共に在るべき者のために・中編
レーダーに敵の姿はあるけれども、私の肉眼はその姿を捉えていない。グレイプニルの時も同様だったとはいえ、かの空中要塞はその図体ゆえに機動自体は大したものではなかった。それに対して、フェンリアは高性能な機体が、これまた金と技術の詰まった最新技術の一つであるステルス迷彩、或いは光学迷彩を身にまとっている。水平レベルだけでなく、上下レベルも考慮に入れた三次元戦闘が基本の空中戦において、これほどやり難い相手はいないと言っても過言ではないだろう。対要塞戦も考えて、戦闘時の機動性の点ではやや劣るF-35B/Sを選んできたことを少し後悔する。特に加速時のスピードの乗りと最高速度は敵機の方にアドバンテージがあったのだ。相手の後背を取ることには成功したものの、敵機との彼我距離は確実に離れていく。このまま付き合って飛ぶよりは、仕切り直しを図るしかないか――そう考えた私は追撃を諦め、機体を旋回させた。傾いた空と大地の境目。私の高度からやや下方、少し離れた空に、複雑な飛行機雲の紋様が刻まれていく。これが戦闘時のものでなければお見事、と言いたくなりそうだけれども、あれは熾烈なポジション争いの結果刻まれるものであることを私は知っている。レーダー上とディスプレイに表示される情報から、その一方が隊長機XRX-45のものであることを知る。敵隊長機と戦っているらしい想い人の姿を思い浮かべそうになって、私は何度か首を振った。今は、ゆっくりとそんなことを考えている場合じゃない。私自身も、強敵を前にしているのだから。そんな私の現状を思い知らせるように、コクピット内に鳴り響いたのはミサイルアラートだった。なるほど、本気というわけね。前方から獲物目掛けて迫り来るミサイルに対し、タイミングを図りながら私は操縦桿を強く引き寄せた。ぐい、と体全体が持ち上がる感覚。次いで大地が後方へと勢い良く遠ざかっていく。量産を前提とした機体構造と性能とはいえ、決して運動性能が低いわけではない。愛機は大きな円周を描きながら、ぐんぐん高度を上げていく。後方からミサイルが軌道を修正しながら、私の背中に追いつかんとしている。
「クラックスよりグリフィス2、後方ミサイル。数は2、依然接近中!」
「グリフィス2よりクラックス、私が追っていた目標の位置は?」
「現在位置から10時方向、高度7500、多分後方から再攻撃するポジションへ移動中」
「サンクス!」
そう簡単に仕留めさせたりはしないわよ。おおよその飛行予測位置に見当を付けた私は、そのままループを継続する。機体は水平逆さまとなり、落下速度が機体全体に乗っかり始める。白い排気煙を綺麗に空に刻みながら、ミサイルも同様の軌道に乗っている。5カウント……5……4……3……まだ大丈夫、2……1……0!異様に長く感じた5秒間を心の中で数え終わると同時に、降下中の機体をローリングさせる。斜めに傾いた姿勢のまま、強引に操縦桿を思い切り引き寄せる。強烈なGが身体を締め付け、意識が一瞬吹っ飛びかける。コントロールを失うギリギリのところで、それまでの飛行軌道から明後日の方向へと飛び出したこちらに対し、降下に転じてスピードも乗っていたミサイルが、それでも針路を修正しつつ、結局追い切れずにそのまま海面目掛けて落下していく。ミサイルアラートが鳴り止んだことに安堵しつつも、姿勢を立て直して目標を捜し求める。レーダー上のマーカーしか手がかりはないが、スロットルを押し込んで敵の後方を取るべく、空を駆け下りていく。相変わらず姿は見えない――いや、微かではあるけれど、赤くユラユラとした光が見える。敵も高速を維持していたが、降下速度も味方につけた私は、ようやく敵機に追いつくことに成功した。高速下でのガンアタックの命中率は極めて低い。だが敵への牽制にはなるであろうことを期待して、私はトリガーをほんの一瞬だけ引き絞った。曳光弾の光の筋が大気を切り裂き、虚空を疾走する。手応えは……ないか。その代わり、最初は気のせいかと思っていたユラユラと揺れる光が、どうやらレーダー上に表示されている敵マーカーと同位置にあることを私は確信した。機能的に不具合があるのか、それとも高速で空を舞う戦闘機の特性上止むを得ないのか――いずれにしても、数少ないきっかけを手にしたことには違いない。
