見上げた空に舞う希望
警報が鳴り響いている。ミサイルアラートとは異なる、これまで聞いたことがない警告音が。ぼやけていた視界が次第に回復し、配線の焦げる嫌な匂いと共に、煙が充満し始めたコクピットの中を映し始める。どうやら私は気を失ってしまっていたらしい。どれくらいの間?1分、5分!?……そんなに気絶していたら、今頃海の下よね、と呟きながら首を振る。派手にコクピットの中でシェイクされたみたいで、身体は痛いわ、ヘルメットのバイザーは割れているわ、額の右側から血は流れてきているわ――ようは、愛機に劣らず私も傷だらけ。それでも愛機のノズルはホバリング状態の位置を保持したまま、不安定になり始めた出力で機体を辛うじて支えている。だが、その悪あがきも限界に達しているらしい。主翼を消滅させた光の奔流のおかげで反対側を向いてしまった愛機は、浮かんでいるのが精一杯。改めて機体損傷を確認すると、右側主翼は跡形も無く、水平尾翼も脱落してしまっている。それでバランスが崩れたせいで、機体が微妙に傾きながらゆっくりと回転しているわけだ。電気系統は――どうやら大丈夫そう。高度があまり無いのが懸念材料だったが、要塞近くまで接近していたおかげで、うまくいけば海岸近くに下りられる可能性もあった。サバイバルキットや、あまり使い慣れているとは言えないオートマチック拳銃を素早く確認し、後は機体を安定させることに神経を集中させる。
「グリフィス2、フィーナさん、応答してください!」
「こらフィーナ、黙ってないで何とか言ったらどうだい!?」
「くそっ、アレクト隊め、やることが汚いちゃうんか?ここまで引っ張っといてだまし討ちかいな!!」
「それこそ言いがかりだぜ。うちの隊には4機しか割り当てがなかったんだ。それ以外に稼動出来る機体がいたなんて、こっちだって知ったばかりだぜ。それも何だよありゃ。ビーム兵器が搭載出来る機体だとレクチャー受けてないぜ!!」
視界同様に飽和していた聴覚が戻り始めたら、仲間たちの慌しい交信が一挙に飛び込んできた。ふと見上げれば、そこにはゆっくりと旋回する白い妖精――XRX-45の姿があった。ジャスティンは無事だったことに胸を撫で下ろす。そして、同時に約束を果たせないことに、心の中で落胆する。瀕死の愛機のコクピットから、私は隊長機に向かって回線を開いた。
「こちらグリフィス2、隊長……ジャスティン、ごめんね。背中は私が守るって約束したのに、果たせないよ。だから、お願い。今度こそ、あの敵を……ペドロ・ゲラ・ルシエンテスを打ち破って。ジャスティンだったら、絶対に出来るから……」
「約束なんて……僕の方こそ……」
「それともう一つ。レイヴンのパイロットたちに伝わる名言よ。"パイロットが生還すれば大勝利"――ってね。……シルメリィで待っててね」
こちらの心配をさせまいと、わざと軽い口調にしてみたけれど、真面目なジャスティンのことだ。受けたショックは並大抵のものではないだろう。でも、彼の翼がこの程度のことでは折れないことを私は知っている。誰よりも、良く知っている。だから、私は私が為すべきことをするだけ。
「グリフィス2より、各隊へ。隊長機の支援をお願いします!」
