空舞う盲目の鳥C
それは怒りの咆哮だった。XRX"フィルギア"はマクレーンに対して放たれたミサイル群を叩き落すと、猛烈な戦闘機動へと転じたのである。第110戦闘小隊の2機が後背から攻撃を仕掛けるが、それよりも早く、ほとんどその場で反転した白い鳥は真正面からミサイルを再び叩き落すと、その爆炎の只中を突っ切って哀れな獲物に襲い掛かった。XRXの翼から放たれた6本のミサイルは、明後日の方向へと拡散するかに見えたが、それは獲物を罠に追い込むための手段だった。まるでそれぞれのミサイルが意志を持っているかのように獲物を包み込むようにして襲い掛かったのだ。1本として外れることは無く、F-15S/MTDの機体に突き刺さり、炸裂した。炸裂するエネルギーによって引き千切られた敵機が、最早原型も留めず破壊されて四散する。パイロットが脱出することは出来なかった。なぜなら、2機ともコクピットを直撃され、中にいた乗員はミンチになっていたからだ。大空に膨れ上がる巨大は火球。その赤い炎を反射して、白い鳥はまるで返り血を浴びたような姿になっていた。速度の上がらない機体に鞭打ちながら、マクレーンはリンの後を追う。第110戦闘小隊は手負いのマクレーンに目もくれず、仲間を撃墜したフィルギアへと殺到していった。
「よくも……よくもフレッツとアドスルを殺したな!許さん、許さんぞ!!」
「それはボクの台詞。誰一人として、生きて返さない!!」
「リン、やめろ!!」
横一線に並んだ4機のF-15S/MTDが、リンのXRXただ1機を狙って一斉攻撃を放つ。幾筋もの白煙が蒼い空を引き裂き、攻撃目標へと襲いかかる。フィルギア、高速を維持したまま高G旋回、敵部隊へとヘッドオンして突入を開始する。誰しもが目を疑ったに違いない。それは無謀な自爆行為にしか見えなかったのだ。マクレーンは思わず目を背けてしまった。リンがやられる。あんな数のミサイルをかわしきれるはずも無い――だが、その予想に反して、フィルギアは桁外れの機動と攻撃を同時にやってみせたのである。ミサイル群目掛けて発射された数本のミサイルはすれ違いざまに一斉に起爆、敵のミサイルを巻き込んで空に大爆発を発生させる。そこから抜け出した数本のミサイルに対し、リンはガンアタックを敢行。真正面の2発を叩き落すことに成功するが、右前方から襲い掛かってくるミサイルは無傷。近接信管が作動する直前、水平横方向に強引にジャンプ、さらにその勢いを利用して180°ロールしたフィルギアは、アフターバーナーに点火してパワーダイブしたのである。膨れ上がる火球を前に、ネロ中尉たちは勝利を確信したに違いない。事実、フィルギアとて至近距離で炸裂した数多くのミサイルの炸裂に無傷では済まなかった。第110戦闘小隊の誰かの喜びの声は、直後聞くに堪えない断末魔の悲鳴へと変わった。一番右側に位置していた1機は、斜め正面から放たれた機関砲弾のシャワーを浴びて蜂の巣となったのである。真っ赤に染まったキャノピー。混乱と恐怖とが、第110戦闘小隊の生き残りたちを震え上がらせる。最早、止めることが出来ない。マクレーンもルシエンテスも、目の前で繰り広げられる試作機の悪魔的とも言って良い機動性と戦闘力に呆然とするだけであった。そのまま敵の後方に抜けるかに見えたフィルギアは、強引にインメルマルターン。微かな悲鳴がマクレーンには確かに聞こえた。あんな無茶な機動を繰り返して、リンの身体が無事で済むはずも無い。やめろ、やめてくれ!マクレーンは何度も心の中で叫んでいた。
「や、やめろ、やめてくれーっ!俺が、いえ、私が悪かった。頼む、何とか、この狂った試作機を何とか止めてくれ、マクレーン中尉!!」
薄い煙を引きながら、それでも圧倒的な機動を止めないフィルギア。しょせん、烏合の衆に過ぎないネロ中尉たちがかなうはずもない。新たな火球が膨れ上がり、命がまた一つ散る。これが……これがフィルギアの……XRXの真の戦闘能力だというのか?マクレーンの目の前で繰り広げられる空戦機動は、「とんでもない」と呼ぶに相応しいほどのものだった。それに耐え得る機体構造。高速状態でも精密射撃を可能にする火器管制能力。強力なエンジンによる、圧倒的な推力と運動性能。いかにF-15S/MTDが優秀な機体であったとしても、逃げ切れるはずもない。ましてや、あれに乗っているのはベルカのエースでも何でもない、ただの役立たずの小僧どもなのだから。仲間を支援するということすら思い付かずに逃げ惑う敵の姿は余りにも見苦しかった。
