空中回廊遮断
静まり返った夜の海。甲板に出ている兵士たちの耳に聞こえてくるのは、極地から吹いてくる冷たい風の風切り音と、複数の艦船の立てる波の音くらいのものだったろう。夜の帳の下りた海上は真っ暗。見えるのは、友軍艦艇の照明と進行方向に見えるガス田が時々吹き上げる炎だけだった。そしてガス田の灯火こそ、彼らの目的地でもあった。レサスによる電撃作戦によって主戦力と母港を失った生き残りのオーレリア艦艇の大半は公海上に避難し、撃沈を逃れていた。そのうち一部は噂のオーレリアの南十字星たちと合流を果たしていたが、それを潔しとしない軍団もあった。夜の海上を進む旧オーレリア第2・第3艦隊の残存軍団もそのうちの一つであり、司令官たちはどこの馬の骨とも分からないような怪しげな不正規部隊によるオーレリア解放を心の底から願っていなかった。その偉業は、正当なる権限を持つオーレリア軍人の手で為されるべきである――作戦開始に当たって、司令官たちはそう演説したものだ。それが兵士の心を打ったかどうかはまた別問題で、渋々命令を受け入れた者たちの多くは、実際には南十字星たちとの共闘を望んでいる。それがまた、司令部の悩みの種でもあったが。だから、彼らは大きな戦果を必要とした。自分たちこそが、解放戦線のリーダーシップを手にするためにも。その土産に相応しい重要目標が、ターミナスの海にいる。レサス軍の切り札、グレイプニルだ。あの化け物の放つSWBMは確かに脅威である。だが、それは空や高地の話。グレイプニルの高度よりも低い位置にあれば、SWBMの攻撃は回避出来ることが判明している。つまり、艦隊戦力ならば容易に仕留められるはずだ――そう、彼らは考えたのである。
「……ターミナス方面に敵影ありません」
「良く探せ。あのデカブツが隠れる場所など、ここにはありはせんのだからな」
相変わらず海原は静まり返っている。だが、そこに混じり始めた異音に最初に気が付いたのは、甲板上の兵士たちだった。波や風よりももっと重々しい、人工的な駆動音がどこからか聞こえてくる。どこから?一頻り周囲を見渡した兵士たちの目は、有り得ない場所に有り得ない物を見出した。星の瞬く黒い空の一角が、まるでレンズを透過したかのように溶け出したのだ。重々しい駆動音が腹に響くようなリズムを刻みながら迫り来る。やがて、空の一角が切り取られ、代わりに巨大な翼が姿を現す。その姿に恐怖しなかった者はほとんどいなかっただろう。
「オープンファイア!何も恐れることは無いぞ、ありったけの弾丸をぶち込んでやれ!!」
そう指示した指揮官が、実は最も肝を冷やしていたに違いない。洋上艦艇から放たれる火線が空に姿を現したグレイプニルに殺到する。だが、機関砲弾程度でぶち破れるような軟弱な装甲であるはずもなく、無数の火花が胴体で瞬くものの、大した損害を与えていないのは明らかだった。充分な距離を確保できれば主砲弾による攻撃も可能だったろうが、ほぼ真上に到来した敵に対しては使えない。だが有効打を与えられないのはグレイプニルも同じ、勝機はこちらにあり!司令官たちは悪魔の翼の首を取ることを既定のものとしていた。やがて、艦隊の真上にグレイプニルが進んでくる。ちょうど機体の腹の辺り、突き出るようにした丸い構造物があることを、多くの兵士たちが目撃した。何だ、あれは?喩えるなら、腹に突き出たデベソ。その中央部が、青い光を放ち始める。急速に輝きを増す光の塊。暗い海にオーレリア艦艇の姿が照らし出されたのも僅かな時間。上空から海面へと青い光が突き刺さった。轟音と閃光と衝撃とが、哀れな獲物たちに襲い掛かった。嵐の如き衝撃波は容赦なく艦艇を引き裂き、切り裂き、粉砕した。ズタズタに引き裂かれた構造物の中で、無数の兵士たちが生きたまま弾け飛んだ。僅か一撃で艦隊兵力の半分以上が轟沈し、生き残った艦艇の半分も損害を受けて炎に包まれていた。奇跡的に生き残った艦艇たちも、最早パニックに陥り作戦行動を継続出来るはずも無かった。再び青い光が膨れ上がる光景を、生き残りの兵士たちは絶望的な眼差しで見上げる。こんなはずじゃなかったのに――誰の胸にも去来した後悔を、再び襲ってきた衝撃波が吹き飛ばしていった。
