最後に笑う者
このメンバーが一同に揃って顔を合わせるのは何だか妙に久しぶりのような気がする。オーレリアの戦いが始まるまではごく当たり前だったはずの光景が、何だか今日はとても新鮮。グランディス隊長が仏頂面で座っているのはいつも通り、と言っても過言ではないが、今日は珍しくアルウォール司令が「お前が来ると話がややこしくなるから絶対に駄目!」と強硬に同行を断ったものだから、つい先刻もとぱっちりを食ったように、オズワルド准尉がカスティーリャ航空基地の滑走路端から海へと投げ飛ばされて初ダイブを決める羽目になっていた。准尉も准尉で、どうして一番悪いタイミングで隊長をからかいにいってしまうのだろう……。さすがに「暑い」といって半ズボンは上半身裸で格納庫に入ってきた時には思わず下を向いてしまったものだが。もっとも、ナバロの追撃隊が全滅してから緊張状態が続いている基地の面々を笑わせるための"配慮"もあるのだろうけど。ひと通りの整備と確認が終了して待機している私たちとは異なり、ほぼ確実となった出撃に備えて更なる改良が施されているXRX-45とXFA-24Sの点検やら確認やらで、ジャスティンたちは今日も格納庫に通い詰めらしい。多分頑張っているんだろうな、とジャスティンの顔を思い浮かべながら、私は手にした小説のページをめくる。
「納得いかないねぇ。なんであたいが付いていくとややこしくなるんだい」
「事実なんだから仕方ないじゃないか、隊長」
「あたいがグリスウォール行ってる間に、人格変わってないか、ファレーエフ?」
「今日行ったとしてもラーズグリーズの目撃者には会えんのだろう?」
グランディス隊長とファレーエフ中尉が、互いに怖い笑顔を浮かべて睨み合っている。そんな様子をノリエガ少尉は呆れたように見守り、ミッドガルツは私同様に広げた小説の向こうで状況を楽しそうに見守っている。追撃隊が追っていた輸送機が実際には囮であり、本物のナバロがレサス本土へと舞い戻ったことが確実となったことで、私たちの帰還命令は当分先送りが決定となっていた。もっとも、ナバロが行方不明となった時点で、滞在延期は既定の事実になっていたらしいのだが。そんなわけで、私たちカイト隊やシルメリィ所属の一部の航空隊はオーレリア不正規軍の航空戦力と共にここカスティーリャ基地へと移動し、出撃に備えている。
「まあいいさ。じゃ、仕事の話をしちまうかねぇ。結構重い話になる」
読みかけのページに、この間グリスウォールの売店で購入した栞を挟んで本を閉じる。顔の前で指を組んだグランディス隊長は真面目な表情を作っていたが、やっぱり目がどこか笑っている。
「まずナバロのことだが、皆の想像の通り、とっくにレサス本国に戻っているそうだ。何やら世界向けの放送準備にいそしんでいると報告が挙がって来ている。……まあ国内でも帰国しているという話は公にしていないそうだから、「英雄の帰還」みたいに登場するつもりなんだろうさ。派手好きなオヤジだね、全く。でだ、ここからが本題。手元の資料を開いてくれるかい?」
ブリーフィングルームの机の上に置かれていた資料を、ここに来てようやく私たちは開くこととなった。皆と一緒にページをめくった私は、思わず眉をひそめてしまった。
「"アンドロメダ"が受信したレサス軍の軍事通信から解析した記録だから、信憑性は高い。レサス軍……いや、この際ナバロの勢力と言っても良いだろうね。連中はまだまだ戦争がしたくて仕方ないということだ。わざわざオーレリアの追撃部隊をセントリーまで連れて行ったのも、攻め込まざるを得ない環境を作るため、ということだ。何しろセントリー諸島はレサス領。防衛目的のための緊急出動という大義名分をナバロは手にすることが出来るからね」
「それにしても、まさか本当にこれだけの戦力を動員するつもりなんでしょうか?」
「傍受した通信自体、予めこっちが傍受するのも計算の内なんだろう。今度ばかりは、全力で叩き潰すというナバロのメッセージかもしれないな」
ファレーエフ中尉が少し伸び始めた髭を撫でながら唸る。レサス軍が動員しようとしている戦力は尋常のものではない。オーレリアで損耗した戦力ではなく、本国で温存していたほぼ無傷の戦力を前面に展開しようというのだ。その中には、レサスの誇る無敵艦隊の名も含まれていた。オーレリアの海上戦力とシルメリィ艦隊の双方を合わせても手に余る、恐るべき強敵である。
