妄執の終わり
どうやら俺たちは運が良いらしい。日頃の行いはそれほど良くなかったはずだが、突然地震よりも遥かに激しい振動と衝撃とに襲われた「城壁」の中で、一人の怪我人も出さなかったことは奇跡と呼んで差し支えないはずだ。南十字星たちを苦しめていたビーム砲台を制圧すべく潜り込んだ先は、何とグリスウォールの中心部上空の管制を司るコントロールルーム。途中に出会った屈強の、何故か女言葉の混じる集団に手渡された「特殊」な手榴弾が無ければ全滅していたに違いない。ガスを吸い込んで眠り込んだ男たちを部屋の隅に積んで、レサス軍に情報を提供し続けていた管制コンピュータを強制的にシャットダウンさせた次の瞬間、その衝撃は襲ってきたのだ。幸いこの部屋の中は問題ない。だがモニターに映し出される街の姿を目にして、仲間たちも含め、誰もが目を疑った。崩れ落ちた城壁。そして燃え上がる市街の一角。戦争はまだ終わっていなかった。南十字星たちが敵を退けたのではなかったのか――?
「誰か、敵でも味方でもいい!手を貸してくれーっ!!」
若い、必死の叫びが廊下から聞こえてきた。廊下に飛び出した男は、廊下の遥か前方に広がる光景に驚いた。例の衝撃の発生点は思ったよりもそばであったこと、そして、崩れ落ちた瓦礫の前で、自らも傷を負いながら仲間たちを助け出そうとしている兵士たちの姿に。
「何で民間人が?」
「う……お、俺の足……どうなったんだ……?」
「大丈夫だ、なにすぐに医者が来てくれる。しっかり気を持つんだ!」
こいつらは俺たちの国を滅茶苦茶にした侵略者の手先だ。いまさら一人死のうが二人死のうが関係ない。自業自得――ここに来るまで、そう考えてきたことが揺らぐ。大学で、医療を学んできたのは何のためだったろう?味方の怪我を治すため?違う。救いを求める人がいるなら、手を差し伸べるためじゃ無かったのか?今、必要な措置を取ればここにいる何人かは命は助かる可能性がある。俺が求めてきたのは――!知らず、足が動き出していた。仲間を必死に呼びかけている兵士を押しのけるようにして座り、着ていたシャツをガーゼ替わりにして血を拭い、研修で学んできたように止血を始める。
「すまない、助かる」
「勘違いするなよ。俺はあんたらのしてきたことを許したわけじゃない。だが、だからといって見殺しに出来るほど、人間が腐ってもいない。こいつらの命は必ず助けてやる。オーレリア解放同盟の名にかけてな!!」
「へへ……じゃ、無事に生き残ったら、好きなだけ殴られてやるぜ」
「それだけ無駄口叩けりゃ大丈夫だな。……こら、ぼさっと見ているんじゃない!医療道具の一つや二つくらい置いてあるだろう!?手を貸せ!!どうせ俺たちじゃ戦争なんか出来ない!!だがなぁ、まだ出来ることはいくらでもあるんだ。人助けに敵も味方も無いんだからな!!」
もしかしたら言っていることが通じていない兵士もいたかもしれない。だが圧倒されたように動き始めた連中が、銃を取ったりすることはなかった。損害も無く残っている壁面から一人の兵士が応急処置用のケースを取り出したのを受け取り、措置を施していく。瓦礫に潰された足はもうどうにもならないが、少なくともその命は失わずに済むだろう。憎しみだけじゃ何も始まらない。これまで感じたことの無いような充足感を感じながら、彼は傷ついた兵士たちの手当てに没頭していった。

