スクランブル!
大地は無数の炎によって彩られている。そして、青い空には戦闘機の群れが刻んだ白いループ雲がいくつも漂う。グランディス率いるカイト隊がカラナ平原に到達する頃には、両軍は既に全面衝突を開始していたのである。腹に抱えた爆弾を投下し尽くした先発隊は、残りの機関砲弾を敵部隊にばら撒いて、サチャナへと一旦戻り始めていた。戦力的にはレサス軍地上部隊がこちらを圧倒しているはずだったが、戦況を支配しているのはむしろオーレリア不正規軍――バーグマン師団の方であった。いくつかの集団に分かれて進撃するレサス軍部隊に対し、不正規軍は基本的に全戦力を叩き付ける戦法を徹底していた。そして、愚直なまでの一斉砲撃。苛烈と呼ぶに相応しい集中砲火を浴びたとき、その攻撃に耐えられる戦車がどこの世界にあるだろう?レサス軍の各戦闘集団がこちら側を射程圏内に捉えるまでの時間差を巧みに利用して、バーグマン師団は戦術レベルでレサス軍の分断に成功しつつあった。襲い掛かられた敵部隊は、文字通りなぎ倒されるような惨状を晒す羽目となった。炎を吹き上げる戦車の残骸が、力なく倒れ伏した兵士の身体と一緒に焼かれていく。いくつもの黒煙の柱が空へと立ち上り、破壊された戦闘車両の残骸と物言わぬ骸の群れを平原に残して、地上部隊は新たな敵を迎え撃つべく既に体制を整えていた。見事なものだ、とコクピットの中から戦況を眺めながらグランディスは笑った。きっと傭兵たちはぼやいているに違いない。折角南十字星たちがいないのに、今度は地上部隊に見せ所と稼ぎ所を奪われた、と。結果として、陸上部隊と航空部隊とが巧妙に連携して、レサス軍を苦しめている。
「出番を奪われてしまいましたね、隊長?」
「なーに言ってるんだい、ロベルタ。出番なんて、これから作ればいいのさ」
「……焼ける森もここなら無し。戦術レーザーの効果も、最大限に発揮出来る」
「最近随分と喋るようになったねぇ、ミッドガルツ。スコットが感染したかい?」
そう言いながらも、グランディスは戦術レーザーのジェネレーターを稼動させる。低い駆動音と共に、コクピットに表示されている充填ゲージの針が跳ね上がっていく。そうそう連射出来るものではなく、うっかり暴走させれば機体ごと空で超高温の炎で焼かれるリスクも抱えた、物騒な兵器。ディスプレイの中央のレティクルとヘルメットにマウントされた照準ゲージとを合わせつつ、目標に狙いを定めていく。レサス軍部隊の数は、まだこんなにいたのか、と言いたくなるくらいに多い。損害の少ない一団にグランディスは狙いを定め、レーザーの充填完了を待つ。ミサイルのロックオンとはまた異なるフレーズの電子音がやがて鳴り響き、発射準備完了を告げる。改めて目標の一団を睨み付けるようにして狙いを定め、トリガーを引く。照準レティクルの中央を貫くように赤く輝く軌跡が瞬時に空を引き裂き、大地へと突き刺さった。操縦桿を巧みに操りつつ、土煙をあげて進撃を続けるレサス軍地上部隊を、赤い光の剣で引き裂いていく。効果は絶大だった。超高温のエネルギーによって装甲を焼き切られた戦車の群れが、連続して真っ赤な炎と真っ黒な煙を膨らませて爆発する。黒煙を吐き出した車輌のハッチが開かれ、中から慌てて兵士が飛び出す。中でも壮絶だったのは、タンクを炙られた燃料補給車の爆発だった。地上に閃光を放ちながら膨れ上がった巨大な火球は、付近の友軍を巻き込んで業火の中に包み込んだのである。僅かな時間の間に発生した甚大な損害に、敵の足が止まる。無線を、敵味方の怒声と歓声とが飽和させる。友軍地上部隊、前進。足止めされた敵部隊に先行して展開して迎撃体制を整える。
