悪夢の始まり
基地の規模も大きければ、会議室やブリーフィングルームの規模も大きいうえに設備も整っている。指揮官クラスが座る壇上席の背後には複数のモニターが設置され、任務に関する情報が映し出せるようになっている。オーレリア組だけでなくシルメリィ艦隊所属のパイロットたちまで一緒に召集されているということは、大規模な航空作戦を展開する事態が発生したということに他ならない。普段よりも緊迫した表情で壇上に座っているアルウォール司令やサバティーニ班長、それにマクレーン中尉たちを見ていると、それが分かる。一方の僕らの方と言えば、何しろもともと寄せ集めの不正規軍。そこに傭兵隊が加わることによって、どちらかといえば緊張感を微塵も感じさせないような猛者たちの姿が目立つ。あるいはそんな素振りを演じているのかもしれないが、それが修羅場を潜った数の差というものなのだろう。視線を転じると、さすがにこちらは真剣な表情で資料をめくっているノヴォトニー少尉の姿が見える。少し意外だったのは、マクレーン中尉たちと同じく壇上に座るグランディス隊長の表情が、珍しく厳しいものであることだった。普段なら、傭兵たちと同じように「へいへい、じゃあまた皆殺しと行こうかねぇ」などと物騒な軽口を叩いているところだが、今日は何やら様子が異なる。スコットもそれに気が付いたようで、僕らは、"珍しいこともあるもんだ"、と無言で顔を見合わせてしまった。やがて、一向に収まりそうに無いざわめきを咳払いで打ち消して、アルウォール司令がブリーフィングの開始を宣告した。
「――諸君、余裕をかましてくれるのは心強いが、緊急事態が発生した。ソラーノ君、状況を出してくれ」
「了解であります」
数面あるモニターの一つがサンタエルバ近郊の地図を映し出す。青い友軍を示すアイコンが街の北側に展開しているのに対し、その北西、カラナ平原に敵軍を示す赤いアイコンが表示される。この膠着状態は、僕らがサンタエルバを解放して以来ずっと続いていた戦況だ。バーグマン師団・ディビス師団を中核とした陸上戦力は、市内の警戒を継続すると同時に、散発的に合流する友軍兵士たちを再編しつつ、その規模を膨らませつつあった。画面のモニターが引き続き変化していく。カラナ平原にあったアイコンが、いくつかの方面に分かれて、カラナ平原を離れ、サンタエルバへと向かっていく。
「サンタエルバを追われ、カラナの遺跡群に展開していたレサス軍地上部隊の主力が、サンタエルバ奪還のためにようやく動き出した。偵察に出ていた連中が監視を継続しているが、連中、ここサチャナを奪われたことで業を煮やしたらしい。戦車隊を中心とした機甲師団が相手だ。戦力の増強が為されてきたとはいえ、我々の地上戦力だけで対抗するには少々荷が勝つ。幸い、ここサチャナを拠点として航空戦力を動員出来る我々に対し、レサス地上軍には頼るべき航空支援がいない。これを好機として連中にトドメを刺す」
「よっしゃあ!」
「へっへっへ、小遣い稼ぎだ。腕が鳴るぜ!」
傭兵たちが嬉しそうに声をあげる。もしかしたら、彼らには敵戦力の赤いアイコンがドル箱に見えているのかもしれない。カラナ平原からサンタエルバまでは、背の低い植物が点在する平原だ。彼ら陸上部隊には隠れる場所が無い。戦闘機から見れば、格好の攻撃目標が並んでいる状況となる。これだけの作戦機が投入されれば、敵部隊には致命的な損害を与えることが出来るかもしれない。
「……といきたいところだが、敵の動きは実は自暴自棄のものではない。諸君らには伏せていたのだが、サンタエルバには既に敵の工作部隊が潜入しているという情報を我々は得ていた。彼らの目的は、サンタエルバの浄化――ジェノサイドだ。市内の虐殺と陸上戦力による徹底的な破壊、それが彼らの真の目的だ。これを見て欲しい」
別のディスプレイに複雑な化学式が並んだコピーが表示される。その右上に"サイノクリン"と赤いスタンプが押されている。ブリーフィングルームの中がざわめく。右腕をスコットが何度か突付く。なんだよ、と顔を寄せると、向こうも低い声で応答した。
「この間見せられた死体の山の写真、あれも確か原因、毒ガスやったなぁ?」
