辺境の残党部隊たち
オーレリアの首都グリスウォールにそびえ立つガイアスタワー。ここからは、首都の眺めを一望出来る。オーレリアの「平和の象徴」とさえ言われたこの建物は、オーレリア政府の中核となる建造物であり、必要な政府機能の大半がここに集められている。低階層のショッピングモールから上は政府機関のオフィスがずらりと揃っているというわけだ。――逆に言えば、ここを制圧すればオーレリアの全てが手に入る。本国では決して考えられない話だ――かつてはこの国の代表者が占めていた一室の窓から街並みを見下ろしつつ、ディエゴ・ギャスパー・ナバロは口元を歪めた。どこの国でも官僚は同じ。首根っこをしっかりと押さえてやれば自ら進んで擦り寄ってくる奴らばかり。それはオーレリアの民間企業とて同様で、ここをビジネスチャンスと捉えた企業戦士たちは、連日の宴で勝手にレサスを称えて尻尾を振りながら集まってくる。愚かなオーレリアの民と残党どもは、自らの首を締める行為に同朋が積極的に関ろうとしているとは夢にも思うまい。平和を謳歌していた者たちには相応しい洗礼だ。そのうち手の平を返して、擦り寄ってきた者どもを愚民たちの只中に突き落としてやろう。同朋同士で憎みあい、殺しあえばいい。かつての祖国がそうであったように――。
「鍵は開いている。入りたまえ」
思考を中断するように鳴ったノックの音に、ナバロは振り返って応じた。樫の木か何かで作られた大きなドアがゆっくりと開き、士官服に身を包んだ長身の男が入室してきた。入り口で敬礼を施した相手に返礼し、こちらに来るよう促す。一礼して歩み寄る男の口元には微笑が浮かべられてはいるが、どこか冷たい空気をまとっている。何を考えているか分からない、というのはこのようなことを指すのだろう。
「新型機の使い心地はどうだ、ルシエンテス?」
「おかげさまで、部下たちも喜んでおります。もっとも、当面戦うべき相手がいなさそうですが」
長身の男――ペドロ・ゲラ・ルシエンテスは、レサス空軍の航空部隊の中でもエース揃いで知られる「サンサルバドル隊」の隊長を務めている。オーレリアに対する開戦後、迎撃に向かってきたオーレリア軍機を片っ端から叩き落していったのもこの男の率いる部隊だ。長年の内戦を生き延びただけに、実戦経験は極めて豊富。そして何より、レサスを南オーシアの覇権国家に育て上げることに賛同している点が、ナバロにとっては嬉しくもある。
「――残念な報告をまずはしなければなりません。先日、オーブリーに派遣した攻撃隊が壊滅した件はお伝えしていたと思いますが、今度はプナ平原の前線基地が襲撃され、オーレリア残党軍の手に渡った模様です」
「……相変わらず情報が早いな。まだ私の元には届いていないぞ。で、先日の連中が現れたとでも言うのか?」
ルシエンテスは頷きつつ、上着のポケットにしまっていた何枚かのスナップショットを取り出した。プナ平原の基地にいた兵士の一人が、撤退しつつ撮影した「証拠」であった。高速で空を飛ぶ戦闘機をまともに捉えることは難しい。どの写真もピンボケしていたが、はっきりと機体の形がわかるものもあった。そのうちの一枚に、独特の形状を持つ前進翼の戦闘機の姿が捉えられていた。データに該当の無い機体。先日、オーブリーの攻撃部隊を叩き落した張本人のものだ。ナバロの顔が、今度ははっきりと歪む。
「この機体の尾翼に、南十字星のエンブレムが描かれていたそうです。こいつも含めて、たった4機の戦闘機によって翻弄されてしまったというのが実態ですな。運悪く、パターソンに戦力を集中させていたことが裏目に出てしまいましたな」
「……貴官のことだ。もうこの機体のことは調べたのだろう?」
