グリスウォールの再会
グリスウォール国際空港の到着ロビーは、一日に2便だけ就航している国際チャーター便の出迎え客で、それなりには賑わっている。だが、本来の混み方からすればこんなものは「僅かな」程度に過ぎないだろう。何しろ大半のスポットは空いたまま。ロビー内を警察官の他に完全武装のレサス兵が巡回している現況のオーレリアだ。逐一身分証明書の提示を求められないだけでも幸いとすべきかな――巡回中の兵士と目が合ってしまい、ジュネットは思わず苦笑を浮かべる。何気ないふりをして視線を外して歩き出した兵士の姿を確認して、彼はため息を吐き出した。しばらくの間はナバロの腰巾着の部下らしき連中に散々付け回されただけに、妙な警戒感が宿ってしまっている。最近はそのマークもフェラーリンと後ろで何事かせわしなく動いているズボフ爺のおかげで随分と甘くなり、"取材"も前にも増してサクサク進むようにはなっていたが。今日合流する二人はある意味レサス軍にとってはご法度中のご法度。今更気にしても仕方ないか、とジュネットは呟いた。
「おせぇなぁ。なーにやってるんだ、チャーター機のパイロットは?」
「アピート国際空港の航空管制のせいで、離陸が随分と遅れたらしい。さっきもアナウンスが流れていたろう?」
「……フェラーリンの奴、やることにケレン味がないんだよ。どうせならギリギリのワクワクを楽しんだ方がいいぜぇ。へへっ、ヘヘヘヘヘヘ」
純粋に工作員だけならそうしたかもしれない。が、今回はそうもいかない。シルメリィ艦隊からの返事を受け取った時にはちょっと目を疑ったものだ。何しろ派遣メンバーの中に、フィーナ・ラル・ノヴォトニーの名があったのだから。おかげで、またハマーの奴に借りを作ることになってしまった。グランディスの差し金であることは明白なのだが、何もこんな危険な状況下で危険な任務につかせなくてもいいのに……とジュネットはぼやきたくもなる。わざわざオーシア・タイムズの記者とカメラマンという肩書きを用意して、オーレッドから乗り込む工作員も手配して、さらに二人のすりかわり方法をフェラーリンたちと調整して……まぁ、ナバロの奴に一泡食わせてやるための「作戦」準備が楽しくなかったわけではないのだが。それにしても、まさかパーティ当日にガイアスタワー内部へと潜入するとは、フェラーリンたちも思い切ったことを考え付くものだ。どうせ警戒態勢は厳しいのだから、いつ潜入しても大差は無い、と笑いながら言い切るあたり、なかなかどうしてあの店のゲイたちは相当骨がありそうだ。何事も穏便に……とは言うものの、実際には派手なドンパチをしでかすのではないかという不安が付きまとう。心配性の性分はなかなか直らないものだ――空港に同行してくれたズボフ自体が賞金首の一人である現状で、これ以上悩んでも仕方ないのではあるが。
「ふひぃ〜。ようやく到着らしいぜ。あぁ、早く飯にありつきたいもんだぜ」
「若い娘の口に合うものを選んでくれよ?さすがにイカの足はまずいだろうからな」
「大丈夫さ。どうせジュネットのおごりだろ?……イッヒッヒッヒッヒ」
空港の中で落ち着いて話を出来る店はほとんど無い。緩い監視付きともなれば、記者たちが多く利用しているホテルのレストランの個室や、或いはフェラーリンのオススメの市内の店がいいだろう。内緒話は移動中の車の中でも可能だし、とりあえずはグリスウォールへの旅路の疲れを癒すのが先決に違いない。百戦錬磨のグランディスはともかくとしても、こういった潜入任務未経験のフィーナにとっては緊張のし通しであるに違いない。敵地に潜入していました、などと彼女の父親に連絡したら、冗談抜きで吹っ飛んできてしまうかもしれない。ある意味、彼女以上に怖い男が、だ。さて、ズボフめ、フィーナの名を聞いたらどんな反応をするのだろう?ロビーの中を眺めていることに飽きたジュネットは、滑走路の見える窓に寄りかかって外の景色に視線を移す。がらん、とした空港の滑走路に、チャーター便のB787が舞い降りてくる。白煙をあげてランディング・ギアが接地。舐めるように着陸したB787がゆっくりと減速し、指定されたスポットを目指して誘導路へと入っていく。
