いざ、アーケロン要塞へ
航空母艦シルメリィの格納庫内では、休憩時間を返上した整備兵たちの奮闘が繰り広げられている。カスティーリャ基地からの応援組も加わった艦内では、とうとう部屋が足らずに格納庫の端や会議室で寝る羽目になる者たちまで出ているのであった。だが、ダナーン海峡での戦いの損害は決して少なくは無かった。後方の安全地帯で待機していた補給艦から戦闘機の予備部品が大量に運び込まれたと思ったら、あっという間に在庫が尽きてしまったのである。帰還した機体の総チェックを進めていく中で、次の出撃には参加出来ない機はさらに増加し、シルメリィとアレクサンデル所属の戦闘機のうち、実に半分が出撃不能という状態に陥っていたのだ。損害は戦闘機だけではない。艦隊を構成する艦艇のうち、2隻が沈没、4隻は修理が終わらないと航行不能、残りの艦艇も満身創痍、無傷なのは後方で待機していた航空母艦とその護衛艦のみ、という状況であった。これで敵の最終要塞に挑もうというのだから、端から見たら無謀な挑戦と誹られても仕方ないのだけれども、当事者たる僕らは大真面目だった。損害が皆無ではないとはいえ、鹵獲した敵旗艦の艦砲射撃は要塞攻略において大きなアドバンテージを得たということが出来るだろうし、倍以上の戦力相手に航空戦力を半分維持することが出来たと言っても良い。何より、「無敵艦隊」を栄光の座から引きずり下ろしたという事実は、兵士たちの士気をこれまでにないくらい高めていた。この好機を司令部も逃す手は無いと判断したに違いない。航行可能な艦については応急措置を継続しながら、オーレリア解放軍艦隊は進撃を再開したのである。
「こりゃジャス、いい加減切り上げんかい!」
サバティーニ班長の怒声が頭の上から降ってくる。僕の機体の横に並ぶXFA-24Sのチェック中の班長は、梯子に掴まりつつ腰に付けたポーチから工具を取り出しているところだった。やっぱり、班長がいるのといないのとでは雰囲気が随分と変わる。シルメリィの整備班を預かるホーランド班長がいる以上、整備兵たちも気を抜いているわけではないのだが、やはり鬼班長に蹴飛ばされている方が気が引き締まるというものらしい。ま、僕らとて鬼教官に鬼隊長に蹴飛ばされている身だから人の事は言えないのだけど。その班長は梯子を軽やかに駆け下りると、僕の愛機XRX-45Sの側へとやって来た。
「お前さんは決戦の切り札なんじゃぞ。簡単な整備なぞフォルドとフレデリカ嬢ちゃんに任せて寝た寝た。明日になって夜中まで機体整備でこき使ってましたなどと、国で朗報を待っているガウディ議長に報告しようもんなら大目玉じゃしのぉ」
「そうよジャスティン。この子のことは私たちに任せて、早く上がりなさいな」
愛機のコクピットから、今日の戦闘データ解析中のデル・モナコ女史が顔を出す。もっとも、僕にしてみればマッド・エンジニア二人組に任せることの方が恐ろしいのだけれども……ただ、二人の言うことも至極当然なのだ。言う通りにしよう、と決めて、僕はツールボックスの蓋を閉めた。そんな僕の姿を見て、サバティーニ班長がにんまりと笑顔を浮かべる。
「しかし分からないもんじゃの。オーブリーが襲撃されるまでヒヨッコだったはずのジャス坊にスコットが、今じゃオーレリアを代表するエースパイロット。それも、二人とも極め付けの一端のな」
「勘弁してくださいよ。今日だってグランディス隊長とファレーエフ中尉に散々追いかけ回されてきたばかりなんですから」
「じゃが、撃墜もされなかったんじゃろ?レイヴンでも知られた二人に追われていたにもかかわらず、じゃ。しかも訓練で使用しているのはXRX-45じゃない。それでも、お前さんはまんまと二人の追撃から逃れているんじゃよ。そいつは紛れも無い、お前さんの実力という奴じゃ」
「そうね。XRX-45のデータを見ていると、改めて驚かされるわ。全く無意識なんでしょうけど、まるで初めから飛び方も扱い方も分かっているかのように飛ばしているのよね……。一種の才能というには、正直突出していると思うほどよ」
班長の言う通り、グランディス隊長による「かわいがり」訓練でも何とか追撃を振り切り、反撃の機会を伺うことは出来ていた。それでも、反省点は山ほどあるし、こうすれば良かったのに、という後悔が次から次へと出て来るのだ。喜ぶような気分には、到底なれない。
