海峡は赤く燃ゆる・後編
「こりゃあ……すげぇや」
コーヒーカップをすするズボフが、そう呟く。北が産地の強烈なアルコールを、見てるだけで寒気がするようなイカの足のフライをつまみにした挙句、クリームたっぷりのコーヒーを飲める胃袋が羨ましい。こちらは口直しのウィスキーを傾けつつ、ジュネットは航空母艦ケストレル艦内で目の当たりにした海戦の光景を思い出していた。その時と同じ――或いは拡大再生産されたような、オイルと炎と黒煙とで塗り潰される海原の姿が、テレビには映し出されているのだった。ナバロたちの目算は、オーレリア解放軍の全面攻勢によってすっかりと覆され、レサス国営放送のアナウンサーはひたすらオーレリア軍による蛮行を罵り続けている。海戦の映像をプロパガンダ工作に使用するべくオンエアしたことが仇となり、ナバロの威光とやらはますます霞んできているようだ。さすがにそろそろ操られてきた国民たちも疑い始めるだろう。自分たちの上に君臨する指導者が、本当に信頼に足る人間なのかどうか――と。この海戦で失われる兵士の命は、百や二百で済むハズが無いのだ。オーレリア・シルメリィ連合艦隊の艦艇による集中砲火を浴びて一瞬で炎に包まれた艦の乗組員など、逃げる暇すらなかったに違いない。戦争とはいかに味方を効率よく最低限に殺し、敵を最大限に殺すかが肝心と言う。レサスの人々にとって見れば、テレビ画面に映し出されるオーレリア軍の姿は侵略者そのものとして映るだろう。たとえ、ほんの少し前までオーレリアの国土を我が物としていたのがレサスであったとしても、だ。
「しかし敵艦隊旗艦に殴りこみたぁ、我らがオストラアスール隊も脱帽だな」
「グリスウォールで敵本陣侵入をやっちまったからなぁ。特許料もらっとくんだったぜ」
新装開店した「オストラアスールU」の店内では、客と一緒に店員たちもテレビ画面に釘付けになっていた。まだグリスウォールがレサスの制圧下にある頃、敵本陣たるガイアスタワーに攻め入った猛者たちにしてみれば、敵旗艦に肉弾戦を仕掛ける兵士たちの姿を人事とは思えないに違いない。それにしても、現代海戦で白兵戦とはね。オーレリア解放軍の艦隊戦力を統括しているのは、元第1艦隊の指揮官、セルバンテス・ハイレディン提督。かつて海賊王とまで呼ばれた一族の末裔は、先祖の名に相応しく、そして現代戦の盲点を突いてきたのだ。どうやらレサス艦隊旗艦「ダイダロス」に設置されたカメラからの映像に映し出されていたのは、艦船の乗組員ではなく、本格的な白兵戦に備えた重装備の兵士たちの姿だった。海の戦いを知り尽くした男の、奥の手ということなのかもしれない。ウィスキーグラスの中の氷をゆっくりと回しながらグラスを傾けていると、不意に歓声があがった。つられて視線を画面に戻すと、艦内映像から別のカメラに切り替わっていた。薄暗くなり始めた空に、見慣れぬ異形の戦闘機のシルエットが映し出されている。そのすぐ側に続いているのは、F-22Sのものらしい。レサスのアナウンサーが「ネメシス」と吐き出す声が確かに聞こえた。あれが、南十字星。ということは、その傍らにある2番機はもしかしたらフィーナかもしれない。ウィスキーのつまみに頼んだチョコレート・ボンボンを口に放り込みながら、ジュネットは口元を緩める。ボンボンもいい風味だ。ちょっと苦味の効いたチョコと、中のアルコールのバランスが程よくマッチしている。
「へっ。いい飛びっぷりじゃねぇか。円卓の鬼神の愛娘が惚れ込むのも無理ないぜぃ」
「見てて分かるもんなのか?」
「おいおい、誰に向かって言ってるんだ。かつてはベルカのエスケープキラーと呼ばれた俺っちだぜ?なんつーか、体内のアドレナリンが活性化してくるというか、ムラムラと操縦桿が握りたくなるというか。ああいう奴の後ろにいるとな、不思議なもんで奮い立ってくるんだよ。敵にした場合には背筋が寒くなるのが相場だけどな」