「た、助けて、助けてーっ!!がっ、ぐっ、ごはっ……!」
ネロ中尉の甲高い断末魔の叫びは、やがて表現不能なものへと変わった。激しく咳き込む声と何かがこぼれるような音がレシーバー越しに聞こえ、コントロールを失った機体は煙を吐き出しながら逆さまになって落ちていく。レイヴンウッズの木々をなぎ倒して墜落したネロのF-15S/MTDは、操縦者諸共に自らの身体を紅蓮の炎で焼き尽くしていく。蒼い空に残されたのは、フィルギアとマクレーンたちの操るXFMXのみ。黒煙の残滓が蒼い空を漂う中、幾筋も煙を引いたフィルギアがふらつきながら舞い降りてきて、マクレーンの隣に並んだ。げほっ、ごほっ、という咳き込む声はリンのものに違いない。純白の機体は、恐らくはミサイルの大群をかわした時に出来たのであろう傷で覆われ、無茶な機動の連続のせいか、尾翼の一部が脱落してしまっていた。無茶な機動に少なくない損害。ここからではリンの姿を確認することは出来ない。自業自得のネロたちの心配など微塵もしなかったが、今はリンのことだけがマクレーンの気がかりだった。
「リン、おい、リン、大丈夫か!?返事をしろ、このおてんば娘!!」
「何だよぉぉ、ちゃんと聞こえてるってば……。げほっ。……ボクは大丈夫。でも、この子はもうもちそうにないよ」
「だったらベイルアウトしろ、まだ高度があるうちに、早く!」
「目、見えないからさ、降りた後どうしたらいいか分かんないよ」
「俺も降下してやる。だからさっさと脱出しろ!!」
「……ならいいや。ちゃんとボクの面倒見るんだよ?」
そう言い終わるが早いか、コフィンシステムで覆われたキャノピー部分が弾け飛び、次いでシートに括り付けられたリンの細い身体がフィルギアから打ち上げられる。リンが無事に脱出したことを確認して、マクレーンもイジェクション・レバーに手をかけた。
「ルシエンテス、済まないがひとっ走りサチャナに戻って、救援ヘリを連れてきてくれ。狂った小僧どもの悪口もたんまりとつけてな」
「分かった、無理するんじゃないぞ、マクレーン。リンを頼む」
「ああ、任せておけ。じゃあな」
バシン、という音と共にキャノピーが外れ、猛烈な風圧がもろに身体へと吹きかかる。バイザーがなければ、とてもじゃないが目をあけていられないほどの強風。続けてハーネスがぐい、と締まって身体が座席に固定される。続けて、身体が上方へと打ち上げられ、見下ろした足下を操縦者を失ったXFMXが通り過ぎていく。マクレーンの前方では、既にパラシュートの花を開かせたリンが降下していくところだった。やや風に流され気味。リンの姿を見失わないようしなければならない。焦っても仕方がない。逸る気持ちを抑え込みつつ、マクレーンはリンのパラシュートの位置を頭に叩き込む。リン自身が言っていたように、フィルギアと切り離された彼女は全くあたりを見ることも出来ないのだ。出来る限り早く、合流してやらなくては。普段ならもう少し楽しめるはずの空中散歩が今はもどかしく、出来るならこの紐を断ち切ってすぐにかけつけてやりたい――そんな衝動に苦しめられながら、マクレーンは踏むことの出来ない地面に向かって地団太を踏んだ。

