狭まる包囲網
航空母艦シルメリィ艦内の艦長室ではなく、サチャナ基地の一角に用意された執務室に呼び出されたグランディスが部屋の中で見出したのは、「不機嫌」という呼び名が相応しい表情と雰囲気をまとった上官の姿だった。サンタエルバから強行スケジュールでサチャナにやって来たアルウォールは、サチャナに展開中の航空部隊の運用に関してオーレリア組との会議を終えるや否や、彼女を呼び出したのである。あたいじゃ色恋話の噂は立たないねぇ――というジョークは思った以上の戦果を挙げず、ミッドガルツはぞっと青ざめた表情を浮かべ、ファレーエフに至っては「隊長も若いなぁ」とぼやくのがせいぜいだった。歳は食ってるが、いい男なんだけどねぇ。ラフに敬礼すると、アルウォールは不機嫌そのものといった表情を変じることなく返礼する。
「すまないな、作戦後の多忙なところ」
「司令ほどではありませんがね」
「……全くだ。貴重な自然を焼き払うような部下がいるおかげでな」
不機嫌の理由はそれだったか。さすがにちょっとやり過ぎたねぇ、とグランディスは苦笑を浮かべる。もっとも、そうせざるを得ない状況を作り出したのは他ならぬレサス軍ではあるのだが。デスクから何枚かの束を取り出したアルウォールが、机の上にそれらを並べる。シルメリィで打ち出したコピーだろうか、いくつかの主要メディア紙の一面に、でかでかと見覚えのある光景の写真が掲載されていた。
「早速シルメリィの通信室は本隊からのコールで満杯だ。レサスの連中も手回しがいい。オーレリアによる蛮行という扱いで黒焦げた山林をでかでかと報じているよ。大統領たちからもクレームを浴びる。環境保護団体の猛抗議もやって来る。なのに、部下の心情も汲み取らねばならない。おかげで胃袋と神経が擦り切れそうだよ」
「せめてもの罪滅ぼしに、終戦後の植林ボランティアを提案しますが」
「独りでやってくれ、独りで。ここの戦いが終わったら、環境保護団体にでもどこにでも出向させてやる。……まあ、おかげでヘリ部隊は助かったかもしれないが、レサスの連中に言質を与えるのは好ましくないし、何かの間違いで我々の存在を公にされてしまっても困る。それを肝に銘じておいてくれ。とりあえずの処分は保留だ」
軍事法廷行きにならなかっただけでも満足しないとね、とグランディスは納得する。それにしても、レサスの連中も商魂逞しいというか、映像の使い回しが上手いというか、国際社会をまんまと丸め込んだ手腕は未だ健在でもあるということだろう。オーレリア側の見解が示されない以上、レサスの発した一見公平な――大半のジャーナリストたちは捏造の存在に気が付いているだろうが――情報を報じるしかない。それに基づいて世論が形成され、国際政治に戻ってくる。そこまで読んだうえで、レサスの広報担当とやらは動いているのだろう。そういう姑息な連中こそ、グランディスの最も嫌いな人種であったが、最も苦手なクチでもある。何しろ連中は表立って動くことはほとんど無い。前線に出てくる敵ならば戦闘機を操って葬ることも出来るが、情報戦は彼女の専門外なのだから。
「……で、今日は山火事の件で終わりかい?」
「そうしたいところだったんだがな、本題はこれからなんだ。ちと座って話そうか」
デスク傍のソファへと移動し、二人は腰を下ろす。長年使い込んでいるらしい鞄から何枚かのペーパーを取り出したアルウォールは、一方をグランディスに手渡し、一方を自らの手に置く。紙面に目を走らせたグランディスの目が、鋭い光を帯びる。
「まだ本件を知っているのは私とホーランド、それにオーレリアのサバティーニ班長とアンドロメダの数名のみだ。事が事だけに、迂闊にオープンにも出来ない。当面、カイト隊にも伏せておいてくれ」
「そんなまどろっこしいことをしている間に、とっ捕まえちまえばいいんですよ」
