2番機の帰還
自分の意識に羽が生えて、明後日の方角へと飛んでいったような気分に、僕は浸っている。滑走路を吹き抜ける風が今日はいくらか涼しいのだが、火照った顔のせいでいつもよりも汗をかいていることにも気が付かず、グリフィス隊に割り当てられている格納庫のベンチに座り込んだ僕は蒼空を見上げている。我が意を得たり、というわけではないのだが、サバティーニ班長、シルメリィのアルウォール司令、そしてマクレーン隊長らに呼び出された僕とスコットに伝えられたのは、僕らのチームの編成に関しての伝達事項。決戦前に何か特殊な作戦でも遂行するのだろうか、と内心びくびくしながら赴いたブリーフィングルームで、それは伝えられた。戦時の臨時編成により、カイト隊3番機をグリフィス隊の2番機として編入する……と。ウチと同じで2番機は女性だ、とマクレーン隊長が笑いながら言ったことはかろうじて覚えているが、フィーナ・ラル・ノヴォトニー少尉が僕らの2番機として飛んでくれるという話だけで僕の頭と意識は飽和状態。どうやら不正規軍の重鎮たちの物笑いの対象になっていたようなのだが、あんまり記憶が無いままここまで僕は来てしまったのだった。フィーナさんが、2番機!未成年+レイヴンの若手エースというとんでもない編成のグリフィス隊の存在自体が、最早冗談みたいな話と思えてくる。だが、実際問題としてフィーナさんが2番機にいることは、僕自身にとって有り難い話だった。レサス軍との決戦を迎えるに当たって、安心して背中を任せられるウイングマンの存在は欠かせないし、部隊全体の戦闘力は格段に向上することだろう。……それは言い訳だな。そんな理屈は抜きにして、僕は嬉しいんだ、きっと。
「なんやなぁ、一途な男っちゅーのは見てて面白いわ。俺は無理やなぁ、不在期間は絶対別んとこ行くさかい」
「スコットの基準は一般的じゃないからね。大体そういうスコットだって、最近はもっぱらアイリーンの部屋から出勤なんだろ?人の事言えないじゃないか」
「待った待った、そりゃ誤解や。アイリーンの入れてくれるコーヒーがうまいから寄ってるだけやって」
「誰も信じないよ。まぁ、これまでの大活躍でジャスティンに随分とファンを取られちゃったからねぇ。寄る辺があるだけでもいいんじゃないの?」
ユジーンとスコットの他愛の無い会話も右から左へと流れていく。何となく振り返ってみると、ユジーンが大豆ビスケットバーをかじっていた。良く見てみると、少し前まではチョコ製品で満杯だった彼のポケットから、健康食品というか、ダイエット食品のような包みまで顔を出していた。
「……そや、最近の酒保はおかしいで。気ぃ付いたら俺の愛読書コーナーが無くなってもてチョコバーの種類が増えとるし、最近じゃ妙に健康食品の比率が増えてジャンクなお菓子が消えとるし。おまけに文句つけたらスパムの缶詰が飛んで来るんやで!頭直撃やったわ!!ありゃ絶対、俺に対する嫌がらせや!!フフ、モテる男は辛いでぇ……」
「……多分それ、全然見当違いだと思うよ。それにスコット全然相手にされて無いでしょ、あの売店じゃ」
「俺はガキには用あらへんのや!」
「そうは言うけど、そのガキもいつかは成長するんだよ、スコット」
スコットは気付いていなかったようだが、じと、と見上げたユジーンの目が怖い。上にいるときはともかくとして、最近確かにユジーンが基地内で歩いている時はチョコ以外の物を持っていることが増えたし、ビール……否、太鼓腹が以前に比べて引っ込んだように見えるのは、決して僕の錯覚ではあるまい。スポーツジムのランニングマシンの上で汗だくになって走っている光景も確かに前よりは増えているのだ。

