首都への誘い
失望という感情を味わったのは、本当に久しぶりのことかもしれない。
ルシエンテスとは本質的に水が合わないらしいナルバエスが、スキップでも踏みそうな明るい声で南十字星の捕獲に失敗したことを報告してきた瞬間、思わずナバロは天を仰いだものである。無言のまま、憮然としてグリスウォールの街並みを見下ろしていた彼だったが、そうしていれば失望が癒されるわけでもない。勝ち続けることに、少し慣れ過ぎたのかもしれない。策をさらに頑丈に張り巡らせておくべきだった……とぼやきかけて、ナバロは苦笑した。ルシエンテスほどの技量の持ち主でさえ、手に余るような相手だ。一体どれほどの損害を出せば、彼らを捕獲できるのか、予想すること自体が難しい。そもそもの前提から無理のあった作戦プランを強行した責任の一端は、確かにナバロ自身にあった。
「で、グリフィス隊とやらは無傷で逃したのか?」
「いえ、2機は撃墜に成功し、南十字星の機体にも相応の損害を与えることには成功した、とのことです」
最低限の役目だけは果たしてくれたようだな――冷徹な戦略家の視点に立ち返って、ナバロはそう分析した。実質的に南十字星の部隊が壊滅したとなれば、宣伝のやり方は色々とあるのだ。それに、ここグリスウォールでの一戦が不可避となった今、不正規軍を苦しめるための準備をするためにも多少の時間が必要だった。むしろ、ルシエンテスの奴は良くやってくれた、と評しておくのがベターかもしれない。命令を待つナルバエスに対しては、グリスウォール帰還後、速やかに出頭して報告を行うようサンサルバドル隊に伝えろ、と命じて、ナバロは受話器を置いた。ガイアスタワー上空を通過していく飛行機雲が見える。グリスウォール防衛隊に属する航空部隊のものであろうが、その所属をリアルタイムで今知る術はほとんどない。豊富な資金力を活かして高いインフラ整備が行われたこの街では然程影響は無いが、グリスウォール市内においては有線放送以外のテレビを見ることは出来なくなっている。それも、衛星放送は一切使用不能。身近なところでは、携帯電話ですらまともに使用することが出来ない。オーレリアの雪の高峰ネベラに設置された高出力のジャミング施設の放つ電子妨害は、数百キロ離れた場所に位置するグリスウォールですら、これだけの影響を及ぼしているのだ。制御施設には厳重な対策を取っているとはいえ、生身でいようものなら電子レンジの中にぶち込まれるような高出力を誇るネベラジャマー。既にグレイプニルはなく、要衝サンタエルバにサチャナ基地を失ったレサス軍にとって、当面の防衛線は超高出力電子妨害装置。仮に失うとしても今回は人的損害は限定的であり、それでいて時間稼ぎには充分な効果と役目を持っていることがこの際重要だった。モンテブリーズの工業地帯で行っているいくつかの開発プランの目処をつけるためにも、時間があればあるほど望ましいのだ。
それにしても、見事な凋落ぶり、と言えるだろう。ガイアスタワーを取り巻くように展開した防衛部隊の物々しい装備の数々。ビルの屋上に設置された対空兵器やミサイルランチャー。充分な備えなく行われた電撃作戦は、一度のしくじりが連鎖的な戦線の崩壊を招くことがある――という教訓を、レサスは再び世界に証明したことになる。かつてのベルカしかり、軍事大国エルジアしかり。オーレリアの解放が既定の事実となろうとしていることを、ナバロは認めざるを得ない。兵士たちの奮闘によって多少のズレはあるだろうが、既にそれだけの力をオーレリアは取り戻してしまった。戦争を長引かせようと思えばいくらでも手は打てるのだが、レサス本国を温存すると同時に事業に差し支えのない程度のところで幕を引くことを考えたとき、オーレリア不正規軍の尋常でない拡大ぶりはナバロの考える理想的解決をぐらつかせる不安定要素となるのである。だからこそ、最大のガン細胞たる南十字星を取り除いておきたかったのが、彼の本音だ。政治的打算を除けば、純粋にレサスの兵士たちに恐怖を与え続けた若者の実像に対する興味というものも否定は出来ないが。思考の淵に沈んでいた意識が、デスク上の電話のベルの音によって再び現実へと引き上げられる。
