クリスマスイヴの街角
もともと夜景自体が観光商品の目玉になるくらい美しいグリスウォールの町並みは、1年で最も美しい装いとなっている。クリスマスを挟んだ1週間は、オーレリアのクリスマス・ウィーク。わざわざ自宅をイルミネーションの城にするために会社を何日も休む人間でさえ珍しくないのがこの国のクリスマスの流儀だ。政府機関が集中するガイアスタワーでさえ、この時ばかりは巨大なクリスマス・モニュメントと化して、美しいイルミネーションを纏う。特に人の出が一番多くなる夕方の良い時間には、ビルの明かりをうまく調整して巨大なクリスマス・ツリーを出現させるほどのサービスぶり。もちろんこの時には、クリスマスを共に過ごす相手を見つけ損なった公務員達が総動員されるらしい。そんなわけで、グリスウォール市街は繁華街から住宅街まで、色様々な電飾と陽気なクリスマス・ソングに彩られるのだ。こういうところは南国の空気が抜けないと言うべきなのだろうか?僕だって、これまでもクリスマス・ウィークは楽しんできたつもりだけれども、今年のクリスマスには絶対にかなわないだろう。僕の意識は美しい町並み以上に、僕の隣、すぐ傍、しかも手を繋いでいるフィーナさんに向かっていた。"男一人で眺めるクリスマスより、何てたって女の子と一緒にエンジョイ!"は色ボケ悪友の名言だったが、その意味が今日初めて理解出来たように思う。まして、隣にいるのが最愛の女性であれば尚更だ。マクレーン隊長が教えてくれた通り、あれから物の見事に天岩戸となっていたフィーナさんの部屋のドアは、クリスマスを一緒に、という魔法の言葉で一気に開いた。紅潮した顔で何度も嬉しそうに頷いてくれた時の様子を思い出すと、今でも何となくガッツポーズを決めたくなる。とはいえ、こういう時のプランニングなどしたことのない僕がレストスペースで頭を抱えていると、ミッドガルツ少尉が救いの手を差し伸べてくれた。"あんまり考えないで、ゆっくりと街を歩いて来い"という一言に、僕はどれだけ救われたか分からなかった。
「うわぁ……とても綺麗」
南国のクリスマスは夏場のクリスマス。北半球のように厚いコートを着込んでいたら、熱中症で倒れるのがオチだ。以前グリスウォールをデートした時は普段服のラフな格好だったフィーナさんは、今日はその時よりもずっとお洒落だ。きれいな金髪はポニーテール。タンクトップに丈が短めの薄手のカーティガン、スリムな7分丈のGパンは正直なところ目のやり場に困る。腰からのラインがどうしても目に入ってしまい、脳天がクラクラして来るのだ。これを狙っていたのだとしたらフィーナさんもなかなかの深慮遠謀……ではあるものの、多分ご本人はそこまで気が付いていないんじゃないかと確信している。そんなフィーナさんの視線の先には、大通りに面した公園の並木のイルミネーション。まるで光のトンネルのようになった並木の下は、僕たちのような二人連れで当然のごとく占領されている。あの下を一人で歩くと、多分物凄く寂しくなるのが必定。
「この公園も名物の一つなんですよ。……って、通るのは初めてですけど」
「本当に?そうだったら光栄だけれど、ジャスティンもてそうだからなぁ」
「スコットの奴と一緒にしないで下さいよ!」
「フフフ、冗談よ。ほら、行きましょ」
木陰に置かれているのであろうスピーカーからは、少し昔に大ヒットしたクリスマスソングが聞こえてくる。この時期になると、僕も街角で不意に聞きたくなるあの曲だ。それにしても、「うわぁ」と「きれい!」を連呼しているフィーナさんの姿は、背中を安心して預けられる心強い2番機の姿とは全く別人の様だ。或いは、これが本来の姿なのかもしれないけれども。