それにしても、フィーナさんが2番機。……いいなぁ、とてもいいなぁ。そんな夢みたいなことが実現しただけでも心が躍り出す。これまでだって、シルメリィ隊との共同作戦で何度も同じ空を飛んできたが、同じ部隊で飛ぶのとは訳が違う。キャリアも経験も僕よりも上の相手に、隊長機として指示を飛ばすような場面もあるだろうけれど、きっと僕の方がビシビシと指導されるんじゃないかという気もするが、一緒に戦っているんだという一体感は格段に強まる。作戦を終えてサチャナに戻る途中の、綺麗な夕焼け空を一緒に眺めながら、仲良くランデブー・ランディングとかしちゃうんだろうか?いやいや、敵のエースに追撃されるフィーナさんのピンチを僕が救ったりしちゃったり。いやいや、フィーナさんは僕なんかよりも本来ならずっと各上の士官なんだから、僕が甘えすぎちゃいけない。グランディス隊長やマクレーン隊長たちのような例外はともかく、少年隊長部隊の実力を疑問視する堅物も残念ながらいる。フィーナさんに迷惑だけはかけないように、気を引き締めなきゃいけないんだけど……それは分かっているんだけど、自然と口元が緩んでくる。初めて出会ったときの姿が瞼に浮かぶ。風に揺られる金髪のポニーテール。今までよりもずっと間近で、僕はその姿を見ることが出来るようになるのだ。スコットではないが、これで奮い立たない方がおかしいというものだろう。いかに経験不足の僕であっても、それくらいは分かる。
「……あ〜あ、何や、ジャスの顔見てるとこっちが恥ずかしゅーなってくるわぁ。そのマヌケ面なんとかならへんのかいな?」
「その点だけは僕も同意だねぇ。空の上で大丈夫かどうか、今から心配になってきたよ」
「フィーナさんが2番機かぁ……」
「だぁぁぁぁっ!!一人であっちの世界に行っとるんやないで、ジャス!!」
「そんな大声出さなくても聞こえているよ、スコット」
「ほんまかいな……」
「コクピットの中で今晩のお相手のことばかり妄想しているスコットこそ大丈夫なのかよ?」
「ちっちっち。俺から妄想パワーを取ったらなーんも残らへん。恋人たちが力を与えてくれるんやで」
「ジャスティン、あくまでスコットの特別事例だよ。聞き流すが吉さ」
ヘッドロックをかけようとしたスコットから素早くユジーンが逃れる。
「……大丈夫だよ。浮かれて撃墜されるようなヘマは絶対にしないさ。それにフィーナさん……じゃない、ノヴォトニー少尉が入ってくれることで、僕らグリフィス隊の戦闘力は格段に上がるんだぜ?それに、首都の戦いでは、きっとアイツが出てくると思う。僕らを追い詰めた、蛇みたいな敵が。彼らと渡り合うためには、正直僕とスコットじゃしんどい。そりゃあ、嬉しい理由はそっちじゃないけどさ」
「ジャスもなかなか隅に置けまへんなぁ。でもま、確かにあん時の連中相手に回すんやったら二人じゃ無理やな。それになぁ、二度も同じ相手に追いかけ回されるんだけは嫌や。今度こそ、いわしたる。たぁーっぷり、うたわしたるでぇ!」
「サンサルバドル隊――レサス空軍第1航空師団第3戦闘飛行隊、だね。それと、その隊長、ペドロ・ゲラ・ルシエンテス」
本人の姿は、僕も写真でしか見たことが無い。だけど、レイヴンウッズの空で、僕は獲物に狙いを定める冷たい瞳を確かに見た。あのときの背筋が凍りつくような感触は、忘れたくても忘れられるもんじゃない。フィーナさんたちが来てくれなかったら、僕らはどうなっていたか分からない。でも、危機を回避し、真の敵の姿を知った今、次こそは絶対に撃墜する――そう僕は心に誓っていた。僕たちを救い出してくれたフィーナさんたちに報いるためにも、僕はそうしなければならない、と。そのための準備は、整った。絶対的な経験の差は如何ともし難いけれど、僕らが抗うことも出来ないほどの差は無いことは、あの日分かった。生まれ変わったXRX-45がいる。そして、スコットにフィーナさんがいれば、多分恐れる物は何も無い。怖気づいたら負け。後は、突き進めばいい。
「それにしても、オーブリーから良うここまで来たもんやな。ジャスが無謀にも出撃してへんかったら、今頃学校でレサス語の勉強でもしてたかもな」
「あの日から、逆風が吹き始めたんだと思うよ。希望を運んでくる西風ってやつがね」
