蒼空舞う妖精
サンタエルバには念のため防衛部隊を置き、残りの陸上戦力主力がサチャナ基地に間借りする形で居候を続けていた。航空部隊の運用もこの数日は限定的で、空は静かなものだった。だが、そんな安寧の日々も今日まで。傭兵隊の参加などもあって再編成が行われていた航空隊の編成も決定し、いよいよグリスウォール奪還に向けた作戦が始動されたのである。兵士たちにとっては良い骨休みになったかもしれないが、一緒になって休暇を取っているわけにもいかないのが指揮官職の辛いところだ――各中隊ごとに出撃準備が進められている光景を少し離れた小高い丘から見下ろしながら、フィリッポ・バーグマンは心中でぼやいた。彼をはじめとした実戦部隊の指揮官たちは、わらわらと集まってくる陸軍部隊の戦力を再編し、使い物にならない連中やレサスのスパイらをふるい落とし、収監し、編成を行う傍ら模擬演習や作戦計画を練る……といった作業をこなし続けていたのだから、それも無理はない。百歩譲っても寄せ集め混成部隊でしかない不正規軍陸上部隊がレサスを圧倒するためには、高い士気を維持しつつ、航空部隊の「奇跡的な」支援の元奮闘するしか術はない。そのための障害となる要素は可能な限り事前に排除せざるを得ないのが、バーグマンたちの立場だった。
「――しかし、信じられませんな。グリスウォール奪還作戦が現実のものになるとは、ね」
紫煙を吐きながらバーグマンの傍らで座り込んでいるバグナード・ディビスの声が聞こえてきて、バーグマンは自分の煙草を携帯灰皿に押し込むと、次の一本に火を付けた。
「それを言うなら、君も私も、こうやって指揮官として立っていること自体が夢みたいじゃないか。それも何かと口やかましい上層部の制約を受けることもなく、本来の目的のために本来すべきことをやっている。現役の間にこんなことが出来るとは、思いもしなかった」
「その点だけはレサスの功績ですな」
「全くだ。オーレリア解放の暁には、シビリアン・コントロールの在り方を徹底的に問うてやることにするよ」
皮肉なことに、実戦部隊の指揮官としての彼らの才能を発揮する場を与えてしまったのはレサス軍だった。彼らの侵攻が、結果として彼らの重石たる官僚組織を取り除き、平時には全く許されないであろう実戦部隊独自の判断での行動が、彼らの本来の力を引き出してしまったのだから。それだけでなく、先のカラナ平原の決戦において、戦力的には劣勢であったはずの不正規軍がレサス地上軍を打ち破ったことは、不正規軍の兵士たちの士気をこれ以上なく高めたものである。そして「通常」であれば、上に乗っかる指揮官の指示に従わざるを得ない立場の男2人は、今やオーレリア地上軍主力部隊を支える双璧とまで呼ばれるようになっていた。
「レサス地上軍……モンテブリーズまで出張ってくると思いますか?」
「いや、ディビスの読み通り、首都防衛を固めるレサス軍が大兵力を展開してくるとは到底思えない。多少の小競り合いはあるかもしれないが、決戦は、グリスウォールになる」
「迎撃用の武器まで用意している敵の要塞に突入ですか――最後の最後まで、レサスも苦しめてくれる」
「何、悲観したものでもないさ。レサスには随分色々と秘密兵器があるようだが、こちらにも彼らにはないものがちゃんと、ある」
甲高い咆哮が滑走路から聞こえてくる。戦闘機のエンジン音は随分と聞き慣れてきたが、あの機体の咆哮だけはどういうわけかはっきりとバーグマンの耳に残っていた。編隊離陸を綺麗に決めて上昇していくのは、ようやく本来の自身を取り戻したらしい"バトルアクス"マクレーンの新しい翼と、彼のウイングマンが操るX-02。その後ろ、滑走路の端でエンジン出力を抑えて待機している南十字星の機体が、バーグマンたちの立っている丘からも良く見えた。テイクオフ・クリアランスが出たのだろう。新たに生まれ変わったXRX-45と、お調子者スコットのXFA-24Sが、これも綺麗に編隊を組んでダッシュを始める。やがて充分な加速を得た2機は、軽やかに大地を離れると蒼い空へと一気に上昇していった。
