潜入者たちの宴・前編
地上から見上げるガイアスタワーは、高層ビルというよりも、はるか高空まで伸びる尖塔と呼ぶに相応しい。車の後部座席からかつてのオーレリアの平和の象徴、現在のレサスの支配の象徴を眺めながら、私はそう思った。巨大な城壁を思わせるアトモスリングの数箇所では、何やら大規模な工事が行われている。上部構造に設置されたクレーンが何かをぶら下げているのが、ここからでも分かる。いよいよここまで追い詰められたレサス軍が、防備を固めているとの噂が街にも伝わっていた。そして、南十字星の活躍は、私の予想を超えて市民たちを熱狂させている。無数の反レサス義勇組織が秘密裡に結成され、しかもその多くが「南十字星」の名を冠していたことには苦笑してしまったが、電子妨害とレサスの圧倒的戦力によって押さえ込まれていたオーレリアの人々の怒りが、ようやく臨界点を越えようとしているのかもしれなかった。
「やっぱりナイスを乗せたドライブはいいなぁ。ジュネットだけじゃ何とも味気なくてよぉ。ヘヘヘ、おやバックミラーを直さないとな」
ズボフの意図に気が付いて、私は慌てて膝先をすぼめた。じろり、と前席を睨んだジュネットおじ様が腕を伸ばして、バックミラーを真っ直ぐの向きに変える。イヒヒ、と笑うズボフの顔が、非常に残念そうだった。女性らしい服装をしなければならないのは分かっていたが、オストラアスールのレディたちの徹底した準備には唖然としてしまった。一体どこから調達してきたのかわからない、薄い水色のカクテルドレス。フェラーリンの駄目出しの結果、メイクはオストラアスール謹製。とんでもないことになるかと思ったら、自分でやるよりもはるかに上手であったことに、内心落ち込んだものである。今日の私の立場は、ベテラン記者に同行したオーシア・タイムズの新米女性記者。リリィ・シバースの名前を改めて思い返して、持ち物を素早く点検する。パーティに参加することが目的だから、一切の武器を持ち込むことは出来ない。我々の唯一にして最強の武器は、観察眼とこの口さ、とジュネットおじ様はうそぶいたものである。
「……やっぱり、少し派手過ぎませんか、このドレス?」
「正直目のやり場に困ると言えば困るんだが、まぁそんなところじゃないかな。良く似合っているじゃないか」
「ならいいんですけど……」
「南十字星の坊やに写真を送ってやったらどうだい、ジュネット?」
「ズボフさん!!」
「おおこわ、やっぱり円卓の鬼神の娘だよぅ。ヒッヒッヒ」
アトモスリングを通過した車は、フル装備のレサス兵士たちの誘導にしたがって、ガイアスタワーへと続く幹線道路をひた走る。レサスによる制圧下では、かつてのような賑わいはないのだろう。カーテンが閉められていたり、入り口にシャッターの下りた建物が随分と目立つ。そして車線を潰して展開している地上部隊の戦闘車輌の多さにはちょっと驚いた。まだオーレリア不正規軍は遠いはずなのに、過剰と言ってよいほどの部隊がこの街には展開していたのである。路地裏をのぞけば、戦闘ヘリまでが配備されていた。レサス軍の上層部はともかくとして、オーレリアの軍勢が必ずやって来る――その意識が、レサスの兵士たちをここまで緊張させているのかもしれない。敵の姿に身構える兵士たちと、連夜開催される贅沢なナイト・パーティ。この滑稽な落差は一体何だろう?ジャスティンたちが激しい戦いを繰り広げている時にも、この宴は開かれていたのだ。対外的アピール。ジャーナリストたちへの情報操作。レサスの威信を主張する場。この期に及んで尚も余裕の笑みを崩さないディエゴ・ギャスパー・ナバロ。その実物に触れることは、私たちの今後の戦いに、何かヒントを与えてくれるかもしれない、と私は考えていた。表向きのレサス司令官としての彼と、ゼネラル・リソースと結託した死の商人としての素顔。可能なら、「記者として」その厚い面の皮の薄皮を剥いでみるのも面白いだろう。
「さぁて、もうすぐ到着だ。俺は地下で待ちぼうけ。ジュネットたちは豪華なパーティ。……何か納得いかねぇなぁ、この扱い」
