凶星と怪鳥と・後編
明るさを抑えた照明で照らし出される店内に、落ち着いたギターの音が流れている。広めに作られた空間に、座り心地の良いソファ。カウンターには手を伸ばしたくなる銘柄の酒瓶が並び、テーブルの上に置かれたグラスも相応の値段の良いものである。おまけに入口にはガードマン、というより用心棒。仮に尾行されたとしても店内にまで追手は入り込めず、密談するならここに限るというのは分かるのだが……。不機嫌な表情でグラスを傾けるジュネットの姿を、ズボフはニヤニヤと笑いながら眺めている。その視線に気付いたジュネットが、やはり不機嫌そうにため息を付く。
「何だよ、ここなら落ち着いて話が出来るから案内してんのに、機嫌悪いなぁ。短気だと剥げるぜ」
「その点には感謝するさ。だけどなぁ……」
「まぁ、素人には少々刺激が強ぇかもしれんがな」
カッカッカ、と愉快そうに笑うズボフを横目に見つつ、ジュネットは店内に視線を漂わせる。繁華街なら、どこにでもあるクラブであるこの店に、たった一つだけ、それも致命的な違和感がある。それは、客の相手をするホステスが実際には「ホスト」であることだ!厚い化粧、きらびやかなドレスとは相容れない喉仏に髭の剃り跡、よく見ると恐らくはわざと残しているのであろう脛毛が見え隠れするこの空間で、少なくとも気持ちよく酒を飲む耐性を、さすがのジュネットも心得てはいなかった。店の正体を知って逃げようとするジュネットをズボフがなだめすかして引きずり込んだのには、もちろん訳がある。この店のオーナーが、グリスウォールの裏側に広い顔を持つ人物であり、ジュネットの依頼を実現するためには避けて通れないのだ。ズボフに負けないくらい人の悪い笑みを浮かべた"彼女"は、空になったグラスに氷とウィスキーを注ぎ、ジュネットの前に押し出す。礼を言いつつも、ジュネットは悪態の一つでも付いてやろうかという気になる。案内されたこの店、「オストラアスール」のコンセプトは、どうやら敢えてこのギャップを前面に押し出すことらしい。即ち、筋骨隆々とした男たちが似合わない女装をしている、と表現するのが最も適当なのであった。ズボフのことだから、今後もこの店を愛用するに違いない。酒のアルコールよりも強烈な空気にあてられて、ジュネットは思わず手を額に当てた。
「有名人に会えて私も嬉しいわ〜。ま、そのうちこの店にも慣れてもらえると信じて待ちましょ」
「なに、病み付きになるように連れてきてやるさ。イッヒッヒッヒッヒ」
病み付きになる前におかしくなるに決まっている。首を振るジュネットを酒のつまみにしながら、ズボフと彼はグラスをかわしている。それにしても、サンド島に赴いて以来というもの、自分は完全に舞台裏と接触し続けてきたものだ――何杯めかのグラスを傾けつつ、ジュネットは回想に耽る。こうして行動を共にしているかつてのエースも、常に裏の世界を渡り歩いてきた玄人の一人。そして彼女……彼も、ここグリスウォールでオーレリアの裏側に棲息してきた者の一人である。なるほど、裏側の男たちの連合か。一つ間違えれば「灰色の男たち」だ。もっとも、叩けば埃だらけの男たちだけに、「埃まみれの男たち」となるかもしれないが。酔いが回ってきたのかもしれない。何だか愉快だ。口元に笑みを不意に浮かべたジュネットを、ズボフは手をせわしなく動かしながら愉快げに、そして彼女は不思議そうな表情で眺めている。カウンターの奥から現れた黒服の男が、大きな紙の包みを二つ持ってくるのにも気付かず、ジュネットは再び満たされたグラスを陽気に傾ける。
「ボス、お約束の物をお持ちしました」
「おう、有難うよ」
「それともう一つ。店の外にレサスの連中が数人張りこんでます。――始末しますか?」
思わずむせ返ったジュネットに対し、踏んだ修羅場の数の違いを見せつけるように、ズボフも"彼女"も微動だにせず笑っている。
「――派手でいいが、今はやめておこう。それよりも客人の帰りの足を確保しておけ」
「了解しました」
驚いたことに、黒服は見事な敬礼を施してみせたものである。そして、それに負けない手付きで、"彼女"が敬礼を返していた。物の見事に似合わない。
