虎口に至る凱旋
サンタエルバを巡る戦いは、熾烈さを増している。パトカーに追い捲られた挙句、橋の欄干を突き破って川へと突入したトラックがいる一方で、ガス発生装置が投げ込まれた地下鉄の駅では数十人単位の重症者と、数人の死者を出す被害が発生している。市民の間にも動揺が確実に広がり、ガスの煙に追い立てられた人々はより広い逃げ場所を求め、市内に数ヶ所ある市営公園などに向けて逃げ惑っていた。地元警察が必死の誘導を行っているおかげで、破綻したパニック状態には陥っていない。毒ガスが尽きるのが先か、僕らの中和剤が尽きるのが先か――とにかく、今の僕らに出来るのは、ガスの被害が最低限で済むまでに中和剤を散布することだけだった。
「わっひゃあ、低く行き過ぎてもうたっ!!」
スコットが悲鳴をあげながらも、機体を90°ロールさせてビルの谷間を潜り抜ける。衝撃でビルのガラスが数十枚というレベルで砕け散る。かろうじて上空へと逃れたスコットに、地上の兵士たちから「俺たちも殺すつもりか!!」という怒声。「勘弁、勘弁!」とスコットが謝っている。きっと一緒に頭を何度も下げているだろう。だが、それは敵の行動パターンが変わったことに起因している。比較的広い空間がある幹線道路を走行する愚に気が付いたのか、敵の移動目標は幹線道路に沿った細い道へと潜り込むようになっていたのだ。これまではある程度水平爆撃でしのいできた僕らも、上空からの降下爆撃、上昇、再度降下というシビアな飛び方を強いられるようになっていたのだ。身体に圧し掛かるGも先ほどまでの比ではなく、疲労が確実に蓄積していく。かといって、上空から敵の移動目標――トラックを銃撃することはご法度だ。それは警察隊と地上部隊の仕事。当初は捕獲を目標にしていた彼らも、今はあまり手段を選べなくなりつつあった。事実、敵兵を捕獲しようとした兵士たちが返り討ちにされるような場面が何度も発生したため、地上部隊の指揮官たるディビス隊長も、制止命令に従わない場合は発砲も止む無し、と宣言しているのだから。一体何度目か数えるのも面倒くさくなってきた中和剤散布で新たに発生したガス発生ポイントを2つ潰して上空へと逃れたところへ、聞きなれた耳障りな警告音が鳴り響く。レーダーに素早く視線を動かし、身体ごと後ろへ振り返って後方を確認すると、太陽光を反射させながら旋回して僕の後背を取ろうとする敵の機影があった。
「何だ?南十字星がいるからって気合入れてきたのに、チンタラ飛んでいるぜ」
「楽勝だな。こんな奴にやられた連中の腕が悪いのさ」
スロットルを押し込み、アフターバーナーを点火しつつ振り切ろう、と考えて、それが適わないことに気が付く。舌打ちしつつ、低空を緩旋回。ビル群から離れながら回避機動。旋回のたびに負荷ゲージの目盛りが跳ね上がり、神経が磨り減っていく。この空域に侵入してきた敵の数は予想よりも多く、マクレーン中尉一人で全てを制圧するのは難しい。むしろ、好機とばかりに僕に喰らい付いて来たおかげで、少なくともスコットとファクト少尉はガスの中和を継続出来るはずだ。舐めるなよ――!僕は心の中でそう呟いた。敵機が巧みに連携して狙ってきたなら無傷では済まなかっただろうが、幸い後方の2機にはそんな頭が無かったらしい。放たれたミサイルを負荷限界スレスレの線で急旋回しながらかろうじて回避。リトライを図って距離を取った敵が反転するのに合わせて、こちらも真正面から衝突する針路に機首を合わせる。追いかけっこでの空戦機動は今日は難しい。だが、真正面からの攻撃なら別だ!兵装モードをガンモードに切替。目標、先行している敵第一目標に固定。HUDにはまだ射程範囲外にいる敵の姿が早くも捉えられる。敵からのレーダー照射を探知。ジジ……ジジジ、という警告音が鳴り響く。HUDに表示された照準レティクルを僕は睨み付ける。あと少し!敵からの攻撃、未だ無し。機関砲の射程圏内に入る寸前でトリガーを引く。コンマ数秒のうちに放たれた機関砲弾が敵目掛けて宙を引き裂く。フットペダルを蹴飛ばして、右方向へと跳ぶ。
