明日を我が手に
蒼空に翼端の刻む白い航跡がくっきりと浮き出す。後ろからは奴の放ったマイクロミサイルの群れ。前方には、僕の攻撃を物理的に遮断してみせる難敵。八方塞、絶体絶命、四面楚歌。それでも、僕は正気で勝ちを掴むつもりでいる。こちらの挑発に、奴はどうやら乗ってくれそうだった。僕との前の交戦で重傷を負って改造を受けた影響なのか、それとも自らの信念を狂信的と呼ぶべきほどにまで信じようとしているのかは分からない。だが、冷静さを欠いていることだけは事実だ。そこに付け込む以外に、僕が勝機を見出す隙はない。
「望み通り、跡形もなくなるまで吹き飛ばしてやる!」
旋回状態からこちらに真正面を向けたロットバルトの胴体部から新たな炎が吹き上がる。そして、機首付近から青いパルス・レーザーの光がシャワーのように襲い掛かってきた。だけど、あまり射線上から逃れるわけにもいかない。右方向に素早くローリングして一旦は射線から外れるが、すぐさま敵は機首を微妙に振ってきた。連続した衝撃が機体と僕の身体を鈍く揺さぶる。機首下のウェポン・ユニット部が最も被弾を被り、穴だらけになっている。さらにモニター部の一部がさらに削り取られ、視界範囲がさらに狭くなる。これも計算済み。エンジンがやられることも覚悟したけれど、悪運はまだ利いているらしく、無傷。でも胴体部には新たな命中痕が穿たれている。反対方向に機体をロールさせつつ、バレルロールへと切り込む。ここまで食らうのは初めてだったけれど、エンジンも機体も、勿論僕も死んではいない。ロットバルトから上下に発射された新たなマイクロミサイルの群れがこちらに鎌首をもたげ、加速を開始。母機を追い抜いて収束してくる。前方、後方から合計数十発のミサイルの群れ。操縦桿の武装選択スイッチに指を乗せ、兵装切替。だいぶグレーアウトしてきたモニターに戦術レーザー用のスコープが出現する。その照準内にロットバルトとミサイル群が収まっている事を確認。左手はスロットルを押し込んだまま。右手をコンソール脇に付けられている赤いスイッチの上へと伸ばす。「CAUTION」と札の付けられた2つのスイッチを、カット。再び敵からパルス・レーザーの雨が降る。ウェポン・ユニット部のカナードが吹き飛び、続けて穴だらけになったユニット自体がへし折れ、千切れ飛ぶ。コクピット周りにも数発命中したようで、体の側で鈍い衝撃が聞こえてくる。揺さぶられる度にハーネスが思い切り食い込み、激痛が走る。右肩の方はどうやら傷が開いたみたい。でも構っていられるものか。
「こちらに突っ込むつもりか?いいぞ、バリアで頭から粉々に粉砕してやるぞ」
「まだまだぁぁっ!!」
距離良し、照準良し!姿勢としては背面状態だったが、今度こそロットバルトの姿を確実に捕捉することに成功する。
「いっけぇぇぇぇぇぇっ!!」
ゴン、という音と共にコクピット下に格納されていた戦術レーザーの砲門が姿を現す。既に十分に充填され、さらにリミッターをカットされたエネルギーの奔流が、トリガーを引くと同時に赤い閃光と化して姿を現した。
「何だと!?」
「吹き飛べ、クソ野郎ぉぉぉぉぉぉっ!!」
ロットバルトの前面に出現したバリアに激突したレーザーの塊が、激突面で激しいスパークを散らす。共に高エネルギー同士が高速で衝突したことによって、反発するエネルギーは暴風雨のように荒れ狂う。予想もしていなかったが、弾き返されたエネルギーの嵐が、突き進む僕の愛機にまで襲い掛かってきた。乱気流の中に入った時のように揺さ振られる愛機を落ち着かせるように、操縦桿とステップを操って押さえ込む。だが、振動はそれだけではなかった。通常の使用負荷を超えて放たれている戦術レーザーは、そのエネルギー源たるジェネレーターをも激しく振動させていたのだ。これまで聞いたことの無いような軋み音と振動が、XRX-45の腹の中からも聞こえてくる。多目的モニターにも正面モニターにも、ジェネレーターの異常加熱警報が表示されている。それなのに、ロットバルトのバリアはレーザーの光を弾き返すようにして突き進んでくる。くそ、これでも駄目だと本当に僕にはもう手が出ない。いや、まだ手はある。