傷だらけの脱出
捕捉した!あの隊長機を、マクレーン中尉の操るタイフーンを、ついに僕は完全に捕捉することに成功していた。悔しい気分も半分、そして止められない興奮が半分。だけど、そこで僕は重大な決断を強いられていることに初めて気が付いた。あれほど「躊躇うな」と自分に言い聞かせたはずなのに、いざその場面に直面してしまうと、その決断が揺らぐ。「完全に捕捉している」だけで決着が付くのは、残念ながら訓練のときだけだ。落とすか、落とされるか――それが、否応無く僕が放り込まれた戦いの空。中尉をねじ伏せるには、こちらが優位にあることを知らしめるしかない。慎重に狙いを定めようとしたことが、新たな敵に好機を与える結果となる。時間にしてみれば数秒の話だろうが、単調な機動を取った事が自分の首を絞める。悪寒を感じるのとコクピットに警告音が鳴り響くのはほぼ同時だった。慌てて振り返った僕の視界に、S-32独特の平べったい機影が飛び込んでくる。いつの間にあの敵は近付いていたのだろう?まさか敢えてレーダー照射も何もせず、息を潜めて僕を狙ってきたのだろうか。これまでの敵とは違う、不気味な雰囲気を感じ取って、僕の身体は反応したのかもしれない。隊長をこのまま追うか、回避機動へ転ずるか?結論を迷う必要は無かった。隊長とは違って、後ろの敵は「敵」だ。僕に対してトリガーを引くことに何の躊躇があるだろう?右方向へと操縦桿を倒しつつ、急旋回、加速。跳ね上がっていく速度計の数字を視界に入れつつ、旋回を続ける。今はとにかくミサイルレンジの範囲内から逃れることが肝要だ。旋回径を徐々に狭めながらの連続旋回。骨が軋み、内臓が容赦なくシェイクされる。体にいいはずがない。XR-45Sの機動性能を以ってすればさらに過激な機動も可能だろうが、同時に僕の身体がクラッシュするだろう。そのギリギリのラインを保ちながら、僕は必死の回避機動を試みた。
――だが、振り切れない。S-32という機体自体の性能は他のパイロットの操るものと大差ないはずなのに、僕の背後にへばり付いた敵はぴたりと離れない。まるで僕の稚拙な機動を嘲笑うかのような動き。向こうだって相当の負荷に耐え続けているはずなのに……。これではまだ足りないのか。スロットルを押し込んでさらなる加速を得ようとした刹那、機体に鈍い衝撃が数度走り、続けて轟音と衝撃を残して背後の敵が僕を追い越していった。鮮やかな急旋回を決めて次の攻撃態勢へと移ろうとする敵。僕は反対方向へと旋回して逃れようとするが、速度が上がらない。薄い黒煙は損傷を被った部位からのものでダメージ自体は大した事はないが、左エンジン付近を貫いた弾頭のおかげで、アフターバーナーが使用出来なくなっていたのだった。スロットルレバーをどんなに押し込もうとしても、レバーはその位置から動こうとしなかった。止む無く、高度を少しでも上げておこうとする僕の背後に、先程までの追撃から逃れたマクレーン中尉のタイフーンが喰らい付く。さらにその後方に、まるで精密機械が寸分違わぬ動きを見せるかのように隙の無い機動であのS-32が迫っていた。悪寒が震えへと昇格したのはこの時だったろう。経験の差というものを嫌というほど僕は見せ付けられる羽目となったのだから。際限なく鳴り響く警報音は、僕を追い詰めるための作戦に違いない。アフターバーナーが無かったとしても、XR-45Sは充分な戦闘能力を持ってはいる。だがそれは、相手が格下である場合の話だ!一度は振り払ったはずの絶望が、再び鎌首をもたげ始めていた。せめて助けを求められたら。いやいやいやいや、甘えちゃ駄目だ。ファクト少尉もスコットも、この状況下で戦い続けている。それに、この戦域は間違いなくサチャナの目と鼻の先。僕らの姿がレーダーから消失したとなれば偵察隊や捜索隊が飛んできてくれるはず。いい加減激しい機動の連続で呆けてきた頭で、そこまで思い付いたのは奇跡だったかもしれない。震えは相変わらず止まらないが、凍りかけた心はかろうじて温もりを取り戻しつつある。諦めちゃダメだ、と自分に言い聞かせて、操縦桿をしっかりと握り直す。一度後方を睨みつけて、尚も執拗に喰らいつく敵の姿を確認する。思わず惚れ惚れするようなシャープな旋回から、再び攻撃態勢。
