亡霊たちの暗躍
机の上に山と積まれた、レサス軍の関係者が見たらこの場で機関銃を弾装が空になるまで撃ち尽くしたい衝動に駆られることが確実な機密資料の数々。メインテーブルが紙とパソコンに完全制圧されてしまっているため、必然的にティー・タイムはより小さな円卓に寄るしかない。どこの国でも必ず調達できるチップスの山二つの脇には、ニンニクを効かせたライスのチップス。これ見よがしに音を立てながらズボフがイカの足を咥えているが、さすがにそれはジュネットも遠慮した。うまいのにな、とフェラーリンが2、3本をまとめて口の中に放り込んでいたが、彼の部下も苦手らしく、その一山だけは裏街道の男たち専用のものと化す。男だらけのティー・タイムは、資料の束を捲り続け、断片的な情報をかき集めて再構築していく作業の中にあっては、貴重な休憩時間であると同時にリフレッシュのために必要な時間でもあった。ナバロの飼い犬たるナルバエスの配下たちが一人、また一人とフェラリーン……いや、オストラアスール一味の手によって拉致監禁されていってくれたおかげで、まとまった外出時間とまとまった調査時間の双方をジュネットは手にしていたのである。捕らえられた男たちは、フェラリーンの「熱心な」部下たちの監視下で、今日もタンゴの特訓を強いられているのだろうか?その一部始終を撮影したビデオがナルバエスを憤慨させた挙句、彼を神経性の深刻な胃炎に追い込んだのは予想外の戦果であったに違いない。それだけなら笑い話でも済んだのだが、フェラーリンたちが捕らえた工作員の中に、元オーレリア政府所属の人間までが含まれていたことは、さすがの元諜報部隊の猛者たちといえども驚きだったらしい。昔から、占領地の情報を得るうえで最も適任なのは占領地出身の転向者と相場は決まっている。それが、彼にとっては最大の不幸だった。冗談のような特訓に付き合わされる他の男たちとは別メニューで行われた取調べは、過酷で凄惨なものとなったのだから。地下の一室に完全に監禁されているという男のその後を知る余地は無かったが、ズボフの言葉を借りれば、「命には別状は無い」という状態らしい。ジャーナリストにはジャーナリストとしての掟があるように、工作員たちにもそんな暗黙の不文律があるのだろう。だから、ジュネットはその点についてだけはフェラーリンたちに問うことはしなかった。
「しかしアレだな。こうしているとどこぞの経理担当として大企業様にスカウトしてもらえそうな気がしてきたぜ。なあ、ジュネット?」
「何言ってんだ。長年やってきた闇貿易で簿記の世界は完璧だろうに。適任、て奴だな、適任」
「少しは老人を労わったらどうだい。小さい字が拷問みたいだぜ」
「ボケ防止に最適だな。長生きしてくれ、エース」
憎まれ口を叩きながらティーカップを傾けるズボフとフェラーリン。そのカップの中には、七対三の割合でブランデーが注がれているはずなのだが、二人は酔った素振りを全く見せずに資料の山を捲り、ポストイットを貼り付け、必要事項をスキャニングして保存するという単調な作業を助けてくれている。その合間に席を外しては、「捕虜」たちの教育メニューをこしらえたり、諜報活動を続けている部下たちの報告を確認して指示を出したり、ズボフの言葉を借りれば「効率良過ぎて汗を流しているように見えん」ほどの実力を発揮して、多忙な時間をフェラーリンは過ごしているはずなのだが。
「しかしデータが揃えば揃うほど不思議だな。ナバロの野郎の意図はともかくとして、ゼネラル・リソースにこんなチンケな紛争に介入するだけの魅力があるとは思えんのだがな。兵器テストの場としての意義はあるとしても、だ。案外ゼネラルの奴ら、オーレリアのピーチを完全に我が物にして好き勝手やる魂胆じゃあないか?」