「全力で叩き潰すというのはファレーエフの言う通りだろうね。あたいもそう思う。何しろセントリー攻略には海を使わないと大規模な戦力は持っていけない。そうなると嫌でもこっちの洋上戦力を動員せざるを得なくなる。それさえ潰せることが出来れば、今後レサスはオーレリアの海を好き放題に荒らせるというわけさね」
「……ハイレディン提督が激怒しそうな話ですね」
「本人もうとっくに激怒しているさ。レサスも馬鹿なことをするもんだよ。オーレリアにその人ありと言わしめた提督を本気にさせちまったんだからねぇ。さて、血祭りになるのはどっちか、なかなか見物だね。……で、あたいらも当然今作戦には全面的に参戦する。その露払いとして、コバルトケーブのレサス軍施設を急襲、これを殲滅することになった。フィーナ、今回アンタはあたいらと一緒に攻撃に加わってもらうよ」
努めて無表情を作ったつもりだったけれども、ほとんど瞬時に顔に返事が出ていたらしい。グランディス隊長が苦笑を浮かべて頭を掻く。
「そんな顔されると困っちまうんだけどねぇ。ただ対地・対艦攻撃作戦では、アンタの機体は役に立つのさ。だから今回はあんまり役にたたなそうな面子を南十字星に付けてやるからさ」
「べ、別にそんなつもりは」
「フィーナ、声が裏返ってる」
隣でノリエガ少尉がクスクスと笑う。顔が真っ赤になっているのが自分でも良く分かる。
「というわけで、ファレーエフ、ミッドガルツ、あんたらはフィーナの代わりにジャスティンのお供だ。彼らと一緒に、思う存分暴れてきな。あたいらの作戦と合わせて、大規模な陽動作戦をダナーン海峡に仕掛ける。ジャスティンたちはそっちの作戦担当というわけさ」
「無敵艦隊に航空戦力で仕掛ける、と?」
「いや、厳密にはその先遣隊の輸送部隊さ。それを、南十字星を中心とした大規模航空部隊が襲撃する……勿論、時間稼ぎが目的だけれども、可能な限りで敵戦力を叩いておくというわけだ。無論レサスの思う壺だけれども、奴らのシナリオ通りにはいかないと内外に知らしめることが出来れば成功。その裏で、本命のあたいらが決戦に備えてコバルトケーブを潰せば、全ては成功ということになるね」
「コバルトケーブでレサスは何をしようとしていたのでしょう?」
頁をめくっても、残念ながら確たるデータはないらしい。ただ、本格的な海上輸送部隊が既にレサス本土を出港し、ダナーン海峡を抜けてコバルトケーブ周辺に展開を始めている。とすれば、例の要塞にでも運び込まねばならない「何か」があるはずだ。自分たちが挑もうとしている決戦のリスクを少しでも下げることを考えるなら、敵の輸送計画は絶対に阻止しなければならないのだろう。でも、あんなところで何を?
「――データは不明。あれだな、グレイプニルを撃墜した時みたいに、後から調査をしてみないと何とも分からんよ。でもまぁ、アトモスリングの時みたいに「新型兵器」の砲台を並べるような感じではないとあたいは勝手に思ってる。もっと大がかりな話か、或いは戦闘機にでも搭載するトンデモ兵器か……ま、せいぜいその辺じゃないか?あんまり積荷の中身は考えなくてもいい。この際、潰しちまうことが何より大事だからね」
なるほど、そういう考え方もあるか。隊長の言うとおり、データもろくに無い状態で議論をしているよりもそれも含めて叩き潰してしまえば、やり方としては乱暴でも後の禍根を断つ事が出来る。グランディス隊長らしい単純明快な論法だが、それだけに説得力がある。――ジャスティンだったら、どう考えるだろう?答えはそれほど考えることも無く出た。論法と言い方の差こそあれ、ジャスティンも全く同じ結論に至るに違いない……と私は確信した。本国や本隊から提供される数多くのデータを手元に持つ私たちとは異なり、不正規軍のジャスティンたちは常に「何が起こるかわからない」状況で戦い続けてきたはずだ。相手の正体がどうとかいう余裕など、あるはずも無かったに違いない。叩ける時に叩く。彼らはそれを貫いてきたのだから。
「……それともう一つ。今回のオーレリア支援任務が完了するまでの間、あたいらはグリフィス隊に編入されることになった」
「何だって?」
「え?」