「――彼らのおかげで、私は色々なことを学ぶことが出来た。大きな借りもある。だから、今度の決戦では少しでもいいから、彼らの援護になることをしてやりたいと思う。分の悪い戦いなら、これまでだって散々してきた我々だ。今更悲観的になっても仕方ないさ」
「"笑う門には福来る"――そんな諺が東方にもありましたか。……確かに、ジャス坊たちには大きな借りが出来てしまった。玉砕なんて選択がいかに馬鹿げたものであるか、彼らに平手打ち付きで教えられたようなもんです。そろそろ多少は返しておかないと、こっちが心苦しい」
「そういうことだ。それに市街戦ともなれば小回りの聞く我々の出番が必ずある。勝手知ったる我が首都だ。思う存分走り回ってやろうじゃないか」
不敵な笑みを互いに浮かべながら空を見上げた2人の視線の先に、高空へと舞い上がっていく若者たちの翼が見える。多くの大人たちが、彼らの翼に奮い立ってここまで来た。今更何を戸惑う?今更何を怖気づく?彼らが一歩を踏み出してくれたおかげで、この戦争の予定が覆り始めた。大人がここで踏ん張らなくてどうする?グリスウォールの戦いが無傷で済むとは到底思えない。戦い方次第では、これまでで最大の犠牲を出すことになるかもしれない。それでも、やらねばならないことがあることを、バーグマンたちだけではなく、出撃準備に追われる兵士たち一人一人が、実は最も認識しているのかもしれなかった。
操縦系にはそれほど変更は無かったものの、生まれ変わったXR-45S、いやXRX-45のコクピット内は別物になっていた。何よりも大きな変更点は、コフィン・システムの採用によって見回す限りがモニターになったこと。それに伴いHUDはモニターに表示されるように変更され、ヘルメットバイザーにはモニターと連動する照準システムが組み込まれた。その操作に慣れるようになったら、今度は機体の機動性の改善に戸惑った。デル・モナコ女史とサバティーニ班長が胸を張って言ってのけたように、XR-45Sの機動がまだまだ生易しいものであったことを思い知られるほど、危険なものになっていたのだ。ジャスティンなら使いこなすわよ、とはデル・モナコ女史の有り難い言葉だったが、この短期間に僕は数回失神する羽目になっていた。扱いにくくてそうなるのではなく、以前よりも扱い易くなった結果、僕の想像を超えた機動をするようになってしまったのだった。おかげで、初日の模擬戦はボロボロ。一人ステルス機能を有しないスコットは、マクレーン隊長たちの文字通り餌食となり、たっぷりと回避機動の実演をさせられてしまった。ようやくある程度渡り合えるようにはなってきたが、まだまだ使いこなしているとはお世辞にも言えない状態だった。
「今日こそギャフンと言わしたる。覚悟しいや、マクレーン隊長!」
「フン、今日もたっぷりと回避機動の訓練をさせてやるさ」
早くもマクレーン隊長とスコットの舌禍大戦が勃発している。サーチモードを全開にし、レーダーだけではなく画像による周辺監視も行って、隊長たちの姿を捜し求める。さあ、今日はどんな風に仕掛けてくる?レーダーに反応は無い。その代わりに、ピピッ、という短い電子音と共にモニターの一部がクローズアップ。XRX-45の捕捉した隊長たちの編隊の姿が拡大して表示される。位置は僕らのほぼ真正面、やや上方。嫌な予感。こちらが攻撃態勢に入るよりも早く、ミサイルアラート。敵編隊、長射程ミサイルを既に発射済。無論実弾が発射されているわけではないが、レーダー上に高速で接近するミサイルの光点が映し出される。