決戦前のブレークタイム
作戦終了後の食堂は大抵大騒ぎになるのが相場ではあったけれど、夜が明ければ再び大規模作戦が発動されることになる航空母艦シルメリィの艦内は異様な興奮状態にある――そんな感じがした。出来るものならジャステインを誘ってささやかな祝勝会――乾杯はジュースだが――といきたかったけれど、こんな中で二人並んでいようものなら傭兵たちには冷やかされるわ、こっちは恥ずかしいわで面倒なことになっていただろう。幸か不幸か、ジャスティンは格納庫に篭ってしまったので私のやる気は少しばかり空回り。数々のテーブルを占領する喧騒を前に、どこで夕飯を取ったものかとうろうろとしていると、その喧騒に負けないくらいの怒鳴り声が聞こえてきた。一瞬しんと静まった部屋の中、私はそこに窓側の席でちゃっかりと人数分を確保しているグランディス隊長とノリエガ少尉の姿を見出した。道を開けてくれた傭兵たちに礼を言いながら、私は「指定席」の一つへとようやく辿り着く。
「盛り上がってる連中の足なんざ、踏み潰していくくらいで丁度いいんだよ」
「そんなこと言っても、貴重な航空部隊要員じゃないですか」
「大丈夫だよ。いざとなりゃ義足に取り替えれば良いんだから」
ぎょっとした顔で近場の傭兵たちが振り向く姿に、私は苦笑するしかなかった。言い放った当人は平然とした顔で、今日はコーヒーの入ったマグカップをすすっている。実際、傭兵部隊の中には片手片足が義足というパイロットがいて、本人曰く「何度でも取り替えられるから便利」なのだそうだが、そこまでして飛ばない人生を送りたいな、と私は思う。彼にも飛び続ける理由があるのだろうけれど、傭兵に過去の詮索はご法度、とは散々父親と母親から教え込まれた鉄の掟だ。聞いたところでまともに答えてくれるはずも無いだろうし。実際、傭兵たちのまとめ役だったという父親自体、その名を轟かせたというベルカ戦争時の話はあまりしたがらなかったし、同じ部隊の2番機の話になると口をつぐむどころか寂しそうにそっぽを向いてしまい、グラスにウィスキーを注ぐのが常だった。その理由の一端を知ったのはヴァレー基地に配属されてからのことだったけれど、報酬次第では昨日の味方とも戦う傭兵たちの世界では、そういったしがらみは邪魔なだけなのかもしれない。或いは、心の中にしまっておく、決して癒されることの無い傷跡とでも呼ぶべきだろうか。
「しかし、うちの大将も存外度胸があったんだねぇ。サンタマリアの乗組員たちが絶賛してたらしいよ。ま、そうでもなきゃ、レイヴンの一分隊を任されるはずもないんだろうけどさ」
「存外は失礼ですよ、隊長。環太平洋事変の時だって、航空母艦カノンシードでベルカ残党軍の猛攻を潜り抜けた方なんですから」
「んなことは知ってるよ、ロベルタ。でも、あそこまでネジが飛んでるとは思わなかった、ということさ。あたいの見る目もまだまだだねぇ」
素直に称賛しないところがグランディス隊長らしい。私もノリエガ少尉も、笑いを堪えるために下を向くしかなかった。とはいえ、まさかあれほどまでの猛将ぶりを発揮するとは、この艦隊の大半の面子が予想しなかったに違いない。私だって、まさか先陣切って敵艦隊の中へと踊りこんでいく「サンタマリア」の艦上で指揮を執っているなんて、敵旗艦への突入作戦が始まる頃まで全く知らなかったのだから。
「フィーナ、冷めないうちに食べた方がいいわよ。多分隊長、しばらくは放してくれないと思うから」
「たまにはいいじゃないか。カイト隊改めグリフィス隊の女性陣のみの集会ってな。邪魔な男どもも幸いいないようだしねぇ」
「私は別に邪魔じゃないですけど」
「ジャス坊以外は邪魔者だろ?」
「……」
