暗躍者たちの休日
辺境の一部隊が起こした奇跡

長年に渡る不当な搾取からの解放を大義名分に掲げたレサスによるオーレリア侵攻は、崩壊したと思われていたオーレリア正規軍の残党部隊の奮闘により、失敗に終わろうとしている。首都グリスウォールを巡って繰り広げられた大規模な夜戦において、レサス軍の主力部隊は壊滅的な打撃を受けて全面潰走。オーレリア国土に残されてしまった一部の残存部隊を除けば、事実上全面撤退した。レサスによる「不当な弾圧」下に置かれていたオーレリアの人々は解放の喜びを噛み締めつつ、早くも復興への第一歩を踏み出している。そして、レサスの敗北は、国際社会の部隊においても決定的となっている。戦争勃発時、たまたま国際会議に出席していたために難を逃れたエラン・デップ・ガウディ大使を支持する者は皆無と言っても良い状態だった。事実、主要国の大半はオーレリアの敗北を既定のものとし、新たに派遣されてくるであろう新大使を窓口にすべしと言う意見ですら出ていたという。しかし老政治家ならではの人脈を最大限に活用し、粘り強くレサスの不正行為を主張し続けた氏の努力は、絶体絶命の危機に追い込まれながらも反撃の一矢をレサスに与えた正規軍の生き残りたちによって、最大限報われることとなる。オーレリアの大都市サンタエルバに対して毒ガス攻撃を実施したことが、国際会議の場でのレサスの立場を決定的なものとした。長年に渡って内戦を繰り広げてきたレサスであっても、過去の大戦の反省からほとんどの国々が加入する戦時協定会議の違反事項である大量虐殺兵器の無差別使用を正当化することは出来なかった。さらに、それまで態度を保留し続けてきたオーシア・ユークトバニア両大国がオーレリア支持へと回ったことにより、パワーバランスは一変した。首都グリスウォール解放が実現したことにより、今後はレサスの戦争責任が国際会議の場で糾弾されることになるだろう。

オーレリアを勝利に導き、国際社会の支持を集める起因となったオーレリア正規軍の生き残りの存在は、レサスによる情報操作の中でも幾度も登場している。"いずれ鎮圧される辺境部隊の苦し紛れの抵抗"とディエゴ・ギャスパー・ナバロ将軍が繰り返してきた抵抗勢力――オーレリア不正規軍は、彼の言葉とは裏腹に戦力を増強し続け、ついには首都解放を達成してしまった。このオーレリア不正規軍の中核にあったのが、もともとは辺境オーブリー航空基地に拠点を置く一航空部隊である。ただし、この航空部隊は厳密には正規の航空部隊ですらない。かの基地に配属されていた正規の航空部隊は、レサス軍の誇る空中要塞による攻撃で全滅してしまっている。その全滅した航空部隊の名を引き継いだ不正規航空部隊こそ、順当に進んでいたレサスによる侵攻を食い止めた張本人である。彼らの戦果はまさに奇跡と言って良い。オーブリー基地に差し向けられた爆撃部隊の殲滅に始まり、レサス軍の前線基地や港湾都市パターソン解放へと続く彼らの進撃は、レサスによって極限まで追い詰められていたとは思えない。そして、彼らの不屈の戦いが、各地で分断され敗北を待つだけだった正規軍の生き残りたちをも動かした。不正規航空部隊――グリフィス隊の元に集結した戦力の他にもゲリラ戦でレサス軍の後方撹乱に努めた部隊があり、レサスの切り札とも言えた空中要塞グレイプニルの撃墜以後、オーレリア駐留レサス軍の弱体化は加速していく。この事実は、レサスによる侵攻作戦が電撃作戦に重きを置いていたために、実態としてはオーレリア軍は壊滅したのではなく、各拠点が無力化されたことによって戦力散逸状態になっていたことを証明している。もちろん、レサスの思惑通りに進めば、いずれ分断された戦力は壊滅の憂き目を見たに違いない。ところが、最後の一手に臨む前にオーレリア軍残存戦力による抵抗戦が始まってしまい、それなりの戦力を保持したまま分断されていた他部隊が次々と合流したために、オーレリア不正規軍の戦力は飛躍的に拡大することが出来たのだ。