今日は珍しく白ランニングに筋骨隆々の肉体を包み、ビンテージ物のジーパンを穿いたフェラーリンが首を傾げている。
「旧ベルカ東方諸国、オーシア、ユークトバニア、ユージア、それにユークトバニア大陸の南方諸国の民族対立――それぞれ何の関係も無い紛争、そのイデオロギーに関係なく、表面上は合法的な手段を以って、そして裏では数々の謀を企ててきたのが、ゼネラルとその前身、ノース・オーシア・グランダー・インダストリー。しかし私にも良く分からないのだが、彼らゼネラル・リソースの「意図」はどこにあるのだろう?ただ単純に戦争で利益を得るためでは無いことは確実なんだろうけど……。何というか、旧ベルカ残党のイメージと重なるんだよ。裏で戦争を、紛争を支配してコントロールしていくというやり口が」
「基本的な精神が根底で同じなんじゃねぇのかな」
「何だって?」
ティーカップの中身を余さず飲み干し、今度こそは十割ブランデーを注ぎ込みながらズボフが呟いた。
「もともと、南ベルカ国営兵器産業廠ってとこは、ベルカ戦争の時分から「国境無き世界」に大量の兵器を平然と売り渡していたような所さ。円卓の鬼神率いる傭兵部隊に完敗した後は、当局の追撃から多くの人間を守り庇護してきたのも連中だ。そうなれば、コンセプト――つまり戦いの大義名分だけはいつまで経っても同じであっても不思議じゃあないかもな」
「ベルカ戦争から四半世紀も経っているってのにか?呆れんばかりの執念深さだ。ベルカ印って奴はどこぞのエースと同じで、根に持つととことん付け回すってのか」
「あのな、フェラーリン。俺は気に入った奴には個人的な支援を惜しまない……つーことだよ。あんなストーカーまがいの残党軍の連中と一緒にしないでもらいたいぜ。ま、いずれにせよ、ジョシュア・ブリストーとアントン・カプチェンコ、それに当時の幹部連中の薫陶厚い教え子たちが、昔々の理想論をさらに昇華させて暗躍しているってのはあるかもしれないな。宗教団体なんかでもよくあるだろ?教祖だの大司教だのといったお偉いさんが弾圧されて処刑でもされると、却って残った組織が強固になるって奴さ」
ズボフが言うように、私も漠然ながらこのオーレリア紛争が描き出すゼネラル・リソースの謀略について、一つの仮説を持ってはいる。かつて、「核」の力を以って世界から国境線の存在自体を消滅させようとして、世界に戦いを挑んだ大規模クーデター組織「国境無き世界」。祖国の敗北という現実を受け入れられず、15年もの月日を復讐のために費やし続けた旧ベルカ残党と「灰色の男たち」。彼らもまた、核の炎と力を以って、ベルカの大義を世界に示そうとした。そして直接関ることになったオーレリア=レサス紛争。ディエゴ・ギャスパー・ナバロという格好の隠れ蓑を活用し、兵器テストと新兵器のデモンストレーションを繰り広げるゼネラル・リソース。三者を結ぶ線となるのが、古くは南ベルカ国営兵器産業廠、そしてノース・オーシア・グランダー・インダストリーの中核を為したノース・オーシア州のスーデントール市の存在だ。ゼネラル・リソースの名は、グローバル化が一層進み多国籍大企業同士の連携が深まってきた時代背景を反映し、自らも数多くの部門とグループ会社を抱えるようになったグランダーが自ら名付けたものだ。だが安全確保という名目のために防衛隊までも結成し、小国の軍隊など顔負けするような規模の軍事力を備えるようになった組織が健全であると言えるのだろうか?既にユージア大陸の国家群はかつての国家としての存在意義を失い、ゼネラル・リソースという世界にまたがる巨大組織を構成する一要素でしか無くなっている。そう、まさに「国境無き世界」が目指した理想が、そこには実現している。核の力から経済力にその道具を変えたとはいえ、世界から国境線を消滅させんという考え方は同じものだ。その強引な手法はもちろん様々な所で反発を呼ぶのだが、「民間」の大企業である利点を最大限に活用する彼らによって反発は未然に阻止ないしは「闇に葬られる」のだ。このまま彼らを放置し続けたら、世界はもしかしたらゼネラル・リソースの傘下になるのかもしれない。