「そんな攻撃、当たらないわよ!」
「次は当てて見せるわ。手品のタネも、何となく見え始めているしね」
「付いて来られるのかしら……旧世代機の性能で」
「試してみる?」
敵マーカーはほとんど私と同ポジション。スロットルを微調整しつつ操縦桿を倒し、ペダルを踏み込む。楕円状にローリングし始めた機体をコントロールして、バレルロールへ。時折、敵機のものらしいエンジンの咆哮が聞こえてくる。敵マーカー、私よりもやや後方へ。ローリング状態から切り返し、急旋回。どうやら反対方向へと針路を変えた敵機に対し再反転。敵も同様に切り返し。姿の見えない戦闘機であっても、自然現象までは隠蔽出来ないのだろう。翼が大気を切り裂いた証が空に刻まれている。こちらと同様に機体を回転させ、旋回させ、向こうは向こうで必死の戦闘機動を繰り広げている。つまり、相手にばかりアドバンテージがあるわけでは無い、ということだ!絡み合うように、もつれ合うように私と敵機は大空を駆ける。高Gに晒され続ける機動が身体に優しいはずも無かったけれど、こうなれば我慢比べ。先に焦れた方が、負ける。敵マーカーの位置が私よりも先行気味になる。あの赤い光の位置さえ捉えられれば――。ほんの一瞬のことだったかもしれないが、私の機動がやや単調なものになっていた。私は知らない間に敵の仕掛けた罠にはまっていた。ユラリ、とした赤い光は、唐突に私の傍に出現し、頭のすぐ真上を後方へと遠ざかっていった。しまった!レーダーに視線を移せば、敵マーカーが今度は私の後方にポジションを取っている。
「フェンリアの機動性能を甘く見ないでもらいたいわ。フランカー系を凌ぐ性能は、伊達じゃないってことよ!」
姿が見えない状態では何とも言えないが、機首を跳ね上げて垂直状態のままスロットルをカットして急制動をかけ、敵をオーバーシュートさせる戦法を模擬戦で見たことがあったけれども、恐らくはそれに類する機動をされたのだろう。F-35B/Sでは、残念ながらそんな機動は望むべくも無い。空中分解するか、コントロールを失うだけの結果に終わる。その代わりに、この機体だからこそ出来る機動もある。攻撃ポジションを取らせないように、ペダルを踏み込む。操縦桿を手繰る。スロットルを維持しつつ、楕円状の機動を描きながら改めてバレルロール。コクピットの中には相変わらず警報音が鳴り響いている。姿の見えない敵が、後ろにへばり付いていることを私に知らせている。まだ仕掛けるのは早い。もう少し、引き付けてから――そんなことを考えながら後方を振り返った私は、揺らぐ光に包まれているどちらかと言えば大柄な機体の姿を捉えた。一瞬後にはその姿が隠れてしまったが、その代わりに機関砲弾の光の筋が私の直近の空間を撃ち貫いた。大丈夫、このタイミングなら当たらない。あの攻撃は牽制だ。焦るな。敵は充分に私を補足し切れていない。動きを止めることの方が危険。自分にそう言い聞かせながら、敵を誘い込む用意を進めていく。もっとも、これほど負荷のかかっている戦況下で試すのは初めてだから、私の身体が堪えられるかどうか分からないけど――試してみるしかない。このまま鬼ごっこを延々と続けるわけにはいかないのだから。右方向へ少し高度を下げつつローリング。もう一度ローリング。レーダーに映る敵の姿は、私のすぐ後ろにぴたりと付けたまま。ふう、とマスクの下で軽く息を吐き出して、作戦を決行する。