脅威レベルはレッド。すかさずチャフ展開、急旋回。回避機動。スロットルを押し込みながら低空へと飛び込んでいく。敵ミサイル、軌道修正。が、その軌道が重なるよりも早くミサイルの下を潜り抜け、ミサイル回避。目標を見失ったミサイルはそのまま低空へと降下していく。バトルアクス隊、編隊を組んだまま僕らの真正面、上方から急速接近。こちらは編隊を解き、加速して前進するスコットから離れて急引き起こし、急上昇。ガツン、と背中を叩き付けられたような衝撃と共に、愛機は猛烈な加速を得て空を駆け上がる。隊長機、ラターブル機、ガンアタック体勢。フットペダルを蹴飛ばして横方向へと跳ねて、攻撃を回避。コンマ数秒の差で隊長機たちの横をすり抜けて、上下入れ替え。その間に距離を稼ぎつつループ上昇、反転を終えたスコットが、今度は隊長機たちに向けてミサイル発射。AWACSの支援は無い。その代わり、XRX-45ではデータリンクを結んだ僚機に対し、簡易的ではあるが画像追跡等の支援を行うことが出来るようになった。レーダー上、ステルス機である隊長たちの姿はほとんど確認出来ないが、モニタ上で追尾される隊長機たちの姿目掛けてミサイルが誘導されていく。
「こればかりは厄介な仕組だよ、本当に……!」
「ぼやいていないでしっかり飛ばせ、バターブル」
「トッホッホ、厳しいところまで復活しなくても良かったのに……」
隊長たちをスコットが牽制している間に失速反転、上方からの絶好のポジションに付けた僕は、今日こそは隊長の後背へと忍び寄っていく。だが向こうもコフィン・システム搭載機。レーダーの反応は無くとも、既にコクピットには後方警戒警報が鳴り響いているに違いない。バトルアクス隊、ブレーク。ここからが本番。エルジアで試作され、実戦投入されたいわく付きの機体の一つであるX-02を自在に操りながら、ラターブル機が旋回していく。唯一の非コフィン機だが、その機動性は現行戦闘機の大半を凌駕する。機動性の勝負ならスコットのXFA-24SはX-02に劣る。しかも乗っているのはマクレーン隊長の薫陶篤きベテランパイロットだ。スコットも僕も、戦い方で勝負するしかない。
「今日はしっかり乗れているみたいだな。ゲロ吐くんじゃないぞ?」
「隊長とは違ってコクピット内ではまだ吐いてませんよ」
「フン、悪かったな、小僧!」
後ろで見ていても、隊長が本気モードになったのがはっきり分かるほど、敏捷な動きでYR-99が旋回する。その華奢な姿からは想像も出来ないような豪快さ。フォルド二曹曰く、もう一つの整備班泣かせの最新技術の化物。「呼吸する翼」の表現の通り、飛行状況に応じて主翼形状が変化して最適の状態にセットするというのだからタチが悪い。ちなみに整備班泣かせの化物1号機は、言うまでも無く僕のXRX-45だが。速度を上げながら旋回していくYR-99を追って、こちらも急旋回。その後背へと少しずつ忍び寄っていく。照準内にその姿を捉えることは出来ないが、焦りは禁物。早くも僕を振り切るために激しい機動を開始したマクレーン隊長の後姿をトレースしていく。圧し掛かるGは並大抵の物ではない。だがここで気を抜いていたら、僕はいつまで経っても歴戦のエースたちを凌駕することなど出来ないに違いない。伝説のエースたちを目指すわけではないが、隊長と訣別したレサスのエース、ペドロ・ゲラ・ルシエンテスを打ち破るには、僕にはまだまだ経験が足りない。だからこそ、彼の戦い方も飛び方も良く知る隊長との模擬戦は、目前に迫ったレサス軍との決戦において重要な役目を果たすに違いない。だからこそ、隊長は僕らをそれぞれの機体に習熟させるために、連日僕らをしごいてくれている。それが分かるから、本来この手の熱血はあまり好きではない僕でも、出来る限りのことをしようという気になっていた。隊長機、業を煮やしたのか180°ロール、ダイブ体勢。こちらも続いて……と思った瞬間、ほとんどその場で回転するように反転した隊長機の機首がこちらを向く。ぎょっとして操縦桿を手繰り、何とか真正面から仕掛けられたガンアタックを回避する。
