海風の吹き抜ける街で
夏はいよいよ近付き、日中気温はどこまで上がるんだという勢いで上昇を続けている。コンクリートジャングルのグリスウォール市内は、照り返しで身体中が蒸されるような気分になるものだが、花のランブラス通りを港町へと歩いていくと、海からの風に身体が冷やされて心地良くなるから不思議だ。緩やかな坂を下っていく途中には、近代的なビルの群れに紛れて、古い建造物も数多く残されている。オーレリア入りしたばかりの頃に足を運んだ海洋博物館は、かつての帆船建造ドックをそのまま使用しているというもので、その規模には驚かされたものである。無論、今日こうして歩いているのは市内観光を楽しむためだけではない。レサスの、ディエゴ・ギャスパー・ナバロの懐へと収まった資金の流れを解明するためには、表の資料だけでは不可能。となれば、裏のルートからの調達も必要となる。長年の取材・調査生活の中で、その術をジュネットは充分に心得ていた。どこの街にも、どこの国にも、納得のいく報酬と引き換えにそういった情報を提供してくれる者たちが必ずいる。それはオーレリアであっても例外ではなく、むしろ占領下に置かれたことで、市民たちの地下情報が平時よりも活発に行き交うようになっていたのである。出来るなら同行したいものだ、とOBCのブレット・トンプソンが紹介してくれた人物も、そんな世界に棲息する人間の一人だった。この街ではなかなか入手できないウォッカの瓶をナバロのパーティ会場からくすねておいた甲斐があったというものだ。それを手土産にして、親友から教えられた住所を目指して足を動かす。

目的の場所は、南洋の美しい白浜のビーチが目前に広がる海岸の一角にあった。工作部隊の上陸に備えて、フル装備の兵士が巡回するようになってからというもの、水着姿でバカンスを楽しむ人々の姿は激減し、それに伴って土産物屋や海の家の大半もシャッターを閉ざすようになっていた。そんな状況下でも営業を続けている店の一つが、ジュネットの目指す場所だった。ビーチサンダルや浮き輪といったものから始まり、仕入れ値は恐ろしく安いであろう工芸品やら民族衣装のようなものがずらりと並べられた店内に人気は無い。店の名前からしてひどい。「海の逃亡者」だって?今時B級ホラーだってもう少しまともなキャッチフレーズを考えるぞ――そんなことを呟きながら、冷房の効いた店内をジュネットは歩いていく。
「――悪いな。あいにくとご覧の通り開店休業中だ。戦争が終わってから出直してくれや」
店の奥にあるレジの後ろで、顔にポルノ雑誌を乗せた男がそのままの姿勢で声を掛けてきたのは、数あるガラクタの中でもまともなボトルシップを持ち上げた時だった。
「残念だ。折角いいボトルシップを見つけたというのに。それに戦争が終わる頃には帰国してるよ」
「じゃあ戦争が終わったら、綺麗どこを連れてまた来るがいいさ。上に座る奴が変わったところで土産物屋の経営には関係ないからな」
「いや、済まないが土産はついでなんだ」
「何だよ、初めからそう言えよ。だがそっちの営業は子供が寝た後の時間の話だ。この時間はお目当ても夢の中って奴さ。おやすみ相棒、俺はシェスタの時間だ……」
一向に起き上がる気配の無い男の手だけがせわしなく動いている。やれやれ、本当に人の悪い奴だ。こっちの品定めをしているのは言うまでも無い。仕方ない、切り札を用いるしかないか。ジュネットはレジの前まで歩いていくと、土産のウォッカをテーブルに置いて、少し声を落としながら話し始めた。
「済まないが、私はアルベール・ジュネット。ブレット・トンプソンの代わりに貸しを一つ返して貰いに来た。裏の世界のプロであるアンタの力を貸して欲しい。――この戦争の真実を暴くために」
男の手がぴたりと止まり、そして面倒くさそうに雑誌を放り投げると、伸びをしながら男は起き上がった。白髪混じりの無精ひげにパンチパーマの頭髪。細身の身体の上で、大きな目が愉快そうに笑いをたたえていることをジュネットは悟った。10年以上も前の番組で姿を見せた頃に比べれば老けてはいるが、精悍さの名残が未だ眼光にある。
「フン、これまた有名人のお出ましか。それにトンプソンの使いとあっちゃ、断るわけにはいかないよな。いいぜ、本日只今から全面営業だ。で、何が欲しい。ナバロの馬鹿を吹き飛ばすRPG-7かスティンガーか?それとも腕利きの傭兵部隊でも率いてみるか?」
「それもいいが、もっと別物で効果のある奴が欲しい」
「特上のコカイン1ダースでどうだ?」
「オーレリア政府の対レサス人道支援10年分の履歴と、レサス軍――いや、レサス軍需産業と悪名高いゼネラルリソース関連企業間の会計帳簿や契約書の類10年分」
