不本意な待機命令
サチャナ基地の設備は、必要限度を越えているんじゃないかと思うくらい立派なものだった。正直なところ、私の故郷たるヴァレー基地でさえ、ここまで立派ではない。その代わり、機能性や効率性、それにいざというときの即応体制などは、かつてのベルカ戦争で本物の実戦を経験した基地だけあって、あの戦いから四半世紀を経た今日でも当時の教訓が活かされている。それと比べると、サチャナは箱だけ立派、中身は……と感じてしまうのだった。パイロットたちが集められたブリーフィングルームにしても、何もここまで金をかけなくても……と苦笑したくなるような造りだった。今、その部屋を満たしている中に、生粋のオーレリア空軍パイロットは僅かな人数しかいない。出撃前の緊張感など全く見せずに、むしろこれからの戦いが楽しみで仕方のない、といった雰囲気の猛者たちが大半を占めている。壇上には不正規軍の実戦部隊首脳部と言って良い面子が並んで座っていたが、珍しくグランディス隊長の表情が厳しい。そんなに大変なミッションなのだろうか、と私は卓上に置かれたレジュメを手にとって読み始める。偵察部隊から送られてきたらしい航空写真が何枚か差し込まれている。場所はサンタエルバの北、カラナ平原。その原野に規則正しい陣形や列を為して、進撃中のレサス軍地上部隊の姿が映し出されていた。先のグレイプニルとの決戦時にサンタエルバから退避した、サンタエルバ方面軍のものであることは間違いない。サチャナ基地が陥落したことによって、とうとう彼らも追い詰められた、ということなのだろうか?
「――諸君、余裕をかましてくれるのは心強いが、緊急事態が発生した。ソラーノ君、状況を出してくれ」
「了解であります」
一向に収まりそうになかったざわめきをアルウォール司令が一瞬で静め、そしてブリーフィングの開始を宣言する。ジャスティン・スコットとつるんでいる若者の一人、ユジーン・ソラーノが端末を操作しながら、情報ディスプレイに戦況図を映し出す。青い友軍を示すアイコンが街の北側に展開しているのに対し、その北西、カラナ平原に敵軍を示す赤いアイコンが表示される。この膠着状態は、僕らがサンタエルバを解放して以来ずっと続いていた戦況だ。画面のモニターが引き続き変化していく。カラナ平原にあったアイコンが、いくつかの方面に分かれて、カラナ平原を離れ、サンタエルバへと向かっていく。レジュメに差し込まれた航空写真の示すとおりに。
「サンタエルバを追われ、カラナの遺跡群に展開していたレサス軍地上部隊の主力が、サンタエルバ奪還のためにようやく動き出した。偵察に出ていた連中が監視を継続しているが、連中、ここサチャナを奪われたことで業を煮やしたらしい。戦車隊を中心とした機甲師団が相手だ。戦力の増強が為されてきたとはいえ、我々の地上戦力だけで対抗するには少々荷が勝つ。幸い、ここサチャナを拠点として航空戦力を動員出来る我々に対し、レサス地上軍には頼るべき航空支援がいない。これを好機として連中にトドメを刺す」
「よっしゃあ!」
「へっへっへ、小遣い稼ぎだ。腕が鳴るぜ!」
「……といきたいところだが、敵の動きは実は自暴自棄のものではない。諸君らには伏せていたのだが、サンタエルバには既に敵の工作部隊が潜入しているという情報を我々は得ていた。彼らの目的は、サンタエルバの浄化――ジェノサイドだ。市内の虐殺と陸上戦力による徹底的な破壊、それが彼らの真の目的だ。これを見て欲しい」