「ナイスランディング、だけどよぉ、やっぱり戦闘機の味なランディングとは比べ物にならねぇなぁ。あー、航空基地に戻りたいぜ」
「もう身体が付いていかないだろう?誰だい、グリスウォールのダウンタウン案内で足がつったのは?」
「なんの、ズィルバーよろしく俺様は元気だぜぃ」
指を鳴らしながら珍妙なダンスを踊り始めたズボフに、回りの人間がぎょっとした視線を送る。決してガラが良くない男だけに、こうやっておどけて見せると随分とギャップがある。そうした相手の反応を楽しむのも、この男の計算のうちなのだろうけれども。苦笑しながら視線を転ずると、スポットに到着したチャーター機のドアにPBLが取り付いているところだった。続けて地上で待機していたカーゴカートや機内作業車のリフトが相次いで到着し、復路便の離陸に向けた準備も開始される。ここからでは確認できないが、機内清掃作業者に扮したグランディスとフィーナの二人も、あの中にあるはずだった。レサス軍の警備体制は決して甘いものではなかったが、過度に民間施設を圧迫することが得策ではない、とナバロが判断しているのか、全ての作業が監視下に置かれているわけではなかった。そこが、ジュネットたちの付け入る隙だった。空港に入る時点で充分なチェックが行われている錯覚こそ、強い味方だった。多少それによって敵性勢力が侵入したとしても、レサス軍の主力が滞在しているグリスウォールでは好き勝手に動けないという自負もあるのかもしれない。いずれにせよ、無事にロビーまで来てくれよ、とジュネットは心の中で何者かに祈った。
空港内を走るリフト車に乗ることも初めてなら、ロビーを通らずに機内へと入るのも初めての経験だった。鼻歌交じりに外の景色を眺めているグランディス隊長ほどには私は落ち着いていることが難しく、協力者の作業員たちから「初々しいねぇ」と笑われる始末だった。到着便遅延という名目を得て一足先に作業を始めた車から降りた私たちは、機体後部のバルクからカーゴルーム内へと乗り込んだ。無論、搭載荷物のチェックという名目で。本来人影などあるはずも無いが、私たちと同じ作業服に着替えたオーシアからの到着組がカーゴコンテナの陰から手招きをしていた。
「お勤めご苦労さん」
「何の。それよりも気を付けて下さいよ?ブツはトランクの内蓋の構造内です」
「そっちこそ、気を付けなよ。後で合流するのを楽しみにしてるよ」
手渡されたIDや航空券の半券、パスポート類を素早く受け取り、続けて着替えを受け取る。カーゴドアが開いている状況では少々恥ずかしい気分ではあったが、作業衣を脱ぎ捨ててキャミソールに白い薄手のカーディガンに袖を通す。スカートなんて何年ぶりだろう?一方の隊長は大柄の身体によく似合うズボン姿。あの隊長がスカート姿だったら、別の意味で注目を浴びるかもしれない。その点、女性らしい姿とすれば私が適任なのだろう。渡されたパスポートとIDを見ると、「リリィ・シーバス」という名が記されている。「偽装」時の私の名前が、どうやらこれらしい。うっかりと本名を名乗ったりしないよう、その名前を私は何度も呟いて頭に焼き付ける。カーゴルームの一角、ぽっかりと口を開けたハッチがぶら下がっていた。パスポートをポーチの中へと突っ込み、半券と荷物タグを落とさないようにポケットに入れて、私はハッチの上、キャビン内へと這い上がった。既に降機はだいぶ進んでしまっている。何食わぬ顔を強いてしながら、私と隊長は足早にチャーター機から降りていく人の群れに加わった。オーシア以外の国の報道関係者から、どうやら政府関係の人間らしい者までいる。あんまり気張るなよ、と言うようにグランディス隊長がサングラスの下でウィンクする。軽く深呼吸をして気分を落ち着かせて、私はPBLの中へと足を踏み出した。

