救出
カラナ平原に展開したレサス軍地上戦力は、数だけなら圧倒的にオーレリア不正規軍を上回っていたはずだった。だが今や、広域レーダー上から姿を消していくのは優位にあるはずのレサス軍ばかりとなり、全方面で優勢に立った不正規軍の地上部隊が猛然と攻撃を浴びせている最中。そして空からは、航空機部隊の大攻勢。早々に確保された制空権が奪い返されることも無く、この戦いでの稼ぎがダイレクトに儲けに反映される傭兵たちを中心に、「苛烈」と呼ぶに相応しい猛攻が兵士たちの戦意を萎えさせていったのである。AWACSの機内で複数のモニターやレーダー画面に絶えず視線を向けながら、文字通り情報の海にクラックス――ユジーン・ソラーノは格闘している最中だった。目まぐるしく動く双方のユニットマーカーを判別し、指示が必要な友軍機にコンタクトを取りつつ、データ・リンク・システムを最大限に利用して戦況情報を的確に各機に伝える。言うは易し、行うは難しというやつだ。瞬時に情報を見極めるために、昆虫ばりの複眼が欲しいものだ、と冗談抜きにソラーノは思うのだ。チョコ・バーに噛り付いて糖分補給と行きたいところではあるが、彼にそんな余裕は残念ながら与えられなかったのである。だから、他のオペレーターたちがようやくコーヒータイムを取ることが出来るくらいに戦況が落ち着いてくる頃には、ソラーノは半ば端末卓に突っ伏しそうな状態でそれでも指示を飛ばし続ける有様だった。これで階級がより上位にある身なら良かったのだろうが、彼はこの機内の最低階級でありながら、グリフィス隊の後方支援担当として戦い続けてきた。その事実を誰もが知ってはいたが、口の悪い傭兵たちともなると素直には言うことを聞いてはくれないのだ。何とか拝み倒したり時には恫喝も交えながら指示を伝える彼の姿は、まさに「奮闘」と呼ぶに相応しいと、少なくともAWACS機内に詰めている同僚たちは理解してはいるのだが、なかなか戦闘機を操って戦場を舞うパイロットたちには想像も出来ない世界であることも事実なのだ。
すっかりと冷めてしまったマグカップの存在に今更ながらに気が付いた彼は、苦味を増したぬるいコーヒーをぐいと呷った。しゃべり続けることがある意味仕事とも言えるこの役割、水分補給は戦闘機の燃料補給のように必要不可欠のものであった。一呼吸ついたところで、ソラーノは眼前のコンソールパネルの一つが明滅しながら音を発していることを認識した。サチャナからのコール?友軍機が傍受できる共通回線てばなく、わざわざ直通周波帯を使用しての交信が、良い内容であった試しが無い。背中がむず痒くなるような不安を抱えながら、ソラーノは口元を覆うようにして回線を開いた。
「こちらクラックス、サチャナ基地、どうかしましたか?」
「ああ、ソラーノか。ワシじゃ、サバティーニじゃよ。そっちの戦況はどうなっとる?」
「データ・リンクの通り、全方面において優勢です。……何か、通信環境に異常でも?」
「うむ、ああ、確かにソラーノの言うとおりじゃな」
何だかサバティーニ班長らしくないな、とソラーノは心の中で呟いた。いつもの歯切れの良い言動が姿を潜め、何だか迷いを抱えているというか、困惑しているというか、そんな印象の声であるように彼は感じた。サチャナに別働隊を回せるほど、レサスの戦力に余力は無くなっているはず。問題が起こるとすれば、毒ガス攻撃に晒されているサンタエルバで、市民の損害が出てしまったということだろうが、それは極論で言うならば「想定内」の話だ。それに、ジャスティンたちがレサスのやりようを黙って見ていられるはずも無い。彼らがベストを尽くしてそれでもなお被害が出てしまったとしても、少なくともそれを批判する資格は自分たちには無いのだから。サバティーニ班長も、それはよく分かっているはず。となれば、班長を慌てさせるような理由は別だ。――まさか、ジャスティンたちに、グリフィス隊に何か起こったのだろうか?今や、彼らの存在はオーレリア不正規軍の精神的な要と言って良い。各地で寸断され、絶望的な戦況に追い込まれたオーレリア軍がここまで盛り返すことが出来たのは、絶体絶命の危機から勝利を勝ち取り続けてきたグリフィス隊のおかげなのだ、とソラーノは信じている。陸海空の戦力がここまで回復した今、グリフィス隊の戦力は確かに絶対的なものではなくなってきているのも事実だが、仮に不測の事態で彼らが失われたとしたら、兵士たちの受ける同様は半端なものでは済まないだろう。そんなことあるはずないじゃないか、と自分を納得させようとして失敗したソラーノだった。