機体が水平状態になるや否や、ノズル角を90°へシフト、軽く操縦桿を引きつつ、スロットルをぐいと押し込む。通常飛行時には感じることの無い妙な角度からのGが身体を翻弄する。思ったよりも早いタイミングで愛機はホバリング――垂直上昇態勢となり、上方やや斜め前の空間へと跳んだ。一瞬、視界が上下方向に流れるような感触。
「消えたッ!?」
敵の姿が見えない以上、どんなコクピットなのかは分からないけれど、本来ステルス機でレーダーでは捉えにくいはずの私の愛機を迷わずに追ってくるということは、ジャスティンのXRX-45に搭載されているような視覚的追跡システムが搭載されているのかもしれない。同じゼネラル・リソースの血の入った機体なら、当然考えられる。もしそうなら、今頃私の姿をディスプレイ越しに発見している頃だろうか。一旦スロットルMIN、ノズル角を戻し、再びスロットルを押し込む。どん、と前方へと加速する愛機の機首を下げ、ダイブ。赤い光が私の前方に揺らめいている。照準レティクルを睨み付けて、トリガーを引き絞った。空間を貫いた曳光弾の雨は、"何も無いはず"の空間で火花を爆ぜた。やった、命中!!まぐれ当たりと言われてしまうと少し悲しいが、私の攻撃はようやく敵機に一撃を与えることに成功する。根元から折れたような残骸が唐突に出現して、海面へと降下していく。今のはカナード翼だろうか?どれくらいのダメージを与えられたのか確認出来ないのはもどかしいけれど、確実に私は相手に近付いている。仲間たちが、ジャスティンが踏ん張っている今、私だけ泣き言を漏らすわけにはいかない。いや、少しでも早く、隊長機を助けなくちゃ――。仕切り直しとばかりに加速していく敵機の後姿を追って、私はスロットルを押し込みながら、戦いの空を睨み付ける。

無敵艦隊の支援を受けられないとはいえ、充分な数の艦船、充分な数の航空支援、そして要塞本体の援護攻撃、敗北の要素など何も無い――戦闘開始直前、艦隊司令官が発した檄を思い出して、男は反吐を吐き出したい気分に駆られた。近代戦闘はミサイルのボタンを押すだけで済むだって?無論、それが可能な戦況なら、今頃数に劣るオーレリア解放軍などとっくに海の底に沈んでいたに違いない。しかしながら、オーレリア艦隊を率いる海賊の末裔司令官はレサス艦隊の目論見などお見通しとばかりに仕掛けてきたのだ。事を混乱させる発端は、高速で飛来した戦闘機部隊による奇襲攻撃。艦隊のど真ん中に飛び込んできた戦闘機たちの攻撃は、艦隊全体には大したダメージを与えることは無かったけれども、その僅かな隙を突いて放たれていたオーレリア艦隊からのミサイルは思わぬ損害を強いたのである。もし、無敵艦隊の味わった奇襲がもう少し詳しく伝わっていたなら同じ轍は踏まなかったろう。迎撃のために放たれた対空ミサイルは、完全に敵ミサイルを捕捉、破壊することに成功した。ところが、そのミサイルたちの弾頭にはチャフがたっぷりと詰められていたのである。それも、数発が皆それ。突如として発生した電子妨害の網に捉えられた艦艇の群れは、近代戦闘を継続する術を一時的に失ってしまったのである。混乱に拍車をかけるように、オーレリア解放軍の戦闘機部隊の新手が戦域へと突入してきた。端からレーダー誘導を受けられないことを前提に、攻撃機たちの群れは爆弾やらロケットランチャーを積み込んで来ていた。文字通り雨あられの攻撃を好きなだけばら撒いた一団がようやく離脱する頃には、イージス艦などの主力戦闘艦を中心に損害が拡大していた。だが、それだけで済ませてくれるほど、オーレリア解放軍の連中はお人よしではなかったのである。
「敵攻撃着弾!!距離至近!!」