オーレリア第2・第3艦隊壊滅――。パターソン再奪還の喜びに浸っていた僕らにとって、それは久々に聞くバッドニュースだった。そして交通の要衝サンタエルバ奪還に向けた矢先の訃報。それもどうやら、少なくともパターソンに集結しつつある不正規部隊の作戦とは関係ないスタンド・プレーの結果の大損害に、僕らと合流を果たしている第1艦隊のセルバンテス・ハイレディン提督などは怒り心頭であるようだ。サバティーニ班長やマクレーン中尉も憤慨しているが、それは夜襲でグレイプニルの戦闘力を奪う作戦がふいになったことを嘆いているのだった。まったく、現状でさえレサス軍の戦力の方が僕らを上回っているというのに、少ない味方同士が対立してどうするのだろう?もしかしたら、この期に及んでそんなうわべだけ、見栄ばっかりの対立にパワーを注ぎ込もうとする軍人の存在が、レサスに大敗北を喫した最大の原因なのかもしれない。とはいえ、僕らも作戦行動を止めるわけにはいかない。偵察に出ていたクラックスたちから敵輸送機群発見の一報が届けられる。彼らは、まだオーレリアの空がレサスのものであることを誇示するかのように、こちらの勢力圏内を通過していた。「少し教訓を奴らに教えてやるか」と珍しくマクレーン中尉が積極的に出撃を提案し、僕らグリフィス隊が襲撃に向かうこととなる。残念ながら、カイト隊と混成艦隊はターミナス島での作戦行動に出撃することが決定していて、今日は心強いバックアップを僕は得られない。

「やったる。ワイはやったる……」
ブツブツといつもの陽気さがどこかに消えて、スコットが何事かを呟き続けている。あれほど喜んでいた新型機に乗り込んでいるというのに、表情は暗いまま。ノリも落ち込んだまま。僕はといえば、格納庫に「拉致」されたときの整備兵たちの歓迎の名残で、何となく頭がまだ痛む。グリフィス隊の編成も随分と様変わりしている。F-2Aに乗り換えたスコット、そしてマクレーン中尉とファクト少尉は、「艦載機に使用出来ないから」という理由でシルメリィ艦隊から譲り受けたユーロファイター・タイフーンに今回から乗り込んでいる。今日の戦いは、新型機での実戦訓練という意味合いもあるのかもしれない。僕は無論XR-45S。少し違和感を感じるのは、コクピットのディスプレイが一部更新され、スイッチ類の場所が変更されたせいだ。パターソンがオーレリアの勢力下に戻ったことで、これまでは出来なかった大改修に向けた準備をデル・モナコ女史が進めているらしく、僕の受難は当分続きそうな気配だ。
「クラックスよりグリフィス4、どうしたんだい、スコットは?」
「ジャスティンよりクラックス、直接聞いてくれ」
「グリフィス3よりクラックス、どうもね、特訓のせいみたいよ。カイト隊の隊長にみっちりと数時間、シミュレーターでの実戦訓練に付き合わされてからあんな感じらしいわ」
「……嫌や。筋肉達磨は嫌や……」
「――クラックスより、スコット。ご愁傷様」
やや雲が厚くなってきた。僕らは高度を上げて雲の上へと針路を取る。白一色の風景がやがて一変し、広大な青空、そして足元には広大な雲海が広がっていく。……本当に綺麗な光景だ。僕はしばらく、キャノピーの外に広がる景色に目を奪われていた。そんな空に白い筋を刻みつけながら、4機の戦闘機が舞う。
「クラックスよりグリフィス隊、敵輸送部隊は針路を変えずサンタエルバを目指しています。詳細は分かりませんが、戦力を強化するための輸送作戦であることは間違いありません。よって、部隊の殲滅が必要です」