要は、あのバリアが耐え切れないような負荷を上乗せしてやればいいということだ。機体ごと突っ込むのは御免だけど、まだミサイルは残っている。ただし、バリア面に命中させる時には、こちらもその爆発点の至近距離まで進んでいることになる。損害を受けることは必至。運が悪ければ、ミサイルの弾体片に切り刻まれてこっちもオミソだ。そうこうしている間にも、奴は近づいてくる。クソッタレ、会心の微笑でも浮かべているんだろうか、奴は。エネルギーの向かい風を食らってスピードが落ち始めている。スロットルを押し込む腕が痺れ始めている。後ろからは、疲れの見えた獲物をほくそ笑みながら眺めているであろうミサイルの群れ。冷や汗が背中を濡らしていく。
「クックック……素晴らしいぞ、ロットバルトの性能は!さあ、どうする、南十字星!?」
「――人体改造までしちまうマゾ野郎には用はないんだがな。聞こえるか、南十字星?アレクトの兄貴から、お前に命の差し入れだ」
「メンドーサか?落ちたお前に今更何が出来る?」
「言っただろ、変態には用は無いってな。ほら、嬢ちゃん、出番だぜ」
嬢ちゃん?……まさか!?ドクン、という鼓動が、一際大きく僕の耳に聞こえてきた。
「ジャスティン、聞こえる?私は、見ているよ。君の翼を、君の戦いを。だからお願い……ジャスティンの無事を祈っている皆の下へ、ううん、格好良くなんか無くたっていい、生きて戻ってきて!ジャスティン!!」
冷えかけていたエンジンにケロシンが大量に流れ込んできたような気分だった。そうだ、僕は生きて戻ることを約束したんだ。誰よりも大切な人の下へ、必ず戻るんだ、と。こんなところで立ち止まるものか!ここを乗り越えて、僕は僕の未来を掴み取ってやる!レーザー照射を保ったまま、腹の下と翼に残っていた全てのミサイルを全弾ロックオン。安全距離を確保していないと警告が表示されるけれど、さらにレリーズを押し込んで強制発射強行。もう目前まで迫ってきた獲物めがけて、一斉に全ミサイルのエンジンに火が灯る。痺れている左腕に鞭打って、もう一度MAXへとスロットルを押し込む。アフターバーナーの炎を吹き出したXRX-45は、轟然と突進する。スパークの激しい閃光を真正面に捉えながら、尚も針路を変えずに突き進む。母機を追い抜いたミサイルが、ロットパルトの姿を確実に捉えて襲い掛かっていく。まだバリアの光は健在。その姿を視界に捉えた刹那、轟音と衝撃と閃光とが目の前で一斉に弾けた。ロットバルトからの攻撃を喰らったときとは比べ物にならないほど激しい衝撃。そして次の瞬間、視界が全てグレーアウト。おまけに衝撃で激しく揺さ振られ、肩は容赦なく締め付けられる。既に出血している右肩の傷を無遠慮に締め上げられ、痛みで気が遠くなる。カメラが全滅したコクピットの中は完全なる闇に閉ざされる。激しい警告音は、ジェネレーターが限界に達したことと強制的にエネルギーがカットされることを告げるものだった。まだまだ!素早く右手を伸ばし、並んだスイッチ群の中の1つを指先で弾いて、再び操縦桿に戻す。頭よりも身体が先に反応し、兵装選択をガンモードへ切替。ガシュン、という音と共に、真ん中から二つに避けたコフィン・キャノピーが頭上に打ち上げられ、空の光と蒼がコクピットの中を照らし出した。そして、目の前にロットバルト。
「馬鹿な!?バリアがかき消されただと!!」
「僕の進む道の邪魔をするなぁぁぁっ、ルシエンテス!!オーレリアの、世界の、そして皆の未来をお前らなんかの好きにさせるものかぁぁぁぁっ!!」
最後の一手、とも言うべきガンアタック。至近距離から放たれた機関砲弾のシャワーがロットバルトの鼻先へと殺到した。残弾カウンタなど見ている余裕は無い。最後の一発が無くなるまで、僕はトリガーを引き続ける。激突寸前でロットバルトがすれ違った。そして、後方に抜けたロットバルトの目前に、僕を追いかけてきたマイクロミサイルの群れ。
「ぬおおおおおおお!?」
