潜入者たちの宴・後編
パーティ会場から飛び出したナルバエスは、通路上で敬礼を施す部下たちの姿に目もくれずに道を急いでいた。こんなときはガイアスタワーの巨大さにうんざりさせられる。侵入者あり、それも多数という報告は、ナルバエスのプライドをこれ以上無く傷付けることになった。一体敵はどうやってこの鉄壁の要塞へと侵入してきたというのだ!?何にしても急がねばならない。部下たちを押しのけるようにしてようやくエレベーターホールへと到着した彼は、乱暴に上方向へのボタンを押す。高層建造物の欠点として、必ずしも即座にエレベーターが到着するとは限らない。苛々しながらナルバエスは腕組みをして階層表示モニタを睨み付けた。

レサス軍の征圧部隊の突撃は4回行われ、4回とも失敗に終わっていた。一時は激しい銃撃戦が行われた廊下は今は静まり返り、硝煙の匂いが強く漂っていた。作業用エレベーターの制御はまだ奪還されていないため、彼らは嫌でも唯一の突入口から攻撃を仕掛けるしかないのである。特殊部隊の侵入を警戒したグランディスは廊下天井に集中砲火を浴びせ、上部構造の配管やら残骸やらをバリケード代わりに使いつつ、侵入口を事前に潰してしまった。瓦礫の向こうには負傷した兵士の残した血痕がいくつも残され、廊下への入り口の向こうには未だに多くの兵士が待機している気配が感じられた。さて、ここまではなんとかうまくいっている。だがそろそろ敵も気が付く頃だ。犠牲を省みずに一気に制圧すれば良い、ということに。彼らの失敗は戦力の逐次投入が原因だった。そうなれば、もうグランディスにしても仲間たちにしても、手加減をする余裕など無く、初めから相手をミンチにするつもりで引き金を引くしかなくなるだろう。
「……こちらグランディス、フェラーリン、そっちはどうなっている!?」
「今脱出のための時間稼ぎをしている。もうすぐ終わる」
「早くしとくれ。敵さん、そろそろ本気でかかってくるよ」
「60秒だけ支えてくれ。そうしたらエレベーターホールまで一気に戻ってくれ」
カンカンカンカン、と壁を連続して叩く音が響き、グランディスたちは首をすぼめた。バリケードの隙間から向こうを見ると、ハッチの先から突き出された筒先がいくつも火を吹いていた。こちらも応射。だが攻撃の手が止まる気配が無い。そうこうしている間に、タイミングを図っていたらしい敵兵が、一斉に何人かずつ、廊下へと姿を現した。浴びせられる攻撃は激しさを増し、バリケード代わりの瓦礫を削り取っていく。戦術としては正しいやり方だが、敵にやられるとこれ以上にやりにくい手段は無い。再び廊下には銃火が飽和し、無数の火花が煌いて通路の壁をグズグスにしていく。
「姐さん、もう弾丸が底を尽きます。潮時です!」
「あたいの方はまだ大丈夫。ここは支える。先に行け!」
「うわっち!」
グランディスに付いて来た兵士の一人が腕を押えて転がる。弾き飛ばされたFAMASが床の上を転がって鈍い音を立てる。ビル隊員が素早く駆け寄り、傷の具合を確かめていく。幸い怪我の程度の軽いらしい。自ら包帯を取り出して流血点をぐるぐる巻きにしていく。もう容赦している余裕は無いね。ゆっくりと銃を構えて僅かずつ距離を縮めてくる敵兵に向けて、グランディスはトリガーを引いた。数々の実戦を経験してきた彼女にとって、敵を殺すという行為自体はもう慣れたものだ。それでも、空での戦闘とは異なって、地上での戦闘では嫌でも倒れ伏す敵の姿を目撃することになる。それも大抵は攻撃を被って見るも無残な姿に変わった相手の姿を、だ。そんなとき、自分の命は倒した敵の骸の上に成り立っているということを思い知らされる。――運が無かったね。バリケードの向こうには、これまでで最も大きな血溜まりが広がり始め、風穴を開けられた敵兵は倒れたまま動かない。こちらの狙いが変わったこと、仲間が目の前でミンチにされたことに恐怖したのか、背中を向けて逃げ出そうとする敵に、グランディスはさらに追い討ちをかけた。二人が新たに断末魔の悲鳴を挙げて倒れ、かろうじて逃げ出すことに成功した敵はハッチの中へと文字通り飛び込んでいった。すぐさま、ハッチの向こう側から激しい威嚇射撃。廊下の角へと飛んだグランディスの額を、そのうちの一発が微かに掠めていった。大した傷ではなかったが、早くも流れ落ちてきた血が、被っている目出し帽に滲み出していた。
