サンタエルバの墓標
薄暗い建物のいくつかの部屋から発される嬌声と悲鳴とが、廊下に木霊して響き渡っている。士官服を羽織り直した男は酷薄な笑みを浮かべながら、手錠で繋がれたままの"獲物"の肢体を愛でつつ、扉を閉めた。今頃オーレリアの兵士も愚民どもも、譲られた勝利に酔いしれているのだろうか?ばかばかしい、と男は吐き捨てた。誰も彼も、司令官閣下の本意が分かっていない。この戦争の大義名分は復讐にある。レサスは正義だ。オーレリアの人民には、どんな鉄槌が下されようとも、それを甘んじて受け入れる役目しか有り得ないのだ――彼は救い難い事にそう信じていたのである。士官服に気が付いた兵士が、下卑た笑いを口元に浮かべつつ敬礼を施す。
「……"作戦"は順調か?」
「はっ!予定通りの進捗であります」
「そうか。では、他の者たちに伝えておいてくれ。本部より命令が下された。司令官のご意志は、サンタエルバの生きる者の抹殺にある。……景気づけだ。忙しくなる前に、充分に精を出しておけ、とな」
「了解しました」
兵士の敬礼に見送られて去る士官服の愉快そうな笑い声が、新たな木霊となって廊下に響く。その笑い声も、多くの絶望的な悲鳴も、厚いコンクリートの壁に遮られ、カラナの大地を通り抜けていく風につたわることはなかった。
解放されたサンタエルバの人々の歓喜は止むところを知らない。市内に凱旋したオーレリア不正規軍の兵士たちは歓喜の坩堝と化した市民に取り囲まれ、狂喜乱舞する人々を宥めるのに一苦労する羽目となった。喧騒は収まるところを知らず、年間消費量に匹敵するかの如く、大量のアルコールと食糧が浪費され続けていたのである。しかしレサス軍の脅威が去ったわけではなく、市民の喧騒を他所に、地上部隊の兵士たちは街北方の防衛線に展開して警戒を強化し始めている。そして航空部隊の整備班は俄かに訪れたイレギュラー業務の山に追われ、再び不眠不休のハードワークを強いられていた。グレイプニルのSWBMの放つ衝撃波によって、作戦機の大半が機体にダメージを負っていたのである。結果、一部の機体を除いて作戦行動への従事は不可能となり、オーレリア不正規軍の解放作戦は停滞を余儀なくされていたのだった。そんな状況下、整備兵たちに指示を飛ばしつつ、自らも工具を握っていたサバティーニは、思わぬ来客を迎えることになった。シルメリィ艦隊司令レスター・アルウォールと整備班長ロイド・ワンズ・ホーランドの二人が、XR-45S専用として割り当てられた格納庫に姿を現したのである。
「何もこんな慌しい時に来んでも。お出しする茶もありませんぞ」
「うちの整備班も似たような状況さ、サバティーニ班長。おまけに傭兵組が無茶をしてくれたおかげで修理にも時間がかかりそうだ。奴ら、乗り気になったら止まらないからな」
「うちの坊主たちも同じじゃよ、ホーランド班長。……まぁ、貴重なデータが取れることに狂喜乱舞している娘もおるがの。お、そうじゃ、アルウォール司令、パターソンからの機材移設ありがとうよ」
パターソンから本拠をサンタエルバに移動するにあたり、デル・モナコとフォルドは格納庫上屋のコンピュータールームの大半の端末を移設させたのである。移設場所を探し回った挙句、暫定の居場所として空母シルメリィの格納庫の一角が割り当てられ、グレイプニルとの戦闘データや他の飛行データ解析のため、デル・モナコは篭りっきりとなっていた。
「それにしても、綺麗な機体じゃないか。うちのADF-01Sとは大違いの優雅さを感じるな」
純白の胴体に手を伸ばしつつ、アルウォールは"南十字星"の愛機を見上げる。10年以上前、空母カノンシードの艦長として戦ったベルカ事変において彼の指揮下にあったエースは、ベルカ残党の切り札たる試作機を拒んだことを思い出して、思わず彼は苦笑を浮かべた。結局、兵器は使う人間、使う陣営によってそのイメージが正反対になるということだろうか。今でこそグランディスの愛機となっているADF-01Sですら、当時のアルウォールの部下たちからは忌避されたのだ。そして、レサス軍から見れば、ジャスティンの操るXR-45Sはまさに「凶星」――忌避すべき悪魔であることは違いない。