ひっくり返ったグリスウォールの夜景と空の星たち。一つ間違えれば空間識失調症になってもおかしくない。初めて相対したわけではないが、S-32という機体の持つ独特の運動性能には改めて感心させられる。中に乗っているパイロットの体にかかる負担だって並大抵のものではないはずなのに、それを感じさせないように空を舞う。歴戦のエースパイロットという肩書きは嘘ではないということだ。けれど、ついていけないわけではない。巧みにこちらの狙いをそらし、急反転してヘッドオンからの攻撃を仕掛けてくる相手をそう簡単には仕留められないことは分かっている。焦りは禁物。相手の射線上から逃れてバレルロール。腹の下を通り抜けていった敵機の位置を確認しつつこちらも急旋回。互いに同方向へと飛び出し、ローリングと旋回を繰り返しながらポジションを奪い合う。
「――我々は倒すべき敵を見誤っていたのかもしれない。真っ先に叩いておくべきだったよ。オーブリーの航空基地を、跡形も無く、な。そうすれば貴様のような何も知らない変異体など、出現することは無かったのだ――!!」
「知ったようなことを――!レサスの事情もアンタの悩みも僕は分からないけど、だからといって世界を好きにしていいという法はどこにもないはずだ。そのせいでどれだけの命が、オーレリアとレサスで失われたと思っているんだ!?」
「ほう、ネメシスと呼ばれたお前がそれを言うか?誰よりもレサス軍人の命を奪い取ったお前が?」
「ああそうさ、僕の両手は血まみれさ。この戦争のおかげでね。そう、僕は生き残るためにレサスの兵士たちをこの手で殺してきた。お前たちの仕組んだくだらない戦争のせいでだ!!だから、せめてもの罪滅ぼしのためにも、お前をここで落とす。全ての悲しみの根源を断つために!!」
互いの機動が交錯するほんの一瞬を狙い、トリガーを引く。機関砲弾が胴体を貫くよりも早く反応したS-32が、真っ逆さまに低空へと舞い降りていく。赤い炎と黒い煙を吐き出し続ける城壁の真上。既に機能を停止したビーム砲台が動くことは無い。クン、と並外れた反応で敵機が水平に戻して加速。圧し掛かってくるGに耐えながら操縦桿を引き、その後ろを追う。照準レティクルに収まった敵の姿に「しめた」と思ったのも一瞬のこと。その先にはガイアスタワーがそびえ立つ。まだあの中には相当な数の人間が残っている。命中しなかった機関砲弾は、そのままガイアスタワーに無数の破壊痕を穿つに違いない。そして、運悪く窓辺に人間がいたとしたら、跡形も無く吹き飛んでしまう。こちらの逡巡を嘲笑うように敵機が翼を振ってインメルマルターン。フットペダルを蹴っ飛ばして真横へと跳ぶ。曳光弾が夜空を貫き、先程まで僕がいた空間を切り裂く。
「いい動きだ。生身でそこまでやれるのだから大した奴だよ。マクレーンのしごきも良かったんだろうな」
再び急反転したルシエンテス機、僕の背後へと接近する。奴に対してガイアスタワーを盾にしても無駄だ。何の躊躇いも無くトリガーを奴は引くに違いない。旋回してアトモスリングの外周を出て、再び市街地の上空へと上がる。耳障りな警告音。背後を振り返ると、S-32の翼の下で赤い炎が3つ瞬いている。やがて速度を増した炎が、僕の背中めがけて追ってくる。チャフをばら撒いて急旋回。低空から高速で上昇するミサイルもこちらに合わせて機動を修正してくる。タイミングが早かったらしい。このまま上昇を続けていればたちまち餌食になるのは目に見えている。XRX-45の機動性能を信じて強引に反転。折角稼いだ高度を無駄にするのは悔しかったが、再び低空へとダイブ。