スロットルOFF、両足を突っ張ってフットペダルを踏み付けつつ、操縦桿をぐいと引き付ける。衝撃と共に、機首を高空へ向けて愛機が跳ね上がる。急激な機動のため、僕の視界は一瞬ブラックアウト。至近距離でのガンアタックを狙っていたらしい敵から見れば、唐突に僕の機体の背中がせり上がったように見えただろう。まだ戻らない視界の中で勘を頼りに操縦桿を手繰りながら姿勢を戻しつつ離脱を図る。轟音が至近距離を通り抜けていく。攻撃に転じられなかったあのS-32を、ようやく出し抜くことが出来たというわけだ。後方にそっくり返るような感覚を受けつつ、そのままの慣性で機首を下方へと向けつつスロットルON、ダイブ!うまくいけば、後ろを取ることも可能なはず。黒から光を感じ始めた視界――そのHUDの向こうにうっすらと敵影を捉えたことに、久方ぶりの喜びが胸に溢れかけた。この好機を逃してはならない!早速上昇するために機首を跳ね上げた敵に喰らい付くべく、加速の乗ってきた機体をこちらも跳ね上げた――その瞬間だった。メリッ、という攻撃を喰らった時とも全く異なる嫌なきしみ音が聞こえ、鈍い衝撃が2回愛機を揺るがした。それでも後方から攻撃を受けたのか、と慌てて背後を振り返った僕が見出したのは、機関砲によって穿たれた傷痕ではなく、引き千切られたように姿の無くなった後部フィンと、恐らくは脱落したフィンが衝突したことによって損傷した、一方の垂直尾翼の姿だった。機体後部は構造部が剥き出しになっている部位もある。そんなところに機関砲弾のシャワーを浴びれば、今度こそジ・エンド。そして状況は最悪だ。ほんの僅かな隙に乗じて、よりにもよってマクレーン中尉のタイフーンがへばり付いてきた。無理は利かないと分かりつつも降下しながら速度を上げていくが、思うように飛ぶことが出来ない。そうこうしている間に、悠然と僕の頭上を通り過ぎたS-32が、再びぴたりと違わず、後背に喰らい付いてくる。そのキャノピーから、光の明滅が放たれる。
……コ・ウ・フ・ク・セ・ヨ。シ・タ・ガ・ワ・ナ・ケ・レ・バ・ゲ・キ・ツ・イ・ス・ル……。
それは、まさに最後通牒だった。ここまでなのか。僕はここで、敵の手に落ちるために戦ってきたとでも言うのか?希望を抱きかけた直後の絶望ほど効くものは無い、と僕は思い知った。全身から、精気が失われていくような感覚。疲労が身体中を鷲掴みにし、激しい機動に苛まれた身体は痛みを発していた。再び、敵のキャノピーが光る。
……コ・ウ・フ・ク・ス・ル・ナ・ラ・オ・ウ・ト・ウ・セ・ヨ。1・プ・ン・ダ・ケ・マ・ツ……。
まるで、何者かに操られるように、僕はマグライトを取り出した。どうせ、逃げられはしないんだ。どうせ、撃墜されるだけなら……敵の誘いは、甘美な麻薬のようなものだった。それに対し、意志を貫くことの何と辛く厳しいことか。肩越しにライトを構え、うろ覚えのモールス信号を放とうとした刹那、切り裂くような轟音と衝撃が、僕の機体を揺らした。ぎょっとしてその音の主を探した僕は、薄煙を引きながらもインメルマルターンから再び攻撃態勢を取り、僕の後背に陣取る敵機に狙いを定めるもう1機のタイフーンの姿を見出した。さすがに現状維持の危険を感じ取ったのか、敵機のマークが僕から外れる。旋回するS-32に対し、ファクト少尉のタイフーンが猛然と襲い掛かった。その鋭さは、マクレーン中尉の機動を上回るかの迫力だった。追撃から逃れるべく、S-32がアフターバーナーを焚いて回避機動へと転ずる。その後ろを追って、タイフーンが執拗に喰らい付く。空にらせん状の飛行機雲を刻みながら、2機が大空を切り裂くように駆ける。マクレーン中尉のタイフーンが轟然とダッシュ、さらにその後方へと迫る。まさかファクト少尉ですら、手にかけるつもりか!?