潜入者たちの宴・中編
表面上、和やかな宴の至る所で、どうやら政治上、取引上重要な密談がかわされている。この実態を国民たちが知ったなら、どれだけ失望することだろう。現実問題として、直接参加の民主主義を実現できない以上は仕方のないシステムとも言えるのだろうが、それを話し合っている連中の大半が、民意ではなく彼ら自身の思惑によって動いている。民意が反映される?それは違う。民意が反映されたかのように錯覚させる仕組が、「政治」なのかもしれない。その群れの中を談笑しながら歩くディエゴ・ギャスパー・ナバロは、彼らとはどうやら次元が違う。彼は、やろうとすること・やりたいことがあたかも民意の総意であるかのように世論を巧みに形成し、自らへの支持へと転化できる、政治の世界の化物だ。もともと複数の派閥間の闘争状態が続いていたレサスにおいて、当初彼の存在はそれほど大きいものではなかったし、内戦を詳しく調べている者でない限りは知られていない程度だったという。ところが、対立する派閥同士の調停に乗り出し、永劫続くと思われていた内戦状態の火消しを始めた辺りから、彼の名はクローズアップされるようになっていった。内戦終結を実現した偉大なる平和主義の政治家――世論に高い支持を得た彼の言動に影響されたのは国内の人間だけではなかった。レサスの掲げる「オーレリアによる永年の搾取への報復」という大義名分に踊らされた者たちのなんと多いことか。仮に紛争終結後、このままオーレリアに親レサス政権が成立するとすれば、それはナバロの名をさらに高める結果になるだろう。しかも政権の人間は、ナバロの息のかかった者たちばかりだ。それは、不正規軍の人間たちによって最悪の悪夢だ。――絶対に防がなくちゃ。そのために、ここまでやって来たのだから。
「リリィ、シャンパンはほどほどにしておけよ?そんなに強くなかったはずだろう?」
「――そんなに飲んでます?」
「飲みやすいから分からないだろうが、結構度数高いぞ、それ。ほら」
ジュネットおじ様は携帯電話をこちらに向けると、シャッターを素早く切った。ニヤリ、と笑って向けられた画面を見て、さすがに私は赤面した。目の下が見事にピンク色に染まっている。好戦的になっているのは、ひょっとしてアルコールが回ってしまったせいなのだろうか?さすがに次のグラスに手を出すのは遠慮して、オレンジジュースの入ったグラスをウェイターから貰い受ける。
「随分と楽しんでもらっているようだね、ジュネット君?」
慌てて振り返ると、そこにナバロ将軍その人の姿があった。
「料理もうまいが、何といっても酒が良い。冥土の土産変わりに飲ませてもらってますよ、将軍」
「それは何より。オーレリア裏通りの名物を堪能した君にそう言ってもらえるとはね」
「あれは別の趣味の話ですよ。オーシアに戻った後の笑い話に良い店ですからね。あ、そうそう、こいつはオーシア・タイムズの新米記者の、リリィ・シーバスです。ほら、食べる方に専念してないで、仕事しろ、仕事」
私よりもはるかに飲んでいる素振りも見せずに、ケロリとした顔でおじ様はナバロに相対していた。狸の化かしあい――そんな印象が思い浮かぶ。
「ほぉ……これは恐れ入った。こんな美人記者と同行とは、ジュネット君、君が羨ましい」
「リリィ・シーバスです。国際部に今年から配属されたばかりです。今回は上司の計らいで、アルベール・ジュネット氏に同行取材させてもらえることになりました。よろしくお願いします」
差し出された大きな手を握り返す。余り慣れない感触――父親も含めて、硬くごつごつとした感触の人が多かった――に意外な気分となる。この人は、恐らく最前線で戦ったりという経験はほとんど無い。内戦にある軍人としてそれなりの苦労と経験はして来ているだろうが、彼はどちらかと言えば軍人官僚と呼ぶべき立場にあったのだろう。グランディス隊長がここにいなくて本当に良かったと思う。隊長がここにいたなら、きっと思う存分悪態を垂れているに違いない。
「レサス軍のご活躍は、こちらに来る前から伺っていましたし、先ほどの映像も拝見致しました。しかし一方で、ガイアスタワーへと向かう車の中から、市街の各所で防備を固めている陸軍部隊の姿も目立ちました。それほどまでに、不正規軍の兵力は強力なのでしょうか?」