ミサイルの軌道が重なるよりも早くその真下を潜り抜け、ミサイルの向こうにいる母機――S-32に対して反撃の矢を放つ。上方へと跳ね上がるようにして攻撃をかわした敵機の下を抜け、再びアトモスリングへ。高度をギリギリまで下げて水平姿勢を保つ。ポジションが入れ替わり、再びルシエンテスのS-32が後方上空から僕を狙っている。高度を視界に入れつつ、城壁目掛けて突進する。耳障りな警告音が再び攻撃が放たれたことを告げる。充分間に合う距離。スロットルレバーを押し込んで愛機を加速させる。城壁にほっかりと口を開けるゲートを潜り抜けたところで僕は操縦桿を勢い良く引き上げる。グン、と跳ね上がった機首が夜空を向くと共にスロットルMAX、アフターバーナーON。まるでロケットが打ち上げられるような姿勢で急上昇した僕の目の前に、ようやくS-32の前進翼が飛び込んできた。
「ちっ……そういうことか!」
「チャンス、絶対に逃すものか!」
兵装モードは既にパルスレーザーを選択。照準レティクル内に捉えた一瞬を逃さずにトリガーを引く。青い光が瞬時に空間を切り裂いて獲物へと殺到する。急旋回して右方向へと逃れた敵の横をすり抜けて、僕は一気に高空へと舞い上がった。レーダーから残念ながら敵の姿は消えない。仕留めたという手応えもなかったからこれは仕方ないが。僕の周囲では、仲間たちとサンサルバドル隊の決闘が続いている。既にマクレーン中尉と相対した1機は早くも撃墜されたようで、ラターブル機と連携して別の1機を追い回している状況。ファレーエフ中尉も、ミッドガルツ少尉も、レサスのトップエース部隊に全く圧倒されることも無く、むしろ優位に戦闘を進めている。そうだ、フィーナさんは?僕の攻撃を回避してポジションを取り直すべく上昇しようとしたルシエンテス機の位置がモニター上、四角いマークで表示される。その左方向、同高度から、後ろにサンサルバドルの1機を引き連れたまま、何とフィーナさんがルシエンテスに襲い掛かっていった。
「一度ならず二度までも邪魔するか……女!!」
「私の役目は、一番機を守り抜くこと!隙があれば狙うのは当然でしょう!?」
「小癪な真似を……!」
グリスウォールの街並みを再び眼下におさめながらスロットルを押し込んでパワーダイブ。浴びせられる機関砲弾の雨を回避しつつ、ルシエンテスのS-32がフィーナさんの後方へと回り込もうとしている。させるものか。後方に位置を取る2機に対してレーダーロック。久しぶりの心地良い電子音が鳴り響くと共に残り少なくなってきたミサイルを叩き付ける。翼から解き放たれたミサイルが、更なる加速を得て敵機の背中へと舞い降りていく。追撃を諦めた2機が互いに反対方向へとブレーク。その隙に加速して距離を稼いだグリフィス2――フィーナさんのF-35が僕の横へとポジションを取る。旋回を繰り返しつつ加速したルシエンテス機、ミサイルの追撃を振り切って離脱に成功する。だがもう1機、フィーナさんの後ろを追いかけていた敵機はそういかなかった。回避機動に転じたまでは良かったが、舞い降りた場所は運悪く城壁のすぐそばだったのだ。旋回しようとしたその眼前は、ガイアスタワーを取り巻く強固な壁。接触して一度跳ね上がった機体は、もう一度城壁に叩き付けられると大爆発を起こして炎の塊と化し、無残な姿を晒して横たわった。これで2機。
「ナイスキル、ジャスティン」
「出来ればあっちの方を先に仕留めたかったんですけどね」
「贅沢は言えない……か」