僕の背後で再び連続した閃光が弾け、爆炎が膨れ上がった。その衝撃の余波を受けた途端、愛機はガクンとバランスを崩し、右方向へと倒れこんだ。振り返った僕の視界に飛び込んできたのは、ロットバルトの姿ではなく、満身創痍のXRX-45の姿だった。右エンジンが完全に破壊されたことに加え、前方カナードは既に無い。右垂直尾翼は被弾によって真ん中から先が無くなっていた。降下を始めた機体のいくままに任せつつ、スロットルを絞る。エンジン自体の熱だけでなく、戦術レーザーのジェネレーターが放つ熱も半端なもんじゃない。まだ高度は十分にある。焦るな、一方のエンジンはまだ生きている。愛機はまだ死んでいない。そのまま降下を続け、温度が下がるのを待つ。ウェポン・ユニット部を失ったことで剥き出しになった戦術レーザーの砲身が、風圧で次第に冷やされていく。高温加熱状態を脱し、速度が少し乗ったことを確認してゆっくりと引き起こし。何とか安定を取り戻し、ロットバルトの去った方向へと針路を取る。もっとも、とてもじゃないがこれ以上戦闘を継続できる状態ではなかったけれど。黒煙が残る空に、煙を何本も吹き出して漂流する敵の姿があった。消し飛んでくれていれば良かったものを、何てしぶとさだ。「フィルギアU」は飛んでいるだけ、という状態であってもう戦闘をこなせる状態ではない。だいいち、残っている機関砲弾がわずか一桁でどうやって戦えと?身体だって、そろそろ限界。無茶な機動と無茶な戦いで酷使された身体は体力を著しく消耗している。荒い呼吸がなかなか止まらないのがその証拠だ。だが、戦闘不能は僕だけの状態ではなかったらしい。ロットバルトはその無茶苦茶な機動性能を発揮することも無く、蒼空を漂流しているだけだった。
「くく……くくくくく。ロットパルトがよもやこんな形で撃ち破られるとは……な」
「投降しろ、ルシエンテス。レサスの手に勝利が戻ることは無い。敗北を認めろ。そして、知る限りのことを全て吐くんだ。――世界の進む方向を少し修正する為に」
「まだ終わってはいないぞ、マクレーン。ロットバルトの力を侮ってもらっては困る。俺はまだ負けてはいない。負けてはいないんだ!!」
ロットバルトが左旋回。あの呆れるような鋭さは失われていたが、まるでルシエンテスの執念が乗り移ったかのように、煙を吐き出しながらロットバルトの鼻先がこちらに向けられる。そこからまだ何か仕掛けるつもりだったのかもしれないが、次の瞬間、信じられないことが目の前で起こった。ロットバルトの右後背から旋回してきた例のミニ・ロットバルトが横合いから突っ込んでいったのだ。炎と黒煙が膨れ上がり、機体左後部をもぎ取られたロットバルトが弾き飛ばされてロールする。見れば、コントロール不能にでもなったのか、生き残っていた「脳だけ」戦闘機が母機たるロットバルトを目指して集まりつつあった。先ほどの一撃が致命傷となったのか、ロットバルトはゆっくりと回転しながら空から落ちていく。
「……ERROR?HOME?……まだまだ実用には耐えんということか、俺もどうやらここまでらしいな。――南十字星、良く覚えておくがいい。この戦いはお前の勝ちかもしれない。だが、世界は変わるべきなのだ。大義が敗北したわけじゃない。世界を変えるための革命は、ここから始まるのだ」
「それは違う。ここで終わるんだ。戦争が商品になるような革命も、政治も。ルシエンテス、あんたの敗北によって」
新たに2機がロットバルトに突き刺さる。主翼が粉々に砕け散り、胴体部に激突した1機は上下に母機を貫いたままの状態となる。ロットバルトとミニ・ロットバルトの双方から炎が噴き出す。
「――世界はそんなに甘くは無い。まあいい。お前が理想と現実の狭間で苦しみもがき、堕ちていく様を地獄の底から楽しませてもらうとするさ……ククククク、ハーッハッハッハッハ!!」
その哄笑は悪魔の笑い声にも通じるような寒気を感じるには十分なものであった。いつまでも続くようなその悪魔の声は、ロットバルトの中央から膨れ上がった炎によって中断を強いられる。次の瞬間、内側から真っ二つに引き裂かれるや否や巨大な炎の塊が出現した。バリアを生み出していたジェネレーターが一挙に暴走したのだろうか、戦闘機1機としてはお釣りが来るくらいの大爆発を起こし、ロットバルトは跡形も無く姿を消してしまったのだった。後には、先程まで戦闘が繰り広げられていたことが信じられないような蒼い空が残される。最後の最後まで、ルシエンテスは自らの信念を曲げようとはしなかった。だが、本当に彼は全てに絶望していたのだろうか?僕は、今更ながらにそんなことを思った。彼もまた、戦争が生み出した被害者の形の一つではないだろうか、と。その答を確かめる術は最早失われてしまった。空が答えてくれるはずもない。
