海峡は赤く燃ゆる・前編
コバルトコープ海戦
1612年、ダナーン海峡の領有権を巡って対立を深めていたオーレリア皇国と、現在のレサス東部からオーレリア北東部を支配していたエレンサ朝カスティーリャ王国の海軍主力部隊が激突した戦い。大航海時代におけるダナーン海峡領有を巡る戦いとしては最終決戦となった一戦でもある。当時カスティーリャ王国は北をサピン王国、南をオーレリア皇国に挟まれながら勢力圏を維持することに苦心していた。カスティーリャ王国の基本戦略は、大国であるオーシア連邦との間で友好関係を築いてサピン王国を牽制しつつ、オーレリア皇国に相対するというものであった。だが1580年より始まったベルカ公国とオーシア連邦の北方での騒乱に端を発し、南方に戦力的空白が生じた隙を突いて、オーレリア皇国はサピン王国との間に秘密協定を結ぶことに成功する。「アテンザの密約」と後に呼ばれる協定の中身は、カスティーリャ王国の勢力圏をサピンとオーレリアで二分することを定めたものであり、同時に二国が協力してカスティーリャに対抗するという軍事同盟的側面をも持っていた。1590年代から北と南双方からの相次ぐ小規模衝突に苛まれるようになったカスティーリャ王国は、当然疲弊していく。それでもカスティーリャ王国の造船技術と火砲技術で両国より先行していたこと、そして有能な提督を有していたこと、この2点が勢力圏維持を助けていた。幾度もの戦役にも関わらず、カスティーリャの勢力圏はほとんど変わることが無かったのである。
この戦況に業を煮やしたオーレリア皇国のフェリペス王は、サピン王国に働きかけて全面的な攻勢に出ることを決意する。1612年7月上旬、サピン王国を出港したサピン艦隊は南下を続けて当時のカスティーリャ領海へと侵入する。サピン軍来襲の報を持った連絡船が侵攻ルート上にあったヘレネス砦を出港し、一報を受け取ったカスティーリャからオーレリア皇国方面に対する最低限の防衛艦隊を残して主力艦隊が出港したのが7月20日のことである。この時、寡兵ながら奮闘したヘレネス砦はサピンの手に落ち、守備兵は皆殺しの憂き目を見ていた。サピン軍を退けるべくカスティーリャ主力艦隊は北上を続けるが、これまで南下していたはずのサピン軍は交戦を避けるように少しずつ北へと逃げていく。遠方に互いの艦隊の姿を確認しながらも戦火が交えられない戦況が幾日も続くにつれて、カスティーリャ軍の提督たちにも焦りが出始める。この時、既にカスティーリャ本国には危機が迫っていた。7月30日、既に主力艦隊がヘレネス砦周辺海域まで到達していた頃、領海南方からオーレリア皇国軍の大艦隊が侵攻を開始。カスティーリャ南方の都市で略奪を行いながら北上していたのである。これに対抗するカスティーリャの海上戦力は、戦艦級はわずかに5隻。一方のオーレリア皇国はこの一戦のために戦力を大幅に増強し、一挙にカスティーリャを屠らんという勢いだった。南方海域防衛の任に付いていたカスティーリャの提督ライアット・トライトスは、少ない戦力を編成し、さらに民間船舶を急遽改造するなどして戦力を増強したが、その効果は微々たるものだった。トライトスに残された選択肢は、主力艦隊が引き返してくるまで、何としてもオーレリア艦隊を足止めすることしかなかったのである。
8月2日、質も量も劣る残存艦隊を率いてトライトスは出港する。今でも当時の将兵たちが書き残した遺書を国立船舶博物館などで見ることが出来るが、出港に当たり「二度と故郷の地を踏むことはないだろう。だから、思い残すことが無いように。戻りたくない者は、敢えて戻らなくてもいい」とトライトスは部下たちに48時間の猶予を与えている。この実質2日間のうちに、街は結婚式で溢れ帰ったと伝えられている。出兵に当たって、若い水兵たちが一斉に挙式したためであるが、この時の費用をトライトスは自分の財産から出していた。