「さすが、山火事の黒幕は一味違うな、カイト・リーダー。支援に感謝!!」
「おいおいバーグマン・リーダー、もう少しましな言い方はないのかい?誤射しちまってもいいんだよ」
「勘弁してくれ。棺桶の中で焼かれるほど長生きしてないんだ、こちとら」
憎まれ口を交わしながらも、地上部隊の展開は文句の付け様も無いほど迅速、かつ効率的に行われていく。その展開速度に、レサス軍は翻弄されている。サチャナの航空戦力の大半が同時に投入されたことも連中の誤算だったらしい。今頃は後方基地の部隊が次々とスクランブルしている頃だろうが、連中がここに到着する頃には、対空装備に切り替えた傭兵たちが待ち受けている頃になるだろう。戦力の規模を過信して逐次投入の愚を犯したレサス軍ではあるが、戦闘が長引けばいずれバーグマン師団も戦線を維持出来なくなる。それまでに、敵の戦意を挫き、全面潰走へと持っていければ勝利だ!次のレーザー攻撃まではしばらく時間がかかる。上昇して高度を稼ぎ、仕切り直しを図るグランディスに対し、ミッドガルツとノリエガが降下を開始。装甲の分厚い戦車は傭兵たちに任せつつ、敵の頭上から攻撃を浴びせる。新たな炎と煙が膨れ上がり、空へと浴びせられる対空砲火が減殺されていく。続けて傭兵部隊の爆撃。地上部隊の集中砲火。それも連続して。生き残りのレサス軍部隊からの応射。そして再反撃。飛び交う交信。被弾した戦車が戦列を離れて後退していく。先行する戦車部隊に続いて移動する歩兵部隊。カラナの緑はどれ一つとっても人間の視覚聴覚に優しいもののない色と音で極彩色に塗り潰されている。……これはロベルタの言うとおり、あたいの出番はもうないかもねぇ。先程の自分の発言を完全に覆しつつ、グランディスは満足げにマスクの下で笑いを浮かべた。オーレリアの兵士たちは、もう自分たちの足で立ち、自分たちの意志で銃を取ることが出来るようになっている。ほんの少し前までの連中とは大違いだった。それでも、かつてのオーシアがそうだったように、「要」の消失は兵士たちの士気を時に大きく挫いてしまう。さて、うまくやってくれよ、フィーナ。再び地上の敵に狙いを定めるべく操縦桿を手繰ろうとして、グランディスの視線が停止する。レーダー上の反応は無い……いや、微かなブレが見える!敵味方識別不能、というサインを表示しながら、ターゲットコンテナが数個、空にマーキングされる。
「カイト・リーダーより、各機!姿を隠した野郎どもの到着のようだ。自分の尻尾をしっかり確認しろ!!クラックス、そっちのレーダーに反応は無いのかい!?目ェ見開いてよく確認しな!!」
「えっ!?……なんてこった、敵増援、当空域に多数、急速接近中!!ステルス機です。それに続いて護衛機の機影も確認しました!」
「おいおい、マジかよ、勘弁してくれ!」
ステルスの攻撃機なんてそうそうあるもんじゃない。B-2やF-117でないとするならば、FB-22というとこかい。対地攻撃を諦めて兵装モードをミサイルへ。レーダーはボアサイトモード。スロットルをMAXへと叩き込み、ADF-01Sの大柄な機体を加速させる。ミッドガルツとロベルタもズーム上昇から水平に戻し、やや遅れて対空戦闘体勢。クラックスからのデータリンクによって、補正されたレーダーには敵の姿が明確に示されている。同高度、真正面から突っ込んでくる敵の針路に変更なし。舐められたもんだねぇ。この機体を見てくれだけで判断してもらっちゃ困るんだけどね。ミサイルシーカーが早くも動き出し、攻撃目標のターゲットコンテナへと滑りながら動き出す。