空へ届けるメッセージ
これほどまで痛め付けられているのにまだ立ち向かってくるとは、余程の命知らずか、ただの馬鹿か。あの坊主の若さは、およそルシエンテスには理解不能の非合理的なものに過ぎなかった。自爆が望みなら、その思いをかなえてやるだけのことだ。しかし彼は気が付いていなかった。そう相手を嘲笑する自らこそが、冷静さを欠いているということに。
「望み通り、跡形もなくなるまで吹き飛ばしてやる!」
マイクロ・ミサイルを放ちつつ、XRX-45の鼻先目掛けてバルス・レーザーを叩き込む。ローリングで回避しようとする敵機に対して針路を微妙に修正しながら射線を合わせていく。純白の機体に火花が爆ぜる。ロットバルト同様にパルス・レーザーを搭載したウェポン・ユニット部に多数の命中弾。ただし、致命傷までには至らず。反対方向へとロールさせた敵機は、尚も突進を続ける。前と後ろ、双方をミサイルに挟まれながら、一体奴は何を考えているのか。ぞわり、とした悪寒が腹の中を撫でる。その感触、感情をルシエンテスは信じなかった。否、認めたくなかった。そして、確信した。奴は自爆するつもりなどさらさら無いのだと。この期に及んで、南十字星はこの自分を踏み越えていくつもりなのだ。通常の機体と異なり、極論を言えば腕が消し飛んでいても操縦出来るよう設計されたコクピットの中で、搭乗者は尋常ならざる精神力の強さを求められる。激しい感情は機体本来の性能を著しく低下させるということを、ルシエンテスは忘れていたわけではない。むしろ、感情を抑制する点においてルシエンテスを凌ぐ者は少なかったであろう。だが、感情では完全には抑制出来ない本能の衝動に晒された時、機械ではない人間にはおのずと限界が存在する。絶望的な戦況など知ったことではないとでも言うように立ち向かってくるXRX-45と南十字星。衝動的に放ったパルス・レーザーの雨がついにウェポン・ユニットを吹き飛ばすことに成功するが、その突撃は止まることがない。迫り来る白い翼の姿に、ルシエンテスの心の中を氷塊が滑り落ちていく。
「こちらに突っ込むつもりか?いいぞ、バリアで頭から粉々に粉砕してやるぞ」
「まだまだぁぁっ!!」
万策尽きたはずのXRX-45のコクピット下に、赤い閃光が膨れ上がる。南十字星め!この激しい戦いの中、ここ一番の切り札を温存していたというのか、奴は!?コクビットしたからせり出した砲身の先で、光はさらに激しく猛々しく膨れ上がる。
「いっけぇぇぇぇぇぇっ!!」
その光の奔流は尋常ならざるものであった。モニターに表示される出力値は、およそ単体の戦闘機が放つような代物ではなかった。
「何だと!?」
「吹き飛べ、クソ野郎ぉぉぉぉぉぉっ!!」 いくつもの風穴を開けられ、嘴をへし折られても、猛禽は猛禽。しかも相手に引く気など無い。そのクソ度胸はどこから出てくる!?何故そこまでして意地を通そうとする!?あの少年を突き動かしているものは、祖国への愛でも忠義でもない。化け物め!自らの姿を棚に上げて、ルシエンテスは宿敵を罵った。赤い禍々しい輝きがロットバルトを覆うよりも早く、エネルギーの壁が機体の前方に出現し、光の奔流と真っ向から激突する。途端、荒波にさらされた小舟のように激しい振動が機体をシェイクし始める。激突して互いに反発するエネルギーが逆風となって、ロットバルトの行く先を阻もうとしているのだった。どいつもこいつも邪魔ばかりを――!怒りが理性を越えて感情を支配し始めていることをルシエンテスは認めざるを得なかった。スパークする光の向こう側、南十字星はなおも切っ先をこちらに向けて突進を続けている。こうなってしまうと、ロットバルトもバリアを迂闊に解くことが出来ない。敵からの攻撃は想定を遥かに上回る威力を発揮している。バリアに衝突すると共にエネルギーの対流を発生させていることが何よりの証拠。機体が激しく振動。機体を安定させるべく低速飛行時に使用するフィンを展開させて反動を押さえ込む。ロットバルトのバリアは、未だ健在。やはり最後に笑うのは自分らしい。悪魔の牙に自ら噛み砕かれようとしている生贄の姿に、ルシエンテスは満足げな、そして獰猛な笑みを浮かべた。