「……グリフィス隊に、何かあったんですね?」
答えはない。その代わり、感情を押し殺したようなサバティーニの声が、ソラーノの不安が的中していることを何よりも雄弁に語っていたのである。
「カイト隊だけにデータ・リンクで伝えてくれ。サチャナへ帰投、対空戦闘装備で再出撃せよ、と」
「オープン回線で構わないじゃないですか、そんなの。何故わざわざデータ・リンクを?対空戦闘装備って何です?もうカラナの空はオーレリアのものになっているんですよ!?」
「ソラーノ、理由を説明している暇はないんじゃよ」
「私だって、ジャスティンたちと初めから戦い続けてきたんです!親友の心配をしちゃいけないんですか!?」
「ソラーノ!!」
びくり、とソラーノの身体が強張る。交信の内容は、AWACSの他の隊員たちも聞いている。不安な表情は、皆に共通のものだったろう。大喝の後、しばらくは沈黙の天使が機内を彷徨っていたが、やがて辛いほど優しい声が、レシーバー越しに聞こえてきた。
「……ソラーノ、彼らのためにも、やってもらいたいんじゃ。カイト隊にコンタクトを取ってくれ」
「……基地に戻ったら、何が起きたのかを全部教えてくださいよ?命令には従いますから」
「すまんのぅ。面倒をかける」
一体何が起こっているんだ!?不安が現実のものとなったことにソラーノはショックを受けていた。だが、呆けているような時間も無いのが事実。恨めしげな視線をディスプレイに向けたのもつかの間、データ・リンク・システムのディスプレイに視線を動かしつつ、手元の端末を勢い良く叩き始める。送信先からカイト隊以外の全部隊の名前を外し、「緊急」のタイトルを付け加える。この程度は許されるだろう。戦闘機乗りではないソラーノ自身は、助けに行きたくてもどうにもならない。だけど、ジャスティンたちを助けられる人たちを動かすことは出来る。サバティーニ班長がわざわざこんな指示を出してきたということは、カイト隊のグランディス隊長辺りは事情を納得済みということだ。グリフィス隊を……親友たちを、どうかお願いします――心の中でそう呟きながら、ソラーノは送信キーの上に指を押し付けた。
高空から一気に駆け下りてきた私は、何度も首を巡らせて仲間たちの姿を捜し求めた。戦闘はまだ続いている。AWACSを撃墜したことにより、おぼろげながら機影が確認できるようになったレーダーに、友軍機と敵機の姿が映し出される。まだ今のところ、グリフィス隊は4機とも健在。だけど、そのうちの1機――何としても、守りたい若者の純白の機体は、いつものようなキレのある飛び方も出来ず、敵機にぴたりとマークされてしまっていた。そのすぐ後ろに、グリフィス1――ブルース・マクレーンのタイフーンが付けているのに、一向に攻撃を仕掛ける様子が見られない。あれではまるで……。あまり見覚えの無い、前進翼の戦闘機が、XR-45Sの至近距離へと肉迫し、攻撃態勢。その刹那、XR-45S、スナップアップ、瞬間的に速度を殺して敵機の頭上をすり抜ける。衝突を回避すべく低空へと逃れる前進翼機――S-32。グリフィス1のタイフーンは急旋回でジャスティンとの距離を取る。くるり、と水平に戻し、お返しとばかりS-32を狙ってXR-45S、加速。S-32、綺麗に空にループを刻みながら上昇へと転ずる。XR-45S、その後を追って機首上げ、上昇開始――普段の彼なら、間違いなく敵機を追い詰めることが出来たかもしれない。だけど、既に彼の機体は損傷を負っていたのだ。純白の機体の後部から、まるで剥ぎ取られるように大きな部品――後部フィン?――が脱落し、一方の垂直尾翼にぶち当たる。衝撃で真ん中からへし折れた尾翼の残骸が、脱落した部品と共に空に放り出される。がくん、とバランスを崩したジャスティンは、水平に戻すのが精一杯だったろう。その後背を、グリフィス1のタイフーンが確保し、次いでまんまと追撃から逃れたS-32が余裕の機動でXR-45Sを再び射程圏内に捉えようとしていた。