「そうもいかない。いや、レサス軍の指揮官と通じているのは事実なんだが、問題は彼がどの方向を向いているかが分からないんだ。だから泳がしている」
「どういう意味?」
「彼が連絡を取っているらしい男は確かにレサスの指揮官なんだが、彼らの関係は、とある民間企業のプロジェクトに参画したときから始まっているんだよ。だとすると、彼は――ブルース・マクレーンが向いている方向はレサスが窓口になっているものの、実際には違うかもしれんのだ」
「ゼネラル・リソース……!」
アルウォールは無言で頷いた。実物を見てあまりのイメージの落差にグランディスは愕然とし、落胆したものであるが、確かに彼の腕前は、ブルース・マクレーンはオーレリアの誇るエースパイロットに相応しいものだった。だがその人間性は、期待していた男のものではなかった。何が彼を変えてしまったのか?知りたかったその背景が、上官から手渡された数枚のペーパーに記されていた。複数の民間企業――実態はいずれもゼネラル・リソース関連企業集団だった――の合同プロジェクト「次期航空機操縦システム開発」のテストパイロットの一人として派遣され、システム開発でも活躍した彼は、言わば「出る杭」。何処の国でもありがちな話だが、家柄だとか血筋とかの良い奴に限って、自分を追い抜いていく人間を認めることが出来ないものだ。マクレーンの場合も同様。彼がプロジェクトから帰任した頃から、彼の周りに根も葉もない噂が立つようになる。それが原因で空軍主導で行われた調査委員会による捜査を受けるという記録も残されているが、そもそもマクレーン自身には何の関係も無い濡れ衣の数々に対する調査というだけでも、彼は深く傷付いたに違いない。結局「シロ」という結論が出されたものの、一度失われた信用と信頼を回復するのは難しい。さらに悪いことに、散々彼を貶めていた者たちに対する調査が行われることは無かったのだ。ここサチャナのエース部隊から、辺境オーブリー基地の教官任務赴任への異動願はすぐさまに認可される。その日から、彼のトレードマークであったはずのバトルアクスが姿を消した。彼自身も、その栄えあるエンブレムとTACネームを使おうともしなかった。まんまと目の上のたんこぶを追放することに成功した連中は、マクレーン無きサチャナに乗り込んで猛威を振るった。嫌気が差して基地を、そして軍を去る者も少なくなかった。後に残ったのは、技量も人望も実力すらない、カスどもたち。今、グリスウォールでナバロの野郎に尻尾を振っているような連中の同類だ。
事実、基地制圧時にちょっとしたトラブルが発生している。捕虜となったレサスの兵士たちの中に、味方を売って優遇を得ていたオーレリアの士官が混じっていたのだ。シルメリィの海兵隊の連中が制止しなければ、その士官は殴り殺されていたに違いない。マクレーンもまた、そんな祖国の暗闇にほとほと愛想が尽きたのだろう。オーブリー赴任後の彼には、いつしか「昼行灯」という不名誉なニックネームが与えられ、本人もまたそれを甘んじて受け入れるようになる。一方で、彼に接触を図る人間が姿を現していた。ゼネラル・リソースのプロジェクトにおいて、レサス空軍から派遣されていたテストパイロットの一人、ペドロ・ゲラ・ルシエンテス――現在は、レサス空軍第1航空師団第3戦闘飛行隊を率いる男だ。サンタエルバにおいて情報収集艦アンドロメダが傍受した無線通信の会話の一つが、マクレーンとルシエンテスのものだった。つまり、今現在も関係が続いている。レサスとオーレリアが戦争状態にあるにもかかわらず、前線部隊を率いる敵同士の隊長格が情報交換などするはずも無い。そこには、「裏切り」と「スパイ行為」という疑惑が、当然の如くかけられることになるだろう。レポートを読み終えたグランディスはサングラスを外して目頭を押さえた。