ヘヘッ、と口の端を吊り上げながら男が笑う。幸い、それに見合うだけの報酬をジュネットは払う準備がある。一時的な出費は、後々の利益の障害にはならないことを彼は身を以って知っている。沈黙が店の中に漂ったが、それも僅かな時間であった。降参だ、とでも言うように男は両手を挙げておどけてみせた。
「――報酬は後払いにしてもらうぜ。どうやらこれっきりというわけでもなさそうだし、正直むかついてたからな、ナバロの野郎には。折角人がバカンス気分でやってきたってのに、この平和な時間をぶち壊しやがった。おかげで目の保養になるナイスもいなくなっちまった。逆恨みしてやるには充分な理由だと思わねぇか?」
そう言いながら男は右手を差し出した。断る理由も無い。その手をがっちりとジュネットは握り返した。
「歓迎するぜ、ラーズグリーズの目撃者。俺たちは戦友ってわけだな?」
「こんなところでお目にかかれて私は幸運だ。よろしく頼む、エスケープキラー」
今の名前が何であるかをジュネットは知らない。ただ、本当の名前なら、良く知っている。四半世紀も昔、"ハゲタカ"の異名をとったエースがいた。目の前でにやけているその男こそ、かつてのベルカ空軍エスケープキラー、ドミニク・ズボフその人である。
やはり硬い大地は踏み心地がいい――。久しぶりの上陸を、艦隊の兵士たちは心から喜んでいるようだ。抜かりの無いアルウォール司令のこと、早速半舷休息を命じて隠密任務に耐え続けてきた兵士たちを解放している。パターソンの軍港には、シルメリィ艦隊に加えてオーレリアの残存艦艇たちも停泊し、南十字星たちの活躍によって沈められたレサス軍艦艇に取って代わっていた。万が一に備えてパターソン港の入り口に何隻かが警戒に付いてはいるが、少なくともこの段階でレサスが海上戦力を動員することはないだろう、とグランディスは確信していた。どうやらここに合流している以外にもオーレリアの残存艦艇はいるようで、レサス軍の電撃的侵攻がグレイプニルの威力を以ってオーレリア軍を分断することに最大の目的があったことが証明されたようなものだ。ま、それを実践してみせたナバロ率いるレサス軍の上層部は馬鹿ではないということだが。
「さて、と。私は少し港町を散策しようと思うが、ミッドガルツはどうする?」
カイト隊も半舷休息の対象となり、グランディス・フィーナ・ノリエガの3人が待機、ファレーエフ・ミッドガルツの2人が先行して休息の対象となっていた。行き先を問われたミッドガルツは無言で、しかしちょっと嬉しそうに港町に面した通りの土産物屋を指差した。どうやら、故郷の幼馴染みに送る物を物色するつもりらしい。そういうところ、無口だがミッドガルツは気が利いている。
「分かった分かった、私も付き合うよ。ま、たまにはそういうところもいいさ」
「南国に相応しい派手なアロハでも買ったらどうだい?良く似合うだろうよ」
「一緒に隊長のも買っておこうか?私以上に似合うと思うのだがね」
「はっ、勝手におし」
これから夏に向かう真っ盛りの街の気温は、北半球の気候に慣れた人間には耐えがたい高温である。何しろ、過ぎ去ったはずの夏がまたやって来ているのだ。艦隊の隊員たちの中には、気候の激変で風邪を引く者も続出している。鍛え方が足りないと言ってしまえばそれまでだが、グランディス並みの強靭さを持ち合わせている者はそう多くは無い。でも、このパターソンの港町は、その高温を感じさせない。海からの湿ったそよ風が暑さをやわらげて、むしろ心地良い涼しさを運んでくれるからだ。どこか故郷の街並みと空気に似ているねぇ……港町の光景を眺めながら、グランディスは故郷であるサピンの情景を思い浮かべた。彼女にレイヴン艦隊への参加を進めた恩人は、今日も帰らぬ人の思い出を胸に抱えながら、日々を送っているのだろうか?やれやれ、柄じゃないねぇ、と結論付けて首を振る。
「おや、あれはフィーナじゃないか?」
ファレーエフの指差す方向、そよ風に吹かれて金髪のポニーテールが揺れている。彼女の視線の先には、太陽光を眩しく反射して輝く白い機体があり、今やオーレリアの英雄予備軍となりつつある少年の小さな背中が見える。その後ろで彼の相棒である少年が無様なステップを踏んで踊っている。確か、スコットとか言ったか。全く、見てられるもんじゃない――グランディスは顔をしかめた。素直に声かけりゃいいのに、どうやら浮かれたスコットのせいで躊躇しているようだった。
「……隊長、支援が必要と判断します」
そう言うミッドガルツの声と表情はまったく相反するものだ。彼にしては珍しく、声を出さずに笑っている。婚約者持ちの余裕というべきか、他人の色恋沙汰を楽しむ気性が奴にもあったということか。確かに彼の指摘通り、放っておいたらフィーナはそのまま突っ立っているだけになるに違いない。全く、「円卓の鬼神」の娘にしちゃ、何たる優柔不順さだろう。それとも、伝説の「円卓の鬼神」も、本当はそんな雰囲気の男だったのだろうか?