「ジャスティン!!」
いち早くこちらの姿に気が付き、まとわり付いてきた別のS-32を振り払い、スロットルレバーを奥まで押し込む。絶体絶命の戦況に、ジャスティンは抵抗する気力を失ってしまったのだろうか?水平飛行のまま回避機動を取ろうともしなかった。だめ、諦めちゃ絶対にだめ!皆が君の生還を待っているんだよ?私だって――!後方からレーダー照射を受けている、と警告音がコクピットに鳴り響くが、構っていられない。間に合って……今日何度呟いたか分からない言葉を繰り返すけれど、思うようには距離は縮まらなかった。マクレーン中尉は何をやっているの?何であのS-32を攻撃しないの?まさか、ブルース・マクレーンはグリフィス隊を……オーレリア不正規軍を裏切ってしまったの?ぐるぐる、と不安な想いが頭の中を渦巻いている。警告音がより甲高く耳障りな音へと切り替わったのは、そんな時だった。後方に張り付いた敵機から、白煙を吹き出しながらミサイルが接近しつつある。こんな時に!!レーダーの目がまだ完全にはクリアになっていない戦況化だ。敵の放ったものは赤外線追尾式のものだろう、と判断してフレアを射出、アフターバーナーをカットしつつ、右方向へと急旋回。全身にぐい、とGが圧し掛かり、垂直に切り立った空と大地の境界線が高速で眼前を通り過ぎていく。フレアに狙いを狂わされたミサイルが迷走して、空に白い煙を残して空しく漂流する。こいつは、仕留めなければ駄目か――まだS-32は私の後方にポジションを取り、襲い掛かるタイミングを図っている。手強い相手であることは間違いない。こんなこと、している場合じゃないのに――。敵機を引き連れたまま、それでも私はジャスティンたちの方向へと機首を向け、そして轟然と加速していくタイフーンの姿を視認した。XR-45Sのほとんど真横から、ヴァネッサ・ファクト少尉の操るタイフーンが飛び込んでいったのである。たまらず、例のS-32が急旋回でジャスティンから離れる。一撃離脱で反対方向へと抜けたタイフーン、インメルマルターンで反転し、回避機動に転じた敵機の後背へと喰らい付いていく。とりあえずジャスティンに対するマークが外れたことを確認。ほっと胸を撫で下ろしつつも、不安は募っていくばかりだ。私は、いつにない大声を挙げた。
「ジャスティン、ジャスティン!それにグリフィス隊のみんな、応答して!!」
誰かに届いて――!私は相変わらず後方にへばり付いている敵機の姿をキッと睨み付ける。どこまで邪魔するつもりなの!?このまま放っておくか、一旦攻撃に転ずるべきか――。
「何をもたついているんだ。この程度の敵に足を止められるなんて、らしくないぞ!!」
上方から降り注いだ機関砲弾のシャワーが、敵機の胴体を容赦なく上から下へと貫いていく。キャノピーが粉々になって散らばった刹那、空に巨大な火球が出現して敵機の姿が消える。
「行け!残りの敵は私が引き受ける!!」
「は、はい!!」
電子戦機狩りを早々に切り上げたのだろう、ファレーエフ中尉のF-22Sが私の横を追い抜いて、次の獲物に狙いを定めて加速していく。あれが、中尉の実の姿なのかもしれない。これまで見せた事のないような豪快な機動で、F-22Sを駆り立てる。私も負けてはいられない。距離が離れてしまったジャスティンたちの方向へと改めて旋回、スロットルを押し込んでいく。ファクト少尉と敵S-32の戦闘は、私が足止めされている間に形勢が逆転していた。黒煙を吐き出しながらも必死の回避機動を続けるタイフーン。その後背に、まるで蛇のようにぴたりと付いて離れないS-32。さらにその2機を追って、もう1機のタイフーンが必死に追尾を続けている。
