空舞う盲目の鳥B
昼の湿気と熱とがまだ残っていたが、レイヴンウッズを抜けてくる涼しい風が滑走路の上を撫でていく。夜の帳が下りた基地は夜間待機組のハンガーを除いては静まり返り、人の姿もまばらになっている。空を見上げれば満天の星。大地を見下ろせば滑走路の誘導灯の光。これはこれで、グリスウォールの夜景に負けない、綺麗な光景だろうとマクレーンは思う。基地の明かりを除けば、市街地からも離れているこの基地だ。基本的に、暗い。だから、星を見るには最高のコンディションと言えるのだ。
「ねぇマクレーン、ボクはいつまで待機していればいいの?」
「俺がいいと言うまでだ。おら、ディスプレイは立ち上げたんだろうな?」
「とっくにやってるよ。マクレーンの無精髭まで良く見えますよーだ」
新しく搭載されたコフィン・システムの夜間戦闘用ディスプレイのチェック、という名目で整備班に頼み込んで引っ張り出したXRXを、基地設備から少し離れたマクレーンは誘導路の縁まで連れて行った。この時間、離着陸をする部隊は限られているので、誘導路を塞いでいることを気にする必要は全く無い。XRXの隣に停めたジープから下りると、キャノピー部をマクレーンは軽く拳で叩いた。まだリンは舌を出しているのだろうか?
「よし、夜間モードのテストだ。天頂方向を見上げてみろ」
「天頂方向?」
「そっちのモードに後方支援用に恒星名を出せるモードがあったろ?それ使って"アクルックス"を探してみな」
「アクルックスだね?ええと……へへ、見つけた。……あっ!?」
夜空に映える南国のシンボル――南十字星。南半球に来たなら、必ず見て帰って欲しい「観光名物」が、夜の空に描かれるグランドクロス。今日は空もクリアなので、肉眼でもはっきりとその輝きが見える。リンのXRXであれば、尚更だろう。リンが無言になっているのは、ここからでは分からないけれども、モードを色々と切り替えて南十字星を堪能しているからであろう。邪魔をすることもないな、と思ってカーゴズボンのポケットに突っ込んでいたペットボトルをあおる。まだ飛行機が存在しなかった時代、オーレリアやレサスの船乗りたちはあの十字を目印として針路を定めたのだと聞く。今でも、誘導系機構が故障した場合の航法観測として、空の十字は使われることがあるのだ。訓練、テスト、休養、訓練、テスト、休養――そんなルーチンをこなすばかりのリンにも、たまにはこんな気分転換の時間があっても何ら問題はあるまい。明日からはまた忙しい日々になりそうなだけに、今晩が唯一の好機だったのだ。
「……初めて見たよ。北十字星と違って、綺麗なんだねぇ」
「こっちに来たなら、あれをしっかりと拝んで帰るのが通なんだ。それをしない奴はモグリだ」
「空も綺麗なんだけど、その中であんなに明るく輝いているんだねぇ。南半球のシンボル、と呼ばれている理由が分かったよ、ボク」
「その様子だと、"夜間モード"は正常に稼動しているようだな」
「嘘ばっかり。……ありがと、マクレーン。わざわざこのために、この子を出してくれたんだよね?」
「……ま、たまには息抜きも必要だからな」
「へへ、そうだね。ありがと」
それからしばらく、リンは無言で空を見上げていた。マクレーンは耳にかけていたヘッドセットを外して、彼女と同じように満天の星空を見上げる。流れ星が一筋、すうっ、と天の川を横切るように流れていった。実はこの季節、レイヴンウッズにはもう一つの隠れた「名物」があった。適度な湿気と豊かで綺麗な水の流れる湿地帯では、今でも蛍の乱舞を見ることが出来るのだ。ある時間、何も無かったところに一つ、また一つと淡い光が瞬いたかと思うと、一斉に蛍たちが舞い始めて幻想的な光景を生み出す。それ故に古い伝承は、蛍たちが舞うこの季節を、「この世の者でない人々がほんの僅かな時間、思い出の地に帰ってくる季節」、と語っている。今日はどうやらタイミングを外したらしく、滑走路脇でも見られるはずの蛍の姿がどこにも見えない。これはまた今度にお預けだな、と考えていると、フシュン、という音と共にXRXのキャノピーが開いた。