「まさか、「灰色の男たち」は今でも健在なんじゃないだろうな?」
「おいおい、俺は当時はパイロットの一人で工作部員でも何でもねぇんだぞ。……だが、案外いい読みだと思うぜ。今となっちゃジュネット、アンタの方が詳しいかもしれないが、あれは組織の名前であって特定個人の呼び名じゃねぇ。解体されたはずの旧ベルカに属していたいくつかの公的機関と公営企業、そいつらは南ベルカ国営兵器産業廠の一角に置かれていた。となれば、もうわかるだろ?」
「昔話は興味深いんだがなぁ、正直オーレリアの人間にとっちゃいい迷惑だぜ。アンタらの仮説が本当だとしたら、世界中の紛争がいいとばっちりを喰らっていることになるじゃないか。世界平和は確かにありがたいが、ゼネラルの独裁下の平和ってのだけは勘弁だ」
「ゼネラルの息吹がかかっているレサスは当然として、反攻を継続しているオーレリアも何だかんだと言いながら軍事物資の補給をゼネラルに頼らざるを得ない構図が出来上がっている。これまでの紛争も、そうやって首根っこをゼネラルに押さえられていったのさ。だから、戦争の帰趨がどうなるかはゼネラルの感知するところではなく、戦争の決着が付いた時には頼れる存在が政府ではなくなっているという状況を生み出し利用する――そこに目標が絞られているのだと思うよ」
「オーレリアも下手打てばそうなるというわけか。売人どもめ……」
苦虫をまとめて噛み潰したような顔をして、フェラーリンがティーカップを空ける。ズボフがブランデーを注いでやると、それも勢い良く干してしまい、老兵の苦笑を誘った。だが皮肉にもフェラーリンたちのかき集めてきてくれた資料がその事実を裏付けている。さらにタチの悪いことに、ダミー企業を間に挟むことによって、第三国を経由したレサス製の兵器がオーレリア正規軍によって買い付けられてもいたのだ。オーレリアの人間であるフェラーリンでなくても、呆れたくもなる話である。とりあえずブランデー割りの群れには入らずにティーカップを置いたジュネットは、新たな束を取り出して捲り始める。世界中にスクープを落とすに充分なデータは集まりつつあるが、多ければ多いほど良い。記事ですら滞りがちになっている状況下、ハマーの奴が痺れを切らして別の要員を派遣してくるかもしれない。いや、アイツのことだ。何かしら事情が発生したことくらい見抜いた上で何か仕掛けてくるかもしれない。それならそれでもいいか――そんなことを考えながら、実は半ばぼんやりと紙を捲り続けていたジュネットの手が空中で止まる。そして、バリバリバリと紙が破けそうな勢いでページの最初まで戻った彼は、今度は勢い良くポストイットを張り付けては傍らのノートに殴り書きで何事かを書き込んでいく。
「おや、大将、また何か見っけたみたいだぜ。フェラーリンよ、ジュネットの旦那を諜報工作員に育ててみたらどうだい?」
「オーシア政府に謀殺されちまうさ、この俺がな。……とはいえ、何が出てきたんだ、ジュネット?」