光学兵器同士の正面衝突は直視出来ないような激しい閃光を発し、スパークして激突するエネルギーの光が龍の鳴き声のように轟く。無謀にしか見えなかった真正面からの突撃は、ジャスティンに最後に残された必殺の一撃を叩き込むための作戦だったのだ。……とはいえ、あんな無茶をして!下からでも、XRX-45にロットバルトからの攻撃が命中するのが分かった。おまけに、背後から接近するミサイルは徐々に距離を縮めつつある。絶体絶命のピンチ。敵の障壁に攻撃が遮られている影響なのか、速度が落ちてきているのだろうか?不安で胸がぎゅっと締め付けられる。それでも、ジャスティンの姿を見上げていないと心がくじけそうだった。
「隊長、まだ直んないんですか?」
「ん〜、まずいな。電源がほとんど無くなってやがる。これで……どうだ!?」
ガリガリ、という耳障りなノイズが突然聞こえてきて、私は思わず耳を押さえた。それはメンドーサも同様だったようで、苦笑を浮かべながらヘッドセットの上を指で撫でている。一応成功らしい。
「無理矢理繋いでいるようなもんだからそう長くは使えないが……さて、上で頑張ってる坊やに届けといた方がいいんじゃないか、君の想いを」
「え?」
「え、じゃないよ。アホか、と言いたくなるような無謀な突撃を敢行している坊やの背中を押して、大一番をひっくり返させるにゃ、女神様の言葉がいるんだよ。迷いも躊躇いも吹き飛ばしてやるために、な。さ、善は急げだ。通信に割り込むぞ!」
いくつかのモニターがひび割れているコクピットの中でメンドーサが回線を開き、ジャスティンとルシエンテスの間に強引に割り込む。
「――人体改造までしちまうマゾ野郎には用はないんだがな。聞こえるか、南十字星?アレクトの兄貴から、お前に命の差し入れだ」
少し間を置いて、あの冷たい声が返ってくる。私が聞きたいのは、そっちの声じゃない。
「メンドーサか?落ちたお前に今更何が出来る?」
「言っただろ、変態には用は無いってな。ほら、嬢ちゃん、出番だぜ」
目の前にルシエンテスがいるかのようにじろりと一瞥を与えた後、愉快そうに笑みを浮かべながらメンドーサがウインクした。伝えたい言葉は山ほどあった。もし伝えられるならこう言おうと考えていたこともあった。でも、それらはいざその場になったら全部ホワイトアウト。思わず俯く。膨れる想いに対して、言葉はなんて無力なんだろう?余計に増した締め付けられるような胸の痛み。少しばかり視界が滲んでいたけれど、私は屹と空を見上げた。一緒に雫が2つか3つ、宙に零れる。軽く深呼吸して、マイクを口元に当てる。こうなったら、何もまとめることなんか無い。今の想いを、伝えられる限りの言葉で伝えるだけ!死地にあって尚も踏み止まろうとしている大切な存在のために!
「ジャスティン、聞こえる?」
背中を守ってあげられなくてご免ね。こんな大事な一戦に一緒にいられなくてご免ね。
「私は、見ているよ。君の翼を、君の戦いを」
私はずっと見てきたよ。ジャスティンがどれだけ頑張って今日まで飛んできたのか。そして、そんな背中を見てどれだけ多くの大人たちが励まされたのかも。今も、ジャスティンの戦いをたくさんの人たちが見守っているよ。私だって、ジャスティンを信じて、ずっと、ずっとずっと見ているんだよ。「南十字星」の強い翼を。ここからでも、ジャスティンの姿ははっきりと見える。君が諦めていないことも、あの敵をあくまで倒そうとしていることも――!