「ウスティオの首都デイレクタスだって、有名な観光都市じゃないですか。イルミネーションとかイベントとかやっていたんじゃないんですか?」
「ここまで賑やかじゃないのよ。何しろこの季節になったら夜は氷点下、雪だって結構積もっているからあんまり派手に電飾を飾ったり出来ないの。それに、もともとクリスマスは家族や友人たちと家でゆっくりと楽しむのがあっちの流儀だったし……。父親なんか、この時を待っていたとばかりに朝からウィスキーの瓶を持ち出して、母親に蹴り飛ばされていたっけ」
「あの……何だか「円卓の鬼神」のイメージが揺らいでくるんですけれど……」
「家の中じゃ、そんなイメージ全然無かったわよ。子供には優しい……というより甘いもんだから、しょっちゅう母親に怒鳴られていたし……うーん、言い方はあんまり良くないけれども、見事尻に敷かれていたと思うわね」
戦闘機乗りとして伝説的な英雄を尻に敷く女傑!将来僕はそんなすごい人を義理の親御さんに持つ事になるのだろうか。いやいや、親御さんよりもそんな2人の子供たるフィーナさんは?……考えるまでも無いような気がする。多分円卓の鬼神と同じように、僕も見事に敷かれるに違いあるまい。そんなことを思い浮かべていると、クスクスと笑いながらフィーナさんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。照れ隠しに頬を掻きつつ、僕はイルミネーションへと視線を動かす。ここを歩いている人たちは、みんな僕らのように少し上を眺めながらゆっくりと歩いている。まるで星の中を飛行しているような――そんな錯覚を起こしそうだ。二人並んでゆっくりと並木を抜けた先には、名物の大クリスマスツリーの一つがそびえ立っていた。派手な電飾をまとうのではなく、むしろシンプルな色調で変化するLED電球を中心に飾り付けられたこのツリーは、むしろ際立って輝いているように見えた。ツリーを中心にした広場にはこの一週間を稼ぎ時にするのであろう屋台がいくつも並び、人だかりが出来ている。スパムサンドとコークのセットを扱うショップもあれば、土産物の出店まで。順番なんかはあるはずもなく、ツリーを眺めながら通りかかった人々が店先を覗き込んでいた。
「ああ、こういう落ち着いたのもいいな。青く光っているときなんか、すごく幻想的。蛍が乱舞している中にいるみたい……」
「クリスマス・ウィーク中に、こういうツリーのコンペティションをやっているんですよ。市民の投票で1位になると、飾りつけを担当した団体には来年の飾りつけのための賞金や賞品まで出るんです。まぁ……持ち出しの方が多いみたいですけど」
「きっと、賞金なんてどうでもいいんだと思うな。こうやって、たくさんの人たちに喜んでもらえることを思い浮かべて、一つ一つ飾り付けているんだと思う。私もそういうことやってみたいな」
そう言いながら、嬉しそうに彼女はツリーを見上げている。どうやら相当ここが気に入ったみたいだ。実際、少し高台に位置するこの公園からは、クリスマスに彩られた町並みを眺めることも出来る。まだ時間も早いし、ここで少しゆっくりしていくことに僕は決めた。
「少しここで休んでいきますか?お店もいっぱい出ているみたいですし、何かつまむものを探すのには苦労しないと思いますよ」
「わ、いいの?じゃ私は飲み物を探してくるわ。ジャスティンは何か軽くつまめるものを探してきてくれる?飲み物は何がいいのかしら。今日はアルコール入り?」
「ラムネでいいですよ。……じゃあ、あの噴水の近くで5分後でどうでしょう?」
「分かったわ。……待っててくれると嬉しいな」
