戦士たちの休息
オーレリア残党軍の戦力は、スタンドキャニオンから救出したディビス隊の合流によって、大幅に強化されることとなった。さらに、自前で野戦飛行場をこっそり建設して再起の日を信じて潜伏していた戦闘機部隊の一隊が合流を果たし、さらにプナ平原に程近い森林地帯で息を潜めていたノシナーラ・ヘリボーン部隊の猛者どもや、公海上に逃れてグレイプニルやレサス軍艦隊の追撃を振り切ったオーレリア海軍の生き残りも合流したことによって、まがりなりにも軍隊としての形を、オーレリアは取り戻しつつあったのである。活気を取り戻し始めたパターソンの街と人々。それに、残党軍の兵士たち。ほんの少し前の絶望的な状況が、よくぞここまでひっくり返ったものだとマクレーンは思った。それもこれも、彼の本来の狙いとは全く異なる要素によって、激しい化学反応が発生したのだ。――ジャスティンめ。パターソンの街の一角にあるバーでウィスキーグラスを傾けながら、マクレーンは笑う。あのはねっかえりのおかげで、予定通りなら既に別の国にあるはずが、今やオーレリア航空部隊の指揮官役におさまってしまった。その現実が、彼の心に影を落とす。ヴァネッサやスコット、ジャスティンら直接指揮下の部下たち、そして残党軍の仲間たちと共にありたいと願う心。最初の予定通り、国家間のくだらない争いという次元を超えた大義のために生きたいと願う心。オーレリアごときがどうなろうと、マクレーンにとっては大した問題ではなかった。祖国と軍隊は、彼を長年裏切り続けてきたのだ。今更そこに未練は無い。だが、自身が鍛え、自らの力で羽ばたき始めたヒヨコたちを見捨てて自分だけが歩き出すほどの覚悟も決意も、マクレーンは持っていなかった。だから、彼の立つ場所は極めて不安定な状態となる。あの男なら、きっと笑い飛ばすに違いない。大義の前に、そんな迷いは女々しいぞ、と――。

「なかなか趣味の良い店があるじゃないか」
今最も聞きたくない男の声にマクレーンは振り返ることなく、グラスを一気に呷る。苦笑しながら上着を脱いだ男が、カウンターに居座るマクレーンの隣に悠然と腰を下ろす。
「今日はまた、随分とご機嫌斜めじゃないか。戦友がわざわざ遠路はるばる出向いているというのに」
「誰が戦友だ、誰が。こっちのいない間に仕掛けやがって。おまけにレイヴンの連中まで加勢に加わって、完全に裏目に出ているんじゃないのか!?」
「結果として取り戻したんだからいいだろう?こちらとしても、最高の戦闘データを得られたから結果オーライだ。そんなに猛るなよ、酒が不味くなるぜ」
「お前の顔を見なければ不味くはならなかったさ」
「なら、何で来ているんだ、お前は?何故俺に協力している?お前だって分かっているはずだ。レサスとオーレリアの戦争には何の価値もないことぐらい。そんな馬鹿げた戦いを引き起こしている世界を更正する大義を理解しているからこそ、お前はここに来てくれている。そうじゃないのか?」
痛いところを突かれたマクレーンは沈黙する。全く、ルシエンテスの奴はどうしてこうもこっちの弱点を巧みに突く事が出来るのだろう?不愉快に不愉快を重ねられたマクレーンは、無言で空のグラスをカウンターへと置く。新しいグラスに削った丸い氷が投じられ、再び琥珀色の液体が流し込まれていく。その光景だけは心から楽しみながら、マクレーンはグラスの到着を待った。もともとアルコールには法外に強い体質、酒に酔うなんてことはまず無い。だが、今日は浴びるほど呑んでいないと、瘴気に当てられそうな気がしていたのだ。隣に座るルシエンテスも同じ物を注文している。付き合いは長いというのに、未だこいつを見ると寒気を感じる。――そう、喩えるなら、こいつは「蛇」だ。冷たい光をたたえた瞳が、まさにその呼び名に相応しい。そして、こいつに「獲物」として捕らえられた者は一人の例外も無く葬られていく。何だよ、俺は蛇に睨まれた蛙の役割か?冗談じゃねぇ。余計に不機嫌になっていくマクレーンの表情を、ルシエンテスは表面上は無視してグラスを傾ける。
