太平洋上空迎撃戦
オーレリア残党軍は、こちらが考えている以上の戦果を挙げつつある。プナ平原のレサス軍基地を制圧した「南十字星」たちの部隊は、レサス軍に追われて散り散りになっていた地上部隊と合流を果たし、戦略拠点パターソンの港町の奪還に成功したのである。最初は噂だけの存在であったオーレリアの残党部隊の存在が明らかになってきたことで、各地の残党部隊の抵抗も活発になってきている。レサス軍の電撃侵攻作戦は確かに成功であったが、グレイプニルに頼るところが大きく、各都市・各拠点の周辺に散らばっているオーレリアの細かい残党軍の制圧には至っていないことが分かってきた。オーレリアを制圧したはずのレサス軍部隊が、オーレリア残党軍の待ち伏せや挟撃にあって被害を被るという事態が起こりつつあったのである。もっとも、グレイプニルのSWBM射程内やレサス軍の主力部隊が展開する地域においては、その限りではなかったが。そんな中、私たちの艦隊はオーレリア残党軍に合流すべく、パターソンを目指している。臨時で開催されたレイヴン艦隊構成国首脳会談において、加盟国の一つであるオーレリア救援の決議が満場一致で可決されたことによって、ようやく私たちの動きを封じていた枷が外されたのだ。ただ、現状では「極秘裏」が原則だから、レイヴンのエンブレム――ラーズグリーズを敵に晒して戦うことは出来ない。当面はIFFを偽装するなりして、飛ぶことになるはずだ。それでも、戦場を目の前にして何も出来ないもどかしさから解放されて、「シルメリィ」の艦内は俄かに騒がしくなっている。連日ドンチャン騒ぎを続けていた傭兵たちでさえ、目の色を変えたように真剣になっている。ただ、彼らは酔った勢いでノリエガ少尉やオペレーターたちに「卑猥な言葉を投げかけた」容疑でグランディス隊長による洗礼を浴びせられているので、それで大人しくしているだけかもしれないが……。

今日も南国の空は晴れ渡っている。青く、どこまでも抜けるような大空と、清涼な海の風。格納庫の中にいるよりは、やっぱり表の方が良い。日差しの強さは気になるけれど、別におしゃれをするような場所ではないので、今日も私はTシャツの上にツナギを着て、上半身の部分は腰に巻きつけて機体を磨いている。太陽の光に照らされた愛機が、まぶしい光を反射している。これまでとは異なり、万一に備えて甲板上には何機かの戦闘機が並べられ、甲板要員や整備兵たちが忙しそうに走り回っている。「カイト」隊もその中にあって、全員総出で機体の点検をしているような状態だった。機体の周りを一周して異常が無いことを確認していると、背中を指でつつかれた。ノリエガ少尉が笑いながら、日焼け止めの小瓶を私の手の上に置く。
「若いのはうらやましいけど、一応塗っておきなさい。折角綺麗な肌しているんだから、私みたいにすることないわよ」
「あ、すみません。でも大丈夫だと思って……」
「5年後に後悔するから、やっときなさい。ま、子供出来たらそんな余裕どこにもないけどねぇ」
楽しげに笑うノリエガ少尉には、祖国に2人の子供がいる。そのせいか、どこか私の母親に似た雰囲気が漂っている。何でも旦那さんは訓練中の負傷で退役して、今は作家になっているというから面白い。レイヴン艦隊の任務はどうしても長い期間の不在を強いられる中、ノリエガ少尉はまめに休暇を取得して家族の元でひと時を過ごしてくる。きっとその時間が最高の息抜きになるのだろう。
「あれ、隊長も?」
ふと傍らに目をやると、こちらは筋肉質の腕を晒したグランディス隊長が同じように何かを塗りつけている。その姿をファレーエフ中尉が苦笑を浮かべながら眺めていた。
「あー……そうねぇ、フィーナも隊長のようになりたいんだったら止めないけど……あれ、サンオイル」
「へ?」
「ま、大人しく、女の子らしく、日焼けにも気を付けておきなさい。……将来の旦那さんのために」
「……はい」