48時間経過後、出港の時を迎えた彼は、ほとんど脱落者も無く集結した兵士たちの姿を見て号泣した。その姿に心打たれた兵士たちは、全軍死兵と化して後の海戦で獅子奮迅の活躍をすることになる。オーレリア皇国軍は大艦隊を海面に並べて北上を続けていたので、カスティーリャ軍が取るべきルートは単純であった。トライトスが最初主戦場として選んだのは、艦隊の自由度高いダナーン海峡南方海域であった。8月8日、オーレリア皇国軍を火砲の射程圏内に捉えたカスティーリャ艦隊は砲撃を開始する。双方の熾烈な砲撃戦が繰り広げられ、接舷しての肉弾戦だけは避けなければならないカスティーリャ艦隊は射程範囲ギリギリの同心円状を航行しながら砲撃を続けた。だが、オーレリア皇国は北の軍事大国から最新式の火砲を調達し、新造艦に搭載していたのである。アウトレンジからの熾烈な砲撃を受け、カスティーリャ艦隊は大損害を被ってしまう。辛くも戦域からの離脱に成功した艦隊戦力は、出撃時の半分にまで撃ち減らされていたという。旗艦スカイラインも複数の命中弾を受け、左舷側の砲塔は使用不能、船員にも多数の負傷者を出す有様であった。
全滅を覚悟したトライトスは、ダナーン海峡においてオーレリアの大軍を待ち受けるつもりであったとされる。しかし、「王国の使者」を名乗る連絡船が彼の元を訪れたところから、この戦いは大きく動き出す。ダナーン海峡から岩塊の難所コバルトコープへとカスティーリャ艦隊は本陣を移し替えたのである。オーレリア皇国軍は、このままカスティーリャ艦隊を無視して一挙に王国本土を制圧するか、それとも艦隊を殲滅するために難所に足を踏み入れるかの選択を強いられることとなり、結果、今更勝利に疑問が無い、という意見が大勢を占めたこともあって、コバルトコープ制圧を優先した。8月12日、海上は雨で煙っていたと伝えられている。コバルトコープ海域へと艦隊を並べたオーレリア艦隊は、岩礁に国旗を掲げて展開したカスティーリャ艦隊の影に向かって、一斉攻撃を開始する。反撃の炎は上がらず、オーレリアの兵士たちは勝利を確信した。ところが既にこの時、カスティーリャ艦隊はコバルトコープから離れていたのである。異変に気が付いたのは、艦隊最後尾にあって船団の武器弾薬・食糧等を運搬していた輸送船団であった。為す術もなくカスティーリャ艦隊の捕虜となった船員の記録がその時の状況を物語っている。"――突如、海面に国籍不明の船団が出現したかと思うと、周囲の船が炎に包まれていった。我が目を疑った。マストにはためく旗は、カスティーリャ王国の旗と、海賊旗だったのだから。"
追い詰められたカスティーリャ艦隊とトライトスの援軍として駆けつけたのは、オーシアからオーレリアにかけての海域を根城にして「海賊王」とも「南洋海域の首領」とも呼ばれ、船乗りたちから恐れられていた海賊、ハイレディン艦隊を中核とした複数の海賊混成艦隊だったのである。艦隊後方から始まった混乱は、瞬く間にオーレリア艦隊全体へと伝わった。本来であれば艦隊中央部の艦隊が足止めを図っている間に、艦隊前方の部隊が回りこんで包囲殲滅戦に移行することも可能だった。ところがこの海域はただでさえ岩礁が無数に突き出したコバルトコープの難所。混乱の中、何隻もの軍艦が岩礁に衝突或いは座礁して航行不能となり、艦艇同士の衝突も続発した。この機を逃せば、勝利を手に入れることは無いと悟ったカスティーリャ艦隊の兵士たちは、全軍死兵と化し、オーレリア艦隊に襲い掛かった。さらに乱戦を得意とする海賊艦隊の荒くれ者たちの戦闘力は、オーレリアの兵士たちを圧倒した。艦隊を内側から食い破られたオーレリア艦隊は、カスティーリャ・海賊混成艦隊によって各個撃破の餌食となる醜態を晒してしまうのである。そして、海域から離脱しようとしたオーレリア艦隊旗艦「ダイダロス」も、ダナーン海峡でついにトライトスとハイレディンによって捕獲されてしまう。オーレリア艦隊の艦艇で、本国へと帰還したのはわずか1割にも満たなかったと言われている。終わってみれば、カスティーリャ艦隊の大勝利であった。