「それにしても、驚いている。南十字星の坊やの戦闘能力、こいつは尋常なものじゃない。あの失敗作をあそこまで乗りこなすだけでも驚きだが、戦闘のセンスもいい。もう一人の坊やも数段落ちるが、それでも普通の水準から比べれば上を行っている。お前ともう一人は言うまでも無し。そこにレイヴンの連中が加わったとなれば、数はともかくとしても強力な航空戦力をオーレリアは有することになるな」
「お前さんの人材リストに名前を連ねられるような、か?」
「その通りだ、マクレーン。私はお前とお前の部下たちをまとめて同志として迎え入れたいと考えている。今はまだその時ではないが、そのための策も考えてある。手間隙かけて育ててきた部下たちを見殺しにしたくないというお前の気持ちも分かるしな……」
マクレーンはグラスを傾けつつ、傍らのルシエンテスを横目で切る。相変わらず、本心を決して見せることの無い男の横顔がそこにある。恐らく、奴にとってはこれは最大の譲歩であり、恩を売っているつもりなのだろう。困ったことに、それはマクレーンにとって魅力的な提案であった。何の躊躇もなく、何の勝ちも無い祖国を見限ってトンズラするつもりが、とんだ計算違いだった。ルシエンテスに言われるまでも無く、訓練生の中でも潜在的能力が抜きんでている二人の若者の成長を見守るのは楽しみであったし、何かと世話を焼いてくれるヴァネッサの好意は祖国に失望しつつあったマクレーンの心を癒してくれた。今の仲間たちを全て連れて行くことは出来ない。でも、少なくともこの三人だけでも見捨てたくは無い――。
「具体的な時期は未定だが、こんな作戦を考えている。これならばレイヴンの連中に感づかれることも無いだろうさ」
陰謀の詳細を紐解き始めたルシエンテスの言葉を、マクレーンは否定することが出来ない。複雑に絡み合った打算と思い。それがマクレーンの足を絡め取る鎖であり、その鎖をルシエンテスは握っている。逃れられない深みにはまって、マクレーンの心の中に、より一層深く黒い染みが広がっていった。
パターソン航空基地の格納庫群は、もともとオーレリア空軍が使用していた施設にレサスが手を入れただけあって、設備も充分に整っていた。中でも、複雑な計算やらシミュレーションを行うことが出来る大型の電算機室が無傷で手に入ったことは、電子整備担当の整備兵にとって朗報であり、そしてXR-45Sの守護神を自任するフレデリカ・デル・モナコは、愛する機体の様々なシミュレーションを行う場として、早くも窓側の一室を占拠した一人であった。窓からはXR-45Sが収められている格納庫を見下ろすことが出来、機体が外に出されて点検されているときなどはその勇姿を存分に堪能出来る……というわけである。そして、冷房が常に全開で効いているこの空間は、整備兵たちのいつしか休憩所と化し、部屋の片隅には冷蔵庫や冷凍庫に加えて、電子レンジなどの調理器具まで並んでいる始末だった。誰が貼り付けたのか、「休憩時の食事について」と題されたレジュメが一枚。それに従ってきちんと片付けをしている整備兵たちの姿は、どことなく微笑ましいものだとデル・モナコは考えている。もっとも、彼らが羽を伸ばしていられるのには条件がある。今日はその条件が満たされていないため、電算機室は本来の姿に立ち戻っていた。
「全く、別に休憩時間に涼んどるんなら文句は言わんというのに……」
