グリスウォールへの帰途にて
昨晩の喧騒が嘘のように、シルメリィ艦内は静かだった。第一級戦闘体制が解除されたことに加えて、昨晩の祝勝パーティの酒と疲れも手伝って、そんな最中でも警戒態勢を強いられた一部の気の毒なパイロットや乗組員を除けば、まだ大半の人間が眠りの世界の中にあるに違いない。こんなところを襲撃されたら僕らの艦隊など一たまりも無いのだが、敵勢力の姿が現れることは結局一度も無く、レサスの発した無条件降伏連絡が本物であったことが改めて証明されることとなっている。もっとも、仮に敵の戦闘機が現れたとしても、今の僕は飛ぶ事が出来ない。肩の傷自体は大した事は無かったのだが、ルシエンテスとの戦闘で散々無茶をしでかした結果、「当面飛行禁止!」というドクターのお達しをもらってしまったのだ。部屋で寝ていても良かったけれど、既に聞き飽きた音楽をベットの上で流しているのは余計に苦痛、というわけで、僕の足は自然と格納庫へと向かう。途中ですれ違った幾人かの乗組員が「お疲れさん」と声をかけてくれるのに答えながら、僕は目的の場所へと到達した。出撃計画も無く、また修理に必要な備品が欠乏しているともなれば、作戦から戻ってきた戦闘機たちがどのような姿でいるか思い浮かべるのは容易だ。グリフィス隊、カイト隊の戦闘機たちは、比較的部品の工面がしやすいF-22SとYF-23Sを除くと、帰還直後のまま静かに待機している。ほとんど無傷のADF-01Sは例外として、スコットのXFA-24S、僕のXRX-45は文字通りボロボロのままであった。純白の機体は煤とオイルで黒ずみ、穿たれた命中痕は何とも痛ましい。千切れた尾翼、へし折れて跡形も無いウェポン・ユニット部とカナード。自らパージしたせいで行方も知れぬコフィン・キャノピー。それでも、シルメリィまで辿り着けたのは愛機の骨格が設計を超えて頑丈であったからに他ならないのかもしれない。傷だらけの愛機の傍に立ち、僕は胴体に軽く手を当てた。
「お、ジャスティンか?怪我は大丈夫なのか?」
ぎょっとして見上げると、コクピットの中からフォルド二曹の虎髭顔がにゅっと突き出していた。
「フォルドさん、そんなとこで何を?」
「ああ、班長に言われて戦闘記録データを取り出しているところさ。もうすぐ終わるからちょっと待ってな」
その言葉通り、なにやらコネクタを外す音のようなものが聞こえてきて、フォルド二曹の大柄な身体がコクピットから下りてくる。「よっと」と言いながら、ノートPCを小脇に抱えた巨体が予想を裏切って軽やかにステップから離れる。
「まあしかし、よくこの状態で戻ってきたもんだよ。機体の設計自体も今更ながら大したもんだと納得した。もともと普通の戦闘機とは違ったコンセプトで作られているが故の「異形」だったわけだけど、多分これの図面を引いた奴は、戦地で損傷して戻ってくる時のことまで想定していたんじゃないかな。俺たちが想像しているよりも、遥かに頑丈だったことが証明されたようなもんだよ」
「最後の最後で無茶しちゃいましたからね。どうしようもなければベイルアウトするつもりでした」
ほぉ、といった顔で、フォルド二曹が何度か頷く。
「少しの間に随分と大人になったみたいだな、ジャスティンは。ベイルアウトしていたら、専用機を二度と使えなくなっていたわけだが、それでも良かったと?」
「そりゃあ残念ですけど、僕まで道連れになってしまったら仕方ないわけですし、きっとサバティーニ班長やデル・モナコ女史も分かってくれただろうな、と思ってました。また……飛べますかね?」
「それなんだが……」
「そこから先はワシが話すわい」
少し困ったような表情を浮かべたフォルド二曹に言いかけた話を確認する間もなく、横からサバティーニ班長の大声が聞こえてきた。他の部隊の機体整備を担当している部下にバインダーを押し付けて、いつものように首からタオルをぶら下げた班長の姿が近付いてきた。今日は珍しく、オイルの染みがほとんど付いていない綺麗なタオルだ。