「私だ。――そうか、ではこのまま繋いでくれ。……情報が早いな、どこから見ていたんだ、ロビンスキー?」
「蛇の道は蛇――面白いショーの観客は、意外に多いということさ」
「少々不本意な結果になったがね。最高の被験者がフイになったという点では、そっちにとっても損害と言えるのではないか?」
「まあ、あればなお良し、というだけのことだ。……ショーの準備は着実に進んでいるよ。00と01の飛行テストは、機体重量の関係でまだカタログ通りにはいかないが、修正に大した時間はかからないだろう。一度セントリーの方にも足を運んでもらえると嬉しいね。実際にその目で見てもらった方が、評価は正確なものになる」
自身のデスクに戻ったナバロは端末のコンソールを叩き、数ある報告書ファイルの山の中から目標のファイルを探し出して開封した。設計図に完成時のCGが付け加えられた資料は、この戦争が始まる以前に既に計画が進められていた切り札の一つに関するものだ。南十字星の操るXR-45が異形とすれば、この機体は何と評されるのだろうか?"Fenrir"――古き神話に登場する獰猛な狼神の名を与えられた新型機は、正真正銘レサスとグランダーの共同開発による最新鋭機の一つであり、これこそ、ナバロの取り扱う「商品」の最高傑作であった。これが量産化された暁には、例え技術面で先を行く超大国といえどもアドバンテージを確保出来なくなるだろう。オーレリアに対する「戦争」の仕上げには、"Fenrir"――フェンリアのショータイムが必要不可欠になるな……ナバロは画面に表示された新型機のCGモデルを眺めながら、そう呟いた。
「では、近々伺うが……何か不足しているものはあるか?」
「その相談が、今日の一番の目的さ。新型機のスペックが高過ぎて、今操縦桿を握っているテストパイロットでは限界実験が出来ない。前線から腕利きを寄越せとは言わんが、本国から回せる人材はいないものかね?」
「この状況で簡単に言ってくれる……」
本国に残されている戦力が少ないわけでは決して無い。その気になれば、オーレリア不正規軍如きを踏み潰せるに足るだけの戦力を、レサスは保有しているのだから。だが、それは国際社会が決して許さないだろう。その代償として、超大国の一方、オーシアによる軍事介入という最悪のオプションを招く可能性すらある。不正規軍の連中と結託しているレイヴンの鴉どもが本格的に介入してきたとしたら、レサスの空はたちまちオーシアの征服下に置かれるに違いない。そんなリスクを跳ね除けて、レサスが強国として在り続けるために、フェンリアのような兵器は必要なのだ。ナバロは頭の中に記録されている人名表の頁を何枚かめくったが、すぐにその作業を中断した。今なら、うってつけの連中が前線にいる。しかも彼らもまたすぐには空に上がれない損害を負わされているのだから。そう、サンサルバドルの鳥たち。一時後送、謹慎処分ということにすれば、表向きの事情を知る者たちに対するアピールにもなるし、彼らが新型機に搭乗して戦うという事態も考えられなくは無い状況下、新型機の扱いに習熟させておくことは決してマイナスではなかった。本国から招くとするならばアレクトの面々だが、彼らにはまた異なる局面で活躍して貰うこととしよう。それに、あの機体のうち1機だけは、ルシエンテスが最も扱いに慣れているであろう特別仕様の機体だ。他のパイロットに触らせるよりも、奴に躾させるのが最も効率が良い。作戦がうまくいっていれば、もう一人かの機体を扱えるエースが加わったかもしれんがな……ナバロはほろ苦い笑みを浮かべつつ、グリスウォールの街並みを見下ろせる窓へと椅子を回転させた。
