前進、再会、そして過去
何もすることの無い時間は、思った以上に苦痛だった。想定とおり、オズワルド准尉からはたんまりと音楽データの入った携帯プレーヤーを無期限でレンタル出来たので、寝る前や部屋にこもっているときの友は出来たのだが……。まさか一日中そうしているわけにもいかず、自室待機は一日目にして終了となった。せめて愛機のワックスかけやラフチェックでも出来れば時間の潰しようもあるのだが、僕とスコット用に割り当てられた格納庫は、サバティーニ班長とデル・モナコ女史らの手によって「技術関係者以外一切立入禁止」の札が掲げられ、中の様子を見ることも出来なくなってしまった。時折開かれた格納庫のドアから、物資搬送時に使用するコンテナがいくつも運び込まれていくのだが、整備班の面々に尋ねても、申し訳無さそうな顔で「ノー・コメント」の一言が返ってくるばかり。結局、時間を持て余した僕に出来ることといったら、いざ空に上がれるようになった場合に備えて体力を維持しておくことと、これまでおろそかにしがちだった空戦理論やアビオニクス関係の知識をこの際詰め込んでおくくらいのものだった。幸い、ここサチャナには、トレーニング設備も含めて施設が充実している。スコットも巻き込んでみようか、と思ってコンタクトを取ってみるけれど、夜に自室にいた試しが無い。怪我人なら怪我人らしく大人しくしていればいいものを、どうやら毎晩誰かの部屋を泊まり歩いているらしいことは明白だった。仕方なく、今日も僕はタオルを首に引っ掛け、Tシャツにジャージのズボン姿で、一人ロードワーク。オーレリアの夏はまさに盛りに入ってきて、青空に輝く太陽がとても眩しい。真昼間にはとてもではないが長時間立っていられる環境では無いので、僕のランニング時間は朝と夕方に限定されている。
愛機に乗っていると、一瞬で通り過ぎていくはずの距離が、意外と長いことに気が付く。400メートルであったとしても、人間の足で走ったなら1分かかっておかしくないのだ。そんな時間の使い方を開戦からしばらくの間、僕はほとんど持っていなかった。それだけに、こうして走っている時間というのものが、何だか新鮮で楽しい。本格的な軍事作戦が行われていないせいもあり、サチャナの滑走路は偵察任務や輸送任務に出る機体を除いては、ほとんどハンガーの中にいる。腕時計をちらりと眺めてペースを確認しつつ、テンポ良く足を踏み出す。タッタッタッタッ、という自分の足音を聞きながら、僕は走ること自体に没頭していた。メインの滑走路の真ん中辺りまで走った頃だろうか、甲高い咆哮が背中越しに聞こえてきた、と思ったら、二基のエンジンからアフターバーナーを吹き出したSu-27が2機、僕を追い越していった。。尾翼の部隊章から見て、どうやらオーレリアが雇い入れた傭兵のものらしい。まだ部隊番号等が載せられていない辺りが、急ごしらえの不正規軍ならではの状況と言うべきか。尾を引く排気音を残して、Su-27の流線的なフォルムが空へと駆け上がっていく。フォーメーションを全く崩さずに編隊離陸していく辺り、腕は相当いいらしい。僕もスコットも、飛び始めた頃は物の見事に編隊を崩してしまい、隊長の怒声とファクト少尉の笑い声とに挟まれたものだ。それはほんの少し前のことだというのに、多分もう見られない光景だ。ごく軽傷で済んだ僕らとは違い、ファクト少尉の怪我は重傷だった。この戦争がいつまで続くのか知らないが、再び飛べるようになるまでは相当な時間とリハビリを要する……と聞かされた僕らがブルーになったのは言うまでもない。やれやれ、なかなか没頭出来ていないぞ。何度か首を振ると、いい加減に伸び放題の前髪を伝って、汗の雫が焼けたコンクリートの上にささやかなお湿りを残す。飛び立った戦闘機の群れの残した排気雲を追いながら、再び僕は駆けることだけに専念して足を動かすことにした。