「さて、と。まぁジャス坊に大した怪我がなかったのは良かったし、人間の怪我なら大抵の場合は回復する。戦闘機とて壊れた場所を修復できれば問題なく空に上がれるようになるもんじゃが、XRX-45が今回受けた損害はなかなか深刻なんじゃよ。尾翼やら吹っ飛んだウェポン・ユニット部はともかくとしても、機体の内側がもう限界なんじゃ。少し前にホーランド班長にも協力してもらってしらべてみたんじゃがの、主翼も胴体部も、見事に歪みが出とるんじゃよ。さらに、リミッターを解除して戦術レーザーをぶっ放し続けた影響で、内部構造が高熱にやられて溶けかかっていたんじゃ。……直そうと思えば直せるんじゃが、実質的にもう一機XRX-45を作るようなことになる」
班長の言うとおりだろうな、と僕は納得していた。ルシエンテスとの戦闘では相当無茶な飛ばし方をしていたし、かなり被弾も食らったし、ジェネレーターの暴走は覚悟していたし……とはいうものの、実際にその答えを聞くとがっかりしないわけじゃない。何しろ、この戦いが始まって以来、ずっと共に飛び続けてきた相棒が二度と空に上がれなくなるのだ。相方たる僕が、はいそうですか、と言えるわけが無い。
「それともう一つ……こいつはお前さん方には納得しがたい話かもしれんがのぅ、"レサスを打ち倒した凶星"の機体がこれからもオーレリアの空に在り続ける事は、必ずしも今後のオーレリアとレサスにとってプラスになるとは限らんのじゃよ」
「レサスの兵士たちにしてみれば、僕は最も多くレサスの人たちを直接葬ってきた張本人ですからね……」
「まあそういうことじゃ。今回の戦争自体が初めから仕組まれていたこと、ナバロはナバロで自分自身のために戦争を利用しようとしていたこと、その辺の事情が大々的に公開されることで怒りの矛先はそっちに向くことは間違いないんじゃが、実際に家族や知人を失った者たちにしてみればジャスティンは仇以外の何者でもないからの。そういう意味では、ロットバルトとの激闘でオーレリアの守護神たる戦闘機も戦闘不能になって二度と空に上がれん、というのは政治的には良いシナリオなんじゃよ。……こいつは十分にジャスティンとオーレリアを守ってくれた。もう休ませてやってもいいじゃろうて」
そう言いながらXRX-45を見上げた班長の視線は、とても優しく見えた。そうか……相棒として飛ばし続けてきた僕と同じように、整備班の人たちもこの機体と長い時間を共にしてきたのだ。故障したり、壊れてしまった箇所を直したり、最大限のメンテナンスを施してきた機体が二度と空に上がれないということを悲しんでいるのは、僕だけじゃないのだ。「フィルギア」の意味には、守護者というものもあると聞いた。僕や解放軍の皆、そしてオーレリアという国家を守るだけでなく再生への道を切り開いて、相方はどうやら舞台から去ろうとしているらしい。でも、僕もサバティーニ班長に同感だった。もう十分すぎるほどに、XRX-45は戦ってきてくれたのだから。
「そうなると、僕は当分飛べなくなりますね。身体を直すのもありますし、折角だから中途半端に中断しちゃった訓練課程の勉強もしたいんですが……」
「そうじゃの……と言いたいところじゃが、そうも言ってられんのじゃよ。何しろ寄せ集め部隊から始まった軍団じゃからの、今目の前の敵と相対するにはいいんじゃが、如何せんこれからのオーレリアを守っていく世代を育て上げていくような体制にはなっとらん。おまけに空軍部隊の人手不足はなかなかに深刻なんじゃ。実戦における戦闘機動や僚機との連携、乱戦時の対処方法、通常時の航法等々を身体でしっかりと覚えとるお前さん方を遊ばせておく余裕が無いんじゃな」
「しかし、乗る機体が無いんじゃ……」