航空機の外に出てしまえばこちらのもの、ということなのだろう。ターミナルビル内部に至る自動ドアの中へと入っていくと、早速フル武装のレサス兵士が集団を出迎える。民間施設の内部としては似つかわしくも無い、自動小銃にマガジン、拳銃に鉄兜といった装備を身に付けながら、それほど汗もかかずに立っているところ、鍛えられた猛者というイメージが相応しい。悪戯心を刺激されてニッコリ笑いかけると、当惑したような表情を浮かべて一方の兵士がそっぽを向いた。もう一方の兵士は、別の意味で当惑したような表情を浮かべている。
「なんだい、あたいの顔ジロジロ見やがって。肉襦袢でも羽織った男が降りてきたとでも思っているのかい?」
丸腰でも恐怖心など微塵も無いらしい隊長は、こめかみに血管を浮かべながら若い兵士にガンを飛ばしている。身長も隊長の方が高いせいで、まるで蛇に睨まれた蛙のように縮こまって後ずさりをしている。こんなところで目立たなくてもいいのに……。
「ポールマンさん、こんなところで揉め事起こしたら、取材許可取り消されちゃいますよ!」
「んなこと言ったってなぁ、リリィ、こいつあたいを男扱いしやがったんだからねぇ。せめてちょいとばかし拳骨で頭を撫でてやらないと気が済まないよ」
「まぁまぁ、ほら急がないと、車に乗り遅れますよ」
隊長の広い背中を私は押しながら、もう一度兵士たちに笑いかける。ほっとしたような狐につままれたような、微妙な表情を浮かべた兵士たちが、私たちの姿を見送っている。別に通報されたり、という事は無いらしい。なるほど、少しはこんな行動も武器にはなるわけだ。
「なんだい、折角難癖つけて楽しんでいたのに……」
「目立たないようにするって、隊長が言ったんですよ!……本当に大丈夫なんですよねぇ……?」
「大丈夫さ。きっちりとフォロー入れてくれる心強い部下もいるしねぇ」
かかか、と笑いながら大股で歩き出す隊長を追って、私は早足で歩く。久しぶりに履くヒールは足になかなか合わず、歩きにくい。考えたみたら、こんな格好をしていた時間の方がはるかに少ないことに気が付く。ハイスクール卒業後、空軍付航空学校に入学してからは軍靴かスニーカーばっかりだったし、その前だって動きやすいからと運動靴ばかりを履いていて、同じくらいの年頃の子がしているような流行のファッションには全く興味が湧かなかった私だ。一度母のお下がりの服を着てみたら、二階から降りてきた父親は「母さんの若い頃そっくりだ……今は昔だけど」と嬉しそうに呟いて、その日の夕飯を一人だけしっかりと抜かれていたけど。どうやら後の一言が逆鱗に触れたらしく、拗ねて一人でウィスキーグラスを傾けている父親に、つまみのブルーチーズとクラッカーをそっと持っていったものだ。いつか好きな奴が出来たら、そういう格好でしっかりと捕まえてくるといいさ。それにやられた例が、この俺さ――家の中では「尻に敷かれる」・「かかあ天下」という言葉がしっくり来る二人が、実は未だにお熱い中であることを私は知っている。ジャスティンを連れて行ったら、どんな顔をされるのだろうか。でもとりあえず、連れて行く前にジャスティンを酒に慣らしておかないと、ウワバミの父親に酔い潰される羽目になるに違いない。そのときは……やっぱりこんな格好をするのかな?到着ロビーへと至る通路に沿って並ぶショーウィンドウに映る自分の姿を見て、似合っているかな、ジャスティンは何て言うかしら……そんな取り留めの無いことを想像してみる。きっと彼のことだ。照れたように笑いながら、喜んでくれるに違いない。隣に必ずいるであろう相棒は飛び跳ねるかもしれない。いや、そういうときは、スコットはいなくていいんだけど……。