「……仕方ないねぇ、じゃ、待機の暇つぶしの訓練相手にしてやるかね!」
苦笑しながら、グランディスは大股で相変わらずスキップを踏んでいる少年の背後へと迫っていった。哀れな「獲物」に少しばかり同情しつつ、ファレーエフとミッドガルツは始まろうとしている騒動の開幕を明らかに楽しんでいた。

背後から巻き付いたグランディス隊長の太い腕にあっという間に捕らえられた南十字星の相棒君は、「グゲッ」という蛙を踏み潰したような声を残して一瞬で落とされ、そのまま隊長の肩に担ぎ上げられていた。足音を消して小走りに去っていく隊長が、似合わないウィンクをよこして見せるから、余計に照れる。とはいえ、これでようやく邪魔者はいなくなったわけで、このまま突っ立っているわけにも行かず、私は行動を起こすことにした。後ろで浮かれている相棒君を完璧に無視してワックスがけを進める南十字星――ジャスティン・ロッソ・ガイオの背中が、私の前にある。なるべく自然に、と思ってゆっくりと歩いていくが、すれ違った整備兵たちが気を利かせたつもりで離れていくあたり、お世辞にも自然とは言えなかったのかもしれない。それでも、ようやく彼の後ろに近付くことに成功する。パターソンの街を吹き抜けるそよ風は心地良いもので、後ろでまとめた髪を風に任せながら、私はその小さな背中をしばらく見つめていた。確かに小柄ではあるけれども、多分贅肉一つ付いていない、俊敏そうな身体をしていることに気が付く。
「悪い、そこの脚立取って欲しいんだけど」
相変わらず作業の手を休めずにいる少年の声が、唐突に聞こえてきた。どうやら、先ほどまで飛び跳ねていた彼の相棒君と私は勘違いされているらしい。別に悪い気がするはずもなく、私は傍らに置かれていた脚立を持ち上げて、彼の傍に運んでいく。
「これでいいのかしら?」
飛び跳ねるように立ち上がった少年は、見事にXR-45Sのノーズ下に頭を打ち付けてうずくまった。近くにいた幾人かの整備兵たちが、笑いながら顔を背けるのが見えた。私自身も、失笑をこらえるために、顔の筋肉を無理矢理強張らせるのに苦労することになる。きっと打ち付けた頭が痛むのだろう。ぶつけたところを擦りながら立ち上がり、敬礼を施す。こちらも返礼をすると、少しだけ彼の顔が赤くなった。そのまま黙っているわけにもいかなくなったのか、彼が口を開く。
「失礼しました!同僚のスコットであるかと勘違いしておりました!ええと……」
「ノヴォトニー少尉です。フィーナ・ラル・ノヴォトニー。ジャスティン、で良かったよね?」
「はい、ジャスティン・ロッソ・ガイオです。階級は……いえ、正規兵でもないのでありません」
怒られると思っているのだろうか、ジャスティンの言葉も表情も非常に硬いものになっている。無論、私にはそんなつもりもないし、大体彼を叱り付ける理由も権限もあるはずがない。こういうとき、階級というものは邪魔になることはあっても役に立つことがほとんど無い。ヴァレーのような特殊な環境――階級などどこ吹く風という傭兵が数多くいるような場所ならともかく、オーレリアなどではそれを期待するべくもないのだから。その点では今のオーレリア残党軍も同様のはずではあるが。こちらが口を開かないといつまでも直立不動で立っていそうなジャスティンの姿は、正直ちょっと辛かった。
「……そんなに怖がられると、何だか辛いわ。ね、ここで見ててもいい?」