一度滑走路の端まで走り、再び折り返して走り始めた居住区まで戻ってきた頃には、Tシャツはびっしょり。これじゃあ安静にしているとは言えないな、と思いながらも、水道の蛇口の下に頭を突っ込んで水をひっかぶると、暑く火照った頭が急激に冷やされてこめかみがキンと痛くなる。濡れた髪を乾かすのがまた問題なのだが、今日くらいの温度なら放っておいても乾きそうだ。まるで犬がするように、何度か首を振って水っ気を飛ばし、手で水をすくって何杯か流し込む。後でスポーツドリンクを流し込むとしても、乾いた身体には心地良い潤いが、喉を駆け下りていく。一息ついて立ち上がろうとした僕の首筋に、冷たいものが押し当てられたのはそんな時だった。びっくりして飛び上がった僕の姿を悪戯っぽい笑みを浮かべながらノヴォトニー少尉が眺めていた。
「そんなに驚かなくてもいいのに」
「誰でも驚きますってば!……少尉もそんな悪戯、するんですね」
「あら、父親には良くやっていたわよ?赤ん坊の頃は一番乱暴だったらしいけど」
差し出されたスポーツドリンクのペットボトルを礼を言いつつ受け取って、ぐいっと呷る。水道脇のベンチに腰を下ろした少尉も、こちらは紅茶の缶を手にしていた。後ろで結んだ金髪が、滑走路を吹き抜けていく風にあおられて揺れている。何を話したらいいんだろう、と僕は思わず考え込んでしまう。ああもう、スコットの奴はこういうときにどうしていないんだ。何を話すでもなかったけれど、ノヴォトニー少尉は何だか楽しそうに微笑んでいる。沈黙を破ったのも、少尉の方が先だった。
「カイト隊に新しい命令が下されたわ。私ね、グランディス隊長と一緒にグリスウォールに潜入することになったのよ」
「潜入……って、少尉、地上戦闘の訓練も受けていたんですか?」
「ファレーエフ中尉みたいなこと言うのね、ジャスティンも。自慢にもならないけれど、受けてるわけ無いでしょ、私が」
「そう……ですか」
別に僕がどうこう言える立場にあるわけではないが、やっぱり残念だ。しばらくの間、こうやって会話をかわす時間も取れないのかと思うと、胸の奥がしゅんとしてしまう。それも、行き先はよりにもよってグリスウォール。ディエゴ・ギャスパー・ナバロ率いるレサス軍の中枢じゃないか!グランディス隊長に同行、ということは、こいつは単なる観光旅行であるはずも無い。レイヴン艦隊が僕ら不正規軍に協力している最大の理由である、ゼネラル・リソースの暗躍を暴くという目的に沿った潜入ミッションであることは間違いないだろう。そして、グリスウォールを含めたオーレリア北部は、ネベラ山に設置された高出力の電子妨害の網に覆われ、レーダー等による策敵も偵察も出来ない状態に置かれている。何かあったとしても、僕らが駆け付けることが物理的に出来ないのだ。まあ、飛べない時点で僕はどのみち少尉の手伝いも出来ない状況にあるのだが。それに、グランディス隊長が自ら乗り込んでいく時に、何事も無く物事が進むとは到底思えない。隊長のことだ。好んで火を付けて回りそうな気がする。子供の頃に見た映画に出てくるようなキャラクターを思い浮かべて、僕は思わず忍び笑いをしてしまった。両手に重機関銃を抱え、マガジンをベルトにぶら下げて突っ走る隊長の姿は、いかにもアクション映画かコミックに似合いそうな光景だ。そしてそんな無茶を現実にやりそうな隊長に付き合わされるのは……とても心配だ。
「……言っても無駄かもしれませんけど、危ないことはしないで下さいよ。航空隊の皆が心配すると思いますし……」
我ながら素直じゃないな。皆を引き合いに出す必要も無いのに。
「隊長次第、って気がするけれど。先んじて潜入している諜報員が、オーレリア側の協力者とも連絡を取り合っているみたいだから、単独潜入というわけではないみたい」
「本当に大丈夫ですかねぇ……」
ノヴォトニー少尉は少しだけ照れたような顔で、辺りを何度か見回した。偶然なのか、それともスコットのようなお節介焼きたちが気を使っているのか、僕と少尉の周りには何故か人が珍しいことにいなかった。しばらく困ったような表情を浮かべて空を見上げていた少尉が、少し低い声で口を開く。