「あるんだよ、それが。それも、ジャスティンにはぴったしの奴がね」
ニヤリ、とフォルド二曹が笑う。あ、やばい。この笑みが出た時は「マッド・エンジニア」モードに入った時のものだ。おまけに「マッド・エンジニア」の元締めまで同じような笑いを浮かべている。この二人がそう笑うのだとすると、どうやら僕は今後もろくでもない機体に乗せられることになるらしい。
「以前、まだレサス占領下にあったグリスウォールから戻ってきたグランディス隊長が乗ってきた機体があったの、覚えてるか?」
記憶の回廊から情景を呼び戻そうとするが、なかなかピンと来ない。それもそのはず、僕の興味はそっちではなく再会を待ち侘びていた人に向いていたのだから。首を振った僕に対してサバティーニ班長が苦笑を浮かべている。
「グリフィス隊で作戦機が不足した場合の予備機として、シルメリィ艦隊から実質的に供与された試作戦闘機「XFA-27」。これがなかなか、XR-45Sに匹敵するような暴れ馬での。ワシも正直なところそんな危なっかしい機体を自在に操れそうな人材が一人しか思い浮かばん」
そう言いながら班長は僕を指差した。あ、やっぱり。しかし、何でまたそんな面倒な機体を皆嬉しそうに用意するんだろう。乗せられる方の身にもなって欲しいもんだけど……。
「そんな顔するもんじゃない。これからもワシやフレデリカ、整備班の皆がお前さんのバックアップを務めていくのは変わりないんじゃ。XRX-45が蓄積したお前さんの数々のデータや記録は、可能な限り新型機にフィードバックするつもりじゃ。無論、垂直尾翼のエンブレムはお前さん専用のアレにしておくからの」
サバティーニ班長は少し強めに僕の肩を何度か叩いた。その弾みで、首から下げていたタオルがふわり、と外れて格納庫の床に広がった。手を伸ばして拾い上げようとした僕は、そのタオルの端に縫い付けられた名前に視線を動かして……そこから動けなくなった。白地のタオルには、赤い字でこうかいてあったのだ。「フレデリカ&ブルーノ」、と。さすがにフォルド二曹も気が付いて、目が点になっていた。当のサバティーニ班長は……珍しく狼狽した表情を浮かべている。
「班長……こいつは一体……」
「い、いや、こいつはじゃな……オイル汚れのタオルばかりぶら下げていたもんじゃからフレデリカ、じゃないフレデリカ嬢ちゃんが気を利かしてくれたんじゃよ!!」
スコットたちからは朴念仁の極みとまで呼ばれた僕でも、何が起こっていたのか分かった。……まあそう言われてみればXRX-45の改良や開発で二人が一緒にある時間はかなり長かったに違いない。とはいえ、デル・モナコ女史と班長の歳の差は……「愛があれば年齢は関係ない」なんて言葉は聞いたことがあるけれど、いざ目の前でそれが起こるとなかなか受け止めるのが大変だ。ふと異様な雰囲気に気が付いて辺りを見回すと、いつの間にか整備兵たちがXRX-45の周りに集まり始めていた。何となく瘴気が漂っているような感じ。
「……サバティーニ班長。整備班の掟にありましたね。整備班内における恋愛はご法度、と」
フォルド二曹が、いつもと違う怖い笑みを浮かべている。逃げ場を失った班長の姿は、なかなかお目にかかれないであろう。
「ふぉ、フォルド」
「掟は絶対でしたね、班長。おい、連れて行け!」
「アイ・サー!」
「こ、こら、お前ら……やめろぉぉぉぉぉ」 わっと人が寄ったかと思うと、サバティーニ班長の細い身体は簡単に担ぎ上げられてしまう。呆然と見送る僕に向かって、フォルド二曹が笑いながらサムアップを寄越す。今や嫉妬と下克上の尖兵と化した整備班員の歴々に取り囲まれた班長の身に何が起こるか……遠ざかっていく悲鳴が、みじめさをさらに演出してみせた。