こうなっては断る理由もない。私は小瓶を受け取ると、少し袖をまくって日焼け止めを薄くすり込んでいった。前を通る整備兵たちがちらりちらりとこちらに視線を飛ばしつつ、そんな彼らを腕組みをして監視しているグランディス隊長の姿に気が付いては小走りに前を去っていく。こちらを向いた隊長の顔に苦笑が浮かんでいたが、恐らく私も同じような表情を浮かべているに違いない。
「ま、ノリエガ少尉の言うとおりだな。日焼けのし過ぎはガンの元にもなる。炎天下の作業は我々に任せて、フィーナ嬢ちゃんたちは早く艦内に戻るこった。……風邪引いて寝込んでいるどこかのバカの分もしっかりやっとくからさ」
私の機体の下に潜って点検を進めている白髪頭は、ホーランド整備班長のものだ。本来ならここには音楽狂いのオズワルド准尉の姿があるはずだが、先日海に投げ込まれた後風邪をこじらせた准尉は、未だにベットに縛り付けられて唸り続けている。さすがのグランディス隊長も気になったのだろうが、ドリンク剤の箱をダース単位で運んでいったのには呆れてしまった。もっともそのおかげで、本来なら私の機体の整備などでは顔を出さないはずの整備班長が機体の点検をしている。これほど光栄なことはないし、却って恐れ多い気分になってしまうのだが、当のホーランド班長は嫌な顔一つせず、丁寧に私の機体を点検してくれていた。
「……とはいえ、さすがはアルウォールの旦那の推薦を受けているだけはある。ワシが手を加えなくとも、きちんと仕上げてあるからな。これから戦闘も多くなるだろうから、アイツみたいなベテランは多いに越したことはないんだがね」
太平洋上空迎撃戦 「そうですね。オーレリア軍との共闘、いよいよ始まりますから……私も頑張らないと」
ホーランド班長は作業の手を止めると立ち上がり、はるか海の向こうへと視線を飛ばした。皺の刻まれた顔が、どこか少しだけ緩み、口元には微笑が浮かんでいる。
「ワシはなぁ、嬉しいんだよ。この道に入ってから数十年、ひたすら戦闘機を触り続けてきたのは、やっぱり若いときのことがあったからじゃ。四半世紀以上前の話さ。オーシアを飛び出して渡りの整備なんざ気取って、ベルカに攻められたウスティオの整備隊に入ったとき、フィーナ、お前さんの親父殿を目の前に見ていたのさ。――圧倒的じゃったよ。こうして、彼の娘御と共に戦えるとは、ワシの人生もなかなか捨てたもんじゃ……」
俄かにホーランド班長の目が細められる。彼の視線の先には、イージス巡洋艦「グムラクU」の姿が見える。その甲板に設置されているCIWSが動き始め、ゆっくりと航行していたはずの速度も上がり、白波をたてている。そうした動きを見て取ったからこそ、班長たちの顔が引き締まったのだ。それから程なく、この艦に乗り込んでからはあまり耳にしたことの無いサイレン――警報が鳴り響いた。甲板要員たちが慌しく駆け回り始め、甲板の上は途端に騒がしくなった。
「艦長より各員へ。緊急事態発生だ。搭乗員は直ちに出撃準備、用意の終わったものからすぐに飛んでもらう。敵戦闘機群が我々の艦隊めがけて接近中、ブリーフィングをやっている暇は無い。第一級戦闘配置を発する!」
グランディス隊長がいの一番に走り出す。ぽいと投げ捨てられたサンオイルの整備兵の一人がしっかりとキャッチ。私も遅れるわけにはいかない。ノリエガ少尉から受け取った小瓶をポケットに押し込んで、髪を束ねる。
「――年寄りの昔話はまた今度じゃな、フィーナ。機体は任せろ、ばっちりと仕上げといてやる」
ぽんと胸を叩いてホーランド班長が笑う。お任せします、と伝えて、私は南国の太陽に炙られた甲板の上を勢い良く走り出した。予想よりも早くやってきたレサス軍の攻撃。私たちの戦いはまだ始まったばかり。こんなところで負けるわけにはいかない。きっとこの艦隊の誰もがそう思っているに違いない。だから、私だって頑張らなきゃ。自分にそう言い聞かせながら、私は自分の足をフル回転させて走り続ける。こうしている間にも、レサス軍部隊はどんどん近付いているのだから――!