一方の敵の追尾をオートで任せつつ、もう一方の敵をガンモードの照準レティクルの中に捉える。程なく、狙いを定めた3機の敵にミサイルシーカーが重なり、捕捉完了を告げる電子音が鳴り響く。うち、2機に対しては射程圏内に入ると同時にミサイル攻撃を火器管制コンピュータに一任。自らは残る1機を葬るべく、慎重に姿勢を整えていく。見る見る間に縮まる彼我距離。微かな振動と共に、白い排気煙を吐き出しながらミサイルが2本、束縛を解かれて加速する。ガンレティクル内の目標機、右方向へとターン。その腹が一瞬こちらに向けられた隙に、グランディスはトリガーを引き絞って敵機との至近距離をそのままの速度で抜けた。腹側から爆弾槽を撃ち抜かれた敵機は、炸裂する自らの腹に抱えた爆弾の炎によって内側から引き裂かれ、爆散する。ディスプレイ上から敵の姿が消滅していることを確認しつつ、新たな敵の所在を捜し求める。
「隊長、チェックシックス、敵護衛機を後背に確認!」
「あいよ、敵戦闘機はお目こぼしなしだ。全部葬るつもりでおやり!」
後方からレーダー照射を受けていることを伝える耳障りな警告音がヘッドホンを叩く。予算が豊富な軍隊は、装備品も違うねぇ――華麗な舞を見せて後方から迫る敵は、Su-37。初飛行から20数年を経て、当初は「無用な機動」と酷評された機動性も、いくつもの戦闘を経ることで「この機体ならではの」技術とノウハウが築き上げられ、現代ではベテラン機として今尚空にある、厄介な機体。どれだけ厄介であるかは、自らもその機体を操っていた人間なら良く分かる。追撃を振り切るため、回避機動。ジクザクに旋回を繰り返しながら速度を上げていく。体に圧し掛かるG。大柄な肉体に高Gは堪えるものであるが、鍛え抜かれた彼女の体はその困難に耐えるに充分だった。わざと大きく反対方向へと旋回し、敵の攻撃を誘う。捻りこむようにしてこちらの後背へと襲い掛かろうとした敵機。操縦桿を思い切り引き、スナップアップ。フットペダルを蹴っ飛ばし、強引に操縦桿を倒して機体を捻らせる。絡み付く様な軌跡で肉迫してきた敵を紙一重で回避し、逆にその後背へと食らいつく。必死の機動でこちらを振り切ろうとする敵。だが、推力比べならこの機体も決して負けてはいないのだ。急上昇を図る敵に付き合って、垂直上昇。アフターバーナーの炎を煌かせながら、少しずつ間合いを詰めていく。敵のパイロットは致命的な過ちを犯していた。Su-37の機動性があれば、長い鬼ごっこになればなるほどADF-01Sは不利なのだ。それにもかかわらず、エンジンの出力比べを選んだ時点で、負けは既定のものになっていたと言っても良い。……今度やるときまでに、もう少し扱い方を覚えておくんだねぇ。完全に捕捉した敵の後姿に、グランディスはミサイルを叩き込んだ。青い空を下から上へと切り裂くように飛んだミサイルは、炸裂したエネルギーによってSu-37の3次元偏向ノズルを吹き飛ばした。姿勢を崩した敵機が、グラリ、と傾きながらきりもみ状態と突入する。今度こそ、追撃してくる敵の姿は無い。足元を見れば、対空兵装の戦闘機たちの群れが、レサス軍増援部隊を迎え撃っているところだった。ここが踏ん張りどころ、と皆が奮戦している。ここでレサス軍の足を完全に止めるためにも、遊んでいる余裕などあるはずも無かった。機首を大地へと向けてスロットルを叩き込み、心地良いGを感じながらグランディスは眼下の戦場へと飛び込んでいった。