「なあジャス、お前、この機体の操縦桿を握ったこと、後悔しとらんか?」
「え……?」
「ワシはなぁ、正直なところお前さんを乗せてしまったことにずーっと悩んできたのじゃ。オーレリアの南十字星なんて異名を付けられて、結局は戦争という殺人行為に若者を送り出してしまったことが、本当に良かったのか……とな」
「でも、あの時飛ばなかったら、僕も班長も……多くの仲間たちもここにはいませんよ。運良く助かったとしても、今頃レサスの収容所、ってところじゃないですか?」
班長の言葉通り、愛機の操縦桿を握ったことを後悔したことは山ほどある。悩んだ時間も結構あるだろう。でも、そんな時間があったからこそ、今の僕がある。あの時、XR-45Sに乗り込んだのは多分に衝動的な行動の結果でしかないのだけれども、結果として多くの仲間を救うことが出来た。戦闘機パイロットとして苦しい戦いを強いられては来たけれども、得難い仲間を、そして守りたい人を得たのも事実だ。何が正しいかなんて分からないけど、飛び続けてきたことは決して間違いじゃない。
「フィルギアUと一緒にやって来れたから、今の僕があるんですよ、きっと。僕に出来ることが飛び続けることなのだとしたら、僕は僕に出来る限りのことをしたい。また、こんな戦いをオーレリアとレサスが繰り返さないように、きっちりと片をつけたいんです。ディエゴ・ギャスパー・ナバロに対しても。今度こそ、彼の野望に終止符を打たなきゃ」
まじまじと僕を見ていたサバティーニ班長が、また嬉しそうに笑みを浮かべる。オイルが染み込んだ手が、僕の右肩を何度か叩く。
「……やれやれ、やはり老兵は去るのみ、という奴じゃのぅ。若者は自らの道を切り開いて進んでいく。お前さんは、もう紛れも無き一端のエースパイロットじゃ。傭兵の荒くれ者どもが、素直に言うことを聞くのが何となく分かるわい。ホーランド班長も面白いこと言っておったぞ。伝説の「円卓の鬼神」に出会ったような気分だ……じゃとの」
「勘弁して下さい、って。それに、「円卓の鬼神」だったら僕じゃなくてフィーナさんの方がよっぽとらしいじゃないですか」
「フフフ。"グリフィス2"になってから、際立って飛び方が鋭くなった、とグランディス隊長が言っていたわよ。それこそ、円卓の鬼神の娘に相応しいくらいに……ね。どこかの誰かさんのためってことでしょ?」
もう返す言葉も無く、僕は赤面して下を向いてしまった。ずっとそうしているわけにもいかないので、頬を掻きながら愛機へと視線を向ける。明日の出撃に備えて最終チェック中のXRX-45の純白の姿は、格納庫の中でもかなり目立つ。その尾翼に描かれた、気安い笑いを浮かべるグリフィスと南十字星もだけれども。長く苦しい戦いを生き延びてこられたのも、こいつがいたからだ。皆から扱い辛いと呼ばれてきたじゃじゃ馬がこんなにしっくりと来るなんて、乗り始めた頃は思いもしなかったけれど。明日、戦争が終わる。でも、その後も、出来るものならこいつに乗り続けたいと今は思う。いつの日か、こいつが飛ぶことが出来なくなるその日が来るまで。メンテナンスのため、戦術レーザー砲が剥き出しになった姿は戦闘機というよりもSF映画に出てきそうなガンシップに似ている。
「時にジャスティン、そう大がかりなことは出来ないけれど、マイナー改修くらいなら朝までに出来るわよ。注文があったら、聞いておきたいんだけど」
デル・モナコ女史の目が眼鏡の奥で光ったように感じた。注文か――明日の決戦は、敵最終要塞の攻略が目的になることは言うまでもないが、実際の制圧作戦の主役は陸軍と海兵隊の猛者たちを集めた上陸・制圧部隊と、その支援に当たる艦隊戦力となる。僕ら航空戦力の役目は、敵要塞防衛に就く敵戦闘機部隊の排除。その中でも、僕らは得体の知れない正体不明の敵新型戦闘機と直接渡り合うことになるのは明らかだ。いざというときの攻撃兵器としては、戦術レーザーがあるから火力は充分間に合う。基本は空対空戦闘主体として……。色々考えた挙句、多分一番デル・モナコ女史やサバティーニ班長が喜びそうなプランに決めた。