私は手元のレジュメを何枚かめくった。ついこの間、グランディス隊長から「胸クソ悪くなる」回覧で回ってきたサンタエルバ市民に対する虐殺行為の証拠写真が添付されたシートの次に、今ディスプレイに表示されているのと同じものが載っている。――サイノクリンと名付けられた神経ガス。致死量は極めて微量。人体の肌などに付着したガスは、皮膚を透過して血液中に取り込まれると、一種のショック状態を引き起こす。その結果引き起こされる呼吸障害に加えて。ガス成分本体の持つ劇毒が体内・体外とを問わず腫れ上がらせる。呼吸する術を失い、全身を貫く激痛の中で、犠牲者は文字通りのた打ち回りながら死に至る。ビルの地下室で折り重なるようにして倒れていた骸たちのように、後でその身元を確認するのは極めて困難となるほど、凄惨な亡骸がガスの通り過ぎた後には残されることになるのだ。その最低最悪の兵器を、レサス軍は使用するつもりということか。それも、前線ではなく、抵抗の力も持たないサンタエルバの市民たちに対して、だ。私は首を振った。オーレリアとレサスの間には、そんな修復不可能なほどの憎しみが生まれていたのだろうか?かつてはあれほど激しい戦いを繰り広げたウスティオとベルカですら、今では友好関係が築かれているというのに。戦争に善と悪もないとは思うけれども、それでも踏み外してはならない最低限のルールは存在する。それすらも乗り越えてなおも平然としていられる人間を、私は理解したくはなかった。
「レサス軍機甲師団が動き始めたということは、市内に潜伏している工作部隊の行動が始まるのも間もなくということじゃろう。しかも、その部隊は画面に出ている猛毒のガス兵器「サイノクリン」を使うつもりじゃ。幸い、研究班が中和剤の製作には成功しておるが、如何せん数が足らん。航空機に搭載出来るのはせいぜい3機分というところじゃろう。これは、グリフィス隊の3機に搭載する。マクレーン中尉は対空戦闘装備で、上空支援に就いてもらうことになる」
「奴らの狙いは、カラナ平原の戦力の移動によって、サンタエルバから我々の戦力を引き剥がすことだ。……我々は、その誘いに敢えて乗る。サンタエルバ市内にはディビス隊を中心とした小規模の部隊を残して、他の部隊はサンタエルバ北方の防衛線に展開。航空戦力もグリフィス隊を除いては全てレサス軍地上部隊へと差し向ける。ただし、不測の事態に備えてサンタエルバでの異常発生時には、一部の部隊はサンタエルバへと急行してもらうこととなる。そのつもりで作戦に望んで欲しい。……概要は以上だが、質問は?」
それではサンタエルバが手薄になる――なるほどね。それが司令たちの狙いということか。敢えて隙を見せて激発させ、一網打尽にする。それにしてはリスクが大きすぎるような気もしないでもないが。そんなことを考えていると、どうやら躊躇した末らしく、遠慮めに手を挙げるジャスティンの姿が目に入った。おお、という傭兵たちの冷やかし半分の歓声に、彼の顔が赤くなる。傭兵たちにしてみれば、お気に入りの若い奴を勇気付けているつもりなのかもしれないが。
「サンタエルバ支援隊をグリフィス隊のみで実施するのは何らかの意図があってのものでしょうか?中和剤の製造が間に合わないのは分かるんですが、戦力的な空白が生まれるように僕は……いえ、自分は思うのですが」
再び「おおー」という歓声。拍手まで付いてくる。どうやら足を蹴飛ばされたらしいスコットが悲鳴をかろうじてこらえて悶えている。
「ジャスティンの指摘は正しい。そう、我々は意図的にサンタエルバに空白を作り出す。あまり最初から厳重にサンタエルバをマークすると、敵工作部隊に気取られる恐れがあるからだ。無論そうする方法もあるが、今度はいつ何時テロ工作を仕掛けられるか分からないというリスクを背負うことになる。今回は、敵地上部隊とテロ部隊、双方を一気に殲滅出来る数少ないチャンス、というわけだ。君らには今回も重圧を背負わせてしまうことになるが……よろしく頼むよ、南十字星」