思ったよりも風に流されて着地したマクレーンは、着地直前に見えたリンのパラシュートの位置を頼りにして森の中を走り始めた。サバイバルキットを身に付け、護身用の拳銃を無造作にポケットに突っ込んで、邪魔な枝をかきわけながら彼は進み続けた。レイヴンウッズの森は熱帯林というわけではないが、うっそうと茂った木々の織り成す影のおかげで思った以上に涼しく、体力の消耗を抑えられそうな状況だった。とはいえ、さすがにベイルアウトによる脱出訓練をやったことがないリンが、ちゃんと着地できたかどうか不安だった。木に引っかかってぶら下がっているかもしれないし、運が悪ければ木や岩に衝突して大怪我をすることもある。彼女は視覚によって危険を察知出来ないのだから、その危険性は常人に比べてはるかに高いのだ。それに、脱出直前咳き込んでいたのも気になっている。無茶な機動のせいで、どこかを痛めたのかもしれない。出来る限り早く合流して、必要ならば応急措置を施してやらなきゃならない。待っていろ、今行くからな。焦りそうになる心を抑えつつ、マクレーンは必死に歩き続けた。やがて、木々の間にパラシュートらしき白いものが引っかかっているのが見えてきた。おいおい、まさかリンの奴逆さ吊りになっているんじゃないよな?茂みを抜けたマクレーンは、パラシュートの先に何も下がっていないことを確認して安堵した。そして、森の合間を縫うように流れるせせらぎのほとり、少し大きめの岩に寄りかかって座り込んでいる少女の姿をマクレーンは発見し、胸を撫で下ろした。
「リン!」
マクレーンが大声で呼びかけると、うつむき気味にしていた顔を上げて、リンが両手を振り始めた。……心配させやがって。どうやら着地の時にでも泥で汚したのだろう。機体同様に白いパイロットスーツが、所々黒ずんでいた。サバイバルキッドの中の救急用具類を確認しつつ、マクレーンはリンの元へと駆け寄り、そして愕然とした。ポーチから取り出した包帯が手から落ち、土の上を転がっていく。彼女の白いスーツの汚れは、泥なんかではなかった。襟元から胸元、それに左太もも。既に赤黒く変色し始めた血が、彼女のパイロットスーツを毒々しく染めていたのだった。もともと色白の顔は、出血の影響か青白く変色し始めている。
「リン……おまえ……」
「へへ……ちょっと頑張りすぎちゃったよ。でも、約束ちゃんと守ったよ。僕とフィルギアは、ブルースをちゃんと守ったでしょ?」
「馬鹿野郎……」
心配させまいとしたのか、清水で強引に口元の血を落としたのだろう。顔を拭った袖元は、血と水とでぐっしょりと濡れていた。左太ももの傷は応急措置が為されてはいたけれども、出血を止めるには至っていなかった。もしかしたら、射出の衝撃で傷口を開かせてしまったのかもしれなかった。だが、それよりも深刻なのは、大量の喀血の原因だ。いやいや、と首を振るリンの襟元に手を伸ばし、パイロットスーツのチャックを引き下ろして腹部に触れる。……最悪だ。腹の中の出血がひどいのか、或いは内臓破裂による影響か、硬く張った腹部の感触にマクレーンはぞっとした。しかも、出血のせいだろう。リンの細い身体は徐々に冷たくなり始めていたのである。無茶な機動の反動だ。人間の耐えられるGの限界は案外低い。限界を超えたGに苛まれれば、人間の身体など卵のように簡単に潰れてしまうのだ。
「……やっぱり手遅れ?」
何故そんなに無邪気でいられる?もうそんなに長い時間はないはずなのに。マクレーンは無言でリンの身体を抱きかかえた。へへへ、と照れたように笑ったリンが、胸板に顔を当てて何度かこすりつける。その度に、赤い髪が目の前で踊った。弱く、細くなってきた呼吸音が、マクレーンの胸を締め付ける。彼は医者ではなかった。ここが救急病棟の中であれば、救う方法もあったかもしれない。だがここはレイヴンウッズの森の中。手持ちの救急用具程度でどうにかなるような傷ではなかった。せいぜい、痛み止めで彼女の苦痛を和らげてやることくらいしか出来なかった。それでも、何もしないことには耐えられず、無駄とは分かりながらも痛み止めをリンの腕に打った。
「そっか、手遅れなんだね。あ〜あ、折角ボクの野望をかなえる絶好の機会だったのに」
「野望?」
「そ、野望。女の子なら誰でも望む、普通の夢をかなえること。でもま、いいや。ブルースは無事だったし、ようやく女の子らしく抱っこしてもらったし」
「それだけ減らず口が叩ければまだ大丈夫だな。少しは黙って大人しくしてろって」
すると、リンはあまりマクレーンに見せたことがないような寂しそうな笑いを浮かべて、首を横に振った。