「だからお願い……ジャスティンの無事を祈っている皆の下へ、ううん、格好良くなんか無くたっていい、生きて戻ってきて!ジャスティン!!」
最後はもう、心の絶叫だったと思う。これで向こうに聞こえていなかったら悲しい独り相撲ね、と呟きながら左手で目を拭う。返答は無かったけれども、その代わりとでもいう様に、XRX-45のノズルから轟然とアフターバーナーの炎が噴き出す。目前に迫ったロットバルトに対し、あくまで衝突コース。そして、私は目を疑った。XRX-45に最後まで積まれていたミサイルが、一斉に翼と腹から切り離されたのだ。メンドーサたちにもその光景が見えたらしい。ヒュウ、とメンドーサが口笛を吹き、アンナにじろりと睨み付けられる。
「効果抜群だな。俺はますますあの坊やが気に入っちまったよ。あくまで初志貫徹。さあ……どうなる!?」
安全距離を既に割り込んでいるはずだけれど、一斉に発射されたミサイルは真正面のロットバルト目掛けて一斉に加速していく。展開された障壁へと殺到した数本のミサイルが、一斉に炸裂し、空を炎と黒煙とに覆い尽くした。その膨れ上がった炎の中に、2機の姿が突っ込んで見えなくなる。轟音と衝撃が大地にも響き渡る。次の瞬間、炎に包まれた何かのパーツが弾き出される。見覚えのある形状に思い当たって、私は声にならない悲鳴をあげて口元を手で覆ってしまった。あれは……XRX-45のコフィン・キャノピーじゃなかったか?
「馬鹿な!?バリアがかき消されただと!!」
「僕の進む道の邪魔をするなぁぁぁっ、ルシエンテス!!オーレリアの、世界の、そして皆の未来をお前らなんかの好きにさせるものかぁぁぁぁっ!!」
それはジャスティンの魂の叫びだったように思う。良かった、まだジャスティンは生きている!それだけで、身体の芯が熱くなる。戦術レーザーの紅い閃光が消えた代わりに、炎と黒煙の合間で閃光が無数に爆ぜる。まだ戦いは続いていたのだ。炎を振り払うように2機の姿が飛び出す。ロットバルトの前方にあったはずの障壁は消滅していた。そして、敵機の前方には、自らがXRX-45に対して放ったマイクロ・ミサイルの雨嵐が迫っていた。
「ぬおおおおおおお!?」
「行った、トドメだ!!」
メンドーサがぐっと拳を握る。再び空を爆炎が禍々しく彩り、包み込む。その光の中に、ロットバルトは飲み込まれていった。避け切れなかった数発の炸裂に連動して、他のミサイルが一斉に起爆したようにも見えた。悪魔の機体が、自らの牙によってその命を終えようとしている。そうだ、ジャスティンは?反対方向へと抜けたXRX-45は、降下態勢からゆっくりと機首を上げ、水平に戻したところだった。一方のエンジンからは黒煙が吹き出していたけれども、健在。無事な姿を見て緊張が解けたのか、私はその場でストンと座り込んでしまう。――馬鹿、本当に無茶するんだから。シルメリィに戻ったら、絶対に一言言ってやるわ。安堵の裏返しで、私は心の中でそう呟いた。今言ってやろうか、と思ったけれど、ヘッドセットからは何も聞こえなくなっていた。
「……ありゃ、もう壊れたか」
「隊長がいい加減な配線組むからいけないんですよ」
「あのな、そもそも落ちた機体の無線を繋いでいること自体がイレギュラーだとは思わんのか?」
「それとこれは話が別です!」
「お……出てきた。さすがにもう駄目か」
