凶星と怪鳥と・前編
「貴官らの手腕を以ってすれば、オーレリアの寄せ集め部隊など恐れるに足らない。……そうだな、虐げられたレサスの明日と未来のために戦ってくれるか。少将、私は貴官のような優秀な軍人を部下に持ち得たことを、神に感謝するよ。それでは、健闘を祈る。グッドラック」
受話器の向こう側の相手が感動に震える声で応答するのを確認して、ナバロは受話器を静かに置いた。上官がいつまでも回線を繋いだままでは、部下はいつまでも待ち続けなければならない。下位にある者が交信を先に切断するなど、戦闘中以外では許されるものではないからだ。まして、相手はこれから命を賭した戦いに臨む者たちだ。最大限の激励と礼儀を用いることに、何の躊躇いがいるだろうか。さらに言うなれば、その死を以って兵士たちの士気を高める人柱になるであろう彼らに対して。オーレリアの艦隊戦力を大幅に減らすことには成功したものの、グレイプニル改良のために派遣した輸送部隊は南十字星たちの活躍によって全滅し、ターミナス島ではグレイプニルのメンテナンスに関わった研究者たちがオーレリアの手に渡っていた。グレイプニルの攻撃力と戦闘能力は尋常ではない。だが過去とは異なり、SWBMやショックカノンといったグレイプニルの切り札を解析された今、オーレリア不正規軍を簡単に退けられると考えるほどナバロは夢想主義者ではなかった。たかが1機、たかが1部隊――その程度の戦力しかなかったオーレリア不正規軍は、ついにサンタエルバを奪還すべく軍事行動を起こせるほどの規模に成長している。誤解を招きかねない表現ではあるが、たった1機――南十字星のエンブレムを付けた異形の戦闘機に、レサス軍全軍が振り回されていると言っても良かったのである。そんな腕利きが正規のパイロットではないという報告を目にしたとき、さすがのナバロも驚き、感心したものである。
「さすがに総指揮官殿ともなりますと、見事に将兵の心を掴んでいらっしゃる。我々民間の者には到底出来ない芸当です」
「……心にもないことを言ってくれる。いや、それはお互い様かな、ロビンスキー常務?」
執務室のソファにゆったりと腰を下ろしたスーツ姿の中年男は、ティーカップの紅茶の香りを堪能し、ゆっくりとカップを傾けて微笑を浮かべた。戦争継続中の司令官室にいる人間としては、場にそぐわない印象をきっと誰しもが抱くに違いない。だが、この男――グリムワルド・ロビンスキーこそ、この戦争の真の姿を知る人間の一人であり、長年のナバロの「戦友」であるのだ。
「腹の探り合いはこれくらいにしとくか。私よりも多忙のはずなのに、ここを訪れてくれたということは議論が必要なのだろう?」
「話が早いと助かるな。要件は二つだ。一つは、XR-45投入の是非。もう一つは、セントリーで開発中の例の機体に関しての提案について、将軍の判断を仰ぎたい」
ロビンスキーが並べた資料を手に取りつつ、ナバロ自身もソファに腰を下ろす。空戦機動データ、各種目標に対する攻撃関連データ、総合性能比較グラフ等々――戦場から得られた貴重な実戦データの数々が、そこには並べられている。それは、最高の戦闘データを提供し続けてくれている南十字星のものである。ゆっくりと眺めるのは後にして、ナバロは各データの分析をしばらく読み耽った。それほどの時間を要することは無かったが、目を紙面から外したナバロは思わず唸らざるを得なかった。飛ばしている本人は、まさか自分の軌跡がこうして敵司令官の元に届いているなど思いもしないだろう。だが現実には、こうして彼の翼跡は記録され、報告されている。前線での戦いしか「戦争」と考えない低能どもには、決して理解出来ないだろうが、これが戦争の真実だ。利用できるものは全て利用する。それが敵方の情報であろうが、敵方の物資であろうが、こちら側に有利な状況を作り出すためならば、あらゆる手段を講じることが道理。超現実主義的な思考と行動こそが肝要であって、理想やら信念といったものは現実をコントロールするための手段に過ぎない――終わりの見えない内戦を抱える祖国が統一を果たすに当たって、理想だの信念だのといったものは障害でしか無かったのだから。