「ちょいと荷物を取ってくるよ。お前はそこで待ってな」
到着便が一便しかなければ、荷物が出てくるのも早い。ターンテーブルの上には早くも旅客のトランクやらジュラルミンの大きなケースやらが乗せられて回っている。少し強引に他の人間を押しのけるようにして、グランディス隊長は自分用のサムソナイトを引き摺り下ろし、ついで撮影用機材の箱をベルトコンベヤの上から降ろしてカートに積み込む。私の荷物はそれほど大きくないピギーバック。中には戦闘用の装備が満載の機材箱の上にピギーバックを積み込むと、結構重量があるはずのカートを軽々と片手で隊長は押し始めた。平時ならば到着便の旅客で混雑しているであろう広いロビーに人の姿はまばらで、どこか空虚な空気が漂っている。元のオーレリアに戻ればきっと……元のオーレリア?それは、ブルース・マクレーン中尉を失意の中に追いやり、気が付けば利権獲得ばかりを追い求める政治屋に溢れてしまった、見かけだけ平和の国家を取り戻すことが、私たちの戦いの「成果」なのだろうか?不正規軍の中枢をバーグマン少佐やハイレディン少将、サバティーニ班長たちが握っていることは、結果としてオーレリアの兵士の多くを救った。でも戦いが終わった後も、果たしてそういられるのだろうか?再建はオーレリアの人々が担っていくものではあるが、再建後のオーレリアは、ジャスティンたちが自由に生きられる――空を舞うことが出来る国であって欲しいと思う。私がここで戦ったという証のためにも。そして誰よりも、この国の空を支えていく存在になるであろうジャスティンのためにも……。
「こら、ぼーっとしている暇があったら飲み物でも買って欲しいもんだねぇ」
苦笑しながら窓の外を指差すグランディス隊長。視線を動かしていくと、そこに待ちくたびれたようなアルベール・ジュネットおじ様の姿があった。

出迎え客を制限するほどの厳戒態勢が敷かれているわけではなく、周りには到着した者と出迎える者との姿と声が溢れていた。そんな集団の中に私たちも混じって、久しぶりの再会を果たすことになった。アルベール・ジュネット。ラーズグリーズの奇跡の目撃者。ハーリング大統領らの信頼厚く、ジャーナリストとして世界中を飛び回り、ヴェールに包まれていたベルカ戦争以降の残党勢力や他国との係わり合い、そしてノース・オーシア・グランダー・インダストリーの謀略を暴き出したベテラン記者。そんな肩書きの似つかわしくない、人のいい笑い顔を浮かべた彼と、私たちはようやく再会したのである。
「お久しぶりです、おじ様!」
「こらこら、ここでおじ様はないだろう?それにそんな歳じゃあないぞ、私は」
「若い娘にそう呼ばれるのは悪い気しないでしょうが、Mr.G?」
「君も元気そうで何よりだ。シルメリィ艦隊と南十字星たちの活躍は聞いているよ」
再会を喜ぶ私たちの隣で、こちらは人の悪そうな笑みを浮かべた、60がらみの背の高い、そして痩せた男がニヤニヤと笑っている。せわしなく指を動かしているのは、神経質なのか、それとも単なるクセなのか。オストラアスールでフェラーリンたちの言っていた、「よく話を聞かせていない運転手役」がこの人なのだろうか?
「おじ様、こちらの方も、グリスウォールの協力者の一人なんですか?」
「おう、よくぞ気付いてくれました。ナイスの目はやっぱり違うねぇ。それに引き換え……」
痩せぎすの、好々爺という言葉は残念ながら似合いそうに無い老人は、顎を突き出してグランディス隊長に近付いていった。
「何なんだこのゴリラ女は?本当に女か、これが。車が傾ぎそうだぜぃ」
「何なんだこの賞味期限切れの、火付けたら良く燃えそうなジジイは?」