その元凶たるサバティーニの姿を見て、デル・モナコは苦笑せざるを得ない。きっと整備兵たちにしてみれば、サバティーニの拳骨と怒鳴り声の方が冷房よりも良く効く冷却装置であるに違いない。窓の外は今日も真夏の陽射しが降り注ぎ、XR-45Sの白い身体が光を幾重にも重ねて反射させている。その足元で、ジャスティンが念入りにワックスがけをしているかと思えば、その背後でスコットがスキップを踏んでいる。あまりに妙な組み合わせに、たまらずデル・モナコは失笑した。
「どうしたんです、彼?」
「ああ、スコットじゃろ。奴だけじゃないが、機体を新調したんじゃよ。何しろガタのきとったF-16Cを何とか飛ばしてきたわけじゃからのぉ。とはいえ、マクレーン中尉やヴァネッサ嬢ちゃんとは違って経験も足らんからの。同系列のF-2Aが適当というわけで、あの有様じゃ」
「なら、こっちもバージョンアップといきませんとね」
デル・モナコは素早く端末を操作し、ディスプレイにXR-45Sの戦闘記録データを展開する。機体に設置されているGPSレコーダー等のデータを集計することにより、この機体は飛行状態を3次元CGでリプレイ出来るようになっているのだ。いくつかのデータの中から、つい先日の奪還戦を選択して、デル・モナコはエンターキーを軽く叩いた。表示されている画面が切り替わり、XR-45Sの3次元CGモデルが映し出される。実際の飛行データから導き出される様々なデータグラフと合わせて、サバティーニとデル・モナコはしばらくの間無言で画面に見入った。

どれくらいの時間が経っただろう。どちらかの吐き出したため息が、沈黙を破るきっかけとなる。
「……天性と言うべきか、才能というべきか。ジャス坊の奴、将来が恐ろしいわい」
「極めてピーキーなXR-45Sなのに、制御不能のギリギリのラインで、無意識に操っている。これは彼の素晴らしい才能ですわ。素人の綱渡りではないことが、改めて実証された、というわけですね」
デル・モナコの言葉を裏付けるように、画面上のデータグラフには制御不能を示すレッドゾーンギリギリで機体を振り回していたジャスティンの履歴が記されている。マクレーンも、そしてホラントでも手を焼いていた"じゃじゃ馬"の所以は、まさにその殺人的な機動性能にあり、その危険性を充分に察知していたからこそ、マクレーンはこの機体への搭乗を渋ったに違いない。初搭乗でゲロったトラウマも勿論あるだろうが。まあ、ワシの判断は正しかったということだな、とサバティーニはひとりごちして頷いた。そう、今やグリフィス隊はオーレリア残党軍の航空戦力の中核となっていた。そして、そのきっかけを作ったのが他ならぬジャスティンであり、その後の戦いでもレサス軍に甚大な損害を与え続けている。本人にとってはどうやら本意ではないようだが、政策上、戦略上彼の渾名は重要な意味を持つ。今や「南十字星」の名前は、オーレリアの将士たちの士気を高めるうえで欠かせぬものとなっているのだ。先日のパターソン防衛戦においても、バーグマン隊の面々が奮迅したのは、"持ち堪えれば必ず南十字星たちが戻ってくる"という期待があったからであり、もし増援が決して得られない戦況ならどうなっていたか、今更言うまでもないのだ。
「時にフレデリカ嬢ちゃん、あの機体、あれでどの程度の完成度なんじゃ?」
ディスプレイから視線を外したデル・モナコは、眼鏡を額に上げてしばらく考え込む。少しして、彼女は口の中でブツブツと何かを呟いて、別のウィンドウを開いてキーボードを叩き始めた。そこに表示されたのは、また別の3次元CGモデル。
「――これはあくまでバリエーションの一つですが、元々私の所属していたセクションでは最終的にここまで持っていこうとしていました。これを完成形とするならば、現状は4割弱といったところでしょうか。兵装も仮の物ですし、万能型とはいいながらも対空戦闘重視になっていることは否めないですからね」