愛機の降下速度が上がってきている。射出の衝撃に備えて身構えて、脱出機構を私は作動させた。ガシュン、という音と共にキャノピーが切り離され、途端にもわっとした湿気と海の風とがコクピットの中へと流れ込んできた。ついでモーターが作動して、身体が座席ごと宙に浮き上がった。実戦では勿論初めてのベイルアウト。私の足下、搭乗者を失ったF-35B/Sが遠ざかっていく。私を射出したことで力尽きたのか、左に大きく傾いだ機体はついに浮力を失い、ゆっくりと横転しながら高度を下げていった。一定高度まで打ち上げられた座席の上で、パラシュートが白い帆を大きく開いた。思ったよりも風が強く、私は座席ごとアーケロン要塞の方向へと流されていく。そんな私の頭の上を、見慣れた異形の機体が通り過ぎていく。機体を傾けて、コクピットから私の姿を確認するように旋回していく。見えているかどうかは分からないけれど、大丈夫だよ、と伝えるつもりで私は右手を軽く振った。甲高いエンジンの咆哮をあげて、XRX-45が急加速。改めて外で聞いてみると、その咆哮はコクピットの中で感じていたものよりも遥かに猛々しい。アフターバーナーの炎を煌かせながら垂直上昇していくXRX-45の姿はあっという間に遠ざかっていく。続けて、アーケロン要塞の滑走路から轟音を響かせながら戦闘機が数機、離陸していく。その機体は、先ほどまで私たちが相手にしていた「フェンリア」と酷似していたけれど、細部がリファインされているように見えた。エンジンの轟音が重なって聞こえ始め、再び戦闘が空で始まったことを暗に告げる。その真下、私だけがひとり、ぽつんと取り残されて、ゆっくりと空を下りていく。所在確認用のビーコンと、緊急用の無線はサバイバルキットの中にも入っているけれど、パイロットたちの交わす会話を聞くことも出来ない。それが、たまらなく辛くて、私は口元を押さえながら嗚咽を漏らした。ごめんね、ジャスティン、と呟きながら――。突然、ごう、という轟音と共に風と衝撃がすぐ傍の空間を突き抜け、煽られたパラシュートが揺れる。続けてパルス・レーザー特有の青い光が大気を切り裂き、XRX-45が猛烈な勢いで低空を駆け抜けていく。荒ぶる猛禽同士の争いは、熾烈さを増していく。そこに一緒にいられないことがこれほど辛いものだと、今更ながらに私は思い知らされたのだった。
風に流されたこと、先ほど至近距離を通過した戦闘機に煽られたこと。それが幸いしたのかどうかは分からないけれど、私はアーケロン要塞本島脇にある、少し大きめの岩礁の砂浜近くに着水した。思っていたよりも身体が消耗していたらしく、膝より少し上くらいの深さしかない浜辺から上がるだけで息が上がってしまった。水を吸ったパイロットスーツが余計に重く感じられる。夏の高い温度と高い湿度が全身を包み込み、汗が吹き出して来る。サバイバルキットの収められたポーチを腰に括り付け、ヘルメットを脱いで脇に抱える。額の出血は深いものではないらしく、今は血も止まり始めていたけれど、吹き出した汗と一緒に目に入り込んでくると嫌になるほど染みる。フライトグローブで汗を拭いながら、ようやく私は砂浜に上陸した。ザス、ザス、という気持ち良い音と感触を感じながら、私はその場に座り込もうとした。その瞬間、銃声が轟き、反射的に身体を丸めた私は日差しに焼かれた砂の上を転がった。そして、ポーチの中からオートマチック拳銃を引き抜いていた。まさかここに先客がいようとは。自分の迂闊さを呪いながら、銃を構える。
「動かないで!抵抗しなければ命の安全は保証します。銃を捨てなさい!」
凛と響く声は、聞き覚えのある声だった。お互いの距離は、充分に拳銃の射程範囲内。でも私は戦闘機と異なって、銃器の取扱は然程得意ではなかった。おまけに、銃を構えた腕が震えている。今更のように、どうやらコクピットの中で激しく叩き付けられたせいだろうけれども、肘や手首が痛みを主張し始めていた。ヘルメットを脱ぎ去ったアレクトの2番機は、黒い髪を風に揺らしながら右手に銃を構えている。その腕が、震えもせずぴたりと私に向けられているのが、良く見えた。さあ、どうしよう。地上に下りてからのことをほとんど考えていなかったことに、自分の未熟さを思い知られる。
「不必要な戦闘は望まないわ。10秒だけ待ちます。その間に決断を――」