だが全てが終結したわけではない。オーレリア軍による首都奪還にもかかわらず、レサス軍総司令官ディエゴ・ギャスパー・ナバロ将軍は互いの主力部隊が激突している最中、首都からの脱出に成功している。既にレサス本国へと到着したとの情報もあるが、いずれにせよこの戦争において最も大きな責任を持つ将軍のレサスにおける地盤は依然として揺るがない。レサスにとってこの戦争の目的は「オーレリアの更正」であり、「オーレリアの征服」ではないという認識がレサス国民の間には根強く広まっているからだ。無論レサス政府による情報操作の側面もあるが、このような状況下では、国際社会による包囲網は却ってレサスに生きる人々を刺激しかねない。そして、諸外国に対する不満は国内の政治に対する支持を時によって高めることとなる。一方のオーレリアにおいては、政治的混乱が続いている。レサス侵攻直後に拘束された、当時の首脳陣の所在が今だ明らかになっていないため、事実上政治の空白が続いているためだ。本来レサスの戦争責任を問える立場のオーレリアの追及が鈍いのは、その影響を強く受けていることが背景に有る。オーレリアのエラン・デップ・ガウディ大使が急遽帰国の途についたのは、この混乱を迅速に解消し、政治中枢機能を回復させるために他ならない。オーレリアに起こる混乱を念頭に置いたうえで軍政を敷いていた事実は、レサスによるオーレリア侵攻がいかに巧妙かつ充分な準備のもとに進められていたかを証明する論拠となるだろう。
「――だから何も終わっていないんだよなぁ……」
テーブルの上に置いた端末の前で腕組みをしながら、ジュネットは背中を椅子の背に預けた。グリスウォール解放に関する記事はハッカーからも急かされているネタであるのだが、今ひとつ乗り気になれないのだった。その理由は簡単だ。書いている記事の内容の通り、この戦争がまだ終結していないことが明白だからだ。確かにオーレリア不正規軍の手によって首都は解放されたものの、肝心のディエゴ・ギャスパー・ナバロはまんまと逃亡に成功して未だに拘束もされていない。さらに悪いことに、記事にはとても出来ないネタをフェラーリンたちは掴んで戻ってきた。それは、占領前のオーレリア政府首脳たちが、どうやら「消失」させられたらしいという話だ。それも、レサスの手によって行われたのではなく、レサスの後ろ盾を得ていたオーレリアの政治屋たちの手によって、だ。ナバロの旦那、さすがに内戦を生き延びただけあって、やり口がいちいち徹底している。奴はいずれレサス軍が撤退に至ることを予想して、二手三手先に手を打っているのだ。オーレリア政府の混乱の隙に、またお得意の情報操作によって、敗北を勝利へと読み替えて、新たな大義名分でも掲げてくるつもりかもしれない。だが、彼の計算はここのところ連続で修正を強いられている。その原因を作ったのはまさに南十字星の少年なのだろうが、今回の計算違いはひょっとしたら今までで最も大きなものになるかもしれない。エラン・デップ・ガウディ大使は頑固者で知られた人物であり、国内政治の一線から追われた原因が、当時の政府首脳部による曖昧な形でのレサス支援を痛烈に批判したことだった。すなわち、レサス――いや、ディエゴ・ギャスパー・ナバロにとっては最も警戒していたに違いない老政治家が、オーレリアの表舞台に「戻ってしまった」のだ。ナバロにとっても厄介事だが、ナバロに擦り寄っていた政治屋たちにとっても、これ以上の災厄は無いだろう。かの頑固者による粛清の剣は、間違いなく容赦のないものになるからだ。
それでも不安の根が尽きることが無い。いささか気を回しすぎという側面もあるのだろうが、オーレリアからの全面撤退という事態に陥っても国内の基盤をしっかりと確保している事実は、レサスは敗北したがナバロが敗北したわけではないことを証明している。莫大な利益をもたらす軍需産業のセールス活動として、オーレリア=レサス紛争は絶好のデモンストレーション会場だったのだ。国際会議の場でレサスが当面苦境に追いやられたとしても、今尚各地で続く地域紛争の当事国たちはナバロ率いる新興の軍需産業とその成果物に興味を示すだろう。その背後には、さらに「彼ら」がいる。全世界に展開する彼らの市場を活用すれば、レサスはいくらでも外貨を稼ぎ利益を挙げるだろう。ジュネットは思うのだ。この戦争を本当の意味で終結させ、オーレリアとレサスを正常な関係に戻すためには、ディエゴ・ギャスパー・ナバロという男自体を葬らなければならないのではなかろうか、と。だから、ジュネットの勘は告げている。不正規軍による追撃をまんまと逃れたナバロは、近々新たな一手を打ってくるに違いない、と。その一手が、まだジュネットには読めない。それがイラつきの原因なのかもしれない。こういうときは――。
「やれやれ、仕事熱心な中年てのは見ていてイラついてくるぜぃ。よくこれだけ騒がしい中で、そんな真面目な顔していられるもんだと思うぜ。あー、辛気臭ぇ」
