空舞う盲目の鳥A
リンの愛機「XRX」は、機体をいくつかのユニットに分割する構造を採用することによって、見かけの複雑な姿の割に高いメンテナンス性を保有している。実験機として色々なデータを蓄積・検証する必要もあるのだろう。機体のワックスがけをしている時に、彼女のフライトを支える棺桶システムをユニット毎交換しているところをマクレーンは目撃したことがある。それだけでなく、機体の材質を変更してみたり、翼の形状を変更してみたり……それに比べてXFMXはほとんど構造的なテストは完了しているのか、目立つ変更点はほとんどなく、まさに実戦データ・飛行データの収集が目的とされているようにも感じるのだった。とはいえ、そろそろプロジェクト内のテストパイロット部隊ではこれ以上のデータ収集が難しい、という切実な問題が現実味を帯び始めている。XFMXの改良が無いのは、その影響なのかもしれない。事実、リンとマクレーン、ルシエンテスのトリオにかなう実験部隊を求めて、「これ以上の空戦機動データを集めるには実際の空軍部隊と模擬戦をかわすしかない」――プロジェクト上層部はその結論に傾きつつある。その方向性自体はマクレーンも否定はしないのだが、相次ぐ棺桶システムの仕様変更の度にリンの負担が増大していることが、何より気がかりだった。これまでは主に視覚部分と操縦コントロールの補佐を目的としてリンとXRXは接続されていたようなのだが、最近の仕様変更はそれに留まらず、火器管制・複数目標の同時追尾といった情報までリンの脳に書き込むようになっていた。飛び終わる度に真っ青な顔になって座り込み、それでもいつも通りの笑顔を浮かべているリンの姿を見るのが、マクレーンにはたまらなく辛かった。

そんな彼の不安を他所に、開発チームと上層部は模擬戦の実施を決定した。ブリーフィングルームに呼ばれたのは、前日の模擬戦闘で体調を崩して寝込んでいるリンを除いた、マクレーンとルシエンテスの二人。複雑な表情を浮かべている二人を、民間企業代表のグリムワルド・ロビンスキー専務と、XRX開発技術者チームの面々が出迎えた。
「君らのおかげで、XRXもXFMXも、当初の予想を超えたデータの蓄積を行うことが出来ている。感謝しているよ。君らがいなければ、ルシオーラもここまでやれるようにはならなかっただろう。オーレリアとレサスの空軍には、最大限のお礼をしなくてはならないだろうね」
「よして下さい。こうやってトップシークレットの開発に携わるだけでも光栄なんですから」
「そう言ってもらえると有り難いんだが、XRXとXFMXのトップシークレットのヴェールを、少しだけ剥がすことを我々は決定した。今日はその報告とプランの件で、君らの意見を聞こうと思って来てもらったんだ」
ついに他国空軍との模擬戦が始まるのか――出来ればリンのためには避けたかったプランが動き出す。作戦計画をまとめた資料が手元に配布され、正面のディスプレイにはオーレリア半島の地図とフライトプランとが表示されていく。XRX開発技術者チームの一人が立ち上がり、ロビンスキーから話を引き継ぐ。
「現在、試作機部隊との模擬戦について数ヶ国から打診を受けております。その中にはオーシア、ユークトバニアといった大国も含まれておりますが、移動に時間や手続きを要することからこれらの国々については後回しとし、本プロジェクトに多大な資本を投じているオーレリア空軍との模擬戦を一回目のミッションとすることになりました。こちらをご覧下さい」
ディスプレイに、見慣れた祖国の光景が姿を現す。レイヴンウッズに位置する、国内最大のサチャナ空軍基地。管制塔をバックにしてずらりと並べられたF-15Cの尾翼に描かれた部隊章には勿論見覚えがある。チッ、と舌打ちしたマクレーンを、ルシエンテスが驚いたように眺めていた。
「マクレーン、どうしたんだ?何か不都合でも?」