「南十字星の串刺しの出来上が……あばっ、ババババ!!」
すれ違いざまの一瞬、蜂の巣のようになったキャノピーの姿が眼に飛び込んできた。中のパイロットがどうなったかなど、考える間でも無い。20ミリの弾頭によってミンチになった敵を哀れとは思いつつも、生き残るためだ、と自分を言い聞かせる。こんなところで、僕は落とされるわけには行かないのだ。後方へと通り過ぎた敵機のうちコクピットを潰された1機は、煙を吐き出しながらそのままの速度を維持して、サンタエルバの街中を流れる河に沿う土手に突っ込んで、地上に巨大な火球を出現させた。再び旋回して、僕はもう一方の敵を狙う。上昇しつつ左方向へと旋回する敵機。その後方、僕から見れば右方向から、見覚えのあるデルタ翼が急速接近。
「済まないな、後は任せろ!」
「こちらは大丈夫です。隊長、お任せします!」
「フン、口の聞き方も一端になったな、ジャス!」
デルタ翼の端から薄い雲を引きつつ、マクレーン中尉のタイフーンがF-14Dに喰らい付いていく。その可変翼によってどの速度域でも高い空戦能力を保有するF-14D。だが、その大柄な機体がアダになることもある。大推力のエンジンに小柄な機体という組み合わせのタイフーン、それもマクレーン中尉のようなエースが乗ったあの機体を相手にするには、敵は明らかに技量不足だった。散々追い捲られた挙句、サンタエルバの中心部から引き剥がされた敵機は、ほどなくマクレーン中尉の牙によって噛み砕かれ、空の藻屑と消える。再びガス中和に向かった僕は、次第に毒性を増して濃い黄色になり始めた煙の柱目掛けて中和剤のシャワーを浴びせる。一体これでどの程度のガスを中和させたのだろう?中和剤タンクの分量は既に半分を切っている。旋回していると、時折タンクの中で揺れ動く中和剤の「チャポン」という音が聞こえてくるのだ。スコットもファクト少尉も、奮戦を続けている。そのおかげか、これだけのガス攻撃にもかかわらず、市民たちの被害は限定的で済んでいる。それでも、軽症者の数は増え続けているし、未だに続く無差別テロに市民たちの不安は限界に達しているに違いない。ガスの煙に追われた市民たちのうち、中心街に近い区域の人々は、中央市民公園を目指して避難しようとしていた。僕はその上空を旋回しつつ、新たなガス発生に備えてレーダーを睨み付けた。
部下たちの必死の追撃と奮戦が続いている。レサスのガス散布車のうち1台は制圧に成功し、生存者の確保に成功していたものの、残りの散布車と部隊の制圧には至っていない。それでも被害がここまで少ないのは、上空で奮戦を続けるグリフィス隊の面々のおかげだった。全く、地上から見ていても惚れ惚れする連中の飛び方だ、とバグナードは笑った。彼の指揮下の部隊だけでなく、地元警察の警官たちまでが全面的に協力してくれているおかげで、市民の避難と救助はここまではうまくいっている。そして、連中の保有するガスの量もそろそろ減ってきている頃だ。痺れを切らした奴らが暴挙に出てくる可能性は否めない。胃袋に穴があきそうな緊張感に耐えつつ、彼は苦笑する。また頭の白髪が増えちまうな、と。中央市民公園の周囲に陣取った彼は、指揮下の部隊をいくつかの集団に分けて展開させ、ここに避難してきた市民たちを狙ってくるに違いない敵部隊に備えて待機していた。バグナードが直接指揮する部隊は、公園の裏門側にあたる北側の入り口。複数の道が、公園前のロータリーで合流しているこのポイントは防御に向いた地形ではある。歩兵レベルの侵入者はここには来ないだろうが、大型トラックを運用している敵は別だ。俄か作りのバリケードからは、警官隊とディビス隊の猛者たちが突き出した銃器が敵を狙う。バグナード自身も車から降り、幾多の戦場を共にしてきた愛用のAKを肩からぶら下げている。正規採用されたものとは異なるが、敵地を襲撃して分捕った弾薬とAK本体は数多く、彼の部隊では愛用者も少なくなかったのである。