「それくらいにしておいてくれ、アンナ。俺は綺麗どころが物騒なものを突き付け合うのはあんまり好きじゃないんでね」
丸腰であることを自ら知らせるように、アンナと呼ばれた好敵手の小柄な姿とは対照的に、大柄で筋肉質の男が二人の射線上に割って入った。
「あの隊長、好きとかそういう問題ではなくでですね……」
「空でのことは恨みっこ無しだと教えているだろうが。そっちも……グリフィスの2番機殿も仕舞ってもらえるか?」
そう言いながら、まだ私の手に拳銃があることなど意にも介さないように男はズンズンと近付いてきた。どうやら、本当に争う気がないらしい――そう悟った瞬間、体の力がストンと抜けてしまい、私は砂浜の上に倒れてしまった。
「ちょっと、大丈夫!!」
「アンナが余計なことしたからだろうが。おい、しっかりするんだ」
楽々と私の身体を担ぎ上げた男は、砂浜の傍に張り出した岩の陰へと歩き出した。
「何だかこうやって担がれていると、荷物みたい、私」
「別にお姫様抱っこでもいいんだが、それやるとアイツに後で怒られそうでな」
「アイツ?」
ニヤリ、と笑った男は、時折甲高い音が聞こえてくる空を見上げて言った。
「この俺、フェルナンデス・メンドーサに最高の喜びを与えてくれた、オーレリアのトップエース「南十字星」だよ。アイツにゃ、大きな貸しが出来ちまった。少しでも返せるうちに返しておかないとな。「南十字星」のパートナー殿」
「……本当にお人よしなんですから。そのうち痛い目見ても、私は知りませんからね」
「大丈夫さ。そう言いながら助けてくれる心強い2番機が俺にはいるからな」
ガハハ、と笑う男――アレクト隊隊長フェルナンデス・メンドーサの言葉に、彼女は真っ赤になってそっぽを向いてしまった。どうやら私と彼女は、本当に似た者同士だったらしい。メンドーサに担がれながら私は首を横に向けてみた。白い砂浜は、良く見れば何かに大きく抉られたような模様が刻まれていた。その傷跡に沿って視線を移していくと、そこにはボロボロにはなっていたけれども、確かに「フェンリア」が不時着していたのである。その傍に岩陰に、彼らのサバイバルキットなどが置かれている。ゆっくりと下ろされた私は、背中を岩に預けて身体を楽にする。
「手当は任せる」
「当然でしょ!隊長はあっちに行ってて下さい」
「へいへい。じゃあ、空でも眺めているさ」
手をひらひらさせて歩き出したメンドーサの背中に、アンナがあかんべーを送っている。その光景があまりに可笑しくて、私は笑い出してしまった。困ったような表情を浮かべた彼女は、警戒を解いた表情で私の腕を取った。
「まさかあなたまでここに下りて来るとは思わなかったわ。良くあの攻撃をよけられたわね」
手慣れた仕種で身体を確認していく彼女に、私は任せることにした。
「骨は大丈夫そうだけど、どこか痛む?大した治療は出来ないけれども……」
「右腕を強打しているみたい。肘と手首が痺れてきたわ」
「OK、とりあえず冷やしましょう」
最新鋭機はメディカル・キットも充実してます――とでもナバロは喧伝するつもりなのか、彼女たちのメディカル・キットの中身は私の物よりも遥かに充実していた。その分図体も大きいから、実用的かと言われると微妙な線ではあるが。パイロットスーツのファスナを下ろし、右腕をアンナに任せる。冷却スプレーを吹きかけて、患部に湿布を張ってテープで固定。応急措置としては充分だろう。三角巾を借りて、とりあえず右腕を吊ってみる。アンナに追い出されたメンドーサは、見事に不時着して壊れている愛機の周りをぶらぶらと歩きながら、空を見上げていた。つられるように、私も空を見上げる。複雑な白い雲が空に刻まれ、激しい戦いが再開されたことを告げている。