誰もいなくなってしまった格納庫の中に留まっているわけにもいかず、「嫉妬の集団」が行った方向とは正反対の階段を上がっていく。アイランド下のハッチを開けると、真夏の暑い空気と涼やかな海風とが同時に僕の顔を撫でていった。出撃する戦闘機の姿も無い甲板上は思ったよりも静かだった。甲板上に並べられたF/A-18EやF-35の姿を眺めながら歩いた僕は、舳先の近くで立ち止まり、そして無言のまま立ち尽くしていた。グリスウォールを目指して海路を進む艦艇の群れの数は、出発した時と比べれば減ってはいたけれども、どこか誇らしげに見える。オーレリア第一艦隊司令のハイレディン提督は重傷ではあったものの健在であり、ルシエンテスたちが放ったSWBMによって損害を受けたオーレリア艦隊には数少ない吉報であった。もっとも当人は大怪我を負いながらも生存者の救出に最後の最後までこだわっていたらしく、終いには出血多量で昏倒し、部下達の肝をかなり冷やす羽目になったらしい。空軍戦力とて、無傷ではない。今回の作戦ではほとんど出番の無かった陸軍を除けば、オーレリアの被った損害も決して少なくはない。寄せ集め部隊の発展形に過ぎない解放軍を、今後どのような形で国防を担う正規軍として再建していくのか、その判断がいよいよ政治の場に委ねられることになるだろう。僕らの組織も、きっと今までのようにはいかない。だけど、今はそれでいいのだとも思う。僕らのとりあえずの役目は、何もかもが仕組まれていた偽りの戦争に終止符を打つことだったのだ。それが終わった今、為すべきことを為す人間が変わるのは当然のことだし、何しろ僕には政治ははっきり言って良く分からない。どちらかと言えば興味もあまり無い。幸い、当面の間は睨みを利かせてくれる怖いご老体もいるわけで、オーレリアはそう誤った方向に進まずとも済みそうではある。だけど、気になって仕方ないのはルシエンテスたちの背後で戦争を自在に操ろうとしていた勢力の今後だ。オーレリアとレサスの戦争においては彼らは事実上失敗をしでかしたと言っても良いのだろうが、世界中に広がる市場を股にかけて暗躍する彼らにとっては、多数存在する国家の所詮二つでの失敗に過ぎない。今後他の国々で、僕らが味わってきたような苦しみが再び繰り返されない保証は無いのだ。知ってしまった者は、そう簡単に引き返すことは出来ない。だから、僕はレイヴンをやはり目指したいと確信した。オーレリアの中にいるだけでは見えないものが、ここならば見えてくることも理由の一つだ。
「……こんなところにいたのか。探したぞ、ジャスティン」
振り返れば、甲板をブーツの底で叩きながらマクレーン隊長が歩いてくるところだった。一時の昼行灯ぶりとどこか荒んだ雰囲気が無くなった今、前とは別人のように見えてしまうのは今でも同じだ。隊長のYR-99は、僕らの機体ほどの損傷は受けていなかったものの、ミニ・ロットバルトを片っ端から叩き落すべくかなり無茶な機動をしたらしく、整備班の専属チーム総出で機体の全面チェック中らしい。これまでの主要作戦メンバーが唐突に時間を持て余している……そんな状況に、今僕らはあるらしい。まあ時間を持て余すこと自体が相当久しぶりのような気もしないではない。何より、今日からは戦いの空を飛ばざるを得ない環境自体が無くなったことがこれまでとは大きく異なる点だろう。
「おや?相方はどうした?」
「スコットですか?あいつは……」
「あー、その話は聞いたぞ。アイリーンがおめでただって?オーブリーの種馬も随分と早く年貢の納め時が来たもんだ。……或いはアイリーンの方が上手だったということかな?じゃあ、あの後から部屋にこもったまんま?」
「アイリーンさんが後から入っていったみたいですけどね。魂抜けてましたもんね……」
そう、僕は僕でフィーナさんと帰還の喜びを分かちあっていたわけだけれども、その傍ら、「パパ」になったことをスコットは知らされていたのだった。あのプレイボーイには何よりのショックだったに違いない。