「おい、生きとるか?あーあー、ボロボロやんか。勝利どころか紙一重っちゅーやつやなホンマに」
「あのな、グリフィス3。泣きべそ声で強がっても全然面白くないぞ」
「だっ、誰が泣いてるって!?汗や!暑苦しゅうてたまらん汗が吹き出したんや!!」
そういうスコットのXFA-24Sとて、無傷ではない。翼や胴体部には数箇所、しっかりと命中痕が穿たれていた。右後方にポジションを取ったスコットに対し、すっかりと馴染んでしまったアレクトの3番機が左後方へ。少し離れたところで、ADF-01Sを先頭にしたカイト隊の面々がダイヤモンド・フォーメーションを組んでいる。グランディス隊長が何度か翼を振る。ご苦労さん、ということなのかもしれない。終わったんだな――ようやく、僕の心の中に安堵が染み渡っていく。
「クラックスより、作戦行動中の全作戦機、全部隊へ。アーケロン要塞周辺に展開していたレサス軍は降伏勧告を受諾しました。繰り返します。レサス軍は降伏勧告を受諾しました。戦闘は……いえ、長かった戦争も、これでようやく終わるんですね。オーレリアも、レサスも、随分と多くのものを失ってしまいました。でも……僕らは同時に多くのものを得ることが出来たように思います。今度こそ、手にした平和を大切にしていくことを、真剣に考えなきゃいけないのかも。……すみません、戯言ですね、こんなの」
ソラーノが鼻をすする音が聞こえてくる。戦いが終わったこと、彼もまた心の底から喜んでいるに違いない。
「――さあ、帰りましょう。僕らの故郷へ――!」
歓声が交信を埋め尽くす。ノイズ同然の騒々しい歓喜の声こそ、平和を取り戻したことの証。もっとも、オーレリア本土まで戻るような燃料など無い。まずは、すぐそこまで僕らを迎えに来ているシルメリィへ。家路へとつき始めた仲間たちの編隊を眺めながら、僕もまたその群れに加わる。ゆっくりと愛機を旋回させながら、僕は背中をシートに預けて緊張を解くことにしたのだった。
戦闘終了前からアーケロン要塞へ向けて出発していたらしいシルメリィと護衛艦隊は、思ったよりも近くの海域まで到着していた。そのかいあって、激しい戦いでほとんど燃料の残りが無くなっていた僕らは愛機を捨ててベイルアウトする選択肢を取らずに済んだ。そのお礼というわけではないが、僕とスコットは編隊を組んだままシルメリィのすぐ上をフライパス。歓声をあげている甲板要員たちの姿を眼下に眺めながら改めて着艦コースに乗り、随分と久しぶりのような気分がする母艦の姿を捉える。もっとも、「いつ落ちるか分からない機体は後回し!」というアルウォール提督の一言のおかげで、被弾だらけの僕らは最後の最後まで待たされる羽目になったのだが。その間に、傭兵部隊の戦闘機が2機、燃料切れで乗組員はベイルアウト。ここまで来て同じ運命か……と思い始めてようやく声がかかった。安定を欠いてピーキーさに磨きがかかってしまった愛機を何とか落ち着けながら、慎重に高度と速度を落としていく。僕の願いが機体に通じたわけではないだろうけれども、その損傷度合いを考えれば随分と大人しく、XRX-45の後輪が甲板にタッチし、アレスティング・ワイヤーを着艦フックが捉える。後ろに引っ張られるような感覚と共に機体が完全に停止。甲板要員の指示に従って、アイランド側までスロットルを絞りながら走って、ブレーキ。エンジンカット。どっと疲れが出て今度こそ本気でシートにもたれた僕は、エンジンの音も聞こえなくなったこの静寂を楽しんでいたかったけれども、すぐに周りが歓声に覆われてしまった。そのまま休息しているわけにもいかなくなってしまう。散々身体を締め付けてくれたハーネスを外し、ヘルメットを取ったところで、右頬に一筋切り傷が刻まれて血が流れ落ちていたことに気が付く。どうやら、ルシエンテスの攻撃を食らった時か、自分が放ったミサイルの嵐の中に突入した際に部品が跳ね回っていたらしい。グローブで乱暴に血を拭い取ってキャノピーを開くと、歓声のボリュームは一気に跳ね上がった。