「あれは首都防衛航空隊所属の、第110戦闘小隊の連中だよ。祖国の空軍でも特に嫌われ者の、プライドだけは立派なエリート部隊って奴だ」
小声でマクレーンは吐き捨てた。共同訓練で、スクランブル発信時で、およそ協調と連携という言葉を知らない彼らに煮え湯を飲まされたことが何度あったことか。それでも彼らが「堂々と」していられるのは、主要メンバーのうちの何人かが政治屋の2代目だったり、高官の子息だったり、というコネクションが存在することに起因する。さらに言うなれば、このプロジェクトにマクレーンがテストパイロットとして選ばれたことにも散々不満をぶちまけていたのも、第110戦闘小隊の連中だ。まぁ、口ほどに実力が伴わないことは他部隊の面々も良く知るところだったのだが……。その連中が、わざわざ模擬戦に名乗りを挙げたのは、明らかにマクレーンを意識してのことだ。
「今回、オーレリアから参加するのは、第110戦闘小隊。空軍部隊の中でも、エリートとして知られた部隊という事で、我々のプロジェクトを進める上でも有意義な相手と認識をしております」
「異議あり。まさか連中の言い分をまともに聞いたのか?奴ら、プライドだけは高いが空戦技術は二流以下と言っても良い程度のレベルだぞ。そんな連中と模擬戦をやったところで、今よりさらに悪いデータが取れるだけだ」
「いやしかし……空軍からのデータでは……」
「なるほど、全く真偽を確かめていないことが良く分かった。ロビンスキー代表、本件は断った方が良いと判断しますね。オーレリアから招くなら、アクイラやファルコ、グリフィスといった腕利きの連中が他にもいる。何だったら、私の所属部隊の部下たちでもいい。あの連中だけはやめた方がいいと思いますが」
「ふぅむ、そいつは困った。この件、議会と空軍幹部の鳴り物入りで持ち込まれた話なんだ。そうそう簡単には断れない」
そんなことは知ったことか、と吐き捨ててやりたかったが、同席しているオーレリアの企業メンバーが真っ青になっているのを見てしまうと、振り上げた拳のやり場に困ってしまうのが実状だった。政治的な思惑が介入するのは止むを得ないが、なるほど、模擬戦の相手がよりにもよって奴らというのは、この模擬戦を誰よりも望んでいるのが政治屋の連中であることを如実に示していた。やりきれないな、全く――チームプレイですら充分でないような連中を相手にすることを、リンも良しとはしないであろう。マクレーン自身もご免だった。打ち負かしたところで逆恨みされるだけなのだから。
「オーレリアでも、そんな世界があるのだな、マクレーン?」
「残念ながら、平和ってのは第110戦闘小隊のような奴でものうのうと生きていられる世界でもあるからな。戦争やってる最中なら、真っ先にいなくなってくれるんだろうが……。おっと、ルシエンテスの祖国の悪口言ってるわけじゃないからな」
「いや、事実だから仕方ない。まぁ、仕方なかろう。圧倒的な実力差を見せ付けてやることも、宣伝の一つの方法ではあるんだろう?自分とマクレーン、それにリンがいれば大抵のことはこなせるさ。さっさと片してさっさと終わらせる。それでいかないか?」
「リンの奴が何て言うかなぁ……」
こんなときは、ルシエンテスの理路整然とした思考回路が羨ましい。ビジネスはビジネス、と割り切れれば楽なのだが、こんな時余計な部分に気が回ってしまうのはマクレーン自身欠点ではないかと思うときがある。諦めが肝心、という奴か。すっかりと黙り込んでしまった開発チームの担当者たちの姿を見回し、マクレーンはため息を吐き出した。
「OK、分かりました。その代わり、テストにならないほどコテンパンにやっつけて終わらせても文句は言わんで下さいよ?カードを勝手に受けたのはそちらの責任なんだから」
「勿論だ。オーレリア側のやってくれたことは、ビジネスの世界では言わば詐欺みたいなものだからね。方針は君たちに任せる」