「随分慣れたもんだな。今のは仕留めたと思ったんだがな」
隊長の言う通り、だいぶこの機体の扱い方は分かってきた。刃の上でダンスを踊るような感覚は前よりも強くなったが、反面安定感も出ている。慣れれば慣れるほど、扱い易い。操作にしっくりと来る操縦感覚にようやく僕は気が付いた。デル・モナコ女史の実力の真骨頂と言うべきか。中途半端に扱っていては、いつまで経ってもこの機体は言うことを聞こうとしないに違いない。思い切り振り回してこそ、格別の機動性と格別の安定感が生まれる。無論身体にかかる負荷も増してはいるが、それに泣き言を言ってちゃ駄目だ。前を向け、敵を捉えろ――後方へと抜けた隊長機の姿を追って、スプリットS。目まぐるしく変化する視界。レイヴンウッズの森の緑が、大空の蒼へと姿を変える。僕から距離を稼いだ隊長機は、早くも旋回からヘッドオン。コクピットに警報が鳴り響いたかと思うと、こちらに向けてミサイルを2本発射する。こちらもその鼻先目掛けてミサイルを放ち、速度を落とさずにバレルロールへと突入。隊長機もミサイルの直撃を回避するために針路修正、速度は変わらず。斜めに滑り降りるようにその針路上へと割り込んで、すれ違いざまの一瞬にガンアタック。実戦ならば互いの放った機関砲弾の光が交錯していただろう。互いの機体が振動と轟音に揺さぶられるほどの至近距離を抜けて、再び離れる。ダメージ、無し。こちらの攻撃も命中せず。全く、吹っ切れたおかげか、隊長の飛び方は以前にも増して鋭くなっている。初めからそうやって飛んでくれていれば良かったのに、と思わずぼやきたくなる。
「今日は絶好調やで、バトルアクス3!」
「こっちは厄日だ。よりにもよってマムシ野郎を振り切れないんだからな」
蒼空舞う妖精 こちらも支援している余裕が無い以上、スコットは食らい付いた敵の後姿をひたすら追うしかない。だが機動性では有利なラターブル機を、スコットは巧みに追い回して離れなかった。いつの間にあんな飛び方をするようになったのだろう?悪友の思わぬ進化ぶりに感心させられる。僕も負けてはいられない。このまんま互いに正面でやりあっていては、経験が足らない分だけ僕が先にやられるに違いない。隊長機から距離を取ったうえで、僕は上昇へと転じた。高度計の数字を数えながら、蒼空を駆け上がっていく。隊長機はゆっくりと旋回しながら、僕の後方へと回りこんでいく。さあ、今度は僕が逃げ回る番だ。スロットルをぐいと押し込んで、アフターバーナーON。これまで以上に強力になったエンジンが咆え、愛機は弾き飛ばされるような加速を得てダッシュ。モニター上にはスコットたちの位置情報もトレースされている。スコットの執拗な追撃から逃れようとしているX-02に上方からかぶっていく。後方にポジションを取ったマクレーン隊長機も同様に降下開始。スコット、囮役のミサイルを発射。ロックオンも特にされていないミサイルは虚空を直進していく。被弾を避けるためにラターブル機は機首を持ち上げつつ緩旋回。そのままふわりと速度を殺して後方のスコットを振り切るつもりだったのかもしれないが、その一瞬のスピードダウンは僕にとっては絶好のチャンス。慎重に照準を睨みつけて狙いを定める。後方警戒音は聞こえているが、マクレーン隊長は僕を捕捉し切れていない。X-02の背中をしっかりと捉え、僕はトリガーを引いた。
「こちらクラックス、バトルアクス3はグリフィス1の攻撃によって撃墜されました。訓練空域外で待機して下さい」