「……ボクの身体のことだもん、分からないはずないじゃない。戦闘中に、何度もマスクの中に血を吐いちゃってさ、ああ、これ中がやられたなぁ、と思っていたんだ。それでも、あの連中をほうっておくわけにはいかなかった。そのままにしてたら、ブルースが絶対にやられちゃうから。だから、だから……」
胸元に顔を押し付けたリンが苦しげに咳き込む。そして、赤い血煙がマクレーンの顔と胸元を濡らしていく。
リン、逝く 「もういい、もういいんだ。喋るな、安静にしていろ。サチャナに戻ったら、しっかりと手当してやる。夢でも何でもかなえてやるから」
「……ホント?」
この野郎、人の服で口元を拭いやがって。だが、弱々しい笑い顔は、リンの残り時間がもうほとんど残っていないことをはっきりと告げていた。震えながら持ち上げられた手をマクレーンはしっかりと握ってやった。女の普通の夢って何だ!?今更ながら、戦闘機の乗り方ばかりを詰め込んできた頭に腹が立つ。15のガキにすることじゃないんだがなぁ、と思いながらも、少しだけ彼女を抱き締める腕を強くする。リンは苦しそうな呼吸をしながらもニコリと笑い、そして両目を閉じた。唇にまだついている血を軽く拭ってやってから、そっとマクレーンは唇を重ねる。閉じられたリンの眼から涙が一筋、ゆっくりと頬を伝っていく。リンの指が、マクレーンの手をしっかりと握り返してきた。どれくらいそうしていただろう?リンはゆっくりと顔を離し、そしていつものようにニッコリと笑った。そして照れたようにまた胸板に顔を埋めてしまう。
「汗くさぁ……」
「何だよ、折角の雰囲気が台無しじゃないか」
だが、返事は戻ってこなかった。マクレーンの手を握り締めていたはずの指から力が抜け、ゆっくりと滑り落ちていく。閉じられた瞳から、涙の雫がもう一つ、ゆっくりと頬を伝っていく。
「リン?」
そっと彼女の身体を起こす。寒気がした。覗き込んだ彼女の顔には、嬉しそうに、本当に嬉しそうな笑みが浮いたまま。遊び疲れてそのまま眠ってしまったような子供の寝顔のように、無邪気な笑顔。だが、もうその笑顔は動かない。
「おいよせよ……おしゃべり娘が黙り込んでも、似合わないぞ。夢、かなえるんだろう?」
答えが返ってくるはずも無い。その細い身体を最大限に酷使して、マクレーンを守り抜いて、リンは逝ってしまった。俺がもう少し早く反応出来ていれば、ネロの奴を先に落としていれば……いや、そもそもこの模擬戦自体を阻止出来ていれば、こんなことにはならなかったのに。まだ15だぞ!?目が見えないとはいえ、人として、女として、リンには未来と希望があったはずなのに。彼女にも、かなえたい夢があったのに。……何もしてやれなかった。リンを支えるだって?守られていたのは俺の方じゃないか。全身を貫くような激痛に苛まれながらも、マクレーン自身のために戦い続けたリンに、何をしてやれただろう?何がオーレリアのエースだ。何が正義だ。目の前の守りたいやつを守ることも出来ずに、何がエースだ。いや、屑をエースと偽って派遣するような祖国に、何の守るべき、信じるべき理由がある!?たった一人、それも傍にいた少女一人守ることも出来ないような力に何の意味がある!?どうして俺が生き残ってしまったんだ!?渦巻く思いは、容赦なくマクレーンの胸の内側に嵐となって吹き荒れた。怒り、悲しみ、そんな感情が膨れ上がり、涙となって溢れ出した。リンの身体を抱きかかえたまま、マクレーンは叫んだ。何度も、何度も、言葉にならない思いを吐き出すかのように。深く、塞ぎようの無い傷が、マクレーンの心は抉っていく。レイヴンウッズの森に、慟哭の叫びが何度も木霊して響き渡る。その悲しい絶叫は、全て手遅れとなった救援ヘリの羽音が聞こえてきても止むことを知らなかった。