ミサイル警告音。僕らの真正面、同高度からヘッドオンで突進してくるルシエンテス機からミサイルが放たれたのだ。ゆっくり話をしている暇も無いか。フットペダルを蹴飛ばしつつ機体をロールさせ、ミサイルの予想通過位置から逃れる。針路を修正して曲がってくるミサイルを振り切り、その排気煙を吹き飛ばして前進。ヘッドトゥヘッドでガンアタックを仕掛ける。敵からも反撃。互いの射線が交錯し、鈍い振動が愛機を揺さぶった。喰らった!互いの機体を振動で激しく揺さぶりながら敵とすれ違う。仕切り直すべくループ上昇する間に損害状況を素早くチェック。胴体、主翼に損害なし。命中箇所はウェポンユニット部。パルス・レーザーのジェネレーター部が破壊され、使用不能となっていた。幸いにして通常装備部分に損傷なし。カーソルを操作してウェポンユニット部を引き込んで高機動高速巡航モードへ移行。安定性が損なわれるが、S-32を相手にするならその分機動性を確保した方が得。僕の後方に抜けた後、グリフィス2に追撃されて回避機動を取る敵の位置を確認して急旋回。大きく回りこんで敵の旋回通過予想位置の反対側へとポジションを取るべく機体を操る。敵S-32、後方のF-35Bの機動を振り切るべく、何度目かの旋回から高Gをかけて急旋回。一瞬停止したような角度の急旋回に付いていけず、F-35B、オーバーシュート、反転したS-32の後ろ方向へと押し出される。だけど、高G機動時には必ず速度が犠牲になる。急旋回で追撃を振り切った先は、僕の射程圏内だった。照準レティクルを睨み付けてトリガーを引く。機関砲弾の光が敵機に吸い込まれるように伸びていくが、それでもなおすんなりとはいかせてもらえない。くるり、と機体をローリングさせたルシエンテス機は、超低空へとそのまま降下して水平に戻し、僕らの後方へと脱したのである。きっと僕のことを相手もそう罵っているに違いないが、「すばしこいやつめ」と心の中で呟く。だが、敵も無傷ではなかったらしい。モニターに拡大表示されるS-32の胴体部には数箇所命中痕が穿たれ、薄く煙を引いているのが確認できた。損傷の程度までは分からないが、奴とて不死身ではないと分かると、冷静さが次第に戻ってくる。考えろ――!XRX-45の残弾は少なくなってきている。無限に奴と渡り合っている余裕は無い。
「どうだ、ルシエンテス。うちの若いエースの腕前は?」
「マクレーンか。――悪くない。いや、今からでも遅くは無い。ここで落として、我々の元へと連れ帰らせてもらう」
「どこまでも頑固なやつめ。だが、番いのグリフィスに追いまくられてそんな余裕があるようには思えないけれどもな」
「――確かにその通りだ。だが、最後に笑うのはこの俺だ!!」
低空からスナップアップ、無謀とも言える急反転から上昇に転じたルシエンテス機、僕に先行して追撃していたグリフィス2に襲い掛かる。放たれたミサイルを巧みに回避したF-35Bだったが、奴の攻撃はそれで終わりではなかった。いや、むしろ回避コースを見切って第二撃こそ本命と考えていたのか。機関砲弾の射線上に、フィーナさんは誘い込まれてしまっていた。まずい!!
「フィーナさん、駄目だ、避けて!!」
「残念だな南十字星、ウイングマンを守れないお前の腕の無さをたっぷりと後悔するがいい!!」