僕はスロットルを押し込みつつ、傷だらけの愛機を加速させるが、到底追い付けるものではない。遠ざかっていく隊長たちの後姿を見送るしかない自分が、とても惨めに感じる。それでも僕はスロットルを押し込み続けた。S-32とタイフーンの描くループは複雑な飛行機雲を空に刻み続けている。そのうち、S-32の刻むループの機動が、急に変化した。スホーイ系の機体が得意とする高機動・アクロバットのような機動を、あの敵機はいとも簡単に繰り出して見せたのだ。やや斜め回転気味でクルビット、後方から接近するファクト少尉のタイフーンに狙いを定め、双方が正面を向き合う一瞬の隙を突いて、機関砲弾が放たれたのはその時だった。急旋回で直撃こそさけたものの、タイフーンの胴体に火花が散り、次いで黒煙が吹き出す。くそっ、助けに行かなくちゃ!焦燥が僕の心臓を鷲掴みにする。そうだ、スコットはどうしたんだ!?キャノピーの外を覗き込むようにして首を巡らせると、やや低い高度のところをスコットのF-2Aが飛んでいる。だが命中弾をくらっているのか、スコット機も黒煙を吹き出していたのだった。そんな、じゃあ誰がファクト少尉を助けられるっていうんだ。目の前で、僕は見殺しにするしかないというのか?せめて、マクレーン中尉がこっち側にいてくれたなら――気だけが急いて、距離は全く縮まらない。くそ、誰か、誰か僕たちを助けてくれ!心の中でそう叫んだ時、僕の脳裏に思い浮かんだのは「円卓の鬼神」の申し子――フィーナ・ラル・ノヴォトニー少尉の姿だった。だから、聞こえるはずの無い声が突然聞こえた時、僕はそれを幻聴じゃないかと疑ってしまった。
「……ス…ィン、ジャ………ン!そ……グリフィス隊のみんな、応答して!!」
それは、紛れも無い、フィーナ・ラル・ノヴォトニー少尉の叫び声だった。
ルシエンテスの野郎――!!
操縦桿を握る腕が震えている。黒煙を吐き出しながらも必死の回避機動を続けるヴァネッサ。その背後をぴたりと押さえ、虎視眈々と狙いを定めるルシエンテス。忘れたかった忌まわしい記憶が、目の前で再現されようとしている。理屈としてはルシエンテスが正しいのだろう。だが、彼には彼の理屈があるように、マクレーン自身にも理屈と理由とがあった。それにしても、ジャスティンの奴、この俺を手玉に取るとはな――苦笑せざるを得ないとは、この事か。中和剤タンクを抱えさせて対空装備を搭載出来ないように仕向け、電子妨害によってレーダーの目を奪い、圧倒的不利な戦況に追い込んでカタを付けるというルシエンテスの目論みは完全に撃ち砕かれた。それどころか、劣悪な戦況下でむしろサンサルバドルの鳥の方が攻撃を喰らう羽目となっていた。ルシエンテスとの戦いも見事だ。涼しい顔して後方にへばり付いていたのだろうが、実際にはルシエンテスも限界ギリギリで飛んでいたに違いない。マクレーン自身は、全くその機動通りには飛べなかったのだから。名実共に、ジャスティンはオーレリアのトップエースに相応しいパイロットへと育ったことが内心嬉しかった。業を煮やしたルシエンテスが苦虫をたっぷりと噛み潰していたのは明白だ。あのクールな男が、自身の言葉を忘れて実弾での攻撃を仕掛けたことが何よりの証拠だ。奴も焦っている。だからこそ、ヴァネッサの不意打ちが許せないのだ。
「隊長、…手、新手……が出現です!!AWA…1機、電子戦……2機、やられました!!」
「だぁぁぁーーーーっ!!けっ、煙、煙やぁぁぁぁぁっ!!」
そして最大の誤算は、カイト隊の2機がこの時点で現れたことだ。スコットの素っ頓狂な叫びが聞こえてくるということは、既に電子妨害の網が食い破られたことを意味している。サンサルバドル隊によるオーレリアのエース部隊鹵獲作戦は、完全に失敗に終わったのだ。その怒りが、言わば八つ当たりの形としてヴァネッサに向けられようとしていた。エンジンに損傷を負っているのか、彼女のタイフーンは速度を徐々に落としていく。それでも照準から逃れようと飛び続けるタイフーンの姿は痛ましい。俺は、また目前で助けられないのか?俺の迷いは、結局いつもこんな事態に帰するとでも言うのか?何を迷っている。あのとき、俺は誓ったんじゃなかったのか!?長い失望の日々で忘れかけていた熱いものが、マクレーンの胸の奥底で再び熱を放ち始めていた。