「良くご覧になっていらっしゃる。不正規軍……といっても、もとはオーレリア軍の残存部隊と呼ぶべきでしょうが、彼らの戦力は日増しに強力になっている。今はネベラ山に設置している大規模電子妨害の効果もあって進撃が止まっているが、このまま放っておけば、いずれ彼らはやってくるだろう。もう一つ問題なのが、彼らに触発されたテロ組織の存在だ。このオーレリアの美しい街並みには似合わない兵士たちは、テロリストから市民たちを守るために任務に就いている。どうかその点を、ご理解頂きたい。そのうえで、私は不正規軍とコンタクトを取りたいと考えているんだ。我々は、オーレリア政府首脳部が長年続けてきた不当な行為を告発し、是正するために敢えて戦争という手段を選択した。我々には、それをさらに国際社会に問うに足る証拠がある。不当なる政府を退けることだけが目的だとすれば、我々と不正規軍の間には和平が成立する可能性が、充分にある……と私は思うのだ」
和平とは大きく出たものだ。戦争の目を蒔き、自ら刈り取って、実利を最大限に得ようという魂胆か。それにしても、不正規軍と和平を本気で成立させるつもりなのだろうか?ただ、ナバロが彼の子飼いの政治屋を和平交渉使節として派遣した場合、不正規軍はそれを拒むことが出来ないことは間違いない。使節の拒否は、オーレリア政府に対する叛乱という大義名分をナバロに与えてしまうからだ。そうなったときには、レサスから更なる増援を招聘して、不正規軍を名実共に叩き潰す行動を取ることになるだろう。背筋が凍りつくような気分。確かにナバロの政治的・戦略的センスはシャープだ。
「なるほど、オーレリアの再生という目的は本来将軍も不正規軍も共通のものだ、というわけですね?」
「分かってもらえて有り難いね。勿論、戦争という野蛮な選択肢を取らざるを得なかった責任は私にもある。だが、オーレリア政府はわが国の再三に渡る抗議にも関わらず、頑なに謝罪を拒否し続けた。作戦開始に当たり、電撃戦を仕掛けたのは、双方の被害を最小限に抑え、事態を終息させるためだった。……ところが、予期しないことが起こったんだ。南十字星の異名を取った、凶星、ネメシスの登場だよ。彼と彼に率いられる部隊のせいで、どれだけ多くのレサスの兵士たちが命を奪われ、傷付いていったことか……。不正規軍がこれほどの規模になってしまったのも、彼らの責任だ。彼らのせいで、本来ならもっと早く終結しているはずの戦いが、ここまで長引いてしまった。だが、その凶星も、ようやく退けることが出来た。彼らの存在が消滅した今こそ、不正規軍との間に和平を成立させる数少ない好機だろうと私は考えているんだ。そのための使節を派遣する準備もある」
彼は凶星なんかじゃない、多くの兵士たちの希望の星よ。私にとっても、大切な希望の光。思わず抗議したくなる気持ちを抑え、努めて笑顔を浮かべ続ける。これはこれで、なかなかにハードな戦いだと痛感させられる。私は敢えて矛先を変えて、ナバロの軍服の下の腹を突付くことにする。
「将軍の真意は良く分かりました。が、その真意が末端にまではなかなか浸透していない部分もあるようですね?国際会議の場でも問題になっておりますが、サンタエルバの街に対する毒ガス攻撃など、人道に反する行為と取られても仕方ない事件も起こっているかと思いますが……」
「そう、その件については私も胸を痛めている。無辜の市民に対して何故そのような手段を用いるような作戦を展開したのか、指示系統も含めて調査を行っている最中だ。あれはオーレリアの人々にとっても、またレサスにとっても痛恨事であった。あの事件で傷付かれた方々のいち早い回復を、私は願っているよ」
トカゲが尻尾を切り捨てた瞬間だった。だが少なくとも私は知っている。不正規軍が捕えた捕虜たちの証言から、あの無差別テロを行った部隊が陸軍に属する特殊部隊であったこと。その指揮系統は陸軍から独立し、司令本部直属になっていたこと。彼らの毒ガス使用が、その使用効果を検証するためのものであったこと――。既に充分なデータを手に入れた今、その実行部隊の存在は却って邪魔というわけだ。