充分な答えを得た、という感じでジャスティンが腰を下ろす。それにしても無茶な判断を司令たちも下すものだ。グリフィス隊の戦闘能力には全く疑いがない。それは事実。でも、戦闘に予期せぬ事態は付き物。それを踏まえたうえで、この基地の航空戦力の大半はカラナ平原に動員するというのだから、恐れ入る。サンタエルバ方面の戦いは、明らかにオーレリア不正規軍に負荷のかかる戦いとなる。だが、そんな無茶であっても兵士たちに受け入れられるに充分な信頼と理解を、既にシルメリィ艦隊は築き上げることに成功していた。今や、オーレリアだシルメリィだといった垣根は必要なくなっているのかもしれない。
「他には無いか?……よし、では各員、検討を祈る。解散!!」
歓声が再びあがり、傭兵たちを中心に、パイロットたちが我先にと駆け出していく。彼らには、敵目標が既にドル袋に見えているのかもしれない。その逞しさは、むしろ歓迎すべきものだと思う。喧騒が去るのを待って、私たちも愛機の元へと移動しようとしたところを、グランディス隊長が呼び止めた。珍しいことに、グランディス隊長の表情は未だに厳しい。普段なら、「へっへっへ、皆殺しの時間がやってきたぜ」等と物騒な台詞を呟いている頃だというのに。うちには別の話がある、とだけ言って、隣接した小会議室へと先発して移動を始める。
「隊長、どうしたんだろう?」
「……こういうときは、あまりいい話は無いと思う」
ミッドガルツも不思議そうに首を傾げながら、そう返してきた。そして、ミッドガルツの言葉は現実のものとなった。

「……どういうことですか?」
「そういうことだ」
「命令には従いますが……納得がいきません!」
「そうだよなぁ……あたいだって、フィーナの立場だったらそう言うだろうしなぁ」
腕組みをして苦笑しているグランディス隊長。命令には従わなくては――そう言う理性の言葉が、今日は私の心を抑えられない。小会議室の扉が閉まるなり、グランディス隊長は言ったのだ。私とファレーエフ中尉は今日の出撃から外れ、ここサチャナ基地に待機してもらう、と。何が何だかさっぱり分からない。何か飛行停止になるような問題は……まず起こしていない。それなら森を焼いてしまったグランディス隊長こそ、謹慎処分になっていてもおかしくないはずだ。驚いたのは私だけでなく、ミッドガルツもノリエガ少尉も、そしてファレーエフ中尉も意外だ、という表情をして、口元に苦笑を浮かべていた。
「……隊長、話せる範囲で構わないから説明してくれないか。納得していくのと、納得せずいくのとではやはり覚悟が異なる」
「そうだねぇ……こういう話は本当に好かんのだけど」
頭を掻きながらサングラスを外し、隊長は組んだ指を眉間に当てる。こういう仕種の隊長を見るのは初めてだ。グランディス隊長であったとしても、語るのを躊躇うような話があるのだ。隊長の沈黙はそれほど長くなかったはずだか、その間、会議室の中を彷徨った沈黙の妖精が舞を終えるのを私たちは待ち続けた。
「……表向きの理由は、カラナ平原に対する作戦行動では、これまで出番をあまり作れなかった傭兵たちに小遣い稼ぎをさせる、という方針のため。まぁ、今回のミッション、一応あたいらは隠密部隊みたいなもんだからね、連中にストレスが溜まっていたのは事実さ。んで、本題。ときにフィーナ、オーレリア不正規軍が今日ここまで勢力を取り戻したのは何でだと思う?」
「――要となる、部隊が存在していたから、ということですか?……グリフィス隊が」
「その通り。あの絶望的な戦況で、レサスに喧嘩を売ったお馬鹿な部隊がいたからさ。しかも、その中には将来有望なエースまで含まれていた。正直、あたいはこんな短期間でオーレリアがここまで力を取り戻すとは思ってもいなかった。それが今や、ジャス坊もスコットも、この不正規軍の要といって良いエースパイロットの一人になっちまった。そして、極論を言えば、オーレリア解放は既定のものになっている。……仮に、ジャス坊たちがいなくなっても、ね」