「こりゃまたごっつい代物じゃのぅ。フォルドの奴が見たら大喜びじゃ」
視線を窓の外へと転じたサバティーニの口元に、愉快そうな笑みが浮かぶ。つられてデル・モナコも目の前の格納庫へと視線を向ける。相変わらずジャスティンが熱心にワックスがけに専念しているが、その背後では知られざる変化が起きていた。新たな機体を入手して喜びの余りに踊っていたスコットはぴくりとも身動きせずに、遠目には大柄な男にも見える人物の肩に担がれている。どうやら完全に落とされているらしく、大股で歩いていくカイト隊隊長のフェリス・グランディスが一歩を踏み出すたびに、だらしなく下がった両腕がぶらりぶらりと揺れている。
「どうしたんです、彼?」
「さすがにワシにも分からんわい。ま、気に入られたということなのだろうが……。お、フレデリカ嬢ちゃん、これはこれで面白い物が見られそうじゃよ」
「……何だかパパラッチみたいですね、私たち」
ジャスティンに近づいていく人影。海からのそよ風に、太陽の光を反射する金髪が揺れていた。

背後で騒ぎ立てる声が聞こえなくなったおかげで、僕はようやく愛機のワックスがけに専念することが出来た。何しろスコットの奴と来たら、見たら思わず大笑いしそうな足取りで"おニューの機体"を連呼しているのだから。何を言っても無駄そうだったので放っておいたのだが、ようやく諦めてくれたらしい。海からの涼しいそよ風が、暑さで蒸した身体に心地がいい。幸い、あれだけの激戦を経験しながらも、被弾の形跡は全くない。白い機体が、太陽の光を反射して輝いて見える。成り行きとはいえ、これ程の機体に搭乗出来ることは、望外の喜びであることは間違いない。行く先が戦場であることを除けば、だが。そう、僕があの機体に乗る度に、僕の手は血塗られていく。空を自由に舞う代償が誰かの命を奪うことなのだとしたら、その悪循環は僕自身が血を流すときまで終わらないのだろう。そんなことを考えていると、折角のそよ風がとても寒く感じられてきた。いかんいかん、こんなんじゃ。
「悪い、そこの脚立取って欲しいんだけど」
背中に感じた人の気配を、僕はスコットのものだと信じきっていた。どうせ暇なんだからそれぐらい使ってやれ、という気分だったのだ。邪気払いのついでに。ところが、聞こえたきた声は、あの凛とした声だった。
「これでいいのかしら?」
慌てて立ち上がろうとした僕は、背の低いXR-45Sの機体にしたたかに頭を打ち付けた。ゴン、という盛大な鈍い音が響き、何人かの整備士が笑いながら顔を背けるのが見えた。そして目の前のスコットではない人物――この間の戦いで、僕の背中を守り続けてくれたカイト隊の3番機のパイロットが、やはり笑い出すのを何とか堪えているという表情で立っている。痛む頭を擦りながら立ち上がって敬礼を施すと、彼女もまた敬礼を返してくれた。全く、この間といい今日といい、僕は上官に対して失言の連発を為している。思ったよりも小柄な――それでも僕より背は高いが――カイト3は、スコットに言わせると「ナイスバディ!」ということになるらしいが、確かに魅力的だと僕も思う。そよ風に吹かれたポニーテールの金髪がゆっくりと風を受けて流れている。あ、綺麗だな、と思った途端、顔が赤くなるのを感じて、僕は慌てて言葉を紡ぎだした。いや、吐き出したと言った方が正解か。
「失礼しました!同僚のスコットであるかと勘違いしておりました!ええと……」
「ノヴォトニー少尉です。フィーナ・ラル・ノヴォトニー。ジャスティン、で良かったよね?」
「はい、ジャスティン・ロッソ・ガイオです。階級は……いえ、正規兵でもないのでありません」
にこり、と笑っている姿を見て、僕は内心ほっと胸を撫で下ろしていた。相手は少尉殿。僕は……まだ階級すら無い立場。僕は心の底から相手の寛大さに感謝した。