名残惜しそうに手を離したフィーナさんを見送って、ちょっとばかり涼しくなってしまった傍らを撫でながら、僕も出店の列に向かって歩き出す。案外冷たい飲み物にフィッシュ&チップスも合うし、スパムサンドもいい。スコットに教えられてはまった「DENGAKU」もいいけど、ミソ・ソースがフィーナさんに受けるかどうか……?こんな時に優柔不断が戻ってきていくつかの店の前をうろうろしていた僕は、そんな店の中、「海の逃亡者・クリスマス出張所」という看板を掲げているこじんまりとしたテントに気が付いた。店の中には赤いサンタクロースの衣装を着込んだ店主の姿が見え、店の前には大人だけではなく子供たちも集まっている。陽気な店主らしく、話し声と笑い声が良く聞こえてくる。何となく気になって覗き込んでみると、いくつかのテーブルに小物から大きな置物までぎっしりと並べられている。しかし、「クリスマスセール」の看板通り、その値段は驚くほどに安い。子供たちが集まっているのは、普通なら手が届かないであろう代物が安価で売られているせいだった。子供たちの一番人気は、戦闘機のミニチュア・モデル。でも僕が見る限り、あれは金属パーツを用いている結構値の張る代物だったはず。子供たちの何人かは、早速手に戦闘機を持って空中戦ごっこを始める。「僕南十字星!」「ずるい、僕だよ!」という会話が聞こえてきて、僕は咳き込みそうになった。考えてみれば、恋人……予定……の人に何も僕は送っていない。何かクリスマスらしいプレゼントがないかどうか物色してみたくなって、僕は人だかりの中に加わった。僕のような客を想定しているのか、店先にはシルバーのリングやペンダントまでご丁寧に並べられている。あんまり派手目のものは多分好まないだろう、と思って少し地味目でも良さそうなものを物色していたら、店の中の店主と目が合った。白い髭は自前のようだけど、頭の白いアフロは無いだろうに。そのアフロを潰すように、これまたご丁寧にサンタの帽子が乗っかっている。かなり細身のサンタクロースは、僕の視線を受け止めて何やら愉快そうに笑った。両方の指を何だか落ち着き無く動かしているのは、この店主の癖らしい。
「おっ、兄さん。物入りだね。いやいやいやいや、言わなくても分かるってもんだ。コレだろ、コレ?」
そう言いながら、店主は片方の手でわっかを作り、一方の指は……って!!
「勘弁してくださいよ、そんなもの必要になるわけ無いんだから!」
「おりょ?なんだい勿体無いねぇ。折角上質のものを用意してあるのに」
本気でそんなものを売りつけるつもりだったのか、店主はオーバーリアクションで天を仰いで見せた。その様子を見ないふりをしながら、アクセサリー群の中から比較的大人しめのリングを取って、店主に渡す。
「これに出来れば、キレイな箱付けて欲しいんですけど」
「やれやれ、近頃の若者に似合わず堅実なもんだゼ。あいよ毎度。用意するからちょっと待っててくれよ?」
そう言いながらしゃがみこんだ店主は、テーブルの下で何かごそごそやっている。言ってみるもので、どうやら本当にケースを探してくれているようだった。さて、どうやって渡そうかな。あんまり雰囲気を作っても白々しいし、わざとらしくなってしまうし、かといって軽いノリで渡すようなものでもないし。ん、待てよ。僕、肝心の言葉を伝えていないような気がする。ああ、やっぱりスコットに助言をもらっておくんだった。大切な時に役に立たないんだから、ホントに。きっとフィーナさんのことだから、okだとは思うんだけど、いざとなるとその言葉を伝えるのは本当に勇気が必要だ。ルシエンテスと対峙していたときの方が、まだ緊張していなかったような気分になって来た。
「……意識が遠くに行っているみたいだがよ、こんなんでいいかい、イケメンの坊や?」