「損害報告急げ!!くそっ、医療班はまだ来ないのか!?」
「待ってるくらいなら運びに行け!どっちみち、この戦況じゃミサイル班の出番なんて無いぞ!!」
慌しい交信が、艦内の混乱した様子を伝えてくる。焦燥と不安とが、CICの中にも充満しつつある。海面に着弾した敵砲弾が、水柱を幾本も高く吹き上げる。その数と密度は、先程までの比ではない。オーレリアの手に落ちた戦艦「ダイダロス」以外の艦艇が、こちらを射程圏内に捕捉して攻撃を開始したということであろう。もともとオーレリア海軍の艦艇設計は今時珍しいことに砲撃戦への対応を前提に行われている――今更ながら、教育期間中に教え込まれた話を思い出し、男は首を振った。皮肉にも、近代戦闘への適応をより積極的に推し進めたレサス軍の艦隊は、最新式になればなるほど砲撃戦の前提が薄れていく。ミサイル戦ならばオーレリア海軍に負けるようなことは無かっただろう。だが、ミサイル攻撃を封じられてしまった今、主砲の射程距離差に致命的な弱点をさらけ出したようなものだったのである。ようやくレーダーが復活したCICに、更なる衝撃が走る。敵艦隊は想定よりもさらに早く、こちらの攻撃など意にも介さないような勢いで迫りつつあったのだ。艦長がミサイル攻撃の指示を出した直後、艦隊がこれまでにない振動に揺さぶられた。大破こそ免れたものの、集中して叩き込まれた敵砲弾の片割れが艦を襲ったのである。
「くそっ、反撃だ!ハープーン発射準備、急げ!!」
「こちらミサイル室、ハープーン発射管大破、炎上中!使用出来ません!!」
うわ、という悲鳴が聞こえてきて、男は視線をモニターの一つへと向けた。僚艦の甲板上が、猛烈な炎と黒煙とに覆い尽くされ、構造物の姿が確認出来ない。さらに飛来した攻撃が艦底まで突き抜けてしまったのだろうか?一際大きな炎を膨れ上がらせた僚艦は、真っ二つになって前部と後部が屹立し、海の中へと沈んでいった。次は我が身か?ぞっとした悪寒が、背中を駆け上がってくる。程度の差はあれ、どの艦でも状況は似たり寄ったりに違いない。
「艦長!このまま動きを止めていては格好の的になるだけです!!こちらも機動戦に転ずるべきではありませんか?」
「初任士官が、出しゃばるのではない!ここを死守せよというのが、総指揮官の命令だ。貴官はその命令に背くつもりなのか!?」
「死守するために可能な選択肢を行使するのが指揮官の務めではないのですか!?それとも指揮官の命令とは、全乗組員の犬死だとでも!?」
これまでの不満が一気に噴き出したようなものだった。石頭で融通が利かない割に、プライドだけは高い艦長。いずれこうなる時が来たに違いないが、今は最悪のタイミングであったかもしれない。狭いCIC内で銃を撃ったらどうなるか、ということも忘れるくらいに激怒した艦長が拳銃を引き抜く光景を、男はむしろ落ち着いて眺めてしまっていた。これじゃあ、やっぱり犬死だ。こんなくだらない戦いのために、自分はここまでやって来たのか――失望を通り越して、不意に笑いがこみ上げてきた。笑わずにはいられなかった。
「何がおかしいか、貴様ーっ!?」
副長の静止を振り切って銃を構えた艦長。だがその銃口が火を吹くことは無かった。
「敵砲弾多数、本艦正面に飛来!!対応出来ません!!う、うわああああっ!!」
レーダー士の悲鳴が終わるよりも早く、艦が激しく震える。鼓膜が破れそうな轟音が聞こえたと思ったら、光と炎とが壁を突き破って、CICの中にまで広がっていった。ついで横方向への激しい衝撃が加わり、中にいた男たちは一様に弾き飛ばされた。壁に叩きつけられ、その後床を転がった男が何とか立ち上がったとき、もうCICは機能できるような状態ではなかった。銃を構えていたはずの艦長は、血だまりの中に突っ伏して最早動かない。首から上を、崩れ落ちてきた天井に潰されていた。馬鹿になった耳がようやく静かになり始めると、CICを呼ぶ悲鳴のような乗組員たちの叫びが続いていた。艦の状況はひどい物だ。先程の僚艦と状況はほとんど変わらない。複数の命中弾によって主要兵装のほとんどが機能を奪われ、フェーズド・フレイ・レーダーは既にその機能を停止していた。次に攻撃を食らえば、間違いなく艦は轟沈するだろう。