車はゆっくりとガイアスタワー正門へと続く坂を登り始める。
「フフ、後でおつまみを持って帰ってきますよ。だから、待っていてくださいね」
「本当に?いいなぁ、お嬢はやさしいよ、本当に。あい、運転手は大人しく待ってますよ。……おら、到着だ」
正門脇の検問所に車が差し掛かり、後部ドアが開けられた。許可証を差し出すズボフが、何か冗談を飛ばして兵士の顔をしかめさせている。一方でドアを開けた兵士は、目のやり場に困る、といった様子で視線をあらぬ方向に飛ばしていた。
「ありがとうございます」
「い、いえ、これも任務ですので。会場はあちらです」
多分私よりも年下なのだろう。笑顔を返してあげると、にんまりと嬉しそうな笑顔と敬礼が戻ってきた。
「役得だね。今日は私も動きやすいというものさ。……色仕掛けはやらんようにね」
「おじ様の意地悪」
「ハハハ、さて、それじゃあナイスのエスコートで乗り込みますか、敵の牙城に」
今日のパーティに参加する他の記者たちの群れに紛れて、私たちは歩き始めた。さあ、初めての潜入ミッションの開始だ。逸る心と緊張とを静めながら、レサスの牙城、オーレリア解放のためには絶対に制圧しなければならない、空を貫く尖塔の中に、初めての一歩を踏み入れた。
構造材剥き出し、コンクリート剥き出しの通路の中を、黒い戦闘服の群れが進んでいく。大柄な者たちが目立つのに、その足取りはまるで猫のようだ。担いだ弾薬装備の重さを全く感じさせず、ほとんど足音も立てず、マグライトの明かりを頼りに彼らは進んでいるのだった。この壁の向こう側には、各種装備の整ったガイアスタワーの地下街が広がっている。ショッピングセンターも併設されたその空間には、レサス占領後の今でも民間人たちがそれなりに溢れているはずだ。彼らが進んでいるのは、ビルの構造確認を行う時のみ使用される壁と壁の間の隙間。とはいえ、空調パイプに電源配線、その他諸々が整然と配置された空間は、大人一人が通るに充分な広さを持っていたのである。
「もうすぐ作業用エレベーター付近に出るぞ。A隊、B隊、準備はどうだ?」
「こちらチームA、配置完了、いつでもいけます」
「チームB、了解。ご指示をどうぞ」
屋外での通信はネベラ・ジャマーにより遮られていたが、屋内の限定的な空間にまでその効果は及んではいなかった。耳に埋めた小型レシーバーから聞こえてくる通信を聞きながら、グランディスは改めてオストラアスールの熟練の動きに感心していた。全く、こういう奴らを野に放すからレサスごときに遅れを取ったんだよ。彼らの身のこなしは、まさにプロ中のプロと呼ぶに相応しいものだった。ガイアスタワーはその巨大な施設内部にいくつかの管理室を持っている。このうち初期目標、地上480メートル付近に位置するシステム管理エリアに至るためには、低階層の管理室をクリーンにしなければならなかった。グランディスたちに先行して潜り込んだA・Bチームは、低階層に配置された2箇所の管理室の制圧を担当する。そして、突入チームの脱出まで本隊を支援することが目的となる。残り3チーム、C・D・Eチームが突入担当としてシステム管理エリアを制圧、最重要目標であるレサス軍の資金の流れを抑える。さらには、エレベーター点検業者に扮した別働隊が、作戦に使用するエレベーターを「点検中」にする手筈も整えられていた。とはいえ、管理室を制圧出来る時間は限られているから、時間の勝負になることは間違いない。場合によっては荒事も止む無し、全員必ず無事に帰投すること――その指示をフェラーリンは部下たちに徹底したものである。やがて薄暗い通路は行き止まりとなり、その壁に向かってフェラーリンたちが何かを探している。マグライトに照らされる壁の一角に目標のものを見つけたらしい彼の口元が、覆面越しに笑みを刻む。
「何だか楽しそうだねぇ。失業したら泥棒でもやっていけたんじゃないのかい?」
「全く同感だ。さて、この先を抜けて、エレベーター本体を拝借する。最悪の場合、逃げながら爆破するのも止む無しか」