辛気ならぬアルコール臭い息を吐き出しつつ、ジョッキを片手に持ったズボフが首を振りながら近付いてきた。そう、彼の言うとおり、これだけ騒がしい空間の中で思考をまとめようとしていたこと自体が間違いなのかもしれない。何日かぶりに戻ってきたオストラアスールの店内で、今やゲイバーの店員ではなく不正規軍の一翼を担うこととなった男たちによる、盛大な戦勝パーティが催されているのだから。彼らに協力していた裏の人々も加わり、饗宴の終わりはまだまだ先になりそうである。ステージの上には、戦勝記念と称して部隊が撮影してきた大きな写真が、早くも額縁に入れられて飾られている。空に向いた戦術ミサイルには、紫色のビキニパンツを強制的にはかされた兵士たちが幾重にも括り付けられ、その前には武器を片手に豪快に笑う男たちの姿。……きっと、この兵士たちには一生消えないトラウマが残るだろうな、とジュネットは少しだけ兵士たちに同情した。グリスウォール解放戦における部隊の損害はさすがにゼロではなく、数名が戦死、幾人かは病院のベッドの上、そして騒いでいる男たちの中にも包帯姿の者が目立ってはいたが、先に逝った者たちのためにも今は勝利を喜ぶ時なのだろう。店の酒をすべて飲み尽くすような勢いで彼らは騒ぎ続けている。ジュネットは愛用のノートパソコンを閉じ、テーブルの隅に置いていたジョッキを傾けた。少し温くなってしまったが、黒ビール特有の甘みが却って増して心地良い。喧騒の中、注文を取りに来てくれたウェイターにオードブルの追加とビールを二つ頼む。毎度、と答える彼は、包帯を鉢巻のように巻きつけていた。
「黒ビールだけはノルト・ベルカ産だと思っていたんだがな。オーレリア産もなかなか捨てたモンじゃない。それにこの陽気さはあの国とは全く別物だな。国と人間が違うとこれだけ差が出るってわけか。ま、何にしても勝利はめでたい」
「今日は彼らのための宴なんだろうね。私はただ見てただけだし」
「おいおい、この戦の裏の背景を暴こうとしている奴が良く言うぜ。だいたい、お前さんが始めた紙面キャンペーンのおかげで国際世論の風向きも変わり、他の国々も動いたんだろうが」
「まだ核心に近付いていないさ。それに、ナバロは健在だ。オーレリアの占領状態が終わっただけに過ぎないと私は思うんだ」
「……終わりの見えない戦いだな。ナバロの旦那も健在なら、その後ろで蠢いているグレーな連中も健在、か。強い奴はしぶとく生き残る――ってのは俺の持論だが、連中と一緒くたにはして欲しくないもんだぜぃ」
首をすくめるようにしてジョッキを呷るズボフは、かの戦いから四半世紀を経た今日でも変わらず舞台裏で暗躍する連中を間近に見ていた数少ない生き残りだ。もしかすると、連中にとっては絶対に知られてはならないことを、ズボフは目の当たりにしていたのかもしれない。旧ノルト・ベルカ政府が倒れた現在でも彼に対するマークが外れないというのは、それ相応の事情があるのだろう。
「……ま、いずれにせよグリスウォールの解放は現実のものとなったんだ。ズボフだってそろそろ今の稼業の再開準備が必要なんじゃないのかい?」
「そうしたいのはやまやまだったんだけどなぁ、俺の店のあるビーチは上陸戦闘がよりにもよって行われた後でな、ご丁寧にも砲撃を受けて店内丸コゲって奴だよ。ま、日頃の行いが悪いから仕方ねぇ。それにな、今はもっと面白いヤマに首を突っ込んでいるんだから、当面営業停止でかまわねぇよ」
ニヤと笑いながら、ズボフはジョッキを呷る。本人は何も言わないが、フェラーリンに言わせると「これだけタチの悪い老人はいない」のだそうだ。何しろズボフ爺、逃げ惑う市民のフリをしてレサス軍の退却ルート上に随分とトラップを仕掛けて回っていたらしい。そういう仕事には長けているオストラアスールの男たちですら、舌を巻く手際の良さだったとか。ズボフにとっては、長い逃亡期間も人生を楽しむスパイスの一つなのかもしれない。
「ジュネットの読みじゃ、もう一幕あるというわけか。オーレリアで全面敗北の憂き目を見たレサスに何か切り札がある、と」
「レサスではなく、ナバロに、と言った方が正しいかな。今後の記事のネタにするつもりだったんだけど、どうも納得出来ない点があるんだ。オーレリアからの莫大な額の資金から比べると、正直まだ少ないと思うんだよ。レサスが表舞台に出してきた軍事兵器やら新型兵器やらがね。グレイプニルに中間子ビーム砲、それからこの戦争に投入された様々な兵器や軍需物資、それらを足し合わせたとしてもナバロにはまだ充分な資金が残ってしまうんだ」