「何だ、もう満喫したのか?」
「違うよ、蒸し風呂になっちゃって辛いから開けたの。ほら、ぼさっと立っていない!」
「ああもう、仕方ねぇなぁ」
まるで抱っこをせがむ子供のように、シートから手を伸ばしているリンの身体をいつものように担ぎ上げる。確かにコクピットの中は暑かったらしく、汗でTシャツがぺったりとはり付いてしまっていた。細い身体のラインと、襟元から白い肌の色とが眼に飛び込んできて、マクレーンは照れ隠しついでに腰にぶら下げていたタオルを取り出して、顔の汗を拭ってやった。
「汗くさぁ……」
「それはお前のことだろうが。部屋戻ったらちゃんとシャワー浴びろよ?」
「一緒に入る?」
「10年経ったら考えてやる」
イシシ、とリンが笑う。肩から下ろしてやると、今度は右腕にしっかりと抱き付いて離れない。これでゴロゴロ喉を鳴らしていたらまさに猫にじゃれ付かれているようなもんだ、とマクレーンは苦笑する。見えない目を愛機に向けて、リンは楽しげに微笑んでいる。
「ねぇマクレーン、この子、XRXの愛称ってまだ決まっていなかったよね?ボクが決めちゃってもいいのかな?」
「妙ちくりんなの付けなければ大丈夫だと思うが……」
「いいの思い付いたんだ。――"フィルギア"」
「フィル……何だって?」
「フィルギア!あー、マクレーンたちの方じゃあんまり知られていないのかもしれないね。ボクの故郷に伝わる、古いお話の中に出てくるんだよ。この子とボクに、多分ぴったし……かな」
「故郷っていうと……」
「うん、南ベルカ。工場とか研究施設とかいっぱいあるとこみたいだけど、そこから離れるとのんびりとした田舎なんだよね。この通りだったから本は読めなかったけど、読み聞かせてもらったんだ。その伝承の中に、フィルギアの名前があったの」
「どんな話なんだよ?」
「内緒。自分で調べてみたら?」
「何だか言いにくい名前だがなぁ。ま、いいか。明日にでも上と掛け合っておいてやるよ。それで否定されても文句は言うなよ?」
リンはこれ以上ないくらいに嬉しそうに笑い、そしてマクレーンに抱きついた。彼女にとって、XRXの愛称にした言葉は、どうやら特別な意味を持つらしい、ということは分かった。それを調べるのも野暮な話だし、リンのことだ、いつの日か「教えて欲しいんでしょう?」とやって来て、詳しい講釈を垂れられるのがオチだ。折角上機嫌なんだから、このままにしといてやるか。若い娘に抱きつかれて、別に悪い気はマクレーンもしない。少々、いやかなりボリューム感には物足りないが。
「フィルギア。ボクのフィルギア。マクレーンのこと、ちゃんと守るからね」
リンの呟きに、マクレーンは何も答えなかった。リンも何か答えを求めているわけではなかったから。そっと背中に腕を回してやると、リンはマクレーンの胸板に顔を押し付けて、もう一度「汗くさぁ……」と嬉しそうに呟いた。
XRX"フィルギア"のテストは順調に進み、ついにマクレーンたちは模擬戦の日を迎えた。ブリーフィングルームで早くも火花を散らせた両チームは、オーレリアの最高峰ネベラの山岳地帯を決戦場としてそれぞれの展開位置へと移動を開始した。途中、空中給油機による補給を受けて万全なコンディションでマクレーンたちは決戦場へと足を踏み入れる。一足先に展開している第110戦闘小隊は、既に「敵」部隊を迎撃すべく、有利なポジションを求めて彷徨っている頃だろう。まさか実弾を放つわけにもいかないので、模擬戦は基本的に高空から作戦機を見下ろすAWACSにおいて各機の火器管制コンピュータからのデータリンクにより自動計算される仕組になっている。ただし、最近はレサス領から内戦を繰り広げている勢力の一つに属する部隊の領空侵犯が相次いでいることも有り、試作機部隊も短距離ミサイルに機関砲弾を搭載してでの訓練実施となった。マクレーンはセーフティをテストモードへとセッティングし、訓練用武装がディスプレイに表示されるのを確認する。どうやら敵部隊はネベラ山北側へと回り込んだらしく、未だにレーダー反応が無い。さあ、どこから仕掛けてくる、三下ども?リンを先頭にしたトライアングルフォーメーションを組んだまま、マクレーンは周囲に注意を払う。レーダーを広域モードへと変更する。反応無し。