「丁度良い連中がいる。期限付きだが、サンサルバドル隊をそちらに送る。やりたいテストは連中がいる間にやってしまったおくことだな。ああそうそう、存分にこき使ってもらって構わないからな」
「八つ当たりかね?」
「ま、そんなところだ。いかに私でも、不愉快になるときはあるからな」
「確かにな。……では、最高のテストパイロットたちの到着を待っているよ。ではな」
古狸め……受話器を置きながら、ナバロは苦笑せざるを得ない。ロビンスキーのことだ、ある程度はサンサルバドル隊の派遣の可能性を計算に入れたうえで連絡を寄越して来たに違いない。とはいえ、彼らがグリフィス隊の捕獲に成功していれば、こんな苦労は抱えないで済んだわけだ。全く、敵になるにせよ味方になるにせよ、こちらを振り回してくれるものだな、南十字星――。今更ながら釣り逃した獲物の大きさに痛感させられて、ナバロは握り締めた拳をデスクの上に振り下ろした。
薄暗いブリーフィングルームの中に集められたのは、久しぶりにカイト隊の面々のみ。レイヴンの航空部隊に所属している傭兵隊たちの姿も無く、そしてジャスティンたちグリフィス隊の姿も無い状況でのブリーフィングは、何となく寂しい気がした。グランディス隊長の他、アルウォール司令にホーランド班長まで加わっているとなれば、カイト隊の本領たる極秘ミッションが伝えられる――そう考えるのが自然だろう。カラナ平原の戦いはオーレリア不正規軍の大勝に終わり、大損害を被ったレサス軍地上部隊の生き残りはモンテブリーズ方面へ敗走していった。損害が無かったわけではないが、航空部隊は大半の戦力を温存した状態で戦闘を終えている。――グリフィス隊を除いて。グランディス隊長は、カイト隊の面々に向かってあの場で私たちが目撃した全てのことの口外を禁じた。救援隊に救い出されたマクレーン中尉たちが到着した後に起こった出来事を私は目撃したわけではないが、只ならぬスコットとジャスティンの様子からある程度の想像はしていた。けれども、彼がどうしてそんな裏切りをしようとしたのか、結局私たちには分からないままだ。私などでも辛いのだ。マクレーン中尉の教え子たるジャスティンたちはもっと辛いのだろう、と思う。
「さて、と。じゃあ始めようかね。まずはファレーエフ、フィーナ、お疲れさん。おかげで、ジャス坊たちを失わずに済んだし、昼行灯野郎の脱走も阻止出来た。ま、首尾は上々と考えておこう。最悪の事態だって考えられたわけだからね。それに比べりゃ、上出来さ」
端末の操作を任されたミッドガルツが、プロジェクターのコードが繋がれているノートパソコンを操作していく。映し出されているのはオーレリア半島の地図。レサス軍占領地域と解放地域とが色分けされて表示され、続けて不正規軍の展開状況を示すアイコンがプロットされていく。半島北部を覆った楕円は、ネベラ山に設置された大出力の電子妨害装置によるジャミングエリアだった。
話を一旦区切った隊長に対し、アルウォール司令が無言で先を促す。
「報告事項は2点。まず一点目は、モンテブリーズに潜伏させている部隊からのネタだ。知っての通り、モンテブリーズはオーレリアの重工業地帯であり、レサスによる占領後は重要な生産拠点としての役目を果たしてきている。そのモンテブリーズで、正体は不明だが、「何か」がグリスウォールに運び出されるという情報を潜伏部隊が掴んだ。都市中央の空港に大型の輸送機が何機も集められているというから、余程でかくて重要なものを運び出すんだろうね。今すぐというわけではないみたいだが、指をくわえて見送るのも馬鹿な話、というわけさ。もしかしたら、あたいらの侵攻に備えて、何らかの兵器を運び込むつもりなのかもしれない。ミッドガルツ、そのファイルを開いておくれ」