「……心配してくれるの?」
「そりゃまあ……行く先はグリスウォールですし、レサス軍の制圧下ですし、何かあったら嫌ですし……。僕も……心配です」
最後の方は小声になってしまい、僕は下を向いてしまう。少尉も少尉で、視線を明後日の方向に向けながら、人差し指で頬を引っかいている。助けてくれスコット、こういうとき、どんな言葉を口にするのがいいんだ!?沈黙の天使が僕と少尉の間を何人飛び回っただろうか?少しためらいがちに、少尉が沈黙を破った。
「ジャスティン。この間の戦闘の時ね、私とても心配したんだよ。もし間に合わなかったらどうしよう、ジャスティンたちがいなくなっていたらどうしよう……って。だから、ジャスティンたちの姿を確認した時は本当に嬉しかったし、敵に対して本気で腹を立てたの。――あんなに、人の事心配したのは、初めてかな」
僕だって、やっぱり嬉しかった。何とかしなくちゃ、と思ったときに、僕の頭に思い浮かんだのは少尉の姿だったのだから。高空から舞い降りてくる少尉の姿を見つけ出した時、どれほど嬉しかったことか。
「本当に、ありがとうございました。でも、ちょっと嬉しいです。少尉に、そんな心配してもらってたなんて、思いもしませんでした」
「だから……えと、だからね、そのー。……今度はジャスティンがそうしている番よ。私を心配しながら、待っている番。貸しはちゃんと、返してもらわないと、ね?」
「何だか余計に心配になってきましたよ」
こんなに間近で少尉の目を覗き込むのは初めてだったろう。そして、僕らはお互いに笑い出した。笑いながら、唐突に僕は理解した。スコットに言われるまでも無い。僕は、きっと少尉のことを好きなんだろう、と。とてもそんな言葉を口に出すことは出来ないけれど、僕らがレサス軍の航空部隊の罠にはまっていたとき、少尉が必死の思いで僕らを助けに来てくれたということが分かって、僕はとても嬉しかったのだ。何となく泣き笑いのように聞こえた声は、本当にそうだったのだろう。今はまだ、これが僕の限界だけど、こうやって少尉と一緒にいる時間があるだけでも、僕はハッピーなんだ。同時に、少尉のファンたちを敵に回すことになるのだろう、きっと。それでいい。少尉が僕を心配してくれていたように、今度は僕が少尉を心配して待っていよう。少尉が戻ってきたら言うべき言葉を、僕はそっと心の奥底に刻んでおいた。紅茶の缶を飲み干した少尉が、音も無く滑らかに立ち上がる。僕の前に立った少尉は、この間もそうしたように片方の手を腰に当てて、もう一方の手の人差し指を僕の額に当てた。
「それと一つだけ約束。私が戻ってくるまでに身体を治しておくこと。いい?」
「……分かりました。でも、気を付けて下さいね。……フィーナさん」
スコットとの話の中で、少尉をそう呼んだことは何度もある。でも、本人の前でそう言ってみたのは初めてだった。何だかとても新鮮な気分。言われた当の本人は目を丸くして、顔面を真っ赤に染めている。年上の女性に言うようなことではないかもしれないけれど、少尉のそんな仕種はとても可愛らしい。
「良し!」
照れながらも満面に笑みを浮かべて、少尉が親指を立てる。本当に生き残れて良かった、と僕は心の底から思った。ちょっと冒険だったけれど、どうやら諒解してもらえたらしい。じゃ、と少し照れくさそうにしながら歩いていく少尉の後姿を見ながら、ちょっと空虚になりかけていた心と身体に、力が満ちてくるような感触が、今はとても心地良かった。
カイト隊の面々がサチャナ基地留守番組に見送られて飛び立っていったのは、次の日のこと。あいにくの雨の中、エンブレムの描かれていないノヴォトニー少尉のF-22Sが水煙をまきあげながら離陸していくのを、僕は見送った。やっぱり何だか寂しい。おまけに雨ではロードワークも無理。資料室にこもってたまには勉強するか、と基地の中を歩いていると、外の天気に負けないくらいに不機嫌そうな顔をしたスコットが僕を手招きしていた。良く見ると、首筋には新しいアザが増えている。また昨晩もお楽しみだったようなのに、何で憮然としているんだか。