「いやいや、まだ生きてるってば。判定に間違いないの?」
「コクピットに直撃、現実ならミンチですよ」
「……」
渋々、といった様子でラターブル機が旋回し、離脱していく。
「ラターブル、この馬鹿ったれ。こいつらはガキだが、レサスとの激戦を生き延びた本物だぞ」
「そんなこと言ったって、隊長、あんな腕利きはヴァレーにだってそうはいない……」
「問答無用、戻ったら滑走路ダッシュ20本だ!!」
「いやぁぁぁぁ!」
どうやらラターブルさんの扱いは僕らと対して変わらないということに、思わず苦笑する。無論そうしている間も僕らの模擬戦は続いている。依然として隊長は僕の後方をキープしているが、さらにその後方を取るべくスコットが回り込んでいく。それにしても、マクレーン隊長の雰囲気は変わった。前の靄のかかったような雰囲気はどこへやら、というやつだ。おまけに、あのエンブレム。戦斧と共に描かれている妖精は、僕の愛機のオリジナルとなったXRXに乗っていたという、あの子――リン・フローリンス・ルシオーラに違いない。隊長には、赤髪の妖精とファクト少尉。僕はどうだろう?尾翼の南十字星?それも何だか味気ない。風に揺れて輝く金色の髪――そうだ、今頃フィーナさんはどうしているのだろう?グランディス隊長のことだ、絶対に大人しくしているはずはない。ネベラ・ジャマーによる妨害によって、フィーナさんたちの消息を知る術は全く無い。だけど、無事にサチャナに戻ってきてくれると僕は信じている。……いくら何でも飛躍し過ぎとは思いながらも、未だに空席のままの2番機がもしそうだったら、どんなに嬉しいだろう。それに、どんなに心強いだろう。
「くそっ、何や二人とも、早過ぎるわ。追いつけへん!」
「ジャスが飛ばし過ぎてるんだよ。まあいい、お前は少し休んでいろ。サシでやってみたくなった」
「こっちは遠慮被りたいですけどね!」
「そう言うな、訓練だろ、訓練」
機首前方にせりだしたウェポン・ユニット部を格納して高速巡航形態を取ったとしても、最高速勝負ならYR-99に分がある。逃げ回るだけはもうご免だった。さあ、オーレリアのトップエース相手にどう戦う?短時間でシナリオを構築して実行すべく、操縦桿を握り、ふう、と呼吸を整える。よし、いくぞ、相棒――愛機に心の中で呼びかけて反転した。互いにレーダーでは互いの姿をほとんど把握しない状況下での戦闘。火器管制装置の目が、その代わりを務めてくれている。隊長機、速度を落とさずに真正面、同高度、針路変更の様子なし。こちらもモニターに表示される隊長機目掛けて突進する。超高速環境下でのガン攻撃は、シビアな照準制度とタイミングが要求される。加えて、回避機動のタイミングも。彼我距離はあっという間に縮まっていく。操縦桿のトリガーに指を置き、タイミングを計る。隊長も同じようなものに違いない。1……2……3!トリガーをコンマ数秒引き、すぐさま回避機動開始。右方向へとバレルロール。隊長機、ほんの一瞬遅れて反対方向へとロール。ここだ。このタイミングで隊長から離れたら追いつかない。イチかバチか、思いつきの作戦を実行にかかる。丁度真下を通過しかかる隊長機の姿が見えた刹那、フットペダルを蹴飛ばしつつ、右エンジンカット、左エンジンON、強烈な横方向のGに視界と意識が振り回される。この辺だろう、という感覚に頼って両エンジン最大出力、スロットルレバーを押し込んで操縦桿を手繰る。Gに翻弄された身体がギシギシと悲鳴を挙げ、言いようの無い嘔吐感を飲み込む。
「クラックスよりバトルアクス1、グリフィス1に損傷報告……って、えええ!?」
「バトルアクス1よりクラックス、今取り込み中だ、後にしてくれ!」