レーダーを広範囲モードへと切り替える。僕らの進行方向に、敵部隊を示す光点が映し出されている。輸送機の群れに混じって、当然のように護衛機の姿も見える。彼らの向かう先には、言うまでも無くサンタエルバの街が広がる。そして、ターミナス島を後にしたグレイプニルもそこにいるだろう。つまり、サンタエルバを取り戻すためには、あの化け物と僕らは戦わなくてはならないということだ。何だか、いつまで経っても僕らの戦いは楽にならない。一つ強敵を倒せば、新たな強敵が出現する。おまけにレサス軍の中核に近づくに連れて、敵戦力もより強力になってくる。まるで僕らは軍事演習の格好のモルモットみたいだ。事実、デル・モナコ女史の場合は、XR-45Sの貴重な実戦データを得ているのだから。やれやれ、集中出来てないな。僕は何度か首を振って、意識を集中させようと試みた。敵との彼我距離は縮まっていく。輸送機と戦闘機、当然のことながら速度が全く異なる。大きく迂回するコースに僕らは乗り、敵輸送機隊の後方へと回りこんでいく。
「……何でこんなにいやがる?」
「グリフィス3より1、いくら何でも多過ぎる」
そうは言っても、見逃すわけにはいかない。輸送機相手に無駄弾を撃たないように、それぞれの攻撃目標を定めてレーダーロック。鈍重な輸送機が戦闘機のような回避機動をとるわけもなく、それほど待たずに目標を捕捉する。ロックオンを確認して僕らはそれぞれトリガーを引いた。空を貫く4本の矢は、それぞれ過たず獲物の背中へと突き刺さった。膨れ上がる爆発の衝撃とエネルギーが輸送機を内部から引き裂き、弾け飛んだ機体の残骸を飛び散らせながら炎と煙の中へと没していく。高度を低く取っていた機体も含めて、初弾は全弾命中。続いて少し前方の別部隊へ。さすがに僕らを自由に泳がせておくつもりは敵にもないらしく、護衛機の群れが僕らの後方から接近。グリフィス2・3を輸送機攻撃に向かわせて、グリフィス1に付いて僕はインメルマルターン。高度をさらに上げて接近する敵戦闘機部隊に相対する。これまでのF-16Cではなく、タイフーンの後姿には少し違和感を感じなくも無い。だが、普段の言動がどうであれ、マクレーン中尉は実戦経験豊富なエース。機動性に優れた機体を既に手の内にして、機敏な動きを見せる。僕らの基地では初めて見るデルタ翼も、違和感を感じた理由かもしれない。ヘッドトゥヘッドで接近する護衛機は3機。こちらが敵機を捉えるよりも早く、コクピットに警報が鳴る。射程の長いミサイルを敵さんは装備してきたようだ。舌打ちしつつ、敵の攻撃軸線から離脱。緩やかにロールをさせながら交錯する。轟音と衝撃と共に後方へと通り過ぎる敵機。無論その先にはスコットたちがいる。グリフィス1、右急旋回。僕は左方向へと急旋回。垂直に切り立った雲と青空の境界線を眺めながら、通過した敵部隊の後背へと襲いかかる。
「クラックスよりグリフィス隊、敵輸送機部隊の新手が戦域に侵入しました。相変わらず、機影多数。――輸送機の中に、高度を下げている奴がいませんか?もしかしたら、それが本命で後は囮かもしれません」
「グリフィス2よりクラックス、それビンゴかもしれんで」
僕らの追撃に気が付いた敵編隊、二手に分かれてブレーク。上空へと逃れていく1機をタイフーンが轟然と加速して追う。目標の殲滅に成功したスコットたちが新手を目指して旋回。その背後に回りこむように針路を取る敵機の只中に、僕は猛然と吶喊した。スロットルレバーを奥へと押し込むと、エンジンが甲高い咆哮をあげてXR-45Sの機体を加速させる。シートに張り付けられるようなGが身体に圧し掛かる。点から戦闘機の形へと膨れ上がる敵の姿をはっきりと目に捉えつつ、至近距離を通過して急旋回。鼻先を掠められた敵機が慌てて反対方向へと急旋回するのを頭上に捉え、今度こそ攻撃コースに機体を乗せていく。JA37のデルタ翼が右へ左へと機体を傾けながら、こちらの追撃を振り切ろうとする。その後背にぐいと近づいて、すれ違いざまに機関砲弾を叩き込みつつ、一気に加速して追い抜く。手応え有り。敵の射程範囲から逃れたところで振り返ると、炎と黒煙を吹き出しながら漂流する敵機のキャノピーが跳ね上がるところだった。まずは1機!上空で炎が膨れ上がったのは、マクレーン中尉が目標を仕留めた証だった。レーダーに視線を飛ばして素早く敵の位置を把握する。輸送隊第二波攻撃に向かったスコットたちが、敵護衛戦闘機隊と交戦中。JA37が1機、僕の右方向から急接近中。機体を真っ逆さまにしてパワーダイブ。直後、空間を切り裂くようにして機関砲弾が空を貫く。雲の中へと突っ込みつつ、上空を通過した敵機の姿を追う。機首を跳ね上げて上昇へ転じ、一気に敵機の上へと抜ける。機体をロールさせて捻りこみ、その後姿を照準内に捉える。