サチャナ基地に救援ヘリが戻ってきたのは、日暮れの時間帯だった。第110戦闘小隊の「蛮行」は当然の如く兵士たちの反感と怒りを買い、彼らを模擬戦の相手として「推薦」した一部の空軍将校と政治屋たちは、血相を変えた男たちに取り囲まれる羽目となった。基地司令官の一喝が無ければ、兵士たちによる集団暴行なんてスキャンダルが起こっていたかもしれない。もっとも、在任中に看過出来ない不祥事が発生してしまったのだから、基地司令官とて冷静ではいられなかっただろう。苦虫を噛み潰したような顔で一行の安全を確保するため、という名目で事実上軟禁してしまったのは、ささやかな彼の抵抗だったのかもしれない。ゆっくりと降りてくるヘリを取り巻く群れの中に、ラターブルも、ルシエンテスもいた。そして、XRXプロジェクトの事実上の民間トップである、ロビンスキーの姿もあった。ようやくヘリが接地し、スライドドアが開かれた途端、マクレーンたちの身を案じて集まった者たちは言葉を失った。笑顔を浮かべたまま動かないリン。血染めのパイロットスーツに身を包んだ彼女を抱きかかえ、真っ赤に目を腫らしているマクレーン。だが、悲しみとは違う張り詰めた気配に、無言のまま歩き出した彼に、誰も声をかけることが出来ない。自然と道を開いた野次馬たちの間を歩いていくマクレーンの足取りが、重い。絶望に沈んだ彼の姿を、誰もがまともに直視することが出来なかった。マクレーンとリンに声をかけようとしたラターブルは、震える手で二人の後姿に敬礼した。そしてため息と共にようやく言葉を紡ぎだす。
「何で……何でリンちゃんがあんなことになっちまうんだ。あれじゃ、隊長が余りにも可哀相だよ……」
「……済まない。俺たちには止めることが出来なかった。リンは……あの子はマクレーンを守るため、ただそれだけのために、逝ってしまったんだ」
アンタは悪くないさ、と言い置いて、ラターブルはマクレーンの後を追った。残されたルシエンテスは、改めてあの戦闘光景を脳裏に浮かべた。攻撃を受け、損傷したマクレーンのXFMX。味方を敵と呼び攻撃する愚かな男たち。そして、暴走してしまったリン。オーレリアという国は、豊かで平和に満ちた国家ではなかったのか?くだらない意地の張り合い、政治的駆け引き、そして謀略の連鎖。これでは、内戦状態にある祖国レサスと何も変わらないではないか。リンの命は、そんなくだらない、つまらないもののために奪われてしまった。そして、自分は何も出来なかった。不幸な生い立ちを全く感じさせない、底抜けのリンの明るさに、ルシエンテスはどれだけ救われていただろう?マクレーンという良き戦友を手に入れたことも、結局は彼女のおかげだった。ただ、朴念仁のマクレーンに向けられるリンの一途な思いが分かっていたから、ルシエンテスは敢えて一歩引くようなような行動をしていただけだ。――そんなリンの存在が失われた時、彼の心には埋めようのない穴が開いてしまった。理想形の一つと思っていた、オーレリアという国家による明白な裏切り。政治形態がどうあれ、くだらない政争を繰り返す者たちによって簡単に奪われていく命。人々の生活。よりにもよって、最も見たくなかった悲劇をオーレリアで見る羽目になったことが、何よりも悔しかった。拳を握り締め、うつむいたルシエンテスの肩を、誰かが軽く叩いた。
「ロビンスキー専務……」
「さすがに堪えるね、これは。あんな辛そうなマクレーンの姿を、それにリンの変わり果てた姿を見る羽目になるとは、思いもしなかったよ。我々はオーレリアに一杯食わされたどころか、完全に騙されてしまったんだねぇ。……だが、悲劇は別として、リンの戦闘記録は素晴らしかった。XRXがあそこまで強固な機体構造をしているとは思わなかったよ。想定外の成果だった」
「リンが死んだというのに、商売の話をするつもりか……!」
空虚になった心でも、怒りは爆発するものらしい。ワイシャツにネクタイ姿のロビンスキーの胸倉を、ルシエンテスは掴み上げた。拳を叩きつけなかったのは、民間人に対する暴力を理性がかろうじて食い止めただけのことである。だが、予想に反してロビンスキーはルシエンテスの鋭い眼光を平然と受け止め、胸倉を掴み上げるルシエンテスの腕を両手で掴んだ。