「将軍、和平案は面白い提案だと思うが、現在の臨時政権に対する市民の支持率は最低という状況はご存知のはず。彼らが和平使節として成り立ちますか?」
宴の何箇所かで「無礼な!」と声を荒げる姿が動く。ジュネットおじ様が口の端を持ち上げて、人の悪い笑みを浮かべて彼らを見返している。それだから、市民の信頼を得られない、いや、レサスの後ろ盾なしでは何も出来ない連中と看破されていることが分からないのだ。第一、不正規軍とて「議論を深めている最中である」とでもして、連中を丁重に軟禁するのは目に見えている。或いは、「ナバロの口先に乗せられた売国奴たち」として、解放後のグリスウォールに晒されることになるかもしれない。それにしても、何ということだろう?偽り。何もかもが偽りに満ちているというのに、ナバロはそれを正として事態を巧みに操っているのだ――。
「ハッハッハッハ、相変わらず手厳しいね、君も。だが、彼らも政権を担う政治家だ。不正規軍がならず者の集団だとしても、説得をしてもらわないとね。そうでないと、私の祖国のような内戦がオーレリアで勃発することになってしまう」
「率いる軍隊が無いんですから、勝負は見えてる気がしますがね。不正規軍と市民の手によって、新生オーレリア政権が成立した場合にはどうしますか?」
「それはないよ、ジュネット君。同胞の和平調停を断った時点で、不正規軍は叛乱軍と見なされても仕方ないのだから。そうなったら、我々は彼らをオーレリアを脅かす危険な存在として、全面的に制圧することになるだろう。彼らは所詮、道を誤った古いオーレリア政府の尖兵でしかないのだから」
「レサスの、いえ、将軍にとっての「勝利」とは何を指すのでしょうか?」
袖の下から甲冑を覗かせたナバロに、反撃の一矢を放つ。ぴくり、と彼の眉が動く。
「――道を誤ったオーレリアを、軌道修正し、この半島に真の和平をもたらすことだ、と……」
「和平はオーレリアの市民も望んでいるでしょう。将軍の真意が和平と戦争の早期終結にあることも分かりました。それなのに、敢えて不正規軍の神経を逆撫でするような人材を和平使節として送り込むような行為は、その真意と矛盾しているのではないでしょうか?加えて、グリスウォールの人々を守るために設置されようとしている砲台群は、何故アトモスリングにあるのでしょう?将軍、勝利とは、一体何を示すのですか?」
表面上、彼の微笑は全く揺らがない。だが、彼の饒舌が回転を止めたことが、少なからず彼の理屈にケチがついたことを雄弁に語っている。まだ核心には届いていない。さあ、次はどんなカードを切ってくる?どんな理屈と理論で答えてくる?語れば語るほど、私はナバロの中に大きな矛盾を見出していく。和平など、この男が臨んでいるはずもあるまい。反撃の手段を思い浮かべつつ、「敵」の姿を私はじっと見据えながら、オレンジジュースで渇いた喉を潤した。
管理室の占拠ほど簡単には、どうやらいかないらしい。さすがにレサスにとって重要な場所であるが故に、目標エリアは警備兵もしっかりと配置されていた。ダクトを利用して天井や床下へと潜り込んでいく隊員たちの姿は、言い方は悪いが巨大なゴキブリのようにも見える。壁の向こう側では、M16を肩からぶら下げた兵士が入り口を固めていた。あれを排除しないことには、外側からの制圧は望めない。とはいえ、攻め手に対して今のところの守り手は圧倒的少数に留まっている。一時的には優勢を確保出来るだろうが、ここは何しろ敵の巣窟だ。警報でも鳴らされた日には、100倍は固い追手に追い回される羽目となる。
「さーて、どうやって片すかな」
「先に中を制圧しても、奴らを野放しには出来ない。かといって、奴らの定時連絡が途絶えれば、いずれ増援がやって来る」
「隊長殿、片方眠らせるのにどれだけかかる?」
「馬鹿にしているのかい?一瞬でOKさ」
「なら中から行こう」