「随分遠くまで逃げたみたいだな。今のところレーダーでは確認出来ない」
「こっちもだ。張り切りすぎて、燃料切れなんてことにならなきゃいいんだがな……」
「X01より、X02、X03へ。ボクは見つけちゃったよ〜。教えて欲しい?」
どうやって?と言いかけてマクレーンは言葉を飲み込んだ。数度の改修を経たコフィン・システムは、リンの脳に多大な負荷を与える代わりに、リン自身に様々な情報を確認・整理して伝える力をも与えていた。リンの精神力と体力が持つ限り、という制限付きではあるが、AWACSがこなすような役目を、リン単機でカバーすることも不可能ではなくなっていたのである。フィルギアからのデータリンク。多目的ディスプレイ上に、ネベラ山全域の地図が表示されるのと同時に、第110戦闘小隊の機影が6つ、二手に分かれて展開している状況が展開される。その位置は、予想していた位置よりも遥かに近い。そうか、レーダーに映らないほど遠くにいたのではなく、レーダーに映らないものを連中は持ち込んでいるのだ。おいおい、聞いてないぞ、そんな話は。
「X02より、X01。どうやって見つけた?」
「フィルギアの画像データ処理モードから、索敵を実施して確認した。多分……ううん、間違いなく敵さんはECMPを持ち込んでいるよ」
「彼ら、そこまでしてマクレーンに勝ちたいのか?どう足掻いても無駄なほどの力の差が分からないのか?」
「分かるような奴じゃないからさ、ルシエンテス。だから、教えてやるんだ。絶対的な力の差という奴を、な」
「同感!ボクも一緒に叩き潰す!!さ、いくよ!」
くるり、と機体を軽やかに回したフィルギア、山の稜線目掛けて急降下。マクレーン、ルシエンテスもそれに続き高度を下げ、山の織り成す複雑な渓谷へと進入する。この季節でも雪の残るネベラの白い景色がとても眩しい。雪煙をまきあげながら、リンが加速していく。二隊に分かれた連中の一方へと急速接近を図る。ECMPは確かに彼らの姿を包み隠す効果もある。だが同時に、連中自身もレーダーでこちらの姿を確認できなくなるのだ。それをカバーするのであれば、二隊に分けた一方を策敵・哨戒に専念させると共に牽制部隊として本命の待つスポットへとおびき寄せる手が有効なのだが、どうやら連中は両方共に姿を消すことを優先したらしい。なるほど、前よりも頭は使うようになったらしいが、連携とか作戦という世界にはまだまだ無縁であるらしい。山の合間を抜けていったマクレーンたちは、連中に気取られること無く彼らの左翼低空をすり抜け、その後方に回り込むことに呆気なく成功した。リンのフィルギア、機種に太陽光を反射させながらスナップアップ、急上昇。低空から一気に上空へと舞い上がる。編隊を解いてマクレーン、ルシエンテスもその後を追う。相変わらずECMを展開してのんびりと飛んでいる連中は、状況の激変に何も気が付いていなかった。レーダーロックは利かないはずだが、フィルギアからのデータリンク・誘導補正が不可能を可能にしている。つまり、リンが捕捉している敵の姿をマクレーンたちのXFMXがデータとして利用出来るというわけだ。HUDに表示されるミサイルシーカーがF-15S/MTDの姿を難なく捉える。さあ、逃げ惑え、ボンボン息子たち!!発射レリーズを引いて、訓練用ミサイル発射。今頃上空を飛ぶAWACSには、マクレーンたちが放ったミサイルの航跡がF-15S/MTDの群れへ急速接近している頃だろう。ミサイル接近警報が鳴り響いてようやく気が付いたのだろうか、敵編隊、慌てて編隊を解き散開。遅すぎる!自らの不利を悟ったのか、ECM効果が無くなり、レーダー上にはっきりと連中の姿が映し出される。