「PC13より、ディビス・リーダー!敵車輌の足止めに成功した!!」
「こちら第7小隊、敵工作車の車輪破壊に成功。ガス漏れ、今のところ確認出来ず。制圧にかかる!」
「ディビス・リーダー了解。慎重に行ってくれ」
「了解!!」
これで二つ目。傍で報告を聞いていた部下や警官たちが、ある者は笑い、ある者はサムアップで喜びを伝えてくる。レサスの連中に、今の我々の気持ちが分かるだろうか?連中には連中の大義名分と憎しみ、そして理屈があるのかもしれない。だが、こちらにはこちらの道理がある。この街を、そしてこの街に生きる人々を守りたい――この単純明快な理屈に勝る道理があるというなら見せてみろ。サイノクリンまで持ち出すようなやり口に正義があるとでも言うのなら。バグナードは、静かに怒っていた。これまで前線で戦ってきた敵に対しては、侵略者め、という気持ちはあったにせよ、連中の姿勢はある意味正々堂々としていた。こちらの捕虜に対する対応も、一応国際法や人道面に最低限の配慮は為されていた。だが、今回の連中は違う。抵抗も出来ない市民を密室に押し込めてガスの実験に使い、年端もいかぬ少女も含めた女性たちを性欲の捌け口に使うことに何の抵抗も無い、最も唾棄すべき奴らだった。許すものか。ここで連中の謀略を食い止め、必ず白日の下に晒してやる。そう誓った想いを心の中で再確認していた彼の耳に、けたたましいスキール音と何者かが吹き飛ばされる衝突音が聞こえてくる。そして、パトカーの奏でるサイレン音が後に続いている。
「PC25より、緊急!敵工作車、中央公園北ゲートに向かっている模様!!」
ついに来たか。バグナードが右腕を高く突き上げると、部下たちと警官たちが一斉に銃を構える。
「ディビス・リーダーより、PC25へ。我々が食い止める。攻撃に巻き込まれないよう、針路を変更しろ」
「了解、後を任せます!」
重いエンジン音が確実に近付いてくる。大通りの一つから姿を現した運送会社のトラックはバンバーは半ば外れかかり、地面で削られて火花をあげている。後ろを大きく振り出したトラックの後輪から白煙があがる。ゴムの焼ける匂いが辺りに充満する。前輪でカウンターを当てながら滑っていくトラック。やがて姿勢を立て直した敵は、こちらのバリケードなど眼中に無いかのように加速を開始した。ごくり、という生唾を飲み込む音は誰のものか。ここを通すわけにはいかない。バグナードは、愛用のAKを彼自身も身構え、敵の姿に狙いを定める。敵車輌、針路変更の気配なし。まるで敵の怨念が具象化したかのよう。敵車輌の奏でるエンジン音に負けないくらいの大音量で、バグナードは鋭く命令を下した。短く、かつ確実に。
「撃て!!」
例えこの身を犠牲にしても、ここは守り抜く。肩から伝わる発射の衝撃。放たれた数十本の火線。そして対戦車ロケットの弾頭が吐き出す煙が、一斉にトラックへと突き刺さる。ご丁寧に防弾ガラスに入れ替えているらしいフロントガラスに無数の弾丸が突き刺さる。発射の衝撃が途切れる。弾切れ。次のマガジンを取り出して、素早く交換。再びフルオートモード。発射、発射、発射!!4発目の対戦車ロケットが、トラックの左前方部に命中、真っ赤な炎と煙が吹き上がり、ドアとミラーとが吹き飛ぶ。揺らいだ車体から、爆発によって引き千切られたらしい敵兵士の亡骸が転がり落ちる。それでも敵の足が止まらない。バグナードは狙点を下に向け、アスファルトを噛み締めるタイヤを狙う。当たってくれよ――そう念じてトリガーを引く。タタタタタ、という連続音と共に撃ち出された弾丸が、タイヤの表面を弾き、引き裂く。