「気がつきゃ、俺らみたいな小僧が実戦経験豊富なパイロット扱いやもんなぁ。それでも、もうちょいで決着は付く。フィーナはんみたいな凄腕もヘルプに来てくれる。へへ、負ける気が全然せえへん。こうなったら、とことんやったるで。オーレリアのマムシの恐ろしさもたっぷりと見せつけたる」
「女性ファンがますます減りそうだけどねぇ」
「ほっとけ!」
そう、こんな会話をしていられるのも今日までだ。グリスウォール侵攻作戦のカウントダウンはもう始まっているのだから。でも、今日くらいは、僕らの戦いが始まって以来のマブダチと、そして、もうすぐ帰ってくるはずの憧れの女性と、少しはゆっくりしてもバチは当たらないだろう。・・・・・・早く帰ってきてくれないかなぁ・・・・・・。抜けるように蒼い大空を見上げながら、今頃は遠くの空を家路についているであろうフィーナさんの姿を、僕は脳裏に思い浮かべた。
案外待ち時間の経過というものは長く感じるもので、訓練なりトレーニングなりをしている時はあっという間にやってくる夕方が、今日はようやくやってきたという気分だった。毎日の日課となったランニングも集中力を欠いていたし、昼食のメニューが何だったかも実は覚えていなかった。上の空、という表現がもっともしっくりくると言って良かっただろう。フィーナさんたちの到着予定時刻まではまだ間があったけれど、部屋でじっとしている気分にもなれず、僕はぷらぷらと基地を歩き回っていた。自分たちの機体が翼を休めている格納庫を通り過ぎようとすると、哨戒任務を終えて戻ってきたらしいカイト隊のYF-23Sのキャノピーから、誰かが僕を手招きしていた。コクピット脇に小さく描かれているナンバーは「02」。ミッドガルツ少尉の機体だった。タラップを降りてきた少尉はヘルメットを脱ぐと、ニコと僕に笑いかけてきた。無口な人ではあるけれど、だからといって無愛想というわけではない。食堂などでスコットやユジーンとダベっていると何事もなかったかのようにコークやアイスコーヒーの入った紙コップを置いていってくれることもあったし、僕らの訓練の相手役を進んで引き受けてくれたり。一度酒保で手紙を出そうとしているところに出くわしたときの、何とも言えない嬉しそうな表情は忘れられない。その手紙が、はるかノルト・ベルカで彼の帰りを待つ許婚に当てられたものである――とは、スコットが仕入れてきた与太話の一つだ。どちらかというと、クールな印象が先行していて少し近寄りがたかった少尉に妙に親近感が湧いたのは、その時以来だった。
「任務、お疲れ様です」
「……待ちくたびれた、という顔だ。安心しろ、さっきグランディス隊長から通信があった」
ぴく、と反応した僕を見て、ミッドガルツ少尉は愉快そうに笑って僕の肩を何度か叩いた。
「多分ノヴォトニー少尉も会いたがってる。戻ってきたら、イの一番に行ってやるといい」
「あ……うう……」
「俺も国に戻ったときはそうしている。効果は保障する」
少し照れくさそうに笑いながら、ミッドガルツ少尉が親指を立てる。やれやれ、かなわないな、全く。痒くもない頭をかきながら視線を何気なく動かすと、整備兵たちだけでなく非番のパイロットたちまでぞろぞろと集まっている光景が目に入る。まさかとは思うがフィーナさんのファンクラブでも出来ていたのだろうか?僕につられて視線を動かしたミッドガルツ少尉は、何か納得したように頷いた。
「どうやら、到着らしい」
少尉が指差した方向――夕暮れに染まるサチャナの赤い空に、戦闘機の影とライトの光が二つ、ゆっくりと近付いてきていた。