「……そういえば、自己紹介がまだだったな。レオナルド・フェラーリンだ。過去は聞かないでくれ」
「隠しても仕方ないだろ。こいつの前職、オーレリアの諜報部さ。平和ボケした上層部に嫌気が差して退職して、今じゃすっかりゲイバーの顔」
苦笑を浮かべながら、フェラーリンはテーブルの上に置かれた大きな包みの封を切った。厚手の紙に覆われていたものは――ジュネットは目を疑った。彼が欲していた機密資料の数々が、そこにあったのである。オーレリアからレサスに行われた人道支援の記録。オーレリア国内のゼネラルリソース関連企業の帳簿やら取引データの類やら……およそナバロのシナリオに従っていては手が届かない危険な匂いのする資料こそ、ジュネットがズボフを通じて求めていた代物であった。
「……驚いた。まさかこんなに早く揃えてもらえるとは……」
「レサスの野郎どもに舐められっぱなしというのが我慢ならない連中も多いってこと。まぁ墨入れされちまっている部分も多いが、充分使えるだろう。引き続き依頼は続けるが、とりあえずはこんなところだな」
「感謝するよ、フェラーリン。少ないかもしれないが、報酬はこれで――」
小切手を取り出そうとしたジュネットに対し、フェラーリンは広げた手を彼の顔の前に突き出した。
「よしてくれ。これは俺たちの好きでしていることだ。報酬は、オーレリアの解放と真実の暴露という大スクープ。それでいこうじゃないか。ドミニク兄の方は知らないが」
「なんだい、それじゃ俺だけ悪人みたいじゃないか」
「誰だよ、最高の「刺客」がコンタクトを取ってきたと大喜びで連絡してきたジジイは?オーレリアの海と女がたまらないんだろう?」
「いや……しかしそれでは……」
ぐい、と掴まれた手を押し戻されてしまう。片目で不気味なウインクをしてみせたフェラーリンが、無言で頷く。これで無理強いするのは、却って彼らの「悪意」を台無しにする。大きすぎる貸しを作ったことは間違いないが、それはスクープで返せばいいことだ。そう納得したジュネットは、小切手をポケットの中へと押し込み、もう触ることを止めた。
「……借りられるだけ、借りとくよ。その代わり、必ずナバロの尻尾を掴んでみせる」
「当たり前だ。俺たちがここまでやってやってるんだ。しっかり頼むぜぃ、敏腕記者殿」
両腕でジュネットを指差しながら、ズボフが笑う。ジュネットもまた、にやりと笑い返す。
「フフン、盛り上がってきたじゃないさ。景気付けよ。アレを持ってきな!」
一礼したバーテンが恭しく持ってきたのは、特上のシャンパンフルボトル。何の惜しげも無く栓を開けたフェラーリンは、少し大きめの3つのグラスにシャンパンを流し込んでいく。これ一杯で幾らになるのだろう。間違いなくレサス国民の平均月収よりも上であることは違いない。
「それでは、我々の暗躍の成功に――乾杯!」
キン、という快い音が店内に響く。フェラーリンの従業員(部下?)たちも、どこか嬉しそうにその光景に視線を向けている。ジュネットは極上の味わいを楽しみつつも、脳裏に浮かんだ敵の総大将に向けて宣戦布告した。必ず、泣きをみせてやるぞ、とお世辞にも紳士的ではない言葉を並べながら。
上空からはSWBM。地上からは対空砲火とミサイルの応酬。どちらにしても洒落にならない攻撃のサンドイッチにされながらも、私たちは戦いを続けている。過酷な戦いを強いられることは、初めから分かっていた。今更言っても仕方が無い。だが、特に傭兵たちの多い部隊を中心として、士気は依然として挫けていない。手近の機体と編隊を組みながら、戦闘機部隊は反復攻撃を続けていたのである。中でも、対地攻撃兵装を搭載した機体たちは、僅かな隙を突きながらグレイプニルのエンジン部へと攻撃対象を変えていた。もちろん、硬い殻に覆われたエンジン部分をまともに攻撃するのは難しい。でも、逆に言えば、損害を与えることが出来れば、桁違いの大きさと出力を誇るエンジン部は、グレイプニル自身を傷付ける諸刃の剣ともなり得るのだった。気が付けば、グランディス隊長たちもその群れの中に加わって、蜂が一撃を与えるかのように巨体の周りを飛び交い、攻撃を続けている。そんな状況下、ジャスティンは旋回を繰り返しながら様子をうかがっている。ひるんだ訳ではあるまい。私の目には、獲物の行動を見極めて、いつでも飛び出せるように目標を睨み付ける猛禽の姿に、彼とXR-45Sの姿は映っていた。私は素早く情報モニタと目前の巨鳥とに視線を動かした。