頷きながらミッドガルツがマウスをクリックすると、少し擦れ気味の設計図を電子データ化した画像がディスプレイに表示された。これは砲塔――?独特のやや短めの砲身を持った固定砲台の内部構造が表示されているが、勿論私にその内容が分かるはずも無い。ミッドガルツの操作に従って、コメントボックスがパラパラと開いていく。表示された文章を読んで、私は思わず呆れてしまった。"中間子ビーム砲"とそこには書かれていたのだから。グランディス隊長のADF-01Sが搭載している戦術レーザー砲ならばごく僅かであるものの実戦配備が為されている現代であるが、その上を行く兵器がまさか平和の国というイメージの強いオーレリアで開発されようとしていた事実に、である。
「こいつらはオーレリアで元々は開発されていたらしいが、今の政権になって計画がストップ、無期限休止の扱いにされたもんらしいね。グリスウォールの周囲を取り囲むアトモス・リング上に設置される予定だったようだ。増幅器による調整をかけてビーム自体の威力を高める仕組らしいが、こんな物騒な代物をずらりと並べられた日には、戦闘機ですらまともに近づけない強固な防衛網が出来上がるという寸法さ」
「隊長、その物騒な代物を運び出す日程は分かっているのか?」
「いい質問だね、ファレーエフ。残念ながら、既に始まってしまっているとさ。一部は既にグリスウォールに運び込まれたと見て間違いないだろう。あたいらがネベラを越えてグリスウォールに到着する頃には、中間子のシャワーを浴びせられるというわけさ」
逆に言えば、早いうちに叩くことによって、これ以上の戦力強化を防ぐことが出来る、ということだ。敵はネベラ・ジャマーによる電子妨害によって、こちらが攻撃を仕掛けてこないと考えているに違いない。けれども、こちらが向こうの姿を捉えられないのと同様に、敵も私たちの姿を捉えられないという条件は全く同じなのだ。しかも、私たちの機体はもともとステルス。敵の電子妨害圏内に入るまではステルス飛行を継続して侵入、という方法を用いれば、奇襲攻撃も充分に可能なのである。しかも襲撃された側は、その強力な電波妨害が仇となって緊急事態をリアルタイムで伝えることが出来ない。有線の電話や赤外線通信などの手段によっていずれ伝わるにせよ、通常状態のように迅速に対処が出来る環境では無い。そこに、私たちが付け入る隙があるのだ。
「なら、可能な限り早く、可能な限りの打撃を与えるべきだ。カイト隊の戦力なら、それは充分に可能だ。5機全機の他にもステルス機を動員してしまうことを提案します」
「私もミッドガルツに賛成です。のんびりとグリスウォールの防衛網が強化されるのを待つよりは、早く仕掛けるべきだと思います」
「まあ、そう結論を急かないでくれ、ミッドガルツ、ロベルタ。そこでもう一つの話さ。司令?」
ここからはアンタの番だよ、と無言の圧力を隊長がかける。
「別にグランディスが話してくれればそれでいいんだがな。……まあいい。実はオーブリー基地から面白い話が届いているんだ。既にレサス軍の侵攻も無く、元の忘れられた片田舎に戻りつつあるあの基地に、来客があったんだ。彼らがどこから来たと思う?」
端末の操作を引き継いだアルウォール司令が、慣れた手付きでマウスを扱っていく。ネベラ・ジャマーの影響範囲内にあるモンテブリーズから、洋上に突き出したオーブリー半島へと矢印が引かれていく。
「昨日のことだが、オーブリー基地側の海岸に不審な小型船が漂着して、中に乗り込んでいた男たちを基地のMPたちが拘束したんだ。どうやら連中、モンテブリーズから海路を使って、オーブリーへと渡ってきたらしい。そして、彼らの中の一人がこう言ったそうなんだ。"Mr.Gから伝言を預かってきた"、とね。一緒に預かってきたのが、これだ。オーブリーから到着したての土産物というわけだね」
そう言いながら、アルウォール司令は一枚の光ディスクを取り出した。ノートパソコンのマルチ・プレーヤーを開き、どうやら本当に到着したばかりらしいディスクを挿入する。ケースに添えられていたパスコードを入力すると、テキストファイルの手紙が真っ先に姿を現した。
"親愛なるシルメリィ艦隊の諸君――