「いやったぞぉぉぉぉぉ!!」
「オーレリア万歳!!南十字星、ばんざーーーーい!!」
大人たちの中に入ってしまうと、男としては小柄な僕などは完全に埋もれてしまう。フォルド二曹たちがようやく歓喜の暴徒たちを退けてくれるまで、僕はすっかりともみくちゃにされていた。もっともそれはスコットも同様だったらしく、「男はコリゴリ」と言わんばかりの辟易した表情でこちらに苦笑を送っている。ようやく悪友と合流した僕は、互いに拳と拳をコツンと合わせた。
「やっと終わったな、僕たちの戦争も」
「そうやな。でも俺らの戦後の就職先はとっくに決まっとるらしいで」
「せめてしばらく休暇をもらいたいもんだね」
「全く同感や。休暇期間中にたんまりと充電するでぇぇぇ!!」
一体何の充電をするつもりやら。思わず苦笑を浮かべる僕の頭上から、ヘリコプターのローターが風を切る音とエンジン音とが聞こえてきた。そのヘリが要救助員発生時の救難ヘリであることに気が付いて、僕の胸が躍る。もちろんベイルアウトを強いられた傭兵たちも少なくないから期待が外れる可能性も少なくないけれど、期待が当たっていることに賭けたかった。無事な姿が見たかった。多分、フィーナさんも僕の無事な姿を見たいに違いない……はず。ヘリの着艦スペースを空けるため、人並みがどやどやと動き出す。ようやく開かれた空間に、コースを誤ることなくゆっくりとヘリが降下してきた。お見事、と言いたくなるくらい静かに甲板上にタッチダウン。あ、どんな顔して僕は出迎えればいいんだろ?今更ながらに弱気が鎌首をもたげてきて、百戦錬磨の悪友に救いの舟を出してもらおうと振り返ると、姿が無い。いや、すぐに見つかったのだけれども、よりにもよってあいつ、アイリーンさんと一緒だ。何故か顔が真っ青。
「じれったい男だねぇ、ホントに。おら、男の見せ場だよ、ジャス坊!!」
どーんと背中を突き飛ばしてくれたのは、言うまでも無くグランディス隊長。そんな、ボロボロの身体になんてことを。ローターの回転が緩やかになって来たヘリの真ん前に僕は突き飛ばされていた。無意識に頬を指で掻こうとして傷口に触れてしまい、ツンとした痛みに顔をしかめる。しっかりしろ、と傷口にまで叱咤激励された気分。
「ジャスティン!!」
ヘリのドアが勢い良く引き開けられたのと、聞きたかった声が聞こえてきたのはほとんど同時だったような気がする。海風にふわりと流れる金髪のポニーテール。その右腕に包帯が巻かれて三角巾で吊ってあるのに驚く間もなく、フィーナさんはツカツカ、と甲板をブーツの底で軽やかに叩いて僕の目の前に立つ。少し怒ったような微妙な表情を浮かべた顔は目前に。細いキレイな左手の人差し指が、僕の頬の傍に添えられて、止まる。
「あまり人相を悪くしないでね。……本当に心配してたんだから」
「そういうフィーナさんだって、しっかり怪我してるじゃないですか」
無理に笑おうとして、失敗したフィーナさんは、首をゆっくりと振った。ポニーテールが、その動きに合わせて揺れる。不思議なもので、体が自然と動いた。僕よりも少し背は高いけれども、思っていたよりもずっと華奢な身体をそっと抱きしめる。ふかっ、としたぬくもりを僕はパイロットスーツ越しに確かに感じる。
「……無事で良かった……!」
僕にだけ聞こえる小声でそう呟くや否や、堰を切ったようにしゃくりあげ始めた想い人の身体を、先ほどよりも少し強めに抱き締める。
「約束、守りましたよ……」
うんうん、と何度も頷いた後、温かく柔らかいものが唇に押し当てられる。周りから歓声と冷やかすような大声とが聞こえてくるけど、もうそんなことはどうでも良かった。温もりをもっと感じていたくて、僕は閉じながらフィーナさんを抱き締める。名残惜しそうに温もりが離れ、こぼれるような笑顔を間近に見た時、僕は確信した。僕にとっての最大の戦果は、これからもずっと一緒に歩んでいきたい大切な人を得たことではなかったのかな、と――。フィーナさんを片方の手で抱き寄せたまま――多分かなり生意気な格好だったと我ながら思うけど――、僕は一方の手を仲間たちに向けて大きく振った。地鳴りのような歓声はシルメリィの甲板上だけでなく、この戦場に居合わせた兵士たちをも巻きこんで広がっていく。歓喜と生還の喜びに沸き返る者たちを、焦げ痕の付いたグリフィスが、今日は特別嬉しそうにいつもの気安い笑いを浮かべていた。