それにしても食えないおっさんだ、とマクレーンはロビンスキーを評した。祖国ではあまりお目にかかったことがない、ビジネスの分野以外にも精通した人物であることは認める。が、掴み所が無い。肝心な部分は巧みにはぐらかすし、正直なところマクレーンもルシエンテスも、この人物にかかっては踊らされているような気分になることもあるのだ。民間企業でここまで登りつめた人間の為せる技、とでも言うのだろうか?だからといって、彼がマクレーンたちに不利な事を働いたことは一度も無い。どちらかといえば、マクレーンたちの主張を優先して調整してきてくれた人物ではある。そんなおっさんの顔を潰すのも気分が悪いし、何よりオーレリアの企業メンバーにしてみれば模擬戦を断ることによって、本国の本社が政治的圧力を被るきっかけになるかもしれない。それならば、いっそマクレーン自身が連中の恨みを受けた方が余程ましというわけだ。ひょっとしたら、ロビンスキーのおっさんはそこまで計算ずくで、オファーを受けたのかもしれない。やはり食えないおっさんだ。マクレーンは手渡された資料をめくってみた。見たくも無い連中の、得意げな顔がずらりと並んでいるのを確認して、頭が痛くなってくる。全く、何をどう偽ればこいつらがエースという下馬評が出来上がるというのか。それを「エース」と売り込んできたということは、空軍にしても議会にしても、そうとうトップにいる連中が裏で手を回している事は間違いない。逃れてきたはずの、祖国の裏の顔をこんなところでも見せ付けられ、マクレーンはうんざりとして天井を仰いだ。
久しぶりに降り立ったオーレリアの大地は、相変わらずピーカン照りの太陽の光が降り注いでいた。サチャナ空軍基地の風景は何も変わらない。馴染みの整備兵たちがこちらに気がついて手を振るのに応えつつ、マクレーンはXFMXのコクピットからぶら下がっているラダーを駆け下りる。隣に並んだXRXから、うっひゃあ、という素っ頓狂な声が聞こえてきて、再びエアーの抜けるような音と共にキャノピーのハッチが閉じる。何やっているんだ、あの馬鹿。地面に降り立ったマクレーンは小走りにXRXへと近寄ると、コクピット下から既に顔を出しているラダーをよじ登り、乱暴に拳でキャノピーを何度か殴りつけた。
「何やっているんだ、リン。貝殻の中に閉じこもって、美の女神にでもなったつもりか?」
「こんなに暑いなんて聞いてないよ〜。日焼け止めも持ってない〜!」
「日焼けして減るような顔か、お前の顔が。さっさとでて来い。蒸し風呂になってさらにガリガリのペッチャンコになるぞ!!」
そう言うなり、再びキャノピーハッチが勢い良く解放される。コクピットの中で立ち上がったリンは、両手を腰に当てて盛大に顔を膨らませている。
「どうせガリガリでペッチャンコですよーだ!フンだ!」
「馬鹿やってないで降りるぞ」
マクレーンはリンの細い身体を担ぎ上げると、そのまま右肩の上まで持っていく。リンの身体は軽く、こんな身体でよくもまぁ、あれだけ激しい機動に耐えられるものだ、と改めて感心させられる。ジタバタと暴れて喚いているリンを他所にラダーをゆっくり降りたマクレーンは、地面に足を付けるなり担いでいた手を放す。身軽にストン、と立ち上がったリンが、いつも通りのニカッとした笑いを浮かべた。
「……驚いた。こんな可愛いお嬢ちゃんがこいつのパイロットですか?隊長、子守姿良く似合っていますよ」
振り返ると、バトルアクス隊2番機――マクレーン不在中は隊長を務める――のポジションにあるラターブル少尉が、ニヤニヤと笑っていた。マクレーンは肩を叩くと見せかけてそのまま彼の頭を小脇に抱え、ぐいぐいと締め始める。
「お前の口の悪さも健在で何よりだ、ラターブル!子守役で悪かったな、子守役で!このじゃじゃ馬の世話しているとな、動物園の飼育係になったような気がしてくるんだ、畜生!!」
「自覚しているんじゃないスか……って、アダダダダ、隊長、痛い、痛いっス!!」