「そういえばそうだ……って、まさか!」
「そのまさからしいで。ナバロの大将、今度は皆殺しかいな。ホンマ、殺してもあきたらんやっちゃ」
アルウォール司令に促されて、サバティーニ班長が立ち上がる。
「レサス軍機甲師団が動き始めたということは、市内に潜伏している工作部隊の行動が始まるのも間もなくということじゃろう。しかも、その部隊は画面に出ている猛毒のガス兵器「サイノクリン」を使うつもりじゃ。幸い、研究班が中和剤の製作には成功しておるが、如何せん数が足らん。航空機に搭載出来るのはせいぜい3機分というところじゃろう。これは、グリフィス隊の3機に搭載する。マクレーン中尉は対空戦闘装備で、上空支援に就いてもらうことになる」
「奴らの狙いは、カラナ平原の戦力の移動によって、サンタエルバから我々の戦力を引き剥がすことだ。……我々は、その誘いに敢えて乗る。サンタエルバ市内にはディビス隊を中心とした小規模の部隊を残して、他の部隊はサンタエルバ北方の防衛線に展開。航空戦力もグリフィス隊を除いては全てレサス軍地上部隊へと差し向ける。ただし、不測の事態に備えてサンタエルバでの異常発生時には、一部の部隊はサンタエルバへと急行してもらうこととなる。そのつもりで作戦に望んで欲しい。……概要は以上だが、質問は?」
しばらく躊躇った末に、僕は少し控えめに右手を挙げる。おお、という傭兵たちの冷やかし半分の歓声がちょっと恥ずかしい。サバティーニ班長は嬉しそうに笑い、マクレーン中尉は苦笑と笑いの中間くらいを行ったり来たりしているような複雑な表情を浮かべている。こちらは微笑を浮かべながら無言で発言を促すアルウォール司令。ふう、と息を整えて僕は立ち上がった。
「サンタエルバ支援隊をグリフィス隊のみで実施するのは何らかの意図があってのものでしょうか?中和剤の製造が間に合わないのは分かるんですが、戦力的な空白が生まれるように僕は……いえ、自分は思うのですが」
再び「おおー」という歓声。誰だ誰だ、拍手なんかしているのは。そのうちの一人のスコットの脛を蹴飛ばしつつ、上官の回答を待つ。
「ジャスティンの指摘は正しい。そう、我々は意図的にサンタエルバに空白を作り出す。あまり最初から厳重にサンタエルバをマークすると、敵工作部隊に気取られる恐れがあるからだ。無論そうする方法もあるが、今度はいつ何時テロ工作を仕掛けられるか分からないというリスクを背負うことになる。今回は、敵地上部隊とテロ部隊、双方を一気に殲滅出来る数少ないチャンス、というわけだ。君らには今回も重圧を背負わせてしまうことになるが……よろしく頼むよ、南十字星」
なるほど、そういう狙いか。僕らの責任は相当重いものになるが、この機会を逃すと却って災いをサンタエルバと僕らの後方に残すというわけだ。普段の言動はともかくとして、マクレーン中尉が対空装備で上空支援に就くのなら安心して僕らは毒ガスの中和に専念出来る。サチャナを奪われたレサスがサンタエルバに航空戦力を持ってくるには洋上から艦隊戦力を動員する必要が出てくる。そうなれば、今度は第1艦隊が対処出来る。そういった準備を整えたうえで、サンタエルバを開けるつもりなのだ。一礼して椅子に腰を下ろすと、スコットがニヤニヤ笑いながらわき腹を小突いてくる。
「他には無いか?……よし、では各員、検討を祈る。解散!!」
これが真っ当な正規軍ならびしっ、と総員揃って敬礼を施すところだろうが、何しろ傭兵まで混ざった混成部隊にそんな規律は無い。歓声を挙げながら我先にと飛び出していく猛者たち。それでも、「オーレリアを解放する」という目的のために全員が協力し合っているというのが面白い。最近では僕らの部隊から離れた僻地の残党部隊も、僕らの進撃をサポートするためにレサス軍の補給線を断ったりとか、ゲリラ戦を展開して足止めをしたりとそれぞれがそれぞれの役目を果たすべく、協力してくれるようになってきた。開戦直後の絶望的な状況と比べたら、何という差だろう。間違いなく、僕らは解放に近付いている。僕らの進む道を、毒ガスや虐殺なんてものに阻ませはしない――!