特にスコットはそうかもしれないけれど……たまらず、下を向いた私をグランディス隊長が豪快に笑い飛ばす。これをやっても嫌味っ気が一つも無いのは、恐らくグランディス隊長の人徳というよりも天性というものだろう。それ以上何か答えると後が恐いので、私はプレートによそられた夕食に集中することにする。シルメリィのしきたりによれば、大規模作戦開始前と終了後は大盤振る舞いとなっているらしい。この艦に乗って何度目かのビーフステーキ――グランディス隊長の場合は3枚らしいが――に、カレーライス。正直カロリーが気になるところだけれども、これが美味しいのでついつい食べてしまうのだ。もっとも、今日のこの時間から食べる食事としては、胃に重いのは事実。結局ジャスティンと二人、ファレーエフ中尉とグランディス隊長のコンビとシミュレーターで対決し、ようやく解放された後の時間なのだ。本来なら、寝しなにハーブティという時間でもある。私が話に乗って来なかったせいか、グランディス隊長も自分の皿に向かい、「特製」のステーキにかぶり付いている。カレーライスは本場のスープ風のものではなく、烹炊長が修行を積んできたという東方のカレーだったけれども、私はこの味がかなり気に入っていた。思わず普段の倍は食べるんじゃないかというペース。作戦が終わったら、しばらくは摂生しなければならないだろうけど。
「でも、とうとうここまで来たんですねぇ。オーレリアでの戦いも、これで幕、でしょうか?」
「そううまく運べば、あたいも楽なんだが。しかしノリエガ、ナバロの旦那、無敵艦隊が壊滅するなんて危機的な状況を大昔の昔話に喩えて、国内を引き締めようと必死だよ。奴の話によれば、あたいらは戦争の利益に群がる野盗みたいなもんだとさ。……フン、どっちが盗人猛々しいかねぇ」
「相変わらず微笑を浮かべながら、ですか?」
「何だって?……面白いところにフィーナも着目するもんだな。そう言われてみれば、ニタニタ笑っていたような気がするな。追い込まれている割には、随分と神経が太い男なんだろうね。ワイヤーロープの芯がダイヤモンド級なんだろうさ、きっと」
「――恐らく、切り札があるからだと思います」
「例の、見えない戦闘機かい?」
「或いは、それ以外にも何か――」
グリスウォールでジュネットおじ様と一緒に相対した、自身満々のナバロの姿を私は思い出していた。こちらの追求を、余裕綽々といった風に受け応えていたナバロの鉄面皮は、そう簡単には崩れないに違いない。だけど、オーレリアとの戦争で多くのレサスの兵士が命を失っている。その家族たちの元に、彼らが帰ることは二度と無い。多数の戦死者の存在は、指導者たちが気が付かないうちにその足元を脅かしていく。そういった時に、指導者たちが取りうる手段は二つある。不満を封じ込めるために内部を弾圧するか、国外の問題に国民の目を向けさせて、内政の問題から目をそらさせるかの、どちらかである。内戦が終わったばかりのレサスで表立った弾圧を行うリスクをナバロは避けるために、わざわざ大航海時代の話を引き合いに出して来たに違いない。つまり、ナバロは確実に追い込まれつつある。内戦の厳しい時代を生き抜いた国民たちは、ただ単純にナバロに盲目的に従っているわけではなかろう。それが最も良い生活を送るための唯一の選択肢だから、従わざるを得ない状況にあるだけだ。その微妙な信頼関係が崩れる時、ナバロの築き上げた独裁体制は終わる。独裁社会の政治家としては一級の能力を持つ男だけに、その程度のことは充分計算しているだろう。まだ微笑を浮かべられるだけの余裕が、残念ながらナバロにはあるのだ。
「そういや、レサスにはサンサルバシオン以外にも腕利き揃いのエース部隊があるみたいだけど、ついに戦場では会わなかったねぇ。案外、そいつらが出てくるのもしれないねぇ。……少しは楽しめるといいんだけど」
「何か情報は無いんですか?ナバロの企みごとの」