他のバトルアクスのメンバーたちも周りに集まり、昔のように締められているラターブルの姿を見て笑い出す。何が起こっているのか分からないリンだけが、不思議そうに小首を傾げている。ロープを掴む仕種をしているラターブルの頭を緩めると同時に肘鉄を食らわせると、ぐへ、という悲鳴を挙げて彼は地面に転がった。無論、この程度で怪我をするようなヤワな男ではない。昔と何も代わっていない部下たちとの関係に、マクレーンはひとまず安心した。バトルアクス隊の機体が翼を休めている格納庫に管制塔、他の航空部隊のハンガーに、居住区の建物。レイヴンウッズの緑も今まで通り。だが、その風景に似つかわしくない物体を発見して、彼は眉をしかめた。それは、先日のミーティングで配られた資料にも載っていた、見たくも無い部隊章。わざわざ施設群から最も離れた格納庫を割り当てられている辺り、連中を嫌っている基地の面々たちのささやかな抵抗の跡が見られた。てっきり、第110戦闘小隊はグリスウォール近郊の彼らのホームベースから訓練に参加するのかと思っていたが、わざわざここサチャナまで足を伸ばしてくれたらしい。マクレーンの視線に気が付いたラターブルも、腕組みをして顔をしかめた。
「相変わらず下手な着陸でしたよ。奴らの場合、教育課程をやり直しても改善しないでしょうな。それなのに、機体だけは新調される。羨ましいを通り越して、呆れちまいますよ」
「それも、ありゃF-15S/MTDじゃないか。よくもまぁ、あんな高性能機を持ってきたもんだ。ちゃんと飛べるのか、連中?伝説の「円卓の鬼神」やベルカ残党軍のエースでもない、あの連中がよ」
「ねえねえマクレーン。ボクたちの相手って、そんなにどうしようもない、ろくでなしの集団なの?かわいそうになぁ。ボクとマクレーン、ルシエンテス相手じゃ瞬殺だよね」
「隊長、まさかとは思いますが、この子、目が?」
「そうだよ、えぇと……バターブル」
「ラターブルだ」
「うん、飛んでいる時だけ、見えるんだ。でも、マクレーンが皆に信頼されているのは、さっきの会話と雰囲気で分かったよ。まぁ見ててって、ラターブル。目くらでもこれだけやれるってね」
サムアップして腕を伸ばすリンが笑う。この根拠の無い底なしの明るさは、ラターブルたちにもすぐに受け入れられたようだ。リンはリンで、うちの部下たちを気に入ってくれたらしい。黙っていることといたずらをしないことが揃えば、まあ基準以上には見えるリンだけに、多分だまされている連中が多いとは思うが。それでも、慣れない環境に置かれるリンにとって、心を許せる相手は一人でも多い方がいい。なにしろマクレーンたちの戦う相手は、恐らくリンが最も毛嫌いするタイプの野郎どもだからな――そんなことを考えていると、機体傍で作業をしている整備兵たちを押しのけるようにして、黒いフライトスーツの男たちが歩いてくることに彼は気が付いた。リンは目は見えないが、その分勘働きは人一倍鋭い。部下たちとは相容れない存在の接近を察知したのか、それとも招かれざる客人たちを目にして顔をしかめる部下たちの態度を感じ取ったのか、マクレーンの左腕を抱き締めるようにすると、彼の背後に隠れてしまった。
「これはこれは……子供相手に余裕ですな、さすがは"バトルアクス"。しかし、その小娘が本当に試作機のパイロットなんですか?ははぁ、余程機体の出来が良いんでしょうなぁ」
血の気の多いラターブルが飛びかかりそうになるのを目で制し、マクレーンは冷たい笑いを浮かべた。
「なに、やれば分かるさ。機体のポテンシャルすら引き出せないどこかのマヌケ部隊じゃ相手にならない……とこの俺が証明してやるよ、ネロ中尉。機体の出来と服の見栄えは良くても、中身がクソじゃなぁ……いや失礼」
