるを得ない僕の頭上を、5つの機影が追い抜いていく。黒をベースに塗装された最新鋭機の群れだ。その先頭を飛ぶ異形の機体が、付いて来いとでも言うように翼を振った。マクレーン中尉がそれに応じて高度を少し上げて続く。所属不明の黒い機体に守られながら、僕らはプナ・ベースへの家路を急ぐ。
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