店主の声に現実に引き戻された僕は、その手のひらの上に乗った小箱に気が付いた。落ち着いた白いケースの中には……。
「あの、僕が取った指輪と違うんですけど」
「そうだよ。俺が取り替えたんだもの」
「へ?」
「あのな、坊や。大切な人に贈るんだったら、ここに並んでいるようなチャチなシルバーじゃなくて、もっと上等なものにしときな。今日は大切な夜なんだろ?こいつは、俺様サンタクロースが特別に割り引いて元の指輪の値段で売ってやるぜ。これなら上等素敵でナイスな彼女も、きっとイチコロ間違いなしってもんよ」
ケースの中には、銀色のフレームに空色の石の装飾が施された、それでいて派手じゃないリングが収められている。まるで上空から眺める青空のような色の石が、店のランプに照らされて明るく輝いていた。
「何だか、すごく高そうにも見えるんですけど……」
「そう見えるなら光栄だぜ。もちろんパチモンさ。坊や、クリスマスの出店の土産物屋で、そんな大層なものが置いてあるわけがないだろ?そいつはパチモンの中でも特によく出来た代物だから安心しな。イケメンの坊やに俺からのご褒美さ。」
案外ヤバイ代物だったりして……とはいうものの、クリスマスの土産物屋でそんな大それた物が並んでいるはずも無いという店主の言葉も納得がいく。ここは店主の好意を受けておくのが吉、と結論付けて代金を取り出した。
「じゃ、サンタクロースの好意に甘んじて、そいつで」
「あいよ、毎度アリ。星降る聖夜に乾杯だ」
さてどこでこいつを渡すかが問題だな。まさかこの公衆の面前で大声を出すわけにも行かないし、かといって今更肩肘張って渡すのも申し訳が無いし……さらに付け加えるならば、僕の頭の中ではこの後の時間の過ごし方がノー・アイデア。いや、プランが無いわけじゃないけれども、いきなり八艘飛びでそんなところまで踏み出していいものかどうか。……でもまぁ、お互いの向いている方向は間違いなく同じなんだよな、実際。僅かな間のバカンスはあるけれども、重要なのはそこから先の話。いつかレイヴンに辿り着くとしても、その前にちゃんとしておきたいという気持ちが行進を始めている。様は、他の男なんかに惚れた女性を渡したくない、という極めてシンプルで自分勝手な願望が僕にも芽生えたということだ!指輪はちょっとやり過ぎかもしれないけれども、今の僕が踏み出せる最大限が多分これなんだから仕方ないじゃないか。店主が目的の物を袋詰めしている間、そんなことを考えて周りを見ているものだから、用意しなきゃならない軽食のプランはなかなか定まらない。「13 ICE CREAM」の看板が目に止まって、アイスクリームまでが選択肢の中に加わっていく。もし思い付いたものを全部買い揃えたら、今夜の夕食はジャンクフードのフルコースになるに違いない。それはそれで面白いかもしれないけれど、聖夜を過ごす食事としては完璧にアウトだろう。財布の許す範囲だけど、もう少し真っ当な食事と真っ当な飲み物が必要に違いない。何しろ、大切な聖夜なんだから!――どうやら僕はそうやって、すっかりと袋詰めを終えた店主の姿にしばらく気が付いていなかったらしい。白いアフロのサンタクロースは、人の悪い、ニヤニヤとした笑いを浮かべて僕を待っていた。ご丁寧に、袋には手製の青いリボンまで付けてあった。あのせわしなく動いている指は、その様子通りにかなり器用なのだろう。
「若いっていうのは、見ているだけでも楽しいぜ。ま、うまくやるこった!」
かなり怪しいサンタクロースに礼を言いながら包みを受け取って、袋が思ったよりも大きいことに気が付く。おや、と思って袋を開けてみると、指輪のケースの上に、もう一つ箱が乗っている。うわわわわわわ!