艦長の言葉とおりブリーフィングを開いている時間も無く、私たちはコクピットに潜り込んで出撃する羽目となった。慌しい交信が飛び交い、護衛艦が敵機迎撃のための陣形を整えていく。わざわざこちらから相手の対艦ミサイルの射程内に入ってやる義理は勿論ないのだが、護衛艦の中に2隻配備されているイージス艦で対処出来ると判断したのか、それともそれらの艦船による支援攻撃を重視したのか、アルウォール司令の判断は敵の方向への直進だった。母艦たちの頭上を通過した私たちは、レーダーに目を配りつつ、今のところ捕捉されている敵部隊の方向へと急行する。シルメリィからは次々と戦闘機が飛び立っているが、まだ作戦機の全てのIFFが偽装されているわけではなく、余程の事態にならない限りは全機出撃とはならない。私たちカイト隊とペリカン隊が先行して出撃したのは、そんな背景もあったのだ。
「ペリカン・リーダーよりカイト隊。一つ派手にいこうぜ」
「こちらカイト・リーダー、そうさね。そっちの姿は丸見えだから、連中のミサイルの花火をまとめて引き受けてもらえるしね」
「なんだいそりゃ……ま、いいか!久しぶりの運動の時間だ。船の中で溜まった鬱憤、しっかりと晴らさせてもらうぜ。野郎ども、ドジって南国ボケの奴らに落とされるんじゃねぇぞ!!」
「了解!!」
充分宴会で盛り上がっていたじゃないか、と言いかけて言葉を飲み込む。緊急事態であるというのに、彼らの調子はいつも通り。これが歴戦のベテランの余裕というものなのだろう。気負い過ぎず、力を入れ過ぎず、普段のまま――ペリカン隊を構成する傭兵たちは、それを自然にこなしているのだから。私はと言えば、まだまだ緊張が抜けない。いい加減新兵という段階ではなくなってきているけれども、実戦経験が豊富というわけではない。彼ら傭兵と接してみて、彼らから学ぶことの多さを改めて思い知らされる。F/A-18Eとラファールという正規軍では少々考えにくい編成で、彼らは私たちに先行して敵部隊へと向かっていく。その姿は、敵部隊にも捕捉されているはずだが、そんなことはおかまいなし、と彼らは青空を疾走していく。海上を進んでいる以上、シルメリィ艦隊の姿が捉えられるのは時間の問題でもあった。軍事衛星にキャッチされたか、海底に潜んでいた潜水艦に音を拾われたか――いずれにせよ、ここを切り抜けなければ明日は無い。
「カイト・リーダーより、カイト3。フィーナ、アンタはファレーエフとペア組んで護衛機の始末。ノリエガとミッドガルツはあたいと一緒に攻撃機狩りだ。とにかく数が多い。気合入れていくよ!!」
了解、と返答しつつ、私は操縦桿を軽く引いて機首を上へ向けて上昇を開始する。編隊から離れたファレーエフ中尉のF-22Sの右後ろについて、迎撃ポジションを取る。素早くコクピット内に視線を飛ばして異常の無いことを確認し、全兵装のセーフティを解除。シルメリィ・コントロールとのデータリンクを確認してHUDを睨み付ける。敵の編成は対艦攻撃部隊とその護衛戦闘機群、いずれも多数。幸いなのは、私たちの所属がまだはっきりと彼らには把握されていないことだ。前方から覆い被さるように接近する敵編隊に、ペリカン隊の光点とカイト隊の光点が向かっていく。敵護衛戦闘機隊と思しき光点が加速して前進する。対艦攻撃機部隊は高度をやや下げつつ針路変更なし。下を見れば、グランディス隊長のADF-01Sのくちばしが既に開かれている。射程内に入るや否や、戦術レーザーをぶっ放すつもりらしい。この間ファレーエフ中尉とノリエガ少尉が巻き込まれそうになったときのことを思い浮かべて、私はひとり苦笑を浮かべた。