「ほな行こか、相棒?」
「ああ、女たらしの悪友殿」
向かうは解放された街、サンタエルバ。猛者たちの群れに混ざって、僕らも愛機の元へと急ぐべく走り出したのだった。
「第7小隊、現在北大通り。異常発見できず」
「第4小隊、これより大学地域の哨戒に入ります。学生たちも協力してくれるようです」
「民間人には無理させるなよ。少しでも怪しい奴らを見かけたら、この際だ、構わないから尋問しろ。責任は私が取る」
「ハハ、隊長ばかりに責任はかけませんぜ」
重火器を持つ車輌と部隊は前線に回してしまった今、この街に留まっているのは機動力を重視した僅かな戦力だけだった。それでも、バクナード・ディビスは実戦経験の豊富な兵士を幾人か引き抜き、さらに細かく哨戒チームを分けて市内の哨戒を続けていた。うまくいけば、1小隊による襲撃で事は終わる。だがいつの間にかこの街に潜伏したり、解放後のこの街で毒ガスのテスト使用をしてみたり、敵さんなかなか抜け目が無い。どうやらこの手の破壊工作のプロ部隊が潜伏していることは間違いないらしい。ディビスの手許に回ってきたレサス軍に関する調査資料の中にも、そんな部隊の存在が記されている。詳細は無論不明。だが、ようやく他国による侵略から解放されたばかりのこの街の人々を、再び恐怖のどん底に陥れるような事態だけは何としても避けねばならない。不可避としても、被害を最小限に留めるのが、この街に残った自分の役目。内心、ディビスも焦ってはいる。だがそれを部下に気取られないよう、努めて彼は平静な表情を浮かべるようにしている。もっとも、彼の部下たちからすれば、ディビスがそんな表情をしているときは本当に深刻な事態が発生しているものだ、というわけで、俺たちも踏ん張らなくては、と気合が入る結果となっているのだが。普段の装甲車から市街地移動用に街のディーラーから仕入れたRVの中で、ディビスも斥候の一人となって首を巡らせる。もっとも、あからさまに怪しい人間なんてのは大抵いるはずもなく、確信犯のテロリストほど普通の面をして目の前を通り過ぎたりするものだ。グリフィス隊が中和剤散布を引き受けてくれているし、地元の警察の協力も取り付けているとはいえ、やはり不安なものである。
「あー、PC08より、ディビス隊。どうぞ」
部隊で使っているのとは別の周波帯。市内警戒の協力を依頼しているサンタエルバ市警のパトロールカーからのものだ。
「こちら居残りディビス・リーダー。PC08、何かありましたか?」
「こちらPC08、いや、異常はないんだが耳に入れておいた方がいい件があったので連絡した。市内の運送会社の車庫から合計して数台だが、この数日で行方知れずになったトラックがあるそうだ。いずれも4トン型。ナンバーは……」
「PC08、ちょっと待ってくれ。こちらの部隊の連中にも聞こえるようにしたい。周波数140.53に変更してくれ」
「了解……OKだ、ナンバーは」
4トンサイズの密閉型なら、中に毒ガス散布用のタンクと散布装置も余裕で入るに違いない。ついでに言えば、運送会社の制服でも着込まれた日には判別は極めて難しくなる。ナンバーを懸命にメモる部下の姿を横目に眺めつつ、事前発見は相当難しいだろうな……とディビスは覚悟を決める。ガスタンク本体に対する攻撃は極力控えなければならないが、敵工作員が自爆させるということも有り得る。最低限の攻撃で、可能であれば工作員を生きたまま捕獲する――厄介な任務だ。神経が、最前線にあるときと同じように冴え渡る。東大通りから市民公園の交差点を車が曲がる。横断歩道を懸命に走っていく子供たちの姿と、両親たち。自転車のかごにラジコン・カーを積んで我先にと走っていく少年たち。この街に迫り来る危機とは裏腹の、平和な光景。俺たちは、この景色と市民たちを守らなくちゃならないんだ、とディビスは心の中で誓う。横断歩道を歩行者たちが渡り終え、車が動き出した矢先、市内を哨戒中の一隊から緊急で無線が飛び込んできた。