ハンガー内部に設けられている待機室の中を、一体どれくらいの沈黙の天使が通り過ぎただろうか。その数たるや、きっと一個中隊を編成するに足るに違いない。その間、何冊か持ち込んだ歴史小説のページをめくりながら、ファレーエフはもう一人の待機者に視線を動かし、そして本で隠した口元に苦笑を浮かべていた。椅子に腰掛け、その膝に両肘を置いた姿勢のまま、フィーナ・ラル・ノヴォトニーは身動きもせずに固まっていたのだから。自分に課せられたミッションの重要さを噛み締めているのかも知れないが、あれでは肩に力が入り過ぎというもの。なるほど、グランディス隊長の冗談もあながち嘘ではないらしい。大事な仲間たちを守りたいという気持ちと、そのうちの一人に対するやや特別な感情の産物が、この状態、ということなのだろう。それにしても、タチが悪いのは果たしてどちらだろう?友軍を犠牲にしてその戦闘データを貴重なものとして取り続け、ついには鹵獲に出てきた者たち。一つ間違えれば全軍に深刻な影響を与えかねないことを知りながら、敢えて敵を誘い出そうとする不正規軍の指揮官たち。スケールこそ小さいが、この戦いは自分の戦いだ――ファレーエフはそう確信している。この戦いの引き金となったのは間違いなくディエゴ・ギャスパー・ナバロの存在だろうが、彼を背後で利用する者たちがさらに存在する。前線に決して姿を現すことなく、前線の兵士たちの命ですら、EXCELファイル上の数字の0の数でしか考えないような連中に物事が左右されている点は、かつて祖国とオーシアを憎悪の連鎖に導いた戦いと同じなのだろう。一向に身動き一つしないフィーナの姿に、ファレーエフは再び苦笑を浮かべながら小説を閉じた。
「……少し、昔話でもしようか、フィーナ?」
「え……あ、す、すみません。寝てたわけじゃ……ないですよ」
そんな下手な取り繕いをしなくてもいいだろうに。ヴァレーの女豹にして、ヴァレーの至宝「白き狂犬」の後継者と呼ばれているルフェーニア・ラル・ノヴォトニーの妹。そして何より、ベルカ戦争当時の伝説の英雄「円卓の鬼神」の四女。だがレイヴンに配属されてきた当時は、やや名前負けのきらいがあったのも事実である。というより、気が付かなかったのだ、ほとんどの者たちが。それだけに、グランディス隊長自らが彼女を率先して部下に引き入れたときには驚いたものだった。だが今となってはその目利きが正確であったことを認めざるを得ない。サラブレットの子はやはりサラブレット。戦場において戦況を見渡す広い視野と洞察力、戦闘機を意志のままに操る操縦技量――実戦において発揮される彼女の実力は、レイヴンのベテランたちを時に凌駕していたのだった。空戦技術という点では、より実戦経験のあるグランディス隊長やファレーエフ自身にまだ劣ることもあるだろう。だがいずれは、そう遠くないうちに、彼女は先任を追い越していくに違いないだろう。そんな若きエースに今ファレーエフがしてやれることといったら、少しばかし肩の力を抜いてやることくらいだ。
「――もう10年以上も前の話さ。今の我々のように、大規模作戦が遂行中だというのに隊長命令で待機を命ぜられた部隊のパイロットがいたよ。当時、祖国はオーシアとの戦争中でね。既にユークトバニア領内に侵攻してきていたオーシア軍部隊を何とか退けようと、同胞たちは躍起になっていた。そのパイロットも当時は若かったから、祖国の勝利が即ち正義だ、と何の疑いも無く信じていた。そこに待機命令。たまったもんじゃなかったろうよ。苛立ちと焦燥が募る状況下、ついに切れてしまった。仲間たちの制止を振り切ってまで、空に上がろうとしたのさ。コクピットに潜り込もうとしたそいつは、ラダーに手をかけたところで隊長に捕まって、物の見事に殴り飛ばされる羽目になった。その若いのは声を張り上げて上官を罵倒したよ。敵を前にして出撃を避けるなど、軍人として最低の行いだ、とね。それに対する答えは――敵、とは誰のことを言っているんだ、だった。その日の少し前、ノヴェンバーシティというオーシアの街に対してユークトバニア空軍が襲撃を仕掛けたことがあったんだが、そのときの数少ない生き残りから隊長は事実を聞いていたらしい。祖国が既に祖国に仇為す者たちの傀儡と成り下がっていた、ということをね」