「何でこれが入っているんですか!?」
「頑張れよボーイ、グッドラック!」
店主の言った「上質なもの」が、しっかりと袋の中に放り込まれている。本当に人の悪いサンタクロースに僕は捕まったらしい。まさか取り出して投げ付けるわけにもいかず、不承不承引き下がらざるを得ないのが僕の立場だった。
さすがに待たせてしまっているんじゃないかと慌てて待ち合わせ場所に戻ると、まだフィーナさんの姿は無い。ほっと胸を撫で下ろしつつ、ウエストポーチに入れた指輪の所在を再度確認する。ちなみに店主に押し付けられた例のものはポーチの別ポケットの中。ズボンのポケットに入れておくわけにもいかず、渋々しまったというのが実状。ベンチを確保したかったけれども、さすがにこの夜、指定席をゲットするのは至難の業らしい。見える範囲のベンチは軒並み、アベックたちに完全占領されている。しかも、空く気配がないのがさすがはクリスマス。それでも、眺めが良さそうなスポットは見える限りで何箇所か確保。立ってても食べられるように、店からはトレイを調達済。妙なものに手を出すよりは味にそんなにばらつきが無いだろう……と思って注文したクレープとフィッシュ&チップスは我ながらグットチョイスだと思うけれど、これでフィーナさんが東洋系のティーなんかを持ってきたらかなりミスマッチ。コカコーラあたりだといいんだけど……などと考えながらおのぼりさんよろしく周りを見回していると、両手に大きなコップを抱えたフィーナさんの姿を発見。思わず笑ってしまったのは、ソフトクリームの姿を確認したからだ。
「お待たせ!えへへ、ちゃんと待っててくれたね?」
「危ないところだったんですけど、ギリギリセーフでしたよ。クリームソーダですか?」
「子供の頃好きだったのよ、これ。何だか懐かしくなって買ってきちゃったけれど、良かったかしら?」
「つまみと丁度合ってますよ。いい組み合わせだと思います」
「ジャスティンもね。クレープが美味しそう!」
嬉しそうに笑うフィーナさんの姿は改めて心強い2番機の姿と別人のようで、新たな側面を発見したことに心の中でガッツポーズ。
「あの辺行きましょうか?」
何箇所か目星をつけていた中から、ちょうどトレイも置けそうな公園縁の柵の一角に陣取る。僕らの目の前には、南半球の星空と、グリスウォールの街を彩るイルミネーションの星々が広がった。結構歩いていたらしく、何となく空いてきた小腹に、クレープはぴったりだった。クレープといっても、サニーレタスにシーチキンとハムを織り込んだスパイシーなやつ。それを頬張りながら、しばらく無言で二人並んで街を見下ろす。被害は少なかった、といっても解放軍とレサス軍の主力部隊が真正面から激突したことには変わりなく、中でもアトモスリング周辺は激戦による傷跡がそのままになっていた。だけど、街はまた蘇る。そこに生きる人々も、平穏な日々を徐々に取り戻していくだろう。僕らが取り戻したのは、この国の大地だけではない。多分、「平和」の意味を考え直す機会をも取り戻したのだろうと思う。大規模な民衆蜂起が発生したレサスだけでなく、オーレリアもまた、再生に向けて困難な道を歩き出したばかりだ。目先の利益ばかりを追い求めるような政治家たちが再びこの国の上層部を占めることが無いように、どんな手を打っていくのか。どこまで必要悪を認めていくのか。戦場は軍隊から政治の場へと移ったけれど、ガウディ議長の抱える難題は未だ山積みだ。それでも、それでもきっと何とかなるんじゃないか、と僕は思う。僕らが出来たことを、政治の舞台だからといって出来ないというのはおかしな話だ。今、大切なことは何なのか、為すべきことは何なのか。そんなシンプルなことを一つ一つ考えて積み上げていくだけで、多分道は変わっていく。オーレリアという国家は、その努力を怠って、いつの間にか「平和」を既得権としてしまっていた。ディエゴ・ギャスパー・ナバロの暴挙は決して許されるものではないけれども、「平和」の意味を問うという点で、オーレリアには良い薬になったのかもしれない。……僕の人生は、180°どころか540°くらい行き先が変わってしまったように思うけど。