天井に大きな口を開けた侵入口が見える。縄梯子を素早く上ってみると、意外に広い空間が広がっていた。これならグランディスの巨体でもつかえることは無かった。屈みながら進んでいくと、既に降下準備を終えた男たちが命令を待って待機していた。フェラーリンも加わって、部屋の中の様子をうかがう。冷房の良く効いた室内には、もともとはオーレリアが使用し、現在はレサス軍が占有しているスーパーコンピュータ群があった。つまりここは、膨大な軍事機密情報やその他様々な情報が電子回線に乗って行き交ういわば中継点でもあったのだ。ここを破壊すれば、一時的にレサス軍を大混乱に陥れることも可能である。だが同時に、オーレリア国内にも少なからず影響を及ぼすことになってしまう。そんなテロが狙いではない。軍用回線の根幹を一時的に占拠し、欲するデータを取り出してしまうことが、何よりの狙いだ。そのための最高ランクのパスコード類は入手済。後は仕掛けるだけ。配置完了の合図が素早くかわされる。制圧作戦用の閃光手榴弾のピンが引き抜かれ、数個が部屋の中へと投げ入れられた。ゴトン、という鈍い音に室内の男たちが怪訝そうな顔で振り返る。そんな彼らの足下に、金属の塊が転がっていく。
「何だ、一体?」
シュガッ、という音が鳴り響いたと同時に、一斉に炸裂した手榴弾の閃光が室内を真っ白に漂白した。それと同時に一斉に制圧部隊が室内へと殺到する。彼らと共に室内へと降り立ったグランディスは、近場にいた男を足払いでひっくり返し、入り口のドアへと駆け寄った。悲鳴に反応したのか、室外の見張りがドアを開くのとほぼ同じタイミング。引き金を引かれるよりも早く身体が反応し、右手で小銃の筒先を上方へと弾き飛ばす。もう一方の男にはフェラーリンが襲い掛かった。拳銃を引き抜こうとする敵兵の右腕を掴み、思い切りねじ上げる。くぐもった悲鳴を傍に聞きながら背後に回りこみ、引き抜いたナイフを獲物の首先に当てる。ゴイン、という鈍い音は、入り口のドアに思い切り敵兵が顔を打ち付けた音だ。自動ドアが歪んで引っかかり、途中までしか閉じなくなる。
「お見事」
「そっちもね」
フェラーリンは既に一方の兵士を落とし終え、その身体を室内へと引きずっていくところだった。ナイフの切っ先の冷たさから逃れようと、敵兵は顎を何度もあげて逃れようとしていた。
「な、なっ、何で不正規軍がこんなところにいるんだ!?」
「……いい夢を見ることだね」
後頭部に強烈な手刀を打ち込むと、敵兵はそのまま床に大の字になって倒れた。もちろん、眠らせただけだ。辺りに増援の気配は無し。素早く男の身体を担ぎ上げて、室内へと戻る。部屋の角へと追いやられた男たちに、銃口が幾重にも向けられている。いくつもモニターとキーボードが並んでいる室内の、メイン端末のコンソールには早くもフェラーリンたちが取り付き、「作業」を開始していた。パスコードを打ち終わったフェラーリンが、モニターに表示された情報を確認して頷きながら、キーボードを勢い良く叩いていく。いくつかのフォルダが開かれて、彼が持ち込んで来たプログラムとデータとがシステムに展開されていく。どうやら全ては順調、正直物足りない気分だねぇ、とグランディスは苦笑した。やがてモニターにデータの羅列がずらりと表示され始める。高容量の記憶ディスクを取り出したフェラーリンは端末にそのディスクを接続し、キーボードを軽く叩いて席を立った。室内の様子に気を払いつつ、グランディスの傍に寄って、声を落として話し始める。
「……しくったかもしれん」
思わずグランディスはにんまりと笑った。
「管理室ではドアの開閉状況もモニターしている。重要施設なら尚更だ。そのドアが、開けっ放しになっている」
「データが取り終わるまで、どれくらいかかる?」
「3分程度というところか」
「ナバロの腰巾着に謁見はかないそうにないね」
「そっちは大丈夫。とっておきのプレゼントを用意しておいた」
ニヤ、と笑ってみせたフェラーリンが再びコンソールへと振り返る。グランディスは目配せで人質のうち3人を引きずってくるように指示を出し、自らは歪んで半開きになっているドアの傍で屈んだ。室内に据え付けられた警戒用モニターを見上げると、早くも異常の確認に派遣されたらしい兵士たちの姿が映し出されていた。今、彼らをここに来させるわけにはいかない。