ラターブルがこれ見よがしに大笑し、他の部下たちも同様に笑い出す。言うまでも無く、連中へのあてつけだ。プライドを傷付けられることには誰よりもデリケートなネロ中尉たちのこと、拳を握り締めて青筋をこめかみに浮かべた姿は予定通りだ。全く、単純すぎてからかいがいもない。
「……前々から言おうと思っていたのだがな、言葉の使い方にはもっと気を払うべきではないかね、マクレーン中尉?」
「同格の相手に敬語を使えとでも?大体、実力も伴っていない相手に対してどんな気を使えと?上手く飛べなくて可哀相だね、とでも言って欲しいのか?……ネロ中尉、この際だからこっちも言ってやろうか。どんな手を使って「エース部隊」などと吹いたのか知らないが、第110戦闘小隊に勝ちを譲る気は微塵もない。更新中の惨敗記録をさらに伸ばしてやるから、せいぜい楽しみにしていることだ。F-15S/MTDなんて高価な機体ではなく、武装も付いていない練習機の方がお似合いだぜ」
2年前に開催された共同訓練時の連中の戦績ほどひどいものはない。DACTによるチーム戦は、各部隊のパイロットたちにとってこれ以上無い腕の見せ所。非公式ながら優勝チームを巡る賭けまで行われるという代物なのだが、「新兵たちの錬度を確認する」という名目で行われた新兵チームとの模擬戦において完敗するという体たらくだったのだ。たまたまその時の新兵たちの出来が良かったこともあるのだが、それにしても新兵たちはF-5E、ネロ中尉たちはF-15Cで戦ったのだから、これはいかに恥ずかしいことか言うまでも無かろう。ちなみに、マクレーン率いる精鋭との戦いがどのような結果になったかと言えば、わずか2分の戦闘で相手は壊滅。空軍司令を盛大に呆れさせたというおまけ付き。結局DACTで1勝も挙げることができず、彼らには空軍最弱のレッテルが漏れなくプレゼントされた。問題はその後だ。彼らがやってくれたのは、彼らのコネクションを巧みに利用した嫌がらせ。現場を知らない政治屋の不可解な人事介入に始まり、不可解な機種転換、人事配置。その煮え湯を飲まされた連中にしてみれば、恥知らずのボンボンどもこそ、オーレリアに巣食った害虫だったのだ。ま、屑は屑なりに多少の努力はして、人並みマイナスレベル3くらいで任務をこなせるようにはなったようだが、マクレーンから見る限り、人間性の改善は一向に進んでいないようだ。今にも地上戦になりそうな黒いパイロットスーツの群れを、整備兵たちが冷ややかな目で見ている。バトルアクス隊の面々と言えば、かかってこいと言わんばかりに凄みのある笑みを浮かべている。
「我々を侮辱したことを、きっと後悔させてやるぞ。F-15S/MTDは優れた機体だ。我々が運用するのに最も相応しい機体なんだからな!」
「だから言ってるだろう?問題は乗っている奴がクソだ、と。人の話は良く聞くもんだ、ネロ中尉」
許されるならその場で地団駄を踏みたかったろうが、かろうじて踏み止まった中尉は、「フン!」の一言を残して踵を返した。その背中に向かってリンがあかんべーをしつつ、大きく右足を振り上げてみせる。マクレーンはそんなリンの赤い髪を、いつものようにかき回してやった。
「……全く、あいつらにF-15S/MTDを渡すくらいなら、うちや他の部隊の老朽機を優先して交換しろ、と言ってやりたいもんですね」
「平和な国ならではの悩み、というやつだな。もしレサスだったら、奴らはもうとっくにこの世にはいない」
「ボク、絶対にあいつらには負けないよ。態度と声だけでかくて、内心ビクビクしているような腑抜けなんかに、負けてたまるもんか。ぜーったいに、許さない!!」
ネロ中尉の代わりに、リンが地団駄を踏んで悔しがっている。
「お前が地団駄踏んでどうするんだよ、リン?」
「だってだってだってだって!!アイツ、マクレーンを散々馬鹿にしたんだよ!?根性も度胸もないくせにーーーっ!!」