本来ならば各国の正規艦隊は全て敵であるはずの海賊艦隊が、何故カスティーリャを援護したのか?トライトス自身もその理由を当時のハイレディン家当主キホーテに対し尋ねている。その時の答は、「ずっと昔の借りを返しに来たのと、ずっと昔の約束を果たしに来た。それだけだ」というものだったと伝えられている。海賊史に詳しい文献によれば、キホーテ・ハイレディンが当主を継ぐ以前、時化で乗っていた船が難破し、遭難したことがあったと記録が残されている。「バイキング史書」では、次のような記載がある。
――"カスティーリャの片田舎に流れ着いたキホーテ・ハイレディンは、村の農場の一家の元で養生し、充分に回復した後、故郷へ戻った。瀕死の彼を救ったのは、村の豪族の一人トライトス家の一族であった。キホーテは恩人たちの厚意に報いるべく3年間に渡りこの村に滞在し、農場の仕事を熱心にこなしていた。だが、トライトス家の娘と恋に落ち、この娘を懐妊させてしまったことが、トライトスの一族の一部から批判を受けることとなってしまった。海賊の一族に連なる者として、本来の素性を明かすわけには行かなかったキホーテだが、彼が愛した娘にのみ全てを打ち明け、娘以外の誰にも知られること無く、この地を後にした。娘はキホーテの告白を決して漏らすことは無かったという。その後娘は男児を産み、一族はこの子を疎むことなく、大切に育て上げた"――
この時に生まれた男児については諸説あるが、家系図等の資料から、カスティーリャ王国の誉れ高き提督ライアット・トライトスであることは明らかである。仮に「バイキング史書」の記録が真実だとすれば、決して名乗ることの許されない父親として、息子の危機を救いに行ったというキホーテ・ハイレディンの海賊らしからぬ一面を垣間見ることが出来る。別の文献では、本来ならば上格の立場にあるキホーテ・ハイレディンが近隣海域の海賊たちを説得して回り、戦いの後に少なからぬ謝礼を配分したという記述も残されており、バイキング史書の記述は真実味があるのだ。
1612年8月16日には全ての戦闘が集結したコバルトコープの戦い。オーレリア皇国海軍旗艦「ダイダロス」に自ら乗り込み、制圧したキホーテ・ハイレディンの名言が現代にも伝わっている。
「この海はオーレリアのものでも、カスティーリャのものでも無い。この海は、海に生きる者たち全ての故郷だ。それを汚したオーレリアは、海の掟において裁かれるだろう」
オーシア・タイムズ
特集記事「大航海時代の海賊たち」より抜粋。
キャノピー越しに広がる空は、夕陽に赤く染まっている。だが、空の下は美しい光景とは相反し、極限の緊張感漂う現実によって覆われつつあった。ダナーン海峡を挟んで対峙するオーレリア・シルメリィ混成艦隊とレサス海軍「無敵艦隊」とは、ついに激突の幕を開こうとしていた。航空母艦を飛び立った艦載機以外に、オーレリア本土から空中給油を受けて飛来した戦闘機・攻撃機部隊が加わり、赤い空は鋼鉄の翼たちの残した排気煙によって、白く刻まれていた。私たちグリフィス隊は、航空戦力及び洋上戦力の護衛をとりあえずは主任務とする遊撃部隊として展開した。XRX-45の真っ白な機体を目前に眺めつつ、周囲警戒を続ける。私たちにステルス機があるように、当然レサス軍もステルス攻撃機を積極的に使って攻撃を仕掛けてくるに違いない。本国にはまだ残存艦隊があるレサスとは異なり、この海域に展開した戦力がほぼ全力のオーレリア艦隊を、この海に沈めさせるわけにはいかない。ゆっくりと旋回を続ける私たちの眼下を、攻撃部隊のトライアングルが追い抜いていく。容赦はするな、のマクレーン大尉の言葉とおり、積めるだけの兵装を積んだ戦闘機たちが次々と通り過ぎていく。緊張よりも一種の熱狂状態と言うのだろうか?戦場に臨むパイロットたちの交信は、どこか陽気ですらあった。