「……恐ろしいことだな。この若者の行く末を見てみたいものだよ。だが、これでは量産化は夢のまた夢という奴だな」
データは証明している。XR-45という傑出した機動性を持つ試作機は、量産化して飛ばせるような代物ではない、ということを。この機体で編成された航空部隊が一つ出来るまでに、相当数の経験を積んだパイロットが犠牲となることだろう。南十字星のやっていることは、白刃の上でダンスを踊っているようなものなのだ。そんなリスクを冒さずとも、もう少し安定した高性能機を揃える方が良いに決まっている。神とやらの気まぐれでそんな化け物を操れる特異なパイロットが出てくることを期待するよりは、戦略としても正しい。
「データでは確かにその通りだ、将軍。そこで、二つ目の件が出てくる。機体のテストは順調に推移しているが、そのうち1機をX仕様機として使用したい。その結果次第では、確かに量産機としては無理でも、特別部隊仕様としてXR-45を使用する判断もアリだと思うのだよ。君の言うとおり、南十字星の坊やと全く同じ条件で同じように飛ばすことは無理かもしれない。だが、X仕様なら話は別だ。南十字星をさらに凌ぐレベルで、XR-45の本来の性能を引き出すことすら、可能かもしれない」
「例の計画か。だが実戦レベルでのテストは充分ではないのだろう?」
「その通り。しかし、被験者の選定は進められているよ。被験者の選定はほぼ終わっている。後は、成長を待つだけだ」
ナバロは思わず顔をしかめた。この辺り、軍人としての現実主義を、この男は容易に乗り越えて来るのだ。彼らは、よりクリーンな状態の被験者を"生み出し"、"活用する"ことを現実に手がけている。それは即ち、禁断のテクノロジー――生命の歪曲を意味している。無神論者のナバロでさえ、それを是とする気は無い。
「……うちにそっちの条件に相応しい被験者などおらんぞ」
「いるじゃないか、最適任者が」
にやり、と笑いながらロビンスキーはXR-45の分析資料を掲げて見せた。なるほど、そういうことか、守銭奴め――。口中でナバロは目前の相手をそう罵ってみせた。ロビンスキーはこう言っているのだ。南十字星と呼ばれている凄腕の若者を「捕獲」し、X仕様の被験者としてXR-45に乗せろ、と。ルシエンテスは、或いはそこまで計算したうえで例のエースパイロットに働きかけているのかもしれない。だとすれば、彼を信用するのは尚更限定的にするべきだな……ナバロは、心強い同志であるはずの男の記憶のイメージに「限定的」の赤いスタンプを押した。こちらと奴の目的が同じ方向を向いている間は大丈夫だろう。だが少しでも乖離が生じたならば、あの男は本性を現すかもしれない。……結局はいつもと同じだ。やられる前に、殺る。祖国での常識を貫くだけのことだと、ナバロは結論付ける。それは、目の前の「戦友」に対しても同様だった。
「被験者の件は後回しにするとしても、X仕様については了解した。何、もともとが試作機だ。いい研究結果を待っている。頼むぞ」
ナバロは人好きのする微笑――内心はともかく、これで信頼を勝ち得てきた営業スマイル――を顔面に被って、右手を差し出した。やや肉の厚い、少々汗ばんだ手の平が自身の手に重なった。ふむ、こいつが帰ったらまずはこの手を洗いたいものだ。微笑の裏にどぎつい冷笑を浮かべて、ナバロは相手の顔を凝視した。
「商談成立ですな、将軍」
「成立中さ、常務。これからがビジネスの本番だ」