「ロベルタ、そういうのは諜報部に聞いとくれ。あたいは航空部隊の隊長格なんだから。……しかしまぁ、仮に戦争に敗北したとしても、ナバロが政治基盤を維持出来る唯一の手段が残っているのは事実だね。島を丸ごと要塞にしたのも、見えない戦闘機を持ち出したのも、全てはそのためかもしれない」
「唯一の、手段ですか?」
ステーキの刺さったままのフォークを置いて、グランディス隊長はテーブルの上で指を組んだ。そして、サングラス越しに私に視線を向ける。
「分からないかい?対オーレリア戦争の最大の阻害要因となった、レサスにとっての「凶星」を抹殺することさ」
「――な……」
「それが叶えば、ナバロはレサスにとっての最大の災厄を討ち取ったとして、内外に喧伝することが出来る。奴のカードは、最終的にはそこに行き着くとあたいは読むね」
烹炊長自信の作らしいデザートを口に放り込もうとした姿勢のまま、私は固まっていた。ジャスティンは、どうやら彼の全く知らないところで謀略の渦中に放り込まれる運命にあるとでも言うのだろうか?あの白い翼が傷付いていく光景だけは二度と見たくない。ましてや、目の前で彼と彼の愛機が散華するところなど。多分、私が引きずり込んでしまった部分もあるに違いないけど、自分で決めた道を歩き出したジャスティンの命が、ナバロ如きの体制維持のために奪われて良いなんて話は、どこにも転がっていない。何だか、妙に頭に来始めた。
「――絶対にさせるもんですか」
呟くように言ったつもりだったのだけれど、意外に声が大きかったらしい。隊長たちだけでなく、近くの傭兵たちまでこっちに顔を向けている。
「ナバロの思惑が何だろうと、敵の新型が出てこようと、私は私の役目を果たすだけです。隊長機は、絶対に落とさせない――!」
指を組んだままのグランディス隊長が、ニヤリと笑う。
「いい覚悟だ、フィーナ。あんたでも、そんな目をする時があるんだねぇ。親父さんが見たらきっと喜ぶに違いないよ。さて、盗み聞きしてたボンクラどもぉ!!甲板から投げ落とす代わりに、明日はこき使ってやるから覚悟しときなよ?雑魚は全部あんたらの受け持ちだ!!」
マジかよ、というどよめきが周囲から聞こえてくるけれども、不思議と嫌味な声は聞こえてこない。
「ジャスティンも幸せねぇ。こんなに想ってもらっているんだから。聞いているこっちが何だか新鮮な気分になりますね、隊長?」
「本当だねぇ。全くこの二人の歯痒さと来たらもう……。フィーナ、しっかりと守っておやりよ……って言う間でもなさそうだね。あたいらが外野は引き受けてやる。その代わり、相手は本命だ。手強いよ?」
「――叩き潰します」
ジャスティンの進む道は、私の進むべき道でもある。くだらない政争、くだらない独裁者のエゴなんて、グランディス隊長風に言えば、「クソ喰らえ」ということになるだろう。そんな言葉を聞いたら、父親はその場で失神しそうだけれども。
「こっちが何だか恥ずかしくなってくるねぇ。ま、いいさ。今夜はさっさと寝ちまいな。機体の方はオズワルドや班長たちがきっちりやっといてくれるし、あたいらに出来ることは、明日の作戦で全力を尽くす準備をしておくことだしね。でも、いい言葉だ。――叩き潰してやろうじゃないか。レサスの残党も、ディエゴ・ギャスパー・ナバロも」
嬉しそうにステーキを頬張るグランディス隊長の姿を見て、私も自然と表情が緩むのを感じた。今日できることは。明日に備えること。やっぱり後々気になるカロリーに違いないクリーム・ブリュレに舌鼓を打ちながら、心強いバックアップを受けて飛ぶことが出来ることを心から喜んでいた。