「ジャスティンたちに箔をつけてやる……ということさ。3番機までは従来通り。4番以降、あたい、ファレーエフ、ミッドガルツ、ロベルタの順番で4から7を振り分ける。まああれだ。不慣れな隊長と副隊長に、編成の多い部隊の指揮経験を積ませてやろうという配慮ってわけだ」
「……隊長、良く司令がそんな話を飲みましたね」
「ところがだロベルタ、この話はアルウォール司令が持ってきた話なんだよ。あたいらの部隊名を出し続けるよりも、ここまで来たらグリフィス隊を名乗ってしまった方が色々と動きやすいんじゃないか、ってね。ま、あたいも作戦中は隊長職の重責から解放されて、思う存分暴れまわれるというわけさ。そのために、ジャスティンに戦術レーザーをプレゼントしたようなものさ。代わりの装備の方が、あたいの性分には合っているしねぇ」
グランディス隊長が、私の顔を見て愉快そうに笑う。ははぁ、そういう裏事情があったのか。ADF-01Sの整備班が随分と慌しく走り回っているので、そのうちの一人をつかまえて尋ねてみたら、「レールガン・ユニットへの換装作業が突然入ってきたんです。隊長の気まぐれで私らも大変ですよ」という答えが返ってきたのだ。過去、わずかに試作された一部の機体にレールガンを搭載した事例があるとは聞いた事があったけれども、現実にそんな機体に出くわすことになるとは……。でも、これからのミッションを考えれば合理的な選択とも言える。レサスの「無敵艦隊」を相手にする時、レールガンによる弾頭攻撃は敵艦船に甚大な損害を与えるに違いないからだ。戦術レーザー以上にグランディス隊長に良く似合った、少々凶悪な武装となるかもしれない。
「ま、少々変化はあるが今まで通りだ。……それに、ようやく戦争から解放されかかっていたのに、またも血で血を洗う戦場に舞い戻る羽目になったあの坊やたちを少しでも早く自由にさせてやるのも、あたいらレイヴンに属する人間の役目さ。そのつもりで作戦に臨むように。以上!……それとフィーナ」
「は、はい?」
「今回はともかく、ジャスティンの背中を守ってやるのは、アンタの仕事だ。しっかりとおやりよ」
グランディス隊長の顔には、いつもの人の悪い笑みが浮かんでいる。ミッドガルツも何だか妙に嬉しそうな表情で何度も頷いている。またも顔が赤くなってくるのが分かったけれども、その役目だけは他の誰にも譲る気は無い。それに、私しか知らないジャスティンの決意を見届けるためには、私も飛び続けるしかない。何も、迷うべき理由は最早無い。まずは、コバルトケーブのレサス軍施設から。目前に迫った出撃に向けてさらに続くブリーフィングのために、頭をフル回転させて、為すべきことを私はリストアップしていった。
「決戦」の日に向けて、急ピッチで準備が進められている。ナルバエスはここが腕の見せ所と、当日には10万人を超す市民が集うであろう舞台の準備に飛び回っている。会場中央に設置された巨大なモニターは既にテストを始めているようで、セントリー諸島に早くも展開した情報収集艦からのライブ映像が映し出されている。アーケロンの砦。オーレリアの喉元に突きつけた切り札とでも呼べばいいだろうか?ナバロにとって、レサス軍のオーレリアからの撤退は規定事項ではあった。だが、これほどまでの損害を被っての撤退は計算外であった。既にグレイプニルも無く、レサス軍の戦力が被った損害は決して少なくない。いや、甚大なものと言っても過言ではないだろう。だが、いずれ戦力など回復することは出来る。むしろ損害を被ることによって得られるものもある。グレイプニルのハードとしての評価は全く落ちたわけではなく、複数筋からのコンタクトが今日もあるくらいなのだ。一時の敗北など、甘んじて受ければいい。そう、何よりも自分自身が敗北したわけではないのだから。だからこそ、今度ばかりは「南十字星」を本気で葬りにかからねばならないのが彼の立場だった。ナバロの立てた計算をはるかに上回ってオーレリアを早期解放まで導いた英雄を討ち取り、彼にとっての禍根をここで断つために今回の作戦はあるようなものだ。それで動員されるのが、エースパイロット部隊アレクトに、無敵艦隊、多数の洋上戦力と航空兵力、そして――巨大なステージの上に既に設置された真新しい戦闘機の姿をナバロは見上げた。その名は、古代伝承に語られる、世界を治める神々をも滅ぼした狼のものだ。――「フェンリア」。南十字星を葬るために投入した切り札こそ、この機体だった。
「どうですかね、星をも喰らう狼の異形は?」