「こちら第15小隊、現在ショッピングモール区域、レサス軍工作部隊と思われる盗難車を確認!な……くそう、奴ら、正気か!?」
「こちらディビス・リーダー、どうした!?」
「ショッピングモール区域に、毒ガス散布!!繰り返す、ショッピングモール区域に毒ガス散布!!連中、おっ始めやがった!!畜生っ!!」
「付近の市民の避難を援護しろ!!警官隊の支援も受けろ!!第13小隊、フォローに回れ!!」
「りょ、了解!」
無線の内容が慌しいものへと一変し、時に怒号が飛び交う。レサスの連中、本気でこの街を浄化するつもりか。ディビスはまだ見えぬ敵の姿を睨み付けながら、右の拳を左の掌へと打ち付ける。バシッ、という鋭い音に運転席の部下が一瞬振り向いて、上官の強面に弾かれるようにまた前へと顔を動かす。さあ、どう動く?鉄兜を一度脱いだディビスは、白髪混じりの頭髪を手で撫で付けつつ、思考回路をフル回転させる。パニックを醸成して市民を追い込み、毒ガスの餌食にするために、彼らが狙う場所――人の集まる場所。普通なら、逃げ込めば安全と考えるような、広い場所。ふと視線を外に動かしたディビスは、血の気の引く音を確かに聞いた。目の前にあるのは、市民公園。もし市民がパニックに陥ったなら、多くの人々がここに逃げ込んでくるだろう。そんなところで使用されたら――。

つくづくサンタエルバの街はレサスに祟られていると言っても良さそうだ。この間までは、レサス軍の占領とグレイプニル。今日は毒ガス攻撃に地上軍再侵攻。そして僕らは中和剤を抱えてスクランブル。急ごしらえとはいえ、中和剤によるサイノクリンの抑止効果は充分なものだった。ただ、難点が一つ。もともと揮発性が高いうえに引火しやすいこの中和剤、人体には無害であるものの、負荷がかかると発火・爆発するリスクを抱えていたのだった。このため、僕らのHUDには中和剤のタンクに付けられたセンサーに基づく、負荷ゲージが表示されている。静止目標同然のガス発生ポイントはともかくとして、敵戦闘機部隊でも出現した日には、空戦機動の出来ない僕らは格好の的になってしまう。なので、マクレーン中尉機のみ対空戦闘装備、というわけだった。幸い、今のところ敵戦闘機の姿は無い。だが、僕らの進む前方から、不吉な色の狼煙がついに上がる。薄い黄色状の煙の柱が、少しずつその大きさを増しながら風に揺れる。まさか、本当に使うとは――!僕はそれでも、毒ガスの為す非人道的な行為に敵が躊躇してくれることに期待していた。だが、そんな希望は甘っちょろいものだったらしい。それほどまで、人は人を憎むことが出来るのか。操縦桿をいつもよりゆっくりと倒しながら降下。爆弾を投下するときのようなコース取りで、ガス発生ポイントに狙いを定める。くそっ、意外とビルが多くて高さもある。平地に投下するように簡単にはいかないぞ。フットペダルを軽く踏み込んで針路修正。照準内にサイノクリンの煙を捉えて、僕は中和剤のトリガーを引いた。操縦桿を引き、再び上空へと舞い上がる。
「こちらディビス隊第15小隊、いい腕だ、南十字星!ガス発生装置の沈黙を確認した!!」
「PC23より、今のところ市民の避難は順調。その調子で行ってくれ」
「……そう簡単にはいかせてもらえんみたいやな」
レーダー上に、新たなガス発生点が表示される。それも、一つではない。複数箇所、ほとんど同時に新たな薄黄色の煙が膨れ上がっていく。
「ハムレット隊よりヘッドクォーター、邪魔は入っているが作戦は順調に進行中」
「了解。オーレリアの愚民どもに、誰が飼主か良く分からせてやれ」