妙に引っかかる言い方だった。サチャナ基地を取り戻したオーレリア不正規軍の前には、まだ難所がいくつか存在している。だが、時間がかかったとしても、オーレリアは自力で国土を取り戻すだろう。それだけの戦力と勢いが揃いつつあるからだ。それに対するレサスは、カラナ平原の地上部隊を失えば、残る大規模な地上部隊はグリスウォールの防衛部隊くらいのもの。本国からの増援を得る手もあるが、それは国際社会の厳しい監視と批判に晒されることと同義だ。開戦時のレサスの大義名分には、疑問符が数多く貼り付けられているのだから。それでも、まだオーレリアの空には彼らが――若きエースたちが必要だと思う。彼らが戦いの空を飛ばなくても良くなることは本来望ましいことだが、前線の兵士たちは彼らの姿に勇気付けられて今日まで戦い続けてきたのだ。その姿が見えなくなったとき、一時的とはいえ兵士たちの士気は低下してしまうだろう。今はまだ、その時期ではないはずなのに。自分の内面で、まだ整理の付いていない想いと思考がこんがらがっている。その気は無かったけれども、どうやら私は隊長を睨み付けていたらしい。まいったね、といった様にグランディス隊長が笑う。
「そんな怖い顔しないでおくれ。何もあたいはジャス坊たちが必要ないと言ってるんじゃないのさ。……むしろ、彼らを守るために、うちの腕利きを残しておきたい、というわけさ」
「ちょっと待った、隊長。それは何か、サンタエルバに向かうグリフィス隊に何か危険があるというのか?それなら、彼らと共に我々も出撃して、後方支援に就いてもいいと思うのだが」
「ファレーエフの意見にも一理あるが、それでは危機に対応出来ない。……実は、彼らを捕獲せんと、付け狙っている連中がいるんだ。今回サンタエルバに起きようとしている危機も、実はジャス坊たちを捕獲するための大掛かりな仕込みなのかもしれない――と、アルウォール司令やサバティーニの親爺さんは考えている。中和剤のタンク抱えて出撃ともなったら、大した装備は積めないし、この好機を敵が逃す手は無いからね」
「そこまで分かっていて、ジャスティンたちを飛ばすんですか?」
「そうさ。何が起こるか、正直あたいにも分からないんだ。ただ、付け狙っている奴らの正体はある程度絞り込まれている。本当にそいつらが仕掛けてくるとなると、ろくな装備を持たずに出撃するグリフィス隊では手に余るだろう。敵は、レサスのエース部隊、サンサルバドルの鳥たちだからね」
「……サンサルバドルの鳥たち。ナバロ直属とも言われている、死を背負った不吉な鳥たち」
ミッドガルツが呟く。私もその名前はデータで目にしている。サンサルバドルの鳥たち――レサス空軍第1航空師団第3戦闘飛行隊は、アレクト隊と並ぶトップエース部隊として、その名を知られた連中だ。その隊長、ペドロ・ゲラ・ルシエンテスは、エースを束ねるに相応しい部隊最強の腕前を持っている。彼の率いる戦隊は、開戦直後のオーレリアでの戦いで、グレイプニル迎撃のために出撃したオーレリア空軍機10数機を彼らだけで殲滅したことで一躍有名になった。ディエゴ・ナバロの覚えもめでたいと聞いている。そのエースたちがジャスティンたちを狙っている、ということは、強欲なナバロが南十字星たちの腕前に惚れ込んでスカウトする気になったということなのだろうか?一体、彼にとってこの戦争とは何なのだろう?彼の言う、「長年に渡る不当な搾取に対する報復」とやらは、開戦のための理由付けに過ぎないだろう。ゼネラル・リソースと通じているナバロにとっては、敵の腕利きパイロットも集めたいコレクションの一つということか。いや、それとも「コレクションにしたい」のはゼネラル・リソースの方で、ナバロはその窓口ということか?