「――前にもこうやって、夜景を眺めたね」
少し出てきた風に、手で髪を押さえながらフィーナさんが口を開く。あの時はスコット&ミッドガルツという想像もしなかった組み合わせにプロデュースされてのことだったけれど。そして思い出したのは、ムードたっぷりのキスの味。顔がかっと赤くなるのが自分でも分かった。帽子のつばを少し押さえて、顔を隠してみる。
「ねえジャスティン、私との約束、覚えてる?」
振り返ったフィーナさんの瞳が、僕に向けられる。吸い込まれそうな錯覚を一瞬覚える。
「忘れるわけ無いですよ。いつか必ずレイヴンへ。……フィーナさんの適齢期が過ぎないうちに」
「こら、最後のは余計だよ」
フィーナさんはぷう、と頬を膨らませた後、笑い出す。つられて僕も笑い出した。
「実はね、このままオーレリアへの軍事顧問みたいな肩書きで在留する話を進められたんだけど、断っちゃった。そりゃあ、私だってジャスティンと一緒に毎日を過ごせるのは夢みたいな話だけど、私は私なりにもっと飛行技術もタフネスも鍛えなきゃいけないかなぁ、と思ったの。実際、ジャスティンについていくのは大変なのよ。決戦の時は最後の最後で詰めを誤っちゃったし……」
街並みを眺めながら、フィーナさんは僕の傍に立ち、そして前と同じように僕の方に頭を預けた。
「会いたくなったら休暇でオーレリアに来てしまえばいいし、ジャスティンがレイヴンに来るのに多分そんな時間はかからないだろうから。だから、私はシルメリィで……レイヴンで君を待ってることに決めたの」
風に揺られて頬を撫でる金髪の感触が心地良い。腕越しに、肩越しに伝わる温もりも。
「だから、ちゃんと迎えに来てね。私の王子様」
照れくさそうにしながら、フィーナさんが微笑む。不思議なもので、次に取るべき行動に僕は自然と動いていた。ウエストポーチの中から、あの怪しげな店で買ったばかりの贈り物を取り出す。
「え?何?」
「必ず迎えに行きますよ。約束します。……僕がいない間の、お守りです」
小さなケースをそっと開いたフィーナさんの目が見開かれ、次いで片方の手が口元を覆った。
「気が回らなくて、ちゃんとしたものが用意できなかったんですけど……」
ふるふると首を振り、改めて僕の肩に温もりが乗せられる。
「出来過ぎよ、もう……」
そっと伸びてきた手の平が、僕の顔の向きを変える。さすがの僕でも、こういうときにどうすればいいのかは分かるようになった。目を閉じるとほとんど同時に、フィーナさんの唇が僕の唇に重なる。これがシルメリィの艦内だったら、僕はすぐさま嫉妬の集団によって海に投げ込まれるのがオチだけど、今日は星降る聖夜。周りには同じようなカップルたちの姿ばかり。こうしていてもそんなに目立つもんじゃない。どれくらいの時間が経ったのか、ゆっくりと温もりが離れていく。頬を真っ赤にした想い人は、照れ笑いを浮かべていた。気が付けば、トレイは空っぽ。このままこうしていても良かったけれど、それも勿体無い。
「もっと、他の所回ってみます?ライブで音楽聴けるところとか」
「それもいいわね。ところで、ジャスティン?」
「はい?」
「今日からしばらく、私は門限無いの」
「はいぃ?」
半ば強引に右腕を取られて、フィーナさんは自分の腕を絡めた。
「ほら、行きましょ。クリスマスの夜はまだまだこれからなんでしょう?」
「うわっと!え、ちょっと待ってくださいよ、フィーナさん!!」
慌てて空いている手でトレイを掴んだものの、僕はフィーナさんに引きずられようにして歩き出す。でも、フィーナさんの言うとおり、聖夜は始まったばかり。大切な人とその時間を共有出来ることがこんなにも嬉しいなんて、僕は知らなかった。ふと見上げた空には、満点の星の中に一際輝くサザンクロス。南半球のシンボルたる十字星は、グリスウォールの街を歩く僕たちを祝福するかのように瞬いていた。