間に合うはずも無かったが、アフターバーナーを焚いて僕は突進していた。まるでスローモーションのようにS-32がF-35Bに襲い掛かる光景が見える。全身の血が凍り付く。だが――F-35Bを掠めるようにして、S-32は上昇した。機関砲弾が発射された様子もない。その証拠に、全く無傷のF-35Bは、その隙に距離を稼いで離脱に成功していたのだから。フェイク?いや、以前執拗に僕を追い回した時と状況は全く異なる。奴は本気でグリフィス2――フィーナさんを落としにいったはずだ。事実、絶好の攻撃のチャンスだった。それを逃したのは、「物理的に」攻撃が出来なかったからだ。奴は機関砲が使えなくなっているに違いない。さっき、僕と真正面から撃ち合った時に、僕の攻撃がダメージを与えていたのだ。獲物を逃した敵機、ミサイル攻撃に切り替えるためだろうか、僕らから距離を稼ごうと加速を開始。その後方に喰らい付いていく。独特の形状のノズルからアフターバーナーの炎が吹き出している。その灯りを睨み付け、振り切らんとして巧みに旋回を繰り返す敵機に追いすがる。大丈夫、僕はついていける。確かにあの機体――S-32の機動性はずば抜けて高い。だけど、あの機体は、XRX-45ほどにスピードが出ない。純粋な格闘戦に特化したためか、或いはあのノズル形状の問題なのかは分からない。だが喰らいついた僕を振り切ろうとして加速しているルシエンテス機が、僕を振り切れないのがその証拠だ。今度こそ逃がすものか。こちらの射線から巧みに逃げようとする敵機に対し、ほんの数瞬トリガーを引いて機関砲弾を浴びせる。右から左へ、まるで跳ねるようにかわしてみせる敵機の機動に合わせて、こちらも旋回を繰り返す。
「……そうさ、僕は結局お前の言うとおりまだまだ未熟者さ。守りたい人たちを守りきることも出来ない。けれども、僕らはここまで戻ってきた。それが何故だか分かるか、ルシエンテス?」
「小僧の戯言に付き合う気など毛頭無い。弱いもの同士仲良くくっついたところで、何が出来る?」
「僕がここまで戻ってこられたのは、今日まで生き残ってきたのは、共に戦う仲間たちがいてくれたからだ。色々あったけれども、マクレーン隊長が僕らを鍛え抜いてくれたからだ。サバティーニ班長やフォルドさん、整備班の皆が、僕らの愛機を最高の状態にいつもしていてくれたからだ。それだけじゃない。不正規軍に集まった皆が、力を合わせてきたからだ。僕は負けるわけにはいかないんだ。戦争を食い物にして、人の不幸を笑うようなお前にだけは、絶対に――!!」
アトモスリングが眼前に迫る。またも奴はガイアスタワーを人質に取るつもりらしい。ならば、こっちにはこっちのやり方がある。
「その戦争を食い物にしているのがレサスや我々だけだと思うのなら大間違いだ。南十字星。ずっと昔から、人間は……いや、政治という奴はそれを繰り返してきたんだ。新世紀になってからもずっとな。政治が何をしてくれる?無駄な国境を引き、国民に戦争と苦しみを与えるだけか?オーレリアという国を生き残らせることが、本当に世界のためになるとお前は信じられるのか?」
「難しい政治の話なんか、僕に分かるわけが無い。だけど!お前を放っておくことが世界のためになるなんて、僕には信じられないんだよ!!」
レーダーロック。完全に捕捉した敵機の姿を睨み付ける。だがその向こうにはガイアスタワー。今はまだ仕掛けられない。僕は一呼吸置いて、Gリミッタを解除した。
「そこで撃てない限り、この俺を仕留めることは出来ないぞ、小僧!」