レサスの国境線から、戦闘機の速度ならばそれほど時間のかからない距離の地点。その空には、尋常あらざる数の戦闘機の群れの影が浮かんでいた。オーシアの領空内であるというのに、そこを飛ぶ戦闘機たちの機体にオーシア空軍所属を示す徽章はどこにも付いていなかった。唯一つ共通しているのは、大半の機体が漆黒のカラーリングに赤いマーキングラインが引かれていることである。
「ロックンローラーより全作戦行動中の機体へ。「敵」飛行大隊はレサス国境線より撤退を開始。繰り返す、「敵」飛行大隊はレサス国境線より撤退を開始した。未確認の大型機影――駄目だ、ジャミング開始。捕捉出来ない」
「――良いことじゃないか。これ以上無駄な血を流すことなく戦いを終わらせられるんだ。それに、戦闘機の機動は老体には堪える。勢いに任せて乗り込むモンじゃないね、全く」
「おいおい、私も行こう、と言ったのは自分じゃねぇか。今更ぼやくもんじゃないぜ」
「ハートの王に、怪鳥、二人ともすまないな。俺に付き合わせちまって」
自分自身の身体にも老いを感じながらも、長年馴染んできたこの狭い空間の感触を男は純粋に喜んでいた。どこまでも広がる蒼空。腹に響いてくるようなエンジンサウンド。大気を切り裂く翼。それだけは、何も変わらない。血と硝煙の匂いまで変わらないのは残念でならないが。あの日開かれた災厄の扉は、今尚世界を誤った方向へと導こうとしている。遠く離れた空でその戦いにとうとう巻き込まれてしまった未来を担う者たちのために、出来ることがあるなら力を尽くすだけのことだ――戦友たちの姿を思い出しながら、男は再び意識を現実へと引き戻す。AWACSの報告の通り、敵影は見えない。その気配は欠片ほども空には感じられなくなっていた。こちらがこれほどの大軍を動員してくることは連中の想定外であったということだろう。超大国の南方に確保したはずの橋頭堡を失い、加えて損害を重ねるほど連中も無能ではない。出来るものなら、さらに深手を負わせておきたかったのは事実ではあるが。
「それにしても、若者はいいもんだ。自らの翼で道を切り開き、飛び立っていく。少しばかり若返れそうな、新鮮な気分に浸れたもんだね」
「……ま、娘の目は確かだったということだろうな。やれやれ、覚悟が必要なのはどうやら俺の方らしい」
「何を言ってるんだ。その二人の間に子が出来ようもんなら、どんな腕っこきが産まれることやら。羨ましいよ」
「その子が戦闘機の操縦桿を握らないで済むような世界が、その時出来上がっていたら完璧なんだが」
残念ながら、そうはなるまい。こちらとの大規模な激突を避けて退却した者たちとの戦いはこれからも続く。より巧妙化する戦争ビジネスは、これからも多くの国々と人々を巻き込んでいくのだろう。互いが正義を主張して戦いを続ければ、いずれハルマゲドンのようなことになってしまう。それだけは、何としても回避しなければならない。そのために、レイヴンの翼は存在するのだから。
「――さて、俺たちも戻るとしよう。俺たちの「故郷」に」
元来た方角へと、戦闘機たちが反転していく。右方向へバンク、ゆっくりと旋回。編隊を組んだままの3機は、そのまま姿勢も崩さず鮮やかに反転を終える。共に歩んでいく相方を見出した娘の姿を思い浮かべ、レオンハルト・ラル・ノヴォトニーは楽しげな笑みをマスクの下の口元に浮かべた。それぞれ、戦闘機を操る者なら知らぬ者の無い異名で呼ばれる3機は、蒼空に真白いエッジを刻み込んで空を翔る。その航跡に、レイヴンに属する戦闘機たちの群れが従っていく。
レサス軍幕僚本部長名で、「オーレリアが提案した全面休戦勧告を受諾する」と複数メディアを通じて公表されたのは、それから間もなくのことであった。その声明に、ディエゴ・ギャスパー・ナバロの名は微塵も記されていなかったのである。
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