なるほど、そういうことか。苦笑を浮かべながら、マクレーンは軽くリンの頭をはたく。ふみゅ、と言いながら、まだ不承不承という顔でようやくリンが暴れるのを止めた。常人と比べれば、恐らくは過酷な半生を送って来たに違いないリンにとっても、ネロ中尉のようなタイプの人間との接点は余り無かったのだろう。彼女の頭には、肥溜めに叩き落としてもまだ飽き足らないほどに嫌いな人物として、彼の顔と名前は明記されたに違いない。さて、リンに散々キルされた後、奴はどんな顔をするんだろう?全てを機体の性能のせいにするのか、敗北を認めようともせずに文句をたれるのか……。リンのことだ、根に持った分、本気の本気で第110戦闘小隊を踏み潰しにいくだろう。あまり無茶しないように、サポートに回ることがどうやら必要になりそうだった。ま、損な役回りはいつものことさ――そう自分を納得させて、XRXから降ろした時のようにマクレーンはリンの身体を担ぎ上げた。
「あ、こら、もっと女の子らしく扱え!ボクは荷物じゃないんだぞーっ!!」
「却下、やかましい、少しは静かにしろ、このおてんば娘!ここはいつもの基地じゃないんだ。嫌々ながら運んでやる。少しは感謝しろ!!」
「じゃ、お姫様抱っこ」
「一遍、焼けたコンクリートと接吻しておくか?……おら、ルシエンテスが待ちくたびれているぞ」
部外者として気を使ったのか、XFMXの機体の影に隠れるようにして、ルシエンテスの長身が見える。よっこらせ、とリンを担ぎ直すと、夕食後の酒とツマミを用意しておくようラターブルたちに伝え、マクレーンは歩き出した。後ろ向きに担がれたリンは、ニカッ、と笑いながらラターブルたちに手を振っている。それに応える部下たちも、楽しげに手を振って応えていた。バトルアクスの一員としてのリン、か――。確かに、うちの部隊であれば、彼女は何の支障も無く受け入れられるに違いない。このオーレリアのどちらかといえばのんびりとした環境は、リンにとっても好ましいものかもしれない。猫のようにしっかりとしがみ付いているリンの姿を見ながら、幻想に過ぎないかもしれない案の実現可能性を、マクレーンは本気で考えてみたくなってきた。

マクレーンたちに、模擬戦の実施日が伝えられたのは、その日の夕方だった。サチャナの高温多湿環境下でのフライトチェックとテストを実施する時間を確保するため、ミッション開始は3日後の1000時、ネベラ山近辺の山岳地帯上空で実施することとなった。ふと、あることを思いついたマクレーンは、懇意にしている整備兵の一人を呼んで耳打ちをする。「そりゃ名案」と同意した彼と簡単に打ち合わせを済ませ、マクレーンは席を立った。折角、オーレリアくんだりまで来たんだ。ここの最高の観光名物を拝ませてやらない話は無い。立派な公私混同だが、そのためにはあの機体が必要だった。数度の改修を経て、より鋭く空を舞うようになった、愛称すらまだ持たない、XRXというコードだけの異形の戦闘機が。……やれやれ、ラターブルの奴にからかわれても仕方ないな、とマクレーンは呟いた。これでは確かに子守のようなものだ。まぁ、あと10年も経てば子守ではなくなるのだろうが……。いや、10年経ってもあれはやかましいままかもしれない。10年後の自分は、何をしているのだろう?現役を退いて教官にでもなっているのか、それとも制服組に乗り換えて出世の階段を上っているのか――。デスクワーク詰めになっている自分の姿を思い浮かべて、生涯現役が一番だな、と独り納得する。戦闘機乗り以外の生き方を知らない自分だ、最後の最後まで飛び続けてやる。第110戦闘小隊のような連中が空軍で羽振りを利かせる余地を与えないよう、後進の人材を育てていくことも自分の役割に違いない。そのためにも、模擬戦は一切手を抜かない。今度こそ、奴らに引導を渡してやる。日が傾き始めたオーレリアの蒼い空を、マクレーンはじっと睨み付けた。
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