「私が悲しんでいないとでも思っているのか……!実験体として扱っていたのは事実だが、私はあの娘がずっと小さい頃から面倒を見てきたんだぞ……!!その子が、オーレリアのどら息子たちのせいで死んだ。プロジェクトも中断せざるを得ない。当然オーレリア政府に対しては報復として損害賠償を求めることになるだろう。だが、そんなことじゃリンの命の代わりにはならん。どんなに多額の金を分捕ったところで、もうあの子は戻ってこない。小事に惑わされるなよ、ルシエンテス。我々は軍人じゃない。なら、我々に出来ることは何だ!?我々にとっての戦果、我々の勝利とは、リンが残してくれた貴重なデータを無駄にしないこと。そして、愚かな争いしか繰り返せない、「国家」とその「国境」を消滅させるに足る力を、いつかこの手にすることだ……!」
予想外の答えにルシエンテスの頭は混乱した。ロビンスキーもまたリンの死を悲しんでいることを誤解していたことを詫びなければならなかったが、それ以上に後の言葉が彼の心を打った。国家と国境を消滅させる力。くだらない政争を潰すに足る力。レサスもオーレリアもない、新たな世界の創造。それを夢想と笑うことが誰に出来るだろう?ルシエンテスはロビンスキーを掴み上げていた腕から力を抜いていった。
「……国家を超える力。確かに、それを手にすることが出来れば、今よりもずっと平和で活気に溢れた世界が出現するかもしれない。だがそんなことが可能だと本当に思っているのか?いや、それは新たな国家に代わる存在による独裁体制を確立するだけではないのか?」
「放っておけば、人類は同じ過ちを何度も繰り返す。リンのように何の罪もない人々が、ごく一部の政治家を名乗る愚物どもによって命を奪われる。そんな国家というシステムは、もうこれからの時代には適応出来なくなっているんだよ、ルシエンテス。だから、我々が新たな秩序を創造する。その実現には、彼らを従わせるに足るだけの力が今は必要なんだ。リンの残してくれた貴重なデータも、その実現のための一助となるに違いない。世界のために、国境を、国家を消滅させる。昔のベルカのように核兵器など用いず、より合法的な手段で。我々には、それが可能なんだ」
「新たな秩序……国家に代わる、新たなシステムの創造……」
まるで魅入られたかのように、ルシエンテスは呟いた。それはルシエンテスの価値観の中にこれまでは存在しない言葉だった。世界は国と国とが織り成すものだと思っていた。それを叩き潰す。争いの根源を支配する。ルシエンテスは確信した。その実現こそ、彼が出来る唯一の、リンに対する弔いなのだろう、と。彼から故郷を、家族を、そして大切な存在を奪い去っていった「国家」というシステムを根こそぎ消滅させてやる。そしていつの日か、リンの墓前で新世界の幕開けを伝えるのだ。彼女のような存在が、理不尽にその命を奪われなくなったという「新世界」を。
「私は冗談を言っているつもりは無い。今までもそうだったし、これからもそうだ。そのために、グランダー・インダストリーに私はいる」
「……分かった。もはや祖国にも国家にも興味も郷愁も無い。リンの死を無駄にしないためにも、その実現に協力しよう。出来れば、マクレーンと共に」
マクレーンとて、彼の祖国には愛想も尽き果てたに違いない。どこの国家にも属さず、争いを根絶するために空を舞う最強のエース部隊。その一員として、マクレーンの存在は必要不可欠であった。誰よりも、リンの死を悲しんでいる男だからこそ、同志として彼を迎えねばならなかった。今までの「俺」はここで死んだ。見ていろ、リン。俺は俺の戦いを始めてやる。お前を死なせた全てを、俺は否定してやる。だが、今は、今だけは、お前のために泣かしてくれ。赤く染まる空を見上げたルシエンテスの両眼から、今頃になって涙の雫が溢れ出した。――それは、過去との訣別の涙だった。

2013.10.25
オーレリア空軍は、特別プロジェクトから本隊復帰したブルース・マクレーン中尉の異動願を受理。オーブリー航空基地教導隊及び訓練隊教官としての派遣を決定した。
なお、隊長不在となったサチャナ基地第505航空隊、通称"バトルアクス"隊隊長に、ホセ・ラターブル少尉を任命するものである。
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