「……あたいがこの立場でも裏切りたくなるね、こいつは」
「同感だ。それでも彼が今日まで残っていたのは、空を飛ぶことへの愛着を捨て切れなかったからかもしれない。恐らく、今もそうだし、彼の教え子たちが必死に飛んでいることも、彼が祖国を見限って去らなかった理由の一つだろう。マクレーンはそれでいい。だが、このルシエンテスという男はもう待ちきれないに違いない」
「どうして」
「オーレリアの南十字星――ジャスティンのXR-45Sの飛行データは、レサスのAWACSを経由して逐一伝えられていたんだ。AWACSの所属は、ルシエンテスの率いるサンサルバドル隊」
「おいおい、それじゃあグリフィス隊の動きはレサスに筒抜けだったってことじゃないか。しかも、それにもかかわらずジャス坊を何で放っておくんだ?」
「兵器テストのつもりなんだろうな。だが、サチャナ侵攻作戦から、データは彼らの元に届いていない。ホーランドとサバティーニ班長の手で送信機器を外してしまったからな。だから、近いうちに奴らは仕掛けてくる。そう、我々は考えている」
アルウォールの意図に気が付いたグランディスは、思わず苦笑を浮かべた。本当に、人の悪いジジイだ。レイヴン艦隊の創設者の一人たるアンダーセン提督も食えない爺さんだったと彼女は思うが、それに負けない貫禄と老獪さがこの上官にも備わってきたようである。
「――分かったよ。そこまで分かっていて、敢えて仕掛けさせるのだろう?」
「勘のいい女性は好きだよ」
「世辞はよしてくんな。でもま、あたいらを含めて、オーレリア不正規軍はジャス坊たちを失うわけにはいかない。昔のオーシアにとってのサンド隊のようにね。分かった、カイト隊の面子をサチャナに必ず待機させておくようにしよう。その分、腕の鈍っているだろう傭兵隊に出番を譲ってやるとするかね。それにどうやら、うちの3番機は南十字星にホの字みたいだからね。適任だろうさ」
カカカ、と笑いながら、グランディスはペーパーをテーブルの上へと放る。とはいえ、問題は簡単ではない。敵が仕掛けてくるとするならば、マクレーンの裏切りは明白なものとなってしまうからだ。そうなれば、あの坊やたちの受けるショックは小さいはずが無い。かといってマクレーンを葬ってしまえば、それはそれで問題となる。
「さて、後はどうやって事態を収拾するかだな……」
そんな手筈があるなら、こっちが教えて欲しいよ、とグランディスは心の中で呟いた。長い間、戦争を知らずに済んだ国で貶められたエース。心強い味方に裏切られる若きエースたち。オーレリアに巣食った闇の深さを思い浮かべて、グランディスは口をへの字に結んだ。
オーレリアの森を醜く彩った焼け跡。オーレリア残党軍自身の暴挙のおかげで、祖国の正当性は一層引き立つに違いない。自身が提供したスクープ写真がずらりと並んだ各紙の一面を眺めて、アレクシオス・ナルバエスは会心の笑みを浮かべる。グレイプニルの陥落以後、不愉快なことばかりを強いられたナルバエスにとっては、久々の活躍の場だったのだ。やはり勝利はいい。レイヴンウッズの連中が一方的にしてやられた事態は不愉快の極みだったが、その敗北の事実はオーレリア自身の失敗によって覆い隠すことが出来た。後は全ての不愉快の元凶たる南十字星――凶星さえなんとかすればいい。たった1機の戦闘機のために、栄光あるレサス軍は散々振り回されてきた。しかし、それも終わりのようだ。ナバロ将軍は、言ってくれた。
「南十字星の輝きは間もなく失われる。それに、オーレリアに鷹があるなら、我々には狼がいる。神をも食い殺す、猛々しい狼が」