機体から黒煙を何本もたなびかせながら、ロットバルトが姿を現す。木っ端微塵に砕け散らなかったのは機体がもともと頑丈なのか、マイクロ・ミサイルの威力の問題なのか――。いずれにせよ、XRX-45もロットバルトも戦闘続行不能であることに間違いはなさそうだった。だが、牙も全てもがれたと思ったロットバルトは、唐突に旋回態勢に入る。その向かう先にジャスティンのXRX-45があることは言うまでもない。だけど、地上から空を見上げていた私たちには、ロットバルトを覆う異変をはっきりと見ることが出来た。無人機のようにも見える小型タイプの生き残りが、母機たるロットバルトに突っ込んでいったのだ。1機だけではない。今や、ロットバルトは味方によって包囲されつつあった。衝突によって致命傷を負ったロットバルトは、今度こそコントロールを失って落ちていく。否、落ちていきながら、さらに次々と攻撃を受けていく。何が起こったのか全く分からなかったけれども、私には魔王が炎に包まれながら本来在るべき世界へと帰っていく――そんなイメージを思い浮かべてしまった。そして、数度目の衝突の直後、ペドロ・ゲラ・ルシエンテスの肉体もろとも、ロットバルトは閃光と炎の中に没した。戦闘機のものとは思えないような大爆発を空に残して。その炎と煙が薄れて行く頃には、空には静寂が戻り始める。上空を旋回する戦闘機たちのエンジン音が遠雷のように聞こえてくるのを除けば、だが。いや、それとは異なる音が聞こえる。単調なリズムは次第に近付いてくるように思う。その音の主はすぐに分かった。戦闘機の群れよりもずっと低空を進んでくる機影は、シルメリィの、シー・ゴブリン隊所属の救難ヘリのものだ。
「うちの救援が来たみたいです」
「どうやらそうみたいだな。さてアンナ、どうすっか?」
「私、こんな狭い岩礁で隊長とサバイバル生活送るのだけは嫌です」
「じゃ、決まりだな。捕虜は捕虜らしく、大人しくさせてもらうよ。それに、そっちの方がずっと面白そうだしな」
メンドーサはアンナの方向に視線を向けて愉快そうに笑う。我が意を得たり、とでもいうようにアンナが微笑む。そんな二人の様子が微笑ましくもあり、少し羨ましくもある。ん?でも、何で私を見て笑うのかしら?
「感動の再会シーン、ここまで来たらじっくり拝ませてもらわんとなぁ。色々協力したし」
何かと思ったら、そういうこと!?今更ながらに顔中が瞬時に真っ赤になるのが分かった。
「隊長、あんまりいじめたら可哀想じゃないですか」
「ほう、その割に楽しそうに見えるけどな」
あー……私どういう顔して、ジャスティンに再会したらいいんだろ?これまた今更ながらに、さっきの言葉を思い出して顔がさらに火照ってくる。そうしている間に救難ヘリは私たちの頭上へと到着する。身を乗り出した隊員がこちらに手を振って寄越す。着地ポイントから少し離れながら、私はもう一度空を見上げた。そして、仲間たちの機体と合流し、シルメリィへの帰艦ルートに乗ったXRX-45の姿に、「お疲れさま」とそっと小声で呟いた。

捕虜の取り扱いは大体の場合武装された兵士に取り囲まれて手錠付き……というものが相場らしいけれど、アルウォール艦長にはその相場観は通用しないらしい。相手がルシエンテスやナバロだとしたら相応の対応になるのだろうけれども、アレクトのエースたちには上層部も同情しているのかもしれない。ヘリの中で怪我をした右腕の治療を受けながら、窓の外の景色に視線を移す。砲火の煌きは海にも空にも、勿論陸にも無くなり、本来の静寂さを景色は取り戻していた。この美しい景色を構成する自然をも兵器の巣窟としてしまう人間の姑息さを嘲笑うかのように、波が打ち寄せ、風が渡っていく。戦争の終結の次に来るべきものを思い出してしまい、私は一人落ち込んでいた。切り札を失ったレサスが、今後オーレリアに本格的な戦争を挑むことは当面の間無くなるだろう。その代わり、他の国、他の大陸で暗躍者たちが新たな策略を張り巡らし始めるかもしれない。レイヴンの一員である以上は仕方の無いことではあるけれども、実際にその立場に置かれると不安ばかりが募っていく。今日、わずかな時間、一緒に飛べないだけでこれだ。いつの日か本当にジャスティンがレイヴンに名を連ねる日が来るまで、私は大丈夫なのかしら?いや、ジャスティンはずっと私のことを見ていてくれるのだろうか?ぐるぐると回り出した頭の中。でもその間もヘリは確実にシルメリィへと近付いているのだった。