きれいに編隊着陸した2機が、誘導路を経てゆっくりと格納庫の前へと進み、そして停止する。甲高い咆哮を挙げていたエンジンがカットされ、それまでは良く聞こえなかった野次馬たちの声が良く聞こえるようになる。ステルス機の一つであるF-35Bの姿にも驚いたが、もう一方の新たな機体にはもっと驚かされた。既存の高性能戦闘機たちをベースにした最新型と呼べば良いのだろうか?最近では珍しくなった可変翼機構を持ち、エンジン付近から伸びる4枚の水平尾翼がその異形さを物語っている。これで不正規軍は試作機天国と言っても良い状態だ。僕のXRX-45、スコットのXFA-24S、マクレーン隊長のYR-99。そしてあの機体。レサス軍ではないが、次世代戦闘機のテスト部隊みたいな様相を呈してきた。でもまぁ、僕らのような不正規部隊にはむしろ相応しいのかもしれないけれど。さて……フィーナさんはどっちだろう?早くも新型機の周りに集まり始めた野次馬の後方で様子を伺っていると、キャノピーが跳ね上がり、中から巨体と大声の怒声とが姿を現した。
「何をずらずらと雁首揃えて集まっているんだい!?見せ物じゃないんだよ!!」
他ならぬグランディス隊長そのものがぬっと姿を現すと、何人かが明らかにびくりと反応して背筋を伸ばしていた。その中にスコットが含まれていたのはもう言うまでもない。……ということは……新型機に比べると、今や数カ国の正式採用機として量産されているF-35Bは目新しさには欠けていたが、僕の興味は別に戦闘機にあるわけではない。ゆっくりと開いていくキャノピー。立ち上がった人影がヘルメットを脱ぐと、長い金髪がふわりと広がって、滑走路を駆けていく風に揺れた。――フィーナさん!僕の足は自然と動き出し、野次馬をかき分けるようにして走り出す。止めたくても止められるものじゃない。グランディス隊長がどうせ大人しくしているわけがないのだから、ここしばらく僕は心配のし通しだった。タラップを降りたフィーナさんもこちらに気が付いているようだった。サチャナの夕焼けをバックにして微笑んでいる姿を目の前にして、僕は何だかとても安堵してしまった。言うべき言葉を言わなきゃ。
「――お帰りなさい、フィーナ……さん」
「ただいま、ジャスティン。ほら、私ちゃんと帰ってきたわよ?」
「きっとグランディス隊長が無茶しているんだろうな……と誰もが期待してたんで……やっぱりとても心配でした。へへ……、顔見たら何だか安心しました」
ちょっと照れくさくなって頬を掻きながらそう答えると、フィーナさんが最初ちょっと意外そうな顔をして、続けてその頬が少し赤くなった。ん?どうしたんだろう?何だかとても嬉しそうに見えるのは、僕の思い過ごしではないに違いない。
「オーシアのニュースで見たわよ。オーレリアの凶星再び、なんてひどいタイトルだったけれど。XR-45も復活したんだ?」
「はい、XR-45改め、XRX-45"フィルギアU"です」
「フィルギア……へぇ、ジャスティン、案外物知りだし、ロマンチストだったんだ。良くそんな旧い伝承に出てくる妖精の名前を知ってたわね」
「いや、僕が付けたんじゃないですよ。あの機体のオリジナルにそう名付けたエースにあやかって、です。でも、案外ぴったりかもしれない……って思います」
色々と話したいことはあったはずなのに、いざ目の前にしてしまうと、なかなか内容を思い出せない。過去の戦いを知ったこと、この戦争の裏で暗躍する敵の姿を僕らも知ったこと、これからの僕らの戦いの行く先がようやく分かったこと――戻ってきたら伝えたいと思っていたことの大半が忘却の彼方へと去ってしまった。でも、こうやって心の底から想っている人と一緒にいられるだけで気分は最高なんだ、と僕は知った。そのままでいられれば良かったのだけど、いつまでも沈黙しているわけにはいかない。何か話題を……と考えていたら、先に切り出したのはフィーナさんの方だった。もしかしたら、助け舟を出してくれたのかもしれない。
「そういえば、ジャスティンは隊長さんになったんだよね?あ、じゃあグリフィスリーダー、って呼ばないと駄目かしら?」
「いや……そのぉ、空の上ではいいんですけど……それ以外は、今まで通りの方が……嬉しいかなぁ、なんて思うんですけど。それに、僕もグリフィス2とは呼びにくいですし、フィーナさんと呼べるほうがやっぱり嬉しいかなぁ……なんちゃって」