「サバティーニ班長が羨ましい。こういう機体は、こんな歳になっても触ってみたくなるからねぇ」
「何を言っておるんじゃ。伝説の「円卓の鬼神」の目撃者というだけでも羨ましいのに、その娘の愛機を触れるのじゃろう?それこそ羨ましい限りじゃわい」
「お互い幸せ者ということですかな」
「……確かにのぅ」
同じ立場、同じ仕事、年齢もほとんど同じ者同士、自然と息が合うのだろうか。サバティーニとホーランドの話が弾む。「円卓の鬼神」には、結局アルウォール自身も面識はない。だが、あの日、あの空にはラーズグリーズに導かれるかのように、彼もまた現れたのだ。彼のホームグラウンドとでも言うべき「円卓」を通過しようとした残党ベルカ軍の航空戦力は、ことごとく撃滅されたと聞く。15年間の空白、彼が何をしていたのかをアルウォールは知らない。だが、彼の娘たちは、父親が望んだかどうかは別として同じ戦闘機乗りの道を歩んでいる。"ヴァレーの女豹"ルフェーニア・ラル・ノヴォトニーは、最強・最凶と呼ばれるマッドブル隊の隊長に収まり、四番目の娘――鬼神は夜も盛んだったのか――はレイヴンの一員としてこの地にある。フィーナ・ラル・ノヴォトニーの素質は、"ヴァレーの女豹"や"白き狂犬"たちに言わせると最も「円卓の鬼神」に近い、ということになるが、それ以上に「円卓の鬼神」や「ラーズグリーズ」に匹敵するパイロットが、この白い機体XR-45Sを操る少年なのかもしれない。改めて、南十字星の飛び方を聞き、自分の目で見て、アルウォールはそう確信していたのである。だからこそ、彼らの背後を脅かすような事態は未然に潰しておく必要がある。アルウォールは目深に被った軍帽の下で、ホーランドに対して目配せをする。わかっている、と相手が頷くのを視界の隅で確認しつつ、彼はXR-45Sに当てていた手の平を離した。
「……サバティーニ班長、実は不正規部隊を束ねる一員として、相談しておきたいことがある。オーブリー組の長老たる貴官には、是非相談に乗ってもらいたいのだ」
「そんなことじゃろうと思ったよ。二人揃って来るところを見ると、あまり人に聞かせられる話ではなさそうじゃな。ここで良いのかの?」
ホーランドが黙って頷く。重鎮3人が立ち話をしている時点で、充分に注目を集めてはいる。今更気にするようなことはほとんど無い。格納庫内のベンチに3人は腰を下ろした。ゆっくりと、ため息を吐き出すかのように、アルウォールは口を開いた。
「――我々レイヴン艦隊が、ここ数年紛争地で暗躍しているある勢力を追い続けていることはもう御存知ですな?そして、その連中が今回もレサスの裏にいると我々は考えている。まだ証拠はないが、これは事実だ」
「……ゼネラル・リソースじゃろ。おっと、言っとくがデル・モナコは別じゃよ。あれはXR-45Sの事しか頭にない」
「彼女は完全に白だよ。ただ、驚かずに聞いてくれ。ジャスティンが出撃する度に、戦闘空域の外側、高空にレサス軍のAWACSがここ数回の戦闘で現れるんだ。そしてさらに言うなれば、XR-45S自体からデータが送られている形跡がある」
「何じゃと!?」
サバティーニの大声にびくりと整備兵たちが振り向く。じろり、と彼が一瞥をくれると一目散に彼らは蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。苦笑しつつ、アルウォールが言葉を続ける。
「ベルカ事変のとき、私の指揮していた部隊でも同じようなことがあったんだ。つまり、レサスはXR-45Sの動向を見守っていれば、我々の進撃ルートが分かるというわけだ。その割に、敢えて重点的に戦力をぶつけて来ない辺りが気に入らないがね。レサスの劣勢とXR-45Sを泳がせておくこと、完全に二律背反しているやり口を、ナバロの野郎が黙認しているのが不可解だが……」