振り返れば、常に変わることの無いビジネススマイルを浮かべたロビンスキーが、ナバロ同様に「フェンリア」を見上げながら歩いてくるところだった。グリスウォール決戦よりも前にオーレリアを離れたロビンスキーは、アーケロン要塞とレサス本土とを何度も行き来して、新型機の実戦投入に向けた調整を進めていたのだ。
「南十字星に神殺しの狼――最新鋭の技術が生み出した異形の者同士が、決戦の鍵を握るというわけだ。送ってもらったデータには目を通している。トータルではXRX-45を凌ぐ戦闘能力に偽りはなさそうで安心している」
「ドッグファイト時の機動性能だけはXRX-45にアドバンテージがありますがね。それでも、カタログスペックだけで戦闘をやるわけじゃない。まして、乗るのがアレクト隊ともなれば南十字星に劣る要素は微塵も無いと保証しますよ」
「グレイプニルが健在なら、フェンリアと共に不可視の航空戦隊を組ませられたのだがな。まあ仕方が無い。いずれ実現させるとしてもだ、まずは何より今を切り抜けなければならん。そのためのフェンリアとアレクトだ。やってもらわねば、投資のかいが無いというものだ」
ナバロ自身は気が付いていなかったが、彼の言葉にロビンスキーは悟られないように眉をひそめた。確かにアレクト隊のパイロットたちの技量は全く問題が無い。だがもともとナバロの勢力に属していたわけではなく、その実力ゆえにレサス正規軍の数少ない航空部隊として留まっていたアレクト隊だけに、ナバロへの忠誠はそれほど高くないのだ。そんな彼らを従わせるためにナバロは権道を用いた。そのやり口は最も古典的な方法だが、最も効果の高い方法だ。だが、そうまでせざるを得ないほど追い込まれたのだ、とも視点を変えれば言うことが出来る。「今を切り抜ける」という言葉がナバロの口から出てくること自体が、彼の苦境を何よりも証明している。オーレリアにおいて、ガウディ大使が政府機能を急速に回復させ、かつレサスの協力者たちを片っ端から追い出し、巧みに外交戦略を打ち出していることも悩みの種であるに違いない。オーレリア侵攻時は少なくとも政治面での敵はいなかった。だが今は違う。オーレリアへと緊急帰国してからのガウディ老人の政治手腕は、ナバロを凌ぐのではないかという気になるほど鮮やかなものだった。オーレリアにはもともと人材がいないわけではない。この数年、有益な人材が野に下っていただけのことだったのだ。皮肉にも、この戦争が折角中枢から離れたはずの人材を結集するきっかけとなってしまったわけだ。再生するオーレリアは、放っておけば当面の間付け入る隙の無い強固な体制を持つ国家であり続けるだろう。それが分かるからこそ、ナバロは敢えて積極策を取ったのだ。レサスにとってのリスクを少しでも軽減させるために。だが――これまでもオーレリア軍は圧倒的な劣勢を覆して勝利を掴み取ってきた。アーケロン要塞は確かに強固だ。無敵艦隊もいる。それで本当に十分なのだろうか――?もしこの戦いに負けるようなことがあれば、ナバロは全世界に対して恥を晒すことになる。当然、レサス国内においても政治基盤を維持することは適わないだろう。ロビンスキーから見ると、ナバロはその可能性を意地でも否定したいように見える。
「……全く、南十字星の坊やには驚かされる。結局ルシエンテスもかなわなかったわけだ」
「遺体の損傷が激しく、確認には時間がかかったようですな」
「あれを葬り去るのだ。もう運だの機体の性能のせいだのとは言ってられんよ。すべては、奴の力だ。追い詰められていたはずのオーレリアの兵士どもをその気にさせてしまったのも、な。私にとって、まず最初に葬るべき相手はあの坊やだったのだ。全てを掌握するまでは油断するなという、良い教訓になったさ。だから、今回は全力で叩き潰す。アーケロンの空が、南十字星の最期となるだろう」