肩越しに覗き込んだフェラーリンが見出したのは、オーレリアの拡大地図に記録された軌跡と様々な数値群。眉をひそめるフェラーリンを他所に、ジュネットは自身の取材手帳とそれらの資料群とを照らし合わせながら書き込みを続けていく。ジュネットの手から離れたページを手に取ったフェラーリンは、何かの軌跡を記録した紙面上で視線を動かしていく。カラナ平原、パターソン、スタンドキャニオン……その軌跡は、まさにオーレリア不正規軍が進撃していったルートとぴたりと一致していたのである。そしてさらに問題なのは、記録されている飛行軌跡のどれもが、オーレリア不正規軍の勢力圏内へと戻っているという点だった。つまり、その記録はレサス空軍機についてを記したものではなく、オーレリア不正規軍の機体の飛行軌跡。目をむいたフェラーリンの隣で、ノートに殴り書きを続けていたジュネットが、まるで瘴気の塊を吐き出すかのようにため息を付き、両腕を伸ばした。
「――何てこった。多分これ、南十字星の記録だ。レサスの奴ら、彼の戦いの記録を確保していやがる」
「おいおい何だよそりゃ。するってーと、何か、レサスは南十字星の所在を知りながらバカスカやられているってのか。それじゃ相当のマゾ揃いなんだな、レサスの兵士ってのは」
「それよりも何でそれだけの情報を確保しながら、レサスにとっちゃ最大の障害でしかない南十字星を泳がせておいたんだ?さっさと追い込んで片付けていれば、少なくともここまでオーレリアに巻き返されることは無かっただろうに」
「フーン……何となく俺は読めてきたぜ。ヘヘッ……ジュネット、これはどちらかというとお前さんの狙っている獲物の尻尾を掴んだ、という奴だろう、違うか?」
せわしなく動かされていたズボフの指が、ぴたり、とジュネットに向けられる。我が意を得たり、とジュネットは笑いながら頷いた。応じるように、親指を立てる。
「そう、この記録がレサス軍の手によるものだとすれば、南十字星の活躍が我々の元に報じられるはずもない。だけど、これがレサス軍とは全く独立した――或いはレサスの中に潜り込んだ別勢力の手によるものだとすれば、辻褄が合う。今この戦場でそんなことをして利益を得るのは、ナバロの大将を除けば、ただ一人しかいない。ゼネラル・リソースに与する人間しか」
ズボフが満面の笑みを浮かべ、またせわしなく指を動かし始める。うーむ、と唸ったままフェラーリンが腕組みをして硬直する。資料整理を手伝っている彼の部下二人も、当惑したような表情を浮かべている。自分自身も信じがたいのだが、それが真実なのだろう、とジュネットは確信していた。それはまるで、ユークトバニアとオーシアとの戦争をより先鋭化させ激化させるために利用された、ジュネットも良く知る親友たちの置かれた状況と余りにも酷似していたのだから。このまま放っておけば、南十字星たちも、かつてサンド島の四騎と同じ運命を辿るかもしれない。或いは、既に何かが仕掛けられているかもしれない。幸い、オーレリア不正規軍にはアルウォール司令が付いている。ベルカ事変の戦いにおいて、ラーズグリーズ部隊同様に「真実の」戦いに打って出ただけの御仁だけに不安は無いが、どうにかして彼らと連絡を付ける必要があった。そのためにも、更なる証拠集めが必要であることは自明の理だった。
「フェラーリン、この一連の資料群の入手ソースを大至急調べて欲しい。それと、オーレリア不正規軍に合流しているレイヴン艦隊の情報収集艦「アンドロメダ」に何とか直接コンタクトを取りたい。何かいい方法が無いか、検討してもらえないか?」
「当然そう来ると思ったよ。分かった、何とかする。……間に合ってくれればいいけどな」
彼らは勿論知る由もなかった。ネベラ山を越えたさらに南、レイヴンウッズの空で、既にこのときグリフィス隊に危機が訪れていたことを。そして、平和国家として知られるオーレリア自身が抱えていた闇の深さを。
――間に合って!