「畜生、南十字星だ!振り切れない!!」
敵パイロットの悲鳴が終わるよりも早く、僕はトリガーを引いていた。命中した機関砲弾がJA37の機体後部に穴を穿ち、引き千切られた破片が吹き飛ぶ。キャノピーが飛んでパイロットがベイルアウト。巻き込まないように針路を変えて追い抜き、首をめぐらせて戦況を確認する。これで護衛部隊の一波は片付いたが、第二波の護衛機は数も多く、スコットたちは足止めされている。その間に輸送機はサンタエルバへ向けて確実に進んでいく。
「ジャス、輸送機の前へ回り込め!」
「了解!!」
珍しく鋭い指示を出したマクレーン中尉に応じて、僕は素早く機体を加速させた。幸い、追いすがる敵は無し。グリフィス1、スコットたちに加勢して敵戦闘機部隊の群れの中へと飛び込んでいく。再び雲の中へと飛び込んで姿を隠す。視界が白一色に塗り潰される。空間識失調症だけは引き起こさないように意識を集中し、HUDの高度計、敵との彼我距離をいちいち読み上げながら自分の位置を把握する。敵輸送機部隊は4機程度で編隊を組みながら飛行しているが、ユジーンが指摘したようにそのうちの1つは高度を低く取りながら飛行している。さらに言うなれば、速度も抑えられている。それ程重い物を搭載しているのだろうか?おかげで、僕は容易に敵の真正面へと回りこむことが出来る。敵編隊を右方向から追い抜いて充分な距離を確保したことを確認し、ふう、と僕は息を吐き出した。前方を睨み付け操縦桿を引き、スロットルレバーをぐいと押し込む。雲海の中から一気に飛び出した僕は、真正面に敵輸送機編隊を捉えてレーダーロック。コクピットの中に快い電子音が鳴り響くのを確認して、トリガーを引く。翼から解き放たれたミサイルが、真っ白な排気煙を吹き出しながら空を駆ける。真正面に現れた敵の姿に慌てた輸送機たちの群れが編隊を崩す。回避機動を取り始めた敵機の鼻先に、こちらの放ったミサイルが炸裂する。コクピットを含む機首を吹き飛ばされた輸送機がコントロールを失い、黒煙を吹き出しながら降下していく。さらにもう1機へと肉迫した僕は、敵機照準内にはっきりと敵の姿を捉えてガンアタックを仕掛けた。左主翼付け根付近に集中した命中弾は、胴体と主翼の接合部分に大穴を穿つ。エンジンの重みと風圧とに耐えられなくなった左主翼が燃料を撒き散らしながら千切れ、バランスを失った輸送機がきりもみ状態に陥って空から突き落とされていく。

僕が襲撃した一団の後方でも、別の火球が膨れ上がる。護衛機の群れから抜け出したスコットが輸送機たちの後背に襲い掛かっていたのだ。
「くそったれ、護衛部隊は何をやっている!?」
「"お姫様"だけは何としても死守しろ!落とされるわけにはいかんのだからな!」
「無茶言うな!護衛が無いなら俺たちゃ格好の的なんだぞ!!」
何を積み込んでいるのかは分からない。ただ、ここで落としておいた方が、僕らの明日の戦いが楽になるはず――!別の輸送機にミサイルを撃ち込みつつ、スコットを追ってきた敵の小型戦闘機に狙いを定める。最初F-5Eと思った機体は、全く別の代物だった。機敏な動きを見せるX-29A。スコットのF-2A、バレルロール、回避機動。右方向へのローリングから急旋回、敵機の追撃を逃れていく。なおも追撃しようとする敵の姿を捕捉して、ミサイル発射!その刹那、敵機、アフターバーナーを焚きつつ急上昇。ミサイルが獲物の姿を見失って直進し、上昇する敵機が僕の頭上を通り過ぎていく。僕は操縦桿を勢い良く手前へと引く。空気と重量の抵抗を感じさせない素早さでスナップアップ。一瞬視界が曇りかける。こちらも敵を追って垂直上昇。重力を振り切ってXR-45Sの翼が大きく羽ばたく。軽量を活かした機動で敵機は高空で水平に戻していく。コクピット内にレーダー照射警報の「ジジ……ジジジ」という音が聞こえてくる。上空へと舞い上がる僕を追って、別の敵機が後背に喰らい付いている。