――どっちだっていい。私の役目は良く分かった。グリフィス隊を取り込もうと仕掛けてくる敵の手から、グリフィス隊の面々を守り抜く。少し気になることが無いでもないが、それだけ分かれば十分だった。何より、オーレリアの兵士たちに希望の火を燈してきた南十字星を、そうそう簡単に敵の手に渡せるはずも無かった。オーレリア不正規軍のためにも、私自身のためにも。私自身?そう、私自身だ。この戦争が無ければ、戦いの空にこの時点で上がる必要も無かった南十字星――ジャスティンが、どんな思いであの機体を操り、戦いの空を駆け巡っているのか、私は知っている。どれだけ必死の思いで、背負い切れないほどの重圧を背負いながら、それでも軽やかにあの空を舞っているのかを。そんなことも知らない連中に、あの少年の未来をくれてやる気なんて、更々無い。
「カラナ平原の狩りは、傭兵たちの専門分野さ。あたいらも異常発生時は反転して駆け付ける。それまでの間、グリフィス隊を、それにお気に入りの南十字星を守っておやり。その代わり、敵に対して配慮は無用さ。徹底的に叩きのめしちまいな」
もう迷うことは無い。正規軍ばりの立ち上がって敬礼なんてものは、この部隊でもほとんどやらない。ファレーエフ中尉も私も、座りながら頷いただけ。それで充分。大事なのは、実際の行動。私の担うミッションは、もしかしたら今次作戦の最重要事項かもしれないのだから。

……でも、私たちは知らなかった。隊長が言いあぐねたのが、「身内の内通者」であるという事実に。それが判明したとき、私は隊長の躊躇の理由が良く分かった。信じたくなかったのだ、と。
サンタエルバを発し、カラナ平原へと進撃を続ける戦車たちの群れが、土煙をあげながら大地を疾走している。これでも、カラナに展開していたレサス軍の地上部隊と比べればまだ少ない。その代わり、兵士たちの士気は連中を凌駕していると言っても過言ではないだろう。誰もが、敗戦間違いなし、と信じていた戦況をひっくり返した、という事実が、一度は失われかけた自信を兵士たちに取り戻させたのかもしれない。自分もその中の一人だな、と自らも戦車の中に身を置きながら、フィリッポ・バーグマンは苦笑を浮かべる。サンタエルバに迫りつつある危機を彼はもちろん知っていたが、僚友たるディビスが猛者たちを従えて街に留まり、グリフィス隊がガスの中和に回るともなれば、安心して後方を任せられるというものだった。背中の心配をする必要が無いことが、どれだけ心強いことであるか。こればかりは、四面楚歌、周囲一帯全部敵、という憂き目を見た者にしか分かるまい。だからこそ、南十字星――ジャスティンたちの姿に兵士たちは奮い立つのだ。俺たちがこんなところで立ち止まっている場合じゃない、と。それが、オーレリア不正規軍の強さでもある。全く、大した少年たちだ。自分も含めて、オーレリアを解放してみせる、という気にさせてしまうのだから。今日の空に彼らの姿を見られないのは残念だったが、レサス軍にとっては彼らではなく、歴戦の傭兵たちに襲い掛かられることの方が不幸であるに違いない。
「パグ・チームより、バーグマン・リーダー。間もなく防衛線、展開地点」
「コーギー・チームより、こちらも間もなく到着だ。敵の位置はどうか?」
「クラックスより、地上部隊。敵の針路に変更なし。防衛線前方からいくつかの集団に分かれて依然接近中です。こちらの航空部隊は既にサチャナを飛び立っています。間もなく、第一陣が上空に達します」
「了解!ほんじゃ、砲身でも磨いとくか」