後半は完全にしどろもどろ。あああ、こんな格好悪いんじゃ駄目だよ。フィーナさんと呼びたいんですって言わなきゃ駄目なところじゃないか、今のは。ニコリと笑っていたフィーナさんだったが、突然「え?」という表情を浮かべる。
「ちょっと待ってジャスティン。ひょっとして、私がグリフィス隊の2番機なの?」
何だって?僕はグランディス隊長の意地の悪い意図に気が付いて思わず苦笑を浮かべてしまった。
「……もしかして、聞いてなかったんですか、フィーナさん?」
「うん、全然。今初めて聞いたわ」
「グランディス隊長らしいですねぇ……。あ、でも……駄目、ですかね?僕はとても、その、嬉しいんですけど。やっぱり心強いですし、安心して背中任せられますし!」
ああ、そうじゃなくて、一緒に飛んでもらえるだけで嬉しいんだって、伝えなきゃ駄目だってのに!そりゃあ、事実として戦場で心強いのはそうなんだけど、それが嬉しいんじゃない。他ならぬフィーナさんが僕らと一緒に飛んでくれること自体が信じられないくらい嬉しいことなのだってのに……。こういうときは歯の浮きそうな台詞を何のてらいもなくサラッと言ってのけるスコットの能力の1/100くらいは欲しいと思う。そんな僕に、フィーナさんは笑いながらラフに敬礼する。
「グリフィス2、了解です。グリフィスリーダーを全面的にサポートします。……ねぇジャスティン、私が2番機になって嬉しいのって、安心して戦えるから――だけ?」
「え?」
ちょっと覗き込むようにして僕の顔を伺うフィーナさんの仕種がとても可愛らしいと思う。年上の女性に可愛らしいは失礼かもしれないけれど。僕は内心では盛大に、見かけ上はこっそりと深呼吸をして息を整えた。ここでちゃんと伝えなければ。敵のエースに襲い掛かるときよりもはるかに緊張しながら、僕はフィーナさんの綺麗な瞳を見つめた。
「……一緒に、飛べるから……フィーナさんと、一緒に飛ぶことが出来るから嬉しい、って理由じゃ駄目ですか?」
「え?」
「ここからの戦いが、今までで一番厳しい戦いになるって、僕にも分かります。逃げ出せればいいのかもしれないけれど、僕にはもうそんなことは出来ない。戦って戦い抜くしかない。……だから、フィーナさんに背中を守ってもらえたらいいな、って思うんです……」
もう少し他の言いようもあるかもしれないけれど、これが僕の精一杯。さすがに気恥ずかしくなって頭を掻きながら照れ笑いを浮かべていると、僕の目の前に赤い夕暮れにをバックにして、きれいな金髪が踊る。多分僕が今まで見た中で、一番の笑顔を浮かべたフィーナさんの姿に、僕の鼓動はピーク状態。あながちスコットの煩悩パワーも馬鹿に出来るもんじゃないな、と場違いなことが思い浮かんだ瞬間、首筋に強烈な衝撃と圧力。
「だぁぁぁぁぁっ、まどろっこしいんだよ、アンタたち!!」 背後からがっちりと首を掴まれて、僕とフィーナさんはぐるぐるとその場を引き回された。いつの間にかXFA-27ではなく僕たちを観察していたらしい野次馬たちから「やってらんないよなぁ」という声が聞こえてきた。さらにその背後、不気味に笑いながらスパナやバールを握り締める整備士たちの姿……。何となく陽炎のようなものが揺れている。
「折角あたいが野次馬の興味を引き付けてやってたのに、何をトロトロやってんだい!!ジャスティン、アンタも男なら、こういうときは熱い抱擁に熱い接吻の一つもしてやるってもんなんだよ!!」
「そ、そうなんですか!?」 せ、接吻、キス!?いや、いくらなんでもさすがにそこまでは早過ぎて、でもちょっとは嬉しいかなぁ、なんて思ったりして、いやいや、フィーナさんの意志も確認せずにそんなこと出来るわけが……。ぐるぐると回りだした頭。隣では同じように狼狽したフィーナさんが叫んでいる。
「そんなスコットみたいなことしなくてもいいんです、ジャスティンは!」
悪例として名前を挙げられた当の本人は、野次馬たちの最前列でこれまたつまらなさそうな顔をしながら座り込んでいる。半ば呆れたように苦笑しているところは、この道では伊達に経験豊富ではない、ということだろうか?