将軍の言葉を、私は信じなければならない。そうナルバエスは確信している。これまで、誰もがその発言を疑うようなことも、将軍は成し遂げてきたのだ。今は確かに押されているかもしれない。だが、グリスウォール周辺には占領軍の主力部隊が展開している。ネベラ山には敵の目をくらませるための強力なジャミング施設も設置されているし、万が一に備えての首都防衛兵器の開発も順調だ。そう、レサスの力は失われていない。これからは、如何にしてレサス軍の優位を強調していくかが鍵となるだろう。オーレリアの残党がここまで巻き返すとは、正直計算外ではあった。あれほど宣伝には配慮してきたグレイプニルが、戦闘機の群れによって落とされた等という事実にナルバエスは激怒したものだ。そうだ、前線の兵士たちは誰のおかげで戦っていられるのかが分かっていない。彼らは、将軍とその意志を正確に伝達することが出来るスタッフによって定められた道と方法に則って、忠実に任務を果たしてさえいれば良いのだ。それにもかかわらず、彼らは将軍の期待を裏切り続けている。何か良い手はないだろうか?綱紀を粛正し、兵士たちに命令を徹底させるよう仕向けなければならない。ましてや、近々開始される作戦は、取扱を間違えればレサスの正当性を根本から揺るがすことになる。全てを残党軍どもになすり付けなければならない。所詮は烏合の衆、まして情報の全てはレサスが押さえている状況下で連中に出来ることは限られているだろうが、念のためだ。いくつか考えているプランを頭の中に思い浮かべながら、彼は万年筆を指の上で回し始める。指の上で、使い込まれた万年筆が5回ほど回ったところで、卓上の電話が鳴り始める。
「――私だ。どうした、何か動きでもあったのか?……何だって、またあの店だと?何で踏み込まない?……なるほど、それは確かに入り辛いかもしれんが……まあいい、監視の目だけは緩めるな。それにしても、あの旦那にそんな趣味があったとはなぁ。人は見かけに寄らないものだ」
どうやら、あの旦那――アルベール・ジュネットを恐れる必要はなくなって来たらしい。ラーズグリーズの目撃者と呼ばれるほどの男が乗り込んでくると知ったときには背筋が凍るような気分を味わったものだが、どうやら買い被りだったらしい。グリスウォールの売春斡旋の男などと組んでゲイバー遊びとは、稀代のジャーナリストも焼きが回ったらしい。つまりは、自分自身の情報統制が奴の取材能力を上回ったということに違いない。部下たちからの報告では、かの店「オストラアスール」は相当に玄人好みの店であるらしい。そんなハードな店に出入りしていると漏らしただけで、ゴシップ好きの記者たちがジュネットを追い回す事になるだろう。男色趣味の役立たず記者。こいつはいい。その線で奴を売り出してやるか?まあ名誉毀損の類で告発されない程度にいたぶっておいてやるのも楽しいに違いない。酷薄な笑みを浮かべながら、ナルバエスは自分の足下に土下座しながら涙を流し許しを乞うジュネットの姿を思い浮かべた。そんなことが実現すれば、たまらない快感を得られるに違いあるまい。
「何だ、まだ報告があるのか?……何だと?……それで、連絡はどうなっている?繋がらないだと……そんな馬鹿な話があるか。貴様らは本国でも優秀な諜報員と呼ばれてきた人間だろう。それが何の情報も得られずに姿を消しました、だと!?ふざけるな、それも含めて調べるのが貴様らの任務だ!役立たずめが!!」