「ヴァネッサ、もうその機体はもたない!!機体を捨てて脱出しろ!!早く!!」
返答は無い。そりゃそうだ、こんな酷い裏切りを企てた男の声に、彼女が応える必要性も無い。それでも、全てが失敗に終わった今、こんな自分にも好意を寄せ続けてくれた女性の命を見捨てるわけにはいかなかった。
「返事をしろ、ヴァネッサ!!」
「アンタなぁ……、ワイらを裏切って今更何ゆーとるんや!!今から落としに行ったるさかい、首洗って待っとれこのスカタン!!」
「……ホント、火付きが悪いんだから。遅いのよ、戻ってくるのが」
戻ってきた声は、彼女に似つかわしくなく、弱々しいものだった。
「――マクレーン。今更、引き返すつもりか。思い出せ、我々の屈辱を。戦いの意義は――」
「分かっているさ、分かっているよ!!だがなぁ、お前こそ、俺との約束を違えてくれたな。俺の部下たちに傷を負わせるな――そう言ったはずだ!!」
「火付きの悪いやつめ。ならば、お前の迷いを、今ここで振り払ってやる。私の手で、お前を迷わせる存在を踏み潰してやる」
「そうやって、あの時も引き金を引いたのか!?応えろ、ルシエンテス!!」
轟然と加速して、ルシエンテスの姿を目前に捉えたマクレーンは、今度こそ迷いもせず引き金を引いた。だが、機関砲弾の初弾が命中するよりも早く、真横へと跳んだS-32は、マクレーンの機体を中心にして巻き込むようにローリングしてその後背へと襲いかかる。速度が乗り過ぎていたマクレーンは、ルシエンテスの前方へと飛び出してしまう。これまで、彼に葬られてきた者たちが耳にしたであろう、低く冷たい声が、背中から放たれた。
「――残念だ、戦友」
「ブルース!!」
衝撃は――来なかった。だが、自分の後方至近距離で、その攻撃を被った機体があった。黒煙だけでなく、ついに炎を吹き出したタイフーンのキャノピーの向こうで、マクレーンは確かに見た。ヴァネッサが微笑む姿を。コントロールを失った彼女の機体は、真っ黒い煙に包まれながら高度を下げていったが、やがてそのキャノピーが吹き飛び、真っ白なパラシュートの花が開いた。
「最後まで邪魔立てするか、女!!」
こともあろうに、ルシエンテスはまだ攻撃を仕掛けるつもりだ。――させるかよ。もうオーレリアの空に自分がいる必要は無い。その役目は、若いエースたちが充分に果たしてくれるに違いない。加速しつつ急旋回、ルシエンテスの攻撃コースに強引に割り込む針路を取って、マクレーンは愛機を加速させた。俺は、もうあの時の過ちを犯さない!心の中で叫びながら、マクレーンは愛機の背中をルシエンテスの前に晒した。
「これが、俺の答だ、ルシエンテス!!」
それは、思いもしなかった光景だった。大空に真っ黒な黒煙を残して、この戦争が始まってから一緒に飛び続けてきたマクレーン中尉とファクト少尉のタイフーンが、もうこの空には無い。でも、どういうことなんだ?一時は僕らの敵に回って、僕を狙っていたマクレーン隊長。その隊長機が、ファクト少尉の盾となって、敵のどうやら隊長機らしいS-32の攻撃を満身に浴びて撃墜されてしまった。相変わらずどっちつかずなところは隊長らしいけれど、僕らの敵となった事実が変わるわけではない。言い様の無い不安が胸の中に渦巻いている。僕とスコット、マクレーン隊長にファクト少尉、このカルテットで飛び続けてきた日々には、多分もう戻れない。何だかんだと言いながら、僕らが今日まで戦い続けることが出来たのは、昼行灯とまで罵られていたブルース・マクレーンの指揮とバックアップがあったからだというのに――。僕らだけで飛べ、と言われることが、とても怖くなってしまった。戦闘自体は既に終了しつつあり、無茶な飛び方をする必要もなくなっていたが、限界まで張り詰めていた緊張はそうそう抜けるものではない。高空から戦場へと突入したノヴォトニー少尉と、遅れて現れたファレーエフ中尉の2機は、マクレーン隊長たちを撃墜したS-32に襲い掛かっていった。僕とスコットはようやく合流を果たしたものの、二人とも機体はボロボロ、身体は疲労困憊で、唯一出来たことはその戦いを遠巻きに眺めることだけだった。だが、戦闘が長引くことは無かった。既に電子妨害もなく、獲物たる僕らの鹵獲に失敗した敵がここに留まるだけの理由もなくなっていたのだ。