「次の戦争にでも備えて実弾握っとくつもり……とかな」
「或いは、まだショウダウンしていない何かを持っているか――?」
ふーむ、と唸ってズボフが腕組みをする。ただナバロの性格や政治のやり方として、その「何か」を明らかにする日は意外と近いんじゃないかという確信がジュネットにはあった。未だ国内基盤は磐石とはいえ、彼に対する支持を維持するためには、何らかの一手が必要となる。だから、近いうちに彼は表舞台に再び姿を現す。その時までに、ジュネットは彼と彼を支える存在とにトドメの一撃を与えるため、充分に剣ならぬペンの先を砥いでおかねばならないのだった。
「まぁ、あくまで俺の勘だがな、向こうさんは向こうさんで、相当ジュネットの動きを警戒していたと思うぜ。特に奴の腰巾着の若造なんかは、もう執念深く……な。オーレリアから撤退したことは、実は奴らにとっては不幸な出来事だったんじゃねぇか?」
「どうして?」
「お前さんの動きを掴むことも制止することも出来ねぇからだよ。権力者って奴は、自分の勢力拡大を阻害する相手を見分けることには秀でているもんだ。ジュネットが並のブンヤなら、とっくに今頃消されていただろうさ。ナバロたちにとっては最も手を出しにくい相手が取材に来たことで、連中相当慌てたに違いないぜ」
「そこまで買い被られると却って恥ずかしいがね。ま、期待に応えてやるのが私の仕事というわけだろうけど」
ぐいとジョッキを傾けて、黒ビールの苦味と甘味を味わう。そう、ナバロにとって致命的な一撃を与えるためのネタはもう充分に集まりつつある。シルメリィ艦隊から提供された多数の情報はジュネットたちの仮説が真実であることを証明していたし、フェラーリンからもたらされた機密情報の数々はオーレリア・レサス・ゼネラルリソースを結ぶ資金の流れを明らかにしてくれた。後はこれらの記事を出すタイミングだ。最も適切な内容を、最も適切なタイミングに。これからの道筋を思い浮かべようとして、ジュネットは最大の情報提供者の姿が無いことにようやく気が付いた。
「あれ、フェラーリンは?こういう盛り上がっている場には必ずいるはずの男がいないじゃないか」
「どうやら首都奪還戦あたりから勤労意欲が目覚めたらしくてな、古い知り合いと話をしてくる、と随分と前に出て行ったぜ。何でも相手は、どこかのガタガタになっている国の政府を立て直そうとしているジジイらしい」
おいおい、そんな話は聞いてないぞ。思わず目を見張ったジュネットに対して、ズボフは人の悪い笑みを浮かべたものである。戻ってきたらたっぷりと独占取材してやる――そう心の中で宣言して、ジュネットはジョッキを干したのだった。
この門を再び潜る日が来るとはな――。半ば自嘲気味に苦笑しながら、フェラーリンはグリスウォール市内に位置する政府公邸の中へと足を踏み入れた。何年ぶりかに袖を通した在職時の制服は、半ばこの間までの政府に対する当てつけと言うべきだろうか?それともくだらない政争で一線を追われたかつての政権担当者の一人に対する礼儀だろうか?ただ、ここに来るに当たっては、この制服を纏うべきだろうとフェラーリンは思ったのだ。護衛の兵士たちはもちろん胡散臭げにフェラーリンを見ていたものだが、この公邸の新たな主から「通せ」と言われてしまっては仕方ない。渋々と見送る彼らの目は、「少しでも怪しいようなら即座に排除する」と物語っていた。この国にまだあんなに鋭い視線を送ることが出来る戦士が残っていたことが、フェラーリンには嬉しかった。何しろレサスに攻められるまでのオーレリアと来たら、平和ボケが末端にまで行き渡っているとしか言いようが無い状況だったのだから。
軍帽を脱いで脇に抱えたフェラーリンは、新たに任命されたらしい秘書官の興味深げな視線と共に、主の執務室へと案内された。どうやら長い時間待たされているらしい人間の列を無視しての案内に、非難めいた声が挙がる。
「……素性の分からない私のような男を優先して、大丈夫なのか?」
「なまじ素性が分かっているほうが危険、ということもありますよ。あそこに並んでいる方々の大半に、そもそも会う必要も無いし時間も取りたくない――だそうです」