「隊長、…手、新手……が出現です!!AWA…1機、電子戦……2機、やられました!!」
「だぁぁぁーーーーっ!!けっ、煙、煙やぁぁぁぁぁっ!!」
スコットはまだ大丈夫みたいね、と苦笑するが、敵機から機関砲弾が放たれ、ファクト少尉のタイフーンが急旋回で攻撃を回避する光景を見て、私は口元を引き締める。白いタイフーンの胴体を、吹き出した黒煙がまとわり付くように覆っている。速度も明らかに上がっていない。そんな少尉を嘲笑うかのように、あの敵機は飛んでいる――私はそう確信してしまった。
「ヴァネッサ、もうその機体はもたない!!機体を捨てて脱出しろ!!早く!!……返事をしろ、ヴァネッサ!!」
「アンタなぁ……、ワイらを裏切って今更何ゆーとるんや!!今から落としに行ったるさかい、首洗って待っとれこのスカタン!!」
スコットの怒声が、この戦場で何が起こってしまったのかを如実に語っていた。理由が分かるはずもない。だが、ブルース・マクレーンは敵と……今グリフィス隊を捕獲せんと仕掛けてきた敵部隊に通じて、この戦場にジャスティンたちを引き込んだのだ。だからこそ、隊長機にだけはS-32は仕掛けなかったし、マクレーン機もS-32に対して攻撃を仕掛けなかったのだ。それが事実なら、到底許せるはずも無い。だけど、今目前を飛ぶタイフーンの姿を、私は裏切者として見ることが出来なかった。本当に裏切った人間だったら、損害を被った部下を気遣うはずもない。
「――マクレーン。今更、引き返すつもりか。思い出せ、我々の屈辱を。戦いの意義は――」
「分かっているさ、分かっているよ!!だがなぁ、お前こそ、俺との約束を違えてくれたな。俺の部下たちに傷を負わせるな――そう言ったはずだ!!」
「火付きの悪いやつめ。ならば、お前の迷いを、今ここで振り払ってやる。私の手で、お前を迷わせる存在を踏み潰してやる」
「そうやって、あの時も引き金を引いたのか!?応えろ、ルシエンテス!!」
ルシエンテス?あの機体を操っているのは、レサスのトップエース部隊サンサルバドル隊の隊長機、ペドロ・ゲラ・ルシエンテスなの!?それ自体が驚きだったが、マクレーン中尉との間で交わされた激しいやり取りの方が、はるかに衝撃だった。蛇、と呼ぶに相応しいような冷たい声。マクレーン中尉の、これまで聞いたこともないような絶叫。中尉の機体が轟然と加速、S-32の後背にへばり付いていく。躊躇うことなく、ガンアタックを仕掛けたマクレーン中尉だったが、機関砲弾の初弾が命中するよりも早く、真横へとS-32が跳んだ。そのままマクレーン中尉機を中心にして、巻き込むようにローリングしてその後背へと襲いかかる。速度が乗り過ぎていた中尉の機体は、S-32の前方へと飛び出してしまう。再び、ぞくっ、と背筋が凍りつくような低く冷たい声が、中尉の背中へと放たれた。
「――残念だ、戦友」
「ブルース!!」
攻撃を食い止めるべく、強引に機体を割り込ませたのは、他ならぬファクト少尉だった。傷だらけの機体に、とうとう致命傷が刻まれる。真っ赤な炎を吹き出したタイフーンのキャノピーが跳ね上がり、次いで射出座席が打ち上げられる。少しして、空に開いた白いパラシュート。良かった、脱出してくれた、と胸を撫で下ろした私は、ゆっくりと旋回を続けるS-32の姿に気が付いて戦慄した。よりにもよって、あの敵機は空を漂う少尉をまだ狙っている。この敵――!ぷつっ、と何かが切れるような音を私は聞いたような気がした。
「最後まで邪魔立てするか、女!!」
「これが、俺の答だ、ルシエンテス!!」