「不意打ちなんて聞いてないぞ!?AWACSは何で何も指示しない!?」
「こちらAWACSコールサック。今日の役目は審判役だ、第110戦闘小隊の支援ではない」
「役たたずめ、くそ、くそ、くそーっ!!」
「1103機、君はミサイル3本の直撃を食らって撃墜された。戦域から離脱して上空待機せよ」
「私はやられていない!まだ飛んでいる!!」
「……なら、死ね」
案の定、ワガママを喚いている敵の後背に忍び寄ったルシエンテスが、至近距離から敵機をマーク。機関砲弾のシャワーを浴びた敵3番機、今度はグウの根も出ない。AWCSからの厳しい指示に、渋々従って離脱していく。もう1機もミサイルの餌食となり、最後に生き残った1機には、リンがしっかりと食らい付いていた。
「畜生……、F-15S/MTDでも振り切れないのか!?」
「機体のせいじゃない。キミの腕が悪いんだよ!」
左右へと旋回を繰り返し、タイミングを外すように180°ロール、強引にインメルマルターンへと持ち込む敵機の動きを、リンは予測していたらしい。連中、随分と上達したようだが、しょせんリンの敵ではない。背中をさらした一瞬を捉え、ガンアタックを仕掛けたリンがその後方へと去った頃には、AWACSから撃墜案内が敵機に届けられていた。マクレーン自身はリンのバックアップに回り、ある意味高みの見物。隣に並ぶルシエンテスも、物足りない、と言わんばかりに機体を揺らしている。個々の機体の性能と腕前だけなら、ひょっとしたら企業連合のテストパイロットたちより上なのかもしれないが、連携によるチームプレイという点で、第110戦闘小隊は遥かに及ばない。3機が巧みに連携しているマクレーンたちに、彼らが及ぶはずもなかった。
「どうやらこっちにネロの野郎はいなかったみたいだな。いたら今頃呪いの言葉が悪酔いするほど聞こえてくる」
「うへ、傲慢なうえに陰険?きっともてないんだろうねぇ。イシシ……」
「残りの連中が支援にくる気配も無し、か。そのままのコースなら2分程度で会敵するぞ」
「物足りないし、数も同数だから、次は正面から派手にいこうか、ルシエンテス、リン?」
「X01、了解!」
「X03、了解した」
再び編隊を組んだマクレーンたちは高度を上げていく。ネベラの高峰の更に上へと到達した3機は、ゆっくりと旋回して残りの敵部隊の予測到達空域へと針路を取る。敵の狙いは2チームが共に姿を消して隠密飛行し、目標の位置を確認すると同時に攻勢をかける一撃離脱作戦だったのかもしれない。これなら確かに連中の腕でもそれなりの戦果は挙げられるだろうし、悪い手段ではなかった。だが、今回のように戦闘条件を双方が制限されている模擬戦においては必ずしも有効な手段では無い。或いは、敵がより積極的な意志を持っていたならば、ECMの展開されている空域の中央部目掛けて突入して来るだろう。それに対応するだけの危機管理能力と技量が備わっていなければ、万全の戦法とは言えないのだ。今のところ、レーダーに反応は無い。いや、こちらの戦いぶりでも見学するつもりなのか、既にキル認定された3機が後方からゆっくりと付いてきている。一応は友軍であるはずの連中だが、今ひとつ信用できない。これがラターブルたちだったら、どんなに気が楽だったろう。もしスケジュールに余裕があるならば、彼らと共に空を飛ぶのも楽しいかもしれない。ある意味、「お口直し」だが、試作機のデータ取りにはむしろその方が良いのだから。