「珍しく不機嫌じゃないか。うまくいかなかったとか?」
「そんなんちゃうわ。どっかの幸せモンのおかげで俺は大変やったんや」
「……また、グランディス隊長の熱い訓示を受けたのかい?」
「なんで俺ばっか……。そのうち道連れにしたる」
なるほど、憮然としているのはそういうわけか。ということは……。
「やっぱり夜は楽しんでいるんじゃないか!!」
「まあ、ソレはソレ、コレはコレや」
「何だよ、それ。……で、何か用事あるんだろ?」
スコットは両手を打ち合わせて、大げさに腕を広げてみせた。オーバーリアクションは本当にこいつに良く似合う。
「この雨じゃトレーニングも出来んし、ヴァネッサさんの見舞いに行かへん?手術も終わって病室に移ったっちゅう話や。……まあ、色々あったさかい、ちょっとは俺らでも気晴らしの相手にはなるやろ?」
そうか、手術が終わったのか。あの日、マクレーン中尉に付き添われて病棟へ担ぎ込まれたファクト少尉の怪我は、命に別状は無いとはいえ重傷だったのだ。手術が無事終わったことは何より喜ばしいことだった。これで、グリフィス隊に何も無ければ全て良しだったわけだが……。病室に移ったとはいえ、まだ病み上がりのファクト少尉に負担をかけさせない程度に話をするのは良いだろう。そういう点では良く気の利くところに、スコットのマメさが滲み出る。サチャナ基地の病棟エリアは、僕らの居住地区からそんなに離れていない場所に位置し、渡り廊下を歩いていけばほとんど雨に濡れずに移動が出来るのだ。こうやってスコットと並んで歩いていると、オーブリー基地の訓練学校の校舎を思い出す。ヒヨッコだった僕たちは、気が付けば、オーレリア不正規軍の中で最も実戦経験豊富な戦闘機乗りになっていた。不正規軍が召集した傭兵たちは歴戦の猛者たちが多いというのに、彼らはとても好意的だった。正規軍と傭兵隊は角突き合わせるのが伝統だそうだが、もともと正規兵ですらないのに、正規兵を遥かに凌ぐ活躍と戦果を挙げてきた僕たちは、どちらかといえば傭兵達の立場に近いからなのだろう。冗談交じりに、この戦争が終わったらしばらく傭兵やってみるか、と誘ってくれる気のいい男たちもいるのだ。もし行き先が、憧れのヴァレー基地だったら、それもいい。でも、今の僕にはもっと行ってみたい部隊がある。そこに行くには、多少面倒でも正規兵の道を行くのが最短距離だった。
病棟エリアの中に入ると途端に苦手な匂いが充満してくる。この独特の薬の香りが、僕は実のところあんまり得意ではなかった。どうやらオペレーターだけではあきたらず、ナースにまで知り合いを拡張しているらしいスコットが楽しそうに手を振りながら歩いている。だけど、品定めされているような視線を感じるのは何故だろう?クスクス、という笑い声が時折聞こえてくることに首を傾げながら、僕らは病室に至るエレベーターへと乗り込んだ。扉が閉まるなり、スコットが盛大なため息を吐き出して首を振る。
「……あんなぁ、ジャス。多分知らへんのはお前とフィーナはんくらいやろうけど、南十字星の名を持つお前はん、全軍の女性の憧れの的なんやで。ワイのように地道な努力を重ねなくても、100や200の花を摘めるくらいの。全く、この甲斐性なし。……ま、せやから鬼隊長も認めているんやろうけど」
「グランディス隊長が何だって?」
「うんにゃ、幸せモンには関係ないわ」
エレベーターの電光掲示が「4」で停止し、フシュン、という音と共に開かれる。当然のことながらゴミなど落ちているはずもない、綺麗な廊下は基地の中とは大違いだ。何しろ傭兵の比率が上がってからというものの、転がっているゴミの質まで変わってきた。ビール缶にウィスキーボトル、果てはいかがわしい雑誌まで。でも類は友を呼ぶと言うべきか、朱に染まると言うべきか、正規兵の側が徐々に変質しつつあるように僕には見える。堅苦しくならないという点では、良い化学変化なのだろう。