「ま、あの阿呆にはいい薬だろ。でだ、ジャスティンが一人でいるということは、2番機殿も部屋にこもったまんまか」
「あ、ノヴォトニー少尉ですか。……そうなんですか?」
「何しろ、OBCのライブ中継中のアツアツ発言だったからなぁ。いや、聞いてたこっちが後になって顔から火が出そうだったよ」
「勘弁してくださいよ。こっちが恥ずかしくなります」
そうなのだ。作戦行動中の僕が知る由も無かったが、ロットバルトとの戦闘中の交信はAWACS経由で何とオンエアされていたのだ。ナバロが全世界向けに戦闘映像を配信していたのと並行して、OBCはオーレリア艦隊に撮影クルーを同行させ、「独自の」ライブをやっていたのだ。そして本来公開されることの無い軍事無線は、政府首脳の判断によって公開が決められていたらしい。その結果は見事だった。空に散ったルシエンテス自身の発言で、この戦争にゼネラル・リソースが深く関わっていたことが証明されたこと、人体実験まがいの人道面を無視したような試作機が作られていたことが証明されたのだ。オーシア・タイムズに掲載された著名ジャーナリスト"アルベール・ジュネット"氏によるオーレリア・レサス紛争の真実を暴いた記事と、OBCのライブ番組とは、事をディエゴ・ギャスパー・ナバロに押し付けようとした連中を見事白日の下に引きずり出したようなものだった。そのナバロは、行方が分からなくなってしまったと聞いている。僕がロットバルトを、ルシエンテスを打ち破ったのとほとんど同じ頃、首都のスタジアムで大規模な暴動が発生していたのだ。ナバロ自身が、この戦争の正当性を主張するステージは、民衆による大規模クーデターの火蓋を切る原点となったのである。そこで何が起こったのか詳しいことは分からないけれども、スタジアムの蜂起をきっかけに首都にある政府の重要拠点に民衆がなだれ込んで占拠することに成功、さらに暴動はレサス各地にも飛び火し、軍の多数の兵士たちが市民擁護に回ったことも加わって、あれほど磐石であるかに見えたナバロ政権はわずかな時間の間に崩壊してしまったのである。ま、それはそれで交信の公開が予想以上の効果を発揮したわけだから良いのだけれども、問題はその交信にはルシエンテスとの罵りあい以外にも色々と含まれていたことだ。ロットバルトへの突入寸前のフィーナさんのこれ以上無い励ましの言葉。これまでオンエアされてしまったわけで、それをグランディス隊長から指摘されるや否や、もともと色白の顔を真っ赤にして彼女は部屋へと逃げてしまったのだ。そりゃまあ……逃げたくもなるよなぁ。隊長の言葉から考えると、どうやらそのまま部屋に篭城してしまっているらしい。ある意味、フィーナさんらしくて良いのだけれど。
「ところで、何か用事があったんじゃないですか?」
それ以上突っ込まれるのも嫌だったので、あまりさりげなくも無いけれども話題を振ってみる。
「ああ、忘れるところだった。お前さんをいじめている方が楽しくてな。……正式な辞令は後になるが、お前とスコットの教導隊への着任が正式に決まったぞ。着任地は、オーブリーだ」
「は?……あの、正気ですか?」
「今更そんなこと言うな、お前さんが。確かに座学の講師は無理だがな、実技の教官としてはこれ以上無い人材だからな。それにお前、レイヴン目指すつもりなんだろ?グランディス隊長が嬉しそうに話していたぞ。新人どもを鍛えるからには、自分自身が教えるべきこと、基本的なことをきちんと把握してなきゃならんからな。お前さん自身には丁度良いステップアップになるだろうさ」
なるほど、そういうものかもしれない。自分が分からないことを人に教えられるはずも無い。教えるからには自分がちゃんと理解してなきゃならない。……てことは、僕が学生時代に学んできたことはみんな教えられるようになってなきゃいかんということじゃないか!