白いパラシュートを正面に捉え、まさに攻撃を仕掛けようとしたS-32の前に、今度はマクレーン中尉がその身を晒した。いくつもの命中痕が穿たれ、部品と破片が四散する。黒煙と炎が吹き出し、バランスを失って降下していく中尉の機体を追い抜いて、私はようやく「敵」の後背に追い付いていた。こいつだけは絶対に許せない。この空にいるだけでも虫唾が走る!!ミサイルシーカーがその姿を補足するや否や、私はすかさずトリガーを引く。軽い振動を残して放たれたミサイルのエンジンに火が入り、一気に空を疾走して目標の背中へと肉迫していく。仕留めた……と思った刹那、一瞬だけ早く急旋回した敵機が辛うじて攻撃有効範囲内から逃れていく。だが、こちらへ反撃するだけの余裕も無い。機動性だけなら恐らくこちらの方が不利かもしれないが、空中戦は機動性だけで仕掛けるものではない。少しばかり距離を空けつつも、ミサイルの射程圏内に捕捉し続けながら、独特の平べったい形状の敵機を私は追い続けた。ふらり、と機体を揺らがせた次の瞬間には視界から掻き消えるような勢いで旋回していくS-32の機動性は、呆れるほどに鮮やかではある。その機動性が災いして、搭乗するパイロットを限りなく制限してしまった機体という評価は正しい。ピーキーな機体を正確に操るに足る技量と、その機動が生み出す負荷双方に耐えられるタフな精神と肉体無しに扱える代物では確かに無い。それでも、「だからどうした?」と私は言い続ける。相手と同じ飛び方をする必要なんて何も無い。向こうには向こうの、こちらにはこちらのやり方がある。何度目かの旋回に喰らいつき、切り返しを図った敵に、再びミサイルを放つ。ただし、ロックオンはせずに、敵機の針路上の一点を狙って、私はトリガーを引いた。ロケット弾同様、目視で放ったミサイルが敵機に命中する可能性は低い。だが、敵の判断を誤らせる手段としては有効だ。陳腐な手段ではあるが、今必要なのは陳腐でもいいから有効な手立てだった。
「黒いF-22。……レイヴンの鴉どもか!?」
「墜ちなさい!!」
あっさりと反対方向へと踵を返し、敵機がミサイルとは正反対の方向へと旋回する。その僅かな時間、敵機の速度が相対的に落ちる一瞬が、私の狙いだった。スロットルをぐい、と押し込み、機関砲の射程圏内へと飛び込んだ私は、そのまま追い抜きざまに機関砲弾のシャワーを浴びせて一気に離脱を図った。距離を稼いでから左方向へと旋回した私は、レーダーに視線をさっと飛ばしつつ、後方を振り返った。思ったほどの戦果が挙げられてないことに落胆したが、前方へと飛び出した私を追撃してこないということは、何かしらの損害を与えることには成功した、ということだ。程なく、生き残りのS-32が2機、こちらの攻撃から隊長機を守るようにフォーメーションを編成する。反撃してくるか、とこちらが身構えていると、私たちから距離が離れていた数機が、北東方面へと針路を取って戦域から離脱を開始した。
「ゼネラル・リソースの狗にしては、随分と諦めがいいんだな」
「……何とでも言うがいいさ。次に会うときは、その命は貰い受ける。超大国の飼い犬めが」
痛烈な皮肉がファレーエフ中尉とルシエンテスという名の敵エースとの間で交錯したのもつかの間、損害を受けた機体を反転させ、先発して戦域から離脱していった数機と同様に、北東方面に針路を向ける。既に他の電子戦機たちも離脱していったのだろう。気が付けば、この戦域を覆っていた電子妨害の網は姿を消していた。……そうだ、ジャスティンもスコットも、機体に損傷を負っているんだった。慌ててレーダーを確認すると、既に撃墜されてしまったグリフィス隊のタイフーンの姿が無いのはともかくとして、友軍機であることを示すIFF反応が2つ、私たちの後方にはっきりと映っていた。
敵機が完全に戦域から離脱したことを確認してから、私たちはグリフィス隊の若者たちに合流した。彼らの頭上を一旦通過して、ゆっくりと同高度へと舞い降りていく。XR-45Sの姿は、遠めに見ていたよりも遥かにひどい状態に見えた。ジャスティンを中心にするようにして、ゆっくりとローリングしていく。一方のエンジン部に集中して撃ち込まれた命中痕。薄煙を引くエンジン。途中から断ち切られたように無くなっている機体後部のフィン。そして、真ん中からへし折れた一方の垂直尾翼。その影響か、機動が少しふらついているのは仕方ないことだろう。ある程度機体自体の制御はされているだろうが、それをジャスティン自身が補正しているのだ。いずれにせよ、まさにボロボロと言って良い状態。それでも、何とか間に合ったことが嬉しかった。運が悪ければ、全員ここから姿を消していたのかもしれないのだ。私の頭の中に、助け出した後に準備してきた言葉はいっぱいあったはずだけど、結局口から出てきたのは最も平凡な言葉でしかなかった。