「今頃甲板上は大騒ぎでしょうね」
「間違いなく転落者が出ると思いますよ。ま、ヘリが降りられる空間くらいは強引に空けさせますけどね」
馴染みの海兵隊の兵士とそんな会話をかわしているうちに、やがてシルメリィの姿が海上に確認出来るようになる。その一際大きな人だかりの中央に、見覚えのある、そしてボロボロになっている戦闘機の姿が見えた。その名に相応しく、守るべき戦士を守り抜いたXRX-45の姿は、どこか誇らしげにも見えた。
「シー・ゴブリンより、コントロール!下の野次馬何とかならねぇのか!?」
「無理だな。交通整理は悪いが自前でやってくれ」
「ああそうかい分かったぜ。幾人かすっ飛んでも知らねぇからな」
ランディング・ポイントを定めたらしい救難ヘリの動きが静止する。ホバリング状態から下降へ。懐かしき我が家の甲板が近付いてくる。こっちが高度を下げ始めたことに気が付いて、乗組員たちの人の波がざっと引いていく。その集団の中心に、小柄な人影を見出した私の胸が躍る。さっきまでの不安など、どこかへと消し飛んでいった。そんなことを気にする前に、私はまだ何もしていない。伝えなければ伝わらないことがちゃんとあるのだから。年下だからとか、私よりも背が低いとか、そんなことはどうでもいい。窓に手の平とおでこを押し付けながら、徐々に迫ってくる甲板を私は見下ろしていた。やがて救難ヘリは着地点を過たず、ふわり、と甲板の上に舞い降りた。ようやく地に足が着いたような気分。
「グリフィス2!」
コールサインで呼ばれて振り返ると、アンナが小悪魔のような笑みを浮かべてサムアップ。
「グッドラック!」
「ありがと。そっちも気が多そうな隊長さん、しっかりとね」
「あら、私は先達のつもりだけど」
手を振って寄越したメンドーサとアンナに心の中で礼を言って、心ここにあらず、という気分でドアのそばへ。馴染みの兵士がウインクをしながらドアのロックを外す。窓の外では、人の群れの中に一際大きく飛び出したグランディス隊長の顔と、隊長に突き押されて飛び出したジャスティンの姿があった。
「ジャスティン!!」
ハグ 勢い良く開かれたドアから、私はトン、と飛び出した。右手を吊っているのに驚いたのか、ジャスティンが眼を見開いている。でも、そうしたいのはこっち。ジャスティンの右頬には真新しい切り傷が刻まれていた。あんな無茶な飛び方をずっとしていたのだから、パイロットスーツの下の身体だって分からない。見えないところで思わぬ怪我を負っているかもしれない。本当は飛び付きたい衝動を何とか抑えて、ようやくジャスティンの前に立つ。自由な左手の人差し指で、ジャスティンの右頬に軽く触れる。
「あまり人相を悪くしないでね。……本当に心配してたんだから」
「そういうフィーナさんだって、しっかり怪我してるじゃないですか」
お互い様ね、と冗談を言おうとして失敗する。胸の奥から膨らんでくる想いと衝動が抑えられない。こんな時、理性は案外役に立たない。だめね、私。初めて経験する強烈な衝動と想いが、心と身体を突き上げる。次の行動を……と思った矢先、予想を裏切って、そして私の気持ちに最大限に応えるように、ジャスティンの腕がそっと私を抱き寄せる。鼓動が高まり、頬が熱くなる。思っていたよりもずっと締まったジャスティンの身体の温もりが伝わってくるかのよう。
「……無事で良かった……!」
それだけ伝えて、私は陥落。ジャスティンの肩と頬に顔を押し付けて、勝手に溢れ出す雫をそのままに。大人になってからこんなに泣くのは、多分初めてだろう。それも、嬉し涙でこんなになるのは。そんな私の身体を、ジャスティンは少し強めに抱き締めてくれた。その感触が、とても心地良い。
「約束、守りましたよ……」