「ま、やるだけやってみな。大変な話だが、それだけ得られるものも大きいはずだ」
「じゃ、隊長は不良教官の元締めってわけですか?」
僕はてっきりそう思っていた。だけど、嬉しそうに笑いながらマクレーン隊長は首を振って見せた。
「残念だが、俺はオーブリーには行けない。そろそろラターブルがそういう難儀な仕事を任せてもいい頃だからな。俺の名代としてオーブリーに行ってもらうつもりだ」
「まさか、退役するつもりじゃないでしょうね。この期に及んで」
「お前こそ冗談を言うなよ。今更そんなことが許される立場じゃない。俺はこのままグリスウォールに留まることになった」
「ヴァネッサさんどうするつもりですか?」
「あー……あいつは当面の間、休職だ」
「何でです?」
「ま、お前には言っておくか。スコットのこと言えた義理じゃないんだがな、あいつも妊娠しててな。怪我自体の回復は順調なんだが、どうせなら療養も兼ねて休職扱いにしようと思ってな。グリスウォールならそういう設備も豊富に整っているし、何かと便利でな。ま、そんなわけで、俺の行き先は首都防衛任務がメインの、第1航空師団第32戦術航空大隊だ。……なあに、お前とスコットならやっていけるさ。グリスウォールに悪評じゃなくて良い話が聞こえてくるのを待ってるぜ」
そう言いながら、マクレーン隊長は僕の肩を何度か叩いた。嬉しそうに笑いながら。考えてみたら、結局この人には頼りきりだったように思う。今回の話は、鬼教官としての最後の仕上げのつもりなのかもしれない。
「……分かりました。僕らみたいなのが教官やってる国も珍しいでしょうけど、やってみます。これまで、ありがとうございました、教官殿」
僕はその場で、マクレーン隊長に敬礼した。今回ばかりは、本当に心の底から感謝しながら。隊長は照れ笑いを浮かべながら、こちらは僕よりもずっと堂に入った敬礼を施していた。腕を下ろし、踵を返そうとした隊長が、そこで動きを止めて振り返った。今度は何か良い悪戯を思い付いた様な表情を浮かべている。
「ちなみにこの着任の話は、1ヶ月後だそうだ。ちなみに、シルメリィ艦隊もしばらくオーレリアに留まる。お前もしっかりと掴んでおくんだな、相方のハートをな」
「たっ、隊長!」
「恋愛話の指導は無しだ、朴念仁。長距離恋愛に耐えられるくらい、その間に絆を深めとけ」
似合わないウインクをして、マクレーン隊長が手を振りながらアイランドに戻っていく。その背中を見送りながら、僕は自分の部屋にこもってしまった想い人の姿を思い浮かべた。オーブリーに戻るまでには十分な時間がある。そして、もうすぐグリスウォールの街がこれ以上無いくらいに綺麗に輝く日がやって来る。グリスウォールのクリスマス・イヴは国外からも観光客がやってくるほどに知られているくらいなのだ。サンタクロースがもしいるのならば、恋人と歩くクリスマスの夜は僕にとって最高のプレゼントになるだろう。問題はどうやって部屋から出てきてもらうかだが、こうなったら直接話をしに行くしかない。よし、覚悟は決まった。驚いたような、そして多分喜んだ表情を浮かべてくれることに期待しながら、僕も歩き出す。勿論、心の中ではスキップを踏みながら。
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