乱暴に受話器を置いて、荒れた呼吸のままナルバエスは立ち尽くした。本当に屑の役立たずめが。それにしても、工作員がそれも4人、連絡も無く消息を絶つようなことが起こり得るのだろうか?いや、現実に起きてしまったことは仕方ないとして、一体誰が?オーレリア不正規軍の戦力はまだここグリスウォールには到達していない。市民の草の根レベルの地下組織の存在は噂され始めているし、現実にテロ活動に出てきた連中もいるが、むしろ激発させて一挙に殲滅すれば良い分、大した敵ではない。では一体誰が!?そんな組織と戦力の存在など、ナルバエスの手許には知らされてもいなければ、その存在すら定かではない。まさかジュネットの野郎にオーシアの工作員でも付いて来ているというのか?ゲイバーで遊び呆けているらしい男の姿を脳裏に思い浮かべて、ナルバエスは憎悪の炎を眼に点した。やはり奴はクロだ。奴が直接ということはあるまいが、奴の近辺にいる奴が妨害行為を働いているに違いない。必ずその正体を暴き、この手で葬り去ってやるぞ。人間に生まれてきたことを後悔したくなるくらいに、クチャクチャと苦しませてやる。今や、ナルバエスはそんな呪詛の言葉を口から漏らしながら呟き続けている。彼の偏見は、しかし事実のハードルを飛び越えて真実には到達していた。ナルバエス自身は気付いていなかったが、この時点でアルベール・ジュネットは完璧にクロであったし、レサスにとっては痛恨の一撃となるような情報に近付きつつあったのである。そして、彼に協力している「オストラアスール」がどんな面子の集う店であるのかを知らなかったことが、後にナルバエス自身に不幸をもたらす結果となる。
数日後、彼の元に送られてきたVTRをナルバエスに手渡した秘書官は、砕け散るグラスの音とナルバエスの怒声を耳にして慌てて室内へと飛び込む羽目になった。肩を上下に荒々しく動かし、血走った目で画面を睨み付ける彼の視線の先――そこには、見事に美しい筋肉を見せつける海パン一枚のマッチョな男たちにタンゴを強要されている、4人の部下の姿があった。
「……殺してやる。殺してやるぞ、アルベール・ジュネット。必ずその頭に穴をあけて、グリスウォールに晒してやる……」
不気味な暗殺宣言を繰り返す上官の姿に、秘書官は心から恐怖すると同時に、上官の脆い精神的な限界を見出したのだった。
抜けるような青空。やはり動かない地面に足を付けているのは気分が良い。すっかり慣れたとはいえ、乗り始めの当初は船酔いに悩まされ続けた日々を思い出して、私は独り苦笑した。その点、安定した大地に滑走路を伸ばしたこのサチャナ基地は、ヴァレー空軍基地同様に自身でもない限りは揺らぐことは無い。心なしか、気楽でいられるのはその影響も少なくないに違いなかった。もっとも、サチャナに割り当てられた格納庫は上等な設備のものであるにもかかわらず、わずかな時間で潮風と不安定な足下を懐かしがる整備兵たちが続出する有様で、長年の経験と生活環境は人の感傷までも変えてしまうものらしかった。
「乗らないなぁ、気が全然乗らないなぁ。こんなときにはコークにハンバーガー、トドメにコカをキメテぐっすり!……ってなのは出来ねぇなぁ」
「当たり前だ、腑抜けてないでさっさとスパナを動かせ、オズワルド。フィーナ嬢が笑いを堪えているじゃないか」
「おおっと、笑顔をカメラでゲットだ!ありがとうございます、ホーランド班長!!」
不機嫌と上機嫌を目まぐるしく行ったり来たりしているオズワルド准尉の姿に、さすがのホーランド班長も呆れているらしい。処置なし、と言った様子で笑いながら首を振っている。主翼にかかった梯子のうえで劇的なポーズを繰り返しているものだから、周りの整備兵たちまでが笑いを堪える羽目になっている。……まぁ、ノリで動いているとはいえ、歴戦の兵士の一人である准尉のことだ。ウケを取って場を盛り上げて、ついでに仕事の能率も上げようと画策してのことかもしれない。私の愛機が駐機している格納庫にはグランディス隊長のADF-01Sも駐機していて、その整備スペースが私の前に取られている。隊長自身はアルウォールに「お呼び出し」となり、きっとこの間の山火事の件を搾られているに違いない。その代わりというわけではないだろうけど、存在感抜群のADF-01Sのコクピットに描かれた瞳が格納庫の中を見張っているかのようだった。