「……そんなに怖がられると、何だか辛いわ。ね、ここで見ててもいい?」
否定する理由も無いし、多分そんな権限もないだろうと思ったので、改めて礼を言って僕は脚立によじ登って、コクピット側面辺りのワックスがけを継続し始める。とはいえ、下からじっと見られているのでは、何だか集中力が続かない。早くもワックスがムラになっている。デル・モナコ女史の眉間に皺が寄りそうな気がしてきた。ちらり、と背後に視線を飛ばすと、ノヴォトニー少尉が楽しそうに僕と愛機を眺めていた。
「こんな凄い機体を、君は自在に操っているのね。あれ、正規兵じゃ無いってことは……?」
戦士たちの休息 「まだ訓練最中の航空学校生でした。ほんのちょっと前まで。でも、基地のパイロットはいなくなってしまって、そんな時にレサスの襲撃を受けて……。それ以来の相棒ですけど、毎回必死に飛ばしているだけです。気を抜けば、多分僕はこの機体に殺されます」
「そっか、大変だったんだよね……。でも、後ろから見ていて、そんな風には見えなかったけれども」
ワックスがけを諦めた僕は、多分許して貰えるだろう、と思って、それでも結構な勇気を動員して、脚立の上に腰を下ろした。別に怒りに来たわけでもないとようやく理解して、緊張もいくらかはほぐれてきた。それでも、遊び人を自任しているスコットとは異なって、妙齢の女性と面と向かって話しているという環境には、やっぱり緊張を強いられるものであったが。
「……ノヴォトニー少尉は、いえレイヴン艦隊は、どうしてオーレリア側に付いたのでしょうか?確か、国家間紛争でどちらか一方に加勢するようなことは出来ない、と聞いています」
へえ、といった感じで、ノヴォトニー少尉が驚いている。
「まだちゃんと伝えてはいないはずだけど……よく分かったわね。そう、確かに私はレイヴン艦隊の所属。とはいっても、まだここに来て日は浅いけれどもね」
「そりゃ分かりますよ。伝説のラーズグリーズと同じ塗装――それが許されているのは、唯一その後継者たるレイヴンのエースたちだけですよね?」
「詳しいわねー。でも、そんな仰々しいところではないわ。色んなとこから集まってきた各国のエースたちがしのぎを削っている……というのは事実だけど、私の元の所属基地とよく似ているわ。何しろ、ヴァレー基地は未だに傭兵と正規兵の混成部隊だもの。他の国みたいな、いかにも「軍人です」という規格のパイロットはなかなか育たないわ」
「ヴァレー?それって、ウスティオのあのヴァレー基地ですか!?」
その通り、というようにノヴォトニー少尉が頷く。今度は僕が驚く番だった。ヴァレー空軍基地!1995年のベルカ戦争時、ベルカによって国土の大半を占領されたウスティオ共和国の最後の抵抗拠点となった地。そして何より、輝ける英雄「円卓の鬼神」のメインベース。"片羽の妖精"、"マッドブル・ガイア"、その後継者となった"白き狂犬"をはじめとした、ベルカ戦争に名を残したトップエースたちの所属したかの基地は、今でも戦闘機乗りを志したものなら大半が憧れる"聖地"である。その所属だった、ということはノヴォトニー少尉も当然ウスティオ空軍出身ということなのだろう。写真や映像でなら何度も目にしたことがあるヴァレー基地で日々を過ごしていたという少尉殿が、何だかとても羨ましいと思った。僕らの基地と言えば……やっぱりあの昼行灯くらいしか有名人はいない。この差は一体なんだろう。
「そんな凄いところではないわよ。でも、"白き狂犬"シャーウッド大佐なら私も良く知っている。今でも、あの基地の鬼教官として君臨しているわ。段々、今は亡き"マッドブル・ガイア"に良く似てきたと、当時を知る人たちは言うけれど」
「はぁ……羨ましいです。英雄たちの息吹が今でも残っているんですね、ヴァレーは。それに引き換えうちと来たら……」