内戦の中、軍需産業を合法的に我が物とし、そして軍の中枢を握った男の嗅覚はなかなかに鋭い。ナバロの指摘にルシエンテスは降参とばかり苦笑を浮かべつつ、ナバロの机の上に置かれている専用端末のキーを叩いていく。多国籍企業連合体「ゼネラル・リソース」のオフィシャルページを開いたルシエンテスは、紙の切れ端に走り書きした文字列を素早く入力していった。画面が切り替わり、「Now Loading」の文字が何度か点滅すると、その画面上に戦闘機のCG画が表示されていった。「異形」と評するに相応しい、独特の形状を持ったシルエット。大きな前進翼。それはまさに、"南十字星"とレサスの兵士たちから呼ばれているあの機体の形状と酷似していた。
「オーブリーにはこいつの……XR-45の試作型が持ち込まれていたようです。本来、この機体は棺桶……コフィン・システム搭載を前提にしていますが、試作型には搭載されず、別の試作機のコクピットを改修して載せていると思われます。空戦性能はずば抜けていますが、反面搭乗員にかかる負荷も相当なもの、という内部では失敗作の烙印を押された機体なんですがね、まさかこうして出てくるとは予想外でした」
「サンサルバドルの騎士たちでも持て余すか?」
「ご冗談を。たかが1機の試作機なぞ……それに、例の部隊には前からお話している協力者がいます。もし祖国に有用な人材であるならば、彼を使ってこちら側に抱き込むことも良いかと……」
「レサスの勝利を阻み続ける小童を抱きこめと。……まあいい、今のところは必要ないが、その辺りは貴官に一任する。どちらにしても、製品の宣伝には事欠かないわけだからな」
ルシエンテスの話も確かに悪くは無い。その機体の性能が優れているというならレサスの兵力として組み込むことも出来るし、そんな乗りにくい機体を乗りこなす腕前を持つパイロットがいるというなら、スカウトしてやればいい。何しろ金はふんだんにある。目の前に札束を積まれてうなずかない奴などいない――もしいたとすれば、漏れなく闇に葬るだけのこと。そうやって、ナバロはのし上がってきたのだ。自分の駒として役立ちそうな人間は漏れなく取り込み、敵対しそうな、或いは脅威となりそうな人間は未然に始末しておく――そうしておけば、自分のまわりは気が付けばクリーンとなり、力を手にすることが出来る。のし上がるために踏みにじってきた無数の屍が今更一つ加わったところで、何を悲しむ必要がある?何を怖がる必要がある?全てはそう、自分の思惑の通り動いているのだから。まして、レサスにはグレイプニルがある。オーレリアの残党風情が太刀打ち出来るほど、あの空中要塞は甘くないのだ。万が一、グレイプニルが倒されるようなことがあったとしても、それはそれで手の打ちようはいくらでもあるのだ。
「では、当面は泳がせておくということでよろしいですね?」
「ああ。完全勝利を宣言できなかったことは画竜点睛を欠いたが、この際止むを得まい。得るべきものは既に得ている。そうではないか?」
「確かに」
何も知らぬ者が見れば背筋が凍りつくような笑みをナバロは浮かべた。そのような場を無数に経験してきたルシエンテスですら、この迫力には慣れることがない。話は終わりだ、とナバロは無言で首を振る。これで二人の謀議は終わりだった。とりあえず生きることを認められた者。その代償として奪われる友軍の命ですら、彼らにとっては駒でしかないし、紙の上の数字のいくつかの桁でしかない。そう、オーレリアの人々の命ですら、ナバロにとっては己の目的を遂げるための道具でしかないのだった。そうとも知らず擦り寄ってくる犬どもの姿を思い描き、ナバロは再び苦笑を顔に刻んだ。さて、今晩はどんな話をしてやろうか――さすがに毎日同じ話をしていてはこちらも飽きてくる。一つオーレリアの見苦しい残党どもの話でもしてやるか、とナバロは筋書きを考えながらグリスウォールの街並みを見下ろした。薄い雲の下に広がる街の民たちはまだ知らない。自分たちがとりあえず「生かされている」という事実に――。