何度も大きく頷きながら、ジャスティンは救われたような表情でワックスがけを再開し、私は逆に辛さが増した。拳で軽く頭を何度か叩いてみる。自然どころか、これじゃあ相手が緊張するのも無理は無い。ジャスティンにしてみれば、私は戦闘経験も豊富な年長かつ上官でしかない。もっと大人の対応を期待する方がどだい間違っている。何となくほっとしたような、ちょっと残念なような、そんな気分。それにしても、この機体――試作機というのがしっくりくるような、純白のカラーリング。その尾翼には、彼のエンブレムである南十字星。間近でゆっくり見るのは初めてだが、素人目にもこの機体が従来のものとは異なるコンセプトで作られていることが分かる。正式採用されている機体の中では本当に数少ない前進翼を採用し、鋭い剣のように薄いノーズに、大推力のエンジン2基の組み合わせ。3次元偏向ノズルに2次元稼動スラスターの組み合わせ。視界の確保を優先したコクピット。破格の機動性を持ったこの機体を操れるのは、現在のところ私の前の少年だけ。南十字星なんて呼び名は、きっと彼にとってまだプレッシャーなのかもしれない。でも、後ろで飛んでみて分かったことがある。決して、その異名は期待はずれではない、と。
「こんな凄い機体を、君は自在に操っているのね。あれ、正規兵じゃ無いってことは……?」
「まだ訓練最中の航空学校生でした。ほんのちょっと前まで。でも、基地のパイロットはいなくなってしまって、そんな時にレサスの襲撃を受けて……。それ以来の相棒ですけど、毎回必死に飛ばしているだけです。気を抜けば、多分僕はこの機体に殺されます」
「そっか、大変だったんだよね……。でも、後ろから見ていて、そんな風には見えなかったけれども」
それは私の本音。歴戦のパイロット顔負けの飛び方を、確かにジャスティンはやって見せたのだ。結果的に彼の提案は退けられたけれども、戦場を見極める目も鋭い。そんな彼が、まだ訓練過程であったことに改めて驚かされる。いつだったか、父が言っていた言葉を思い出した。戦場には、時にそういう奴が現れることがある。でも、俺のことを特異体と言ってくれたエースがいたけど、あれはまいったなぁ……と。もし彼がその特異体だったとしたら、まだまだ化けていくだろう。

どうやら作業をする気が無くなったのか、脚立の上で向きを変えたジャスティンは、そのまま座り込んだ。面と向かわれると、やっぱりこっちも少し恥ずかしい。
「……ノヴォトニー少尉は、いえレイヴン艦隊は、どうしてオーレリア側に付いたのでしょうか?確か、国家間紛争でどちらか一方に加勢するようなことは出来ない、と聞いています」
鋭いもんである。まだ今の時点で、私たちの目的を彼らに伝えることは出来なかった。いずれその時が来るとしても、オーレリア解放という目的は共通のものではある。ジャスティンの操る機体も、スポンサーがゼネラルリソースというのは何とも皮肉な話ではあるが。
「まだちゃんと伝えてはいないはずだけど……よく分かったわね。そう、確かに私はレイヴン艦隊の所属。とはいっても、まだここに来て日は浅いけれどもね」
「そりゃ分かりますよ。伝説のラーズグリーズと同じ塗装――それが許されているのは、唯一その後継者たるレイヴンのエースたちだけですよね?」
「詳しいわねー。でも、そんな仰々しいところではないわ。色んなとこから集まってきた各国のエースたちがしのぎを削っている……というのは事実だけど、私の元の所属基地とよく似ているわ。何しろ、ヴァレー基地は未だに傭兵と正規兵の混成部隊だもの。他の国みたいな、いかにも「軍人です」という規格のパイロットはなかなか育たないわ」
「ヴァレー?それって、ウスティオのあのヴァレー基地ですか!?」
私にとってヴァレーの日々は日常だけれども、その名は歴戦のエースたちを知る者たちにとっては特別なのかもしれない。ジャスティンの問いに頷きつつ、私は少しだけ記憶の扉を開いた。ジェーン班長の大声が飛び交い、整備兵たちが一斉に作業にとりかかっている。作業の邪魔になった傭兵が容赦なく班長に蹴っ飛ばされて悲鳴をあげながら転がっている。傭兵とか正規兵とか、そんな枠組みを越えて、共に飛ぶ者同士支えあう空気が定着した場所。鬼教官シャーウッド大佐がサングラス越しに睨みを利かせている。ルフェーニア姉さんが、愛機の上から手を振っている。その尾翼には、ヴァレー基地の所属なら誰でも憧れるマッドブル隊のエンブレム。