「ジャス、後ろに敵機!真後ろや!支援するで!」
「助かる!任せた、スコット!!」
大空に白い排気煙を刻んでいく鬼ごっこ。敵の後背を取るために刻まれる複雑なループ。地上から見上げると、もしかしたら幻想的な光景なのかもしれない。でも当事者たる僕らは必死だ。右へ、左へ、大空を切り裂くように逃げ回る敵機に付いていくのは大変だ。ある程度敵の意図を先読みしていかない限り、あっさり振り切られるのがオチ。しかも後ろには隙あらば牙を突き立てんとする敵機がいる。敵に余裕があれば、先行する1機が速度を殺して僕の足を鈍らせ、後方の1機に攻撃を任せるという手が使えたに違いない。もしそうされていたら、僕は追撃を諦めて仕切り直しに出るところだ。その点、幸いにも敵機は連携を欠いていた。振り切れないことに焦れたのか、前方の敵機が急減速。はっきりと見えたわけじゃない。でも、僕はX-29Aのエアブレーキが開く瞬間を察知した。照準レティクルの中に敵機を捉えた刹那、機関砲弾を叩き込んですぐさまローリング。火花が爆ぜ、黒煙を吹き出した敵機の姿が目前へと肉迫する。冷や汗が背中を流れ落ちる。敵機が吐き出した黒煙を風圧で吹き飛ばしながら至近距離を抜けることに成功し、ちょっとだけ僕は安堵のため息を吐き出した。運が悪かったのは、射程距離ギリギリで僕を追っかけていたもう一方の敵機だった。速度が上がった状態のまま追撃していた後方の敵機は、機体をロールさせて下方へと逃げた僕の機動の意味を見抜けなかったのだろう。むしろ上を抑えたことに歓喜したのだろうか?一足早く気が付いたスコットはそれよりも早く右方向へ緩旋回。蜂の巣になった敵機から距離を取る。一瞬だけ鳴り響いたロックオン警報は、その一瞬だけで沈黙した。巨大な火球が空に膨れ上がる。自らの機首で友軍機の胴体を引き裂いた敵機は、その代償として爆発の中へと巻き込まれていった。
「これって、俺の撃墜スコアにはならへんよなぁ?」
「今日は輸送機で稼いでいるんだからいいだろ?カイト・リーダーも誉めてくれるさ」
「嫌や。たまには俺にも活躍させぇ」
旋回した先を飛行していた輸送機に機関砲弾を叩きつけつつ、スコットは護衛戦闘機の生き残りに矛先を向ける。僕も、護衛戦闘機との戦闘の隙に離脱しようとしていた輸送機の片割れを捕捉し、ミサイルを撃ち込んでいく。
「隊長、右方向から敵戦闘機2!かわして!!」
「分かってる。たまにはいいところ見せないと、若い奴らに馬鹿にされるからな」
マクレーン中尉とファクト少尉が見事な連携で敵機を葬っていく。新しい機体を得たせいか、それとも気まぐれな天使が隊長にやる気を与えたのか、今日の隊長はいつになく積極的にも見える。右方向から浴びせられる攻撃を回避しつつ、敵機が通り過ぎるよりも早く針路変更、その後背へと素早く食い付いていく機動は見事だった。1機がたちまち火の玉と化し、必死に逃げ惑うもう一方は、マクレーン中尉だけでなくファクト少尉からも狙われる羽目となる。文字通り必死に逃げ回る敵機だったが、逃げきれるはずも無かった。
「冗談じゃねぇ、南十字星以外もこんなに使うなんて話、聞いてないぞ!ナバロの野郎、俺たちを当て馬にでもするつもりか!!」
「サンタエルバ・コントロール聞こえるか!?敵だ、南十字星の化け物たちにやられてこちらは全滅寸前だ。早く増援をよこせ!!」