「隊長殿、待たせたな、こっちだ!!」
フェラーリンがグランディス目掛けて、ピンの突いた塊を転がして寄越す。ブーツでそれらを受け止めたグランディスは、ミニ・ガトリング・ガンを素早く背負うとピンを引き抜き、廊下の角向こうへと投げ込んだ。――閃光手榴弾を。すかさず駆け出した正確に4秒後、背後で真っ白な光が膨れ上がった。垂れて来た血が左目に入り、一方を瞑ったまま廊下を全力疾走したグランディスは、エレベーターの中へとそのままの勢いで飛び込んだ。エレベーターの扉がすぐさま閉じられて、低い駆動音と共に動き出す。目出し帽を脱いで、ポケットの一つに入れてあったハンカチで傷を拭う。頭部の傷は見かけ大した事が無くとも、出血は多い。傷口を押える白い布が、すぐにじんわりと赤く染まっていく。舌打ちしながら別のものを探し始めたグランディスに、フェラーリンは自らのハンカチを手渡した。やれやれ、あたいの物よりもしっかりとアイロンがけしてあって、おまけに香水付きとはね――妙なところまでケレン味のないことに思わず苦笑する。
「管理室の連中に脱出するよう指示を出した。後は俺たちの脱出路確保で事は終わる」
「それは分かるんだけどさ、フェラーリン。何であたいら上に向かっているだい?」
そう、乗り込んだエレベーターは、地下の脱出ルートへ向かうのではなく、上昇していたのである。フロアを替えて脱出するという様子ではなく、階層モニタの数字は勢い良く数を増していく。もう少ししたら管理室は再び敵の手に戻る。そうなれば脱出ルートを断たれるのは時間の問題となってしまう。が、短い付き合いながらこの男の性格は良く分かった。何かアイデアが無い限りは、一見無謀に見える選択を絶対にしない男のする事だ。何かしら秘策があるものと見ればよい。玉砕という言葉とは全く無縁であるし、仮にそうなるとすれば、それ相応の代償を相手に強いること無しに討ち取られるようなタマではない。グランディスも含めて、誰一人として追い詰められたとは考えていないのである。どうやらパーティには最後のデザートが用意されているらしい。なら、とことん付き合わないと失礼ってモンだね――額の傷から流れる血を拭い、応急措置を施したグランディスは残り弾丸の少なくなったミニ・ガトリング・ガンを背負い直すと、SOCOMを引き抜いた。

結局、独占インタビューの後は役に立ちそうな情報収集を図ることも出来ず、パーティは平穏無事に終了の時刻を迎えた。足元に来るほどではないものの、シャンパンの酔いはしっかりと回っているらしく、顔が火照っているのが良く分かる。ナバロの実物とサシで意見をぶつけ合った興奮も残っているに違いない。終わってみれば僅かな時間でしかなかったかもしれないが、おぼろげだったイメージは、今では確信へと姿を変えていた。ナバロの真意はオーレリアの再生でも、レサスの覇権確立でもない。彼の目指すものはあくまで彼自身の利益でしかない――彼はそのために、何年という時間をかけて用意周到にこの戦争を仕組んだのだ。オーレリア=レサス紛争に感じてきた違和感は、それが原因に違いない。改めて、デイエゴ・ギャスパー・ナバロという男の手腕に私は戦慄した。南十字星の登場は彼にとっては予想外の出来事であったことは間違いない。だがこのまま事が彼の思惑通り進んだとしたら、ジャスティンの活躍ですらナバロには巧みに利用され、レサスと彼が受けるダメージは最低限のものとなってしまうに違いない。ナバロは既に見切っている。電撃戦において必要不可欠な条件は、長期戦にもつれ込まないことだ。ジャスティンたちの抵抗が無かったとしたら、オーレリア全土陥落は現実のものになっていたかもしれない。そのシナリオは今や消滅したが、レサスの敗北ですら既定のものとされているのだとしたら、本当の勝利者とは誰になるのだろう?オーレリアを解放した不正規軍?オーレリアの民衆?それともナバロ?いくら考えても、今日のこの頭では結論が出そうに無い。冗談を抜きにして、知恵熱でも出てしまいそうな気分だった。