ナバロたちの上空を、甲高い咆哮を挙げながら戦闘機の編隊が通り過ぎていく。より海岸線に近い航空基地へと移動する空軍部隊のものに違いない。全ての事情を知らされていない兵士たちにしてみれば、今回のオーレリアの逆侵攻という暴挙は許し難いものでしかないはずだ。だが、オーレリアからの撤退という事態は、どんなに取り繕っても隠せるものではない。それはナバロの力を以ってしても不可能だった。帰ることの無い兵士たちの存在が、オーレリアで何があったのかを無言のうちに語るからだ。それだけではない。マスメディアも侮れなくなってきている。その筆頭は、何といってもかのアルベール・ジュネットによる特集記事を掲載しているオーシア・タイムズ。奴はやはりレサスにとっての最大の癌だった。一体どこで知り得たのかは分からないが、奴の穿り出した事実のおかげで、オーレリア国内に留まらず、各国で捜査の包囲網が張り巡らされようとしている。奴のことだ、まだ何か隠し玉を持っているに違いない。
「……さて、ではアーケロンに戻るとしますよ。決戦に備えて、やらねばならない調整がいくつか残っている。その日には万全の状態で飛び立てるように、きっちり仕上げさせてもらおう」
「頼んだぞ、ロビンスキー。――互いの勝利のために」
商売道具のビジネススマイルを絶やすことなく握手に応じたロビンスキーの姿が見えなくなってから、ナバロは独り腕組みをして目を閉じた。――商売人め。心の中で、彼は毒づいた。本当の意味で最も利益を得たのは、何といってもロビンスキーらゼネラル・リソースに違いない。当分の間は締め付けも厳しくなるだろうが、オーレリアですら彼らとの取引をしないわけには経済が成り立たないのだ。レサス、というよりもナバロ自身もそうだ。今の権力と財力は、言ってしまえばゼネラル・リソースの「協力」によるものだ。もし自前で戦いに臨んでいたとしたら、内戦の終結など夢のまた夢。その立場を十二分にわきまえているロビンスキーの目には、明らかな打算の色が浮かんでいた。商売人の性根に相応しく、危地に陥ったときにはひらりと手の平を返すに違いない。そうはさせてなるものか。レサスから手を引くことが彼らにとって甚大な損害になることを理解せしめ、こちらの思うままに協力させなければならない。ロビンスキーは嫌いな男ではなかったが、全面的に信頼することは決して出来ない人間の最たるものだとナバロは確信していた。
「ナルバエス!」
壇上で世界に向けての演説の準備に追われる部下の名をナバロは呼んだ。ワイシャツの袖を捲り上げてバインダーを抱えたナルバエスが、小走りに近付いてきて敬礼を施す。
「お呼びですか、閣下」
「準備の進み具合はどうか?」
「ご心配なく。閣下のご威光を全世界に知らしめるためにも、今回のミッションは必ず成功させねばならないものと自負しております。必ずや、世界は祖国を、そして閣下を支持することでありましょう!」
「そうありたいものだな。抜かりの無いよう、万事を進めるように」
「はっ!」
「それともう一つ」
ナバロはナルバエスを手招きして傍に寄らせる。わずかに二人にしか聞こえない程度の小声で、ナバロは本題を切り出した。
「――ロビンスキーを監視するのですか……?」
「そうだ。彼の言動には少々信頼に足らないところがある。我々とは異なり、彼は企業人だ。つまり、彼らにとってはこの戦いもビジネスの一つでしかないのだよ。もし我が祖国を裏切るような素振りを見せるなら、実力行使も止むを得まい」
俄かには信じられないという表情を浮かべつつも、ナルバエスは命令に従った。グリスウォールでは思わぬ手合いに邪魔をされたものだが、本来ナルバエスはこういった「狩り」に向いた男である。それに、ロビンスキーが監視の存在に気が付くこともカードの一つとなる。「裏切るなよ」という無言のメッセージとプレッシャーを与えられるというわけだ。――そう、全てをこのナバロの思うままにするのだ。ロビンスキーごとき、所詮は道具の一つでしかない。要はこの一戦に勝利すれば良いだけのこと。そのために、必要以上の戦力を用意したのだ。「侵略者」のレッテルを貼られた挙句に壊滅するオーレリア軍。その無残な姿を背に、自らの正当性を世界に訴えオーレリアの非道を糾すことが、ナバロにとっての最大の勝利となるに違いない。もう見えなくなった戦闘機たちの残した白い雲を厳しい目で睨み付けながら、ナバロは口元に笑みを刻んだ。隣で見ているナルバエスが、思わず戦慄するような恐ろしい表情で、ナバロは笑っていた。これまでにない上官の姿を目の当たりにしたナルバエスですら、「追い詰められている」と認識せざるを得なくなっていることに、ナバロただ独りが未だに気が付いていなかった。
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