隊長にしてみれば、それくらいかわしてもらわないと私の部下とは言えないよ、ということなのだろうが、当たれば簡単に翼や胴体を切り払われるレーザーを至近距離に見て冷静でいろという方が無茶な注文かもしれない。私たちと敵部隊の彼我距離はいよいよ縮まり、先行するペリカン隊に対して敵部隊が一斉にミサイル発射。ほぼ同時にペリカン隊は編隊を解いて散開、それぞれの獲物めがけて襲い掛かる。無謀に見える突撃は、実は敵部隊への牽制だ。本命は私たち――。
「さあ、我々も行くぞ!」
「はい!!」
時間の無い中、整備班が搭載してくれた中射程ミサイルを選択して、レーダーロック。個別に画面を動くミサイルシーカーがそれぞれの獲物の姿を捕捉し、次々とロックオン。甲高い電子音が鳴り響くのを確認して、トリガーを引いて槍を放つ。白い煙を引いてミサイルの姿があっという間に見えなくなり、そしてレーダー上にミサイルの光点が出現して敵機に向かっていく。今頃敵機のコクピットにはミサイル警報が鳴り響いているに違いない。レーダー上、慌てて回避機動に移る敵の姿が映し出されている。そのうちの何個かが消滅し、私たちの前方に真っ赤な火の玉が膨れ上がった。そして敵機の黒い点がいくつも空に出現する。さあ、ここから!編隊を解いて散開した私とファレーエフ中尉は、敵部隊の真っ只中へと飛び込んだ。至近距離、互いの機体を轟音と衝撃で激しく揺さぶりながらすれ違う。スロットルレバーを押し込んだまま、操縦桿を手繰って旋回。身体に圧し掛かるGを歯を食いしばって耐えて反転。空が一瞬明るく光り、一筋の光芒が空をなぎ払う。低空にいくつも炎の華が咲き、続いて火の玉が数個膨れ上がる。先手必勝、予想外の損害を被った敵部隊に動揺が走る。こちらの方が数としては劣る以上、この機会を無駄にするわけにはいかない。少々強引に旋回を終えた私は、ペリカン隊の後背を狙って目の前に飛び込んできた敵機――F-15Cの背後に喰らいついた。
「気を付けろ、オーレリアの奴らにステルスが混ざってるぞ!!」
「クソッたれ、連中にそんな戦力が何で残っているんだ!?」
低空へとダイブしてこちらを引き離そうとする敵機から距離をキープしつつ、こちらも低空へと駆け下りる。高度計の数値を声で読み上げながら、あっという間に減少していく数字を睨み付ける。耐え切れずに上昇に転じた敵機より少し早めに操縦桿を引いて水平に戻し、機体を安定させる。かなりの低空まで降下した敵機が上昇に転じて速度を落とした一瞬の隙を付いて私は襲い掛かった。動きの鈍くなった敵機の姿が照準レティクルの中に飛び込んだ瞬間、私はトリガーを引き機関砲のシャワーを浴びせた。胴体部の右側に集中して命中した機関砲弾は敵機の右エンジンを粉砕し、引き裂いた。炎に包まれながら上昇していく敵機は戦闘力を完全に失っている。バリバリバリ、という鋭い音が至近距離を通過する。友軍機の仇とばかりに私の後背を取ろうとしている敵機からのものだ。何回転か機体をローリングさせて攻撃を開始しつつ、機首を跳ね上げてインメルマルターン。丁度視界に入ってきた敵機を狙うが、これはかわされる。すかさず操縦桿を倒して急旋回。視界が目まぐるしく変化し、再び旋回しながら離脱しようとする敵機の姿を捉える。グランディス隊長たちも戦域に突入し、レサス軍部隊は再三に渡って突破を試みるものの、針路を巧みに妨害されて前進出来ず、逆にその隙を突かれて攻撃を浴びるという悪循環に陥りつつあった。何しろ、対艦攻撃部隊は腹の下に重い対艦ミサイルの類をぶら下げたままなのだ。