「ヘイ南十字星!うちの息子がファンなんだよ。アンタと飛べて嬉しいぜ。……ま、俺自身もファンだけどよ」
「これほどの規模の艦隊戦は二度と無いだろうな。武者震いがしてきた」
「グリフィス1より、ファルコ2。無事に戻って、息子さんを安心させて下さいね」
「あたぼうだ!ここまで来たんだ、そうそう簡単にくたばってたまるかい!」
私たちの頭上を、見覚えのあるエンブレムが追い抜いていく。どうやらすっかりと復活したらしい"バトルアクス"の妖精付戦斧だ。バトルアクス隊の後ろには、対艦装備を満載したF-16C部隊が続いている。
「バトルアクス・リーダーよりファルコ隊。レーダーにはっきり映ってる奴らは静かにしてな。対空ミサイルのシャワーを浴びせられても知らないぜ」
「そいつは勘弁だ」
マクレーン大尉にたしなめられて黙りこむファルコ隊のパイロットに苦笑しつつ、私は周囲に首を巡らせた。敵の航空部隊が数多く飛んでいる空域を、わざわざ目立つように仕掛けてくる相手はいない。高空からの急降下爆撃か、或いは超低空侵入による一撃離脱戦法か――クラックスだけでなく、グランディス隊長のADF-01SにジャスティンのXRX-45ともデータリンクで繋がっているレーダーとディスプレイを確認しつつ、私は敵の姿を捜し求めた。多目的ディスプレイにメッセージが表示されるのと、ジャスティンの声が聞こえてきたのは、どちらが早かっただろう。XRX-45に搭載されているビジュアル・チェイス・システムが、最も早く敵の姿を察知したのだ。
「グリフィス1より各機、敵機発見!」
「おいでなすったか!!」
「バトルアクス・リーダーより、グリフィス1。こっちは攻撃隊のお守りで手一杯だ。……任せたぜ」
「グリフィス1了解。よし……行くぞ!!」
こういう時のジャスティンの行動は本当に素早い。機体を急バンクさせて降下する彼に続き、私も操縦桿を横へ倒し、空を駆け下りていく。敵編隊は私たちの足下を高速で通過しようとしていた。機種はF-35B。私のもう一つの愛機と同型機。ぶら下げた対艦ミサイルを撃たれるわけにはいかない。トライアングルの一つに狙いを定め、XRX-45の攻撃が火を吹く。パルス・レーザーの青い光が敵機の尾翼と背中を食い破り、バランスを崩した敵機は海面に叩きつけられて砕け散る。敵の針路は変わらない。私たちのような護衛機に発見されることは覚悟のうえ、ということだろう。ジャスティンが次の獲物を狙って機体をスライドさせた横から、私は攻撃を放った。空対空ミサイルは全力で低空を進む敵戦闘機に追い付き、炸裂した。1機がミサイルの直撃を被り、炎の塊と化して海面に叩きつけられ、四散する。それでも敵の勢いは止まらない。グリフィス隊の各機が、次々と襲い掛かっていく。
「こちらクナール3、敵だ!後方から狙われ……」
「ゴクスタリーダーよりアトランテス、クナール隊はたった今全滅した!1機でも突破し、正義の鉄槌を与えるべく吶喊する。祖国に栄光あれ!!」
「さ、そいつは困るんだよ。あたいらの帰る家を沈められちゃあね!!」
「そっちには恨みが無いが、やらせてもらおう」
必死なのは敵も私たちも同じ。意地と意地とがぶつかり合っている。ミサイルを浴びせられ、機関砲弾に撃ち抜かれてもなおも突破しようとあがく敵部隊。尾翼を吹き飛ばされ、エンジンから火と煙を吐き出した敵機が、僚機の盾となって放たれたミサイルを満身に受け、爆散する。ミッドガルツとノリエガ少尉が連携して敵機を葬り去っていく。大推力に物を言わせ、グランディス隊長のADF-01Sが敵機の後背にぴたりと付け、機関砲弾の雨を降らせていく。トライアングルの一つを全滅させ、次の目標へと仕切り直そうとするジャスティンに続こうとした私は、赤い空で太陽光を反射させている微かな点の存在に気がついた。今この空域には友軍機はいないはず。なら答は簡単。敵だ!