「いやぁ、今日はグランディス隊長に賛成や。二人揃ってなんちゅーか……」
「お前が偉そうに言うんじゃない!!」
バクッ、という音が響き渡って、顎から思い切り蹴り上げられたスコットの身体が宙を舞い、背中から着地する。観衆たちがどっと笑い出し、のた打ち回るスコットがコンクリートの上を転がる。何だか見慣れていた光景が戻ってきた――そんな気分になる。
「隊長もひどいですよ。何でグリフィス隊2番機の件、教えてくれなかったんです?」
「アンタねぇ、そういうのは想い人から聞いた方が嬉しいだろう?折角黙っててあげたのにさ」
「そりゃそうなんですけど……」
「フィーナもねぇ、この坊やの朴念仁さが分かっているんだったら、迷わずがばっと抱き寄せてみたらどうだい!?アンタなら効果テキメンだったのに……」
ハ、ハグですか!?ハグ!!心の中で両手を挙げて跳ね回っている自分の姿が思い浮かぶが、さすがに恥ずかしくなって僕は下を向いてしまった。フィーナさんはというと、顔を真っ赤にしながら、ちょっと不満そうに口を尖らせている。そんな仕種も今日は何だかとても良い。というか、今日は何でも良い気分になってきてしまった。クールダウン代わりに外した視線の先では、未だに立ち上がれずにのた打ち回っているスコットと、ハンカチを手に近付いていくオペレーターのアイリーンさんの姿があった。……あれくらい自然に出来たら、僕もいいんだろうけど。
「ほら、野次馬の時間は終わりだよ、暇人ども!で、ジャスティン!」
「はいっ!!」
野次馬たちを追い払うために大声を張り上げたグランディス隊長が僕を手招きする。近付いた僕の耳元に、大きく身体を傾けるようにして、小声で隊長がささやいた。
「せめて手だけでも握ってやるんだね、果報者。色男」
ニヤ、と笑ってみせる隊長。その笑顔を浮かべたのもつかの間、いつもの強面に戻ったグランディス隊長は再び大声を張り上げる。蹴飛ばすように、というよりも実際に何人かを思い切り蹴飛ばして追い払いながら、僕とフィーナさんを振り返って口を開く。
「若いのはしばらくデート・タイムだ。レイヴンウッズの夕焼けでも眺めながら散歩してくるんだね、朴念仁カップル」
サムアップして笑った隊長は、最後まで残ろうとしていたスコットの襟首を掴みあげるとそのまま引きずって歩き出す。ひぇぇぇぇ、という悲鳴が次第に遠ざかっていく。あー、何だか本当に見慣れた光景だぞ、これ。後には、相変わらず照れ臭そうにしている僕とフィーナさんが残される。サチャナの夕焼け空が赤く染まり、遠くを鳥たちの編隊がゆっくりと舞っていた。夕暮れのデート、か。ちらりちらり、とフィーナさんの様子を伺いながら、本人の意志に反してなかなか動こうとしない左手に全力を入れて持ち上げる。
「……じゃ、散歩――します?」
照れ笑いを浮かべながらの問いに、フィーナさんはこくりと頷くと僕の手の平をそっと握ってくれた。思っていたよりもずっと華奢で、柔らかくて暖かい手の感触が伝わってくると、僕はたまらなく嬉しくなった。そばにいて欲しい人が隣にいる――そう、たったそれだけのことが、僕にとってはとても大切なことだった。いつか、こうしながら僕の本当の気持ちを伝えられる日が来るんだろうか?……まあいいや。今日はこうして一緒にいられるだけで、多分大きな前進なのかもしれないから。マクレーン隊長オススメのスポットには時間は合わなかったけれど、僕はフィーナさんの手を取って、いつもより少しペースを落としながら歩き出した。
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