シルメリィ艦内では、士官階級を持つ搭乗員に一応は個室が割り当てられている。ところがレイヴン艦隊の構成上、士官の人数が多くなる傾向があるため、聞くところによれば通常の空母の士官室よりもずっと手狭であるらしい。確かに、ここしばらく、ジャスティンたちと共に地上の広い設備に慣れた身には辛いのだが、他の乗組員は集団部屋で雑魚寝しているのだから文句は言えない。狭いとはいえ、ちゃんと鍵のかかる個室があるのだ。そんな士官部屋の一つに戻ってきた私は、床の上に封筒が落ちていることに気が付いた。部屋の電気をつけ、裏を返してみて、そこに書かれた名前を見て驚く。"ラフィーナ・ラル・ノヴォトニー"と記された封筒の日付は、少し前の物。どうやら、カイト隊自体があっちこっちと待機先を変更していたため、迷子になっていた酒保宛の手紙等が今更届けられたものらしい。簡易デスクの上に置かれた携帯用電気ポットのスイッチを入れながら、私はベットの上に腰を下ろした。

母からの手紙
"元気にしているかしら、フィーナ?
相変わらずの筆不精だから返事は期待していないけれども、たまには近況報告くらいしなさい。お父さんだって、もう少し手紙は書いたほうだからね。……ウスティオはもう冬です。いつもよりも季節が変わるのが早いみたいで、この間は初冠雪。ストーブの薪を多めに用意しなければならない、とナマケモノが重い腰をあげて森に行ってきた所よ。オーレリアは南半球だから、夏真っ盛りなんでしょうね。戦争でなければ、青い空に青い海、バカンスには最高なんでしょうけれども。

この間、休暇で久しぶりにルフェーニアが戻ってきました。アリアに先を越されてしまったのがまだ悔しいらしく、焦っているみたいだけれど、あの性格だから相手がなかなか見つからないみたい。このまま順当に行くと、シャーウッド家の次男坊あたりとくっつきそうだけれど、父親同士が嫌がっているからどうなることやら、ね。そろそろあの子にも身を固めてもらわないと困るのだけれど……。「ヴァレーの女豹」なんて怖い通り名が付いているのも問題ね。

そうそう、皆が集まっているところで、事件が起こりました。レサスのプロパガンダ作戦で、オーレリアの「南十字星」の存在は必要以上にニュースとかで取り上げられているから、私たち一般人でも名前と戦果を知ることが出来ます。夕飯の後のティータイムにニュースをかけているのはいつものことだけど、そこで「南十字星」の映像が結構長めに映ったのよ。「いい筋をしている」なんてお父さんは褒めていたんだけど、そのすぐ後ろにいる戦闘機の飛び方を見て、ルフェーニアはすぐにあなただと分かったみたい。"

うちが一般家庭と呼べるのかどうか甚だ疑問ではあったけれど、戦場を多数のカメラでオンエアするナバロたちの宣伝工作が、結果としてオーレリア解放軍の存在と「南十字星」奮闘ぶりをも発信することになっていたことは間違いなさそうである。「円卓の鬼神」と呼ばれたかつてのエースパイロットにジャスティンが褒められたことは我が事のように嬉しい。でもルフェーニア姉、さすがというか、怖いというか……。便箋をめくった私は、思わずベットからずり落ちそうになる。

"あの子に悪気は全然無かったと思うのだけれど、「まるで番のグリフィスみたい」――私にもそう見えたけど――と言っちゃったもんだから、もう大変。「フィーナが大人になってしまった」と叫んで部屋に篭ったうえに、次の日心配になって見に行ったら「探さないで下さい」のメモだけ残して旅に出るんだから……。この時期の行き場所は、ほぼ間違いなくアヴァロンダムでしょうから、ベケットさんに連絡だけはしておきました。あの人もそろそろ歳だけど、鍛え方が違うからまあ大丈夫でしょ。"