それにしても、敵の正体がまさか本当にペドロ・ゲラ・ルシエンテスだったなんて……。今はもう、ジャスティンの戦いを地上から見上げるしかないことに改めて気が付くと、自然と視界が滲んでくる。彼の傍で飛び続けることが日常になっていた私にとっては、経験したことのない時間。勝ったか、負けたかすらも分からないことがこんなに不安なものだとは思いもしなかった。XRX-45の白い翼も、ここからでははっきりと確認することが出来ない。――悔しいよ、ジャスティン。ここから見ているだけなんて、そんなの嫌だよ、私。頬を伝う雫を拭う気にもなれず、戦いの空を私は見上げ続ける以外の術を持たなかった。
群衆たちの歓声が、再び沈黙に塗り変わっている。アレクト隊のフェンリアが次々と撃墜されていく光景が映し出されるたびに、悲鳴と怒号とがスタジアムに響き渡り、勝利を確信する場が裏切られる度に、その壇上に在る最高権力者への不満が高まっていくことを、ナルバエスは内心恐怖しながら感じていた。アレクトの隊長機が南十字星に葬られたシーンは、群衆たちの気分を打ちのめすには十二分の効果を発揮した。マイナス要素となる画像は極力隠蔽すること――決戦をライブしている特務部隊に徹底させたにもかかわらず、複数のカメラは「ありのまま」の戦場を映し出す道具と化していた。それも、サブ系ではなくメイン系。隠そうにも隠せない戦場の姿が赤裸々に映し出されることは、ナルバエスも予想はしていなかった。当然、ナバロ将軍もであろう。それでもまだ統治者としての威厳を失わないカリスマこそ、レサスの統治者に相応しい姿ではあるのだが。事実、アーケロン要塞から放たれた光学兵器の一撃が、憎きグリフィス隊の1機を撃墜せしめた光景は群衆たちを歓喜させ、将軍の威厳も再びその輝きを取り戻したようにも見える。続けて要塞から飛び立っていく新型の姿は、レサスがまだ負けたわけではない、というメッセージを伝えるのに最高の演出であったろう。肝心の南十字星は健在ではあったけれど。
――だが、ナルバエスは「フェンリア」の存在は知っていても、要塞から姿を現した新型機を知らなかった。驚いたことに、ナバロ将軍ですら知らなかったようだ。将軍には似合わない姿ではあるが、ほんの一瞬、当惑したような視線がナルバエスに注がれた。すぐにいつもの表情を取り戻したものの、その内心が「何が起こっているのか分からない」という点で、ナバロ将軍もナルバエス自身も、次元は同じであった。最新鋭戦闘機「フェンリア」によって、オーレリア解放軍主力部隊に損害を与え、アーケロン要塞からの撤退に追い込む――それに充分なだけの戦力は用意されていたはずだった。だが、オーレリア解放軍の士気と戦力は、ナルバエスの予想を遥かに上回っていた。何より、「南十字星」だ。あの純白の機体が空舞う姿は、レサスにとっての「凶星」であるにもかかわらず、ナルバエスですら惹かれる何かを感じていた。内戦時代を生き延びてきた人間に相応しいやり方でアレクトを最前線に向かわせることにナルバエスは同意できなかったが、ナバロ将軍はそれを敢えて強行した。国家のため――それは最高の殺し文句であるが、これだけ敗北続きのレサスの将兵たちには、既に虚しく響く言葉であることも事実。今更引く事も出来ず、行くところまで行くしかないのが、今の彼の立場でもあった。「南十字星」以上に素性の知れない不明機に未来を委ねるなど、狂気の極みでしかないのだが。