むしられるようにタイヤのゴムが弾け飛び、スチール製のホイールが剥き出しになる。ガラガラガラ。耳障りな金属音が周囲に響き渡る。今度ばかりは大きくバランスを崩したトラックの車速がぐん、と落ちる。ここが正念場、と一斉に攻撃が殺到する。ついに突き破られたガラスの向こう側で銃弾を浴びた兵士が跳ね回り、ガラスには真っ赤な鮮血が飛び散っていく。そして、トドメとばかりに放たれた対戦車ロケットが、ホイールだけになった車輪を吹き飛ばした。その衝撃で斜めに跳ね上がったトラックが、地響きを立てて横倒しになったまま滑走する。さすがに攻撃を中断したバグナードたちだが、その場から離れない。やがて彼らの30メートルほど前でようやくトラックが動きを止める。その後方から、ゆらり、と薄い煙が漂い始めたのは、その時だ。どの程度残っているかは分からないが、ガスが漏れ出している!全員退避、と命令を下そうとしたバグナードの耳に、聞き覚えのある甲高いエンジンの咆哮が聞こえてきた。
「こちらグリフィス隊、ジャスティンです。目標を視認、中和を開始します。至急退避してください!」
いいタイミングだ!心強い味方の出現に、バグナード・ディビスは心から感謝し、そして今度こそ仲間たちに退避を命じた。
中央公園付近を警戒していたのは当たりだった。道に停車している一般車輌や道端の甲板をなぎ倒しながら突進するトラックと、それを追撃するパトカーの群れ。公園北側から姿を現した敵は、ディビス・リーダー本人が指揮する防衛線のまん前に姿を現した。浴びせられる集中砲火の中に突進したトラックは、防衛線突入寸前で横倒しになって停止したものの、その後部タンクに積んでいたガスが懸念どおり漏れ出してしまったのだった。だが、止められる。いや、止めてみせる。中央公園には既に多くの市民が避難している。それにもかかわらず、公園内にガスを広めるわけにはいかなかった。バリケードを解いて避難していく仲間たちの姿を確認しつつ、目標に狙いを定める。ガスの発生源はトラック後部の荷台。そのうえから中和剤をふりかけたところで、効果はたかが知れている。ならば……こうだ!兵装モードをガンモードに再び切替。薄い煙を吹き出しつつある荷台に狙いを定め、僕はトリガーを引いた。荷台表面のカバーに大穴がいくつも穿たれていく。外への出口を見つけたガスが、膨れ上がるようにして姿を現した。負荷ゲージに気を払いながら再上昇、反転、リアタック。今度こそ中和剤を選択し、攻撃ルートに載せる。その途端、レーダー照射警報。どこから!?見れば、公園の茂みからよろよろと這い出した敵兵士らしい姿の肩に、携帯SAMらしきものが乗っかっている。ガスの煙がその周囲を覆い始めているというのに、全く気にもしていない。今から針路変更は難しい。地上部隊の誰かが気がついてくれれば――!最悪の事態も考えつつ、僕は中和剤散布を優先した。トリガーを引いて中和剤をトラック目掛けてばら撒いて、再上昇。後方を振り返ると、中和剤を浴びせられたガスの煙が勢いを失って鎮まりつつある。気が付けば、警報音が鳴り止んでいた。地面に倒れ伏している兵士の姿は、先ほどの敵の者らしい。
「……まさか役に立つとは思わなかった。爺さんの形見の古い骨董品級のライフルだったんだが……」
「第8小隊より、PC11、モシン・ナガンたぁイカスじゃないか。おかげで俺たちの南十字星は健在だ!支援に感謝!!」
どうやら、僕の恩人は敵の追撃を続けていた地元警察だったらしい。回線を彼らの周波数に合わせ、こちらも回線を開く。
「こちらグリフィス隊4番機、ジャスティン・ロッソ・ガイオです。PC11、支援に感謝します」
「何の何の、俺たちこそでかい借金の一部を返しただけさ。……それにしても驚いた、本当に坊やが乗っているんだな。俺たち大人も、もっと頑張らないとな。さぁ、残りの連中を捕まえにいくぞ。南十字星は健在、敵もあと少しだ!!……多分」