何やってるのよ、お父さん!?そりゃ確かに、アリア姉さんが婚約した時も、リーア姉さんに恋人が出来た時も、失踪したり入院したりしてはいたけれど……。「円卓の鬼神」の通り名はどこへやら、旧知の傭兵仲間たちですらこればかりは呆れてしまっているとか。アヴァロンということは、昔の戦争で戦死した相棒の墓参りに行ったということなのだろうけど、あの辺りはウスティオと違って本格的に雪に覆われるはず。「鍛え方が違う」と放っておくのもどうなのだろう?いや、勝手に旅に出てしまったのはお父さんなんだけれども。……テレビでそうなるということは、実物を連れて行った日には卒倒するか、目の前で逃げ出すか、確実にどちらかになるだろう。思わぬ問題が、私とジャスティンの前に立ちはだかるということだ。

"でも、フィーナもやっぱり私の娘ね。噂の南十字星がどんな人かは知らないけれども、あなたが選んだ人なら、間違いはないはずよ。安心なさい。まあ多少は血を見ることになるかもしれないけれど、お父さんも分かってくれるわ。色々と落ち着いた後、将来添い遂げたいと想い続けていられる人ならば、一度ちゃんと連れてきなさいな。それまでは、どんな素敵な相手なのかは聞かないであげる。楽しみにしているからね。

作戦中色々と辛いこともあるだろうけれど、身体には充分に気をつけて。
あなたの想い人と一緒にこの家に戻ってくることを、楽しみに待っています。"

ジャスティンを家に連れて行く――考えただけで、何だか顔が赤くなってくるような気がする。まさか「南十字星」の異名を持つパイロットが私よりも年下であるとは、さすがに家の誰もが気が付いていないに違いない。それだけに、「その時」の驚きようが今から簡単に想像出来る。……でも仕方ないじゃない。私だって最初は愕然としたけれど、惚れちゃったものは今更どうしようもないんだから。それに、ジャスティンなら将来はきっと素敵なダンディになるだろうし……。こういうとき、お母さんのここ一番の積極性が羨ましくもある。……ま、ジャスティンも似たようなものだから、私たちはきっとこういう関係が良いには違いないのだろうけれども。でも、いつか、ジャスティンと一緒に――。そんな仄かな希望を胸に抱きながら、私はマグカップにお湯を注ぎ込む。寝る時は必ずこれ、と決めているミントティーの涼やかな香りを楽しみながら、ベットの奥の壁に背中を預ける。何にしても、この戦争が終わってからだ。「未来」への一歩を踏み出すためにも、この戦いを二人で生き延びてみせる。レサスが待ち構えるアーケロン島要塞の方角を睨み付けながら、心の中でそう固く誓ったのだった。
要塞の穴倉の中とはいえ、生活を送るには快適な環境がアーケロン要塞には用意されていた。ナバロ将軍がこの要塞を半永久的に使用出来る対オーレリアの前線基地と位置付けていたことは疑いようが無い。だが現実には、この要塞は対オーレリア戦争の終幕を下ろす戦場となるだろう。「フェンリア」の最終調整を終えて、格納庫上に設けられたレストルームで一服しながら、メンドーサは明日の決戦のことばかりを考えている。プロパガンダ作戦のおかげで、「南十字星」の飛び方や戦い方に関するデータは豊富にあるし、それをメンドーサは大体頭に叩き込んだつもりではいる。だが、過去の戦績などは実際に戦う上であまり役に立たないだろう。特に、「南十字星」は。データによれば、かのエースパイロットはようやく18歳になろうかという少年だ。正規の訓練も完全には終了しないうちに戦場へと放り出されたことも影響しているのだろうが、彼の飛び方は「我流」と呼ぶのが相応しい。各国の空軍特有の飛ばし方、戦い方をプロファイリングして戦うことが、極めて難しいのだ。それだけに、メンドーサの血が騒ぐ。なぜなら、彼もまた自分自身の技量を信じ、自らの戦い方を磨き上げてきた者だったから。もっとも、敵のトップエースと交戦することを、アンナは未だに納得してはいない。抑えられない衝動を理解しろとはとても言えないだけに、メンドーサは「大丈夫だ」と繰り返し伝えるしかなかった。それで彼女の心配が払拭されるわけではないことは百も承知であったが――。