「あ、ここやここ。すんまへーん、国営放送の集金に来ましたー!」
「阿呆なこと言っておらんで、早く入ってこんかい、バカタレ!!」
スコットの冗談に返ってきたのは、サバティーニ班長の気合声だった。あちゃー、と額に手を当てたスコットが、そっと扉を開いていく。
「遅うなりました。ジャスを連れて来ましたで」
「ありがとう、スコット。ジャスティンもいるんでしょ、早く入って」
思ったよりも元気そうなファクト少尉の声が聞こえてきたので、僕は安心して病室の中へと入った。一人分にしては充分に広すぎる個室の扉を閉めて振り返ると、スコットが片足を浮かせた状態で固まっている。相変わらず器用な奴だ、と思った僕も、次の瞬間には同じように固まっていた。病室の中には、先客が二人。いつもと変わらないツナギ姿のサバティーニ班長。もう一人も、僕らは充分に良く知っている。けれど、こんなところに顔を出せるはずも無い人間が、バツの悪そうな表情を浮かべて、ファクト少尉の側の椅子に腰を下ろしていた。
「……マクレーン隊長」
「アンタ……よくもヌケヌケとワイの前に……!」
「スコット、ここは病室。分かる?」
ファクト少尉に機先を制され、スコットが渋々と握り締めた拳をゆっくりと下ろしていく。マクレーン中尉の頬には、僕が殴り付けたときのアザがまだはっきりと残っていたのである。不承不承、空いている椅子にスコットが乱暴に腰を下ろす。僕もその隣の椅子に座って、改めて僕らを裏切ろうとした恩人に視線を向ける。心なしか、雰囲気が変わったように感じるのは僕だけだろうか?オーブリー基地で、そして不正規軍の戦いの中で見続けてきたマクレーン中尉の靄のかかったような姿勢とは、何かが違っている。苦笑を浮かべている中尉と視線が交錯した時、僕はようやくその理由を理解した。目の光が、違う。昼行灯の渾名の通り、無気力・無関心を証明していたような澱んだ目が、今は強い意志の光を湛えている。もしかしたら、これがオーブリーに辿り着く前の、エースパイロットと呼ばれていた頃の中尉の名残なのかもしれない。
「ワシが呼んだのじゃよ。まぁ、正規軍じゃったら絶対に許してもらえんだろうが、何しろワシらは不正規軍。全く、世話を焼かしてくれるわい、マクレーン元中尉は」
「面目ない。穴があったら何とやら、という心情が今は良く理解できるよ」
「当たり前じゃ!グリフィス隊を改めて壊滅させたのが他ならぬお前さんじゃったんだからのぉ」
「壊滅……。班長、じゃあ僕たちは。僕たちグリフィス隊は、解散ということですか?」
「慌てるな、ジャスティン。確かに、俺はもうお前たちの指揮を執ることは出来ない。その資格も無い。そういう意味では、グリフィス隊は確かに壊滅してしまった……させてしまった。でもそれは、俺が指揮していたグリフィス隊の話だ。だいいち、ジャスティンはともかくとしても、スコットは俺に指示を出されたくないだろう?」
ぷい、とスコットがそっぽを向く。やれやれ、とマクレーン中尉が苦笑を浮かべ、仕方ないでしょ、とファクト少尉が小声で呟いている。雨降って地固まる、の諺とおり、隊長たち二人にとっては今回の事件はいい方向に作用したらしい。でも、マクレーン中尉抜きで僕らは一体どうすれば良いのだろう?……待てよ、何か引っかかる。"俺が指揮していたグリフィス隊"――そう、中尉は確かにそう言った。ということは、隊長以外の誰かが僕らの指揮を執るということだ。誰だろう?僕が思い浮かべたのは、何といっても僕らの解放戦争で馴染みの深いカイト隊の面々の姿だ。ファレーエフ中尉あたりは現実的だろうか?案外、カイト隊編入なんて話もあるかもしれない。そうでなくても、やりやすい上官がいいな……。一人で思案に耽っていた僕の耳に聞こえてきたのは、思いもよらぬサバティーニ班長の言葉だった。