「……なぁ、ヴァネッサはん、大丈夫かいな?」
「大丈夫だよ、きっと。自分まで盾になってんだから、隊長が何とかしているさ」
「だからといって許す気にはならへんで!あんの野郎……!!」
スコットの怒りももっともだ。だけど、隊長は何も言わずに仕掛けてきたわけではない。もちろん怒りが無いわけではなかったけれど、今はむしろ隊長をそうまでさせた「理由」が知りたかった。本気で僕らを見捨てるつもりだったら、わざわざ発光信号で「降伏しろ」などとは伝えないだろう。僕はようやくその機能を復活させたレーダーへと視線を移した。僕とスコット、そしてカイト隊の2機。友軍を示すマーカーはそれだけ。レサス軍のIFF反応を示すマーカーが、速度を上げて北東へと遠ざかっていく。しばらくは牽制するように旋回していた2機のF-22Sだったが、そのうち一方が踵を返すと僕らの頭上を通過していった。そして、舞い降りてきたノヴォトニー少尉の機体が、XR-45Sの周囲をゆっくりとローリングする。どうやら、僕のいるコクピットから見える状況よりも損傷はひどいようだ。
「ジャスティン、遅れちゃってご免なさい。大丈夫?」
「ちょ……あのー、ノヴォトニー少尉、自分も黒煙吐いてますんやけど……」
「ハハハ、あれだけ大声で叫んでいれば、君が健在なのは聞くまでも無いさ、スコット」
スコットが盛大なため息を吐き出すのを聞いて、ようやく僕の緊張が少しばかり解れたようだった。この状況下だ。さすがに声を立てて笑う気にはなれなかったけれど。
「ノヴォトニー少尉、ありがとうございました。すみません、心配ばかりかけちゃって……」
「いいよ、無事なら、それでいいの。XR-45Sも守ってくれたんだね、きっと。こんなになってるのに、まだ飛べるんだから――」
「――ありがとうございました」
他にもっと言い方があるのだろうけど。こういうときは、百戦錬磨のスコットが羨ましいと思う。それでも、何となく、少尉の言葉が少し湿っぽく感じたのは気のせいだろうか?真横に並んでいる少尉の機体と、キャノピー越しに見えるその姿が見えるだけで、何て心強いんだろう。じわり、とぼやけてきた視界。慌てて僕はグローブで強引に顔を拭った。
「いずれにせよ、話はサチャナに戻ってからだ。二人の機体も限界だし、落ちた二人の救援も依頼せにゃならん。ジャスティン、スコット、機体が持ちそうに無いと思ったら、迷わずベイルアウトしろ」
「せやけど……ファクト少尉が……」
「要救助者を増やしてくれるなよ。そんなに加わりたければ、私がやってやるがな」
僕のXR-45Sはともかくとして、スコットのF-2Aの損傷は確かに深刻だった。逆に言うなれば、それでも飛んでいるのは奴の腕と悪運の強さと、その双方の賜物なのだろう。僕らが今すべきことは、とにかく生還すること。このまま浮かんでいても、ベイルアウトしたマクレーン隊長たちを救出出来るわけではない。どうやら負傷しているらしいファクト少尉を見捨てていくのは断腸の思いだけど、そこは隊長がきっと何とかしてくれる――おかしなもので、僕は未だにマクレーン隊長を信じたくて仕方ないらしい。
「スコット、今は撤退しよう。ファレーエフ中尉の言うとおり、僕らに今出来ることは無い。救援部隊に墜落地点情報を伝えることも、僕らの役目だろう?それに……多分、隊長が付いてくれている。今は、信じてみよう、マクレーン中尉を」
「……分かった。その代わり、戻ってきた隊長ぶん殴っても止めんなや?」
「止めないさ。他の人が止めに入るかもしれないけど」