勝手なことを!僕らは編隊を解き、それぞれの方向へとブレーク。マクレーン中尉機、高度を上げつつ上空警戒へ。先ほどのショッピングモール区域からそうは離れていない市街区から発生したガスに対して、再び攻撃開始。爆弾の代わりに中和剤を投下して、再上昇。その度に中和剤タンクの負荷ゲージが揺れ動き、神経に障る。僕らの機体は中和剤タンクを搭載するために、短射程のミサイルを少しだけぶら下げている程度の装備になっていた。本格的な空戦が必要になったらタンクを切り離してしまえば良いが、それでも苦戦を強いられるのは止むを得ないだろう。針路上、連続していた発生地点のガスを沈黙させ、僕は少し高度を上げて街全体を視界に入れる。ガスの発生地点をディスプレイに表示させて実際の風景と重ねていく。時限発火装置の類を使っている、というわけではなく、どうやら敵は何らかの移動手段を用いて幹線道路を移動しながらガスをばら撒いているように見えた。
「こちらPC11、上空の支援機へ。敵は盗難車を改造したトラックを用いて、市内にガスを散布していやがる!今、そちらのお仲間さんが追跡中だ。ガスの中和、感謝する!」
「グリフィス4、了解。こちらから見ている限りでは、敵目標は幹線道路を中心に移動している模様」
「やっぱりそうか……って、ちょっと待て。畜生、ビンゴだ!!PC11、敵工作車を発見、これより追跡を開始するぜ!!」
無線の終わりがサイレンの音にかき消されるようにして切れる。市街地の幹線道路を猛スピードで駆け抜けていくパトライトの赤い光が目に入る。途中から何台かが合流し、壮絶なカーチェイスが展開されていく。その前方を運送会社のものらしいトラックが高速で道路を突っ走る。戦闘機の速度に比べれば遅いとはいえ、大した腕前だ。そして、タチの悪いことに、そのトラックが駆け抜けた後の道路に、まるで置き土産のようにガスの煙が立ち昇る。追跡を警察車輌たちに任せつつ緩旋回。大きく半径を取って反転し、膨れ上がり始めたガスの群れに中和剤のシャワーを浴びせていく。スコットもファクト少尉も、ガスの被害を最小限にすることに成功してはいたが、このままではいたちごっこになってしまう。向こうのガスが切れるのを待つか、その前に僕らの中和剤が尽きるか、或いは地上部隊がトラックの足止めと制圧に成功するか――。だが、敵も馬鹿ではない。レーダー上に新たに出現した発生地点は、幹線道路などからは離れた場所。そのうちの一つは、ジュニア・ハイスクールの校庭のすぐ傍だった。なるほどね、トラックばかりに目を奪われていては馬鹿を見る、というわけか。別働隊――恐らくは変装するなどして歩きで移動している連中がいるのだろう。左旋回。負荷ゲージに気を払いつつ、ギリギリの線で旋回を終え、ジュニア・ハイスクール傍の発生ポイントを狙う。グラウンドには慌てて逃げ惑う学生たちの姿がある。待ってろ、今片付けるから!屹立するビルの上空スレスレまで高度を落として攻撃軸線に機体を乗せる。ガスの煙の色が少しずつ濃くなっていく。慎重に狙点を定めて、中和剤をリリース。黄色い煙がかき消されるように姿を消すのを確認して僕は胸を撫で下ろしたが、ガス発生ポイントは次々と出現し、僕らを振り回す。
「全く、次から次へとこりんやっちゃ、ホンマに!!」
「負荷ゲージが結構シビアよね、これ」
旋回、降下、中和剤散布、上昇。一連の動作を僕らは何度も繰り返しながら作業を続ける。だが、僕らの奮闘を他所に、サンタエルバの街に襲い掛かった悪夢は市民の不安を最大限に煽る結果となった。警官隊を中心とした避難誘導が無ければ、この街は無政府状態の大混乱へと陥っていたかもしれない。それでも一部ではパニックが発生し、負傷者が多数出ているという報告が聞こえてくると、何ともやり切れない気持ちになる。そして、敵は――レサス軍はそんな僕らを嘲笑うように次の手を繰り出した。レーダー上に、見慣れない光点。いや、散々他の戦場では見慣れてきた光点。そして、今日だけは来て欲しくなかった敵の姿。海側の方向から、レサス軍所属であるIFF反応を放ちつつ、敵戦闘機部隊が接近しつつあった。データリンクによる敵機情報――F-14D。サチャナを通過するようなことは無いだろうから、恐らくレサスは海上機動艦隊を動員したに違いない。高度を上げて迎撃――しようとして、今日の自分の機体の装備がその状態にないことを改めて認識する。ここは、大将、マクレーン中尉に任せるしかない。