「――!グリフィス2より、グリフィス1、エネミー・イン・サイト!5時の方向、上方です!!」
「グリフィス隊各機は攻撃を継続!グリフィス2、敵護衛機を迎撃します!!」
「了解!」
まるでロケットのような急上昇で駆け上がるXRX-45に続いて、私も急上昇。Gが身体に圧し掛かり、骨が軋む。
「こっちは任しとき。しっかり頼んまっせ!!」
珍しく冗談抜きのスコットの声が、背中から聞こえてくる。敵がかぶってくるよりも早く上空へ!上空の敵の数も決して少なくない。兵装選択を変更して中距離空対空ミサイルへと切り替え、レーダーロックを開始する。ミサイルシーカーが滑るように動き出し、目標をトレースしていく。敵護衛部隊は、Su-33。どうやら「無敵艦隊」所属の航空部隊は、高性能機を満載しているらしい。だが、フランカー系の戦闘機は余りにも良すぎる機動性能故に、本当に使いこなせるパイロットが限られるという側面を持ってもいる。かつてのエルジア空軍でその名を知られた「黄色の13番」や、Su-47で構成されていたかつてのベルカ空軍エースパイロット部隊などがその代表例だろうが、彼らほどの腕っこきがそうそう転がっているはずも無い。それに彼らに匹敵するほどの技量を持つエースを、私はごく近くに知っている。だから大丈夫!そう自分を納得させて、敵に狙いを定める。XRX-45、私よりも一瞬早くミサイルをリリース。ロックオンを確認して私もミサイルを放つ。排気煙を吐き出しながら、8本のミサイルが轟然と空を駆け上がる。その後に続いて高空まで舞い上がった私たちは、水平に戻して敵編隊に対峙する。敵もそうそう簡単にやられてはくれない。迷うことなく編隊をブレークさせた敵部隊は、私たちを包み込むようにして襲い掛かってきた。コクピットに鳴り響くミサイルアラート。XRX-45、敵の一団目掛けて旋回。接近するミサイルに向かっていくジャスティンの度胸に呆れながらも、その後に続く。すんでのところでミサイルを回避した私は、ヘッド・トゥ・ヘッドで突っ込んでくる敵機を睨み付け、トリガーを引き絞った。コンマ数秒の間に放たれた機関砲弾が、敵の胴体部に命中痕を穿ち、貫く。私たちの後方で、火の玉が一つ膨れ上がり、コントロールを失ったもう一方からはパイロットが空へと撃ち出される。
「畜生……敵は南十字星とその2番機か!?」
「落とせば勲章ものだぞ。包み込んで叩き落してしまえ!!」
「……悪いけれど、僕はやられるわけに行かない。墜ちるのは、そっちだぜ!!」
「真っ先に墜ちたい人は私の前に出なさい。私は隊長ほど、優しくないわよ!」
そう、南十字星の行く道を遮る敵には、容赦はしない。それが、私の役目。左旋回から反転し、敵編隊へと再び突っ込んでいくジャスティンの背中を追って、私も敵の真っ只中へ飛び込んでいく。夕焼け空を炎に染める戦いは、まだ始まったばかりだった。
「敵艦隊、上方を通過中。速力、20ノット」
「オーレリア艦隊増速、A分遣隊に接近します」
薄暗い艦内に、乗組員たちの声が低く響く。ダナーン海峡の海底にボトムしてからどれくらいの時間が経っただろうか?リカルド・ハフマンは腕組みをしながら、艦内のモニターに視線を移す。未だ戦闘を開始していない敵主力艦隊。航空部隊の攻撃を受け、回避航行を続ける敵B分遣隊。そして、ハイレディン提督たちが率いる主力部隊は、敵A分遣隊との戦端を間もなく開くことになるだろう。ハフマンたちの任務は、敵艦隊を後方から撹乱することにあった。今はまだ動いてはならない。大昔の戦闘で沈没した船の残骸が無数に散らばるこの海峡は、潜水艦にとって格好の隠れ蓑ではあったが、一度魚雷を放てば敵艦のソナーに嗅ぎ付けられるだろう。無敵艦隊所属の潜水艦も、この近辺をうろついているに違いない。まさに我慢比べだな、とハフマンは一人苦笑を浮かべた。氷山にぶつかる恐怖よりはまだマシだがな、と心の中で呟く。