今頃サンタエルバではグレイプニルが出撃準備の真っ最中だろう。あれは役立ってくれた。心の底から、ナバロはそう思う。後は、得難いデータの検証が残っているだけだ。最強を誇る怪鳥が、"どのような手段を用いれば撃退されるか"、という興味深いデータだけが。その分析により、さらに次の怪鳥は強力なものに生まれ変わるに違いない。さあ、どう踊る、グレイプニル、そして南十字星?窓の外に広がる大空に向けて、ナバロは口元を歪めながら、笑い続けた。
オーレリア不正規軍は、ついにサンタエルバ奪還作戦を発動するほどの規模にまで勢力を増している。これがついこの間まで、存亡の危機に晒されていた国の将兵であるとは思えないほどに、兵士たちの士気は充実している。動員される戦力も、これまでに無い大規模なものだ。洋上からはシルメリィ艦隊とハイレディン提督率いるオーレリア第1艦隊が、陸上からはレサスの攻撃を耐え抜いた屈強のバーグマン・ディビス両部隊に各地から集結した残存部隊を再編した混成師団が、それぞれサンタエルバへと進撃する。そして私たち航空部隊の任務は、レサス軍の誇る空中要塞グレイプニルの撃破。ターミナス島に監禁されていた研究者たちの情報により、私たちはあの空の化け物への対処法を少なからず得ている。これまでのように叩かれっぱなしにはならないわ――私はまだ見ぬ空の化け物に対して、そう言いながら空を睨み付けたものだ。とはいえ、難敵であるはずの空中要塞との決戦を控えている割に、部隊の雰囲気はいつも通り。いや、いつもより陽気というべきか。デカブツと戦うことをむしろ嬉々として喜んでいる傭兵たちは言うまでも無く、グランディス隊長も「ようやくだねぇ」と言いながら不敵な笑みを浮かべる。戦術レーザーであの巨体をぐりぐりと出来ることが本当に嬉しいらしい。ファレーエフ中尉も苦笑を浮かべつつ、「今回はあの坊やと一緒に飛べるじゃないか」と憎まれ口を叩いて余裕の表情。これでは、私が緊張する場面があるはずも無い。作戦要員に無駄なプレッシャーを与えないための隊長たちの配慮が行き届いている結果であることは言うまでも無い。自らのコンディションを最高の状態に保ちつつ、部下たちの状況にも気を配る――まだまだ、私が彼らに及ばない所以である。
「フィーナ、じゃない、ノヴォトニー少尉、機体の最終チェック完了、問題なし!リボン付けて送り出してやっても良さそうだ」
「どうせなら青いメビウスの環がいいんだけど」
「じゃ、鎖付きの赤い猟犬でどうだい?」
出来るわけ無いでしょう、と目で訴えると、オズワルド准尉はニヤニヤと笑いながらチェックリストを差し出した。少し頬を膨らませながら受け取り、ざっと目を通してサイン。専門的なところは彼らの領分であるし、彼らの腕前は充分に信用に足るものである以上、余程の事でない限り私が疑問を差し挟む必要は無いのだが。私の不機嫌の理由は別のものだ。何しろ准尉殿、"尾翼が広いのは寂しいから"と、徹夜作業で勝手にエンブレムを描いてくれたのだ。翌朝、機体の点検をすべく格納庫に降りた私は愕然とした。そこに描かれていたのは、他ならぬ「南十字星」のエンブレムだったのだから。呆気に取られる私を横目に、ポーズを決めて「どうだい」とやって見せた彼の姿が、脚立ごと斜めへ傾いていくのに然程の時間を要しなかった。転がる脚立の金属音に混じって聞こえてきた鈍い音が、グランディス隊長の拳骨であったことは言うまでも無い。引きずられていった准尉殿がどんな末路を辿ったのかは分からないが、次の日の朝には元の通りに戻っていたことから考えるに、徹夜がもう一晩必要になったことだけは間違い無さそうである。強襲隊のヘリパイロットの一人であるニッカード少尉の言葉を借りれば、"危うく氷海のアザラシとお友達"になるような目に遭わされたらしいが。
「……大声であまり言わないで。知らない人のほうが多いんだから」