どうやらルシエンテスはガイアスタワーの中央部の狭間を通過するつもりらしい。それならそれで好都合。後は僕の体がもつかどうかだ。皆がこの街を守るために奮戦しているんだ。ここが僕の踏ん張りどころ。空を貫く尖塔が目前に迫る。タイミングを図って操縦桿を思い切り引き寄せる。リミッタを解除された愛機は猛烈なGを僕の身体に押し付けて跳ね上がった。あまりの機動に意識が飛びそうになる。一瞬聞こえた悲鳴は誰のものだったろう?半ばここだろう、という勘を頼りにして機体をローリングさせる。裏返った状態でガイアスタワーを飛び越えた僕とXRX-45。まだ視界にグレーの靄がかかっている。心臓の鼓動も、猛烈なGに翻弄された僕の身体と胃袋も悲鳴を挙げている。奥歯を食いしばり無理矢理意識を集中させる。ほんの一瞬の時間が、永劫続くように感じられる。
妄執の終わり 回復し始めた視界に、粉々になって砕け散る白い雪のようなものが飛び込んでくる。砕け舞い散るガラスの煙の中からあの特徴あるフォルムが姿を現した瞬間こそ、僕が狙っていた好機。すかさずレーダーロック。ほどなく心地良い電子音が敵を捕捉した事を告げる。ルシエンテス機、大Gをかけてスナップアップ。もともと僕をやり過ごしてしとめるつもりだったのか、それともこちらの位置に慌てて反応したのかまでは分からない。ただ間違いなく言えることは、その機動が僕にとって絶好のチャンスになったということだった。姿勢を維持したまま突入。敵機の翼から炎が煌き、ミサイルが放たれる。その瞬間、ルシエンテス機、機銃の射程圏内へ。機体をローリングさせながら照準レティクルのど真ん中に捉えた敵機目掛けて、僕はトリガーを引いた。これで全弾撃ち尽くすつもりで。それはほんの一瞬の出来事だったと思うけれども、その僅かな時間がスローモーションのように過ぎる。ルシエンテスよりも先に放ったこちらのミサイルは近接信管を作動させて炸裂。続けてルシエンテスの放ったミサイルが僕の機体を掠めるような距離で後方へと飛び去っていく。トリガーを引き絞る指をそのままに、爆炎を切り裂いて上昇してくるS-32の姿を睨み付ける。降り注ぐ機関砲弾の雨が、敵の胴体に無数の火花を散らせ、激しく揺さぶっていた。轟音と衝撃とが機体を揺さぶった次の瞬間、僕の背中越しに一際大きな火の玉が膨れ上がった。コクピットに警報。一気に地上へと突き刺さろうとしていた機体を慌てて水平に戻し、ガイアスタワーから離れる。
「南十字星のバカヤロー!!俺たちまで一緒に火葬する気かぁぁぁっ!!」
「おいおい、無事なんだからいいだろうが。さっきまで俺の屍を踏み越えていけって言ってたの、お前だろうが」
ルシエンテスは!?首をめぐらせて周囲を伺うと、夜空に赤い炎を引きながら高度を下げていく敵の姿があった。
「くく……ククククク……まさか、これほどとは、な。ますます欲しくなったぞ、南十字星……!」
「もう、こんな殺し合いはごめんだ。ここでお前の野望は終わるんだ、ルシエンテス」
「……本当に終わると思うか?めでたい小僧だ……ククククク……」
もはや姿勢を制御することもままならないのだろう。炎をまとった敵機の姿が、市街地から外れた河川敷沿いにどんどん高度を下げていく。そして、敵の交信が途絶えると共に、地上に火の玉が膨れ上がった。
「……妄執じゃ結局何も変わらないんだぜ、ルシエンテス。この勝負、何をとってもジャスティンの勝ちさ。あの世でリンにたっぷりと説教してもらうんだな……」
「マクレーン隊長……」
サンサルバドル隊のS-32は、最早この空に一機もいなかった。レーダー上に映る敵の姿は一つも無い。……そうだ、ミサイルは!?この街に襲い掛かってきた巡航ミサイルはどうなったんだ!?