「どうだった、敵の大将と会ってみた感想は?」
「――うまく言葉に出来ないんですが、まるで化け物と相対しているような……そんなおかしな気分になってしまいました」
「化け物は良かったな。そう、奴は確かに化け物だよ。政治の舞台に棲みついた、とても厄介な男さ」
どうやら会場からくすねて来たらしいスタウトの小瓶を手にしながら、ジュネットおじ様は厳しい表情を浮かべる。私が戦場で戦ってきた相手は、あくまで事情を全ては知らされていない兵士たち。この戦争が祖国のためになると信じて、いや信じようとして前線に立つ兵士たちに対してトリガーを引く私は、一体何者なのだろう?倒すべき相手は、遥かに安全な場所で高みの見物をしているというのに、そこに到達するまでに私は一体いくつの命を奪い続けなければならないのだろう?車止めで私たちの帰りを待っていたズボフが不思議そうな顔をしているのにも気付かずに、私は兵士が開けてくれたドアの中へと滑り込んだ。すっかりと夜の帳が下りたグリスウォールの街。アトモス・リング内縁地区をゆっくりと動き出した車の後席で、体内の火照りと共にため息を吐き出す。
「随分とお疲れじゃないか、お嬢?ナバロの奴の毒気に当てられたのかい?ナイスにため息は似合わんなぁ」
「それよりもズボフ、フェラーリンたちの事だが……」
「ああ、聞いている。どうやらちょっと苦戦しているみたいだぜ」
「隊長たちが……!」
パーティ会場の私たちには何も知らされる事は無かったが、例のプロパガンダ担当や一部の士官たちの姿が会場から消えたことは、「尋常でない」事態が発生したことを証明していた。ガイアスタワーは言うまでも無く敵の牙城。いかに隊長たちが精強であるといっても、大軍を有するレサス軍相手にまともに戦えるはずも無いのだ。苦戦、ということは予定通りの脱出が出来なくなったことでもある。でも、私に何が出来る?陸戦経験もほとんど無く、まして武器を持っていない私に、隊長たちを救出するために出来ることがあるのだろうか?のんびりパーティ会場でグラスを傾けていて、私は本当に良かったのだろうか――?
「――なぁ、お嬢。もしフェラーリンやあのゴリラ女を助けに行こうとでも考えているんなら、そいつは余計なお世話、って奴だぜ。地上戦の経験も無いお嬢が乗り込んだところで、敵兵を喜ばす捕虜が増えるだけのことだ」
「私はそんなつもりじゃ……!」
「ましてや、ナバロを追い落とすのもお嬢の役目じゃねぇ。それはジュネットのやるべきことだ。お嬢の為すべきことは、自分の持ち場で最大限の戦果を挙げてみせることじゃねぇのかい?俺は一度しか親父さんとは戦っていないが、「円卓の鬼神」はベルカの首脳部たちを一人で叩き潰したのかい?違うだろう?親父さんは自らの出来る限りのことを尽くした。そんな奴の背中に、多くの連中が魅せられたんだぜ。お嬢の持ち場は、薄汚ねぇ政治の世界か?謀略のぶつかり合う工作員たちの世界か?違うだろう?お嬢の持ち場は、あの空だ」
星空が煌く暗い空を指差しながら、ズボフは笑った。――図星を指されて、私は言葉を失ってしまった。私に今出来ることは、何も無い。その通りだった。そして私はハンドルを握る老人を少し見くびっていたことに気が付き、酒の火照りとは異なる熱さが顔に広がるのを感じていた。私ごときがかなうような相手では無かった。一人で堂々巡りのことを考えて、きっと難しい顔をしていたに違いない私を見て、ズボフは私の稚拙な思考を簡単に看破したのだ。