一応空調は効いているとはいえ、やはり相応に艦内は蒸し暑かった。まして格納庫の中ともなれば……。ステルス機、それも最新鋭クラスのものともなると、搭乗員が触れる範囲はごく限られてくる。それでも、自分の生存確率を少しでも高められるなら、と待機時間をコクピットで過ごす者も少なくない。何しろもともとが狭い航空母艦の上だ。後は甲板の上をぐるぐる回ってランニングをするか、トレーニングルームで汗を流すか、艦内に設置された数少ないシミュレータールームで訓練するか――。コンピュータ相手の訓練ではどうしてもパターンが限られる以上、部隊の仲間との訓練が一番良いのだが、ミッドガルツは「勝ち目がないから嫌」と言って逃げてしまうし、そうなると上官に頼むことになる。グランディス隊長なら喜んで引き受けてくれる代わり、みっちり数時間に渡って飛び方と戦い方をしごかれるのでそうそう毎日出来るものでもない。その隊長も、先日の作戦以来上官らしい仕事が増えてきたようで、余り私の相手もしていられないようだった。かといって出番が無いと艦内でとぐろを巻いている傭兵出身者たちは酒酔いと船酔いで余り相手にもならず、結局足が格納庫へと向かうことになる。
「なんだなんだ、折角天気のいい南洋にいるんだ。甲板に出てお天道様にしっかりと当たってこないともやしになっちゃうぞ、フィーナ」
まるで本人が太陽であるかのような陽気な声が投げかけられる。カイト隊の整備班の取りまとめは"整備士の生き字引"ホーランド班長であるが、今回はより実戦を前提とした整備体勢を組むため、他部隊に配属されているベテランたちが乗り込んできていた。私の機体の上部に上がって点検を行っているニック・B・オズワルド特務准尉もそんなベテラン組の一人であり、何よりレイヴン艦隊創生時のメンバーであるハヤト・アネカワ教官の整備士を務めていたこともある有名人だった。だが、完全にこの御仁は浮いていた。もういい歳であるにもかかわらず、彼の耳には必ずイヤホンかヘッドホン。現に今も整備工具でリズムを取りながら点検を進めているくらいだ。どちらかと言えば堅物揃いのシルメリィの整備士たちの中では異色とも言うべきオズワルド准尉ではあるが、ホーランド班長との仲は意外によい。さらには面倒見の良い性格も手伝って、真っ先に若手整備士が彼に懐いていた。大げさな身振りで若者たちを指導している彼の姿を、ホーランド班長がこれまた嬉しそうに見守っていると、もう他の者は何も言えなくなってしまうのである。
「オズワルド准尉こそ、お疲れ様です。おかげでこの子、本当に良く飛んでくれました」
「そう言ってもらえると整備士冥利に尽きるね。サービス精神を旺盛に発揮して尾翼に大きくエンブレムを描いてやりたいところだが……何で何も描かないんだい?」
実際、グランディス隊長の機体には、不死鳥をモチーフにしたエンブレムが大きく描かれているし、他のカイト隊の面々もそれぞれのエンブレムを機体の何処かに描いてはいる。でも私の機体の翼はまだ空欄だった。ヴァレー時代、ジェーンおば様たちはしきりに父親のエンブレムであるガルムを進めてくれたけれど、私にその絵を引き継ぐだけの力も経験も無い。ガルムはウスティオの守護神の付けるもの――私はそう信じていた。だから、本当に気に入ったデザインに出会うまで、私の機体のエンブレムは空欄、そう決めている。
「――そうそう、エンブレムと言えば、面白い話を仕入れてきたぞ。レサスの兵士たちを恐れさせているオーレリア残党のアンノウンだがな、敵さんたちから「南十字星」と呼ばれているらしい。尾翼に描かれた南十字星のシンボルが、敵さんたちの脅威となるなんざ皮肉だがな」
「南十字星、ですか?」