XRX-45の強靭な機体は、ほとんど位置を変えない水平方向での反転に耐え抜き、加速を開始している。むしろ僕の身体のほうがやばかった。ようやく戻り始めた視界に、YR-99の独特の形状の後姿と、尾翼に描かれたエンブレムとが飛び込んできた。今度こそ逃すものか!何度か旋回を繰り返した後、アフターバーナーを焚いて低空へとダイブしていく隊長機を追って、僕も急降下へと突入する。コマ送りで上昇していく速度。そして減少していく高度。一気に5000フィートを駆け下りた隊長機が引き起こし、水平飛行へ。こちらも引き起こし。再び圧し掛かる強烈なG。呼吸が圧迫され、全身に汗が吹き出す。さすがに無理をし過ぎたか。視界が未だにぼんやりと霞んでいる。実戦では泣き言を言っていられる場合ではなかったが、これ以上の無理は機体と自分自身の命を危険に晒す。機体を水平に戻し、スロットルを緩めていく。全力疾走を何本もした後のように荒い呼吸を少しずつ整えながら、僕は隊長機から離れていった。
「バトルアクス1より、グリフィス1へ。あんな機動をする奴があるか、大丈夫だろうな?俺は訓練で殉職なんて認めないぞ」
「グリフィス1より、バトルアクス1、飛行に支障はありません。大丈夫です。ちょっと視界が戻らないのですが……」
「あんなトンデモ機動するからや。グリフィス3より、クラックス。訓練終了を要請」
スコットのXFA-24Sが後方からゆっくりと近付き、右側に並ぶ。こっちからは向こうの姿を確認することは出来ないが、大丈夫だよ、と手を振る。スコットが翼を数度振り、了解と応える。どうやら、僕はこの機体に馴染んだらしい。ほぼイメージ通りの機動で隊長機を初めて追撃することが出来ただけでも、今日の収穫は大きい。今日の戦闘データがフィードバックされることによって、さらに扱い易くなっていくのだろう。XR-45Sに乗り始めた頃、僕はこの機体を怖いと思った。それは今でも変わらないが、それ以上に信頼感を感じられるようになってきた。そう、僕は負けられない。特に、あの男――レイヴンウッズの空で僕らを苦しめたサンサルバドル隊の隊長機には、絶対に負けたくない。負けるわけにいかない。彼らをこの戦争の勝利者としないためにも、無茶を承知で僕は飛ばなくちゃいけない。もっともっと、XRX-45に近付かなくちゃいけない。
「……無茶しやがって。まあいい、ジャスティンの無茶に免じて、一旦帰投するぞ。休憩の後、もう一戦交えるとしよう。――ジャスティン、いい機動だった。だが、あれをやっても気絶しないように飛び方を考えるか、身体を鍛えるようにしておけよ?」
「僕の負けです。まだまだ、充分にこいつを使いこなしてません」
「焦るんじゃない。今でもレサスのエースたちには充分通用する。無茶ばかりしていると、お気に入りのフィーナ嬢にしかられるぞ」
「隊長かて妖精のことばっかり考えとると、ヴァネッサさんに刺されまっせ」
「――スコット、サシで勝負するか?」
ひぇぇぇ、と悲鳴を挙げてスコットが急旋回していく。マクレーン隊長とラターブルさんが笑い出し、つられて僕も笑い出す。そうだ、もう一つあったな。フィーナさんが背中を預けてくれるようなエースになること、というのが。バトルアクスの2機がゆっくりと旋回してサチャナへの針路を取る。ぐるりと大回りして戻ってきたスコットと合流し、僕らもその後に続く。見上げた空は、もう真夏の空。蒼く、どこまでも広がる蒼空。僕はあるべき場所――空に戻ってきたのだ、と実感した。

訓練を終えた僕らは、久しぶりのブリーフィングルームへと呼び出された。そして、隊長機としての初任務が伝えられる。攻撃目標は、不正規軍の針路を阻んできたネベラ・ジャマーの破壊。いよいよ、僕らの決戦が幕を開ける。
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