カウンターの上を、何かが結構な勢いで滑ってきた。"それ"を難なく受け止めたズボフの唇の端が片側だけ引きつる。
「……おい、何だよこれはよぅ」
「フェラーリンの旦那からの預かり物です」
「あのな!どこの世界にカウンター下にフライトスティック入れておく店があるんだ!!大体、繋ぐピコピコマシンがないだろうが!!」
「必要なら繋げますよ?」
「――分かった、もういい、爺は寂しく一人で遊んでりゃいいんだろ……」
拗ねたズボフがどうやらフェラーリンの置き土産らしい、ゲーム機の操縦桿を動かしている姿をジュネットは苦笑しながら眺めている。カウンターにいるビルなど、水を足元の冷蔵庫から取り出すフリをして、実は笑いを噛み殺すのに苦労していた。ようやく立ち上がった彼の目の端には、笑い涙の雫が一滴。
「何だか少しだけ気の毒になってきたよ」
「うちの隊長もそりゃまあ人が極め付けに悪いですからね……。でもこの戦い、我が軍の圧倒的勝利ですよ」
「そうだよなぁ。圧倒的な戦力差をひっくり返された挙句、旗艦に敵兵士まで迎え入れてしまったんだ。素人目にもレサス軍の惨敗として映るだろうね。私などが記事など書かなくても」
「それだけに私はお嬢の想い人が心配です」
「士気の源が南十字星の存在だけに、ナバロの野郎がまた何か仕掛けてくる……と?」
ビルは本当に心配そうな顔で、無言で頷いた。今やナバロは追い詰められている。だが彼の「商品」はどうだろう?もしこの難局を乗り切ったとしたら、そのビジネスで再び富と権力を得て暗躍するのだろうか?或いはオーレリアとの戦争の帰趨は最早捨てて、表舞台から一線引いて地下に潜りつつ実を得るか。――やれやれ、ナバロの旦那、どうやらこのままだと生きている限り黒幕で在り続けることになりそうだ。
「ここまで来たら、もうちまちました姑息な手は使ってこねぇだろうさ。まーだ奴さんが健在でいられるのは、余程海の上に作った要塞に自信があるってことだろ?当然、南十字星を葬るための手立ては残ってるってことさ。何しろ食えねぇオッサンだからな」
ある意味ナバロよりもはるかに「食えない」ズボフが、そう言って鼻を鳴らした。操縦桿を放さないのは、それはそれで気に入ったからだろうか。昔のエースの姿が少しだけ垣間見えたようにジュネットは感じた。そのズボフが、イカの足を指で挟みながら、ジュネットを指差した。
「……で、我らが敏腕記者の大スクープはどうなってるんでぃ?俺もフェラーリンもこの店の連中も、そろそろ気になってくる頃なんだがなぁ?……で、実際のところどうよ?」
「そうですねぇ。確かに、どんな記事が出来上がるのか、私も知りたいところだったんですよ」
「そう来たか。うーーん、実はまだ迷っているんだよ」
「迷ってるだぁ?」
「ああ。実のところナバロを告発するには充分なほどの資料を皆からもらっているから、それに関しては問題ない。だけど、ズボフも分かっているだろ?――それだけじゃ足りないんだ。ナバロの旦那は本人の意識は別として、結局のところ宣伝塔でしかない。奴の後ろで蠢いている黒幕も暴き出すにはどうしたらいいか……それで少し煮詰まっているところさ」
「――"灰色の男たち"か。もう四半世紀も経っているってのに、連中の執念深さには脱帽だぜぃ。きっと子々孫々の代まで語り継ぐんだろうな、連中のタチの悪い話をよ」