ようやく開かれた、檻の扉。もちろん大空にそんな物の姿は無かったけれども、僕らを囲っていた敵の罠は跡形もなくなっていた。サチャナへ向かう針路に機首を向けた僕は、体重をシートの背もたれに預け、そしてゆっくりとため息を吐き出した。もう一度傍らの機体に視線を動かすと、多分向こうもこっちに視線を向けていたに違いない。ちょっと照れたように、少尉が手を小さく振るのが見えた。
ジャスティンたちの生存が伝わるや否や、サチャナ基地は騒がしさと慌しさを取り戻した。スコットとジャスティンの機体が共に被弾しているというので、消防車や消防隊がこの暑いのに早くもスタンバイを始めたかと思えば、身近なところではXR-45Sの修理部品の在庫確認で、フォルドと彼の部下たちが慌しく倉庫を駆け回り始める。そしてデル・モナコといえば――、被弾により損傷甚大、という一報に落胆したかと思ったら、俄かに目を輝かせて端末へ向かって猛烈な勢いで何事かを打ち込み始めている。自分自身もまた安堵で胸を撫で下ろし、ようやく陽気な気分を取り戻しつつあることに、サバティーニは苦笑した。事実、レーダーからジャスティンたちの姿が消え、カイト隊の2機がスクランブル発進してからの時間は、まるで通夜のような有様だった。それに比べれば、はるかにマシ――。この喧騒こそ、オーレリア不正規軍に相応しい空気と雰囲気に違いなかった。それでも、素直に喜んでばかりもいられないのが、一応は指揮官層にある人間の辛いところだ。要救助者2名、ということはファクトとマクレーンが墜ちたということになる。どうやら踏み止まってくれたことは嬉しいが、今後どうやってマクレーンの裏切りを極力隠蔽するのか、それとも全てを明らかにしてしまうべきなのか、迷うことになるだろう。「要救助者2名」とだけ伝えて来たファレーエフも、恐らく内心穏やかではないに違いない。
「ほら、そんなところに工具箱置いておくんじゃない!!」
「大丈夫っすよ、大丈夫……って、のわぁぁぁぁっ!!」
盛大にネジをばら撒く音が聞こえてきて、思わずサバティーニはそっぽを向いてしまった。その視線の先に、この基地でまだ陽の目も見ずに眠っている戦闘機の姿があった。XR-45Sの専属パイロットであるジャスティンは別として、そろそろスコットあたりに使わせてみても面白いかもしれない。あのおしゃべりのすけこましも、充分にエースと呼ばれるに相応しい腕前になりつつあるのだから。
「班長……どうしました?」
「おうフォルドか。……のぅ、確かあの機体基本的なメンテはやってあったはずじゃな?」
「エンジンは一度オーバーホールしてみた方がいいかもしれませんが、飛ぶだけならすぐにでも」
「良し。F-2Aと入れ替えるぞ。そのつもりで、整備スケジュールを組んでおいてくれ」
ぎょっ、とした顔をしたのもつかの間、フォルドの強面に笑みが浮かぶ。彼も同じ気持ちなのだろう。空へ飛び上がることを許されず、格納庫の奥に押し込められてしまっていた機体を見ているのは辛いのだ。
「このままじゃ尾翼が寂しいから、何か描いてやれ。スコットに似合いそうな奴を。ああ、裸だけはだめじゃよ。フィーナ嬢が赤面しちまうからなぁ」
冗談半分に言ったつもりだったが、フォルドは笑みを消して真剣な顔で頷いたものである。グリフィス隊を含めて、オーブリー組の機体にエンブレムを描くのは、フォルドの楽しみであった。ところが、今は基地内に凄腕のライバルが出現していたのだ。レイヴン艦隊のオズワルドがそれだ。傭兵たちを中心にして注文が為されていくのを、実のところ悔しい思いでフォルドは眺めていたのだろう。太い腕にぐっと筋肉を浮かべながら、フォルドは言った。
「では、とびっきり性悪なマムシでも描いてやりますか。傭兵たち曰く、後ろに付かれたくないほどしつっこい――飛び方をするそうですからね」
本人の意志は関係なしか――サバティーニは再び苦笑を浮かべたものである。
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