実際、F-22Sと比べると機構も装備も複雑なADF-01Sの整備員の数は多い。システム周りの民間からの派遣も含めれば、結構な人数がこの機体と旅を共にしている。何度かあの機体を操縦させてもらったこともあるが、今の機体とのあまりの違いに驚愕させられるばかりだった。もっとも、あのコフィン・システムですら試作型なのだという。究極的には人間の神経回路を直接接続することにより、より自由で繊細に機体を操るためのシステムが、本来のコフィン・システムであるらしい。機体と人間の融合。でもそれは、ハーモニーを奏でる類の関係なのだろうか?一つ間違えれば、私たちを簡単に殺せる機動すら可能な愛機との緊張関係――よりギリギリの線で機体を操り、空を飛ぶこととは相容れない考え方に、私は正直なところ賛成できないのかもしれない。
「ところでフィーナよぅ、いい加減この尾翼、エンブレム入れようや」
「まだ結構です」
「この間みたいなことはしないさ。リボン付とか、黄色とか、赤い猟犬とか、あー、右の翼を赤く染めるってのはどうだ!?」
「レサスの兵士たちだけじゃなく、傭兵隊の連中全員からボコられてもいいんならやればいいさ。オズワルド、ここの傭兵連中の中にはヴァレーの薫陶熱い連中がいることを忘れたわけじゃあるまい?」
「ならブルちゃん」
「……ホーランド班長、今度こっそり、准尉の異動願をヴァレーに出しておくのはいかがでしょう?」
「名案だな。あそこの猛者たちにもう一度性根を叩きなおして貰ってもいいな」
「そ、そんなぁ、じゃあやっぱり南十字星か!?やっぱり、あのエンブレムなんだな!?」
いい加減にして――と言うよりも早く、けたたましい警報が格納庫の中に鳴り響いた。空襲警報ではないことに安堵しつつも、尋常ならざる事態が発生したことだけは間違いない。ついにレサスがサンタエルバの奪還を狙って動き出したのだろうか?
「緊急事態発生、緊急事態発生、作戦機搭乗員は直ちにブリーフィングルームに集合。各整備班は作戦機の出撃準備を急げ。繰り返す、搭乗員は……」
格納庫の出口を目指して、私は勢い良く走り出した。見送る整備兵たちがラフに敬礼するのに応えながら、私は夏の陽射しが降り注ぐサチャナの滑走路の上を走り続ける。これまでとはオーレリア不正規軍も違う。より多くの作戦機を導入出来るようになった不正規軍の実力を見せるのは、これからだ。そしてその前方に輝くであろう南十字星の姿を思い浮かべる。走りながら首を巡らせると、同じように走っているパイロットたちの中に、見慣れた若者たちの姿。いち早く気付いたスコットが両手を振っている。その隣で、つられて片手を挙げた若きエースに、こちらもつられて手を振って応える。慌しく出撃準備に突入するサチャナ基地。その滑走路を心地良い涼風が通り過ぎ、後ろに束ねた髪を揺らす。今日も一緒に飛べるといいわね――心の中でそんなことを呟きながら、私は回転させる足の速度を少しだけ上げたのだった。
出撃準備の喧騒に包まれた格納庫の中、オズワルドは独りしょんぼりとしている。そんな彼の背中を、ホーランドは少し強めに何度か叩いた。
「い、イテッ、班長、そのごっつい手じゃ痛いですってば!」
「バカったれ。フィーナをからかいすぎだよ。そっちはまだまだ初心な子だ。もう少し考えてから口開け、このおしゃべりめが」
余計にしゅんとして下を向く部下の姿に、ホーランドは失笑してしまう。今度は軽く、その肩を叩きながら彼は再び口を開く。まだ、今は空席の垂直尾翼を見上げながら。
「ま、そう慌てなさんな。お前さん直筆のエンブレムの出番はそう遠く無いだろうからさ」
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