「悪かったよ、フィーナ。しかし、ま、南十字星のエンブレム、まんざらでもなかっただろう?」
「隊長呼びますよ」
「そりゃまた失礼!」
すっ、と准尉の姿が消えると、早くも脚立を折り畳み、敬礼を施している彼の姿が足元にある。図星なだけに返す言葉がうまく見つからず、不承不承敬礼を返すと、彼はぺろりと舌を出して走り去る。無論発進体勢に入る私たちの機体に巻き込まれないためではあるが、まんまと逃げられたという気分を打ち消すことだけは出来そうに無かった。やはり色々な意味で、勝ち目の無い大人が多い部隊である。ため息を吐きつつ、私は背後を振り返った。今頃、勝手に騒動の要員に祭り上げられている少年は、どんな気持ちで出撃準備を進めているのだろう?誘導路に並ぶカイト隊の群れの後ろに、グリフィス隊の一団が並んでいる。機体を替えた彼らの部隊は、タイフーンにF-2A、そしてXR-45Sという、不正規部隊に相応しい統一性の無い編成となっていた。だがある意味、適材適所の機体選びとも言えなくも無い。攻撃目標を選ばない適応能力を持った隊長機と3番機にタイフーン。グランディス隊長によれば、まだまだ磨きがいのある石っころ、という評価のスコットがF-2A――対地攻撃における命中率は時にジャスティンを上回っていた――。そして、XR-45Sとジャスティン。彼以上にあの機体を操ることが出来るパイロットがいない以上、この組み合わせは変えられない。そうね、今日は一緒に飛べるわね――他愛の無い言葉を、彼の尾翼の南十字星に私は手向けてみた。それでどうにかなる話では勿論ないのだが。
「あたいらがグリフィスの露払い役のようだ。さあ、行こうかね」
コクピットの上で立ち上がり、わざわざ親指を立てて隊長が腕を振る。こちらも応じてキャノピークローズ。隊長の姿がコクピットの中へと消え、次いで開かれていたハッチがゆっくりと閉まっていく。車止めは既に外されている。整備兵たちに敬礼しつつ、動き始めた隊長機を追って私もスロットルを少しだけ押し込んでいく。眠りから覚めたエンジンが回り始め、F-22Sの身体を前方へと押しやっていく。先発の航空部隊が滑走路を轟然と加速して飛び立っていく。心地良いジェットサウンドが、コクピットの中まで聞こえてくる。その轟音が静まっていくと、次は私たちの番だ。もう一度だけ後方を振り返る。私たちの離陸を待つグリフィス隊の群れの中に、空の飛翔を心待ちにするかのようなXR-45Sの白い機体を私は見出した。ふう、と軽く呼吸を整え、私は前方に意識を集中させた。滑走路へと進入していく隊長機に続いて、スロットルレバーを調整しながら機体を操る。ぐん、と隊長機の速度が増し、ADF-01Sの大きなバーニアが開かれる。遅れないよう、こちらもスロットルを押し込んで一気に機体を蹴っ飛ばす。シートに張り付けられるような加速を得た愛機のキャノピーの外を、パターソンの街並みが高速で通り過ぎていく。充分に加速の乗った愛機の操縦桿を軽く引くと、重力から解放された機体が青い大空へと舞い上がっていった。
「サンタエルバ市内に敵機甲師団の姿無し。カラナ平原方面へと移動する敵部隊を捕捉」
「こちらバーグマン師団。サンタエルバ北西部方面に移動中の敵部隊の一部が、こちらに針路を取り始めている。各隊、迎撃体勢を取れ!」
「クラックスより各作戦機へ。市内に敵地上部隊の姿はありませんが、対空攻撃部隊の一部が残存している模様。低高度を飛行する際は気を付けて!」