この情報を携えた者たちは、グリスウォールでの私の活動をバックアップしてくれている「オストラアスール」に属する工作員だ。信用してもらって問題ない。この資料に、現時点で私が収集し、分析した情報を保存してある。シルメリィ艦隊を通じ、本隊へと報告を挙げてもらえれば幸甚。
そのうえで、無茶なお願いをしたい。
協力者たちのおかげで、ディエゴ・ギャスパー・ナバロの謀略を暴くに足る状況証拠と情報は集まっているが、グレイプニルの実地データや前線における情報、さらには実戦部隊が一時的に不足している。ナバロを追い込み、ゼネラル・リソースの正体を暴き、この戦争にケリを付けるためにも、シルメリィ艦隊が持っている情報の提供と人員の派遣に期待する。
派遣した協力者たちには、10日間滞在するよう伝えてある。
シルメリィ艦隊の連絡を待つ。
――アルベール・ジュネット"
ううむ、と誰かが唸り声を挙げる。続けて表示されたウィンドウには、ナンバリングされただけのPDFファイルがずらりと並んでいた。今これを眺めている時間はないだろうが、Mr.G――ジュネットおじ様の集めた機密情報の数々が記録されていることは言うまでも無い。そのどれもが、レサス軍の人間が意地でも取り返したくなるような貴重な情報であろう事は察しがつく。ジャーナリストの活動がほとんど制限されていないとはいえ、都合の悪いところには検閲という名のスパイスが効いている環境下で、よくもまぁ、これだけの情報を集めたきたものだ、と改めてジュネットおじ様の手腕には感心させられる。視線を動かしていくと、腕組みをしたアルウォール司令の表情が渋いものになり、対照的にグランディス隊長が気味の悪い笑いを浮かべている姿が目に入った。沈黙の時間はそれほど長くは続かず、ため息混じりの声でアルウォール司令が口を開く。
「ディスクの中身については本隊へ送る前にアンドロメダにて分析をするつもりだが、ジュネットに対してこちらも出来る限りの協力をしなければならん。大統領の命令事項でもあるし、ナバロを追い込むに足る情報と材料を我々は確かに掴んでいるからな」
「……そこで、あたいらの出番というわけさ。折り良く、モンテブリーズには攻撃しなければならない目標が居座っている。グリスウォールではあたいらを待っている連中がいる。この機を逃す手はないからね。幸い、司令の了解も得ている。ミッドガルツの提案の通り、カイト隊は一時的にオーブリー基地を拠点として展開し、モンテブリーズの「何か」を叩く。ついでにここに展開しているレサス軍を叩いておけば、丁度良い時間稼ぎが出来る。敵の守備体制が手薄になった隙に、こちらからの派遣要員を霧ならぬ電子妨害に紛れて送り込む……というのが、今作戦のコンセプトさ」
「私は不承不承了解したのだがな」
「まーだそんなこと言ってるんですか、司令は?」
「一緒にシー・ゴブリンの連中を付けるというのに、それだけでは物足りないからと、自身とノヴォトニー少尉を上陸要員に加えるから、頭が痛いんだ」
え?何ですって?私が上陸要員?……そう言われてみれば、あれはサンタエルバに墜落したグレイプニルの調査を終えた後だったが、唐突に陸戦訓練をすると言い出した隊長に私はたっぷりと付き合わされた。なるほど、どうやらグランディス隊長はだいぶ前から本気でグリスウォールに乗り込むことを考えていたらしい。
「……本気かね、隊長。隊長はともかくとして、フィーナは戦闘要員にはカウント出来ないだろう?」
「いやいや、ジュネットのボディ・ガード程度は務まるさ。それに、敵の親玉の顔を知っておくのも悪くは無いだろ?」
「隊長。まさか私に、ナバロ主催のパーティに参加しろと言うんじゃないですよね?」
「察しがいいねぇ。そのまさか、さ」
私が思わず天を仰ぐと、アルウォール司令がため息を吐き出して首を振った。ミッドガルツはと言えば、「お気の毒」とでも言いたげに苦笑を浮かべているし、ノリエガ少尉は面白そうに笑っている。グランディス隊長のことだ。細かいところは全然考えていないに違いない。そして何よりもタチが悪いことに、これはもう決定事項ということなのだ。