空が一瞬明るく光り、ミサイルの直撃を被った敵機が破片をばら撒きながら炎と煙に包まれていく。輸送機も含めれば相当数の光点がレーダー上を満たしていた空は、随分と風通しが良くなってきていた。そして、僕らの機体も随分と身軽になっている。そりゃそうだ。これだけの敵を相手にしていれば、弾薬も燃料も無くなっていく。レサスにしてみれば物量で押し切るつもりだったのかもしれないが、彼らが被った損害は甚大と言って良いだろう。多くの機体、多くの搭乗要員、多くの物資、そしてグレイプニルに対する支援物資――それらを「軽微」な損害と言って捨てるのなら、僕はレサス軍の上層部を決して認めることが出来ないと思う。……早く撤退してくれ。そう心の中で呟きながら、なおも抵抗を続ける敵機へと僕は針路を取った。

――すごいものだ。敵護衛戦闘機の数は、自分たちよりも多かった。それにもかかわらず、まるで手玉に取るようにして隊長機が空を舞っていた。そして、自身よりも飛行経験は遥かに少ないはずのジャスティンも、暴れ馬とも評されたXR-45Sを自在に操り、敵を翻弄していく。これが、本当の意味でのエースと凡人の違いなのだろうか?珍しく本領を発揮してみせた隊長機の姿を前方に見ながら、ヴァネッサ・ファクトはため息を吐き出した。"バトルアクス"マクレーン。空を目指した頃、その名はオーレリアの空に知れ渡っていた。オーブリー基地で、そんなトップエースと共に飛べることをどれほど喜んだことだろう。だが、出る杭は打たれる。マクレーンの異能は、平和慣れした軍部の上層部から忌避され、そんな現状に絶望した男の姿は、期待していたものとは全く違うものになってしまっていた。昼行灯と呼ばれることを表面上聞き流している男が、実はその度に傷付いていることをファクトは知っている。誰もいない食堂で独り、ウィスキーを紙コップで傾けているマクレーンを目撃したのは、オーブリー基地に配属されて半年ほど過ぎた冬のある日のこと。普段見せることのないような嬉しそうな笑いを浮かべながら男がめくっていたのは、彼の教え子たちの訓練記録だったのだ。事実、言動はともかくとして、彼はパイロットとして必要な技術と信念を生徒たちに教えようとしていた。生徒たちがそれを素直に受け入れるかどうかは別問題ではあったが。彼は、マクレーンは、純粋に飛ぶことを愛し、教え子たちの成長を喜んでいたのである。たとえ、謂れのない中傷に傷つき、その翼をもがれかけても。
いつからだろう?空の英雄への憧れが、この男本来の姿を取り戻させたいという思いに転化していったのは?斜に構えた言動から透けて見える、不器用な優しさは、ファクトにとって心地良いものだった。確かに、過去の英雄はもういないかもしれない。でも、新たな英雄として羽ばたくことは出来る。いつしか、ファクトはマクレーンの再生を願うようになる。敢えて辛く当たったり蹴飛ばしたり怒鳴ったり。だいぶ距離は縮まったと思う反面、拭い難い闇の深さに気が付かされる日々。そしてレサスによる侵攻、そして反攻作戦の始まり。自らの教え子であるジャスティンやスコットと共に飛ぶようになってから、随分変わった来たと思う反面、時折見え隠れする陰の部分も強くなったとファクトは感じていた。特に、今日のように妙に積極的だったり明るい時ほど、その落差を感じてならないのである。でも、レイヴン艦隊の面々がやって来たとき、マクレーンは物凄く険しい表情で彼らを睨み付けていた。何かを知っている。何かを隠している。それは、ファクトの心の中で確信へと変わり始めていた。
"――全部、話してくれればいいのに"
ついにレサス軍輸送部隊の大半を壊滅せしめ、勝利を確定的なものにした後も、ファクトは素直に喜べずにいた。何か悪いことが自分たちの身に降りかかるのではないか?思い過ごしであればいい。そう納得したい自分と納得出来ない理性との狭間で、ファクトは独り、目前の近くて遠い隊長機の姿を捉え続けていた。
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