どうやら根本的にこの二人は合わないらしい。互いに不敵な笑みを浮かべながら睨み合っている。予想とおり、ということらしく、ジュネットおじ様は手を額に当てて首を振っている。
「彼も私の大事な協力者の一人だよ。お願いだから、こっちにいる間だけでも仲良くしてくれると有り難いんだがね」
「無理だ!大体、老人を労わろうという気配すら感じられねぇ。女ってのはなぁ、そっちのナイスみたいなことを言うんだ、この男女!!」
「それだけ喚けりゃ充分元気だろうに。それとも何かい、介護が必要な身体にして欲しいってんなら話は別だけどねぇ」
「……グランディス、頼むよ。ドンパチの相手はレサスの奴らだけにしてくれ。ズボフ、あんたもだよ」
「フン」と「ケッ」という声が同時にして、二人がそっぽを向く。それにしても、ジュネットおじ様の言うことは比較的素直に聞く隊長の姿が不思議ではある。じろり、と振り返って男を睨み付けた隊長は、不承不承とばかり右手を差し出した。
「……フェリス・グランディスだ。レイヴン艦隊所属のカイト隊隊長を務めている」
「ドミニク・ズボフだ。強い奴は長生きするって名言の、代名詞だぜ」
「長年逃げ回って、の間違いじゃないのかい?」
グリスウォールの再会 ドミニク・ズボフですって!?その名は、栄光のベルカ空軍エースパイロットの中でも特異な存在として記録されていた。現役当時、ベルカ空軍第13夜間戦闘航空団第6戦闘飛行隊 「シュヴァルツェ隊」隊長。督戦隊隊長として友軍からも恐れられた男。蔑みと畏怖の念を込めて、ついに付いたあだ名が「ハゲ鷹」。つまり、彼の任務とは、脱走兵狩り。無論、それだけではないだろう。「督戦」の名の下に行われる、戦争の暗部を担当する汚れ役と呼ぶのが相応しいかもしれない。戦後、戦犯として生贄にされることを恐れた彼と部下たちはいち早くベルカから逃亡、以後その消息は不明と聞いていた。2005年のOBC特別番組「エースの翼跡」に登場した彼は、何とオーシア首都オーレッドにいたというのだから、彼の神出鬼没ぶりは堂に入っている。彼を捕えるべく各国の公安が連携したとまで言われているが、まんまと逃げおおせた彼は、今こうして私たちの目の前に立っているというわけだ。そして、彼は私の父親に撃墜されたエースの一人でもある。彼の話は、父親から断片的に聞いたことがあったし、その名を勿論私は知っている。グランディス隊長の止まらない悪態に嫌気がさしたのか、ニヤケ顔が私の方を向く。ふと私は、フェラーリンがわざわざ私たちの名前を彼に伝えていなかった理由に気が付いた。全く、悪戯が好きな大人たちばかりだ。
「フィーナ・ラル・ノヴォトニーです。隊長同様に、カイト隊の所属です。よろしくお願いします」
「くぅぅぅーっ、ナイスはやっぱり違うなぁ。おいジュネット、こんないい娘におじ様呼ばわりたぁ、アンタも捨てて置けないぜ。……どこで知り合ったんだ?それに、いい名前じゃないか。フィーナか。どっかの国の神話じゃ女神様だぜ。いやぁ、長生きはするもんだなぁ。で、姓がラル・ノヴォトニーか。ラル・ノヴォトニー?何か聞いたことあるなぁ?」
腕組みをしたズボフは白髪混じりの頭を指でかき回す。しばらく続けていた彼の手が止まり、ズボフはあんぐりと口を開いて両手で私を指差した。その大げさなポーズに、私は笑いそうになるのを必死で堪えていた。
「……嬢ちゃん、あんまり老人をからかうもんじゃないぜ。ラル・ノヴォトニーって言ったら、アイツの姓じゃないか。……まさかお嬢?」
「はい、レオンハルト・ラル・ノヴォトニーは私の父親です。父からあなたの話は聞いたことがありますよ」
大げさに空を仰ぐようにして、ズボフは首を振った。おどけた彼の行動はクセなのか、演技なのか、ただ、ベルカの兵士たちを恐れさせた「エスケープキラー」の姿とは随分と落差がある。或いは、これが彼の本来の姿であるのだろうか?