この状況だというのに、仲間たちの笑い声が交信を駆け巡る。そして事実、ガスの煙は次第に勢いを失いつつあった。中心的な発生源だった工作車輌が次々と足止め、制圧され、工作員が単独でばら撒いてきたガス発生器もそろそろ弾切れなのだろう。街を恐怖に陥れていた黄色い煙の柱の姿は、急速にその数を減じていく。
「きちー、だりー、ねみー。さすがに今回はめっちゃ疲れた」
「うまくやれたみたいだね、僕ら」
「当たり前や。俺らが食い止めんと、誰がこんな無茶やるっての」
上空で編隊を組む余裕を取り戻した僕ら。スコット機が左に並ぶ。キャノピーの向こうで、早くもガッツポーズをしているスコットの姿が、太陽の光に映し出されている。こちらも腕を振って応える。ファクト少尉のタイフーンが「これが最後」とばかりに降下爆撃で目標を仕留めると、レーダー上も、そして目視上もサイノクリンの黄色い煙が付近から消滅した。
「……馬鹿な……。ことごとく中和され、工作隊が壊滅だと!?」
「司令部よりハムレット隊、作戦は失敗だ。捕捉される前に脱出せよ!」
「笑わせるなよ、レサスの犬ども。このサンタエルバから無事に出られると思うな」
半ば呆然とした敵の声。そして、彼らにとっては不吉な予言を放つ仲間たち。サンタエルバの戦いの趨勢は、最早決していた。洋上からこの街の上空支援に飛び立ったレサス軍機も、結局マクレーン中尉の敵ではなく、既にレーダー上に光点は無い。即ち、制空権は僕らのものとなっている。それから程なく、敵のテロ攻撃の終結と防衛作戦の成功、そして敵部隊指揮官らの拘束が相次いで報じられると、先ほどをさらに上回る、まるで地響きのような歓声が交信を飽和させた。サンタエルバを守りきったという歓喜が、オーレリア不正規軍、地元警察、市民とを問わずに爆発したかのようだった。耳からガンガンと響き渡るノイズ交じりの歓声が、今日はとても心地良い。シートに体重を預けて、僕は緊張を解く。燃料の残りもだいぶ少なくなってきている。が、サチャナまでは充分もつだろう。分散してそれぞれの方面を受け持っていた4機で編隊を組み直し、サンタエルバの空をフライパス。一際大きな歓声に見守られながら、僕らはサンタエルバの街を後にしたのだった。
――まさに、凱旋と呼ぶべきだろうか。
後ろに続くジャスティン、スコット、それにヴァネッサの姿を省みて、マクレーンはそう呟いた。XR-45Sを操るジャスティンの影にどうしても隠れがちではあるが、基本に忠実で無駄の無いスコットの飛び方は、新兵たちのお手本と呼ぶべきものだ。そしてヴァネッサ。グリフィス隊の一員だった彼女の実力は折り紙つき。際立った所は無いにしても、どの作戦でもこなすに充分な実力は、エースと呼んで差し支えないものだと言える。そんな部下たちに恵まれた自分は、きっと幸せ者なのだろう。レサスは自分で自分の首を締め、しかもこれ以上無いくらいに失敗した。サイノクリンの散布には完全に失敗し、部隊の指揮官クラスは不正規軍の手によって拘束。オーレリアによる不正な搾取とやらが根底から崩れるに充分な失態だ。そう遠くないうちに、サンタエルバでの事件は世界中に知れ渡るだろう。国際社会で孤立するのは、今度はレサスの番だ。そう、これからの「この戦争」に、南十字星たちは必ずしも必要ではない。だが、これからマクレーンたちが進めていく戦いには、彼らのようなエースが必要不可欠となる。世界を人間が勝手に定めている境界線から解き放ち、自由を手にするための戦いだ。今は理解してもらわなくてもいい。いつか、彼らがそれを理解してくれる日が――。そこまで考えて、マクレーンは躊躇する。本当に、自分が、ルシエンテスが、そしてゼネラル・リソースの進めようとしていることが、「解放」を意味するのか?現実に、ジャスティンたちはこのオーレリアで全く別のやり方での可能性を存分に見せてくれている。解放に必要なのは、必ずしも小難しい大義名分や理屈付けではない、というアンチテーゼを。本当にいいのか?何百回も、何千回も繰り返してきた問いを、マクレーンは今更ながら繰り返す。