「同志たちよ。我らの祖国は、長きに渡った悪夢の内戦期を乗り越えて、今に至った。我が国から搾取を続け、一人平和を享受していたオーレリアとの国力は圧倒的な差となって我が国の前に立ちはだかっていたのだ。そんな祖国が愚昧なるオーレリア軍を打ち破り、非道なる搾取を続けてきたオーレリア政府を打ち破ることが出来たのは何故か?戦いを続けることが出来たのは何故か?――それはオーレリア許すまじ、という国民の統一された意志と、世界の先を行く技術力、そして前線にある兵士諸君の決意と覚悟があったからに他ならない!!オーレリアを断罪するという目的を果たし、祖国に帰還しようとした我が国の兵士たちに対し、オーレリアは容赦の無い攻撃を浴びせ、それでは飽き足らず、我が国の領土にまで土足で踏み込んできた。一体どれだけのレサスの血を見れば気が済むのか。どこまで戦争を好むのか。彼らに鉄槌を下す理由と権利を、我が国は有している。その一端を、今、フェンリアを操る英雄たちが果たそうとしてくれている。見よ、あの力強い翼を!!」
再び群衆たちの熱が上がっていく。壇上で演説を続ける将軍の背後には、戦闘機動に入った未知のフェンリアたちの姿が映し出されている。部隊章もエンブレムも貼り付いていない、本当にレサス軍のパイロットが操っているかも分からない機体。赤く輝くコフィン・システムの眼はまるで邪眼の複眼のようだった。あの翼は希望などではない。怨念と絶望だ――理由も無く、ナルバエスはその新型の姿をそう判断した。そして、そのような紛い物に国家の――否、自分の保身を委ねてはばからないディエゴ・ギャスパー・ナバロという傑出した俳優――国民に正体を気取らせること無く全てを牛耳ることに長けた政治家の本質が透けて見える。一体、いつからこうなってしまったのだろう?ナルバエスにとって、祖国の勝利とナバロ将軍を「演出」することは、生涯全てを捧げるだけの価値を持つ役目だった。その任務に就いたことは望外の喜びでもあったし、目的の達成のためならどんな汚れ仕事でも苦にならないと思っていた。独裁者こそが荒れ果てた祖国を復興させると信じていた。独裁者の本質が、祖国の復興ではなく自らの権益の拡大にあることを勿論知っていた。それでもナルバエスが影のように付き従ってきたのは、その選択こそが祖国に栄光を取り戻す唯一の道であると信じたからだった。今やナルバエスは、必ずしもレサスにとって好ましくない映像を無理矢理に切り替えることも放棄して、ありのままの戦場を映し続ける。そう、道は既に別たれてしまったのだ。グリスウォールの街が陥落し、祖国の軍勢がオーレリアから追い出された頃からだろう。最早祖国の守護者としての姿も意識も薄れ、数多くの兵士と国民の命と引き換えに祖国までも売り捌こうとしている自らの崇拝者の姿を、彼は認めたくなかっただけなのかもしれない。苦境に追い詰められた将軍に、「彼ら」が何事かを吹き込んだこともあるのだろう。ナルバエスですら窺い知ることの出来ない闇の中で、何事かが密かに、そして確実に進められていく。あの謎の機体も、ひょっとしたらその一環なのかもしれない。
「ああっ、見ろ!凶星に追い付かれるぞ!!」
「神食らう狼がやられるものか!落とせ、凶星を殺せーっ!!」
群衆たちの興奮は高まるばかり。だが、その方向性はナルバエスの意図したものとは全く異なるものになりつつある。今や群衆を支配しているのは、剥き出しの負の感情。一つ間違えれば制御不能となる破滅の炎。自らをも焼き尽くす災いの刃。先程から感じていた恐怖の理由を、彼は理解した。戦意高揚のために設けられた場は、何者かの手によってまんまと破滅を迎えるための処刑場へとすり返られてしまっている。そして悲しむべきことに、ナバロ将軍は全く気が付いていない。自らの迂闊さをナルバエスは呪った。10万を超える群衆の全てを万全にチェックすることは難しい。確固たる意志を以ってこの場に潜り込んだ者たちなら、冷静さを欠いた群衆の感情を利用することなど難しいことではない。これまで、ナルバエス自身がやってきたように、だ。