初めから空中戦ありきで臨んできた私たちを相手にするには荷が勝ち過ぎていた。それでもこれだけの護衛戦闘機部隊を動員してくる辺り、レサスも馬鹿ではない。大推力を最大限に発揮して逃げようとするF-15C。だがこちらもエンジンを含めて最新鋭の機体だ。引き離されることは決して無い。振り切れないことに焦れた様に90°ロール、右方向へと急旋回を敵機が図る。だがその動きはかなりの加速が付いた状態では鈍重に見えた。ミサイルシーカーがその姿を完全に捕捉した刹那、ミサイル発射。爆発に巻き込まれることを回避するために、反対方向へとダイブ。私の後方で、ミサイルの直撃を被った敵機が火の玉へと姿を変えていく。
「カイト3、真上だ!」
ファレーエフ中尉の鋭い声に、私の身体が反応した。上を確認する愚を犯さず、フットペダルを蹴っ飛ばし、操縦桿を手繰って勢い良く機体を移動させる。一瞬前まで私のいた空間を機関砲弾の雨が撃ち抜き、次いで敵機が上から下へと轟然と通り過ぎていった。間一髪。一つ間違えれば、私は機関砲弾のシャワーの中で血煙となって消えていたかもしれない。中尉に感謝しつつ、先程の敵機の姿を追う。機体をくるりと回してパワーダイブ。低空へと向かっていった敵機を追撃する。進撃の足を止められた敵部隊は、悶絶するように1機、また1機と姿を消していく。ペリカン隊の面々も奮戦している。私たちの突入のタイミングを図って反撃へと転じた彼らは、数で勝る敵部隊を翻弄し、ある時は囮役と攻撃役に、ある時はスタンドプレーと臨機応変に戦い方を変えてレサス軍部隊に付け入る隙を決して与えなかった。直撃を食らって翼がへし折れたA-6Eが海面へと突入し、水飛沫を立てながら何度かバウンドし、火の玉と化す。レサス軍はその圧倒的な航空戦力でシルメリィ艦隊を葬り去るつもりだったのだろう。だが今や、全面攻勢に出ているのは彼らではなく私たちの方だった。――いける、大丈夫!そのためにも、今は目の前の敵を倒すことに集中しろ――先程の攻撃で恐怖を感じた心を蹴飛ばして、逃げそうになる心に言い聞かせる。こんなことでいちいち折れていたら、この先の戦いを生き延びられるはずも無い。そう、きっと「南十字星」だって、死の恐怖と戦いながら飛んでいるはず。私よりもさらに厳しい状況の中で戦い続けているエースがいるのに、私がこんなところで負けるものか――!!HUDの向こうに見える敵の後姿を睨み付け、私はスロットルレバーを押し込んでいった。
「くそ、何なんだ、全然振り切れないぞ!?」
「逃げろ!!真後ろに張り付かれている!」
「だから振り切れないんだ!!」
上昇、急降下、急旋回――敵戦闘機も必死の回避機動を試みているが、こっちも必死になってその後を追い続ける。時折レーダーに視線を飛ばしながら、ミイラ取りがミイラにならないよう、後方にも気を配る。幸い、どの敵機も手一杯でこちらに加勢する敵はいない。激しい機動の連続で機体が軋み、身体には激しいGが圧し掛かる。上下左右あらゆる方向に吹き飛ばされそうになる身体は、かろうじてハーネスでシートに縛り付けられているようなものだ。状況は相手も同じ。ループ上昇に転じる敵機を追って、こちらもループ上昇。スロットルレバーを少し押し込んで、加速しつつその後背へと喰らいつく。青い空が目の前に広がっていたかと思うと、今度は太陽光を反射して煌く海面が視界を覆う。ぐいと操縦桿を引いて敵よりも早く引き起こし。翼に引き裂かれる大気と水蒸気が、私の愛機をまるで煙のように白く包み込む。激しい機動の連続に身体が悲鳴をあげているが、止めるわけにはいかない。敵機はそのままループを継続して低空へと降りていく。