分かってる、そんなこと。ジャスティンが今ここにいてくれれば、後は何も必要ない。言葉にならない言葉を、何度か首を縦に振って伝えたつもり。そして、私は目を閉じて自らの唇を、ジャスティンの唇に押し当てた。少し乾いていたけれども、温かくて柔らかい感触。私の身体を抱き締める両腕と身体の温もり。それら全てがどうしようもなく愛おしくて、周りの乗組員たちが黄色い歓声をあげるのもそっちのけにして、私は感情のままに任せる。それに応えるジャスティンに、身体の芯がどんどん熱くなってくる。――さすがに気恥ずかしくなって唇を離すと、ジャスティンは照れたような笑みを浮かべる。私が今まで見てきた笑顔の中で、最も大人びていて、そして最も素敵な笑顔だった。――絶対に放さないからね。私の英雄殿!そう私は呟いた。私を片手で抱き寄せたまま、ジャスティンが大きく仲間たちに向けて手を振る。地鳴りのような歓声が湧き上がり、海を、空を覆い尽くしていく。振り返れば、この国を守り続けた気安い笑いのグリフィス。止む事が無さそうな歓声は、シルメリィもオーレリアも関係なく、この地に暗躍者たちがもたらした偽りの戦争が向こうの完全敗北に終わったことを喜ぶ号砲のようでもあった。
「はい、OBC、トンプソン……何だ、ハッカーか」
戦闘終結のテロップが流れていくモニター群を見上げながら、ブレッド・トンプソンは胸元のポケットに入れてある携帯電話から伸びるヘッドセットのマイクのスイッチを入れる。
「おいおい、そっちだってアルベール・ジュネット特派員の特ダネ記事を連発でスクープだろう?私の方はこのライブで幸運の種も打ち止めさ。……何だって?そんなスキャンダルネタは、申し訳ないが他局に譲るよ。さすがにウチばかりじゃ、な」
今テレビを見ている視聴者たちは、あの「南十字星」がレサス軍の新型兵器を打ち破るシーンのリプレイに釘付けに違いない。さらに、ライブであるが故に全く改変が出来ない当事者たちの交信も。敵からの攻撃を浴びせながらも突き進んでいく「南十字星」の姿に、久方ぶりでトンプソンの心が奮い立つ。おまけに、このパイロットには心強い女神様が付いていた。
「何度聞いてもいいよなぁ。ある意味、世界中が証人の告白だからね。当事者が知ったら、さて……どんな顔をすることやら。え?君には言われたくないな、そいつは。まー、若いというか青いというか、聞いているこっちが何やら恥ずかしくなってくるのは間違いないがね。こんなに愛されている南十字星が羨ましいよ。ジュネットに伝えておいてくれ。南十字星のインタビューにはウチも同行するとね。じゃな、また時間が出来たらいつもの店でな」
相変わらずお節介焼きの友人の姿を思い浮かべてトンプソンは苦笑する。彼は彼なりに、上層部の意向を多少は無視してライブを続けているこっちのことを気遣ってくれたに違いない。もっとも、そのライブはもう終わる。ここからは、オーレリアとレサスを巻き込んで繰り広げられた戦争の実態を可能な限り素早くまとめて、世界に伝えなければならない。政治部や社会部の部長クラスをかき集めようとした矢先、編集室で映像の総まとめを始めていたスタッフが「号外!」と叫びながら飛び込んできた。
「トンプソンチーフ、大変です!!」
「大変なのは見れば分かるよ。まずは落ち着いて、何があった?」
「これ見たら落ち着けなくなりますよ。おい、映像回せ!!」
モニターの一角の映像が切り替わる。そこに映し出されたのは、波、波、波。大勢の群衆が殺到する人の波。その向かう方向に、見覚えのあるステージと大画面ディスプレイ。それがディエゴ・ギャスパー・ナバロ将軍のライブステージであることに思い至り、トンプソンは目を見張った。落ち着いているどころの騒ぎじゃない。
「映像回せ!状況よりも、映像が優先だ!今すぐトップに切り替えろ!!」
慌しく動き始めた部下たちの姿を眺めながら、彼は会心の笑みを浮かべた。奮い立つ物語は、どうやらまだ終わっていなかったらしいことに。
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