「なるほど、ジャスティンを葬るのではなく、坊主の飛ばし方を連中はご所望中というわけか。今のところは、な」
「その通り。そしてもうひとつ。ここからが本題だが……我々の不正規部隊中枢の中に、レサス、或いはゼネラル・リソースと通じている者がいる」
アルウォールの言葉はむしろ静か過ぎるくらいだった。それでも、言葉の爆弾が炸裂するには充分なものであった。少し血走った目でアルウォールの顔を睨み付けたサバティーニだったが、やがて力なく視線を落とし、うなだれていく。
「……それほどまで、憎悪の根は深いものじゃったのかのう……」
うめくが如く吐き出したサバティーニの声は、普段のかくしゃくとした姿からは想像できないほどに弱々しいものだった。
「……話してもらえないか、班長。過去に何があったのか、そして貴方の知っていることを」
沈黙の時間はそれほど長く続かなかった。何かを決意したかのように、サバティーニは顔を上げたのである。
「まだワシは奴を信じとる……いや、信じたいのじゃよ。そのうえで聞いてくれよ?」
あれほどの激戦が繰り広げられたにもかかわらず、サンタエルバ市街の損害は奇跡的に僅かなものに留まっていた。それでも、民間人に死傷者が出たことには代わりなく、解放に喜ぶ人たちがいる一方で、葬列と涙を溢れさせる人たちがいる。グレイプニルが墜落寸前に断ち切った橋の上には、どんな状況でも防ぎようのない野次馬たちがカメラを構えていて、逃げ遅れた何人かが巻き込まれて依然行方不明。オーレリア海軍の艦艇は、グレイプニルの調査と並行して民間人行方不明者の捜索も行わなければならない状況になっていたのである。本来、忙しいはずの僕らではあったが、SWBMの攻撃は、作戦機の相当数にダメージを与えていたことが判明し、僕らは俄かに期限終了未定の待機時間を手にすることとなった。
「近くで見ると、とんでもない大きさだよね。よくまぁ、こんなのが飛んでいたものだ」
「おいおいユジーン、"こんなの"と戦ってた俺らの気にもなってみい。ようも落ちてくれた、っちゅー気分になるわ。なぁ、ジャス?」
スコットの言うとおりだ。グレイプニルはまさに僕らの前に立ちはだかる巨大な壁のように、この街の空を飛び続けたのだ。これまでの作戦では最大規模の作戦機が総がかりとなって、ようやく撃墜せしめたのである。港湾地区を掠めて墜落したグレイプニルの主要部分は海中に没してしまい、シルメリィ艦隊を中心とした調査も思うように進んでいない。さらに言うなれば、乗組員たちの遺体の回収もろくに進んでおらず、墜落間際、分解した胴体から放り出された一部の乗組員の、これまた一部だけが回収されただけに留まる。飛べないのだから手伝いに行け、と言われて回収作業に加わった僕らであるが、瓦礫の間から「手首から先だけ」の遺体を拾い出したスコットは叫びながら走り回り、僕は僕で作業終了後、胃袋から胃液が全部逆流しそうになるほど吐く羽目となり、強者揃いの陸上部隊の兵士たちの笑いを誘ったものである。結局、僕らはコクピットの中から戦場をいつも眺めているから、目の前で死体を目の当たりにすることが少ない。その点、陸軍の兵士たちはタフだ。銃弾を浴び、肉片と内臓を垂れ流しながら倒れていく敵兵の屍を踏み越えて、時に前進を強いられるのが、彼らなのだから。まだまだだな、とやんわりとここでは役立たず認定された僕らだから、こうして油を売っているわけだ。
「戦域から離れて見ている方も気が気じゃなかったさ。SWBMの恐ろしさは充分に分かっている。閃光が一つ膨れ上がるたびに、レーダーのみんなの姿を数えちゃったよ」
ポケットからチョココロネを取り出したユジーンが、感無量、といった様子でコロネを頬張る。美味しかったのだろうか、嬉しそうに笑いながら何度も一人で頷いている。