正規兵未満のパイロット二人。昼行灯という士気の上がるはずも無い渾名の隊長殿。唯一旧グリフィス隊の一員だったファクト少尉を除けば、ある意味不良品の集まりでしかないグリフィス隊。大昔の映画に「独立愚連隊、東へ飛ぶ」なんてのがあったけれど、それを地で行くような僕らだ。近い将来、仮にレサスを追い出すことが出来たとすれば、「勇敢なレイヴン隊の支援を行った」部隊として名が残ることはあったとしても、僕ら自身の名前が残ることは決してあるまい。まして敗北したならば、僕らは戦争を長引かせた極悪人として、それはそれで名を残すのだろう。歴史とは強者の綴るものだから。そのときには、僕もまた、レサスの兵士たちを数多く害した犯罪人として裁かれるに違いない。南十字星なんて呼び名をもらったばっかりに、とんだとばっちりだ。僕だって好きでレサスと戦っているわけじゃない。好きでレサスの兵士たちを殺しているわけじゃない。そうしなければ、僕自身が殺されるから戦っているだけだ。でも、そんな個人的な感傷など、完璧に無視されるに違いない。
「……僕たちは……オーレリアは、本当に勝てるのかな……」
「そんなこと言わないで。大丈夫、だから私たちが来たの。それに、前も言ったでしょ?君はもっと強く飛べるようになる。もっと自信を持って、オーレリアの南十字星!君の背中を見て、勇気付けられた人たちはいっぱいいるんだから」
本当にそうだろうか?ちょっと照れくさそうに笑ったノヴォトニー少尉が、パターソン奪還戦前に初めて見かけた時のようにきびきびとした身のこなしで立ち上がる。どこか暖かい微笑を浮かべた顔を見ていると、不思議なものでちょっとだけ自信が湧いてくる。こちらに手を振って歩き出した彼女の背中で、そよ風に吹かれた金髪が揺れている。やっぱり綺麗な人だな……そんなことを考えながら彼女を見送っていた僕は、背後と周辺から吹き上がる蜃気楼に全然気が付いてもいなかった。

「あ、捕まった。班長、引き摺られてますけど、いいんですか?」
「ま、仕方ないワイ。スコットだけかと思ったら、ジャス坊まで綺麗どこと仲良しと来た。多少のガス抜き相手になってもらわんと、部隊の運営上誠によろしくない。ひがみ男の嫉妬ほど手におえないモンはないからの」
可哀相に、とデル・モナコは格納庫の奥へと引き摺られていったジャスティンに心の底から同情した。もともと男女比率が偏っている残党軍にあって、数少ない女性たちは兵士たちの人気者なのだ。マクレーン中尉や或いはこうして自身と一緒に喜劇を眺めているサバティーニのようなごく少数の例外は別として、誰よりも年少のジャスティンらは格好の「はけ口」だった。持ち前の陽気さを武器に年上であっても声をかけまくっているスコットとは異なり、どちらかと言えば女っ気のないジャスティンだっただけに、男たちの食えない嫉妬も強烈なのだろう。確かにちょっと残念ではある。愛しのXR-45Sをあれほど乗りこなす少年は、研究対象としてもデル・モナコ自身気にならないはずが無い。それを、いきなりやって来た、さらに言えば若い娘に先を越されたような気分であることは間違いないのだから。
「ともかくも、レイヴン艦隊という心強い連中を味方に得たわけじゃ。反攻作戦はこれからじゃよ。それまで、少しの間ぐらい、こんな時間があっても良いじゃろうよ」
デル・モナコも全く同感だった。オーブリーで直面した絶望的な状況から、とにかくもここまで盛り返したのだ。仲間たちも大幅に増え、これからの作戦行動は従来とは異なったものになるだろう。そして、自分たちの誇る南十字星がこれから更に輝きを増すであろうことをデル・モナコは確信していた。
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