「隊長、ここにおいででしたか」
レストルームの扉を開けて入ってきたのは、オイル染みのついた整備用ツナギを来たアハツェンだった。アンナにヘルメットをぶつけられた辺りに湿布を貼り付けている姿が、何故か妙に似合っている。
「中年になるとそうすぐには寝られないからな。今リフレッシュしていたところだ」
冗談で済まそうとしたところだったが、アハツェンの顔は真面目そのものだった。ツカツカ、と足早に寄って来て、メンドーサの側の椅子に腰を下ろす。
「隊長、格納庫の中って良くご覧になってます?」
「一通りはみたつもりだが……何か珍しいものでも落ちていたのか?」
「作戦に対応できるフェンリアは4機のみ、その話に間違いは無いですよね?」
「――あ、ああ。ナバロの旦那はそう言っていたが……」
アハツェンは辺りを二、三度見渡すと、声をさらに潜めて話を続けた。
「さっき整備兵に聞いたんですけどね、我々が着任するよりも前に、"試作機"のプロトタイプテストのパイロットとかが配属されているらしいんですよ。しかも、稼働可能なフェンリアは実際にはもっと存在していて、我々の格納庫のさらに奥のブロックに格納されているんだとか。何だか、ワケ分かんないですよ」
「アハツェン、この話、その整備兵以外の誰かとしたか?」
「まさか。この基地じゃどこに目が光っているか知れたもんじゃないですからね」
「ならいい。しかし……プロトタイプって何だ?フェンリアは現にロールアウトして俺たちの手にあるわけだが、他にまだ隠し玉でもあるっていうのか?」
――狸め、何を考えている?この期に及んで最前線に得体の知れないXナンバーを持ち込むことが兵士たちにどれくらい動揺を与えるかすら考えもしないということか。それにしても、稼働可能機に余剰があるくせにアレクト隊の人数分の機体を用意しないのは頂けない。相手は、プロトタイプも含めて最新鋭機で構成されているオーレリアのグリフィス隊である。どうやら奴さん、刺し違えてでも良いから「南十字星」を仕留められればいいとでも勘違いしているようだ。アレクトの命は、そんなに安いもんじゃない。
「とりあえず分かった。明日の出撃までにどうこうなる話じゃないが、この件は俺が預かる。隊の他の面子にも決して伝えるな。その代わり、明日は俺の命令だけ聞いていれば良いからな。上の命令はとりあえず聞き流しておけ」
「りょ、了解ですが……それじゃ隊長が」
「俺には俺のやりようがある。心配するな」
アハツェンを納得させるために微笑を浮かべては見たものの、メンドーサの心が晴れることは無かった。それにしても、「試作機」とやらの正体は皆目見当が付かないが、仮に余剰機のフェンリアが出撃できるのだとしたら、それを扱うパイロットの腕前は少なくともアレクト並と考えても良いだろう。だがオーレリア戦争で多くの人材を失った今、それほどの技量を持った部隊など残っていないのが実状のはず。そうなる前でも、アレクトと互角に渡り合えるのは、既に全滅したサンサルバドル隊や、ナバロに反目したため教導隊扱いとされて前線から遠ざけられているドライセン隊くらいのものだった。まさか、奴じゃないだろうな?報告上は戦死したものとされていながら、遺体が確認されていないというペドロ・ゲラ・ルシエンテスの姿を思い浮かべて、メンドーサは首を振った。綺麗な空に対して、何と無粋な地上だろう?明日はしがらみを全て捨てて、「南十字星」に相対したいものだと、メンドーサはため息を吐き出したのだった。
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