「そうならないようにしたいもんだね。それにしても……あたいはむさい男たちと一緒に暗い穴蔵の中。フィーナは華やかなパーティ会場で豪華なディナーかい。やっぱり納得がいかないねぇ」
「ま、アンタはドレスよりもこの黒装束の方が良く似合うぜ。武器もサマになっているしな」
「フン、好きでこんなことしているわけじゃないよ」
そう言いながらも、「専用」と渡された装備品を見てグランディスは驚いたものだ。どこをどうやって調達したのか知らないが、こういった屋内戦闘でも取り回しが楽なように、コンパクトサイズにまとめられたミニ・ガトリング・ガン。強襲部隊愛用のSOCOM。他の連中はFAMASを中心とした装備だが、中にはクルツを二丁ぶら下げている者もいれば、片目にサーマルゴーグルをかぶせている者もいる。本業の特殊部隊顔負けの装備というわけだ。その集団に囲まれながら、フェラーリンは左腕につけた腕時計に視線を移す。
「さて、そろそろ向こうのパーティも始まる。こちらも始めるとしよう。……A隊・B隊、突入開始!!C・D・E各隊は両隊の制圧を待って行動開始だ。オストラアスールに戻ったら、うまい酒とうまい料理で乾杯といこう」
「了解!さあ行くぞ、へまするんじゃないぞ!!」
「突入開始、突入開始!ゴーゴーゴーゴーゴー!!」
ここからでは確認することは出来ないが、管理室の中はパニックになっているだろう。突如として姿を現した黒装束の武装勢力。その性質上、一般の目からは見えにくい場所に配置されていることもこちらにとっては幸運だ。つまりそれだけ、異常事態を察知されるまで時間を稼げるからだ。重要エリアには勿論警備の兵士が巡回をしているが、何しろ巨大なガイアスタワー全てを監視出来るものではない。そのために、基本的に建物内部の管理は占領前同様にオーレリア政府から委託された警備会社に一任され、そこにレサスの兵士が加わるという運用方法――フェラーリンに言わせれば大甘のやり方――が取られていたのである。まあ、管理室の内部が全部レサス兵士だったとしても、それほど結果は変わらなかっただろうが。レシーバーからは銃声は全く聞こえない。サイレンサー装備にしているとはいえ、どうやら守備は上々のようだ。"全員手を挙げて部屋の隅に寄れ。従わなければ男にとって最も苦しい目にあわせてやるぞ"、などという脅し文句が聞こえてくる。フェラーリンの部下たちに相応しい言い様に、グランディスは忍び笑いを浮かべる。ある意味、「動くな、動けば殺す」と言われるよりも、何をされるか分からない分恐ろしいかもしれない。そんなことを考えていたら、甲高い男の悲鳴が聞こえてきた。"分かったか、こんな目に遭ってしまうんだ。他に希望者はいるか?"……大方、レサス兵をスケープゴートにでもしているのだろう。今のところ、ビルの中に警報が鳴り響いたりする気配は無い。制圧は静かに、順調に進められているようだ。フェラーリンが傍にいる部下に目配せで指示を下す。すると、行き止まりの壁がぽかりと穴を開けて、外側へと蓋がぶら下がった。
「踏み外すと奈落の底だ。死にたくなけりゃ、慎重に上れ」
穴の先は、ガイアスタワーの荷物搬送用エレベーター坑だった。まさか潜入に表側の利用頻度の高いエレベーターを使うわけにもいかない。その点、利用業者が限られている割に高層階まで上がれる荷物用エレベーターは、侵入するにはうってつけのツールというわけだ。もっとも、発見されれば身動きの取れない箱の中で銃弾のシャワーを浴びるリスクと背中合わせである。だから、管理室の完全制圧は避けて通れなかったというわけだ。
「順調そうだね」
「まだ始まったばかりさ。……ま、ガイアスタワーはかなり自動化された監視システムを持っているが、それは"管理室が敵性勢力に制圧されない"ことを前提にしたものだからな。所詮はぬるい平和ボケ国家の実態という奴さ。涙がちょちょ切れそうだが、そのおかげで俺たちが楽出来る。文句ばかり言ってるわけにはいかんな」
「結局どんなに強固なシステムも扱う人間次第でどうにでもなる、という警鐘だね。将来のオーレリアに役立ててもらいたいもんだ」