「あーあー、こちらは義勇兵団"オストラアスール"隊。最後まで残っていたミサイル部隊の制圧を完了!空の勇士たちとその他大勢の奮闘に感謝するぜ!!」
「……あの野郎、俺たちの活躍の場を奪いやがったな。おい、何が義勇兵団だ、フェラーリン!!」
「その声はひょっとしたバグナード・デイビスか?まあそう言うなよ、ちゃんと"証人たち"は残してあるからよ。風邪引かないうちに回収してやってくれよ」
グリスウォールの街は、健在だった。最初の命中弾による火災はおさまっていなかったけれど、連続で撃ち放たれていた巡航ミサイルの姿はもうどこにもなく、レーダー上も確認できるのは仲間たちの機影のみとなっていた。勝ったんだ……あのエース相手に。そして僕たちは、どうやらこの街を守り切ることにも成功したらしい。激しい戦闘機動を繰り返した身体に、どっと疲労が圧し掛かってくる。出来るものなら、もうこんな緊張は二度と味わいたくない。既に戦闘を終えて集結しつつあるマクレーン隊長たちの位置を確認する。その中にF-35Bの姿を見出して、マスクの下で僕は笑みを浮かべた。今一番、生き残ったことを報告したい人が、そこにいるから。ゆっくりと上昇していく愛機のコクピットの中に、オープン回線で味方の声が飛び込んでくる。
「こちら突入班。ガイアスタワー最上部に到達!熾烈な銃撃戦でかなりの仲間たちがやられてしまった!!」
「こちらクラックス。突入班、今から増援を送ります。何とか踏ん張ってください!!」
「敵の勢力は強大、こちらの兵力じゃ耐えられん……と言いたいところだがなぁ……」
一瞬ヒヤリとしたものが背中を流れ落ちていったが、どうやらオチは違うらしい。全く、どうして不正規軍にはこういう素直じゃない人たちが集まるんだろう?続けて聞こえてきた声は、歓喜の爆発とでも呼べばいいものだった。
「ガイアスタワーはもぬけの殻だ、畜生め!!ガイアスタワー主要部は全て制圧した!!繰り返す、ガイアスタワーの制圧は完了した!!俺たちの「平和の象徴」を取り戻したぞ!!」
グリスウォールの街に集った兵士たちと、そしてこの街の市民たちが一斉に歓声を挙げた瞬間だった。無線から聞こえてくるのも、音響が外れたような歓声ばかりだ。涙交じりの声で絶叫する者。「やった、やった」と連呼するもの。家族の名前を呼ぶ者。恋人の名前を叫んでいる者。音階のずれた国歌を歌いだす者。もう滅茶苦茶だ。スコットにいたっては大声で泣き出して、ミッドガルツ少尉に宥められ、グランディス隊長に茶化されている。でもその気分は僕にも分かる。この街に戻ってくるまでに経験してきた無数の苦しい戦い。僕らはそれを潜り抜けて、とうとう、この街を取り戻したんだ……。
「グリフィス2より、グリフィス・リーダー。大丈夫?怪我とかしてない……よね?」
仲間たちと合流した僕の左横に、フィーナさんのF-35Bが並ぶ。コクピットの中の表情までは見えないけれど、きっと心配そうな顔をしているに違いない。ちゃんと応えなきゃ。僕が見たいのは、あの素敵な笑顔なんだから。
「大丈夫……攻撃は喰らいましたけど、損害は軽微です。飛行に支障はありませんが、もう弾丸の残りがありません」
「良かった……もう、無茶しすぎだよ、ジャスティン」
応えるフィーナさんの声は、何だか泣き笑いのような感じだった。基地に戻って何とか機会を見つけて、ちゃんと伝えたい言葉を心の中に刻む。今そんなことを口にしたら、たちまちマクレーン隊長やグランディス隊長たちの格好の冷やかしになってしまうから。改めてグリフィス2の姿を確認し、そして仲間たちが健在であることを確かめてから、僕は視線を正面へと戻した。もうこの街に、敵はいない。いや、この国に降りかかった脅威は、今ここに終わろうとしている。僕らに出来ることは、僕らの帰りを待つ仲間たちのもとへ、無事に戻ることだ。サチャナまで戻る燃料は無いが、幸い陸軍部隊がグリスウォール国際空港を奪還してくれている。滑走路の明かりは、肉眼でもはっきりと捉えられる程度の距離だ。
「さあ、俺たちの故郷にお帰りやで、ジャス」
「ああ、戦争もこれで終わりだね。……行こう、皆が待っている」
ゆっくりと旋回しながら、ランウェイへと続くアプローチコースへと針路を取る。身体は疲れ切っているけれど、戻ったら休む暇なんか無いに違いない。解放成った街の上空を、僕らはゆっくりと高度を下げながら駆ける。近付いてくる滑走路灯が、何だかとても綺麗に見える。敵のいなくなった空を見上げた時、僕はようやく実感した。僕らの戦争が、今終わったのだ、と……。
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