「――そして俺の役目は、お嬢とジュネットを無事に送り届けることだ。心配なのは分かるが、奴らとてプロだ。きっと今頃、あっと言うような起死回生の一手を打って暴れている頃さ。心配はいらねぇよ。……って、ジュネットよぅ、嫌われ役は俺の役目かよぅ?トホホホホ」
「そんなことはないさ。だがフィーナ、ズボフの言う事は正しい。何でもかんでも背負うには、君はまだ弱いし、純粋過ぎる。……だから、我々がいる。君だけが戦っているんじゃない。私たちはそれぞれの最前線で戦っているんだ。それを忘れずに、覚えておくんだ。そして、行動で示すしかない。かつて君の親父さんがそうしたように。オーレリアの南十字星の少年が、背負うには重過ぎる重荷を背負って尚も羽ばたこうとしているように」
……そうだった。私は何を勘違いしていたのだろう。レイヴン艦隊の兵士とはいえ、一介の戦闘機乗りでしかない私にできることなど、初めから限られていたのだ。守られていたのは、私の方だった。ここは、おじ様たちの立つ最前線。私はそこにやって来たお客さんみたいなものだ。私に出来ることって何だろう?私のしたいことって何だろう?最も簡単で単純で、そして最も強い想いが、私の心の中にあった。私は父のように傭兵たちだけでなく、多くの人々の心を揺り動かすようなカリスマは多分無い。それでも、そんな重荷を小さい身体で背負わされた若者を、支えることは出来る。その重みを、少しだけでも軽くすることは出来る。――ジャスティン。胸に手を当てながら、私のその名を呟いた。多くの人々の支えとなっている若者の翼を守ることなら、きっと私にも出来る。ううん、違う、私がやらなければならないことだ!不思議と心が落ち着いてくる。隊長たちは、無事に帰ってくる。そう信じて、私は待っていれば良い。私は拳で軽く何度か頭を叩いた。全く、ズボフの言うとおりだ。そんな私の姿を見て、バックミラーに映る彼の目がニヤリと笑った。
「……ヘヘ、柄じゃねぇがよ、こんな悪党の言うことでもたまには聞いておくものさ。ウスティオに戻ることがあったら、親父さんに伝えておいてくれ。大きな貸しを作ってやったぞ、とな」
飄々と笑う老人の姿に、私は確かに「長生きするのは強者の証」と語ったエースの姿を見た。空に上がることは二度と無くとも、その精神までが死に絶えるわけではない。隊長が私をグリスウォールに同行させたのは、おじ様やズボフ、フェラーリンと彼の部下たち――立場は違えど、共通の目的のためにそれぞれの戦場で戦う人間の姿を、そして歴戦の古強者たちの背中を、私に見せるためだったのかもしれない。――無事に帰ってきてくださいね、隊長。遠ざかるガイアスタワーを見上げながら、私はそっと呟いた。
当惑した顔で出迎えた秘書官には目もくれず、ナルバエスは執務室に飛び込んだ。ジュネットの連れて来た新米記者の素性を洗うべくパーティ会場を出た彼に伝えられたのは、執務室に侵入者の反応があったこと、さらに何者かがナルバエスの端末を操作している形跡があることだった。無能者どもめ。何度その台詞を繰り返しただろう?機密の宝庫とも言うべき場所に、よりにもよって敵の侵入を許し、その処断までも判断を仰ぐとは――!怒りに震えながら室内へと入ったナルバエスは、部屋の中の光景を目にして呆然とした。……侵入者だって?部屋を出るときと変わらぬ整然とした執務室がそこにはある。そうだ、端末は!?待機状態にあった端末に専用のパスワードを打ち込んでいく。どこにも記されていない、彼の頭の中にしか記憶されていないコードを打ち込むと、端末は正常に起動した。――どういうことだ?部下は虚報に踊らされたとでも言うのか?事態を把握出来ないナルバエスは、ガリガリガリ、という耳障りな駆動音によって現実に引き戻された。ディスプレイ上に無数のアイコンが勝手に開き、次々とファイルが展開されていく。何だ、何だこれは!?慌ててキーボードを叩くが、反応が無い。彼の操作を完全に無視して、端末は勝手に操作されていた。困惑する彼をさらに追い詰めるように、ドアの外から騒々しい怒声が聞こえてきた。