「データが無いので実際のところは分かりませんけれど……恐らくある程度リミッターをかけているエンジン出力をバランスが崩れない範囲で限界まで上げて下さい。それから、スコットのXFA-24Sにも積んでいるガンポッド。近接格闘戦時のアイテムがパルス・レーザーと予備用の機関砲だけではちょっと心もとないので、何とか使えるようにしてもらえると助かります。後はいつも通りでお願いします」
「お安い御用よ……と言いたいところだけれど、相当ジャスティンの負担は増えるわよ。今だってギリギリのライン上。一つ操作を間違えれば――」
「お二人を信じてますよ。オーレリア解放軍のマッド・エンジニアのトップ2に一任します」
「生意気な口をきいてくれるワイ。分かったよ、ジャス坊の注文通りに仕上げといてやる。その代わり、後で泣いてもワシゃしらんからな。……さ、ここからはワシらの時間じゃよ。明日だって朝寝が出来るほど余裕があるわけじゃない。さっさと用事片して寝ちまいな。フォルドぉぉぉぉ!!」
「何ですか、班長!?」
「ガンポッドのセッティングやるぞ!部品と配線持って来い!」
「マジですかぁぁ!?火器管制のセッティングどうするんですかぁっ!!」
「そりゃフレデリカ嬢ちゃんの仕事じゃ。何より、ジャスティンのリクエストじゃ。つべこべ言わんと、しっかりと仕上げるゾイ!!」
俄かに騒がしくなり始めた愛機の周り。班長の言うとおり、ここからはメカニックたちの戦場の時間になる。僕らを送り出すために、限られた時間の中で出来る限りのことをしてくれようとしている人たちに、後は任せよう。既にこちらの姿は眼中なし、といった様子のサバティーニ班長たちに敬礼を施した僕は、ツールボックスを手に格納庫を後にした。途中、すれ違う整備兵たちの「任せとけよ」という言葉にその都度喜びながら。
僕らのような若造が本来使うのではないだろうけれども、航空部隊の士官対応ということで、僕とスコットには個室が割り当てられていた。同じ航空部隊でも何人かで雑魚寝状態のユジーンとは大違いで、この点だけは彼に確実に恨まれているだろうと思う。その部屋へと戻る道すがら、既に照明が落とされて薄暗くなったレストコーナーで僕は足を止めた。ポケットの中に放り込んでいる硬貨を取り出して投入口に入れようとして……窓辺にカップを置いたまま何事かを考え込んでいるマクレーン隊長の姿に僕はようやく気がついたのだった。
「……何してるんですか、隊長?」
「お、ジャスティンか。まだ起きてたのか?」
「これから寝るところですよ。……って隊長、まさか飲んでたんじゃないでしょうね?」
「おいおい、ヴァネッサみたいなことを言ってくれるもんだな、お前も」
そう言って、マクレーン隊長はコップの隣に置いていた空のペットボトルを放った。空いている左手でそれを受け止めて見てみると、驚いたことに「ウーロンティ」のラベルだった。オーブリー時代、夜の食堂といったらウィスキーかブランデーを窓辺に置いて酔っ払っている昼行灯の姿か、ファクト少尉に猛烈に怒鳴り散らされて頭を抱える情けない姿かのどちらかだった。どうやら、マクレーン隊長は名実共に「バトルアクス」として復活したらしい。……色々あったけれど。
「おごってやる。ミルク入りのコーヒーか?」
「せめてコーラくらいにして下さいよ」
「注文の多いやつめ」
販売機からコーラと自分用のコーヒーを取り出したマクレーン隊長は、無言で缶を窓辺に置いた。どうやら、少し付き合えということらしい。
「……分からないもんだよなぁ。あのまま何事も無く毎日が過ぎていたら、俺は相変わらずの役立たず教官、ジャス坊はようやく転換訓練入りたて、ということだったのに、今じゃ二人揃って最前線、それも最新鋭の戦闘機乗りと来たもんだ。おまけに万年中尉が大尉に昇格しちまった」
「それを言ったら僕だってそうじゃないですか。どこの世界に「未正規兵」を少尉に据える軍隊があるんです?」
「残念だがな、お前さんとスコット、中尉への昇進が内定しているようだぞ。ガタガタのオーレリア空軍再興要員として、当分こき使われるというわけだ。俺も退役するつもりだったんだがなぁ、後任が見つかるまでは当面ダメだとさ。楽していたかったんだがなぁ」
「中尉……って、冗談ですよね?」
「残念ながら、大マジだ。まあガウディ議長としても反攻のきっかけとなった若き英雄を政治的に利用しない手は無い、というわけだ。フィーナ嬢も可哀相に。任務完了で帰還する頃には、自分の彼氏に求婚ラッシュ、なんてことになるかもしれんぞ」