「なあジャス、やっぱ俺あの新型機に乗りたいわー。二人並んで新型機、絵になるやろ?」
「僕に言わないで、隊長やサバティーニ班長に言いなよ」
「じゃ、マクレーン隊長。俺の……いや、自分の乗機を、あの新型機に替えて下さい!」
「あのなぁ……そんなの俺の一存で決められるわけないだろうが。ま、しかし、お前さんも随分と上達したからな。そろそろ、ランクを上げた機体でも充分に飛べるかもしれんな」
「――何か照れてこそばゆいわぁ。ノリがいつもと違うさかい」
妙なところで鋭い奴め。そしてヴァネッサは、知ってか知らずか沈黙したまま。彼らの機体に残された武器弾薬、そして燃料は少ない。これ以上無い、絶好のコンディション。……襲撃するには。ルシエンテスのやり口を全面的に支持出来ないのは、この徹底して獲物に絶望感を与えたうえで従わせるという手法を好むからだ。一応、隊長として信頼していた相手に裏切られるだけでも彼らにとっては衝撃的だというのに、ルシエンテスはトドメとばかりに全力を以って捕獲に来るだろう。そして、友軍機が気が付いたときには、グリフィス隊の姿はこの空から消えている。だが本当に、それでいいのだろうか?いや、かつての戦友を全面的に信じることが前提になっているが、本当に俺は奴を信じられるのだろうか?マクレーンが出口の見えない自問自答を繰り返している間も、グリフィス隊の4機は確実にサチャナへの距離を縮めていく。気が付けば、サチャナ基地を奪還した時と同じ空に、彼らはいる。あのときはレーダー網を避けるために超低空飛行を強いられてはいたが、今やオーレリアのものとなった哨戒網はレサスの進撃を阻む目として睨みを利かせている。――そろそろか。操縦桿を握るグローブの下の手の平は、汗でべっとりと濡れている。これ以上近付けば、捕獲の機会は無い。もしかしたら、奴はコクピットの中でこうして焦れている自分の姿すら楽しんでいるのかもしれない。
「ん?レーダー上に反応?高度ずっと上……IFF反応は不明……」
「単独で?戦闘機ではないみたいだけど……?」
訝しげにレーダーを確認しているらしい、ジャスティンとスコットの声が聞こえてくる。だが、マクレーンには不明機の正体がすぐに分かった。そして、これから起こることも。どうやら奴は、ラーズグリーズの英雄たちも味わった、由緒正しい奇襲をこの地で再現するつもりらしい。
「――迎えの船の到着だ、戦友」
それは紛れも無い、かつての戦友、ペドロ・ゲラ・ルシエンテスのものだった。レーダーに反応は無い。だが、奴は奴の率いる部下たちと共に、この戦域に到達しているはずだ。変化は、一瞬にして訪れた。ガリガリガリ、という耳障りなノイズが交信回路を満たし、レーダーはまるで砂嵐にあったかのように不明瞭な無数の光点を映し出すだけ。
「…や、何………っ……ねん!?」
「こ……てま……、ECM!!」
もう交信もまともに聞き取れない。後方を振り返って混乱する部下たちの姿を確認したマクレーンは、スロットルを押し込んで操縦桿を引いた。見慣れた仲間たちの姿が、後方へと遠ざかっていく。交信回路は既にノイズで満たされている。けれども、聞こえてきた悲痛な叫びだけは、マクレーンの心に深く突き刺さった。
「これが、これが貴方の答なの?応えて、ブルース!!」
――俺にも分からないんだよ、ヴァネッサ。もう見えなくなった部下たちの姿に向かって、マクレーンは心の中で叫んだ。唇を血が滲むほどに噛み締めながら。
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