バーグマン自身の率いる本隊も、展開予定地点へと到達する。カラナ平原は、戦車部隊が姿を隠せるような遮蔽物がほとんど存在しない。天気さえ良ければ、遠くからでも敵の姿を肉眼で確認することが出来る。そういう意味では今日のコンディションは最高だった。地平線の方向、ゆらゆらと揺れているのは、地上部隊のまきあげる砂煙に他ならない。まだ射程範囲外。部下たちに与える指示は最低限のもので充分だった。重装甲の戦車部隊を前面に、装甲は薄いが火力のある火砲をその後ろに。平原に整然とした陣形を組みながら、オーレリア不正規軍は迎撃体制を整えていく。サンタエルバ解放戦以後、初めての大規模地上戦。ここを抜ければ、残る大規模部隊はグリスウォールのナバロ指揮下の軍団程度となる。これからの戦いを楽にするためにも、カラナの地で可能な限りの損害をレサスに与えておく必要があった。まだ良いだろう、と車体上部のハッチを解放する。だいぶ気温が上がってきたとはいえ、車内よりは清々しい風が入り込んでくる。そして重苦しいエンジンの音に混じって、甲高い咆哮が空から聞こえてきた。身を乗り出して視線を空へと転じれば、青い空にいくつかのトライアングルが描かれている。低高度を飛んでいる何機かが、翼を何度か振っている。鋼鉄の翼を持つ鳥の群れが、平原に展開した地上部隊の頭上をゆっくりと通過していく。
「ペリカン隊より、バーグマン・リーダー。今日は俺らがしっかりと稼がせてもらうぜ」
「ドル箱に近付きすぎてキスなんてしてくれるなよ。仲間の亡骸回収だけはご免だからな」
「ハハハ、了解。ま、そんなドジは野晒しで構わないけど」
遠ざかっていく友軍機が、赤い炎を煌かせながら遠ざかっていく。後に引く甲高い咆哮が平原に響き渡り、戦闘機の群れがレサス軍地上部隊へと向かっていく証だ。バーグマンの率いる地上部隊も展開を完了し、各隊からスタンバイを告げる通信がもたらされる。本当は、部下たちを一人も失いたくない。全員が無事に戻ってこられたら、どんなに嬉しいだろう。だが、これは戦争だ。誰しもが、死にたくないと考えているに違いない。オーレリアの兵士も、レサスの兵士も。だが、ここで戦わずして退けば、サンタエルバの街に生きる無辜の市民たちが再び戦火に晒されてしまう。そんな愚挙は、食い止めねばならない。オーレリア解放のためにも、この一戦は決して負けることが出来ない。サンタエルバの守りに就くディビス・リーダーやグリフィス隊の奮闘に応えるためにも、この手でレサス軍地上部隊を退けねばならない。上部ハッチを閉め、バーグマンは戦車の中へと滑り込んだ。戦車隊の後方に控えている榴弾砲隊から、敵先鋒部隊が間もなく射程圏内に入る、と交信が入る。
「もう少し待て。十分に引き付けてからだ。――開戦は派手に行くぞ。全車両、斉射用意!!」
気の早い敵から放たれた砲弾が唸りを挙げて飛来する。まだ射程圏外で放たれたのだろう。展開している戦車の群れの前方に落ちた攻撃が、カラナ平原の土を吹き飛ばして炎を炸裂させる。砲撃手がカウントダウンのように敵車輌との距離を読み上げている。射撃スコープを覗き込みながら、照準の微調整。砲身が僅かに動き、狙いを定めていく。データリンクでもたらされる敵部隊の姿は、確実に距離を縮めて接近しつつある。外に見えるはずも無いが、バーグマンは右手を肩の辺りに軽く当てた。狭い戦車の中の部下たちが精悍な笑みを浮かべて頷く。さあ、俺たちの戦いを始めよう。ゆっくりと頷き、そして静かに息を吸い込んで、バーグマンは右手を振り下ろした。
「撃て!!」
平原を震わせるような轟音を発して、オーレリア不正規軍の戦闘車両が一斉に火を吹いた。それはまさに、カラナ平原の決戦の始まりを告げる号砲だった。
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