空中給油を受けてすきっ腹にたっぷりとケロシンを流し込んだ愛機の前方に、赤く染まり始めた夕暮れの空と、その赤い光に照らされる広大な街並みが広がっている。街の中央を貫く大きな運河は、この海洋都市のトレードマーク。古くから栄えた、海洋交易都市の名残を残すサンタエルバという街の姿が、それだった。これが観光飛行だったら、どんなに良かっただろう。この美しい街並みと美しい夕焼けの姿は、一見の価値があると思う。現実には、私たちはミサイルと機関砲弾をたっぷりと腹に抱え、この美しい光景に無秩序なループを刻もうとしているのだ。この決戦場で私たちを迎えるレサス側の準備は万端というところか。攻撃目標たるグレイプニルの姿は何処にも無く、また市街地には対空戦闘部隊を除いて、レサス軍地上兵団の姿は見えない。この空で、レサスによるオーレリア併呑を妨げてきた元凶たる私たちを一気に葬らんとする彼らの覚悟が伝わってくるようだ。それにしても、あの空中要塞は何処に?サンタエルバの空に到達した各隊が、ゆっくりと旋回しながら敵の姿を探している。グレイプニルの光学迷彩は、古くはベルカにより開発され、「国境無き世界」によって実戦投入されたXB-0、そしてベルカ事変において、ユークトバニア空軍の一団が用いた「V・D・S(=Visual Dammy System)」システムの応用拡大版と言うべきものだった。即ち、胴体部に設置された無数のカメラにより、あらゆる角度の「映像」を取得、可能な限り胴体上でリアルタイムに再生することで、その巨体を景色の中に溶け込ませてしまうというものだ。だがその実現のために、グレイプニルは巨大なジェネレーターを必要とした。複雑かつ膨大な、天文学的数値に至るような複雑な処理を巨体に施すことは、理論的には完璧でも実践面で多大な課題を残していたのである。つまり、光学迷彩の連続稼動は、グレイプニル自身に相当な負荷を与えるのだ。見つけてしまえば、打つ手はある。つまりはそういうこと。だが今のところ、その空中要塞は姿を消し息を潜め、私たちの出方を伺っている。代わりに、敵の迎撃航空隊が姿を現していた。
「ファルコ隊より、グリフィス・リーダー。小物は俺たちが引き受ける。大物はよろしく」
「勝手に決めるな、勝手に!」
「カイト・リーダーより、ファルコ隊、腕の鈍ってないところをあたいらに見せておくれ。役立たずだったら、誤射してあげるよ」
「洒落にならないなぁ。あいよ、期待には応えて見せるさ。行くぞ!!」
ファルコ隊のF-15Cが4機、レサス軍機の方角へと針路を取る。敵戦闘機もそれを察知して、迎撃体勢に入る。サンタエルバ解放戦は、戦闘機同士の小競り合いからどうやら開幕ということになりそうだった。赤い空に刻まれる白い雲に視線を飛ばしていると、隊長機の挙動が唐突に変わった。機体を水平に戻し、速度を落とした隊長は、何かを察知したようである。
「カイト・リーダーより、作戦機全機へ。メインディッシュの到着だよ」
深刻な内容とは裏腹の、まるで猫が舌なめずりをしているかのような声に、私はちょっとだけ背筋が寒くなった。隊長は本気だ。本気であの化け物を葬り去ろうとしている。
「クラックスより各機!方位180、グレイプニルのものと思われるエンジン音を探知、現在照合中……来た!グレイプニルのエンジン音を確認、市街地南側から接近中!!ご武運を!!」
空中管制機、それにADF-01Sからのデータリンクにより、レーダーが補正されていく。情報モニタには、未だ姿の見えない敵に関する異常なデータが並べ立てられていく。「それ」はゆっくりとサンタエルバの港方向から旋回してこちらへと接近しつつあった。美しい夕陽をバックにして、敵が真正面を向いたとき、私は違和感をそこに感じた。強いて言うならば、殺気を感じたとでもいうのだろうか。変化は突然来た。空の青、海の青、市街地。それらの光景が、不意に蜃気楼のように揺らいだように見えた。何かがいる。電源を入れたばかりのテレビのように揺らいだ景色にノイズが走り、空が鋼鉄の色に塗り込められ、溶けていく。まるで空から抜き出てきたかのように、この美しい空に最も相応しくない存在が姿を現した。空中要塞、グレイプニル。その姿を見た者を圧倒させるに充分な迫力。オーレリアの兵士たちは、この光景を絶望的な気持ちで目撃したに違いない。士気の萎えた軍隊ほど脆いものは無い。実際にはまだ遠方にいるであろうグレイプニルの姿を目の当たりにしたオーレリア軍は、きっとレサス軍が一歩踏み出すたびに二歩も三歩も退いたのだろう。だけど、今ここにいる者たちは違う。私たちは、あの空中要塞を倒しに来たのだ。ひるむわけにはいかない!自分にそう言い聞かせながら、私は戦闘態勢を取る。