「……やれやれ、うるさいのがようやくいなくなってくれたか。さて、今じゃアンタがこの部屋の中では最高位の階級だ。どうするかね?」
CICの中では例外的に叩き上げの、初老の航海士が腕をさすりながら立ち上がる。CICの中では、数少ない普通に会話を交わせる士官がこの場に生き残っていたことに、男は心から感謝した。
「機関が動かせる状態かどうか、至急確認してください。可能なら、ここから離脱します」
「そうこなくちゃな。分かった。機関室!聞こえるか、こちらCIC、艦を動かすぞ。機関の損害はどうか!!」
「こちら機関室、行けますぜ。このまま犬死だけはご免ですからね、指示をどうぞ!」
ひび割れたモニター群の一角が生き残り、未だに映像を映し出している。その一つが、迫り来るオーレリア艦隊の姿を映し出していた。艦隊の先頭に、何と「ダイダロス」の姿が見える。オーレリア解放軍艦隊司令ハイレディン提督は、自ら陣頭に立って指揮を執っているのだ。この差は何だろう?そして、この震えは何だ?これ以上の拡大は出来ないが、「ダイダロス」のマストには軍旗とは異なる旗が翻っている。敵司令官の一族に受け継がれて来た、海賊旗が。その圧倒的な姿に、男は恐怖した。こんな奴らと戦って勝ち目があるはずが無い。もし生き残ることが出来たら、軍から絶対に身を引くぞ。俺はもう、こんな恐怖を味わうのは金輪際ご免だ――。心の中でそう叫びながら、男は生き残るために必要な指示を飛ばし始めた。

「本当にしつこいわね。正直感心するわ!」
「我慢比べなら負けないつもりよ。それに、貴方をフリーにしたら隊長機が危ないでしょ。とことん付き合ってあげるわ」
「案外気が合うかもしれないわね、私たち」
近距離でのポジションの奪い合いは結局引き分けと言うべきか。私の一撃は敵のカナードを叩き落すことには成功していたけれど、それで機動性を完全に奪えたわけではない。ただ、攻撃が成功したことによって、先程に比べて光学迷彩の効きが落ちてきたように感じる。効きが不安定になっている、と言えばよかろうか?時折、大柄の流線型の機影が見える時があるのだ。おかげで、多少距離を取っての追撃は随分とやり易くなっている。気が付けば、私たちは敵要塞本体が位置するアーケロン島のすぐ側まで到達していた。浴びせられる迎撃などどこ吹く風、と紡錘陣を崩さずに進み続けているのは、ハイレディン提督率いるオーレリア解放軍艦隊に違いない。炎と黒煙を吹き上げているのは、そのほとんどがレサス軍の艦艇のものらしかった。上陸点の一つである入り江には、既に強襲揚陸艦が2隻到達していた。陸上でも既に火線が交錯していたが、歴戦の猛者たちを集めてきた解放軍上陸部隊の勢いはそうそう止められるものではない。全体的な戦況は、どうやら決し始めているようだ。一度落ちた士気を盛り上げるのはなかなかに難しい。ナバロの思惑はともかくとしても、現実として多くの同胞を戦争で失ったという現実は、兵士たちの心を重くする。自分たちをオーレリアの地から追い出した猛者たちと再び戦えと命令されても、戦意が湧き起こるというものではないのだろう。だから、あと一押し、決定的な一打が決まればレサス軍は完全に瓦解する。あと一押し、それはつまり、切り札とも言うべき「フェンリア」を全世界向けライブの最中に撃破するということだ!