「余裕ないけど、ジャスにフィーナはんがいけるて判断してんやから大丈夫やろ、と思て付いてったんやけど……最後は悔しかったなぁ。弾切れやもん」
「そうかもしれないけど、スコットがロケット弾を積んできてくれたから良かったんだぜ。ミサイルだけじゃ埒があかなかったと思うよ」
「そやけど、やっぱおいしいとこはジャスに持ってかれたでなぁ。改めて思うたわ。もっと上手う飛びたいてなあ」
「じゃあ、カイト・リーダーに頼んでみたらどうだい?喜んで鍛えてくれるんじゃないか?」
「その台詞、そっくり返したる。身体が絞れて憧れの戦闘機に乗れるようになるんちゃうか?」
「そ、それは勘弁だ。その前に死んでしまうよ」
「大丈夫さ、ユジーン。スコットのように海面ダイブがきっと得意になると思う」
「おいジャス、あれはダイブちゃうで。投げ込まれたんや!!」
僕だって、余裕があったわけではない。ただひたすら、僕らが生き残るための道を探していただけに過ぎない。ただ、これまではどちらかと言えばマクレーン中尉たちの指揮の元で戦っていたけれども、グレイプニルとの戦いは隊長にもそんな余裕はなく、自分で自分の取るべき手段を考えて行動していた点が大きく異なる。それが出来たのは、安心して背中を任せられる心強い相方――フィーナさん、いや、ノヴォトニー少尉がいてくれたおかげだ。僕とスコットだけでは、あんな戦い方は多分出来なかっただろう。いつか、ノヴォトニー少尉に背中を任せてもらえる日が来るのだろうか?それは願望を通り越して妄想や幻想の領域かもしれないけれど、そのためには、僕ももっと強く飛べるようにならなければならない。少尉の言葉に応えるためにも――。
「あれ、あそこにおるの、フィーナはんたちか?」
びくっ、として視線を動かすと、幸いスコットたちはこちらではなく、グレイプニルの突き立った主翼の方向を向いて、僕に対しては背中を向けている。良かった、と胸を撫で下ろしつつ、ユジーンの肩越しにスコットの指差す方向を見ると、遠目にも目立つレイヴン隊独特の制服が動いていた。そのうちの一人は、後ろで束ねた金髪を風に揺らしている。何しろ女性のスタイルに関する記憶力だけはオーブリー基地随一を誇るスコットの言うことだ。間違いはあるまい。ということは、すぐ傍に見える巨漢はカイト・リーダーことグランディス隊長であることは言うまでもない。機体修理中で空も飛べず、遺体回収作業でも「役立たず」認定された僕らとは異なり、彼らはそれぞれ忙しそうに見える。"グレイプニルが落ちたことで、我々の本来の仕事ができるようになったのさ"とは、偶然食堂で一緒になったファレーエフ中尉のコメントだが、グランディス隊長たちの周りでは、なるほど、工兵か研究員のようないでたちの男たちが動き回っている。
「ここからじゃよく見えないけど、何かの残骸を調べているように見えるね。墜落したグレイプニルから脱落したものかな、ジャスティン?」
「僕にもよく見えないよ、ユジーン。あれ?そういえば、サンタエルバに入る前の戦いで、僕らが撃墜した輸送部隊――確か、あのときも回収部隊が派遣されていたよね」
「何で?輸送機の残骸拾ったって何の役にもたたへんのに」
「僕に言うなよ。ほら、愛しのグランディス隊長に聞いてこいよ」
「いやや。グレイプニルと一緒に海底に突き刺さるのだけは嫌や!!」
そう、僕らが遭遇したレサス軍の輸送部隊に対しては、シルメリィ艦隊所属の部隊が回収及び調査のために出動しているのだった。何の調査に行ったのかまでは僕らにも知らされていなかったけど、サバティーニ班長の話によれば調査に同行した大型のトラックで、色々と持ち帰ってきたらしい。オーレリアの解放とはまた別の目的が彼らにはあると聞いているけれども、それに関連することなのだろうか。そして、今日の調査も。邪魔しない方がいいな――そう僕らは結論付けて、運河に沿って伸びている遊歩道(遊歩道跡と言った方が適切か。