小さな出店のテントから、細身のサンタクロースが双眼鏡を覗き込んでいた。ニヤニヤと嬉しそうに笑いながら。
「覗きなんて、いい趣味じゃないぞ」
「覗きじゃないぜ。保護者としての責任を果たしているだけさ。お、うまくいったみたいだぞ。イッヒッヒッヒ」
充分に楽しんでいるじゃないか、と呟いてジュネットは苦笑した。まあ自分自身も同じようなものなのでそれ以上追及する気にもならなかったが。
「悪かったな、取材の好機を奪っちまってよ」
「気にしないでくれ。さすがに私も、恋人たちの時間を無駄にするような無粋なことはしたくない。まだしばらくはオーレリアに残ることになりそうだし、そのうち独占取材を申し込ませてもらうよ。……しかし、そのサンタクロース姿は何とかならないのか?」
だぶだぶのサンタ服に白アフロ。クリスマスでもなければ、一発で警察が吹っ飛んできそうな格好であるに違いない。ズボフには妙に似合いの格好であることは事実なのだが。
「あぁ?これは営業努力って奴だよ。何しろ今夜はクリスマスだ。格好だけでもサンタクロースから良い物をゲットした方がご利益あるだろうが」
「あのな、神仏に祈るわけじゃないだろうに」
「そうやって馬鹿にしてるから、ほら見ろ。星降る聖夜の独り者が、俺の目の前に」
そう言いながら、ズボフは両方の手でジュネットを指差した。降参、といった風にジュネットは肩をすくめて見せた。
「しかし、ズボフも粋なことするじゃないか。あんなに良く出来たイミテーションなら、結構原価も高かったんじゃないのか?」
予想外に盛況のズボフの店。客の群れに紛れていたジュネットは、南十字星の少年がズボフから指輪を受け取る一部始終をしっかりと見ていたのである。もちろん、その指輪を誰に送る魂胆なのかを、彼は知っていた。ズボフは口の端に笑みを浮かべつつ、フン、と鼻を鳴らした。
「ありゃ、まがい物じゃねぇ。正真正銘の特上の逸品さ。"空の守護者"っていう、古いベルカの呼び名が付いてるな。俺の戦利品の一つだよ。南十字星の坊やへの、俺なりのご褒美さ。環境も酒も女も特上のこの国に、安定をもたらしてくれたことへの、な」
「戦利品てまさか、盗品じゃないだろうな!?」
「人聞きの悪いこと言うなよ。連合軍ていう大盗賊団から貴重な財産を保護しただけさ」
「何だそうか……って、やっぱり盗品じゃないか!!」
「落ち着けって。エスケープキラーの数少ない理解者からの餞別の一つだよ。俺みたいな悪党と一緒に薄汚い世界にあるよりも、あの二人と一緒にお日様の下にあるほうが余程ましだろうが」
愉快そうにと笑いながら、ズボフはジュネットの手の上に何か小物を押し付けた。ズボフの手が離れた後には、南国名物の夏仕様サンタの姿があった。サーフボードに上半身裸でサングラスをかけた、ちょっとガラの悪いサンタクロース。そのボードには、ちゃっかりグリフィスのエンブレムが刻まれていた。
「クリスマスプレゼントだ。落ち着いたら、浜辺の店を尋ねてくれ。うまい酒でのんびりやろうや」
「それは名案だ。そっちこそ、私が訪問する前にどこかに旅立たないでくれよ」
あまり長々と話していると、クリスマスの商売の営業妨害になってしまう。訳アリサンタに手を振ってその場を離れたジュネットだったが、青く輝くクリスマスツリーの下で、もう一度手の中のサンタクロースを眺めてみる。気安い笑いを浮かべたグリフィスと、どことなく楽しげなサンタクロース。その姿が、ジュネットにはこの地にようやく訪れた平和を祝福しているように思えてならないのだった。星空を見上げれば、流れ星が一つ。サザンクロスを横切って、光の筋を残して流れていく。この空を見上げる人々に、今日は安らかなひと時を!柄にも無くそんなことを思いながら、ジュネットは歩き出した。未だ確認の終わっていない未整理の資料の山々が、主の帰りを待ち受けている。
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