"灰色の男たち"、ノース・オーシア・グランダー・インダストリー、そしてゼネラル・リソース。軍需産業を持った幾多の大規模多国籍企業が群れ集まったゼネラル・リソースではあるが、その根本は北の強国に行き着く。歪んだ選民思想と拡大主義は、姿と形を変えて現代でも健在なのだろうか?征服するための力を経済力に変えて、彼らの息吹は今尚生き続けている。だがその行き着くところ、結局「独裁」の影がちらついて来る。国家が企業に代わっただけで、世界の市場と経済を支配する企業がトップに立って牛耳るというのでは、昔ながらの全体主義が再出現するだけのことになるだろう。そして、そんな存在に対抗する組織が抵抗を始めれば、結局現代の地域紛争が再現されるだけのこと。結局、何も変わらない。強大な軍事力も、圧倒的な破壊力を持つ核兵器の力であったとしても、全ての国と全ての人々を従わせることは出来ない――そんな簡単なことを、世界はまだ直視する段階に至ってはいないのだ。――だから、自分たちがいる、とジュネットは自負している。まんまと口車に乗せられて、破滅への坂道を指導者と国民たちが転げ落ちていく前に、警鐘を鳴らすために、ジャーナリズムはあるはず。アイドルやら有名人のスキャンダルばかりを暴き立てるのではなく、だ。レサスの場合、なまじディエゴ・ギャスパー・ナバロが国民たちの支持の下、独裁体制を敷いている事が難しい。ジュネットの記事が真実を掴んでいたとしても、所詮は一ジャーナリズムの憶測記事、と彼は切り捨てることが出来る。告発される企業たちも事実無根の中傷として、オーシア・タイムズとジュネット自身に対して訴訟攻勢をかけてくるに違いない。ナバロが何か墓穴を掘ってくれるなら話は別なのだが、プロパガンダ専属担当のナルバエスはこの分野に関しては隙の無い男だ。――くそ、本当に食えない旦那だな。
「……私は、事実を、真実をありのまま公表するだけで充分だと思いますよ」
「ナバロの奴相手にかぁ?白を黒と平気で理屈責めに出来る相手だぞ?」
「大丈夫ですよ。今までだって、ナバロの描いたシナリオは肝心のところで修正させられてきたじゃないですか。空に「南十字星」がある限り、きっと何とかなりますよ。世の中、そうそう思い通りにはいかない……と彼らが思い知らせてくれます」
「思い通りにはいかない――なるほど、確かにそうかもしれないな。下手にあれこれ迷うくらいなら、逃げ場も無いくらいにありのまま事実を公表する、か」
既に記事自体は書き始めていたが、まだまだ充分修正可能な範囲だ。いや、この際一から書き直してもいいくらいだ。何も自分が書く記事だけで、ナバロを権力の座から突き落とし、ゼネラル・リソースの
暗躍を食い止めるわけじゃあない。それは自惚れというものだ。
「済まない、ビル。良く冷えたミネラル・ウォーターをくれないか」
アルコール漬けになりかけていた頭が、急に活性化してきてズキズキと痛み出す。気力が萎える前に、一行でも多く文章を書いておきたい、そんな気分にジュネットはなっていた。キンキンに冷えたコップをぐいと呷ると、頭のてっぺんまで冷気が突き抜ける。ふう、と冷却された息を吐き出しつつカウンターに置かれたボトルを受け取り、店の一角の専用シートと化した「作業場」に向かう。どうやらこっちも決戦らしい。さあて、見てろよ。パーティ会場のふてぶてしいナバロの顔を思い浮かべながら、ジュネットは愛用のノートパソコンのスイッチを入れた。
――とんだ番狂わせが現実に起きてしまうものだ。胃の辺りを押さえているナルバエスの真っ青な顔に同情しつつ、圧勝どころか惨敗に終わろうとしている無敵艦隊の姿にナバロはため息を吐いた。グレイプニルもこうして海中へと没していったわけだが、対オーレリア戦争序盤においてその戦略的重要度と利用可能性を存分に知らしめるという宣伝効果は充分に果たしてくれた。だが、無敵艦隊にはそれが無い。敵を凌ぐ圧倒的な戦力で正面から敵を叩き潰す。それだけで彼らの役割は充分だったのだ。にもかかわらず、オーレリア解放軍艦隊を屠ることにばかり集中して戦力を分散させ、結果として各個撃破の憂き目を見るなど愚かの極みではないか――。これで軍の再建は相当な難事となる。極論を言えば、艦艇や戦闘機などまだどうとでもなるのだ。むしろそれらを扱う人間。その育成こそが最大の難物である。軍事力の扱いを知らぬオーレリアに対し、内戦を生き延びた戦闘のプロフェッショナルを揃えたレサス軍の質・量ともにオーレリア軍を圧倒していたはずである。