海に至る終わりの方は、グレイプニルの激突によって抉り取られているのだから)を歩き続ける。所々捲れあがってしまったコンクリートに気を付けながら歩いていた僕のつま先が何かを蹴飛ばしたのは、相変わらず冗談をぶつけ合っているユジーンとスコットから視線を外し、ノヴォトニー少尉たちの方へとまた視線を移しかけたときだった。石にしては柔らかかったな、と足下に視線を落とすと、何かが転がっている。煤と埃に表面を覆われてはいたが、A4サイズほどの分厚い本か手帳に、何かが挟まっている。挟まっているのは……軍帽?ばらばらにならないようにしたのか、手帳の留め金で強引に挟み込んである帽子を取り出すのに一苦労。留め金を外して最初の数ページを開くと、そこにはレサス語で書かれた流暢な筆跡が姿を現した。
「何やそれ?」
「ちょっと待ってくれ。ええと……。これ、航海日誌みたいだよ」
「航海日誌ぃ?何でこんなところにあるんや?」
「ジャスティン、貸してもらえるかい?」
断る理由はない。ユジーンに丸ごと手渡すと、彼は素早くページに目を通しつつ、中身を読み進めていく。時折、挟み込まれていた軍帽にも視線を飛ばしていたが、元々は白かったであろうそれは、煤と恐らくは血痕で黒く変色していた。間のページを飛ばして後半を流し読みしていたユジーンの顔に驚きが浮かび、そして彼はため息を吐き出した。
「ジャスティン、これは貴重な資料になると思う。良くここまで綺麗な状態で残っていたもんだよ」
「そんなボロボロの手帳に何の価値があんねん?」
「さっきジャスティンが航海日誌みたい、と言っただろう?それに、この軍帽は本来レサス海軍の士官クラスが被っているものなんだ。……グレイプニルの指揮官だったスルナンデ少将は、もともと海軍の出身なんだよ。十中八九、彼の遺品であることは間違いないと思う」
そう言いながら、ユジーンは文章が書き込まれている最後の2ページを開いて、僕に手渡した。日常的にレサスの交信を分析しているユジーンに比べると僕のレベルは稚拙だけれども、内容を理解することは出来た。
"いよいよオーレリアの部隊がこの街にやって来る。陸軍の退避行動は予定通り。我々に敗北は許されない。幸い、私の手にはグレイプニルがある。オーレリアの軍勢を圧倒し続けてきた、レサスの誇りと言うべき空中要塞が。準備万端とは言えない。決戦に備えた補給部隊は、我々との決戦でも立ちはだかるであろう「南十字星」の手によって壊滅させられてしまったからだ。既に終わったはずの戦争は、奴の出現でひっくり返ってしまった。正直、オーレリアがここまで手強いとは思わなかった。国を、人々を思う力は、国籍に関係なく強いということなのだろう。
司令部の指示に、撤退に関するものは無い。劣勢になることなど考えてもいないのか、それとも撤退を認めていないのか――?ナバロ司令の信頼を疑っている自分がいる。命令を疑うとは、私は軍人として失格だ。だが乗組員たちを犬死させるようなことだけはしたくない。彼らはレサスの正義と勝利を信じて、私に付いて来てくれているのだ。だから、私も彼らを信じよう。勝利をこの手に掴むために"
最後の1ページは、それまでの流暢さが消え、むしろ大急ぎで書きなぐったようになっている。
"南十字星――我が軍にとっての凶星。だが、私はその飛ぶ姿に惚れてしまった。オーレリアの軍勢が何故かくも強かったのか、その一端を垣間見ることが出来たように私は思う。グレイプニルを相手に回して、あれほどまで強く、諦めずに戦うことが出来るパイロットがいたとは――。彼には感謝したい。悪鬼となり果てようとした我々に、手痛いスパンクを食らわしてくれたのだから。私は危うく、人の道を踏み外すところであった。全く、軍人という生き物はろくなものではない。敗北の腹いせに、戦う術を持たぬ人民を道連れにしようなどと考えるのだから。