第110戦闘小隊のもう一隊の姿は、ほどなく見つかった。予想とおりの方角を予定通りの方向に進行中。やれやれ、これが実戦なら連中のカレンダーは1日で終わりだぞ。連中はそれでいいかもしれないが、役立たずの巻き添えで他にも被害が拡大することが実戦の恐ろしいところだ。……或いは連中、さっさと寝返ってしまうかもしれないな。そうなったら、むしろ願ったりかなったり。容赦なく真正面から粉砕してやれるというものだ。……今日のように。打ち合わせとおり、真正面から仕掛けるためにリン機が左旋回。操縦桿を倒しつつ引き寄せて、その姿を追う。後ろから見ていると、本当にリンの動きには無駄が無い。滑らかに、そう鳥が自在に空を舞うかのように軽やかに楽しげに、青空を舞うと表現するのが相応しい。純白で塗装された機体も、彼女には似合っている。「フィルギア」という名を得た、空中格闘戦における機能と攻撃力を重視した前進翼の異形の戦闘機。ゆっくりと水平に戻した彼女の後背にポジションを確保する。
「おい、無理するんじゃないぞ。あの程度の連中なら、俺とルシエンテスでも充分過ぎるんだからな」
「心配性だなぁ、マクレーンは。大丈夫だよ。疲れるほど激しい飛び方してないもん」
「ならいいが。よし、さっさと片付けて後はのんびりするぞ」
「そうだね。じゃ、行こうか。方位290、ヘッドオン!!」
太陽の反射光で、こちらの姿に向こうは気が付いたかもしれない。スロットルを押し込んで加速を得る。XFMXの大柄な機体を感じさせない、快いほどに強力な推力を得る。既にセーフティは解除、訓練戦闘用モードに切替済。レーダーが突然クリアになり、敵影が3つ、真正面に出現する。ジジジジ……という警告音がコクピットに鳴り響く。こちらの姿を捕捉した敵部隊が、ECMを解除して攻撃態勢に入った証だ。
「不意打ちとは汚いぞ、マクレーン!!」
「おいおい、それはECMでかくれんぼしているお前らのことだろうが」
高速で接近したマクレーンたちと第110戦闘小隊は、そのままの速度を維持したまま至近距離ですれ違った。轟音と衝撃とがコクピットを激しく揺さぶる。敵の誰かが情けない悲鳴をあげる。互いに編隊を解き、それぞれの獲物を定めて追撃を開始。今回はさすがに格闘戦らしい幕開けだ。強引な旋回でマクレーン機に接近してくる機が、ネロ中尉のものだろう。ベルカのエース部隊をはじめとして、各国のエースたちによって愛用されてきた機体に相応しい機動性を垣間見たようにマクレーンは感じた。だがそれは、パイロットを簡単に殺すことが出来る殺人的な機動性を操る技量があっての話だ。彼らには手に余る代物と言えるだろう。だから、動きは鈍い。直線的な動きに対応することに何の困難も無かった。さて、格闘戦試験といこうか。後方に敢えて敵を付かせつつ、マクレーンは回避機動を開始する。圧し掛かるGに耐えながら、急旋回を敢行。視界が目まぐるしく流れ、敵の追撃から逃れていく。後方のネロ中尉機も急旋回。乗ってる人間がクソであっても、機体性能は一流だけあって、そうそう離れはしない。マクレーンは反対方向へと振り回し、再び急旋回。通信越しに聞こえてくる苦しそうな呼吸は、後方のネロ中尉のものだろう。さらにもう一回振り回すと、追撃を諦めたF-15S/MTDは加速しながら距離を稼いで離れていった。根性無しめ、とマクレーンはマスクの下で呟く。今度は追われる身を経験させてやろう。スロットルを押し込んで、離脱を図ろうとした敵の後背にぴたりと張り付く。照準レティクルの中に捕捉したネロ機を逃す手は無い。さあ、大言壮語の分の動きを見せてみろ。嫌と言うほど、力の差を思い知らせてやる――必死の回避機動に転じる敵の姿をしっかりと捉えたまま、マクレーンはその背中へと牙を突きたてた。
結局、第110戦闘小隊は連敗記録をさらに伸ばすことに成功し、マクレーンたちは参考にもならない程度のお粗末な空戦データだけを得て模擬戦は終了した。ネロ中尉たちの苦しい言い訳は、AWACSからデータリンクで送られてきた戦闘結果のデータによって一蹴され、さすがの彼らも押し黙る以外の道を見つけられなかったらしい。「訓練過程からやり直すか、デスクワークに転属するか、真剣に考えたらどうだ?」というAWACSコールサックの一言がトドメとなったのだろう。マクレーンたちの後方を飛ぶ第110戦闘小隊の6機の姿には、全く覇気が見られなかった。いや、もともと無かったといっても良いのだが……。ただ、一言も発さずに真後ろに付いてこられるのは正直なところ良い気分ではない。