どこか虚ろに見えたフィーナの目に、好奇心と本来の生命力と輝きが戻っていることにファレーエフは気が付いた。やれやれ、こういうところは人生経験の差という奴か、と自らの年齢を思い知らされるような気分になる。
「その隊長は、自らの拳銃を若いパイロットに自ら手渡していったんだ。戦いが終わって、それでも私が間違っていると思うなら、遠慮は要らない、俺の頭を吹き飛ばせ。だが今は、俺たちの「本当の敵」と戦うために、一人でも多くの腕利きが必要なんだ――-とね。さすがにそう言われて若いのも気が付いたのさ。その頃、オーシア・ユークトバニア領内で目撃されていた黒い翼たち――ラーズグリーズの英雄たちのことに。隊長は自らの軍人生命を賭してまでして、ラーズグリーズたち、そしてニカノール首相やハーリング大統領たちに対して、忠義を示そうとしていたんだ。あの日、スーデントール上空でラーズグリーズたちを自らの目で見届けたパイロットは、自らの視野の狭さを嘆いたものさ。目に見えている相手が敵だとは限らないのだ、と。そして、たとえ昨日までの敵であったとしても、戦友として共に空を飛ぶことが出来るのだ、とね。22時。ハーリング大統領とニカノール首相の共同記者会見が始まると、他のパイロットたちと同じように、そいつも奮い立ったもんだ。オーシアもユークトバニアもなく、ただ共通の敵、ベルカの残党を今度こそ殲滅するために、必死に飛び続けたんだ」
あれは決して楽な戦いなどではなかった。それでも、ラーズグリーズの四騎と共に戦えることに心は奮い立ち、疲労に挫けそうな体に鞭打って愛機を操り続けたことを、ファレーエフは今でもはっきりと思い出すことが出来る。あのとき、ラーズグリーズがいなかったら、そして真の敵の存在に誰も気が付かなかったら、オーシアとユークトバニアは互いの国を滅亡させていたのかもしれない。
「――焦る気持ちは分かる。でも、隊長は私とフィーナなら大抵の事態に対処出来ると考えて、私たちを待機させたんだ。なに、南十字星たちなら大丈夫さ。私たちが到着するまで、必ず持ち堪えてくれる。レサスとオーレリアを、かつての二大超大国のような憎悪の連鎖に陥らてはいけない。そのためにも、我々が自分の実力を出し切れるよう、フィジカルもメンタルもコントロールしないと、な?」
さすがに赤面してフィーナが俯いている。自らの未熟さに思い当たったのと、多少は心に平静さが戻った証だろう。柄にも無い説教をしてしまったかな、と照れ笑いを浮かべながら、ファレーエフは頬を指で掻く。
「ファレーエフ中尉に、そんな一面があったとは知りませんでした」
「こら、誰も私のことだとは言っていないだろう。そんな奴がいた、ってことさ」
どうやら多少は平静さを取り戻したらしいフィーナがクスクス笑い出す。照れ隠しに視線を外し、傍らの端末――データリンクによって逐次もたらされる情報を閲覧するための専用端末のキーを叩く。サンタエルバの戦いはどうやら目処がついたようだ。最後の最後まで無差別テロ攻撃を企てていた敵工作部隊の指揮官が陸上部隊によって身柄を拘束され、事実上戦闘は終了したらしい。中和剤のタンクを抱えて火消しに専念していたグリフィス隊に、損害は無い。そのことを伝えると、フィーナは嬉しそうに笑いつつ、ジャスティンたちの無事に胸を撫で下ろしていた。