何度同じ言葉をマスクの下で呟いただろう?愛機は可能な限りの速度で飛行を続けているというのに、今日はとても足が遅く感じられてならない。時間の感覚でさえ、今日は狂っているような気分だった。サチャナ基地のレーダー施設では、グリフィス対の所在を探知することは不能。ただし、広域レーダーの情報から、電子妨害によるものと見られる障害戦域の特定は出来ていた。そのどこかで、グリフィス隊が応援を待っているに違いない。中和剤タンクを抱えていたため、ジャスティンたちの対空装備は必要最低限のものでしかない。幸い、マクレーン隊長機のみはジャスティンたちのバックアップ担当ということで対空戦闘装備を搭載していったので、彼がグリフィス隊を守り抜いてくれることを信じて、私はひたすら飛び続ける。電子妨害による混戦空域では、まず障害を取り除くことが肝要。だから、私とファレーエフ中尉は徐々に高度を上げつつ、電子妨害を展開している電子戦機をまずは潰すための戦術行動を取っていた。まだ敵の妨害戦域には到達してもいない。コクピットの外を千切れ飛んでいく雲の姿でさえ、もどかしい。どうして私はこんなに焦っているのだろう?どうしてこんなに急いでいるのだろう?任務のため。任務って何だろう?各地の紛争地で暗躍を続けるゼネラル・リソースの謀略を挫き、紛争を早期終結させること。オーレリア不正規軍による国土回復をバックアップすること。その要であるグリフィス隊をサポートすること――私は今、何のために戦おうとしているのだろう?任務だけなら、こんな気分になることなど無い。焦っているのは事実だったが、その割に思考回路は芯から冷静だ。大丈夫、やれる。私の五感は今とても冴えている。キャノピーの向こう側、愛機の翼が大気を切り裂いていく感覚すら、捉えられそうだ。HUDに表示されている高度計が25,000フィートを越えたところで水平に戻し、全方位警戒。クラックスの支援が得られない状況では、最終的には目視に頼るしかないのだ。
「ファレーエフより、間もなくこっちも敵さんの妨害圏内に入る。その前に、話しておくことがある。いいか?」
「……すみません、中尉。焦るな、と言われたのに……」
「この状況で平静でいる方が難しいさ。それより……フィーナ、君の眼は私よりも良いし、しかも早い。もし敵の姿を確認したら……」
「確認したら?」
「――容赦なく叩き潰してやれ。こんな姑息な罠を仕掛けてくるような連中に、情け容赦は必要ない。それともう一つ」
心なしか、今日のファレーエフ中尉は興奮しているような感じがする。
「他の面々もだが、南十字星を――ジャスティン・ロッソ・ガイオを必ず守り抜け。それは、フィーナ、君の役目だ」
ジャスティン――!私は目を閉じて、ちょっと照れたようにはにかみながら笑っている彼の姿を思い出した。相方のスコットとは正反対に、「朴念仁」と顔に書いてあるようなジャスティン。だけど、彼の繊細な容姿はレイヴンの女性兵士たちの中でも噂にならないはずが無く、男性兵士たちに私のスナップを売り歩いているオズワルド准尉が、女性兵士たちにはジャスティンのスナップを少量ながら販売しているらしい……とは、実際にその一枚を私に手渡したミッドガルツの言葉だ。どこで撮ったのか、ちょっと困った様子で笑っているベストショット。そう、今は、今だけは、任務なんてどうでもいい。このオーレリア紛争がどうとか、そんなことも関係ない。私は、この笑顔を守るために、今戦おうとしている。もし、失ってしまったら、きっと私の心の奥にぽっかりと大きく暗い穴が開いてしまう。そんなのは嫌だ。それを恋心と言うのかどうかは知らないけれども、今や彼の存在は、私にとって決して失ってはならないものになろうとしていた。だから、守り抜く。卑劣な襲撃者たちの手から、必ず救い出す。どんなことがあっても。そんなことを考えていたら、身体が芯から熱くなってきた。ゆっくりと眼を開け、そして空を睨み付ける。レーダーに視線を飛ばすと、電子妨害によって何も映されていない空域が目前に迫ろうとしていた。