だが今は違う。経験豊富なプロたちの多くが鬼籍に入り、絶体絶命の危機に何度も遭いながら生き延びたオーレリアの残党たちは、戦闘経験豊富な強敵となって立ちはだかった。彼らは最早、平和の惰眠を貪る能無し軍人の集団ではない。見る者が見れば、この海戦におけるオーレリア軍の真髄を見抜くに違いない。ナバロが恐れているのは実にその点であった。仮に利用価値の高い新兵器を有している一国があったとしよう。だが、その国家が敗北寸前であったとき、果たしてリスクを冒してまで商談を持ちかける商売人があるだろうか?ナバロが有する商品やノウハウ、それらに対する興味を市場で失われてしまうことこそ、彼にとっての致命的な損失となるのである。幸い、この海戦の映像は「オーレリアによる数々の蛮行」の証拠として内外への利用価値はあるかもしれないが――。
「……放映を中断させましょうか?」
「構わん。敗北は敗北として認めるべきだろう。今更ライブを中断すれば、ますます我々への風当たりは強まる。ほうっておくしかあるまいよ」
「はあ……了解しました。それにしても、無敵艦隊がこれほどまでの惨敗を喫するなど、私にはまだ信じられません。オーレリアの戦力は半分にも満たないはずなのに」
ナルバエスにはまだ目の前の現実が受け入れられないのだろう。プロパガンダ工作を駆使して他人を陥れることに何の躊躇いも無いはずの男でも、この戦いの帰趨は決まったものと信じていたのかもしれない。そし、その油断は他ならぬ無敵艦隊の将兵たちの間にも蔓延していたことは間違いないだろう。さらに、彼らにはこれまでの戦いで敗北をしたことが無いという自負があった。ひょっとしたら、無敵艦隊が進撃することでオーレリアは兵を引くとでも勘違いをしていたのかもしれない。その余裕を背景にした戦力分散を、積極攻勢を仕掛ける格好の好機と、敵司令官は判断したのだ。まさか艦隊旗艦に対してあんな手段で戦闘を仕掛けてくるとは思わなかったが、戦力的に不利という意識を全く感じさせない敵艦隊の姿に、艦隊の兵士たちは不安と恐怖を抱いたろう。士気の高さが戦局を左右することを、レサスは身を以って示してしまった。不本意にも敗者の側として、だ。――忌々しい南十字星め。本当に今更であるが、ろくな航空戦力すら無くなっていたオーブリーの航空基地を徹底的に殲滅しておくべきであったとナバロは後悔していた。そうすれば、基地ごと南十字星の坊やの存在は地上から消え去り、ナバロのシナリオは完成していたはずなのだ。だが、その後悔もアーケロンの砦で終わる。アレクト隊の「フェンリア」完熟訓練も完了し、艦隊決戦が行われている間に要塞防衛隊の配置も無事に終わった。オーレリア軍は勝利を手にするだろうが、損耗も少なくない。しかも今回、「フェンリア」の解析をオーレリアが行うことは不可能だったに違いない。恐れるに足らず――ナバロは、そう信じたがってなおも不安な自分に気が付いて憮然とした。
「それはそうと、演説会場の準備は整っていような?」
「は……はい!そちらは問題なく進んでおります。当日スタジアムに招く市民の選定が一部難航していると報告は受けておりますが、それ以外は問題ありません」
「……民主化運動の過激派どもの潜入を恐れて、か?」
「我が国には閣下が必要なのです。それを理解しようともしない者どもが間違ってもその場に潜入しないよう、いま少し審査を継続したいのですが……」
「それについてはナルバエス、お前に託す。お前の判断なら、間違いは無いはずだ」
「ありがとうございます!」