「隊長の心配も、杞憂に終わりそうですね」
「骨休みにしては、少しばかり緊張感があり過ぎたけれどな。ま、結果として彼らが無事であるならそれでいい」
「余計な休みを与えちまった、とでも後で嫌味を言われるんでしょうか」
「それくらいで済めばいいさ。海面ダイブだけは、オズワルドと違ってごめんだからな」
程なく、サンタエルバ防衛作戦の一報が基地に伝えられると、至るところで歓声が爆発する。整備兵たちの歓声が壁の向こうから聞こえてくる。程なくして、端末の画面上に、グリフィス隊の予定帰投時刻が表示される。画面を切り替えると、サチャナを目指して北へと針路を向けた4機の光点が映し出される。どうやら本当に隊長の杞憂で済みそうだ、と安心して、端末のディスプレイ電源を落とす。それにしても、この戦争も「黒幕」によって演出されたものだとしたら、グリフィス隊を捕獲せんと画策する連中は、レサスの皮を被った真の敵、というわけか。奴らが何をしようと勝手だが、奴らの動いた後には必ずと言って良いほどの悲劇と惨劇が残されていく。「国」という枠組みを越えて闇の中で蠢く者たち。それはまるで、過去の大戦時に存在した大規模叛乱組織の掲げた理想であるかのよう。ベルカ戦争から四半世紀を経た今、その叛乱に関った者たちの大半は既に現役を退いてはいるのだが。自らの思考の内に意識を向けていたファレーエフは、壁向こうから聞こえる歓声とは相反するような慌しい足音が待機室に近付いてくることに気が付かなかった。
「緊急事態発生、緊急事態発生!!グリフィス隊、レーダー上からロスト!カイト隊は大至急発進との命令が下った。急いでくれ!!」
普段のノリの軽さが嘘のように、血相を変えて待機室に飛び込んできたのは、オズワルド。開かれたドアの向こうには、冷や水を頭からぶっかけられたような表情で慌しく走る整備兵たちの姿があった。そして、傍らに置いてあったヘルメットを掴んで、フィーナの細くしなやかな身体が勢い良く飛び出していくのを、ファレーエフは視界の隅に捉えた。長い金髪がふわりと舞い、そして扉の側で荒い息を付いているオズワルドの側をすり抜けていく。止める間もない、というのはこういうことを言うのだろう。もっとも、飛び出していったところで出撃が早まるというわけでもないのだが。止めようとして伸ばしかけた腕を戻して、仕方ないな、と彼は今日何度目か忘れてしまった苦笑を口元に浮かべる。そんなファレーエフの姿に、肩を上下させながら呼吸を整えているオズワルドが笑いかけて言う。
「……やっぱり、本命確定、って奴ですかね?」
「我々と違って、まだ若い、ということだろうさ。済まない、出撃のサポートを頼む」
「アイ・サー!」
ファレーエフも自らのヘルメットを抱えて立ち上がる。このまま何事も無いことが理想ではあったが、ここまでは想定通りの展開だ。後は、自分たちが敵の仕掛けた罠を打ち破れるかどうかにかかっている。さて、今日は少しばかり地で行ってみるか。今回の敵に対しては一切の情け容赦は無用のはずだ。先程までの苦笑が消えた彼の顔には、普段あまり見せたことの無いような精悍な笑みが浮かぶ。スクランブル発進の準備に奔走する整備兵たちの喧騒に包まれたハンガーの中へ、彼はゆっくりと足を踏み出していった。
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