「了解。ジャスティンのことは、必ず守り抜きます」
「良し、いい返事だ。後の連中は、俺が引き受ける」
隣に並ぶ中尉の機体が翼を振る。サムアップした腕を持ち上げて応じる。その直後、カリカリカリ、という軽いノイズが聞こえてきたかと思いきや、レーダーの画像が消える。通信も同様。空線信号のような音が時々引っかかって聞こえる以外に、何も聞こえなくなる。ジャスティンたちが囚われている籠の中に、私たちも到達した証だった。もうこの近くに、彼らがいる。彼らが救助を待っている。私は首をめぐらせて、敵の姿を捜し求める。雲ひとつ無い空。でも、敵の姿は見えない。こんなときはどうしたらいいと言われたっけ?記憶の中から、無数の言葉を拾い出していく。そう、父はこう言っていたっけ。――ECMで視界をふさがれても、焦る必要は無い。求める目標は、大体の場合妨害宙域の中央にあるものさ――。機能しなくなったレーダー画面には目もくれず、隣のディスプレイにサチャナ南方空域の地形図を出力させ、そこに出撃前にデータを取った妨害宙域のエリアを重ねていく。サンタエルバから北上を続けたジャスティンたちは、サチャナへ帰還するためにも北へと針路を取ろうとするに違いない。電子戦機が何機いるのかは分からないが、彼らの目をくらまし続けるためにはその周囲を覆うように旋回し続ける必要がある。幸い、今日の空は雲が無い。オールクリア。少し速度を落として周囲をうかがう。真っ白な太陽の光が、コクピットの中にまで差し込んでくる。バイザー越しでも眩しい。その少し下で、何かが光った。見間違い?いや、太陽の光を反射させるような障害物が自然に空に存在するはずは無い。戦闘地帯であるこの空域は、民間機も今は飛んでいないのである。そしてオーレリア不正規軍の機体の大半はカラナへ動員されている今、こんなところをのんびりと飛んでいるのは敵くらいのものだ。電子妨害はこちらの目をくらませると同時に、敵自身の目もくらませてしまう。こちらに気が付く素振りも見せずに、悠々と低速で空を漂っている。ついに見つけた――!無線は既に使えない。私はスロットルを押し込んでファレーエフ中尉の前に出ると、操縦桿を倒して素早く機体をローリングさせた。続けてスロットルをMAXへ。ガツン、という衝撃が背中から伝わり、轟然とF-22Sが速度を上げていく。点に過ぎなかった敵の姿が見る見る間に大きくなっていく。やや翼を左に傾け、緩旋回を続ける目標のさらに先に、別の反射光を確認する。これで少なくとも2機は確認。全セーフティを解除。ファレーエフ中尉、私の後方からさらに上昇、加速。どうやらもう1機の目標を狙うつもりらしい。私は自分の意識を目前の目標に集中させた。巨大なレドームを背負ったE-767の異形が、肉眼ではっきりと捉えられる。向こうも目視でこちらの姿を捉えたのだろう。翼を水平に戻しつつ、少しずつ速度を上げて逃げ始める。もちろん、逃してやる義理など無い。ぐい、と距離を縮めて、機関砲弾の射程圏内へと潜り込んでいく。照準レティクル内に完全に敵を捉え、私は開戦を告げるトリガーを引いた。装甲などないに等しいE-767を撃ち抜くのは容易だった。外板を貫いた弾頭はそのまま機内へと飛び込み、内部を衝撃波で切り裂きながら反対方向へと抜ける。黒煙が膨れ上がった直後、翼の中の燃料タンクに引火したのだろう。真っ赤な火の玉が空に出現した。ペダルを蹴っ飛ばし、操縦桿を引きながら横へと倒し、捻りこむようにしてダイブ、火球への突入を辛くも回避する。
「さあ、花火の中へ突っ込むわよ!!」
私が言うと似合わないかな――自分を奮い立たせるように叫び、HUDの向こう側を睨み付ける。ずっと下の方で、いくつもの光が瞬いている。まだ戦闘は続いている、ということは、きっとジャスティンたちは奮戦を続けているはずだ。何も迷うことは無い。空を引き裂くように一気に降下しながら、私は襲撃者たちの檻へと飛び込んでいった。
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