「そういうわけでじゃ。グリフィス隊は再編成のうえ、ジャスティン・ロッソ・ガイオ特務少尉を隊長に任命する。ラファエーレ・スコット特務少尉はガイオ隊長の補佐に付くこと。こいつは決定事項じゃ。拒否は認めんぞい」
「へ?」
「は?」
何だって?特務少尉、隊長、決定事項?サバティーニ班長の言葉をようやく理解した僕の頭は、更なるパニックに陥ることになる。
「僕が隊長ですか!?……正気ですか、皆さんは?僕は正規兵ですらないんですよ!!」
「じゃから、特務少尉なんて中途半端な辞令を出したんじゃよ。これに伴って、他の隊についても若干だが再編成を行う。スコット、お前さんはついでに機種転換訓練を受けてもらう。XFA-24S、あれがお前さんの新しい翼じゃ」
スコットが大げさに身体を仰け反らせる。とはいえ、驚いているのは間違いない。僕だってそうだ。この基地の大人たちは、よりにもよって不正規兵に加えて未成年の僕らに最新鋭の試作機を与えたうえで、さらに一部隊の指揮官として任命したのだ。子供の妄想よりもタチが悪い。妄想ならそれで終わるが、僕らは現実に戦場の空を飛ばなくてはならないのだから。高性能の試作戦闘機を操る若者パイロット二人。まるで漫画かドラマのテーマみたいだ。
「月並みな台詞で悪いが、ジャスティン、もうお前なら大丈夫だ。スコットだって、撃墜スコアはヴァネッサを上回っていること分かっているか?……俺が言えた義理じゃないが、お前たちはもう一端のエースなんだよ。それは不正規軍の誰もが分かってる。分かってないのは後から加わってきた役立たずの連中たちだが、いずれ思い知る時が来る。ジャスティン、やってみろ。戦場を知らないグズよりも、戦場を知ってしまったガキの方が、傭兵たちも言う事を聞く。それが南十字星のエースなら、尚更さ。グランディス隊長も、本件には全面的に賛同してくれたよ」
「どいつもこいつも……!嬉しない言うたら嘘やけど、遊びやないんやで!?どこに子供を部隊長に据える軍隊があるんや!?」
「ここにある。オーレリア不正軍という組織がのう。まあええわ。マクレーン、そろそろ本題に入ったらどうじゃ?我々の戦いの、「真の敵」の話をのぅ」
「真の敵?」
「そうだジャスティン。サバティーニ班長に無理を言って裏切者の俺がここに来たのは、お前たちにこの戦争の「真の敵」を知っておいてもらいたかったからだ。そのためにも、悪いが昔話に付き合ってもらう必要がある。……ヴァネッサにも、まだ話してなかった昔話がな」
「酷い話ね。そんな大事なことを黙っているなんて」
「誰にも話したことは無いさ。話したくも無かった。だが、奴――ペドロ・ゲラ・ルシエンテスと戦うなら、話は別だ。だから、恥を忍んでここにやって来た。少なくとも、ジャスティン、スコット、お前たちには聞いてもらいたい話だ。これからの、オーレリアの戦いのためにも、お前たちの未来のためにも」
マクレーン中尉の顔は、真剣そのものだった。僕たちの敵。戦わなくてはならない敵。倒すべき敵。そう言われてみれば、僕らは僕らを襲撃してきた敵の姿すら知らない。これから戦わなくてはならない敵の姿すら、これまでは知らなくても良かった。でも、これからは違う。僕らの意志はともかくとして、グリフィス隊として飛び続けるならば、僕らは知っておかねばならない。敵の正体を。マクレーン中尉がその断片を知っているという、敵のエースパイロットと彼の背後にある真の敵の姿を。
「――教えて下さい。僕らが戦うべき「敵」を。僕らが進むべき道を」
両目をつぶり、何度か頷いた中尉は組んでいた指を解き、身を乗り出した。
「……分かった。そうだな、もし生きていれば、ヴァネッサと同じくらいか。まだ俺も若かった頃の話さ。そこで、俺はルシエンテスとあの娘に出会ったんだ。あの子は、空に憧れ、空を自在に舞うことを誰よりも望んでいた、元気な娘だったよ……」
南十字星の記憶&偽りの空トップページへ戻る
トップページへ戻る