確かにその通りだ、とフェラーリンは苦笑する。あの中にはついこの間までナバロに尻尾を振っていた犬たちも数多くいる。そりゃ会いたくないだろうな、と心の中で呟く。それ以上に、これから会おうとしている人物の政治感覚が全く錆び付いていないことにフェラーリンは感心した。
「面会の方をお連れしました」
「鍵はかかっていないぞ。ああ、済まないが話は相当に長くなる。丁度良い口実が出来たから、待ち人には帰ってもらうよう伝えてくれるかな」
「了解しました」
なかなかこの秘書官も骨の有る男らしい。嫌な顔一つせず、口八丁手八丁の連中を追い払う役を受けるところはさすがだ。こういう人間たちを野に下らせるから、レサスに付け込まれる羽目になる。再生したオーレリアには同じ轍を二度と踏んで欲しくないものだとフェラーリンは心から思った。
「趣味の世界に身を置いていた割には、良く似合っているものだな。腕も勘も鈍っていないようで安心したよ」
「お久しぶりです。国際会議でのご活躍、お見事でした」
「何の、君たちが「ラーズグリーズの目撃者」を支援してくれたおかげだよ。ワシはその波に乗っただけのことさ。挙句の果てに、難破船の舵取りをする羽目になってしまった。ワシの老後はいつになったら来るのかのう」
執務室の机の向こう、年代物の椅子に背中を預けている老人の前で、フェラーリンは最敬礼を施した。かつての業務上の上司であった男はさすがに老いは隠せないものの、昔と変わらぬ豪快な笑みを浮かべて敬礼に応じていた。フェラーリンが驚いたことに、自分自身がグリスウォールでアルベール・ジュネットの片棒を担いでいることくらいはお見通しらしい。やっぱり怖い人だ、と内心でぼやく。
「首相たちの件はもうご存知、という前提でよろしいですか?」
「――昔と変わらんのう。いざその気になると片付けるべき要件が先に出てくる。ワシとしては数少なくなった昔馴染みと世間話の一つもしたいのだがな」
「こればかりは性分で……なかなか直らんものです」
「まあいい、確かに今は時間が限られとる。報告は帰りの飛行機の中で聞いている。むごい話じゃが、それだけナバロはオーレリアを混乱させるアフターケアを怠らなかったということじゃろ。今頃奴さん、レサス本国に戻って次の政策を考えてる頃じゃろうて。それに比べて我らが故郷ときたら……のうフェラーリン、ワシはな、この部屋の外で列を為している奴らを、解放に尽力してくれた兵士たちの所に投げ込んでやりたい気分なんだよ」
「全く同感ですな。これからのオーレリアでは、ああいう連中を上に据えない国づくりをしたいものです、閣下」
ナバロがオーレリアのためになることをしてくれたとしたら、国内を存分に引っ掻き回したことで旧態依然とした政治体制や経済体制にメスを入れるチャンスが出来た、ということになるだろう。それが出来なければ、平和の上に再び胡座をかいて、再び根底から全てを覆される羽目となる。
「……時にフェラーリン、ワシと昔話や世間話をするためにわざわざここに来たわけではあるまい。ま、大体予想はついておるがの」
「今更復職する気など更々無いんですがね、この国を取り戻すきっかけを作ってくれた連中のために、もう少しボランティアをしてみようかな、と思っているだけです」
「ボランティアと来たか。お前さんのような現実主義者をここまで駆り立てるのだから、ワシらの南十字星も大したもんじゃの」
ゆっくりと立ち上がったエラン・デップ・ガウディは、杖をつきながらフェラーリンの前まで歩いてきて、そしてフェラーリンに向かって右手を差し出した。
「良く戻ってきてくれた。そして、良くこの国を見捨てないでいてくれた。早速で悪いのだが、頼みたいことがある。これからのオーレリアにとって、極めて重大なことだ。任されてくれるな?」
返事の代わりに、フェラーリンは差し出された手を固く握った。以前に比べると随分とその手は細くなってしまったが、祖国を愛する心は何も変わっていない老政治家が目の前にいる。数年間の惰眠と失望の末に辿り着いた最高の舞台に、フェラーリンは心躍るような気分になった。

数日後、オーレリア暫定政府からオーレリア不正軍に対し、出頭命令が下される。折りしもその日、オーレリア=レサス紛争の最後の一幕が開くことを、まだ誰も知らなかった。その舞台を周到に用意していた男を除いて、は。
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