「ここからは時間の勝負だ!脱出ルートの確保と目標の確保、それだけに集中しろ!!」
エレベーターが停止したのは、結局ガイアスタワー最上部エリアに近い階層だった。本来ならばオーレリア政府の高官たちが使用しているエリアということもあって、フロアの作りは金がかかっている。市民の税金はこんなところで無駄遣いされていたんだねぇ、と素直でない感想を抱きながら、長い廊下をグランディスたちは全力疾走していた。何事かと顔を出した相手を突き飛ばし、黒い集団はひた走る。もう騒音だの姿を見られるだのを気にしている場合ではない。「目標」を確保して、脱出することだけを考えろ。階段を駆け上がり、制止の声をかける相手を殴り倒し、目指すフロアについにグランディスたちは到達する。招かれざる来客に気が付いた秘書官らしき男が拳銃を引き抜く姿を目に捉え、グランディスはすかさず引き金を引いた。銃声が廊下に響き渡り、男の手から拳銃が弾き飛ばされる。慌てて逃げようとした男の背中にフェラーリンの部下たちが圧し掛かって素早く行動を封じる。執務室のドアを蹴倒して室内へと飛び込んだグランディスとフェラーリンの姿に、青白い顔をした男がぎょっとした顔で振り向いた。
「ひぃぃぃ!ふ、不正規軍が何でこんなところにぃぃぃっ!?」
軍人らしく携帯していた拳銃を引き抜いたまでは良かったが、震える手からこぼれたそれは床の上に転がり落ちて鈍い音を立てる。ようやく銃を拾い上げた男はへっぴり腰で構えるが、狙いが定まらずにぶるぶると銃口は震えていた。
「――これはこれは、レサス軍の誇るプロパガンダの天才、ナルバエス先生。我々の脱出のために、その身柄を頂きに参上しました」
フェラーリンの芝居がかった台詞が終わるよりも早くナルバエスに踊りかかったグランディスは、手刀で彼の構える拳銃を跳ね飛ばし、反動を付けた膝頭を彼の股間へと思い切り打ち込んだ。声にならない悲鳴を挙げたナルバエスが白目をむき、床の上へと崩れ落ちる。
「……ちょっとやりすぎたかね」
「なぁに、使用不能なら、俺たちの世界に仲間入りさ」
ウィンクをして寄越したフェラーリンに呆れつつ、ナルバエスの細い身体をグランディスは担ぎ上げて走り出した。
「それにしても良くこんな無茶を思い付いたモンだよ」
「いいじゃないか。ちゃんと謁見もかなったんだしな!」
フェラーリンが仕掛けたのは単純なトラップでもあるが、効果は抜群だった。セキュリティシステムにテスト用の異常信号を流して侵入者警報を制圧していない管理室へと感知させ、さらにはナルバエスが端末に詰め込んでいるであろう情報の数々は、ナルバエス自身が端末にログオンすると同時に外部へと発信されるように仕込んでいたというわけだ。本物のナルバエス捕獲だけは偶然かもしれないな、と苦笑する。背後で制止の声が再び聞こえてくる。グランディスはわざわざナルバエスの身体を羽交い絞めにして振り返った。兵士たちの動揺した顔を楽しみながら、片手で閃光手榴弾のピンを外して足で蹴っ飛ばす。再び獲物を担いで全速力で走り出す。通路が漂白されるような光が膨れ上がり、兵士たちの悲鳴があがる。最後の脱出ルートは、このエリアにしか基本的に乗り口が用意されていない、VIP脱出用のエレベーターだった。ただし利用するには一定ランク以上のセキュリティ・ランクが必要。その点、ナルバエスはナバロに準じたランクを持っているため、利用に何の障害もなかったのである。部下たちが制圧したエレベーターエリアに到達したグランディスは、担いだ荷物をフェラーリンの部下たちに放り投げ、乱れた呼吸を整えた。男にしては軽い部類ではあるが、肩に担いで全力疾走するもんじゃない。バリケード代わりに途中の防火扉が閉じられていく。後は乗り込むだけ。ほどなく、ポン、という電子音と共に、エレベーターの扉が開かれた。生体認証システムを準備しているとはいえ、ナルバエス自身の指紋があってはシステムも形無しというわけだ。全員が乗り込んだのを確認して、エレベーターが動き出す。仮にもVIPの一人が未確認勢力に拉致されたとあっては、レサス軍も大騒ぎになっているだろう。