「さて……骨が折れそうだが、やって見るか。グリフィス隊各機、攻撃目標は各自の判断に任せる。生き残って祝杯を挙げるとしようや。ジャス、スコット、怪鳥にキスするなよ?」
「そういうアンタがキスすんじゃないよ、昼行灯!さあ、あたいらも行こうか!!」
憎まれ口の応酬が慌しく交わされると、グリフィス隊を始めとした各隊が動き出した。応じるように、グレイプニルの背中が何箇所も隆起し、そして割れていく。先頭の航空隊が急降下。グリフィス隊各機、降下旋回。数秒後、猛烈な火線がサンタエルバの空を切り裂いたのである。全幅数百メートルを誇るグレイプニルの火力は、大型の巡洋艦の対空砲火を凌ぐほど苛烈で密度の濃いものだった。とてもかわし切れるものではない。編隊を解いた私たちは、各々回避機動に専念することになる。私はグレイプニル右翼の下を通過する針路に機体を乗せた。こういうとき、ステルス性能の高い機体は有利である。対空砲火は、ステルス機能を有さない傭兵隊やグリフィス隊の機体へと降り注ぐ。グリフィス隊は別として、傭兵隊はそれすらも折込済みだ。彼らは、「本隊」たる私たちが動きやすいよう、敢えて無謀とも言える激しい機動を笑いながらこなすのだ。翼というよりは巨大な甲板と言うべき翼の下を潜り抜けた私は、水平に戻すと同時に攻撃を開始した。こちらの姿を捉えた対空砲台の群れ目掛けてミサイル発射。敵の攻撃が殺到するよりも早く位置を変えつつ、グレイプニルの速度に同調して後部砲台群へ攻撃を浴びせていく。火線と火線とが交錯し、爆炎が次々と巨鳥の胴体に爆ぜる。一撃離脱で本来対地攻撃に用いる兵装を抱えてきた戦闘機たちが駆け抜ける。その後を追うように対空ミサイルの白い煙が空を切り裂く。新たな火球が膨れ上がり、吹き飛んだ砲台の破片が巨体の上をバウンドしながら転がっていく。黒煙が幾筋も吹き出してはいるものの、有効打撃が与えられたとは思えない戦況だ。SWBM無しでも、充分にグレイプニルは強い。
「スルナンデス少将より、各員へ。今こそレサスの優秀さをオーレリアに思い知らせるときだ。各員、奮闘せよ!!」
グリフィス隊が敵対空砲火の資格から飛び出して、砲台群の群れへと攻撃を浴びせていく。連続した爆発が爆ぜ、空に打ち上げられた砲火が減殺されていく。一度高度を下げて安全圏へと逃れた彼らは編隊を解き、2機が再び加速しながら高空へと舞い上がった。そのうちの片割れは、夕陽の空に映える真っ白な前進翼の機体。
「いたぞ、オーレリアの南十字星だ!!狙え、撃ち落せ!!」
ジャスティンは敢えて囮の役目を引き受けたのだろう。攻撃が集中するということは、他方は手薄になるということ。切れ味の鋭い回避機動で巧みに浴びせられる攻撃をかわしていくところ、見ているだけでもため息が出る。熟練のエース顔負けの技を、あの少年は無意識に繰り出しているのだ。対空砲火の雨をかわした彼らは、グレイプニルの上空で反転し、真上から垂直に襲い掛かった。スコットの乗るF-2Aは翼下にロケットランチャーを搭載している。
「おら、たっぷりと味わいや!!」