南十字星は、我々に人として死ぬべき機会を与えてくれた。ならば、その期待に応えるべく死力を尽くそう。祖国にとっては裏切りだが、人であることを止めて死ぬよりはましだ。我々の最後の敵が、オーレリアの南十字星であったことに、感謝しよう。
シュザンナ、先に逝くことを許して欲しい。
よく、今日まで私と共に歩いてきてくれた。済まないが、子供たちを頼む。君と、子供たちは私の最高の誇りだ。願わくば、子供たちが軍人としての道を歩まないで済むことを。"
読み終えた僕らが絶句したのは言うまでもない。ユジーンはそっぽを向いてハンカチで鼻をかんでいる。スコットはと言えば、こちらもばつが悪そうな顔で頭を掻いている。ユジーンの言うとおり、これは恐らく僕らの戦ったグレイプニルの艦長のものなのだろう。艦体のコントロールをほとんど失いながらも、市街地への墜落を最低限にすべく、艦長をはじめとしたクルーたちは戦い続けていたのだ。軍人としての任務ではなく、人として死ぬこと――。何てことだ。僕は、僕たちが戦っているレサス軍もまた同じ人間同士であることを痛感させられていた。オーレリアにとっては災い以外の何物でもないグレイプニルを指揮する非常な指揮官も、家に戻れば良き父親であったかもしれない。僕はどうなんだろう?生き残るためにXR-45Sに乗り、今日まで戦い続けてきた僕は?ようやく、オーレリアを解放するために戦い続ける、と言えるようになってきたこの僕は、敵から見れば許し難い存在ではないだろうか。あの艦長のような確固たる信念もなく、戦場で敵兵の命をいくつも奪い取ってきた僕は、多くのレサスの兵士たち、そして僕が命を奪ったレサスの兵士の家族たちの仇なのだ。僕自身の意志は別として。出来るものなら戦いなんて御免だ、と言ったところで誰が信じてくれるだろう?戦場では敵の顔を決して見てはならない――いつだったかの座学で、僕らはマクレーン中尉からそんな話を聞いた。その意味が、いまならはっきりと分かる。自分たちが葬った相手、殺した相手にも、自分と同じような普通の生活と日々があったことに気が付いたとき、その重みを全て背負えるほど人は強くない。一つ一つ考えていたら、引き金を引くことは出来ない。それは即ち、自らの戦死を意味する。きっと生命至上主義の人間から見れば、許し難い矛盾と自己正当化、と批判されるに違いない。それでも、僕は死にたくない。守りたい仲間たちがいる。守りたい友人たちがいる。――守れるようになったらいい人もいる。僕一人なら気楽だったのに。僕は、簡単には死ぬことも出来ない立場にいつの間にか置かれてしまったのだ。僕自身の意志は別として、だ。
「……なして、戦争なんぞになってもたんやろな?オーレリアはどんな悪さをレサスにしてたっちゅうんやろか?」
「オーレリアによる搾取、だろう?でもこの数年間、オーレリアは純粋に人道支援を中心として、内戦で疲弊しきっていたレサスを支え続けていた。これは事実だよ。その中に軍事的な支援など入る余地は無かったんだ。なのに、僕らはこうしてレサスに恨まれている。そこが分からないんだよなぁ……。誰も戦争なんて、やりたくないはずなのにね」
ユジーンが首を振りながら、ちょっと寂しげにため息を吐く。スコットのジョークと毒舌も、今日は活躍の場を与えてもらえなさそうである。きっと僕の表情だって似たようなもののはずだ。夕暮れの色に染まり始めたサンタエルバの空と街。もうこの空を、あの空中要塞が飛ぶことは決してない。彼らは、最後の最後まで彼らの使命を全うして、その命を失ったのだ。彼らもまた、多くのオーレリア兵の命を奪った者たち。僕らの馴染みの人たちも、彼らの手によって命を奪われている。無条件で彼らを許すことは出来ないだろうし、むしろ彼らの死を心から喜んでいる人間も多いのだろう。それでも――僕は、まるで墓標のように空へと屹立した翼の姿に、多くの失われた命の冥福を祈りたかった。
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