「……ところでフェラーリン、こいつはどうするんだい?殺っても大した意味はないし、拉致し続けるのも面倒だ。うちには当然持ってはいけないよ」
「拷問でもかましてやってもいいんだけどな、あの程度で失神するような奴じゃ面白みにかけるからな。ここは面白おかしく戻してやろうと思う。調査は戻ってからになるが、とりあえず頂くべき物は全部頂いたからな。こいつにケリをつけるのは、次の機会まで取っておくさ」
次の機会――グリスウォール解放というわけだ。もう今更オストラアスールに留まっていることは不可能に違いない。逆恨みであれ、息を吹き返したナルバエスは真っ先にフェラーリンたちを疑うだろう。彼らにしても、本格的な戦いを始める狼煙が、この潜入作戦であったというわけだ。
「グリスウォールに来るまでにはまだ少し時間がかかるよ。あんまり無茶はしてくれなさんな。あたいらの活躍の舞台が減ってしまうからねぇ」
「散々活躍しておいて何を言ってやがる。少しは俺たちにも残しておけって。なに、俺たちの得意分野は潜み隠れて蠢くこと。心配は無用だぜ」
フェラーリンが笑う。彼の部下たちも。やれやれ、南十字星の坊やはとんでもない連中にまで火を付けちまったねぇ――グランディスはぼやきながらも笑った。今後グリスウォールは、正体不明の勢力による撹乱工作に頭を抱えることになるだろう。この地へ戻ってきたときの楽しみがまた一つ増えたことに、グランディスは作戦成功以上の喜びを覚えていた。
「おっと、忘れるところだった。とっておきの土産を置いていかないと」
そう言いながらフェラーリンは戦闘服のポケットから何かを取り出した。淡いエレベーター内の照明に照らされていたのは、明らかに趣味の悪い、光沢も鮮やかな紫色の布。
「そんなもんここまで持ってきてたのかい!?呆れたもんだねぇ……」
「尊敬すべきプロパガンダの天才へのささやかな報復さ。おら、身ぐるみ剥いじまえ!」
哀れ、囚われのレサス軍士官は、屈強な男たちの手で丁寧に素っ裸に剥かれていく。嬉しそうな笑いを浮かべながら、とっておきを広げたフェラーリンの姿に呆れつつ、グランディスはエレベーターの壁に背中を預けて一息ついた。

「……で、ナルバエスの身柄は確認できんのかね?」
「はっ……それが、地下階に到達するなり、侵入者たちの反応が完全に消失してしまい、現在も捜索中でありまして……」
ナルバエスが連れ去られたというVIP脱出用エレベーターの前に立ちながら、ナバロは腕組みをして部下の報告を受けている。結局敵兵を捕えることは出来ず、防衛部隊は完全に手玉に取られたうえに、ナルバエスまで拉致される始末だった。ネベラ・ジャマーを過信した結果とも言えるだろう。しかしどこの連中が?少なくともグリスウォール市内に、このガイアスタワー内に潜入して一暴れ出来るような地下組織は存在していなかった。ましてや不正規軍本体は到達してもいない。……敵の正体を掴みあぐねているナバロ。そして彼の周りで当惑している兵士たちの前で、エレベーターの駆動音が聞こえてきたかと思うと、ほどなく「ポン」という電子音と共に、その扉が開かれた。エレベーター内の光景に、その場に居合わせた誰もが言葉を失う。――あの連中だったか。ナバロは笑いを堪えきれずに笑い出した。してやられた事は事実だったが、ここまでやられるといっそ小気味が良い。ナルバエスには生涯の屈辱かもしれないが。何しろ、エレベーターの壁に粘着テープで張り付けられていたのは、趣味の悪いビキニパンツだけを着せられた、アレクシオス・ナルバエスの哀れな姿だったのだから。
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