勿論見逃したわけではない。下降時の加速が付いている敵機はすぐに姿勢を変えられるわけではない。もちろん、急激な機動をすれば可能だろうが、機体がもっても身体がもたない。そこに付け入る好機を見出した私は、敵機の飛行ルート側面へと迂回して回り込んだ。こちらの姿が真後ろに見えないことに安堵したのか、敵は空に描いたループ線上を辿りながら飛行を続けている。右側面を一旦下降し、スナップアップ。チャンスは一瞬。敵機の予想通過点、その鼻先めがけて私はトリガーを引いた。曳光弾の筋が虚空に刻まれて、当たれば簡単に鋼鉄にすら穴を穿つ機関砲弾が高速で撃ち放たれていく。左斜め下から右上へとすれ違う敵機の胴体に命中した弾頭が、その機体に大穴を穿つ光景が一瞬私の視界に入った。危うく衝突しかけるほどの至近距離で私と敵機の軌跡が交錯する。レーダーに素早く視線を飛ばして、敵部隊の空白領域を探し出し、一時離脱を図る。
「ちっくしょ……何てやつらだ……」
横合いから放たれた攻撃を浴びて操縦不能となった敵機のキャノピーが吹き飛ばされ、パラシュートの白い花が空に咲く。撃墜!カイト隊の面々だけでなく、ペリカン隊の面々からも歓声が挙がる。それだけ、この戦場には余裕が出始めていた。シルメリィ艦隊攻撃の本命とも言うべき攻撃機部隊は、グランディス隊長たちの手によって壊滅し、残った護衛戦闘機が僅かに抵抗を続けているだけとなっている。その戦闘機たちも、包囲の隙間から離脱する機会を伺い始めていたのだ。レサス軍のレーダーでも、撃ち減らされて激減した作戦機の姿が見えていることだろう。今更言えた義理ではないが、これ以上の戦闘継続は無用だった。それは無駄に兵士の命を浪費させる戦いでしかない。私だって、必要の無い戦いはしたくないし、必要の無い流血で手を赤く染めたくない。戦場を飛ぶ以上、それは避けられないことではあったが――。
「コントロールより作戦機へ。敵艦隊攻撃作戦は中止!繰り返す、作戦行動は中止!!速やかに戦闘空域から離脱せよ!!」
「……って、指示が遅いぜ。どうする、グランディスの姉御?」
「見逃してやるさ。あたしゃ弱い者いじめは嫌いなんだ」
「ビームで散々なぎ払っていたじゃないか!!」
「ファレーエフより、ペリカン・リーダー、止めとけ。隊長機が充填を始めた……」
「乱戦で名誉の戦死ってのもあるからねぇ」
ペリカン・リーダー機が脱兎の如く急旋回し、グランディス隊長の豪快な笑いを誘う。それはカイト隊に、そしてペリカン隊に広がっていき、やがて交信が笑い声で飽和していった。包囲を解かれた敵戦闘機部隊は一目散に戦域から離脱し、遠ざかっていく。完全勝利――私も笑いの輪に加わりつつ、肩に食い込んだハーネスを少しだけ緩め、そしてほっとため息を吐き出した。きっとまた、肩にはアザが出来ているに違いない。もう今日は出撃は無いだろうから、シャワーを浴びてベットの中に早く転がりたいな……そんなことを思い浮かべながら、私はカイト隊の編隊の中に戻った。青い大空は何事も無かったかのように静けさを取り戻し、南国の太陽が私たちの機体に眩しい光を注いでいる。このコクピットから出れば、清涼感溢れる涼しい風を感じることも出来るに違いない。グランディス隊長のADF-01Sが翼を何度か振る。「さぁ、帰るよ」という、いつもの合図だ。念のため周囲の敵影がないことを確認した私たちは、戦闘の残滓を残す白い飛行機雲の只中、家路を急いだのだった。

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