私たちがレサスの切り札グレイプニルに対する補給船団を殲滅して程なく、オーレリアの残存部隊がプナ平原に築かれていたレサス軍の補給基地を急襲して占領することに成功したという件は、隊長から伝えられていた。だがその中にいるらしい、未確認機を操るパイロットのあだ名までは聞いていない。何がどうした、というわけでもないのだが、私は何となくその"アンノウン"が気にかかっていた。かつて、父親がそうであったように、ベルカ事変においては、ラーズグリーズの四騎――中でも1番機を務めていた伝説のパイロット"ブレイズ"がそうであったように、戦局を覆してしまうエースがここにも現れるような気がしてならないのだ。もしその残党軍がこれからの戦いを生き延びていくならば、必ず私たちと共に飛ぶこともあるに違いない。私はコクピットの中へと滑り込み、そしてラフチェックを進めていった。ひととおりの確認事項をチェックし終えてから、私はシートに背中を預けて目をつぶった。そして、この間の戦闘の光景を思い出し、頭の中でリプレイしていく。一度背後を取られたときの機動はあれで良かったのか、他に機動の術はなかったのか――戦闘を終えた後のある意味恒例行事の時間とも言える。頭の中で仮定の機動による状況を思い浮かべながら操縦桿やスロットルレバーを握っていると、実際にその状況に置かれているような気分になってくる。後背から追撃してくる敵と自分の相対位置を確認し、私は他の回避機動を取った場合の状況を想像した。バレルロールで巻き込んだとしたらどうなったか、或いはローGヨーヨーでやり過ごした場合は――もし乗っている機体がステルスではないものだった場合、そもそも今回の戦法は使えない。その場合は?敢えて姿を晒して本隊から敵を引き離しつつ、敵中に飛び込んで、その後は?敵の包囲下に置かれた圧倒的な戦況を覆すためには、少しでも敵の数を早く減らすしかない。考えられる戦闘機動を駆使すればよいというものではないのだが――。
相手が多数・優勢の戦いで最も怖いのは、心が折れることだ。絶望的な戦況の中で、生き残ることを常に忘れずに考え続けるのは難しい。オーレリアの南十字星だって人間である以上、その恐怖を胸に抱いて飛び立ったはずだ。それも、まともに友軍の残っていない戦況において、頼れるのは自分ただ一人。攻め手が対地攻撃主体の部隊であったとしても、常に敵にその姿を晒しながら空に上がり、そして敵機を撃退するなんて唯事ではないのだから。無論オーレリアにもエースと呼ばれていたパイロットがいないわけではない。データベースを検索してみると、航空戦力にはそれなりの資金を投下していただけあって、パイロットの育成には随分と熱心であることが分かった。先に全滅したオーブリー基地の航空部隊に配属されていたアイルトン・ホラント中尉。オーシアとの交流戦でも上位に食い込む実力を持っていた一人。残念ながら戦死。それ以外にも、オーレリア最大の航空基地サチャナに配属されていた部隊にもエース級のパイロットが存在していた。だがその中でも異色なのは、ブルース・マクレーン中尉だ。多国籍企業連合「ゼネラル・リソース」の新型機開発計画プロジェクトにオーレリアから参加したこともあり、かつてはオーレリアの守護神とも呼ばれたエースパイロット。彼の尾翼には「戦斧」のエンブレムが描かれ、レサス軍閥との国境紛争では敵航空部隊を壊滅させる活躍をしたこともあるらしい。だがプロジェクト終了後、彼は中枢に戻ることなく辺境のオーブリー基地へと赴任し、以後そのままだ。オーブリーの航空部隊が全滅したというのなら、彼もまたそらに散ってしまったのかもしれない。私はてっきり、南十字星とはそのマクレーン中尉なる人物のことかと考えていたのだが、どうやら違うらしい。では一体誰があの機体に乗っているのだろう?まだその名も知られていないようなエースがオーレリアにはいたのだろうか。「円卓の鬼神」と呼ばれた父親のように、苦境を耐え抜いてなおも強い心を失わずに飛ぶことが出来る、本物のエースが――。