「ま、ぶっちゃけた話をしてしまえば、ネベラ山の物騒な代物を何とか片付けない限り大規模な作戦は仕掛けられない。カラナ平原に展開している地上部隊の再編成にも時間は必要だし、ちょうど小細工を仕掛けるには手頃な時期なのさ」
「決戦前の骨休め、という奴かな。敵も味方も」
「ファレーエフもいいこと言うねぇ。ま、不正規軍にしても、南十字星たちの復活を待たなきゃならないしね。ジャス坊たちにとっても、グリスウォール決戦を控えての丁度良い休暇になる。あいつらは、本当に良く頑張ってきてくれたとあたいは思うよ。だから、ちょっとばかしあたいらがお節介を焼いてもバチは当たらんだろうさ」
だからといって、グリスウォールくんだりまで乗り込まなくてもいいのに。今回の場合、私は完全に「巻き込まれた」ようなものだ。折角だから、溜まりに溜まった休暇申請を動員して、しばらくは空を飛べないジャスティンの世話を焼いてみるのも面白いかも……と思っていたのに。とはいえ、ジュネットおじ様に会うのは本当に久しぶりのこと。潜入ついでに色々と話をしてみたいとも思う。いつだったか、OBCのトンプソン局長と一緒にディレクタスの実家にやって来たときは面白かったものだ。語り足らないと言って夜通し飲んで騒いだ挙句、いい歳の大人が三人、リビングを占領して高いびきだった光景を、私は今でもはっきり覚えている。母親に揃ってバケツで水をぶっかけられた三人に冷たい水をコップに入れて持っていったときの、申し訳なさそうに笑っていたジュネットおじ様の顔が懐かしい。環太平洋事変の時の出来事を、彼が話せる範囲で教えてもらったのは、それから半年程度経った日のことだったろうか?彼は言ったものだ。"ラーズグリーズの英雄たちを率いていたパイロットは、その呼び名に反して見かけはごく普通の青年だった。でもそんな普通の青年が、とても背負いきれないような重圧と目的を自らに課したとき、彼の翼を目にした者が皆奮い立つような、「真のエース」が誕生したんだよ"――と。かつての私の父がそうだったように。そして、もしかしたら苦悩しながらも飛び続け、戦い続ける若者も、そうなのかもしれない。きっと、おじ様のことだ。隠しきれないジャーナリズム根性が、「南十字星」の実像を求めて止まないだろう。決まりだ。サチャナ基地にはレイヴン・オーレリア双方の航空部隊が多数残っているし、大規模な作戦の発動が無いのであれば、ジャスティンたちが無理を重ねることもあるまい。私をパイロットの世界へと導いてくれた恩人に、少しだけ恩返しに行くのも悪くは無い。
「……私は、ジュネットおじ様のガードしかやりませんからね」
「ドンパチはあたいの専売特許さ。それにね、あたいのガタイじゃ却って怪しまれるというものさ。幸い、Mr.Gには良い協力者も付いているみたいだ。こっちの潜入をサポートしてくれるだろうよ。……というわけだ。ファレーエフ。あたいの不在中は、隊の管理と坊やたちの面倒を任せる。頼んだよ」
「了解したよ、隊長。いっそ、あの二人をカイト隊に編入するのもいいかもしれないな。私も、彼らのことが気に入っているからね」
ミッドガルツとノリエガ少尉も、了解、と答えを返す。アルウォール司令は口をへの字に曲げて腕組みをしたまま沈黙している。話は終わり、とレジュメを放り出したグランディス隊長が、唐突に私の頭を掴み、ぐい、とバカ力に任せて引き寄せる。
「わひゃあ!」
「……作戦開始まで時間はある。見舞いがてらコーヒータイムでも過ごしてきたらどうだい?」
私が耳まで真っ赤になってうつむくと、ブリーフィングルームの中に笑い声が響き渡った。
かくして、私のグリスウォール潜入作戦が始まったのである。
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