「……こんなことがあってたまるか……こんなことが……」
「いい加減現実を直視しろ、ネロ中尉。お前さん程度の腕前じゃ、俺たちには到底届かない。それを認められないのなら、引退しろ。それは俺も含めて、多くのオーレリアの戦闘機乗りが喜ぶ決断だ。お前さんたちにだけは、背中を預けたくない。その理由を知ろうともしないことが、最大の敗因だよ
」
「いや、今からでも修正は出来る」
「なら、訓練をしっかりやるこった」
「……お前さえいなければ……!」
押し黙った口の下には、マグマが流れていたらしい。もともと、我慢する・人の話を聞く・努力するという世界とは無縁の人間だ。望めば適う。望めば誰でも言う事を聞く。そんな環境で育ってきた甘ちゃんのヒステリーがどんなものか、全く正反対の環境に置かれてきたマクレーンが知る由も無かった。レイヴンウッズの森の静寂は、機関砲弾の放つ轟音によって打ち破られた。鈍い振動と肩に食い込むハーネスの激痛。直撃を被った左エンジンから出火、自動消火装置作動。左方向へと急旋回するXFMXの速度がぐんと落ちる。後方を振り返ると、機関砲弾の直撃を被った箇所から黒煙が吹き出している。尾翼などがへし折られなかったことは不幸中の幸いだろう。慌ててスロットルを全開にすれば、エンジンに負荷がかかって爆発するかもしれない。低空へと機体をダイブさせ、速度を稼ぐ。コクピットにミサイル警報が鳴り響く。畜生、マジかよ!?超低空へとダイブしつつ、可能な限りの速度を利用して急旋回、ミサイルの追撃を振り切って離脱に成功する。目標を見失ったミサイルがそのまま森の中へと突入し、真っ赤な火球を膨れ上がらせた。
「お前さえ……お前らさえいなければ、俺たちがトップなんだ。今ここで、排除してやる!何をしている、後の二人も始末しろ!!」
「……狂ったか、ネロ!?」
「黙れ、そうだ、俺は悪くないぞ。マクレーン、貴様が全て悪いんだ……貴様が!!」
片肺飛行のXFMXの速度はなかなか上昇しない。最後はベイルアウトするしかないが、あっちの世界に行きかけた奴のことだ。ゆらゆらと漂っているところをミンチにされるかもしれない。再びけたたましいミサイルアラート。今度は後方から。諦めるのは性に合わない。再び急旋回に転ずるが、速度は思った以上に稼げず、ミサイルの白煙が徐々に近づいて来る。……ヤキが回ったか。衝撃に備えて身を固めるのと、連続する爆発音とが弾けたのはほとんど同時だった。損害が……無い!?
「バ、馬鹿な。ミサイルが叩き落されただと!?」
上空を見上げたマクレーンは、そこに怒りに震える白い鳥の姿を見た。
「……やめろ……」
「駄目だリン、そんなことをしちゃあ駄目だ!おまえが手を汚すような価値もない相手なんだぞ!?やめろ!おい、ネロ、追撃を今すぐ止めろ!」
高速で飛行するミサイルを機関砲で叩き落すような芸当が、常人に出来るはずが無い。だが、航空機の全機能と人の思考とがリンクしていたとしたら……!そう、リンにならそれは出来てしまう。その気になれば、AWACSのコンピュータがやるように、複数目標を同時追尾、同時攻撃することだって出来るだろう。彼女の脳に多大な負荷をかけることによって……。第110戦闘小隊の馬鹿どもがどうなろうと知ったこっちゃない。けれども、このままじゃリンが壊れてしまう!馬鹿野郎、とマクレーンは心の中で誰かを罵った。それは神だったか、リンに追われているネロだったか……。
「ボクの……ボクの大切なブルースに、指一本触れるな!!ブルースは、ボクが守るんだぁぁぁっ!!」
ボロボロの機体に鞭打って、マクレーンはリンの姿を追う。だが、伸ばした手が、今は届かない。
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