「俺は「円卓の鬼神」に祟られてんのかねぇ……聞いてないぜ、鬼神の娘が来るなんてよぉ。何だ、ジュネットは知ってたのかよ。皆揃って老人をいじめやがってなぁ……」
私の背後では、グランディス隊長とジュネットおじ様が失笑を抑えきれずに笑い声をあげている。まるで慨嘆するような仕種のズボフだったが、別に嘆いているような素振りは無く、むしろどこか嬉しそうに見える。遠い昔、まだ彼がエースと呼ばれ、戦闘機の操縦桿を握っていた頃を懐かしんでいるのだろうか?それとも、「円卓の鬼神」との激闘を思い出していたのだろうか?ベルカ戦争の一幕を知る貴重な生き証人は何度か首を振ると、今度は精悍な笑いを浮かべて振り返った。
「お嬢もお嬢だ。先に言ってくれたら心の準備が出来たのによぉ。びっくりして心臓が止まるかと思っちまったよ。……恐れいった。まさか俺を撃ち落したエースの娘御の手伝いとは、やっぱり長生きするもんだぜ。へへ、気に入った、気に入ったぜ!!」
「……忙しいジジイだねぇ。Mr.G、こいつ本当に役に立つの?」
「まあそう言うなって。これでも、ラーズグリーズの戦いの時にもこっそり参加していたくらいなんだから。歴戦の兵という肩書きは決して嘘ではないさ。事実、グリスウォールでは私も随分と世話になっているんだからさ」
「……そこまで言うならいいけどさ」
「おじ様も人が悪いですよね。教えてあげれば良かったのに」
このときのジュネットおじ様の愉快そうな笑い方をしばらく忘れられそうに無い。歴戦の記者はただ「いい人」だけでは渡っていけないということが、私には良く分かった。そう、フェラーリンたちと同じように人の悪い笑いを彼は浮かべていったものである。
「ま、楽しいことは皆で共有しないとね」
水銀灯で照らされている格納庫の中、しばらくは出撃の日程も入っていない、主不在の機体をオズワルドは磨いていた。フィーナと鬼隊長のグリスウォールへの潜入が成功し、当面プナ平原に置いておいても仕方ない、ということで、サチャナ基地まで戻ってきたというわけだ。レイヴン艦隊仕様機として細部に改修を施されたF-22Sのコクピットに収まりながら、普段はここにフィーナ嬢がいるんだな、と思い浮かべてオズワルドは思わずにやけてしまう。香水の香りでもすればいいのだが、さすがに実戦を幾度も経ている猛者だけあって、そんな浮ついたところは無い。ただ、あれだけの綺麗どころ、もう少しくだけると尚良いんだけどなぁ……整備班に圧倒的なファンを持つ彼女ではあるが、本命がどうやら定まりそうとだけあって、最近は意気消沈している者も少なくないのである。さらに、彼女の愛機であったこの機体は、グリスウォールのミッション終了後、別のパイロットの乗機となることが決定していた。レサス軍との激戦が想定される状況下、レイヴン艦隊本隊から新型機を含めた緊急支援が行われることになったのだ。これに伴い、彼女の乗機にはF-35BSが充てられることが決定事項として整備班にも伝えられていたのである。
「随分と精が出るのはいいが、他の機体の整備も怠るんじゃないぞ」
コクピットから身を乗り出すと、ホーランド班長が苦笑いをしながら足下に立っていた。
「分かっちゃいるんですが、班長、何か寂しくてねぇ」
「やれやれ、数日いないだけでこれじゃ、南十字星の坊やとくっついた日には我々整備班は壊滅するなぁ。ま、覚悟はしておくといいさ」
「ま、あれはベストカップルでしょう。二人とも朴念仁ですけどね」
「ジャスティンの奴、毎日しっかりとトレーニングに励んでいるそうだよ。ま、彼のおしゃべりな相棒君曰く、夕飯の後などは窓辺で物憂げにしているらしくてな、彼を狙っている女性兵士たちのため息を誘っているそうだ」
「早く帰ってこないと、他の虫が付くかもしれませんな」
コクピットに持ち込んでいたバインダーをまとめようとして腕を伸ばしたオズワルドは、コクピットのコンソールの隙間に折り畳んで挟まっているものに気が付いた。何だこりゃ?慎重に紙片を取り出して開いてみると、それはオズワルド自身が撮影したジャスティンのベストショットだった。お熱いねぇ、とにんまりしたオズワルドは、そっと紙片を畳むとバインダーに挟み込んだ。彼女の大切なお守り、次の機体にもちゃんと積んでおいてやらないと。ああ、早く尾翼にエンブレムを描きたい。つい先日、オーレリア不正規軍のフォルド整備士が描いた、スコット専用機のエンブレムは見事だった。尾翼に踊る蛇。アレに対抗出来る絵柄は、二つしかない。でも一方は決して使ってはならない禁断のデザイン。だからもう一方、恐らく彼女が本当は望んでいるであろう絵柄こそ、今は相応しいに違いない。よし、帰ってきたらびっくりさせてやるぞ――そんな決心と悪戯心を固めながら、オズワルドはF-22Sのタラップを駆け下りた。ホーランドに指摘されるまでも無く、彼らの整備を待っている機体があるのだから。
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