スコットの放つ言霊に続けて、火の雨のような攻撃が胴体中央やや右側を捉えて、炸裂した。何度かの攻撃によって傷付いていたグレイプニルの装甲が、集中攻撃によって引き裂かれ、さらにその内部へと弾頭が降り注ぐ。ズシン、という空を震わせるような轟音が響き渡り、今までで最も大きな火球が膨れ上がった。振動でこれまで微動だにしなかったグレイプニルが、右側へと若干傾ぐ。膨れ上がる巨大な火球を辛くも回避したルーキー二人組の機体が、再びグレイプニルの下方へと消えていく。お見事。心の中で拍手を送りつつ、私も対空ミサイル砲台にミサイルを叩き込み、反撃を回避しつつ高度を下げて安全圏へと逃れていく。
「へぇ、特訓の成果があったみたいだねぇ、坊主」
「海面ダイブだけは堪忍!」
「ま、考えといてやるよ。こっちも負けてらんないね!」
グランディス隊長のADF-01Sとファレーエフ中尉たちが、グレイプニル後方に付く。大きく開かれた隊長機の嘴に赤い光が収束し、そして一気に空を切り裂いた。連続した爆発がグレイプニルの背中で爆ぜ、浴びせられていた火線が減殺されていく。鉄の巨体を横薙ぎにした戦術レーザーによって、多くの砲台が沈黙して瓦礫と姿を変える。黒い翼には遠目からも分かるような傷が刻まれ、その表面上は吹きだす黒煙によって覆われる。だが、これだけの攻撃を浴びせられながらも、グレイプニルは依然空に健在だった。まったく、なんて代物をこの世に送り出したのだろう――そうそう量産出来るものではないとしても、第二、第三のグレイプニルが決して生み出されることの無いよう、ここで葬り去ってみせる。隊長の攻撃によってすっかりと衰えた火線を潜り抜けて、生き残りの砲台群へと私は攻撃を仕掛けた。ペダルを蹴飛ばしつつ細かく姿勢を入れ替えて、照準レティクルの中に目標を捉えると同時にトリガーを引く。放たれた機関砲弾が砲台の装甲を突き破り、瞬時に内部機構を粉砕していく。数台の砲台を破壊することに成功した私は、その広大な翼の上を舐めるようにして飛んで右旋回。一時離脱して次なる攻撃に備えるべく姿勢を整える。そろそろ来るかしら……?これだけ痛めつけられた空中要塞が、大人しく撃墜されるとは思えない。必ず切り札を出してくるに違いない。オーレリアの各地で猛威を振るった、SWBMという名の切り札を。
「……やはり使わざるを得ないか。よし、表面が傷付いても構わん。SWBM、発射準備!!」
「了解、甲板戦闘員は内部隔壁内へと退避!グレイプニル、SWBM戦闘準備!!」
「来るぞ……!」
「着弾前に低空へダイブしろ。対空攻撃に気を付けろよ!」
入り乱れる両軍の交信。警戒態勢を取る航空部隊。開放されたハッチから煙が吹き上がり、そしてオーレリア軍を各地で壊滅せしめた悪魔が姿を現す。高空へと打ち上げられたSWBMは、あっという間に雲の上へと姿を消す。だが、彼らが切り札に手を出したということは、私たちの攻撃が効き始めたという事。こちらが苦しいときは向こうだって苦しい。ここが正念場だ!
「着弾まであと5秒!!4……3……2……1……着弾!!」
光と衝撃と轟音とが弾け、空は真っ白に漂白された。大気が揺さぶられ、機体が上下に激しく揺れる。これがSWBMの攻撃!圧倒的な破壊力。だが、逃れられないわけではない。機体を安定させるべく操縦桿の操作に集中する私の前に、気安い南十字星のエンブレムが笑いかける。全く、あのエンブレムはどうしてこうも人の意識を寄せ付けるのだろう。あの機体に乗る少年は、彼自身が生き残るために必死に飛んでいるに過ぎない。それでも、彼の翼跡は見たものの心を惹き付ける。そして、彼を知る者は、彼と共に戦うことに勇気を与えられるのだ。――そうね、圧倒されている場合じゃないわね。スロットルを少しだけ押し込んで、私はXR-45Sの左翼へとポジションを取る。ここからが空中要塞との戦いの本番。気を引き締めなおした私は、意識を前方の空へと集中した。
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