「全く同感だ。お……、制圧、完了。野郎ども、準備はいいな?」
2基のエレベーターの上に張り付いた男たちが無言で銃を掲げる。既に制御を奪い取ったエレベーターの中に、人の気配は無い。上部にあるメンテナンス用のハッチを開き、素早く中へと滑り込む。中に降りた者からセーフティを解除、完全に戦闘態勢をとってエレベーターのスイッチを押す。低い駆動音と共に、上昇開始。戦闘機で空を駆け上がるのに比べれば、何とのんびりとしたものだろう。だが、今いる場所は空の上同様、命を賭する戦場であることに違いは無い。慢心は禁物。手にしたミニ・ガトリング・ガンのセーフティをゆっくりと外しながら、グランディスはコクピットの中でしているように、自分の意識を集中させ、気を研ぎ澄ませていった。
ディエゴ・ギャスパー・ナバロ主催のパーティは、聞きしに勝る贅沢ぶりだった。料理、酒、食器にグラス――そこにあるものの全てが最高級の物を使っていることは、その道では素人の私にも分かった。これほどのご馳走を私は見たことがない。もともとはオーレリア政府お抱えの料理人たちにとっては、支配者が変わろうと仕事が変わるわけではない。彼らが精魂込めて作る料理の味は絶品で、任務のことを忘れてしばらくは小皿に料理を盛ることに専念してしまい、おじ様の苦笑を誘うことになった。シェフに頼んだ枝豆のポタージュは、是非とも大きなボウルに入れてもらって持ち帰りたいくらい。滅多に味わえない豪華料理を前にして、正直あまりお上品とは言えない食べ方をしていた私を、「何処の馬の骨だ」とばかりに睨み付けて、中年の女性がこれ見よがしに「上品な」ふりをして歩み去っていったが、見かけだけ上品でも中身があれでは、折角の作法も泣くというものだ。
「あれがナバロとレサス支持派の議員殿さ。残っているオーレリアの政治家の質がどんなものか、良く分かるだろう?」
ジュネットおじ様は早くも何本めかのスタウトの小瓶を手にしている。ほんのりと頬が赤くなっているが、彼を本当に酔わせるためには相当の酒が必要であることを私は知っている。こんなのはまだまだシラフのうちに入るのだろう。
「奴ら、もともとレサス・マネーで懐柔されていた古参の親レサス陣営なのさ。オーレリアから人道支援名目で行われた融資をちゃっかりと懐に仕舞い込んで、この戦争が始まったら尻尾を振ってナバロ様万歳だからな。ベルカ事変のときの主戦派よりも性質が悪い」
「そんなに前から、レサスは工作を進めていたのですか?」
「ああ。いや、レサスではなく、ナバロが、と言った方が正しいか。そのおかげで、オーレリアの放送各局は有形無形の圧力を受けてろくに取材も出来ずに、ナバロの話を流すだけのイエスマン。絶望して野に下ってしまった記者も少なくないという有様だ。オーレリアという平和国家が、実はその土台から腐り始めていたというわけだね」
首を振りながら、おじ様はゆっくりと小瓶を傾ける。嬉しそうに笑っているのは、スタウトの風味がお気に入りだからなのだろう。良くラベルを見てみれば、ノルト・ベルカのメーカーの紋章が押されていた。父も時々、こっそりと買い込んできては母に怒鳴り散らされていたものだ。
「このパーティ会場に集まっている連中から他国の記者連中を除けば、残りの7割はナバロに飼い慣らされた家畜の群れさ。さてさて、南十字星たちがこの街を解放したら、どんな顔で尻尾を振るのか興味深いところだよ」
「ジャスティンたちがそんなことを知ったら、このパーティ会場を第一目標として狙うかもしれない。おじ様、解放作戦の時は絶対にパーティに参加しないで下さいよ?」
「そうそう、南十字星。可能なら、彼に独占インタビューをお願いしたいところだね。グリスウォール解放が実現したら、便宜を図ってもらえるかい?何なら、不正規軍のカップル・エース特集で」