不意に人の気配を感じて、私はうっすらと目を開けた。目の前には誰もいない。ゆっくりと首を左へと移していくと、そこにはデジタルカメラのレンズとヘッドホンを被った整備帽が、目の前にあった。
「ひゃっ!?」
「お、ベストショット!!」
シャッターを切ったオズワルド准尉が、嬉しそうに笑う。後ろにいるものだと思っていた彼は、いつの間にか梯子を立て掛けてコクピット脇に顔を出していたのだった。
「何しろここしばらくは怖い鬼がいたからなかなかいい写真が撮れなかったんだよ。これで整備兵の若い奴らと傭兵連中が大喜びだ」
「そ、そんな写真どうするんですか!?」
「焼き増ししてお小遣い稼ぎだ、夜の酒とかつまみとか。ま、そこんとこは協力してほしいところさ。なぁ、みんな?」
格納庫の中では、他の機体の整備兵たちも作業をしていた。だから、当然何かしらの歓声が戻ってくるものだと思っていたのだが、沈黙だけがなぜか戻ってきた。いや、それに加えてもう一つ。沈黙の中に響き渡るブーツの音だ。オズワルド准尉の顔の血の気が音が一歩一歩近づくに連れて、音を立てて引いていく。
「……へぇ、そんないい写真が撮れたのかい。一つあたいにも見せてもらおうか」
「いやぁ、そのこれは何と言うか……その。そう、そうだ、レクリエーション!!フィーナ……じゃなくてノヴォトニー少尉と隊員たちのコミュニケーションを円滑にする最高のレクリエーションで……」
「問答無用!」
がつん、と音がして、オズワルド准尉の姿が斜めに消えていった。悲鳴が側から遠ざかっていって、やがて格納庫の床の上に梯子が倒れる金属音が響き渡る。恐る恐る目を開いて下を見てみると、尻餅を付いてオズワルド准尉がのた打ち回っている最中だった。その前に腕組みして仁王立ちしているのは――言うまでも無くグランディス隊長その人だ。准尉の襟首をむんずと掴んだ隊長は、そのまま格納庫から最も近いデッキへと歩き始めた。
「ちょ、ちょっと、勘弁してくれぇぇ!」
「まったくこの船の男たちときたら、中年までこんなノリかい。おかげで忙しくなって嬉しいよ。海水をしこたま飲んで、年甲斐の無い頭をちょっとばかしリフレッシュしてきな」
「お、おい、お前ら、なにボサッと見てるんだ!折角フィーナの写真を分けてやろうと思っていたのに、裏切り者どもぉぉぉぉぉ……」
格納庫の扉が乱暴に閉められて、悲鳴が途中で断絶する。他の整備兵たちが安堵のため息を吐き出す音が聞こえてくるような気がして私も苦笑を浮かべる。そして、ちょっとだけため息を吐き出した。どうやら私の季節は春どころか真冬の厳冬期を迎えているらしい。別に私は避けているんじゃなくて、まだその気になれないだけなんだけどな……。パイロットになってからというもの、私の春には壁がある。一つは、「円卓の鬼神」の存在。ここに来てからは、物理的に私の前にそびえる「壁」の存在。母が父と出会った時の様に、私だってそんな恋愛をしてみたいとは思う。でもとりあえず、今の環境では恋愛の方が真っ先に逃げていってしまいそうである。海面へのダイブを今頃は強いられているであろう哀れなオズワルド准尉の姿を思い浮かべつつ、私は今度こそは大きなため息を吐き出したのだった。