「カイト3よりグリフィス4、SWBM発射口は左右それぞれ4門ずつ。外殻はともかく、内部構造はそれほど強度を有さないと推測されます。――私たちでも、多分出来る」
「そやけどフィーナはん、じゃない、ノヴォトニー少尉。あのSWBMの雨あられをなんとかせえへんと、あきまへんがな」
「いや、そこに隙があるんだ、スコット。ノヴォトニー少尉も聞いてもらえますか?」
「もちろんよ」
ジャスティンの説明は簡単に言うならば次のようなものだった。グレイプニルは、自らの機体表面を損傷させつつも攻撃を行っている。ということは、グレイプニルの翼の上に安全圏は無い。一方、発射から着弾、炸裂までの時間は30秒強。衛星軌道に乗るよりも低い高度で、SWBMは再突入を行っているに違いない。再装填された次弾が打ち上げられるのに15秒程度。およそ1分程度のサイクルで、グレイプニルは攻撃を回している。すなわち、攻撃の影響が静まってから再突入までの30秒弱は、こちらの攻撃のチャンスが出来る……そんなところか。僅かな隙を突くことには変わりないものの、これ以上の作戦を私も思いつかなかった。よっしゃ、とスコットが説明を聞くなり応じる。恐らくは、あんまり深く考えていないに違いない。その代わり、彼はジャスティンの言葉を信じたのだ。私も、彼を信じよう。了解、と答えて、彼の作戦を指示する。後は、行動あるのみだ。再びズシン、という響きと共に空が揺らぎ、SWBMがその圧倒的なエネルギーを解放する。空中要塞の真正面に回りこんでいた私たちは、SWBMの放つ衝撃波が止むと同時に一気に加速して空へと踊り出た。XR-45Sの機動は恐ろしくシャープ。遅れないように付いていくのは、前の戦いのときよりもさらに大変になっている。スロットルレバーをぐいと押し込んで、F-22Sを加速させる。
「射程距離まであと200……100……、インサイト、ロックオン!!」
声に出しながら攻撃を実行するジャスティンに続き、私もミサイルを、機関砲を放つ。スコット機からは、ロケット弾の雨が降り注ぐ。火球と火花がグレイプニルの表面に爆ぜる。巨体の表面を舐めるように接近した私たちは、ジャスティンに続いて巨体すれすれの高度で後方へと抜ける。25秒経過!操縦桿を手繰り、機体を逆さまにしてダイブ。攻撃成果を確認している暇が無い。ドシン、という衝撃を真後ろに受ける。グレイプニルの後方で姿勢を入れ替えた私たちは、低空から一気に上昇し、同じ戦法でSWBM発射口だけを狙って攻撃を叩き込んだ。狙いは有効だった。大爆発が発射管から膨れ上がり、グレイプニル艦内に外目からもはっきりと分かるほどに巨体が揺らぐ。内側から吹きだした炎が、内部で発生した爆発の規模をまざまざと語っていた。恐らく、ミサイル自体が中で暴発したのかもしれない。火災は収まる気配も無く、黒煙と真っ赤な炎とが、グレイプニルの黒い身体を彩る。SWBMの発射が中断されたのを好機とばかり、仲間の戦闘機たちが次々と襲いかかっていく。無数の火花が巨体に爆ぜ、時折膨れ上がる火球は確実にグレイプニルの戦闘能力を殺ぎ落とす。左側へと傾いだままの巨体は水平に戻らず、僅かながら高度を下げ加減に巨体が旋回を続けている。だが、敵とてそれで収まるはずが無い。炎を吹き出した左舷発射管をそのままに、もう一方の無事な発射口から、SWBMが打ち上げられる。上空へ達するよりも早く次弾が姿を現し、轟然と炎を吐きながら上昇していく。攻撃を中断した戦闘機たちが高度を下げていく。そして着弾!これまでよりも炸裂ポイントを低く取ったのだろう。一際大きな衝撃が僕らの機体を激しく揺さぶり、振動で前後に振られる身体にハーネスが食い込む。衝撃はグレイプニルをも低空へと押し下げ、巨体を揺らがせる。自らの身体にも出血を強いるその様は、まるでレサスの兵士たちの執念そのものであるように、私には思えた。