ようやく笑顔が浮かんだナルバエスに作り笑いを返しておいて、ナバロは再び自らの思考の中に意識を戻した。独裁体制社会ならば必ず抱える難問――反動的な民主主義者たちによる民主化要望と叛乱が、レサスの中でも発生し始めていた。今のところは烏合の衆、叩き潰すのも簡単であるし、事実そのようにしている。だがナバロの失敗が決定的になったとき、彼らの声は瞬く間に国土を覆い尽くすかもしれない。過去、そうして滅んでいった独裁者は枚挙に暇が無いのだから。いや――むしろ逆手にとってこの際一網打尽とする手も良いかもしれない。地下に潜伏した組織を一つ一つしらみつぶしにしていくのは労力と時間がかかる。だから敢えて隙を作って連中を誘い出し、組織と構成員を片っ端から「排除」しておくのもこの際良い選択に違いない。今のナバロにとって、レサスの民主化は「南十字星」の存在以上に避けねばならない事態である。報道の自由?とんでもない。そんなことになれば、ナバロの築き上げてきた基盤は、根底から崩壊していくことは間違いないのだから。今回のショータイムをその機会とするのは得策ではないが、いずれそのような「好機」を設けてやろう。当面のシナリオを描き終えたナバロは、改めて卓上に並べられた資料を手に取った。既に実戦配備も可能となった「フェンリア」を始めとして、南十字星の操るXRX-45といった高性能戦闘機をさらに有効活用するためのプラン――ロビンスキーの抱える開発組織の一つがもたらした提案書である。その提案書を最初読んだ時、ナバロはあまりの荒唐無稽さに呆れ果てたものである。しかし今は違う。エースパイロット――それもトップエースと呼ばれるような逸材は、無数に存在するパイロットの中でもほんの一握りしか存在しない。そんな彼らが戦闘で命を失えば、その技量も技術も経験も、全てが無に帰するのである。でも、それを有効活用――否、等しく機体を操るための基礎データとしてフィードバックすることが出来たとしたら――?その基礎実験の準備は整いつつあるとロビンスキーから報告は受けていたが、さて狸め、一体アーケロンで何を企んでるいるのやら。奴が並みの民間人などではないことは、ナルバエスによる監視でも分かった。とにかく、ボロが出ないのだ。監視されていることにはとっくに気が付いていようが、それを平然と受け止めて動き続けるなど、一介の民間人のそれではない。奴の前身は、相当に鍛えられた軍人ではないだろうか――というナバロの疑問は確実なものになりつつある。
「……な、何ということを……!」
ナルバエスの呻くような声に現実に戻ったナバロは、再び視線をモニターへと返す。あれは戦艦の艦橋――見覚えのある形状は、オーレリア軍による白兵戦の餌食となった艦隊旗艦「ダイダロス」のものに違いない。そのデッキ上に、二人の人影が映し出されているのだった。わざわざご丁寧に、ライトまで持ち込んで照らし出しているのがわざとらしい。そのデッキの上で、一人はぐるぐる巻きに縛り上げられて吊るされていた。そして吊るされた男の脇には、肩にショットガンを担ぎ、時代錯誤も甚だしい蛮刀を手にした巨漢がふてぶてしい笑みを浮かべて仁王立ちになっていたのである。最早観念しきった表情の部下の身体を、ひょいと巨漢――恐らくは、オーレリア艦隊の司令官セルバンテス・ハイレディンであろう――が軽々と回した。その背中には白い海図が貼り付けられていて、しかも汚い字で何かが書かれていたのである。ダイダロスに設置されているカメラの一つは、実際に切替を行っているオペレーターの気を引いたのか、そのまま映像を映し出している。カメラがズームされ、よく読めなかった文字が判別出来るようになる。そして、読み終えるよりも前に、ナバロの拳が机を激しく打っていた。その剣幕にナルバエスは目を疑ったものである。震える拳を握り締めるナバロの視線の先に、今やはっきりと読める殴り書きと、哄笑する敵司令官の顔とが映し出されている。その一言は、ナバロを激発させるに充分なインパクトを持っていたのである。紙には、こう書かれていたのだから。
"――次に括られるのはお前の番だ、ナバロ。悔しかったら、アーケロンまで面を出せ、臆病者!!"