「時間を稼ぐよ。いいね?」
「了解だ、姐さん。荒事はお任せ、ってやつですな」
先日、フィーナを散々赤面させたビル隊員が笑う。さらに双子の屈強な隊員が応じて力瘤を作ってみせる。3つ数えてから、グランディスは廊下の外へと飛び出して武器を構えた。足音も無く飛び出した隊員たちが、その脇と後ろを固める。防衛線は、20メートルほど先の、右直角に折れている曲がり角。エレベーターが絶対安全とは言えないが、管理室を確保している限りはまだ大丈夫。壁に張り付いて少しだけ顔を出すと、敵兵が二人、ちょうど歩いてくるところ。距離にして10メートル。後に続くビルたちと視線をかわし、呼吸を整えて、グランディスは飛び出しながらトリガーを引いた。ズン、と身体に響くような振動が身体に伝わり、廊下に無数の火花と弾痕が穿たれ始める。ぎょっとした顔で逃げ出そうとした兵士が足を撃ち抜かれ、もがくようにして何とか物陰へと辿り着く。その後姿に向けて、グランディスは廊下を震わせるような大音声を発した。
「さあ、かかってきな、三下ども!!」
ナバロ自身も喉に潤いを欲したのか、手酌でワイングラスに赤い液体を注ぎ入れる。濃厚な香りに笑みを浮かべながら、グラスを傾ける。
「サピン産のワインにも、いい物が確かにある。熟成された味わいと呼ぶべきか……。さて、お嬢さん、話の続きをしようか?」
望むところだ、と私はナバロの視線を受け止める。面白くなってきた、とばかりに、私たちの周りには幾人かのベテラン記者たちが集まってきていた。ナバロ贔屓のメディア関係者たちが近寄れないのは、ジュネットおじ様の知人たちが睨みを訊かせてくれているおかげだった。
「――レサスにおいては、オーレリアの存在は仇敵或いは憎悪の対象とみなされてしまっている。双方にとって致命的なこの認識の差を埋めるためにはどうしたらいいのか?それは、少なくとも数年間程度は事実上友好関係にある政権同士が必要だ。加えて、長年の憎悪を埋めるに足るだけの本物の「支援」が。前政権にはその力も意志も無かった。あまつさえ、和平交渉すらも拒否してしまった。ならば、我々が軌道修正するしかない。それに抵抗するというのであれば、我々は戦わざるを得ない」
「確かにその通りですが、戦争という行為自体を積極的に選択したのは将軍、あなたご自身です。そもそも、初めから決裂することがわかっている和平調停を試み、「叩き潰すに足る」大義名分を得ようとするなど、それは謀略を弄していると批判されても仕方の無いことだと思います」
おやおや、随分と私も思い切った突っ込みをしているぞ。アルコールのせいか、昂ぶる気分のせいか――。苦笑したナバロは、彼の傍らに立つ背の高い、神経質そうな顔の男と何事か小声でやりとりをしている。小脇に抱えたバインダーをめくりながら、男が何度か頷いた。
潜入者たちの宴・中編 「――いい突っ込みだ。ちなみに、あの神経質野郎が、私たちを毛嫌いしている連中の親玉、アレクシオス・ナルバエス」
「プロバガンダ担当の?」
「その通り。ついでに言うと、オストラアスールの面々がいたぶりたくて仕方ない御仁でもある」
打ち合わせが終わったのか、ナバロから離れてナルバエスが歩き出す。ナバロと言えば、相変わらず微笑を湛えたまま、悠然としている。
「――シーバス君、君はどうやら私を大いに誤解しているように感じるよ。逆に問うが、わが国の掲げる真実に、どうしてそこまでの疑問を感じているのだろう?」
「――この戦争が始まるずっと前のことですが、オーシア国内で面白い動きがありました。オーシア軍にも軍需物資生産で関係の深い企業数社の株価が、一斉に上昇したのです。通常これらの企業は商売が安定しているために、そう大幅な変動は見られません。それが、外資を中心に流入した大資本によって、株が大量に買われた。調べてみると面白いことに、これらの企業群には共通する技術があったんです。弾道ミサイルや巡航ミサイルの運用に必要な高い精度の誘導システムとOS、高効率・高出力の発電システム、ロケットなどに搭載されている大規模エンジンシステム、加えて最先端の光学技術――。充分な資金を保証されたそれらの企業は、それぞれの分野で投資と開発を成功させ、企業的価値を高めることに成功しています。さらに、それらの企業が友好的なパートナーシップを結んだ取引先の中に、レサスの企業の名が必ず含まれていたんです。将軍、これはレサスが用意周到に戦争の準備を進めていたという証左に他ならないのではないですか?」
