明日の空へ
青い空。白い雲。青い海。潮騒の音。そして滑走路を撫でるように吹き抜けていく風。オーブリーには、数ヶ月間の激しい戦いが嘘であったかのような静かな時間が今日も流れている。こうやって波の音に聞き耳を立てていると、だんだん眠くなってきて、そして今頃はどこか別の海で同じ空を飛んでいるであろう、金髪の人を思い出す。グリスウォールでの門限の無い1ヶ月間を思い出すと、今でもドキドキすると同時に何だか気恥ずかしくなってきてしまう。そう、目を覚ますとさらりとした金髪が目の前にあって……あの温もりとゆったりとした時間は、まるで夢のようにも思えてくる。オーブリー基地の教官として赴任して早数ヶ月が過ぎ去り、ようやく座学も含めて格好は付いてきたように思うけれども、一緒に赴任したラターブル中尉は当初の下馬評とは裏腹に新米教官と古参の荒くれ者たちをうまく纏め上げて、すっかりとオーブリー航空隊の主としてのポジションを確保していた。オーブリーの昼行灯の教示を僕らよりも長い間受けて鍛えられてきた先輩は、やはり一味違うらしい。もっとも、教えられる側から教える側に転じたことで、訓練中、そしてあの戦争の間、マクレーン隊長に教えられたことが非常に役立っている。ほとんど歳の変わらない新米パイロットたちを率いて飛ぶ時に、その教えと経験が活きて来るのだ。隊長の言ったとおり、ここでの毎日は昔とは違った意味で僕のためになっている。将来、指揮官として戦隊を率いるステップに進む時が来た時のためにも、まだまだ僕には学ぶことが多い。以前と比べて、僕は貪欲に教本を開いたり飛行技術研究を行うようになったと思う。でも、それは僕にとって全然苦しいことではなかった。それらは全て、想い人……フィーナさんの元へと繋がる道なのだから。
「おーい、いつまでそんなアホヅラしとんのや。おいてくぞ、ホンマに」
横からかけられた大声に振り向くと、XFA-24Sのコクピットの上でスコットが拳を振り上げている。
「やあスコット、もうそんな時間?」
「何呑気なこと……どーせ、金髪のナイスとの素敵な時間思い出して鼻の下伸ばしてたんやろが」
図星。出かかった言葉を思わず飲み込んでしまう。相変わらず、そういうことには鋭い男だ。もっとも、オーレリア空軍の種馬と酷評された悪友殿は、今では若きマイホーム・パパとして、基地から少し離れた新居に住処を移して通ってくる。軍を退役したアイリーンさんの方は順調なようで、遠からず、奴の家では二人の赤子の鳴き声が響き渡ることになるだろう。さすがに従来の放蕩ぶりはすっかりと息を潜め、「安全パイ」として逆に女性たちの相談事を時折引き受けている。本人はその立場には納得しがたいものがあるらしいが、身から出た錆だけに同情のしようが無い。それに、僕も人のことが言えなくなる可能性がある以上、迂闊なことは口には出せない。
「全く、次の休暇で久しぶりに会えるちゅーたって、まだ結構日にちがあるんやで。今からそんな浮かれてたらなぁ……」
「僕よりもずっと先の子供の出産予定日を数えてウキウキしているのはどこのどいつだよ。それより大丈夫なのか、別の女性から「貴方の子供です!」と名乗られるようなことになるんじゃないの?」
スコットの顔が明らかに引きつり、次いで両肩を押さえて震え出す。どうやらアイリーンさんにすっかりと飼い慣らされてしまっているらしい。もっとも、少しだけ彼らの姿が羨ましくもあるのだが。だから、次の休暇は彼らに負けないような時間を過ごそう、と僕は決めている。
「どうでもいいんだが、そろそろ本当に出撃準備を始めてくれ、色ボケ二人組さんよ」
足元からフォルド班長の呆れたような声が聞こえてきた。軍の上層部に懇願されて渋々現職のまま首都グリスウォールに残ったサバティーニ班長に代わって、今ではフォルドさんが整備班の主になったのである。信頼出来るメカニックに引き続き機体の整備を任せられるのは、パイロットたる僕らには望外の喜びであった。そうでなくても、僕らの愛機は手間のかかる機体なのだから。
「ところで、どうだい、愛機の乗り心地は?もう完全に手足のように扱ってるみたいじゃないか」
「そうでもないですよ。可変翼機独特のクセみたいなのがやっぱりあって、超高速域から低速域に落とした時なんかにすごいピーキーになっちゃったりして、慌てることもあります」