スコットなら大喜びするかもしれないけれど、正直話も交わしたことの無い女性陣に取り囲まれるのは逆に恐い。それに、一種のブームみたいなものだろうし、「救国の英雄」イメージだけが独り歩きしていて、実際の自分を見てくれる女性がどれくらいいるだろう?それにスコットよろしくフワフワと浮気なんかしてしまったら、きっとフィーナさんを悲しませることになる。そんなのはまっぴらご免だ。なので、ささやかな切り返しを隊長に向けることにする。
「隊長こそ、復活の「バトルアクス」としてモテモテかもしれませんよ」
「俺は充分間に合っているんでな。何しろ化けて出られると困るし、今更ヴァネッサを苦しませるようなことはしたくない」
「ファクト少尉、退院までまだかかるんですか?」
「うんにゃ、まぁ、ちょっと検査に時間がかかってるらしい。何しろあの戦闘時にかなり無理させちまったからな。本人は大丈夫と言ってるものの、実際にはダメージも少なくないらしくてな」
なるほど、と納得しつつも、うまく誤魔化されたような気がする。ま、いいか。実際ファクト少尉の怪我は決して軽いものではなかった。この際、じっくりと翼を休めて、また戻ってきて欲しいものだと思う。マクレーン隊長は、窓の外に広がる夜の海へと視線を移しながら、コーヒーをすすった。
「……そうだ。ジャスティンよ、ルシエンテスに引導を渡してくれたことに、礼を言って無かったよな?ありがとうよ。今頃、リンの奴にコテンパンに言い負かされて、少しはましな頭に戻っているんじゃないかと思うんだがな。……奴は奴なりの信念で今日まで戦ってきていた。かつての戦友として、それが分からないでもないし、事実俺は奴の誘いに乗ろうとしていた。でもなぁ、力で全てを押さえつけるなんて思想は、大昔のベルカ公国と何も変わらんし、全てを解決する手段にもならないはずなんだよな。それが分からないような男ではなかったはずなんだけどな……」
ペドロ・ゲラ・ルシエンテス――僕の前に幾度も立ちはだかったレサス空軍のエースパイロット。否、恐らくはレサスという組織を越えた黒幕とも関係深かったであろう男。僕が勝利を得たのは、ほんの紙一重、幸運の女神が気まぐれを起こしただけのことじゃないかと思う。けれど、奴は本当に死んだんだろうか?今頃になって、そんな疑問が鎌首をもたげてくる。操縦不能になって落ちて行く機体の中にあって、ルシエンテスは平然と笑っていた。もともと豪胆な人間なのだとしても、あの落ち着きようは今となっては明らかに異常だ。事実、ルシエンテス自身が言っていたじゃないか。"本当に終わると思うか?めでたい小僧だ……"と。ぞくり、という悪寒が僕の背を撫でた。墜落したS-32自体は翌日発見されていたし、その報告書には僕も目を通している。血染めのコクピットを見る限りでは、搭乗者は相当の怪我を負っていることは間違いないはずだが、肝心の姿が無かった。もちろん、遺体も。その割に機体の損傷は少なく、検証用としてカスティーリャ航空基地のハンガーの一つに残骸は運び込まれていた――。
「隊長、まだ終わってないかもしれません」
「何だって?」
「僕たちの誰も、ルシエンテスの遺体を確認したわけじゃない。それに、今になって思えばやっぱりおかしいですよ。墜落したという割に、胴体部分はほとんど原型を留めていたじゃないですか」
「するってぇと、あの野郎、まんまと不時着してトンズラしてるってことか?……確かにな、もし奴に協力者でもいたとしたら、身動きが取れないルシエンテスでも何とでもなる、か。今頃どこかの病院で復讐の牙を磨いていやがるかもしれんな。あいつのことだ、またしぶとくお前さんを狙ってくるだろうな」
「何度誘われたって、絶対に従いませんよ」
「違う。屈辱を与えたお前を必ず殺しに来るってことさ」