「……ようやく俺の出番というわけだな。よし、一仕事してくるぜ。お前たちは引き続きガスの中和を頼む」
「隊長こそ、ドラ猫にボカチン食らわんよーに」
「スコット、お前もビルにキスするんじゃねぇぞ」
くるり、と身軽にローリングを決めて、マクレーン中尉のタイフーンが遠ざかっていく。敵の方が数は多いが、ここは中尉に任せるしか道は無い。幸い、敵航空機の数はそれほど多くない。僕ら4機しか、この街の上空にいないからだろうか?だが、彼らは自らの油断を思い知ることになるだろう。何しろ、彼らの前に立ちはだかるのは昼行灯……もとい、オーレリアの極めて実戦経験豊富なベテラン・エースだ。早くも洗礼を浴びせるかのように、隊長機、中射程ミサイルを発射。レーダー上にミサイルの小さな光点が出現し、敵戦闘機へと向かっていく。任せておいても大丈夫みたいだ。というよりも、そちらに気を回してはいられないほど、事態は緊迫しつつある。まさに無差別と呼ぶに相応しいやり方で、レサス軍の工作部隊は暗躍を続けていた。
「こちらPC10!くそったれが、地下鉄の地下入り口にガスが撒かれている!防護服持って来い、突入するぞ!!」
「第3小隊、敵兵士の拘束に成功!別働隊は小型の時限式装置を使用している模様。液体窒素スプレーを持っている隊は、万が一装置を発見したら容赦なく凍らせてやれ!」
「ガスの煙が濃くなっているところは危険だ。絶対に市民を近付かせるなよ!!」
空も地上も、熾烈な駆け引きが続く。一向に止む気配の見えないガスの煙。まだ中和剤は充分に残っている。効率的なルートを宙空に思い浮かべつつ、僕は操縦桿を手繰り愛機を走らせる。
――どうやら、うまく行っているらしいな。
無線から聞こえてくるオーレリア軍の交信を聞きながら、ペドロ・ゲラ・ルシエンテスは口元に微笑を浮かべた。事前にオーレリア不正規軍に対してサイノクリンの存在を漏らしておいたことは成功だった。だが、不正規軍の一部、恐らくは上層部のごく一握りは、こちらの存在を察知したと見て間違いない。南十字星の操る機体の各種データが届かなくなったことが、何よりそれを証明している。最早、待ってはいられない。この機会を逃しては、得るものも得られなくなるだろう。海上の緩やかな波に微かに揺られる甲板上には、彼の率いるサンサルバドル隊の機体が既に勢揃いしていた。いずれも、確かな腕前を持つ心強い部下たちは、出撃のときを今か今かと待ち続けている。どうやらサンタエルバの上空では、マクレーンが奮戦しているらしい。早速この船から飛び立ったF-14Dが2機、血祭りに挙げられたらしい。さすが、というべきか。
「隊長、発進準備は完了しています。いつでも出撃出来ます」
「分かっている。もう少しだけ待とうか。サンタエルバは無事に守られねばならないからな」
「了解です。さて……南十字星、噂どおりの腕前を見せてくれるといいんですがね」
「安心しろ、あれに乗っている坊やは本物さ。すぐにこの隊の機体を与えて活躍できるほどの、な。バトルアクス以外の面子も使える。ま、楽しみにしておけ」
にやり、と笑いながら敬礼を返す部下に対し、ルシエンテスも珍しく笑みを返す。彼自身も、楽しみなのだ。噂の南十字星、直接相対するのは自分のつもりなのだから。右腕を高く突き上げた彼は、その腕を何度かゆっくりと振った。甲板要員たちが頷き、慌しく動き始める。そして部下たちも各自の機体へと駆け上がっていく光景を満足げに眺め、自身もコクピットにかけられたラダーを駆け上がる。いくつもの戦場を共にした愛機のコクピットが、主人の身体を迎え入れる。ゆっくりと下りて来るキャノピーが、フシュン、という音を立ててロックされた。HUDの向こう側には、海と空の境界線が広がっている。久しぶりの高揚感を胸に、ルシエンテスは出撃を宣言した。
「サンサルバドル隊、出るぞ!――さあ、狩りの時間だ」
南十字星の記憶&偽りの空トップページへ戻る

トップページへ戻る