「よう言うわ。それでこの間テール・スライド決めてキルされた身としては、それのどこが乗りこなしてへんのか分からんわ!」
「まぁ、ジャスティンの前の機体がXRX-45だからなぁ。機動性に優れたXFA-27Sはしっくり来るのかもしれないな」
ルシエンテスとの激闘で大破した僕のXRX-45は本当に首都の国立博物館に飾られることが決定し、新たな専用機となったのがシルメリィ艦隊から供与された後、乗り手が付かなかったXFA-27Sだった。4枚の可変翼はあらゆる速度域での安定性と機動性をこの機体にもたらすと共に、胴体部の格納ポイントを徹底的に見直すことにより、高い搭載量をも実現した贅沢な機体。ところが、その独特の機動感覚がどうにも受けず、結局乗機を失った僕のところに回ってきたというのが実状のようだ。教官業務の合間に織り込まれている本来業務というべき正規ミッションでは、この機体が今の僕の愛機となっている。コフィン・システムが搭載されていたXRX-45から、久しぶりに通常のコクピット機に戻ったのも新鮮ではある。計器盤についてはXRX-45と良く似た、多数のディスプレイが配置された見やすいレイアウトになっているのも嬉しい。敢えて難点を挙げるとすれば、サバティーニ班長とデル・モナコ・サバテイーニ女史に負けないマッド・エンジニア軍団が結構色々とセッティングをいじりまわしてくれることだろうか。
「さて、と。じゃ、そろそろ行きますか、"パパ"」
「こっちは待ちくたびれたっちゅーねん。今日は長いフライトなんやから、早よ行こ」
今日の僕らの哨戒コースは、ネベラ山方面の北の空域。最近、どういうわけか所属不明機の領空侵犯が報告されている、少し灰色の空域でもある。ちなみに同様のことがレサスでも発生しているらしく、久しぶりに連絡をくれたアレクト隊のメンドーサ隊長からも「見つけたらお灸を据えてやれ」と物騒な言葉をもらっている。性懲りも無く戦争ごっこを続けたいナバロの二番煎じのような人物がいるのか、或いは全くの別勢力か。なかなか世界というやつは平和を静かに保たせてはくれないように出来ているらしい。でも、だからこそ僕らがいるのだ。戦争がもたらすのは、悲劇以外の何物も無い。だからこそ、二度と同じことを繰り返してはならない、と今は思う。コクピットの中にしっかりと座り直して、ハーネスを締める。フォルド班長謹製のカラーリングが施された愛用のヘルメットを被って、もう一度自分の周りを最終チェック。問題なし、異常なし、コンディション・グリーン。いつでも行ける。左手でサムアップしながら横に手を突き出して出撃準備完了を告げると、整備班の面々が僕らの機体から離れていく。彼らが安全域に下がったことを確認して、キャノピー・クローズ。スロットルをほんの少し押し込んで、ゆっくりとブレーキを離していく。ゴトゴト、という音を立てながら愛機が動き出し、景色が流れ始める。誘導路を経て、広い滑走路の端に到達。機体を停止させて、テイクオフ・クリアランスを待つ。
「オーブリー・コントロール。こちらグリフィス・リーダー。"パパ"が早く家に帰って子守をしたがってる。出撃して良いか?」
「グリフィス3よりコントロール、リーダーは恋人の来訪で浮付いとるで。ちょお注意したってくれ」
「コントロールからグリフィス隊へ。さっさと高いところへ行って頭を冷やして来い、と隊長から伝言だ。健闘を祈る、グッドラック!」
口の悪いオペレーターが、半ば笑いながらそう言う。休暇中のユジーンが戻ってきたら、もっとひどいことを言われるかもしれない。
「ほな、行きますか!」
「ああ!グリフィス・チーム、テイクオフ!!」
スロットルをぐいと押し込むと、エンジン回転数が一気に跳ね上がり、心地よいサウンドを奏で始める。ブレーキを話すと、愛機は猛然とダッシュを開始。一度後方を振り返り、スコットのポジションを確認する。充分な助走が付いたことを確認して操縦桿を引いていくと、僕の目の前に蒼い空が一気に広がる。重力の束縛から解き放たれた僕たちは、ヴェイパートレイルを蒼空に刻みながら飛び立っていく。さあ行くぞ。もう一度心の中で宣言して、僕は愛機の操縦桿を握り直した。
ACE COMBAT X 「南十字星の記憶」 完
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