ニヤリ、と笑いながらおじ様は瓶を呷った。グランディス隊長か、フェラーリンのどちらかが吹き込んだに違いない。はぁ、とため息を吐きながら私はパーティ会場の中を改めて眺める。マスコミ関係者がどちらかというとラフと私服の間くらいの格好をしているのに対し、オーレリア政府関係者や或いは民間企業、軍関係者などは正装の者が多い。この場はナバロの演説会場という意味の他に、親レサスを唱える様々な立場の人間たちの交流の場でもあるのだろう。政治の世界が、時にこういった非公式な場での会話で動くことがある――そんなことは無論知ってはいた。だが改めてその場に居合わせると、あまりの居心地の悪さに背筋が寒くなってきた。ここは、私のいる場所じゃない。蒼くどこまでも広がる大空を舞うのと比べたら、何と閉鎖的で冷たい世界だろう。こんな舞台を渡り歩いてきたジュネットおじ様のタフさに、つくづく感心させられる。それにしても、軍関係者、それもオーレリアの制服を着ている連中の頭の中は一体どうなっているのだろう?オーレリア不正規軍がこの街を奪還すべく進んできた時、彼らは銃を取って同胞のはずの彼らと戦うというのだろうか?それに、不正規軍は決してナバロに尻尾を振った連中を許すことは無い。オーレリアの屋台骨を食い荒らしていたような連中は、解放軍にとってレサス以上に憎むべき「敵」だからだ。戦況を見極める視点があれば、レサスが追い込まれつつある事実を認識することは難しくないはずなのだが。巧みにその「事実」を覆い隠し、尻尾を振る犬たちを上手く使いこなすあたり、やはりナバロの能力は決して非凡ではない。
「ナバロの野郎が何を狙ってこの戦争を仕組んだのか、大体私は分かっているつもりだけれど、それを公にするにはまだ資料が足らないんだ。グランディスたちが無事生還して、レサスにとっては決して知られたくない資金の流れを押さえることが出来れば、もう何の遠慮もいらない。ペンは何よりも強し、というわけさ」
「長年の搾取に対する報復とは見せかけの理由で、真の目的はレサス軍需産業の優秀さを世界に示すデモンストレーション――」
「惜しい、70点というところだ。レサス軍需産業のトップが誰だと思う?民間企業顔負けにグループ化されているが、ディエゴ・ギャスパー・ナバロその人なのさ。つまりこの戦争は長年の恨みつらみの報復どころか、ナバロ自身の利益のための、言わば私戦。そしてその背後に在るゼネラル・リソースにとっても、格好の宣伝になっているんだな」
「そんな……じゃあ、レサスの兵士たちは、それも知らずに戦っているんですか?祖国のためと信じて……?」
ジュネットおじ様は渋面を浮かべて頷いた。そんなことって……!レサスの兵士たちだって、何も好き好んでオーレリアへ攻め入ったわけではない。それが祖国の、家族のためと信じて、動員令に応じた人々が大半を占めるだろう。ナバロたちにとっては、そんな人々の生死ですら商品のデモンストレーションに必要な紙面上の数値でしかないとでも言うのか。
「こらこら、そんな怖い顔をするんじゃない。いいかい、今の君はオーシア・タイムズの新米記者、リリィ・シーバスなんだ。この程度の戦争の汚い面で怒り狂っていたら神経が持たないぞ。もっともっと、闇の深い部分だってあるんだから。その怒りは折角だから、冷静な質問として本人にぶつけてやればいい」
やがてホールに響き渡る拍手が会場を満たしていった。まるで、スター俳優の登場のように。出迎える人々の、笑顔、笑顔、そして笑顔。それに手を振って応え、自らも微笑を浮かべながら、その男は姿を現した。直に見るのは勿論初めての、ディエゴ・ギャスパー・ナバロ将軍その人。写真で見るのとはやはり違う。内戦状態のレサスを一つにまとめ上げただけでなく、周到に準備を重ね、大義名分を得てオーレリアに対する戦端を開いた指導者に相応しい、独特のカリスマ。演技であるにせよ、人の信頼を自然と得られるような立ち振る舞い。だが私はそこに、強烈な印象ではなく、強烈な違和感を感じた。ジュネットおじ様から彼の「実体」を事前に聞いていたこともあるだろうが、それ以上に彼のその笑顔の下に隠された正体と、今目の前にいる男の虚像とのアンバランスさとでも言うべきか――。割れんばかりの拍手喝采に迎えられたナバロは、現在のオーレリア傀儡政権の閣僚たちとも快く握手を交わす。