機体格納庫の中に、ガツン、という鈍い音が木霊した。振り返ったメンドーサの視線の先に、遠目にも分かるくらいに顔面を紅潮させたアハツェンの顔があった。ドスドス、と荒っぽく足音を立てる奴の姿に、整備士たちが怯んでいるのがはっきりと分かる。やれやれ……と思っていたら、投げ出されたヘルメットを小柄なパイロットスーツ姿が拾い上げ、何とその顔にヘルメットを叩き付けたものである。
「な、何しやがる!?」
「頭を守るものもいらないのだったら、そのスーツをここで脱いで出て行ったらどう!?アンタだけが戦っているんじゃないわよ!!」
同じくらいの剣幕で怒鳴り返しているアンナの姿を見つけて、メンドーサは今度こそ首を振りながら二人の間に割って入った。
「二人とも、そこまでにしろ。天下のアレクト隊は実は喧嘩好きの荒くれ者集団、と呼ばれるようになるのは俺としては嬉しくない」
「しかし隊長、自分は悔しくて……!」
「当て付けの相手を間違えているんじゃないか、アハツェン」
メンドーサとしては、別に口調を変えたつもりは無かったが、明らかにアハツェンの目が戸惑ったような表情を浮かべた。多分、自分の目付きが少しばかり変わったのだろう、と勝手に理由付けして話を続ける。
「無敵艦隊の敗北は、オーレリア艦隊を舐めてかかった彼ら自身が招いたものだ。別にオーレリアの連中が卑怯な振る舞いをした結果ではないだろうが。それに対して腹を立てるなんざ、お前何様のつもりだ?……アンナ、お前もだ。一応はうちの隊員なんだ。ヘルメットのバイザーでも割れて目に入ったらどうなる?パイロットを取ったら何も残らないような奴の行く末なんざ、全然明るくないんだからな」
「た、隊長、それはあまりに酷いっす……」
どうやら頭から氷河に飛び込まされたような表情で、二人が下を向くのを確認して、メンドーサはため息を吐き出した。彼らの気持ちが分からないでもない。司令部がアレクト隊に撤退命令を出したのは、戦術的・戦略的に大局を見渡した判断があったからではなく、惨敗へと転がり落ちていく無敵艦隊の姿に、更なる損失を加えることに躊躇したためだった。結果としてその判断が正しいとはいえ、目の前で沈んでいく同胞たちの姿を見捨てることに心が痛まなくなるほど、人間を捨てた連中を部下にしたつもりはないメンドーサである。彼自身も、一矢すら報えなかったことが残念でならないのだ。だが、あの局面でアレクトが突入したところで、勝敗が変わったとはとても思えない。それに、万全の状態とは言い難い南十字星と対決するなど、メンドーサ自身のプライドが許さなかった。
「頭は冷えたか、二人とも?……それにな、俺は大事な部下同士が殴りあって出撃出来ないような失態をしでかすのもご免だ。大体、オーレリアのトップエースたちに失礼だろう?」
二人とも、最早弁解の余地無し。黙って下を向いてしまっている。そんな二人の肩を抱え込んで、メンドーサは何度か叩いて解放した。
「南十字星たちとのランデブーはもう間近だ。溢れる闘志はその時まで大事に取っておくんだ。いいな、分かったな?」
「……了解です」
「アハツェン、了解しました!!」
その場で最敬礼する二人の姿に苦笑しつつ、メンドーサは背後で翼を休める新たな愛機の姿を見上げた。試作機に相応しく、真っ白なボディの「フェンリア」は最新鋭機に相応しい性能と運動能力を持った非常に良い機体だと彼は思う。ただ、惜しむらくは、作った人間の顔と信念が見え難いというところだろうか?……さて、南十字星相手にどう戦うか――?実のところ、メンドーサにとって祖国の勝利も敗北も大した問題では無くなっていた。このどうしようもない戦争で唯一彼が奮い立つ好敵手に無礼がないようにしたいな……そう呟きながら、彼は早くも強敵との戦いに心を昂ぶらせるのだった。
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