すっかりと耳タコになったディエゴ・ナバロの自慢話にうんざりして、ジュネットは彼を取り巻く民間企業の商社マンや何を勘違いしたかナバロの口先にまんまと乗せられている記者たちの輪から一人離れ、今日もテーブルを埋め尽くしている贅沢な料理に舌鼓を打っていた。持ち込んでいる愛用のカメラで料理写真を撮っていると、特集記事を言ってハマーの奴に悪戯をしてやりたくもなる。今日もナバロ将軍閣下はレサス軍によるオーレリア征服の正当性を声高に説明し、進撃中のレサス軍の映像集をふんだんに披露してくれている。彼の丁稚と言って良い宣伝担当、アレクシオス・ナルバエスによる「歪曲された」映像集は確かにクオリティが高いし、これほど視覚的効果を活用した戦争というものをジュネットは見たことも無かった。これだけを見ていたら、誰でも勘違いするに違いない。レサス軍は全ての戦線において攻勢にあり、オーレリアの陥落など時間の問題である……と。だが真実は異なる。今日のトピックがあったとすれば、ディエゴ・ナバロ自身が未だ抵抗を続ける「オーレリアの小癪な残党軍」の存在を明らかにし、プナ平原に設営中の補給基地を彼ら残党軍が「卑怯にも」奇襲して占領したことを認めたことだろうか。ちょっと驚きだったのは、彼らがプナ基地を襲撃した残党軍の写真を公表したことだ。逃走中の兵士が撮影したものらしいが、頭上を高速で通過する戦闘機の姿が何枚か、会場の大モニターに映し出されると、記者たちからは感嘆の声が、そしてナバロに擦り寄っている商社マンと一部の記者連中からはどよめきと失笑が漏れた。なるほど、連中にしてみれば無駄な抵抗を繰り広げる同胞は自分たちの国を占領したレサスよりも目障りらしい。商魂逞しいのは結構だが、足元を救われるなよ――そんなことを毒づきながら、なかなか美味のエスニックな料理に舌鼓。アンコウのキモをこんな風に食べるのは初めてだが、なかなか酒とよく合っている。おかげで今日も飲み過ぎそうだ、とジュネットは苦笑した。
辺りを見回すと、ジュネット同様にナバロの輪から外れている記者連中の姿が目に入る。いずれも特派員経験の長いベテランたちだ。その中に、OBCの馴染みのカメラマンを見かけて声をかけると、相手はジュネット同様、もう耳タコだ、とでも言いたげに苦笑を浮かべながら首を振った。
「いい絵は撮れそうかい?」
「よせやい、そろそろ録画で毎日流してやろうかという気分だよ。これじゃあボスに怒鳴られちまうなぁ。かといって前線への取材許可は出そうに無いし、結局ナバロの片棒担ぎをやらされているようなもんだよ。トンプソンの旦那から、何かネタが欲しいときはアンタに聞け、とは言われているけど、今のところはそっちもなしのつぶてみたいだな」
「向こうの宣伝担当、ナバロの丁稚ではあるけれどマスコミ操作だけは一流どころだ。結果的に向こうの思う通りのことしか報じられないように道筋を立てている辺りはね……。正直、あんまり気が乗らなかったんだけど、頑張ってる連中もいるみたいだし、こっちも少し踏ん張ろう、と契機付けをしているところさ」
「なるほどなぁ、オーレリアの残党軍、連中の言ってるのとは裏腹に手強そう……というのがベテラン記者の見方か。さすが、ラーズグリーズの目撃者」
「誉めたって何も出ないぞ。それにほら、どこで聞き耳立ててる連中がいるのか分からないんだから」
そう、一応ジュネットたちの通信環境はオープンになってはいる。だがそこに検閲の目が光っていない保障はどこにも無い。それを回避する術はいくらでもあるが、それはそれとしてナバロたちの目に止まる危険がある。昔ながらの「消失」だけはご免だ――場合によってはこの地方にも根を下ろしているであろう、「裏」のルートにも接触する必要はあるな……そんな漠然とした道筋をジュネットは立てながら、今日も何ら得る事の無かったパーティ会場を眺めてため息を付いた。全く、料理とワイン、酒の類以外は本当に虚しいひと時を過ごしているものだ、と。グラスに満たした赤ワインをぐいと干したジュネットは、赤ワイン特有の渋みに思わず顔をしかめた。それはまるで、思うように真相に辿り着けない自分の焦りの味のように感じて、彼は口直しとばかりポタージュのカップに口を付けた。
――全く、ろくなもんじゃない。
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