将軍の演説は相変わらず続き、群衆の歓声がそれに答えているが、もう彼の耳には空虚な音も喧騒も入っていなかった。この場で処刑されるのは、自分も含めた、これまでのレサスを支えてきた政治体制そのものだ。崩壊した後はどうなる?国を統治する力を持った者たちが取って代わる。祖国にそれだけの力を持つものがいなければ――後ろ盾を得て成り上がる者が現れるだけのことだ。今から出来ることは限られているかもしれないが、このままでは「祖国」が奪われる。荒れ果てた上に戦争で甚大な損害を被った祖国であっても、軍人の端くれとして、守らねばならないという意識が、今更ながらに彼を揺り動かせた瞬間であった。秘匿回線を開き、マイクを手で覆いながら、ナルバエスは口を開く。
「――私だ。時間が無いが、一つだけ頼まれて欲しい。うむ……そうだ。手筈通りに。それから、例の記事――良くもあそこまで調べ上げたものだが、それが真実であることを知らしめるのだ。全ては、祖国を守るためだ。それを肝に銘じて臨め。それからもう一つ!……良く、今日まで私に仕えてくれた。この任務が成就したら、後は好きにするがいい。――任せたぞ」
これが最後の仕事になるかもしれない。背筋を這い上がってくる悪寒を感じながらも、不思議とナルバエスの心は落ち着いていた。
遠くから聞こえてくるジェット・ノイズ。私は空を見上げ続けている。アンナからもらったミネラル・ウォーターを時折口元に運びながら、あの音の向こうで音速の戦いを繰り広げているジャスティンの姿を思い浮かべる。
「――本当に、大切な人ってわけね。歳は関係ない……って?」
「……どこから聞いてきたの、そんな話。……勝って欲しい。ううん、ジャスティンなら絶対に勝てる、そう信じたいけれど、私はあの敵を知っている。サンサルバドルの隊長、ペドロ・ゲラ・ルシエンテス。最後の最後まで、あいつが立ちはだかるなんて――!」
「ルシエンテスですって!?――なるほど、ひょっとしたら私たちアレクトは、初めから当て犬役を割り当てられたわけね。あなたたちを消耗させるための、格好な相手として。あの姑息な隊長のやりそうなことだわ」
その後、アンナはレサス語で何やら履き捨てるように呟いた。細かい意味は分からなかったけれど、多分「畜生」とかそういうスラングのようだった。そんな彼女の様子に何だか親近感を感じながら、先程から墜落したフェンリアから離れないメンドーサの姿に私は視線を動かした。コクピット部分に乗り込んで何かいじくり回していたアレクトの隊長は、やがてヘッドセットを付けながらサムアップ。続けて、木霊が聞こえてきそうな大声が飛んでくる。音速の速さで。
「朗報だ!こいつの通信機がまだ生きている。ばっちり聞こえてくるぞ!!アンナにグリフィスの2番機殿もこっちに来てみろよ!!」
通信が……聞こえる?ここからでは確認できない戦いを、聞く事が出来るの?私は立ち上がろうとして、果たせずまた座り込んでしまう。そんな私の肩に手を回して、アンナが私の身体を支えながら立ち上がる。
「さ、行きましょ。「彼」はきっとあなたのために今戦ってる。応援してあげないと」
「……ありがと」
「何だか気持ち、良く分かっちゃうからさ。他人事だと思えないのよ」
「似た者同士?」
「そういうこと」
今、あの空を飛ぶのは、解放軍の兵士たちの希望。オーレリアという国家にとっての希望。そして、私にとってかけがえのない、大切な希望。ジャスティンの勝利を祈りながら、私は身体を支えられながらゆっくりと歩き出した。もし交信が出来るのならば、せめて伝えたい。今胸に抱く想いを――。
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