「――スクリュー音確認。……来やがった。ミッドランド級、2隻」
「コネヒート・アスールも察知しただろうな?」
「あっちのソナーはあっしの弟子分ですぜ。耳は自分の次に利きますよ」
ちなみにハフマンが指揮する新造潜水艦は「ソロ・ロッソ」という艦名が与えられている。本音は「ナイアッドU」にしたかったのだが、乗組員たちが「沈んだ船の名前はお断り」と意見書を具申してきたため、渋々従ったハフマンであった。しかも僚艦「コネヒート・アスール」と合わせて、もう少しましなネーミングは出来なかったのか、と上申したら、返ってきた答えは「ガウディ議長の決定事項」。ジョークなのか、本気なのか、首を傾げながらもこの艦名を受け入れざるを得なかったのである。
「こちらに気が付いていると思うか?」
「ならばもう少し違う動きをするでしょうよ。まだ気が付いていないから、スクリュー回して進撃中ってとこですか」
「……だろうな。そのまましっかりと聞いていろ」
「了解」
「しかし艦長、このままの状態で発見されるとかなり厄介なことに……」
このままこっちに気が付かずに過ぎてくれれば幸いというもの。ソナーを打ち鳴らしながら来られるとそうも行っていられないが、向こうは向こうでオーレリア艦隊に忍び寄って攻撃を仕掛けることを企てているに違いない。自らの位置をわざわざ知らせてくれるほど親切なはずも無い。……どうするか。放っておく間に魚雷を放たれてしまっては元も子もない。
「ソナーより艦長、おっ始まりましたぜ!敵分遣隊先頭艦、2番艦に攻撃命中!だいぶ海ん中がさわがしくなってきやがった!!」
「本隊の方はどうだ!?」
「そんな簡単にくたばるほど、ハイレディンの旦那も衰えちゃいませんて」
「敵潜水艦の位置は?」
「先ほどと同様、針路変更も無く航行中!」
沈思の時間はそれほど長くは無かっただろうが、発令所の男たちの視線はハフマンに向かって注がれていた。やれるな?自分自身に問い掛けて、勝算を頭の中で弾き出す。覚悟が決まれば、後は行動あるのみ、だった。僚艦の艦長は、何度か演習でも共同戦線を張ったことのある「腕利き」だ。こちらが動き出せば、敢えて連絡を取り合わずとも連携出来ると期待して良いだろう。
「――1番から6番発射管、発射準備!1番から4番通常弾頭魚雷装填用意、5番・6番デコイ用意!!」
「1番から6番、発射準備!!」
「操舵手、無音潜航のまま出来る限り静かに、ゆっくり浮上を開始しろ」
「了解であります!」
「気が変わった。総員対潜水艦戦用意!!レサスの鯨どもが味方の元に辿り着く前に、ここで仕留めるぞ。敵艦のピンガーが来たら即時攻撃だ」
発令所が慌しく動き始める。軍帽を被り直したハフマンは、海中を進む敵潜水艦の姿を思い浮かべ、睨み付けた。足元の感覚がふわり、と浮いたようなものに変わる。スクリューは無論止めたまま。タンクに溜め込んだ海水を少しずつ吐き出しながら、「ソロ・ロッソ」は静かに深度を上げていく。一方の「コネヒート・アスール」はボトム状態のまま、1番から4番の魚雷発射口を開いていた。「ナイアッド」の仇を取る時が来たようだ――潜航中は無用の長物たる潜望鏡に腕を巻きつけながら、ハフマンは不敵な笑みを浮かべ、攻撃開始の時を待つのだった。
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