口からでまかせではない。墜落したグレイプニルの詳細分析を行った結果、現在はゼネラル・リソース傘下にある企業群の名前が判明したのだ。さらに調べてみると、ある一定の時期に大規模な企業買収工作が仕掛けられていたことが分かった。その時期は、ナバロがレサスの支配者へと階段を上り始めた時期と一致する。
「高い軍事技術を得るための民間協力なら、どこの国でも行われているはずだ。何も我が国に限ったことではないだろう?それほど重大視するような話では無いと思うがね」
「おかしいじゃないですか。当時レサスはまだ激しい内戦が続いていた時期です。パートナーシップを提携するに当たって必要となる莫大な資金は、一体どこから出ていたのでしょう?」
今度こそ、ナバロは眉を不機嫌そうに一瞬ではあるが動かした。口には出さないが、「この小娘め」という声がきこえてきそうな気分だ。その答えを私は勿論知っている。そしてその答えを、ナバロは決して口には出来ない。その瞬間、レサスの大義名分は音を立てて崩れ落ちてしまうからだ。腕組みをしたナバロは何かを言いかけようとして、先刻退室したばかりの部下の姿に気が付いて視線を転じた。ジュネットおじ様の毛嫌いしている男、ナルバエスが緊張した表情で足早にナバロに近付き、何事かを耳打ちした。ナバロの眉が明らかにしかめられる。何か都合の悪いこと――私はその原因を簡単に思い当たってしまった。不正規軍の本隊がこの街にやってくるのはまだ先のことだ。だとすれば、彼らにとって都合の悪いことと言えば、私たちの足下で起こっている事態に違いは無いだろう。隊長たちは大丈夫だろうか?いかにオストラアスールの面々が屈強とはいえ、ここは敵の牙城。まともにやり合ってかなう相手でないことは良く知っているはずなのだが……。小声で何事かを指示すると、跳ね上がるようにしてナルバエスは再び姿を消した。強面に人の良さそうな笑みを浮かべ直したナバロが、右手を差し出しながら口を開いた。
「ジャーナリストとして、本当に良い視点と判断力をお持ちだ。折角、君のような美人とこれほど内容の濃い議論をする時間を得たのに、少々緊急性の高い案件が発生してしまった。また、時間のあるときにでも議論をさせてもらいたいものだよ。是非これからも良い経験を積んで、後ろにいるジュネット君を越えるような人間になってくれ」
再び差し出された手に、私は快く応じた。これで私との時間は終わり、ということなのだろう。でもタイミングとしては丁度良かったかもしれない。これ以上話していると、さすがにそろそろボロが出そうではあったし、必要以上に目立てば後々の活動に支障が出ることも考えられる。今私に出来るのは、隊長たちの無事を祈ることくらいだ。下手な行動は私だけでなくおじ様をも危険に晒すことになる。内心ほっと胸を撫で下ろしていると、ポンポン、と肩を背後から叩かれた。振り返ると、ジュネットおじ様がシャンパングラス片手にウィンクしていた。
「お疲れさん、新米記者殿。ジャーナリストとしても充分やっていけるぞ、あれなら」
「パイロット失業したら考えます。それにしても……」
「ああ、トラブル好きのグランディスの笑い声が聞こえてきそうだよ。ま、こっちは大人しくご馳走を堪能していようじゃないか。しかしナバロの奴、うまく状況を利用して逃げやがったな」
ここでの私の戦いはどうやら終わったらしい。あのナルバエスという男が険しい視線で私を睨み付けていたのが気にはなったが、この時点で直接的な行動を起こされる危険はまず無い。今は、ナバロではないが悠然と構えているのが吉だ。内心の不安を努めて隠しながら、私はシャンパングラスをゆっくりと傾けていった。
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