訓練飛行でコクピットに乗り込む私に、ナガハマ特務少尉が「グッドラック」と言うように親指を立てている――レイヴンに来るまでは、日常だった日々。正式に隊の一員となってからの数年間はあっという間ではあったけれども、父親の馴染みの仲間たちに支えられ、鍛え上げられたように思う。そして、彼らにとって私の父親は、決して忘れることの出来ない存在として未だに記憶されているのだ。それが何だか恥ずかしくもあり、少し誇らしくもある。家では完璧な怠け者の代名詞だったが……何でもテキパキと進めていく母親がいる以上、確かに父親の出番は少なかったのも事実だ。でも、どうもそんな怠け者の父親の姿こそ、母親の大のお気に入りだったのではないかと思う。いずれにせよ、私の環境はジャスティンたちから見れば垂涎物であるということだ。
「そんな凄いところではないわよ。でも、"白き狂犬"シャーウッド大佐なら私も良く知っている。今でも、あの基地の鬼教官として君臨しているわ。段々、今は亡き"マッドブル・ガイア"に良く似てきたと、当時を知る人たちは言うけれど」
「はぁ……羨ましいです。英雄たちの息吹が今でも残っているんですね、ヴァレーは。それに引き換えうちと来たら……」
"バトルアクス"マクレーンがいるじゃない、と言いかけた言葉を私は飲み込んだ。何度か見かけたオーレリアのエースは確かにその人ではあったが、噂に聞こえたその人ではないような気がする。ジャスティンたちからお世辞にも尊敬されているようにも見えないし、冴えない中年男という表現が残念ながらぴたりとはまってしまう。何か事情があるんだろうさ、とグランディス隊長は一言で片付けたが、実際は残念がっていたのだと思う。しかしマクレーン中尉に限らず、もともと平和なオーレリアでは、なかなか空戦史に名を残すようなエースパイロットは確かにいなかったし、実際平均的な空戦技能レベルという点ではオーシアやユークトバニアに劣る。だが、両国のレベルが高いのはそうならざるを得ない事情――戦争という行為があったからこそなのだ。平時において英雄と呼ばれるようになるエースの出番はほとんど無い。だが、有事は違う。今、目の前にいる少年も、戦争という事態に巻き込まれなければ「南十字星」などと呼ばれ、レサスの兵士たちから目の敵にされることもなかったのに違いない。
「……僕たちは……オーレリアは、本当に勝てるのかな……」
常につきまとう不安との戦い。それは自分との戦いに他ならない。ジャスティンはその重みに必死に耐えながら今日まで生き延びてきたのだ。――支えてあげられたらいいのに。今までは、孤独な戦いだったかもしれない。でも、これからは違う。私たちが、シルメリィ艦隊が彼らと共にある。そして、常に一緒とはいかないまでも、彼の背中を私は守って飛ぶことが出来る。そのために、私はここまでやってきたのだから。
「そんなこと言わないで。大丈夫、だから私たちが来たの。それに、前も言ったでしょ?君はもっと強く飛べるようになる。もっと自信を持って、オーレリアの南十字星!君の背中を見て、勇気付けられた人たちはいっぱいいるんだから」
柄もないことを言ってしまったかな、と思わなくもない。照れくさくなって、私はベンチから立ち上がった。でも、こんな若者が頑張っているのに、私たちが踏ん張らないわけにはいかない。必ず、君の背中を守って見せるから――そう心の中で誓いながら、私はXR-45Sから離れる。振り返ると、まだ私を見送っているジャスティンの姿がある。軽く手を振ってあげると、照れくさそうに彼も手を振っていた。何となく、ここに来るまでの胸のつかえが取れたような気分。オーレリアの空を舞う純白の南十字星。もしかしたら、私は見つけたのかもしれない。鋼鉄の翼を操って、あの大空を飛ぶ理由を――。

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