「フェンリア」、ロールから水平に戻すタイミングでスナップアップ、速度を上げながら上昇を開始する。私の目前を、赤い光が上空へと舞い上がっていく。こちらも操縦桿を引いてスナップアップ。相手よりも少し大きくループ半径を取りつつ、追撃。流れる空。流れる雲。遠ざかっていく大地。ヴェイパートレイルを空に刻みつけながら、私たちは高空まで舞い上がる。Gが操縦桿の重量を増し、腕を引き剥がそうと抵抗する。それに抗うように力を込める。天地が逆転し、機速がぐんと増す。互いの位置はほとんどそのまま。重力が機体と身体を強烈な力で引っ張り出す。速度計の数字がコマ送りのように増していく。反対に、コマ送りで減っていくのは高度。うっかりしていると気を失ってしまいそうな感覚。もしそうなれば、海面どころか地獄の底まで真っ逆さまなんてことになりかねない。マスクの下の呼吸が荒い。体力的にも精神的にも、辛い。でも、それは敵も同じ――のはずなのに、敵はさらなる無茶を仕掛けてきた。ループ降下の途中で、レーダー上のマーカーの方向が突如変わった。と思ったら、再び敵は上昇へと転じたのである。無茶するわね、ホント。降下中に機体をロールさせ、高G反転、再上昇。予想通り、意識はブラックアウトしかけ、胃袋の中は容赦なくシェイクされ、酸っぱい嘔吐感を無理やりに飲み込む。こんなところで吐いてしまえば、マスクの中を掻き出している間戦闘続行が不可能になってしまう。
「――良く、付いてこられるわね。ここまで追い詰められるのは久しぶりよ。少なくとも、敵では初めてだわ」
「そろそろ終わりにしない?いい加減、身体がキツいんだけど」
「さっきそっちが言った通りよ。私も、守らなくちゃならない人がいるの。だから、グリフィス隊の2番機、譲るわけにはいかないのよ。絶対に!!」
白い雲を突き抜け、蒼天を駆け上がっていく2機。そこで、異変が起こった。赤い光が明滅したかと思ったら、その光が弾け、白い純白の機体が突如として出現したのである。
「な……そんな馬鹿な!?」
「待たせたね、グリフィス1!!敵施設は完全に沈黙した!!たっぷりとお返しをしておやり!!」
心底嬉しそうな声は、グランディス隊長のものだった。カナードが一枚だけ脱落した敵の姿が、私の目前に踊る。白い機体の機首部にキャノピーは無く、代わりにコフィン・システム特有の複数のカメラ群の姿が見える。形状の違いはあったとしても、実質的なシステムは私たちの軍が使用しているものとそう代わりは無いだろう。その姿は、XRX-45ほどではないとしても、やはり異形と呼んで差し支えないものだった。これまでの戦闘機たちとは一線を画すようなスタイルは、設計者たちのエゴなのか、機能追求の結果なのか、私には分からない。でも、一つだけ間違いなく言える事が有る。その中で機体を操るのは、今も昔も心を持った人間という事実だ。再び最高点に達して降下し始めた愛機の中で、相手を今度こそ仕留める為の策を練り始める。一刻も早く、ジャスティンの援護に回るために。そして、好敵手との戦いに終止符を打つために――。
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