「あんまり調子に乗って、おイタするもんじゃないぜ!!」
「同感だよ、グリフィス・リーダー。加勢する、一つ派手に行こうかい!!」
なおもSWBMの発射は続く。次の着弾までの隙を突いて後方に回り込んだグランディス隊長たちが、攻撃の火蓋を切った。攻撃開始ポイントを得るべく、私たちは再びグレイプニルの前方へと回り込むルートを取る。あれだけの攻撃を食らいながらも、鉄の怪鳥は空を覆い続ける。大丈夫、あれは人の作り出したもの。越えられないはずが無い。私の前を行く少年もまた、諦める気配すら感じさせない。彼と彼の愛機の翼は語っている。諦めるな!――と。SWBM次弾発射、ブースターに火が入り、轟然と上昇開始。
ほぼ同時にADF-01Sから戦術レーザーが放たれ、グレイプニルのエンジンの一つを直撃した。焼き切られる装甲。かき回されるエンジン内部。
「クラックスよりカイト・リーダー、間もなく着弾、回避して下さい!!」
再突入してきた弾頭が到達する直前、グランディス隊長は攻撃を中断してパワーダイブ。一気に低空へと舞い降りる。炸裂したSWBMが再び轟音と衝撃を放ち、空を漂白する。その直後、さらに大きな轟音が響き渡った。真っ赤な炎が膨れ上がり、グレイプニルの身体を上下に貫いたのである。これまでで最大規模の炎と黒煙が吹き出し、赤い夕焼けの空を毒々しく彩っていく。
「何だ、何が起こった!?」
「6番エンジン、爆発!!火災発生、手が付けられません!!う、うわぁぁぁぁっ!!」
この好機を逃すわけにはいかない。ジャスティンの行動は素早かった。グレイプニルの前方に回りこんだ私たちは、開きっぱなしになっているSWBMに狙いを定め、攻撃を集中させた。私たちの3機にグリフィス隊の3番機が加わり、機関砲を、ミサイルを、ロケット弾を、爆弾を叩き付ける。
「全弾発射や、これで沈黙せぇ、グレイプニル!!」
「全滅させられた仲間たちの恨み、今ここで!」
次々と爆ぜる火花と火球に続けて、ドスン、という大音響が辺りを揺るがし、新たな爆発がグレイプニルの胴体後部を包み込む。効いている。私たちの攻撃は、あの巨体に充分に届いている。落ちなさい、グレイプニル!心の中で叫びながら、私はトリガーを引き続ける。それほど長い時間ではなかったのだろうが、その時間がとてつも長く私には感じられた。その攻撃は、歓喜によって報われた。SWBMの発射口から、ミサイルの代わりに火柱が上空へと吹き上がったのだ。仲間たちの歓声が通信を占領する。これで、先に潰れた左側同様に炎と煙を吐き出した発射管から、SWBMが姿を現すことはもう無い。真っ黒い煙を何本も引きながら、グレイプニルが緩やかに高度を落としていく。レーダーに視線を移した私は、そこに大幅に増加した味方の姿を見出した。空ではない。地上、サンタエルバの街に、いつの間にか不正規軍の地上部隊が展開している。今頃になって、私は気が付いた。地上からの攻撃が止んだのは、彼ら地上部隊が対空戦闘車両を片っ端から排除してくれたおかげだったのだ。それにしても、グレイプニルがまだ健在だというのに、彼らも無茶をしてくれる。まるで、私の前を飛ぶ少年の熱に浮かされたみたい。
「おいおい、まだショックカノンは潰していないんだぞ」
「まあそう言うな、グリフィス・リーダー。我々も手伝いたいんだよ。この街の解放戦をな」
ゆっくりと旋回を続けるグレイプニルは沈黙している。彼らには、もう攻撃オプションがほとんど残されていない。ただ、最悪のシナリオはあり得る。あの巨体自体を武器として、サンタエルバの街へと突入されてしまえば、考えるだけでも恐ろしい被害が出るに違いない。だがそれは、戦術や戦略といった観点から外れた、単なる虐殺でしかない。そこまで彼らはやるのだろうか――?軍人である前に、人間としての「良識」を私は信じたかった。だが、彼らの執念は、私の予想を上回っていたのである。不意に動きを変え、大海へと沈み始めた太陽をバックにしながら、グレイプニルは再びサンタエルバの街を正面に捉えたのだ。
「……何てことだ。たったこれだけの航空戦力に、グレイプニルがしてやられるとは、な。聞こえているか、南十字星……いや凶星。我々はここで終わるが、これで全てが終わったわけではないぞ。レサス軍人の執念、ここで見せてくれる。総員、意地を見せろ!ショックカノン、発射準備!!」