「ジャスティン、遅れちゃってご免なさい。大丈夫?」
反応したのは、私が回答を待っていた相手ではなかった。
「ちょ……あのー、ノヴォトニー少尉、自分も黒煙吐いてますんやけど……」
「ハハハ、あれだけ大声で叫んでいれば、君が健在なのは聞くまでも無いさ、スコット」
スコットが盛大なため息を吐き出す音が聞こえてきた。確かに、そう言われてみれば、彼の乗るF-2Aの後部は黒煙に包まれているし、いくつも命中痕が穿たれていた。こんな状態でも失われない彼のひょうきんさが、ジャスティンの緊張を少しほぐしてくれたのかもしれない。ちょっとためらいがちな声が、遅れて聞こえてきた。
「ノヴォトニー少尉、ありがとうございました。すみません、心配ばかりかけちゃって……」
ジャスティンの声をきいた途端、私自身の張り詰めていた緊張が解けていった。あら、嫌だ。私はちょっと上を向きつつ、気付かれないように鼻をすすって返事を返す。これまた、頭の中で考えていたことの多分10%にも満たないような言葉しか出てこなかったけど。
「いいよ、無事なら、それでいいの。XR-45Sも守ってくれたんだね、きっと。こんなになってるのに、まだ飛べるんだから――」
「――ありがとうございました」
キャノピーの向こうに、腕で顔を拭うジャスティンの姿がぼんやりと見える。無事でよかった、と私は心の中で呟きながら、胸を撫で下ろした。
「いずれにせよ、話はサチャナに戻ってからだ。二人の機体も限界だし、落ちた二人の救援も依頼せにゃならん。ジャスティン、スコット、機体が持ちそうに無いと思ったら、迷わずベイルアウトしろ」
「せやけど……ファクト少尉が……」
「要救助者を増やしてくれるなよ。そんなに加わりたければ、私がやってやるがな」
確かにベイルアウトしたマクレーン中尉とファクト少尉の安否は気になる。だけど、今の私たちに出来るのは、彼らの墜落地点を正確に報告し、救助隊を速やかにこの地域へと呼び寄せることくらいのものだ。ファクト少尉の脱出後、被弾した機を捨ててマクレーン中尉も脱出している。だから、多分大丈夫――。
「スコット、今は撤退しよう。ファレーエフ中尉の言うとおり、僕らに今出来ることは無い。救援部隊に墜落地点情報を伝えることも、僕らの役目だろう?それに……多分、隊長が付いてくれている。今は、信じてみよう、マクレーン中尉を」
「……分かった。その代わり、戻ってきた隊長ぶん殴っても止めんなや?」
「止めないさ。他の人が止めに入るかもしれないけど」
レイヴンウッズの上空は、ようやくいつもの静けさを取り戻そうとしている。既にこの空域を離脱した敵機の姿は無く、グリフィス隊の若者たち2機と、カイト隊の2機があるだけだ。大変なのは、むしろこれからかもしれない。グリフィス隊の戦力が半減し、しかもどうやら隊長機は裏切りを働こうとしたという事態をどのように処理していけばいいのか、私には想像も付かなかった。でも、満身創痍ではあるけれど、オーレリアの南十字星は健在だ。私たちの希望の光が、失われたわけじゃない。私は、隣を並んで飛ぶ純白の機体へと視線を動かした。そして、キャノピー越しに私とジャスティンの視線が交錯した。少し照れくさかったけど、私はジャスティンに向けて何度か片手を振ってみた。遠慮がちな返事が戻ってくるのが見えて、私は今度こそため息を吐き出しつつ、もう一度心の中で呟いた。
――本当に、無事でよかったよ、ジャスティン。
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