この場にスコットかグランディス隊長がいたとしたら、間違いなく後々あの人物たちには不幸な事態が発生するに違いない。やがて、そこがいつもの演説ステージなのだろう、大きな液晶ディスプレイの隣に立ったナバロは、部下から差し出されたマイクを手に、聴衆たちに向かって深く一礼をした。また始まったよ、と言わんばかりにジュネットおじ様は背を向けてテーブル上の料理へと向かう。聞こえてくる演説は、恐らくは毎度毎度のものなのだろう。他の参加者の興味がナバロに向かったのをいいことに、私もおじ様に同行して料理に手を伸ばす。
「これでこの演説が無ければ全て最高なんだ。オーレリアの料理人の腕に間違いは無い」
「納得ですね。グリスウォール解放の暁には、きっと山ほど食べられますよ」
「そいつはいい提案だ。フェラーリンたちにお願いしておこうか」
背中越しに、レサス軍の大義と不遜にもその大義を踏みにじろうとする不正規軍に対する批判とが代わる代わる聞こえてくる。だが、そもそもこの戦争を引き起こしたこと自体が問題とされるべきなのではないか?その事実に目を瞑って大義を振りかざしたところで、所詮は詭弁でしかない。なるほど、おじ様がそっぽを向きたくなるのも当然だ。極力私も声を聞かないようにして、料理をつまみながら窓の外へと広がる美しい夜景に視線を向ける。折角の景色が、あの演説で台無しにされたような気分になって、私は思わず首を振った。よほど喋るのが好きなのか、朗々とナバロの言葉は紡がれて垂れ流されている。だが、看過出来ない言葉が、私の耳を打った。
「……それでは、わが軍の誇るトップエース部隊、サンサルバドル隊がオーレリアの南十字星たちを敗走させた戦いを、皆様にもご覧頂きましょう。この激しい戦いで自らも損害を受けた彼らは、現在グリスウォール沖に展開している我が軍の空母にあり、警戒任務を続けています。彼らの活躍を、皆さんも是非見てやってください」
照明が少し落とされ、薄暗くなった会場に、大画面が映える。見覚えのあるレイヴンウッズの森。ガンカメラによって撮影されたものだろうか?アフターバーナーの炎を吐き出しながら必死の回避機動を続けているのは、どうやらスコットのF-2Aらしい。機関砲弾の赤い筋が放たれ、いくつかの火花が煌いたかと思うと、その機体から黒煙が吹き出す。シーンが変わって、どうやら地上から撮影されたらしいショットに、まさかとは思ったがジャスティンのXR-45Sが姿を現す。その背後に、彼を執拗に追い回すサンサルバドル隊の隊長機――ペドロ・ゲラ・ルシエンテスの駆るS-32の姿がある。だが、その傍らにあったタイフーンの姿は無い。やがて、ルシエンテスの攻撃によってXR-45Sの白い機体から破片が飛び散ると、歓声と拍手とがホールに響き渡った。
「残念ながら、敵も極めつけのトップエース。撃墜には至りませんでしたが、その後彼らがオーレリアの空に現れたという話を我々は聞いていません。この事実こそ、不逞な抵抗を続ける不正規軍の進撃がついに停止したという証明に他なりません。ここが我々の正念場なのです。どうか皆様、引き続き我々に暖かい支援とご協力を、ここにお願いするものであります」
拍手と歓声の中、シャンパングラスを傾けながら、私はナバロの姿を睨み付けていた。隣でおじ様が苦笑を浮かべているのには気が付いたけれど、あの卑劣な戦いを都合の良い様に改竄してこの場に晒すようなやり口は到底納得出来るものではなかった。見てなさいよ。その厚い面の皮、多少なりとも剥いであげますからね――敵の大将に直接疑問をぶつける機会など、そうあるものではない。多少なりともボロを出させることに成功すれば、こちらの勝ち。それに、ナバロたちをこの場に留めることは、間接的に隊長たちを支援することもなる。作戦を素早く頭の中で組み立てながら、武器無き戦いの宣戦布告を、そっと心の中で私は告げたのだった。
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