もう勝負はついているのに――!私は歯を食いしばりながら、目前の光景を眺めている。ゆっくりと機首を持ち上げていくグレイプニル。最後に残されたショックカノンを市街地に向け、サンタエルバの街に生きる命を道連れに、紅蓮の炎の中に没するつもりなのだ。それがレサスのやり方なの!?腹の底から湧いてくる怒りに、体が震えてくる。でも、私はそれ以上の怒りを、至近距離に見出した。
「止める、止めてやる!絶対にやらせるものかぁぁぁっ!!」
「お、おい、ジャス!?」
XR-45Sのバーニアが開き、加速体勢に入る。慌てて私もスロットルを押し込む。
「追うわよ、スコット!!」
全く、また無茶をして!ジャスティンの怒りに呼応するかのように、XR-45Sが轟然と加速する。敵に残された最後の切り札、ショックカノン。だが、通常時ならともかく、既に胴体はボロボロ、エンジン出力も大幅低下、ジェネレーターとて限界負荷を超えているはず。その一方で、最大出力で放つべく、充填時間を長く取る可能性は高い。つまり、まだ私たちに出来ることはある。ジャスティンの判断は多分に衝動的なものではあるけれども、間違いじゃない。今は少しでも早くショックカノンの前方に回りこんで、攻撃を集中させるときだ!グレイプニルを追い越した私たちは、充分な距離を稼ぐと同時に強引に反転した。身体に圧し掛かるGに意識を持っていかれそうになるが、泣き言を言うわけにはいかない。真正面に捉えたグレイプニルのショックカノン発射口には、青い光が既に膨れ始めている。突撃を開始したジャスティンに続いて、私も残り少なくなってきたミサイルを惜しむことなく叩き込む。空に幾筋も排気煙の白い筋が刻まれ、巨体へと突き刺さる。爆発が連続して発射装置の上で膨れ上がるが、硬質の装甲に覆われたショックカノンはびくともしない。再攻撃のために左急旋回、再び距離を稼ぎにかかる。ジャスティンには見えてないかもしれないが、仲間たちが慌しく動き始めていた。彼らも理解したのだ。傍観しているときではない、と。
「クラックスより、各機へ!情報モニタにショックカノン発射までの時間を表示します。あの悪魔を食い止めてください!」
「グリフィス・リーダーより、地上部隊へ。可能な限り、市民たちに退避するよう伝えるんだ。多少は犠牲も少なく出来るかもしれん!」
「バーグマン・リーダーよりグリフィス隊。もうやってる」
「ディビス・リーダーより全車両に告ぐ。攻撃目標、グレイプニルのデベソだ。全弾ぶち込んで、狂った目を覚まさせてやれ。何としてもこの街を守り抜くんだ。オープンファイア!!」
サンタエルバの街からは、壮絶な密度の砲弾が連続して放たれる。仲間たちの機体から、全弾を叩き付けんとして攻撃が放たれる。グレイプニルを包み込む集中砲火は苛烈なものとなり、巨体を激しく痙攣させる。全身から血の変わりにオイルと煙と炎を流しながら、それでも破滅への歩みは止まらない。今更ながら、あの巨体が恨めしく感じる。仮にショックカノンを止められたとしても、あの巨大な物質を再び空に持ち上げるには相当な衝撃が必要だ。或いは街の中央部の運河に落とすか――?それでも、突発的に発生する水害による被害は甚大なものとなるし、何より運河沿いに集結している地上部隊に相当の被害が出る。何度目か、もう数えるのも面倒になってくる。全弾丸を撃ち尽くしたスコットが悔しそうに離脱する。私もあと一回が限界。ジャスティンとて、同じような状況に違いない。
「……相変わらず、無茶するわね」
「それでも、やるしかない。こんなところで、僕は諦めたくない!」
「もちろん。私だって、諦めるものですか」