マクレーン隊長の目が鋭いものに変わる。僕を、殺しに来る――戦場に身を投じて幾多の戦場を駆け抜けた身であっても、ぞっとする言葉だ。でも、何となく分かるような気もする。マクレーン隊長と共に飛んでいた頃とは、もう別の人間になってしまったに違いないレサスのエースは、自身の信念を貫き通そうとしていた。そこに立ちはだかったのが僕なのだとしたら、彼の性格なら必ず打ち倒しに来ることだろう。……勘弁して欲しいなぁ。だとしたら、僕がルシエンテスの野望の最大の障壁ってことじゃないか。裏を返せば、僕がオーレリアのパイロットとして飛び続ける限り、決着を付けないことには安心して飛んでいられない、ということにもなる。何しろ、前だってあれだけ色々と策略を張り巡らせた相手だ。……となると、僕の選択肢は一つしかない。もし、ルシエンテスが再び僕の前に現れた時は、今度こそ確実に相手を倒す。それはつまり、敵を確実に殺す、ということと同義となる。所詮は血塗られた道でしかないのか――何だかやり切れない気分だ。
「空の上のことは恨みっこなし……とはいかないんですよね、きっと」
「昔の奴ならともかく、今の奴じゃ全く期待出来ないな。ジャスは肝心なところで甘いからなぁ……その時が来たとしても、絶対にためらったりするんじゃねーぞ?」
「分かってますよ」
「いや、肝に銘じておくんだ。エゴイストと呼ばれようが、何と言われようが、自分が生き残るために最善を尽くす、とな。お前に何かあると、大勢の奴らが悲しむ。お前たちと一緒に戦争に巻き込まれ、ようやく空に上がり始めた同期連中たちもそうだし、解放軍の連中も。それに、お前さんの背中を守り通すと誓っている娘が確実に不幸になる。……ルシエンテスに遠慮は無用だ。今度こそ、引導を渡してやれ」
マクレーン隊長の拳が、僕の胸を軽く叩いた。
「――その代わり、邪魔が入らないように、他の奴は引き受けてやる」
「敵の新型に加えてサンサルバドルのトップエースですか?隊長に譲りたいところですよ」
「奴がそれで納得するならそれでいいが、多分俺などもう眼中にないだろうからな。……頼んだぜ。それともう一つ」
「はい?」
「死ぬなよ。必ず、生きて帰るんだ。お前の担当教官として仕上げの命令だ」
全く、この戦争が無かったらこうやってマクレーン隊長とじっくり言葉を交わすことすらなかったに違いない。でもやっぱり、隊長は僕らの名教官だったのだな、と僕は改めて実感する。
「隊長と違って先が長いですからね。絶対に戻ってきますよ」
「こいつ最後までぬけぬけと。話はそれだけだ、さっさと寝ちまえ!」
口から出てくる言葉はどうしても素直なものにはなれないが、僕らのことを気遣ってくれることが分からないほど、僕ももう子供じゃない。コーラを一息に空け、隊長に頭を下げた僕は今度こそ出撃までの短い時間休息を得るために、部屋へと続く廊下をゆっくりと歩き出す。心地良い眠りの誘いが、すぐそばにまでやってきていた。
再びレストコーナーに独り残されたマクレーンは、氷が解けて薄まってきたアイスコーヒーをすする。
「――いい子じゃない。何だかんだと言って、やっぱりブルースの一番弟子よね」
「……心臓に悪い奴だな。出てくるなら出てくるといったらどうだ?」
「そっちこそ、顔見られて嬉しいと言ったらどう?」
ぐっ、と詰まったマクレーンの姿を見て、リンは口元を覆いながらクスクスと笑う。全く、こいつにはかなわん、とマクレーンは頭を掻きながらそっぽを向く。
「大丈夫だよ、ジャスティンにはブルースの伝えたいこと、ちゃんと伝わってるよ。それに、もしルシエンテスが出てきても、彼ならきっと負けないと思うよ」
「妖精の予言はアテにならんのが相場だからなぁ。不安になってきたぞ」
「ううん、女の勘」
昔からそうしていたように、見えていないはずなのに見えているようにリンはマクレーンに視線を投げる。……そうだったな。リンは悪態を付いたとしても、嘘は言わない奴だった。
「じゃ、俺は奴の手下どもをまとめて叩き潰してやるかな。ルシエンテスへの、せめてもの手向けだ」
「良し!それでこそ、バトルアクスだ!」
「お前が言うな、お前が!」
へへへ、と笑いながら、リンの姿は淡い光に包まれて、そして消えていった。残されたマクレーンは、そばの椅子を引き寄せ、腰を下ろした。……やれやれ、化けて出られるどころか、また心配かけちまうとはな……苦笑しながら、マクレーンはアイスコーヒーを飲み干した。冷たい苦味が、今は心地良い。イキが良かった頃の自分を取り戻してくれた連中への借りが、まだ残っている。さあて、まとめて精算してやれるかな?自分の果たすべき役割を見出した男に、もう迷いなど微塵も残っていなかった。
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