一度決めたら、本当に頑固一徹。でもその直情さが、今の私には心地良い。それはきっと、仲間たちも同じに違いない。つまらない理屈を抜きにして、彼の翼は大人たちを突き動かしている。再度グレイプニルの真正面に陣取って動き始める私たちに先行して、グランディス隊長のADF-01Sとグリフィス・リーダーという珍しい組み合わせが攻撃態勢に入る。再び赤い光が空を染めて、レーザーの奔流がショックカノンに突き刺さった。その真上を飛び越えるようにして、グリフィス・リーダー、連続攻撃。青い光は溢れんばかりに膨れ上がり、今にも零れ落ちそうだ。これでも効かないの――!?隊長たちがグレイプニルの正面から上空へと舞い上がる。変化は、突然やってきた。青い光が不意に揺らいだのである。続けて、ショックカノン発射機構の根元から炎が吹き出し、連続する爆発はグレイプニルの腹全体へと広がる。隊長たちの一撃が、硬い殻を突き破り、突破口を開いてくれたのだった。
「沈めぇぇぇっ!!」
「ショックカノン充填率、最大レベル!クラックスよりジャスティン、逃げろぉっ!!」
横に広がっていた光が集束を始めている。その中央部に躊躇いもなく突入したジャスティンを私も追う。最後まで、こうなればとことん付き合ってあげるわ!最後のミサイルと弾薬を叩き込む。手応えがあったかどうかは分からない。そんな余裕もひとかけらもない。光がどんどん集束されていく。
私たちの機体を覆い始めた青白い光が姿を消したのは、グレイプニルの翼を掠めて上空へと舞い上がった直後の事である。街中に響き渡る大音響を轟かせて、グレイプニルの胴体を上下に閃光が突き破った。次いで発生した、穿たれた致命傷の大爆発が、何と巨体を上空へと持ち上げたのである。大きく機首を持ち上げて高度を下げていたグレイプニルは、機体後方を強引に持ち上げられ、不本意ながら水平姿勢を取り戻すこととなった。破片を運河へとばら撒きながら緩やかに右方向へと滑り落ちるように旋回していく空中要塞。もう彼らに出来ることは何もない。市街地中心への突入は回避出来たけれども、その代わり、私たちに打てる手も、最早ない。
「……最後の一矢すら、浴びせられずに終わるとは……まあいい。かくなる上は、艦長としての最後の責務を果たすのみだ。我々を討ち果たしたんだ、簡単には死んでくれるなよ、オーレリアの南十字星。我々の最後の戦いが、貴官らとの戦いであったことに感謝する!」
敵司令官の声には、先程までのような狂気を感じない。むしろ、全てをやり終えたような、そんな清々しさすら感じる。結局、私たちが戦っているのは、自分自身と変わらない人間なのだ、ということを私は思い知らされたような気がした。死を前にして、本来の人間性が司令官の心に戻ったのだろうか?瀕死のグレイプニルは、最後の力を振り絞るかのように、南市街地側へと傾いていた翼を、ぐい、と持ち上げた。翼の端がビルに触れそうな高度まで降下しながら、ボロボロの機体がギリギリのタイミングで水平姿勢を取り戻す。
「もう少し、もう少し行けば居住地区域ではなくなる!持ってくれ!!」
たまらず、クラックス――ユジーン・ソラーノが叫ぶ。
「……空中管制機の案内付きで死出の旅とは、なかなか粋じゃないか……」
それは、聞き取れるかどうかの、穏やかな声だった。恐らくは故意にであろう、そのまま機体を左方向へと傾けた怪鳥は、ついに推力を失い、力尽きた。着水した左翼が運河の水面を引き裂き、そのまま河口にかかる橋を真ん中から粉砕する。次いで胴体部が着水し、水柱が艦体を包み込んだ。完全にサンタエルバの街から外れてようやく停止したグレイプニルは、断末魔の轟音を発して、全身を紅蓮の炎の中に沈めていった。大爆発の衝撃が、空を、街を揺るがした。
「グレイプニルの完全撃破を確認、サンタエルバは……サンタエルバは解放されました!!」
苦しい戦いをやり遂げた兵士たちが、一斉に歓声を挙げた。私も軽く拳を握り締めると、少しだけガッツポーズをした。ふと視線を感じた気がして、隣を飛ぶXR-45Sに視線を向けると、コクピットの中でジャスティンが腕を振っていた。お疲れ様、ジャスティン――声には出さなかったけれど、その代わりに私も腕を振って彼に応えた。勝利を掴み取った者と、敗北した者と、そして解放された者たちを、等しく夕陽の光が赤く染めていく。私の目の前で、赤く染まった尾翼の上で、すっかりと見慣れた南十字星のエンブレムが輝いていた。
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